1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■6794 / inTopicNo.1)  通り魔事件
  
□投稿者/ SILVER7 -(2008/06/10(Tue) 22:06:23)
     秋葉原の事件のあった日は、奇しくも、7年前の大阪教育大学付属池田小学校児童殺傷事件と同じ日であった。
     詳しくは知らないのだが、この事件の犯人の家庭も犯人にとっては望ましいものではなかったようだ。
     今回の事件の犯人も、まだごくわずかなことが報道されているだけだろうと思うが、やはり、彼にとって望ましい家庭だったのかどうか、どうやら、そうではなかったように報道されている。
     たいへん厳しく育てられたようだということと、母親への暴力があったようだと伝えられている。

     頭がよくて、スポーツ万能だったが、キレやすかったと、同級生たちが語っているし、キレやすいことは、本人も自覚していたようだ。 高校時代だったか、ナイフを持ち歩いていたともいう。

     厳しく育てるということは、一概には言えないのかもしれないが、育てられる方にとっては、自分「OK」のサインを見ることなく育つと、いうことになるのかもしれない。
     いくら頭がよくて成績優秀でも、いくら運動能力が高くても、自分「OK」のサインを、自分でも、出せなかったのかもしれない。
     自身の存在感自体が、感じられていなかったのではないだろうか?
     いつも追い立てられて、尻に火のついたような状態で、ひたすら走り続けているような状態だったのではないだろうか?

     高校に入ってから、勉強しなくなったというが、それは、それまでの、親の言うことや、世間で認められていることを容認していた自分の姿勢を、投げ出したと、いうことではなかったのか?

     それは、自分らしく生きることの始まりだったのかもしれないが、その後の経過は、自分の望むようには、行かなかったということなのかもしれない。

     せっかく自分らしく生きようとし始めたのに、ことに自動車関係の専門短大卒後は、職種も待遇も、彼にとっては温かいものではなかったようだ。 雇用条件の自由化された時期とほぼ軌を一にしているようだが、本来、落ち着きどころを持たずに育った彼は、仕事においても大変不安定な境遇であったと言えないだろうか?

     若さ故にか、一気に走ってしまったが、また、その行為には、取り返しがつくことは決して無いが、しかしながら、この犯罪を惹き起こさない何らかの術が無かったのかとの思いを、止(とど)めることができない。

     こうやって書いてきたことで振り返ってみると、彼は、その年齢の25年間、心休まることが無かったのかも、知れないではないか。・・・・・・
     4分の1世紀、四半世紀、決して、短い年月ではない。
引用返信 削除キー/
■6853 / inTopicNo.2)  Re[1]: 通り魔事件
□投稿者/ はなぽん -(2008/06/15(Sun) 00:30:24)
    ACと思われる犯罪者に、はなぽんも、同情したり、共感したりすることが良くあります。
    ここでも、「虐待された子供」と「虐待してしまう母親」が意見をぶつからせたことがありましたよね。そのとき、はなぽんは、たとえどんな事情があってもやってはいけないことがある、と言うことを学びました。

    虐待については、気づかずにやってしまったり、全く知識がない場合もあり、問題は複雑ですが、「殺人」は、さすがに、「やってはいけない」ということは、知識として広まっているはずです。

    たとえ、ACだからと言って、ほかの人を殺していいはずがないんです。
    はなぽんの親が、はなぽんのココロを殺し続けたからと言って、はなぽんがほかの人を殺すのは、八つ当たりに過ぎない。

    それをはっきり認識しておかないと、はなぽんは、いろんな感情や、自分への言い訳で、わけがわからなくなってしまいそうになるのです。

    親への怒りを認識したら、怒りの矛先は正しく向けたい。
    彼はやりすぎたと思います。


引用返信 削除キー/
■6905 / inTopicNo.3)  Re[2]: 通り魔事件
□投稿者/ SILVER7 -(2008/06/17(Tue) 21:38:15)
     はなぽんさん、そうですね、どんな事情があろうとも、やってはいけないことがある、その通りですね。 私も潜り抜けてきました。 20代、30代と、何度、ムラムラと胸が沸き立ったかわかりません。 必死で抑えて、冷静になるのを待ったこともあります、何度か。

