1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■1118
/ inTopicNo.1)
誤解されるということ
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□投稿者/ クラゲ
-(2004/09/04(Sat) 02:41:49)
人それぞれ。
そう考えているのに、そう思えないときがまだ私の中にある。
価値観が違う人々との意見のやりとりが平行線状態。
意見が合わないことはそれでしょうがないと思える。
世の中、全員の意見が一致するとしたら、その方が不自然だ。
経験や性質、環境、いろいろな違いが意見以前にあるので、違いは当然だと納得はできている。
それが自然だとさえ思うし、その違いがおもしろくもある。
でも、自分の意見を曲解されることに私はひどく傷つく。
誤解が気になって、なんとか正そうとする。
言ってもやはり価値観の違いからその誤解に相手は気づかない。
ときには誤解を釈明することができない場面もある。
そして、それもこれも価値観が違うのだとあっさりと思えず、
その誤解がもとで、怒りやら悲しみやら不満やらなにやらはっきりしない感情がしばらく残る。
いわば、欲求不満なのかな。
時間だけがそれを解決してくれる。忘れることだけが解決法。
だから本当は納得できていない。
誤解が起こるということをも、価値観が違うのだからと真に納得することができるようになれば、
もっと楽になれるし成長もできるように思うのに。
心のつぶやきなんですが、なんだか皆さんに聞いてもらいたくてここに書いてみました。
同様のことでなにか思うところがありましたら、聞かせてください。
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■1147
/ inTopicNo.2)
Re[1]: 誤解されるということ
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□投稿者/ キーコ
-(2004/09/08(Wed) 05:03:21)
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No1118
に返信(クラゲさんの記事)
くらげさん、はじめまして。
「自己主張」することに、長い間 憧れを持ちつづけてきました。
でも、いざ実行するとなると、いつも理屈ぬきに つよい恐怖感につきまとわれて、今でもなかなか・・・といったところです。
価値観の違う人と話しをするのは、「生きている!醍醐味」が味わえて、わたしのとても好きなことです。
むしろ、違いが大きいほど、相手に対して興味がそそられる。
「自分の無知に、気づかせてもらえることが、何よりありがたい。」と思います。
「真理」は完全に理解して、把握できるものではないだけに、それをより深く、豊かに味わうためにこそ、ひとりひとり、全く違うユニークな人間が、存在するのではないかと思います。
「誤解・曲解」をされると、とても悲しくなります。
なんとかして、「自分の思い」を正確に 相手に伝えたいけれど、上手くいかない。
ゆがんだ形のまま理解されて、ドンドンと会話が進んでいく・・・、よくあることです。
でも、それに対する「修正」の機会が与えられなかったり、相手か、自分か、それとも双方の傾聴能力の乏しさゆえに、ますます真実から遠ざかっていく。
当初の思いとは、まったく違う形で 伝わっていくのを、目の当たりにするのは とてもつらいものです。
「価値観」の違いにより 意見が異なるのと、「誤解・曲解」が生じるのは、別の問題だと思います。
価値観や意見の相違があっても、十分に 相手の話しを尊重して聴けるなら、問題はないはずです。
でも、自分の意見を絶対化してしまう。
いわゆる 閉じた状態では、自由な意見のやりとりが、難しいことがとても多い。
あるがままの自分を尊重してもらえない時は、ほんとうにつらいです。
ある程度、トライしてみても、状況が変わらなければ、あきらめるしか仕方が無い。
この苦痛・孤独感・痛みを許容する勇気のある者が、相手も自分も「そのまま受け入れる力」をもっている人だと思います。
「傾聴」することは、とても大きな冒険、なぜなら自分の中に、確実に変化が起きるから。
変化していくことは、苦痛を伴うことだと思う。
だからこそ、いつでも「過去の自分」を手放していく、そんな離脱の気概も必要だと思います。
真実に触れることで、人は「真の大人に、成熟していくもの。」と、最近ひしひしと感じています。
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■1151
/ inTopicNo.3)
共感です。
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□投稿者/ WINNIE
-(2004/09/09(Thu) 00:07:45)
お二人の文章に、共感しました。
クラゲさん、はじめまして。
> その誤解がもとで、怒りやら悲しみやら不満やらなにやらはっきりしない感情がしばらく残る。
> いわば、欲求不満なのかな。
この「欲求不満」というのは、私も思い当たります。その感じ、良くわかります。
キーコさん、こんにちは。
> 「傾聴」することは、とても大きな冒険、なぜなら自分の中に、確実に変化が起きるから。
> 変化していくことは、苦痛を伴うことだと思う。
> だからこそ、いつでも「過去の自分」を手放していく、そんな離脱の気概も必要だと思います。
そうですね、これも本当にそうですね。
最近、ネット上で話し掛けた人に、うまく私の言いたいことが伝わらなくて、でもその人の持っている思いも切実で自分を押し通すこともできずにいて、お二人のおっしゃることに、うなづいてしまいました。
人とのコミュニケーションも、自分の心とどう向き合うかで変わってきますね。
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■1155
/ inTopicNo.4)
Re[2]: 誤解されるということ
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□投稿者/ クラゲ
-(2004/09/10(Fri) 02:27:08)
キーコさん、
自分の考えが足踏み状態にいた中、いただいたことばを受けて少し前に進めそうです。
どうもありがとうございます。
「傾聴能力」。なるほどと思いました。
意見の相違が表れることはあるがままの姿。
そして、互いに「真理に近づこう」という意志に沿った態度でいられるなら、議論は続くはずですね。
> この苦痛・孤独感・痛みを許容する勇気のある者が、相手も自分も「そのまま受け入れる力」をもっている人だと思います。
…
> だからこそ、いつでも「過去の自分」を手放していく、そんな離脱の気概も必要だと思います。
自分では、相手の意見をそのまま理解しようと努めているつもりではいましたが、
「苦痛・孤独感・痛みを許容する勇気」は今の私に育っているとはいえません。
だから、私自身もきっと、相手を「そのまま受け入れ」てはいなかったのでしょうね。
実際、実践は難しいです。
世の中は誤解であふれているように私には思えます。
でも、自分が深く納得のできる方向性が見えていれば迷いはずっと減って、
新しいコミュニケーションにあたることができると思います。
WINNIEさん、コメントありがとうございます。
そうですね、「自分の心との向き合い方」を見直す必要がありそうですね。
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■1176
/ inTopicNo.5)
Re[3]: 誤解されるということ
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□投稿者/ ぽんきち
-(2004/09/11(Sat) 10:14:46)
■こんにちは。
「誤解と曲解」の話題は、今その事に直面している自分へのアドバイスとして傾聴させて頂きました。
相手を許せなくて苦しかった気持ちに何かが反応しています。
自分ひとりで考えるより、いろいろな方の考え方がとても参考になりました。
感謝です。
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■1196
/ inTopicNo.6)
Re[4]: 誤解されるということ
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□投稿者/ クラゲ
-(2004/09/12(Sun) 23:51:08)
2004/09/13(Mon) 01:28:49 編集(投稿者)
ぽんきちさん、コメントありがとうございます。
私も、やはり一人で考えることには限界があるものだなと改めて思いました。
誤解を受けるのでやっぱり人とのやりとりが時に億劫で、一人で済ませようとすることが多かったかも知れません。
でも、自分が一人だけで生きていけないことなど、とうの昔から知っています。
だからまた、考え直して新たに前を向こうと思います。
「離脱の気概」(キーコさんのことば)。この概念がなんだか心強くて。
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