1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■6530 / inTopicNo.1)  わたしはずるい
  
□投稿者/ アラタ -(2008/03/18(Tue) 22:17:02)
    一応「社会人」として働きはじめ、もうすぐ一年。
    先輩方にかこまれ、些細なことには目をつぶってもらっていたであろう毎日が
    もう通用しなくなりました。新しい社会人一年生が入ってきたのです。

    今まで『一年目だから、色々戸惑ったり不安定だったりするだろうから』
    といわれるだろう、ということにかこつけて、
    自分の内面の汚さやコンプレックスやらを、まったく鍛えようとせず
    「まるだし」で、とにかく正直に!!!をモットーにやってきましたが、

     新しい人から見て、私って何なんだ?
     私が「嫌だー!」って気嫌いしてきた会社の人たちより
     何もできない、何もしようとしない、それが当たり前だと思っていた自分って…

    と、急に血の気が引くような思いになりました。

    行動の裏には、「だって私○○だったんだもん!」という理由があって、
    もちろんはじめから前面には出さずに、言い訳なんてしないように見せて無理して
    弱って相手が少しでも「甘えてんじゃねーの?」と思い出したときに
    どかーんと「実は○○(病気とか)なんです…」というのを出して

    自分は甘えてない/甘えられない無理しちゃう子だということ
    だからそれを大目にみないともっと大惨事引き起こすこと、など印象付け
    上の人にも「無理しなくていいぞ?」と言われ、申し訳なさそうにする、など
    やりたい放題(?)でいました。

    私はそうやってこの一年間、無理して体調を崩す(+診断書つき)とか情緒不安定に
    なったら、それを止めない、気づかない、無理強いした相手のせいに仕立てて
    気まずい関係になってまで自分が相手との関係性で優位に立とうとしていました。
    相手に負い目を負わせて、それで半永続的に気を引きたかったのです。
    でも、今自分が、何もしなくても誰からも注目を浴びる存在ではなくなって

    私は自分を「特別」だと思い込んで、
    「一生懸命やったけど○○だからできなかった、
     でも許してくれるでしょ?そこで器問われるよ?」っていう弱気で強気な態度で
    いまたことが、クレジットカードの支払いのごとく自分にのしかかってきました。

    私は、本当に「なにもできません!」っていう弱い人になりたかった。
    そうじゃないかもしれないのに、できないフリをしていたから、
    自分にかかる負債が大きくなった。
    正直に自由に生きることは誰にもとめることはできない。
    でも人間関係でかけた迷惑はものすごい利子を抱えて自分に帰ってくるんだなぁと
    思いました。

    人との関係を絶って、「もうほっといて!」と言って自分の時間を持って
    長い長い虚ろな自分からだんだん正気になれたことも事実です。
    元気で健康的になり始めたのかもしれません。
    ただ、目が覚めはじめたことで、自分が恨みや鬱に囚われ傍若無人に
    振舞ったあとの残骸が、ぼんやりと見えはじめています。

    そういう、ある意味しあわせな(?)薄ら寒い痛みと、
    またどんどん疑心暗鬼に囚われたりして自分を悪い方向に持っていこうとする
    自虐的な痛みと、どっちも感じて今アップダウンが激しいです。

    また、何も見えなくなるくらい自虐的な痛みに襲われたい、
    と思ってしまう時があります。
    「聞き流すんじゃなくて、ちゃんと『傷つく』から批判しないで!」
    「ストレスで体を壊すかわりにもう私をとがめないで!」
    「いくらだって自分を傷つけるからもうほっといて!!!」
    と自分ひとりで勝手に決めた取引で、おそらく傷つけてはいけないものを
    感覚を麻痺させ、ざっくりやってしまうことがあります。
    そして「もう私傷ついてるから。」と他人の介入を避けようとします。

    以前、米兵になった夢を見ました。
    敵国の兵士が散弾銃をもっていきなり横並びにいた私たちを撃ちました。
    私以外は皆撃たれて突っ伏しました。私も撃たれた気で突っ伏しましたが、
    無傷で生きていました。突っ伏した以上死んだフリをしていましたが、
    敵国の兵が「こいつ死んだフリしてねー?」とからかい始めたので、
    兵の銃剣を自分で掴んで、自分の腹に刺したフリをして、そんな大根演技で
    「はい私は死にました!だから死者をこれ以上辱めないで!!」という
    気持ちで再び突っ伏し、自分は死んだのだ!と思い込むことにしました。
    敵国兵は訝しげなしらけた顔をして、本気で死者をやろうとしている私を
    一瞥し、去っていきました。
    すごく、卑怯でみっともない。けど私は夢の中で、死んでないのに
    「私は死にました!!私の夢です!!」と半ば逆切れで思い込もうとしました。

    ACも、もしかしたら自分の「はい今私虐げられましたー!!」という
    自分の努力(?)で今の自分が形成された気がします。
    相手に注意して、嫌な思いをしても歩み寄るよりも、
    自分が嫌な思いをしたら全責任を相手にかぶせ、相手の罪から何かをさせて
    なるべく自分が傷つかないようにするというスタンスで、ずっと周りにも
    「私が悪いの?誰が悪いの?」と問いかけてきました。

    私は「協力」をしないで、雲のような権利の上にあぐらをかいて
    批評ばっかりしてきました。
    会社の上の人がご自分の両親に対して「育ててくれただけでもすげぇ」と
    言ってましたが、私は当時はそうは思わず、威圧的な親に
    「誰が育ててやってるんだ!といい恩を着せ押し付けながら子供を育てるの?
     子供は頼んでません。なぜ子供を作って育てようと思ったの?
     そんな人はそもそも家庭や子供を持つ資格無いのでは?」と
    手紙を書いたりしました。

    でも今、自分で「しょうがないじゃん私○○なんだから!!!」をやっていて
    責任らしい責任をはたさず周りのせいばっかりにしてた今、
    私の今までのやりかたじゃ駄目だ/かといって自分を全否定しいじめるのも違う/
    これから「いい方向」にがんばらなきゃ/自分との戦いだ…
    と思いました。なんだかもう、恥ずかしいやら情けないやらどうしたらいいやらで
    軽く混乱しているのですが、やっぱりこういう気づきも自己完結でなく
    対話できる形で投稿したかったので、ここに投稿します。