     はなぽんさんが言われる通り、私の魂がいくら殺されていたとしても、仕返しに殺めたり、ましてや見も知らぬ人を殺すなんてことは見当違いもいいところです。

     私たちの仕返しは、まっとうな人間になって、「ざまあ見ろ、悔しかったらおまえさんも、まっとうな人間になってみろい!」と言うことではないでしょうか?
     やられっぱなしの人間から、逆に見返すようにね。

     私たちの任務もいろいろあるけど、自分がまともになることが、最大の任務ではないでしょうか?
     その事業に比べたら、いろんな人がいろんなことを言ってきたりしてきたりすることにも、いちいちかかずらわったり、かまっている暇はないんですね。


     ただ、私が、心傷めるのは、今回の犯人なら犯人のように、その心のなかの葛藤を、早い内に気づく手立てが作られていかないと、何度も、何度も繰り返されるな〜ということです。

     今日のN○Kの『クローズアップ現代』で、「隣人祭り(隣人が食べ物や飲み物を持ち寄って、結びつきを作っていく催し。 最初はパリで、隣室の老人が孤独死したのを契機に、隣室の青年が同じアパートのの住人に呼びかけて、そのアパートの中庭で始めた・・・・)」が今、1つのムーブメントになって、世界に広がっていっていることを紹介していましたが、気軽に、自分の胸の内を口にすることができるような関係が、身近なところにあると、いいですね。

     あれと、虐待やDV、依存症、ACなどについての理解を広げていく活動が要りますね。 虐待の報告件数は、この10(?)年間で40倍になったそうですが、それには、虐待への理解が進んだことも反映していると言いますが、まだまだ、殊に躾などについては、もっともっと議論もされなければなりませんね。

     私たちが発言していく機会だって、訪れることがあるかもしれません。
引用返信 削除キー/
■6921 / inTopicNo.4)  Re[3]: 通り魔事件
□投稿者/ はなぽん -(2008/06/18(Wed) 21:10:54)
    >  ただ、私が、心傷めるのは、今回の犯人なら犯人のように、その心のなかの葛藤を、早い内に気づく手立てが作られていかないと、何度も、何度も繰り返されるな〜ということです。
    >

    はなぽんも、よく、そう思うのですが・・・
    それに対して、「何か対策を!」とか、「はなぽんが何かしなければ!」とは、あえて思おうとしていないのです・・・

    なんというか、また、自分で足かせをはめそうな気がしまして。
    はなぽん自身が、昔、そういうこと(みんなのために働くこと)をしなくてはいけない様に思いながら生きていたので、今、誰かのために何かをすることにものすごくためらいを感じるのです。

    だから、蔦吉さんのようにこういうHPを作ってくれたり、ACのための何かをしてくれる人には、尊敬の気持ちが、これも、生まれて初めて強制ではなく沸いてくるのです。自分にできないことをやってくれる人に対する感謝も。

    犯人に対する同情と、はなぽんの正直な気持ちが矛盾しているのですが、矛盾するのもはなぽんだと言うことなのでしょう・・・

引用返信 削除キー/
■6963 / inTopicNo.5)  Re[4]: 通り魔事件
□投稿者/ SILVER7 -(2008/06/20(Fri) 22:13:59)
    > なんというか、また、自分で足かせをはめそうな気がしまして。
    > はなぽん自身が、昔、そういうこと(みんなのために働くこと)をしなくてはいけない様に思いながら生きていたので、今、誰かのために何かをすることにものすごくためらいを感じるのです。

     ここのところは、大切なところではないかと思います。

     はなぽんさんも、そうだったんですね。
     やらなければならないことを、まじめに考えていたんですね。

     肝腎要の、自分にとって必要なことは、後回しになっていてね。


     私も、ここのところは気をつけています。
     自分の心からのものでない活動は、結局続けることができないんですね。 すればするほど、自分の心からの断裂が、広がっていくようでね。
     私は、かなりしんどい経験をしてきました。 今も思い出すと、苦汁が湧いてくるような感じです。

     私が、私たちの発表の機会について述べたのも、何か、大きく働きかけようというよりも、意見を求められた時には、私たちの実情を語ることができたらとの、思いでした。


     今度の犯人も、自分自身、自分の気持ちの大葛藤に気が付いていなかったんじゃないかと思いますが、1人ひとりの心の内を語ることができる場が、当たり前のように、普通にあればいいのにな〜と、改めて強く思っています。
引用返信 削除キー/



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