引用返信 削除キー/
■6532 / inTopicNo.2)  Re[1]: 俺もそうです
□投稿者/ けんと 改め まさ -(2008/03/19(Wed) 07:15:14)
    No6530に返信(アラタさんの記事)
    > 一応「社会人」として働きはじめ、もうすぐ一年。
    > 先輩方にかこまれ、些細なことには目をつぶってもらっていたであろう毎日が
    > もう通用しなくなりました。新しい社会人一年生が入ってきたのです。
    >
    > 今まで『一年目だから、色々戸惑ったり不安定だったりするだろうから』
    > といわれるだろう、ということにかこつけて、
    > 自分の内面の汚さやコンプレックスやらを、まったく鍛えようとせず
    > 「まるだし」で、とにかく正直に!!!をモットーにやってきましたが、
    >
    >  新しい人から見て、私って何なんだ?
    >  私が「嫌だー!」って気嫌いしてきた会社の人たちより
    >  何もできない、何もしようとしない、それが当たり前だと思っていた自分って…
    >
    > と、急に血の気が引くような思いになりました。
    >
    > 行動の裏には、「だって私○○だったんだもん!」という理由があって、
    > もちろんはじめから前面には出さずに、言い訳なんてしないように見せて無理して
    > 弱って相手が少しでも「甘えてんじゃねーの?」と思い出したときに
    > どかーんと「実は○○(病気とか)なんです…」というのを出して
    >
    > 自分は甘えてない/甘えられない無理しちゃう子だということ
    > だからそれを大目にみないともっと大惨事引き起こすこと、など印象付け
    > 上の人にも「無理しなくていいぞ?」と言われ、申し訳なさそうにする、など
    > やりたい放題(?)でいました。
    >
    > 私はそうやってこの一年間、無理して体調を崩す(+診断書つき)とか情緒不安定に
    > なったら、それを止めない、気づかない、無理強いした相手のせいに仕立てて
    > 気まずい関係になってまで自分が相手との関係性で優位に立とうとしていました。
    > 相手に負い目を負わせて、それで半永続的に気を引きたかったのです。
    > でも、今自分が、何もしなくても誰からも注目を浴びる存在ではなくなって
    >
    > 私は自分を「特別」だと思い込んで、
    > 「一生懸命やったけど○○だからできなかった、
    >  でも許してくれるでしょ?そこで器問われるよ?」っていう弱気で強気な態度で
    > いまたことが、クレジットカードの支払いのごとく自分にのしかかってきました。
    >
    > 私は、本当に「なにもできません!」っていう弱い人になりたかった。
    > そうじゃないかもしれないのに、できないフリをしていたから、
    > 自分にかかる負債が大きくなった。
    > 正直に自由に生きることは誰にもとめることはできない。
    > でも人間関係でかけた迷惑はものすごい利子を抱えて自分に帰ってくるんだなぁと
    > 思いました。
    >
    > 人との関係を絶って、「もうほっといて!」と言って自分の時間を持って
    > 長い長い虚ろな自分からだんだん正気になれたことも事実です。
    > 元気で健康的になり始めたのかもしれません。
    > ただ、目が覚めはじめたことで、自分が恨みや鬱に囚われ傍若無人に
    > 振舞ったあとの残骸が、ぼんやりと見えはじめています。
    >
    > そういう、ある意味しあわせな(?)薄ら寒い痛みと、
    > またどんどん疑心暗鬼に囚われたりして自分を悪い方向に持っていこうとする
    > 自虐的な痛みと、どっちも感じて今アップダウンが激しいです。
    >
    > また、何も見えなくなるくらい自虐的な痛みに襲われたい、
    > と思ってしまう時があります。
    > 「聞き流すんじゃなくて、ちゃんと『傷つく』から批判しないで!」
    > 「ストレスで体を壊すかわりにもう私をとがめないで!」
    > 「いくらだって自分を傷つけるからもうほっといて!!!」
    > と自分ひとりで勝手に決めた取引で、おそらく傷つけてはいけないものを
    > 感覚を麻痺させ、ざっくりやってしまうことがあります。
    > そして「もう私傷ついてるから。」と他人の介入を避けようとします。
    >
    > 以前、米兵になった夢を見ました。
    > 敵国の兵士が散弾銃をもっていきなり横並びにいた私たちを撃ちました。
    > 私以外は皆撃たれて突っ伏しました。私も撃たれた気で突っ伏しましたが、
    > 無傷で生きていました。突っ伏した以上死んだフリをしていましたが、
    > 敵国の兵が「こいつ死んだフリしてねー?」とからかい始めたので、
    > 兵の銃剣を自分で掴んで、自分の腹に刺したフリをして、そんな大根演技で
    > 「はい私は死にました!だから死者をこれ以上辱めないで!!」という
    > 気持ちで再び突っ伏し、自分は死んだのだ!と思い込むことにしました。
    > 敵国兵は訝しげなしらけた顔をして、本気で死者をやろうとしている私を
    > 一瞥し、去っていきました。
    > すごく、卑怯でみっともない。けど私は夢の中で、死んでないのに
    > 「私は死にました!!私の夢です!!」と半ば逆切れで思い込もうとしました。
    >
    > ACも、もしかしたら自分の「はい今私虐げられましたー!!」という
    > 自分の努力(?)で今の自分が形成された気がします。
    > 相手に注意して、嫌な思いをしても歩み寄るよりも、
    > 自分が嫌な思いをしたら全責任を相手にかぶせ、相手の罪から何かをさせて
    > なるべく自分が傷つかないようにするというスタンスで、ずっと周りにも
    > 「私が悪いの?誰が悪いの?」と問いかけてきました。
    >
    > 私は「協力」をしないで、雲のような権利の上にあぐらをかいて
    > 批評ばっかりしてきました。
    > 会社の上の人がご自分の両親に対して「育ててくれただけでもすげぇ」と
    > 言ってましたが、私は当時はそうは思わず、威圧的な親に
    > 「誰が育ててやってるんだ!といい恩を着せ押し付けながら子供を育てるの?
    >  子供は頼んでません。なぜ子供を作って育てようと思ったの?
    >  そんな人はそもそも家庭や子供を持つ資格無いのでは?」と
    > 手紙を書いたりしました。
    >
    > でも今、自分で「しょうがないじゃん私○○なんだから!!!」をやっていて
    > 責任らしい責任をはたさず周りのせいばっかりにしてた今、
    > 私の今までのやりかたじゃ駄目だ/かといって自分を全否定しいじめるのも違う/
    > これから「いい方向」にがんばらなきゃ/自分との戦いだ…
    > と思いました。なんだかもう、恥ずかしいやら情けないやらどうしたらいいやらで
    > 軽く混乱しているのですが、やっぱりこういう気づきも自己完結でなく
    > 対話できる形で投稿したかったので、ここに投稿します。
    >
    >
    アラタさんへ

    おはようございます。ふー、そうですか。

    正直な投稿に感謝しますね。

    俺もずるいですよ、以前は社長でしたから・・・・・

    今はもう、自分の責任を他人に転嫁しないですが、それは痛い思いをして、かなり苦しんだからです。

    ご自分の経験から、自分のことや振る舞いを確認した感じですね。それが気付きですよ。

    人は経験を経ることで進歩すると思います。俺は相当なストレスの中で仕事4つ掛け持ちをしたことがありますよ。職場4つ、同時進行で、それでも収入は、サラリーマンより少ない。

    どこへいっても怒られました。ある宅配便の早朝仕分けでは、そこの支店長に虐められました。これに関しては、自分の病気に理解できない上司だったね。

    以上、俺なりに書きました。言葉足らずだと思いますが・・・・




引用返信 削除キー/
■6533 / inTopicNo.3)  Re[1]: わたしはずるい
□投稿者/ 真名 -(2008/03/19(Wed) 08:17:50)
    アラタさん、はじめまして。
    記事、拝見させていただきました。

    大変おつらそうですね。だいじょうぶですか?

    私は現在無職ですし、アルバイターとしてしか働いた経験がないので、たいしたことが言えないかもしれませんが・・・。

    > 一応「社会人」として働きはじめ、もうすぐ一年。
    > 先輩方にかこまれ、些細なことには目をつぶってもらっていたであろう毎日が
    > もう通用しなくなりました。新しい社会人一年生が入ってきたのです。
    >
    > 今まで『一年目だから、色々戸惑ったり不安定だったりするだろうから』
    > といわれるだろう、ということにかこつけて、
    > 自分の内面の汚さやコンプレックスやらを、まったく鍛えようとせず
    > 「まるだし」で、とにかく正直に!!!をモットーにやってきましたが、
    >
    >  新しい人から見て、私って何なんだ?
    >  私が「嫌だー!」って気嫌いしてきた会社の人たちより
    >  何もできない、何もしようとしない、それが当たり前だと思っていた自分って…
    >
    > と、急に血の気が引くような思いになりました。

    新しい人が入ってきて、気持ちに変化があったんですね。
    でも、私が思ったのは、人間には弱さもコンプレックスもあるということです。
    それをとがめてしまう気持ちもよくわかりますが、「しかたがないよね」って許してあげる優しさも必要なんじゃないかと思います。
    私の想像ですが、アラタさんは仕事を始めたばっかりで、仕事をこなすことだけで精いっぱいだったのではないかと思います。
    周りにどう思われるかとかという不安を持ちながらも、がんばってこられたのだと思います。
    だから、ご自分を褒めてあげることもしてほしいです。

    > 行動の裏には、「だって私○○だったんだもん!」という理由があって、
    > もちろんはじめから前面には出さずに、言い訳なんてしないように見せて無理して
    > 弱って相手が少しでも「甘えてんじゃねーの?」と思い出したときに
    > どかーんと「実は○○(病気とか)なんです…」というのを出して
    >
    > 自分は甘えてない/甘えられない無理しちゃう子だということ
    > だからそれを大目にみないともっと大惨事引き起こすこと、など印象付け
    > 上の人にも「無理しなくていいぞ?」と言われ、申し訳なさそうにする、など
    > やりたい放題(?)でいました。

    いいんじゃないでしょうか?
    私はこのくらいの技がないと、世の中渡っていけないような気がします。
    相手がどう見てるかはわかりませんし、気にしなくていいと思います。

    > 私はそうやってこの一年間、無理して体調を崩す(+診断書つき)とか情緒不安定に
    > なったら、それを止めない、気づかない、無理強いした相手のせいに仕立てて
    > 気まずい関係になってまで自分が相手との関係性で優位に立とうとしていました。

    これはまずかったかもしれませんね。
    でも、気づいたアラタさんは、すぐに変われると思います。
    私もそうですが、人はなかなか自分の欠点に気づけないものだと思います。
    でも、アラタさんはご自分を客観的に見て分析されていて、すごいなと思います。

    > 相手に負い目を負わせて、それで半永続的に気を引きたかったのです。
    > でも、今自分が、何もしなくても誰からも注目を浴びる存在ではなくなって
    >
    > 私は自分を「特別」だと思い込んで、
    > 「一生懸命やったけど○○だからできなかった、
    >  でも許してくれるでしょ?そこで器問われるよ?」っていう弱気で強気な態度で
    > いまたことが、クレジットカードの支払いのごとく自分にのしかかってきました。

    弱気で強気な態度を取ってしまったのは、なぜだったのでしょう?
    きっと心に何か隠されていると思います。
    心の傷とか、悩みとか。

    > 私は、本当に「なにもできません!」っていう弱い人になりたかった。
    > そうじゃないかもしれないのに、できないフリをしていたから、
    > 自分にかかる負債が大きくなった。
    > 正直に自由に生きることは誰にもとめることはできない。
    > でも人間関係でかけた迷惑はものすごい利子を抱えて自分に帰ってくるんだなぁと
    > 思いました。

    強がってしまったことを悔やまれているのですね。
    これからアラタさんは変われると思います。
    みんな、迷惑をかけながら生きてきているから、だいじょうぶですよ。
    失敗したり、迷惑かけたり、その繰り返しです。
    でも、そこから何かを学んで気をつけていれば、必ず変わることができます。

    > 人との関係を絶って、「もうほっといて!」と言って自分の時間を持って
    > 長い長い虚ろな自分からだんだん正気になれたことも事実です。
    > 元気で健康的になり始めたのかもしれません。
    > ただ、目が覚めはじめたことで、自分が恨みや鬱に囚われ傍若無人に
    > 振舞ったあとの残骸が、ぼんやりと見えはじめています。
    >
    > そういう、ある意味しあわせな(?)薄ら寒い痛みと、
    > またどんどん疑心暗鬼に囚われたりして自分を悪い方向に持っていこうとする
    > 自虐的な痛みと、どっちも感じて今アップダウンが激しいです。

    かなりご自分のことがクリアに見えてきているようですね。
    私も好き勝手に振る舞った後の残骸(壊れた壁紙やドアですが 汗)を見ると何とも言えない気分になります。
    もう何年か経ったので、気持ちは楽になりましたが、しばらくは落ち込んでいました。
    気持ちのアップダウンが激しいのはつらいですね。
    きっと今がアラタさんの1つの変化の時だから、おつらいのだと思います。
    私は、新しいアラタさんと今までのアラタさんが同時に現われているから気持ちに波があり、混乱されているんだと思います。
    薄ら寒い痛みを感じているのが新しいアラタさん、自分を悪い方向に持っていこうとする痛みを感じているのが今までのアラタさん。
    変なことを書いていたらごめんなさいね。

    > また、何も見えなくなるくらい自虐的な痛みに襲われたい、
    > と思ってしまう時があります。
    > 「聞き流すんじゃなくて、ちゃんと『傷つく』から批判しないで!」
    > 「ストレスで体を壊すかわりにもう私をとがめないで!」
    > 「いくらだって自分を傷つけるからもうほっといて!!!」
    > と自分ひとりで勝手に決めた取引で、おそらく傷つけてはいけないものを
    > 感覚を麻痺させ、ざっくりやってしまうことがあります。
    > そして「もう私傷ついてるから。」と他人の介入を避けようとします。

    「守り」の姿勢に入られているのですね。
    (とがめる意はありません。)
    怖くなって、守りに入ってしまう気持ちはわかる気がしますが、どうかご自分を傷つけることはしないでください。悲しいです。
    自分自身にも同じ症状がある私が言うのは変かもしれませんが、アラタさんがご自分を傷つけてしまうのはショックです。(私はいつも言いっぱなしの方に書いていてレスがつかない形となっていますが、もし私がこう書いたことで、アラタさんを不快にさせてしまったとしたら、本当にごめんなさい。)
    だれもむやみやたらにアラタさんを傷つけたりしないと思います。
    もう少し安心感を持っても大丈夫だと思います。

    > 以前、米兵になった夢を見ました。
    > 敵国の兵士が散弾銃をもっていきなり横並びにいた私たちを撃ちました。
    > 私以外は皆撃たれて突っ伏しました。私も撃たれた気で突っ伏しましたが、
    > 無傷で生きていました。突っ伏した以上死んだフリをしていましたが、
    > 敵国の兵が「こいつ死んだフリしてねー?」とからかい始めたので、
    > 兵の銃剣を自分で掴んで、自分の腹に刺したフリをして、そんな大根演技で
    > 「はい私は死にました!だから死者をこれ以上辱めないで!!」という
    > 気持ちで再び突っ伏し、自分は死んだのだ!と思い込むことにしました。
    > 敵国兵は訝しげなしらけた顔をして、本気で死者をやろうとしている私を
    > 一瞥し、去っていきました。
    > すごく、卑怯でみっともない。けど私は夢の中で、死んでないのに
    > 「私は死にました!!私の夢です!!」と半ば逆切れで思い込もうとしました。

    怖い夢を見たのですね。
    私もよく怖い夢を見たので、つらいのわかります。
    私も殺人を目撃するという怖い夢を見て、自分に何か悪いところがあるからだろうか?などと考え込みました。

    > ACも、もしかしたら自分の「はい今私虐げられましたー!!」という
    > 自分の努力(?)で今の自分が形成された気がします。
    > 相手に注意して、嫌な思いをしても歩み寄るよりも、
    > 自分が嫌な思いをしたら全責任を相手にかぶせ、相手の罪から何かをさせて
    > なるべく自分が傷つかないようにするというスタンスで、ずっと周りにも
    > 「私が悪いの?誰が悪いの?」と問いかけてきました。

    ん〜、どうなんでしょう?
    私はACならACだと認めていいと思います。
    それはAC(生きづらさ)からの解放につながるきっかけだと思うからです。

    > 私は「協力」をしないで、雲のような権利の上にあぐらをかいて
    > 批評ばっかりしてきました。
    > 会社の上の人がご自分の両親に対して「育ててくれただけでもすげぇ」と
    > 言ってましたが、私は当時はそうは思わず、威圧的な親に
    > 「誰が育ててやってるんだ!といい恩を着せ押し付けながら子供を育てるの?
    >  子供は頼んでません。なぜ子供を作って育てようと思ったの?
    >  そんな人はそもそも家庭や子供を持つ資格無いのでは?」と
    > 手紙を書いたりしました。

    私も、もっとひどいことを言いましたよ。
    でも仕方がなかったんじゃないかと思っています。
    相手も人間ならこっちも人間。
    毒づくときだってあると思いませんか?
    肉親であるならなおさら。

    > でも今、自分で「しょうがないじゃん私○○なんだから!!!」をやっていて
    > 責任らしい責任をはたさず周りのせいばっかりにしてた今、
    > 私の今までのやりかたじゃ駄目だ/かといって自分を全否定しいじめるのも違う/
    > これから「いい方向」にがんばらなきゃ/自分との戦いだ…
    > と思いました。なんだかもう、恥ずかしいやら情けないやらどうしたらいいやらで
    > 軽く混乱しているのですが、やっぱりこういう気づきも自己完結でなく
    > 対話できる形で投稿したかったので、ここに投稿します。

    ここまで読ませていただいて、改めて、アラタさんが一生懸命問題に立ち向かってらっしゃることに敬服いたします。
    今までのように生きていけなくなるのは(今はそう思えないかもしれないかもしれませんが)、幸せなことなんじゃないかと思います。
    私の場合、男性依存症がひどくてその行動パターンから抜け出すのがすごくつらくて、行動(生き方)を変えるのがものすごくつらかったんですが、少しずつ変えてきて、今は、愛しすぎないという生き方に変化してきました。
    今の方が楽です。

    どうか希望と勇気を持ち続けて、前向きに進んでいってください。
    これだけの書き込みができたアラタさんなら大丈夫だと思います。
    がんばっているアラタさんにエールを送ります♪
引用返信 削除キー/
■6537 / inTopicNo.4)  Re[1]: わたしはずるい、かな?
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2008/03/20(Thu) 00:20:23)
    2008/03/20(Thu) 09:23:02 編集(投稿者)

     アラタさん、読みました。

     「いい方向」、どういう在り様なんでしょうね。

     もうすでに、甘えられないし、責任を取る在り様、態様が求められているというか必要になっているんですね。

     一寸の猶予も無いというのは厳しいですね。

     なってみて気づかれたわけだ!

     この1年もアラタさんには嵐のような1年だったのにね。


     これは、やわくない(柔らかくない、簡単ではない=九州弁です)問題ですね。

     窮鼠猫を噛むような、必死に生きてこられたアラタさんの姿が、この文に溢れていますね。
     ACは、それほど必死にならなければ生きられないようなところがありますね。
     その分、周りを傷つけ、なにやらかにやら振り回したりするところがありますね。
     
     例えは適切ではないところがありますが、今日判決のあった畠山被告も、共通するものがあるように、私には思えます。

     しかし、だからと言って、すぐさま別の生き方ができるというものでもないように、私は思います。

     ACは、存在することそのものを奪われているようなところがありますから、精神的にはそうであっても、現実には、アリアリとこの世の中に存在していますから、いったい、どんな振りをすればいいんだ!と喚きたくなるぐらい、ACは、元々追い詰められているんですね。・・・・・

     そういう人間が、アラタさんのように、まざまざと現状を見せ付けられるというか知らしめられて(アラタさんが把握したのです・・)、どのように新しい自分になっていくか、どのような姿を、新しい自分の姿としていくかということは、とてつもなく大きな問題です。

     私が、今言える一つのことは、
     ACを、
     被害者的に捉えるか、
     現象あるいは事象の一つとして捉えるか、
     と、いうことです。

     何かが、あるいは何かの折に、精神的な負担が大きいこと、大きくなることをそのまま示すことですね。 そういう存在として、存在していくし、世間の認知も得ていく。 と、いうことですね。
     現実の社会では、ほとんど不可能なことですね。 現実の社会は、パワーゲームそのものですからね。 男も女も年寄りも子どもも、弱肉強食と市場原理が跋扈していますからね。

     しかし、ACの精神的負担は、そう簡単なものではない。 歓迎されなかった出生から始まって、赤ん坊の頃からの暴力、置き去りや無視、ネグレクト、性被害、等々、皆、尋常ならざることばかりです。
     そういう人間が、市場原理の世界の中で、どう、生きればいいんだ!と、ほんとうに喚きたくなります!♪

     生きにくさゆえに、僻(ひが)みもし、感じなくてもいい引け目も感じたり、劣等感たるや、膨れ上がって留まるところを知らなくなったりするんですね。
     だから、被害者的になるのはある意味、避けられないところがありますが、しかし、アラタさんが今回感じられたように、それは、いい結果をもたらさないんですね。 自分にとっても、そのことが新たなダメージになるようなね。・・・・・

     やっぱり、荷物を降ろさなければならないんじゃないかな?
     荷物、・・誰かにわかって欲しいとひたすら求めている、別の言葉で言えばすがりついている、依存という化け物に、「さらばじゃ」と、手を振って、身軽になることが、要るんじゃないかな〜?・・・・・・

     誰かに求めている限りは、それが、当の得られなかった相手ですから(と、私は思いますが・・・)、永遠にと言っていいぐらい、それは得られないんですね。 相手が変わらない限り・・・・。 だから、永遠に被害者になる。・・・・ 私みたいに、いい年寄りになって、やっと、それがわかったりするんですが・・・・・。

     人に求めないと、自分でやらなければならないから、つまり、あの鬼のような世界にこの心もとない自分で、自分を存在させていかなければならないから、ええ格好しいなんか、してはおれなくなるんです。 そんな、他人(ひと)様向けみたいな面倒なことよりも、自分の力をつけていくほうが先です。・・・・・

     ちっちゃな自分が、だんだん自分らしくなってきたら、いろいろ策を弄することも要らなくなるのではないでしょうか? どころか、影も形もないようなときでも、他人(ひと)様頼みではなくなると、自分頼みですから、なんか自分が誇らしくなるというか、たいせつなものですから、粗末には扱えなくなります。・・・・

     と、私は、思います。

     アラタさんが、自己完結でなく対話へと道を開かれたので、私の声を、出してみることができました♪
引用返信 削除キー/
■6538 / inTopicNo.5)  Re[1]: わたしはずるい
□投稿者/ ぺあ -(2008/03/20(Thu) 15:15:17)
     ぺあと言います、よろしくです。
    >先輩方にかこまれ、些細なことには目をつぶってもらっていたであろう毎日が
    もう通用しなくなりました。新しい社会人一年生が入ってきたのです。

    新人さんが入って来られると言うことでも、焦燥感は、よく分かりますよ。誰でも、この時期ってあるんじゃないでしょうか。

    > 今まで『一年目だから、色々戸惑ったり不安定だったりするだろうから』
    > といわれるだろう、ということにかこつけて、
    > 自分の内面の汚さやコンプレックスやらを、まったく鍛えようとせず
    > 「まるだし」で、とにかく正直に!!!をモットーにやってきましたが、

    すごく分かります。私も思ったことありますよ。でも、逆に、アラタさんは、かこつけて、鍛えようとせずにいた時間も、それはそれで、きっと、何か人間関係とか、色々学んでいるんじゃないのかな。もしかしたら、アラタさんは、この1年間もまた、自分を守りながら、大変な一年だったのかもしれませんね。「まるだし」で、とにかく正直に!!というモットーを作って、ご自分を守っていたのかなあ?
    私が思うに、「まるだし」で、とにかく正直に!!というモットーで過ごすって、かなり疲れますよ。というか、私の経験ですが、私は全然だめだめで、世間一般基準にはじめから満たない人間だと心の底から思っていたから、それを逆手に取って、「まるだし」で、「正直」にと私も自分に枠をはめて、大学時代は過ごしました。だから、アラタさんは、社会人として、会社で働くことが、自信が無くて、ちょっと怖かったのかもしれませんね。(すみません、これは私の予想です)

    >  新しい人から見て、私って何なんだ?
    >  私が「嫌だー!」って気嫌いしてきた会社の人たちより
    >  何もできない、何もしようとしない、それが当たり前だと思っていた自分って… と、急に血の気が引くような思いになりました。

    でも、新しい人が入ってくるという事態になって、色々思うことがあること自体、アラタさんの中で気持ちに変化が出てきたじゃないですか。アラタさんは、何もできない、しようとしない、それが当たり前と思うことで、自分自身にカバーをかけて、自分も他者にも見せないようにしてきたのかもしれないですね。

    > 弱って相手が少しでも「甘えてんじゃねーの?」と思い出したときに
    > どかーんと「実は○○(病気とか)なんです…」というのを出して
    > 自分は甘えてない/甘えられない無理しちゃう子だということ
    > だからそれを大目にみないともっと大惨事引き起こすこと、など印象付け
    > 上の人にも「無理しなくていいぞ?」と言われ、申し訳なさそうにする、など
    > やりたい放題(?)でいました。

    よく分かります。社会で渡っていくために、使ってしまう術なのかも。私も、同じようなことをしていた気がする。アラタさん、ご自分を守ってこられたのかなあ。それに、それだけ、処世術に長けているなんて、ある意味良い事かもしれないですよ。それくらいしないと、心の力が弱まっている人には、この「せちがらい」世の中、渡っていけないのかもしれないしね。皆、自分が疲れている時や、自信ない時は、多かれ少なかれ、やっていることかもしれないです。でも、ご自分のことよおく理解してらっしゃるし、処世術も使えるし、全然大丈夫ですよ。

    > 私はそうやってこの一年間、無理して体調を崩す(+診断書つき)とか情緒不安定になったら、それを止めない、気づかない、無理強いした相手のせいに仕立てて
    > 気まずい関係になってまで自分が相手との関係性で優位に立とうとしていました。
    > 相手に負い目を負わせて、それで半永続的に気を引きたかったのです。

    気まずい関係になってしまったのは、大変でしたね。でも、コミュニケーションは人それぞれだし。気まずい関係になった方にも色んな思いあるし。本当に心配しておられる方もいるだろうし。これから、関係を良くしていくこともできるのかもしれませんね。

    > 私は、本当に「なにもできません!」っていう弱い人になりたかった。
    > そうじゃないかもしれないのに、できないフリをしていたから、

    そうじゃないかもしれない・・・という思いもあるんですね。そうじゃないかもしれないけど、自信がないのかな。でも、できないフリをするのも、辛いでしょう?「なにもできません!でもそうじゃないかもしれない・・・」そうなんですよ。きっと自信ないかもしれないけども、でも、できるかもしれない、だから、やってみることが大事なのかもしれません。
     私も同じような思いをして、ずっと大学時代いました。自分の力量も分からないし、他の人と同じくらい出来るかわからないし、今まで自己効力感を感じずに、ただ環境に適応し、弱い他者にもたれかかって、保護をしているつもりで生きてきた私も、自信がなくて、自分を固定化してきましたので。アラタさんも、今まで達成感を感じた経験は少なかったのかな?でも、これまでのご経験の中で、自分で「これだけできた」という思いをしたり、達成感、自己効力感を感じたことを是非思い出してみてくださいね。

    > 正直に自由に生きることは誰にもとめることはできない。
    > でも人間関係でかけた迷惑はものすごい利子を抱えて自分に帰ってくるんだなぁと思いました。

    あんまりご自分を追い詰めないで下さいね、きっと大丈夫ですよ。

    > またどんどん疑心暗鬼に囚われたりして自分を悪い方向に持っていこうとする
    > 自虐的な痛みと、どっちも感じて今アップダウンが激しいです。
    > また、何も見えなくなるくらい自虐的な痛みに襲われたい、
    > と思ってしまう時があります。
    > 「聞き流すんじゃなくて、ちゃんと『傷つく』から批判しないで!」
    > 「ストレスで体を壊すかわりにもう私をとがめないで!」
    > 「いくらだって自分を傷つけるからもうほっといて!!!」
    > と自分ひとりで勝手に決めた取引で、おそらく傷つけてはいけないものを
    > 感覚を麻痺させ、ざっくりやってしまうことがあります。
    > そして「もう私傷ついてるから。」と他人の介入を避けようとします。

    その気持ちは、分かりますよ。アラタさんは、今まで自分はすごく悪いことをしてしまったという思いがすごくお強いのですね。でも、他者からの批判、今までの反省で、アラタさんすべてを否定はしないで下さいね。きっと、アラタさんなりに、今までの色んな思いを総合し、会社で、自分を守ったり、頑張ってこられたんではないでしょうか。
     他者からの批判は、今は聞き入れるのが怖い状況なのかもしれませんね。でも、他者を意図的に傷つけようとする方は、そんなにはいないかもしれない(まあ、いる時も多々ありますが・・・)。他者からの批判は、自分を全否定するのではなく、「その部分だけ直せばOKなのね」って受取れば良いのかもしれませんね。でも、他者からの批判を全否定取らずに、聞き入れるようになるには、やっぱり自分に自信がないとできないことですよね。

    > ACも、もしかしたら自分の「はい今私虐げられましたー!!」という
    > 自分の努力(?)で今の自分が形成された気がします。
    > 相手に注意して、嫌な思いをしても歩み寄るよりも、
    > 自分が嫌な思いをしたら全責任を相手にかぶせ、相手の罪から何かをさせて
    > なるべく自分が傷つかないようにするというスタンスで、ずっと周りにも
    > 「私が悪いの?誰が悪いの?」と問いかけてきました。

    でも、それがアラタさんには必要だったわけですよね。それに、ACって悪い言葉ではないですし。。ACという言葉は、自分の「生き辛さ」を、「自分の内面に問題があるのではないか?」ということから、「いや、自分のせいじゃない!育った環境…そこで生き延びるために私はその環境に適応したのだ!」という一種の思考転換の言葉だしね。

    > 会社の上の人がご自分の両親に対して「育ててくれただけでもすげぇ」と
    > 言ってましたが、私は当時はそうは思わず、威圧的な親に
    > 「誰が育ててやってるんだ!といい恩を着せ押し付けながら子供を育てるの?
    >  子供は頼んでません。なぜ子供を作って育てようと思ったの?
    >  そんな人はそもそも家庭や子供を持つ資格無いのでは?」と
    > 手紙を書いたりしました。


    う〜ん。私もいっつも、大学でもバイト先でも、どこでも「その年で親の文句言うなんておかしいだの、育ててくれただけでもありがたい、すごいことだ」って言われ続けましたよ。世間ではそういう人が大多数でしょうね。
     ある一面ではそうでしょう。それでも、当時アラタさんがそう思わなかったなら、それはそれで、アラタさんはそう思わなかったという事でいいんじゃないかなあ。アラタさんの手紙の言葉は、全くその通りだと思います。私も同感だし、私も、同じようなこと言いました。
     私は、そういう世間一般の押し付けの中で、でも、私は子供の頃どう感じていたかというと、「とても辛い思いをしてきた」ということでした。周りが、どんなに「お前は恵まれている」「贅沢だ」と言おうとも・・・です。そして、その素直な思いを持ってもOKだと、認めることが、私の、そしてACの回復にはとても大切なことだと思っています。

    > でも今、自分で「しょうがないじゃん私○○なんだから!!!」をやっていて
    > 責任らしい責任をはたさず周りのせいばっかりにしてた今、
    > 私の今までのやりかたじゃ駄目だ/かといって自分を全否定しいじめるのも違う/
    > これから「いい方向」にがんばらなきゃ/自分との戦いだ…
    > と思いました。なんだかもう、恥ずかしいやら情けないやらどうしたらいいやらで
    > 軽く混乱しているのですが、やっぱりこういう気づきも自己完結でなく
    > 対話できる形で投稿したかったので、ここに投稿します。

     責任を果たさずに、周りのせいばっかりにしてきたのも、きっと色んな思いがあったからこそなんでしょうね。今、辛い時期かもしれませんが。アラタさんは、ご家族に自分の思いを手紙に書いたり、すごく勇気があると思いますよ。私も、子供時代の本音を書いた手紙を出したときは、もう乖離しそうなほどの勇気を出したもん・・・(今では無理しすぎたかもって少し思ってます)。
     あんまり無理なさらないで下さいね。今までのご自分を少し認めてあげてください。どうして、そういう行動をしたのか?それを把握して、駄目だなあと思うところは少しずつ変えていければいいんじゃないかな。

    自分に重ね合わせて書いたので、参考にできる箇所があったら、してくださいね。正直に思いを書かれていて、それで、私も色々自分を振り返りましたよ、ありがとうございました。

引用返信 削除キー/
■6539 / inTopicNo.6)  Re[2]: わたしはずるい
□投稿者/ ぺあ -(2008/03/20(Thu) 15:53:57)
     すみません、私のNo,6538の書き込みの続きになりますが・・・カウンセラー・信田さよこさんのおっしゃっておられる、「イノセンスの承認」は、ACを理解する1つのキーワードになると思います。良かったら、信田さんの本読んでみてくださいね。それでは。
     
引用返信 削除キー/
■6542 / inTopicNo.7)  Re[1]: わたしはずるい
□投稿者/ こくーん -(2008/03/21(Fri) 00:37:38)
    アラタさん、こんにちは。

    社会人2年目になられたのですね。おめでとうございます。
    (子どもの頃は、進級おめでとう、卒業おめでとう、入学おめでとう、となるのに、大人になると言わないな…と思ったので…)

    アラタさんの書き込みを読ませていただいて、
    (すごいなあ!)
    って思いました。
    アラタさんの気づきも、それを真正面から見つめたアラタさんも。
    そして、きっととても辛くて重い気持ちを抱えていらっしゃるのでしょうが、その中に力強さも感じました。

    私もずるいところがたくさんあって、いっぱい理由つけて逃げてきました。
    逃げたところはコワくて見られないのに、心残りはいっぱいです。

    社会人になって随分経った経験だけしかないので、それから語ることしかできませんが、今はその気づきを手にしたことで十分、じゃないかなって思います。
    社会人、何年目になっても、コワいことや悩むことはたくさんあって、尽きることはないのが私の現状です。その中から少しずつ、前よりできるようになったことがあって、それを糧にするしかない年月です。
    多くを求められて、潰れた経験もあります。
    でも、今やっと、『それも経験』と思えるようになりました。

    私はずるい。そして、みんなきっと、それぞれのずるさをどこかに持っていると思うのです。
    『私は自分はずるいことをするのに、人のずるさを許してなかったな』
    とアラタさんの書き込みを拝見して思いました。

    焦らず、少しずつアラタさんが今の気づきを手がかりに、新しい何かをつかんでいかれたらいいなあ…と思いました。
    (今、私も転機を迎えているので、見方が偏っているかもしれません。見当違いの書き込みをしていたらごめんなさい)


引用返信 削除キー/
■6543 / inTopicNo.8)  わたしはずるい…か?
□投稿者/ アラタ -(2008/03/21(Fri) 13:00:16)
    >皆様

    コメントありがとうございます。
    投稿しておいて、そのときのもやもやした気分をふりかえりたくなかったので
    なかなか見にこようとしなかったのですが、
    今週末に返信しようと思います。

    これを投稿したときは、おそらく環境の変化を感じ取り
    色々いい事も悪いことも思い浮かんでしまい、
    突発的に(?)こちらに書いてしまったのですが、そのおかげで
    大分気持ちの整理もつきました。
    そして多分、他の皆もこういう風に色々考えて、ひそかに考えを改めたり
    目をつぶったほうがうまくいくことは「なかったこと」にして
    少しずつ周囲との関係や自分との付き合い方のバランスを取っていくんだろうな
    と思いました。至って健康的なのかな?

    少々お待ちください。
引用返信 削除キー/
■6546 / inTopicNo.9)  Re[2]: わたしはずるい
□投稿者/ アラタ -(2008/03/22(Sat) 23:12:27)
    真名さんはじめまして。

    > 大変おつらそうですね。だいじょうぶですか?
    いや、なんていうか…周囲の人に言われたんじゃなく、
    勝手に過剰反応して書いてしまいました;すみません。
    でもこれを書いてる当初は辛かったです。
    「過剰反応」「思い込み」は私のキーワードかもしれません。
    > 新しい人が入ってきて、気持ちに変化があったんですね。
    > でも、私が思ったのは、人間には弱さもコンプレックスもあるということです。
    > それをとがめてしまう気持ちもよくわかりますが、「しかたがないよね」って許してあげる優しさも必要なんじゃないかと思います。
    > 私の想像ですが、アラタさんは仕事を始めたばっかりで、仕事をこなすことだけで精いっぱいだったのではないかと思います。
    > 周りにどう思われるかとかという不安を持ちながらも、がんばってこられたのだと思います。
    > だから、ご自分を褒めてあげることもしてほしいです。

    そうですね…。

    けっこう、今まで周囲が、ほかから見て「すげーじゃん!」ていう人も
    「いやいや私なんてまだまだ;恐縮です…」とか
    「あ〜私ってなんて未熟なんだ、精進精進…」ていう人ばっかりだったので
    その時は仕方なくても、自分をたしなめるポーズを取ってなきゃいけないんだな
    と思ってて…それで今までやってきて、責めることが義務化してました。
    直接誰かに「もうそろそろ2年目なんだからさぁ…」って会社の人に
    言われたわけではないです。でも、
    そろそろ言われるんじゃないか、言わなくても思ってるはず、
    思って無くても、自分で重々意識くらいしてないとだめなんだ!
    仕事できないんだから!…と思ってました。

    大学時代バイトしてるときに、あんまり教えるの上手じゃない
    思い込み強いおばちゃんに、「もう○ヶ月たつんだからさぁしっかりしてよね」
    って言われたのがまだ残ってて…そういうの気にしてる限り仕事に集中できないって解ってるのに、気にしなきゃ気にしなきゃって思ってしまって…
    話がそれました。

    > いいんじゃないでしょうか?
    > 私はこのくらいの技がないと、世の中渡っていけないような気がします。
    > 相手がどう見てるかはわかりませんし、気にしなくていいと思います。

    そうですか…。
    私は無理に潔癖にやろうとし過ぎてたのかな???
    変なたとえですが、
    突然机やロッカーをあら捜しされても、相手を責めるより
    机やロッカーから変なものが出てこないほうが
    「えらい/すごい/相手にダメージ/面倒じゃない」
    って思ってる節があって、今まで何か疑いをかけられようものなら
    見せなくていいことや言わなくていいことまでオープンにして
    私は潔癖でーす、ってやろうとしてました。

    > これはまずかったかもしれませんね。
    > でも、気づいたアラタさんは、すぐに変われると思います。
    > 私もそうですが、人はなかなか自分の欠点に気づけないものだと思います。
    > でも、アラタさんはご自分を客観的に見て分析されていて、すごいなと思います。

    う〜ん…変われますかね?変わりたいです!

    > 弱気で強気な態度を取ってしまったのは、なぜだったのでしょう?
    > きっと心に何か隠されていると思います。
    > 心の傷とか、悩みとか。

    よくわからない話をしてしまってたらごめんなさい。
    最初、社長に『プレッシャー』をかけられたとき、
    (/社長のモットーは本人の力の120%の目標を提示すること/
    /今は出来なくてもダレないで目標に近づこうとするから/
    /本人が自分で↑を言っていたので「意地悪」で言ってるのではないのは解る/
    /これは社員を育てるためにはふつうらしい/)
    精進します…という態度で居たのですが、
    そのプレッシャーをかけられたせいで?辞めてしまった先輩社員がいて、
    それで社長と会社に対して疑心暗鬼が生まれてしまい、
    悪気はないつもりなんだろうけどやり方間違ってるんじゃないか?!とか
    うちの父親と同じジャンルの人間なんじゃないだろうな!!!
    と思うようになり、社長にプレッシャーかけられたときに、逆切れのような受け答えをして泣き出してしまいました。

    心理的に追い詰められ泣き出してしまったとき、社長に呼ばれ
    「何が問題だ?」「できない?じゃあどうすればできる?」と問われましたが
    先輩社員が辞めたことや、
    その時は研修期間なのに指導員が協力会社に出向してしまい不在であるとか
    不安要素はたくさんるけどでもそれをどうしていいかわからなくて、
    こっちが聞きたいよ!!という状況で
    私は疑心暗鬼と不安で押しつぶされそうになり、話し合いなんか無理だと思って
    「問題はありません。すべて私の中の問題ですので。」と、
    とても仕事なんか出来る状態じゃないのにそういい切って、社長が
    「いや、○○が辞めたこととか××が居ないことで
     不安になってるんだろうけどな…」と、言ったので
     自分と社長の間で、どこで信頼関係が切れてるのか解れ!
     うちの父はそんなこと知ろうともしない。あんたもそうなのか?!
     と、相手を試すためにも強気で弱気な態度を取っていたんだと思います。
    > 強がってしまったことを悔やまれているのですね。
    > これからアラタさんは変われると思います。
    > みんな、迷惑をかけながら生きてきているから、だいじょうぶですよ。
    > 失敗したり、迷惑かけたり、その繰り返しです。
    > でも、そこから何かを学んで気をつけていれば、必ず変わることができます。

    強がるというか…できないことはできない、今言われても困る、
    相手が言っても解らない時はとにかく距離置かないとおかしくなる!
    と思って、自分を押し殺すことよりわけのわからない環境から離れることを
    優先していて、その付けがいま回ってきてるな…と思ったんです。
    つけというか、何をするにしてもその行動の影響、メリットデメリットは
    あるんでしょうけれど、自分がしたことのデメリットばかりに目が向いていたようです。
    > 気持ちのアップダウンが激しいのはつらいですね。
    > きっと今がアラタさんの1つの変化の時だから、おつらいのだと思います。
    > 私は、新しいアラタさんと今までのアラタさんが同時に現われているから気持ちに波があり、混乱されているんだと思います。
    > 薄ら寒い痛みを感じているのが新しいアラタさん、自分を悪い方向に持っていこうとする痛みを感じているのが今までのアラタさん。
    > 変なことを書いていたらごめんなさいね。

    はい。新しい痛みが見えてきても、勝手を知っている古い痛みに
    すり替えようと、変化を怖がっているところもあります。

    > 「守り」の姿勢に入られているのですね。
    > (とがめる意はありません。)
    > 怖くなって、守りに入ってしまう気持ちはわかる気がしますが、どうかご自分を傷つけることはしないでください。悲しいです。
    > 自分自身にも同じ症状がある私が言うのは変かもしれませんが、アラタさんがご自分を傷つけてしまうのはショックです。(私はいつも言いっぱなしの方に書いていてレスがつかない形となっていますが、もし私がこう書いたことで、アラタさんを不快にさせてしまったとしたら、本当にごめんなさい。)
    > だれもむやみやたらにアラタさんを傷つけたりしないと思います。
    > もう少し安心感を持っても大丈夫だと思います。

    はい。トライトライトライ、ばかりで(そのせいかどうかはわかりませんが)
    自分が上司にもつ感情がおかしくなってきていたりして、
    それで仕事のことや自分のことに色々影響が出てきてしまって…

    傷つく、といっても私は自傷は怖くてできません。
    ただ、自己処罰ということで「自分は○○する資格が無い」「思い上がるな」とか
    「今日は家から出ない」「○○へいく予定はキャンセル」「無理やり父親を肯定してみる」とか自分が無気力になるような、ちまーい嫌がらせをしてしまいます…。

    あと誰かから傷つけられる前に自分で自分を傷つけて耐性つけなきゃとか
    考えてしまいます…。

    > 怖い夢を見たのですね。
    > 私もよく怖い夢を見たので、つらいのわかります。
    > 私も殺人を目撃するという怖い夢を見て、自分に何か悪いところがあるからだろうか?などと考え込みました。

    私は心理戦である夢が多く、とても後味が悪いことが多いです。
    夢からさめても、たまたま夢だっただけで実際私は後味が悪い選択をしている…
    と思って、ずっと引きずってしまいます。夢の中で頭がはっきりしている分、よけいに。

    > ん〜、どうなんでしょう?
    > 私はACならACだと認めていいと思います。
    > それはAC(生きづらさ)からの解放につながるきっかけだと思うからです。

    そうですね。
    「ACかどうかで悩んでいてもなにも始まらない。それはともかく
     ACについて調べたりすることで自分が回復するなら、そっちのが大事だ」
    とお世話になった方に言われました。

    > 私も、もっとひどいことを言いましたよ。
    > でも仕方がなかったんじゃないかと思っています。
    > 相手も人間ならこっちも人間。
    > 毒づくときだってあると思いませんか?
    > 肉親であるならなおさら。

    うち、物分りのいい「いい子ちゃん」が多くて、なかなか「いいんじゃない?」
    って思えないのですが…
    愚痴を言ったときに母と弟から「お父さんも人間なんだからさぁ…」と
    説得されましたが「私も人間なんだけど?!」って思いました。

    > ここまで読ませていただいて、改めて、アラタさんが一生懸命問題に立ち向かってらっしゃることに敬服いたします。
    > 今までのように生きていけなくなるのは(今はそう思えないかもしれないかもしれませんが)、幸せなことなんじゃないかと思います。
    > 私の場合、男性依存症がひどくてその行動パターンから抜け出すのがすごくつらくて、行動(生き方)を変えるのがものすごくつらかったんですが、少しずつ変えてきて、今は、愛しすぎないという生き方に変化してきました。
    > 今の方が楽です。

    今、上司との関係に私が一方的に悩み続けているのですが、
    私は上司を「間違った愛し方」で「愛しすぎ」ていたのかなぁ…と
    真名さんの返信記事をみて思いました。
    確実に愛されてるっていう手ごたえがほしくて、
    色々なサービス(?)をしてしまって…
    そんな必要ないのかもしれませんね。
    まじめになりすぎないよう力抜くようにします。ありがとうございます!
    客観的に自分を見つめられました。
引用返信 削除キー/
■6547 / inTopicNo.10)  Re[2]: 俺もそうです
□投稿者/ アラタ -(2008/03/22(Sat) 23:18:59)
    まささんこんばんは。

    > アラタさんへ
    >
    > おはようございます。ふー、そうですか。
    >
    > 正直な投稿に感謝しますね。
    >
    > 俺もずるいですよ、以前は社長でしたから・・・・・
    >
    > 今はもう、自分の責任を他人に転嫁しないですが、それは痛い思いをして、かなり苦しんだからです。
    >
    > ご自分の経験から、自分のことや振る舞いを確認した感じですね。それが気付きですよ。
    >
    > 人は経験を経ることで進歩すると思います。俺は相当なストレスの中で仕事4つ掛け持ちをしたことがありますよ。職場4つ、同時進行で、それでも収入は、サラリーマンより少ない。
    >
    > どこへいっても怒られました。ある宅配便の早朝仕分けでは、そこの支店長に虐められました。これに関しては、自分の病気に理解できない上司だったね。
    >
    > 以上、俺なりに書きました。言葉足らずだと思いますが・・・・

    まささんとのやりとりは
    一対一でやり取りをしているかのような感じになりますね。

    まささんも自分の判断、自分の経験から色々感じ学んでいったようですね。

    私も色々試して色々学んでみます。

    それは正解も間違いもないかわりに約束もない♪って某歌詞にあったので…

    私も言葉足らずで、いったい何を書きたいの?って文章ですが
    ご容赦下さい。

引用返信 削除キー/
■6548 / inTopicNo.11)  Re[1]: わたしはずるい
□投稿者/ けんと 改め まさ -(2008/03/22(Sat) 23:23:11)
    No6530に返信(アラタさんの記事)
    > 一応「社会人」として働きはじめ、もうすぐ一年。
    > 先輩方にかこまれ、些細なことには目をつぶってもらっていたであろう毎日が
    > もう通用しなくなりました。新しい社会人一年生が入ってきたのです。
    >
    > 今まで『一年目だから、色々戸惑ったり不安定だったりするだろうから』
    > といわれるだろう、ということにかこつけて、
    > 自分の内面の汚さやコンプレックスやらを、まったく鍛えようとせず
    > 「まるだし」で、とにかく正直に!!!をモットーにやってきましたが、
    >
    >  新しい人から見て、私って何なんだ?
    >  私が「嫌だー!」って気嫌いしてきた会社の人たちより
    >  何もできない、何もしようとしない、それが当たり前だと思っていた自分って…
    >
    > と、急に血の気が引くような思いになりました。
    >
    > 行動の裏には、「だって私○○だったんだもん!」という理由があって、
    > もちろんはじめから前面には出さずに、言い訳なんてしないように見せて無理して
    > 弱って相手が少しでも「甘えてんじゃねーの?」と思い出したときに
    > どかーんと「実は○○(病気とか)なんです…」というのを出して
    >
    > 自分は甘えてない/甘えられない無理しちゃう子だということ
    > だからそれを大目にみないともっと大惨事引き起こすこと、など印象付け
    > 上の人にも「無理しなくていいぞ?」と言われ、申し訳なさそうにする、など
    > やりたい放題(?)でいました。
    >
    > 私はそうやってこの一年間、無理して体調を崩す(+診断書つき)とか情緒不安定に
    > なったら、それを止めない、気づかない、無理強いした相手のせいに仕立てて
    > 気まずい関係になってまで自分が相手との関係性で優位に立とうとしていました。
    > 相手に負い目を負わせて、それで半永続的に気を引きたかったのです。
    > でも、今自分が、何もしなくても誰からも注目を浴びる存在ではなくなって
    >
    > 私は自分を「特別」だと思い込んで、
    > 「一生懸命やったけど○○だからできなかった、
    >  でも許してくれるでしょ?そこで器問われるよ?」っていう弱気で強気な態度で
    > いまたことが、クレジットカードの支払いのごとく自分にのしかかってきました。
    >
    > 私は、本当に「なにもできません!」っていう弱い人になりたかった。
    > そうじゃないかもしれないのに、できないフリをしていたから、
    > 自分にかかる負債が大きくなった。
    > 正直に自由に生きることは誰にもとめることはできない。
    > でも人間関係でかけた迷惑はものすごい利子を抱えて自分に帰ってくるんだなぁと
    > 思いました。
    >
    > 人との関係を絶って、「もうほっといて!」と言って自分の時間を持って
    > 長い長い虚ろな自分からだんだん正気になれたことも事実です。
    > 元気で健康的になり始めたのかもしれません。
    > ただ、目が覚めはじめたことで、自分が恨みや鬱に囚われ傍若無人に
    > 振舞ったあとの残骸が、ぼんやりと見えはじめています。
    >
    > そういう、ある意味しあわせな(?)薄ら寒い痛みと、
    > またどんどん疑心暗鬼に囚われたりして自分を悪い方向に持っていこうとする
    > 自虐的な痛みと、どっちも感じて今アップダウンが激しいです。
    >
    > また、何も見えなくなるくらい自虐的な痛みに襲われたい、
    > と思ってしまう時があります。
    > 「聞き流すんじゃなくて、ちゃんと『傷つく』から批判しないで!」
    > 「ストレスで体を壊すかわりにもう私をとがめないで!」
    > 「いくらだって自分を傷つけるからもうほっといて!!!」
    > と自分ひとりで勝手に決めた取引で、おそらく傷つけてはいけないものを
    > 感覚を麻痺させ、ざっくりやってしまうことがあります。
    > そして「もう私傷ついてるから。」と他人の介入を避けようとします。
    >
    > 以前、米兵になった夢を見ました。
    > 敵国の兵士が散弾銃をもっていきなり横並びにいた私たちを撃ちました。
    > 私以外は皆撃たれて突っ伏しました。私も撃たれた気で突っ伏しましたが、
    > 無傷で生きていました。突っ伏した以上死んだフリをしていましたが、
    > 敵国の兵が「こいつ死んだフリしてねー?」とからかい始めたので、
    > 兵の銃剣を自分で掴んで、自分の腹に刺したフリをして、そんな大根演技で
    > 「はい私は死にました!だから死者をこれ以上辱めないで!!」という
    > 気持ちで再び突っ伏し、自分は死んだのだ!と思い込むことにしました。
    > 敵国兵は訝しげなしらけた顔をして、本気で死者をやろうとしている私を
    > 一瞥し、去っていきました。
    > すごく、卑怯でみっともない。けど私は夢の中で、死んでないのに
    > 「私は死にました!!私の夢です!!」と半ば逆切れで思い込もうとしました。
    >
    > ACも、もしかしたら自分の「はい今私虐げられましたー!!」という
    > 自分の努力(?)で今の自分が形成された気がします。
    > 相手に注意して、嫌な思いをしても歩み寄るよりも、
    > 自分が嫌な思いをしたら全責任を相手にかぶせ、相手の罪から何かをさせて
    > なるべく自分が傷つかないようにするというスタンスで、ずっと周りにも
    > 「私が悪いの?誰が悪いの?」と問いかけてきました。
    >
    > 私は「協力」をしないで、雲のような権利の上にあぐらをかいて
    > 批評ばっかりしてきました。
    > 会社の上の人がご自分の両親に対して「育ててくれただけでもすげぇ」と
    > 言ってましたが、私は当時はそうは思わず、威圧的な親に
    > 「誰が育ててやってるんだ!といい恩を着せ押し付けながら子供を育てるの?
    >  子供は頼んでません。なぜ子供を作って育てようと思ったの?
    >  そんな人はそもそも家庭や子供を持つ資格無いのでは?」と
    > 手紙を書いたりしました。
    >
    > でも今、自分で「しょうがないじゃん私○○なんだから!!!」をやっていて
    > 責任らしい責任をはたさず周りのせいばっかりにしてた今、
    > 私の今までのやりかたじゃ駄目だ/かといって自分を全否定しいじめるのも違う/
    > これから「いい方向」にがんばらなきゃ/自分との戦いだ…
    > と思いました。なんだかもう、恥ずかしいやら情けないやらどうしたらいいやらで
    > 軽く混乱しているのですが、やっぱりこういう気づきも自己完結でなく
    > 対話できる形で投稿したかったので、ここに投稿します。
    >
    >

    こんばんは。他のメンバーさんとのやり取りを見ました。

    今は、かなりのストレスが掛かっていますね。簡単にやめることも出来ない・・・

    社長さん自身もかなりのストレッサーですね。

    よく頑張っている。

    アファメーション(西尾和美)はお持ちですか?自分はかなり使っていますが、

    参考になると思います。

    RNに本の紹介のコーナーがあるはず。お持ちで無いならご購入を提案します。


引用返信 削除キー/
■6549 / inTopicNo.12)  Re[2]: わたしはずるい、かな?
□投稿者/ アラタ -(2008/03/23(Sun) 00:00:32)
    SILVER7さん、いつもお世話になっております。

    >  アラタさん、読みました。
    >
    >  「いい方向」、どういう在り様なんでしょうね。
    >
    >  もうすでに、甘えられないし、責任を取る在り様、態様が求められているというか必要になっているんですね。
    >  一寸の猶予も無いというのは厳しいですね。
    >  なってみて気づかれたわけだ!

    なんというか…反応で、強く思い込んで親記事を書いてしまったので
    本当に一寸の猶予もないのかどうかはわかりませんが…
    でも「一寸の猶予もないわけではない」と思いながら過ごしてたらいつまでも
    甘えてしまいますね。いつか本当にそういうときがくる。
    「なってしまった」を仮定してお話しようと思います。

    >  この1年もアラタさんには嵐のような1年だったのにね。

    ・・・ほんとですよね!!!!本当にそうだ。
    でも、かといってそれが免罪符となるわけではないし、咎められた時
    それを理由として話すのはなんとなく気が引けてしまうんです。
    成長の機会を失うかもしれない。だから、自分にまるまる当てはまるわけでは
    ないかもしれないけど、ふつうの状態でこんなことしてたらこういわれるよ、
    という注意があれば、「ふつう」に近づきたい私は参考にしたいなぁという
    感じなんです。…無理しているのかな。「普通」至上主義?「普通」幻想?

    > これは、やわくない(柔らかくない、簡単ではない=九州弁です)問題ですね。
    > 窮鼠猫を噛むような、必死に生きてこられたアラタさんの姿が、この文に溢れていますね。
    >  ACは、それほど必死にならなければ生きられないようなところがありますね。
    >  その分、周りを傷つけ、なにやらかにやら振り回したりするところがありますね。

    そうですね。私の一年の行動が「行動力あるね!」という話じゃなく
    本当に「窮鼠猫を噛む」の繰り返しで、それがちょっと頻繁すぎて
    自分でも周りからも「私」に対する認識がずれてるっぽい気がします…。
     
    >  例えは適切ではないところがありますが、今日判決のあった畠山被告も、共通するものがあるように、私には思えます。

    いえ、ちょっと通ずるところはあるかなと思っています。
    いつもネットのニュースで裁判の内容を見ていました。

    >  しかし、だからと言って、すぐさま別の生き方ができるというものでもないように、私は思います。
    >
    >  ACは、存在することそのものを奪われているようなところがありますから、精神的にはそうであっても、現実には、アリアリとこの世の中に存在していますから、いったい、どんな振りをすればいいんだ!と喚きたくなるぐらい、ACは、元々追い詰められているんですね。・・・・・
    >
    >  そういう人間が、アラタさんのように、まざまざと現状を見せ付けられるというか知らしめられて(アラタさんが把握したのです・・)、どのように新しい自分になっていくか、どのような姿を、新しい自分の姿としていくかということは、とてつもなく大きな問題です。
    >
    >  私が、今言える一つのことは、
    >  ACを、
    >  被害者的に捉えるか、
    >  現象あるいは事象の一つとして捉えるか、
    >  と、いうことです。
    >  何かが、あるいは何かの折に、精神的な負担が大きいこと、大きくなることをそのまま示すことですね。 そういう存在として、存在していくし、世間の認知も得ていく。 と、いうことですね。

    今、していることですかね。
    もう、パワーゲームや二重三重の思惑が面倒になって、たとえ本当にかすかに
    「正直」を盾に相手を振り回そうという考えが浮かんでしまっても、
    行動と言動は愚直に愚直に、Liveアラタを伝えています。
    敵意は全くないこと、自分もどうしていいかわからないこと、
    伝える努力を放棄したわけでなく、考えた結果がこれなんだ、ということを
    伝えようとしています。
    最初は被害者意識が強く、いかにして親に復讐に世間(自分の生活圏)に知らしめるかを考えていました。が、最近は少しずつ、回復の目的がかわってきたせいか
    ACを事象のように捉えつつあります。幸いこのサイトのように参考になるところがいっぱいありますし。

    >  現実の社会では、ほとんど不可能なことですね。 現実の社会は、パワーゲームそのものですからね。 男も女も年寄りも子どもも、弱肉強食と市場原理が跋扈していますからね。

    体温や息遣いを感じる距離での相手のことがわからなくなっている気がします。
    生身のはずの人間が、「象徴」であったり「アイコン」であったり
    「資本」であったり「道具」であったり…

    >  しかし、ACの精神的負担は、そう簡単なものではない。 歓迎されなかった出生から始まって、赤ん坊の頃からの暴力、置き去りや無視、ネグレクト、性被害、等々、皆、尋常ならざることばかりです。
    >  そういう人間が、市場原理の世界の中で、どう、生きればいいんだ!と、ほんとうに喚きたくなります!♪

    ある意味、世の中のねじれを一番見ているから、
    一番現実を把握してる存在かもしれませんね。
    それを見ていないシアワセな人の「こう生きなさい♪」は、きっと参考には
    ならないでしょう。どう生きればいいか、は、私は上でSILVER7さんが仰ってることと同じ事を私は考えています。愚直に愚直に、私は私であるがゆえに私であり続ける。

    それがメディアみたいに一気にひろがるわけでもなし。
    身近な人だけに、じわじわほんの少しずつ影響がでるだけ。
    でも、本来の人間のスピードってそうだと思います。
    だから、それでいいと思っています。丁寧に自分を生き、それを続ける。
    その生き方が誰かに安心や確信を与え、自分の頭で考えることで、
    道が開けるんじゃないかって思います。

    >  生きにくさゆえに、僻(ひが)みもし、感じなくてもいい引け目も感じたり、劣等感たるや、膨れ上がって留まるところを知らなくなったりするんですね。
    >  だから、被害者的になるのはある意味、避けられないところがありますが、しかし、アラタさんが今回感じられたように、それは、いい結果をもたらさないんですね。 自分にとっても、そのことが新たなダメージになるようなね。・・・・・

    >  やっぱり、荷物を降ろさなければならないんじゃないかな?
    >  荷物、・・誰かにわかって欲しいとひたすら求めている、別の言葉で言えばすがりついている、依存という化け物に、「さらばじゃ」と、手を振って、身軽になることが、要るんじゃないかな〜?・・・・・・

    依存は、自分の問題の代替みたいですね。嗜好品然り色事然り。
    今回思い当たる依存の化け物は、上司とのおかしな関係でしょう。
    幸い、へんな形で依存していたりもやもやを感じているのは私だけで
    向こうは依存も自覚し、
    無意識にもとの「いい方向(普通に意思疎通が取れている上司/部下)」の関係
    になろうとしつつあるように見えます。

    自分が自分を肯定できない不安、被害者意識に隠れて一歩踏み出さなかったことの言い訳、そのへんが、依存の化け物のえさだったように思います。

    >  誰かに求めている限りは、それが、当の得られなかった相手ですから(と、私は思いますが・・・)、永遠にと言っていいぐらい、それは得られないんですね。 相手が変わらない限り・・・・。 だから、永遠に被害者になる。・・・・ 私みたいに、いい年寄りになって、やっと、それがわかったりするんですが・・・・・。

    そうですね。多分、得られていないのに、手を代え品を代え「手に入れた!」と
    思い込もうとする。矛盾が出る。不安だから確かめるために依存する…。
    事象ですね。貰えなかったことも。私のせいじゃない。

    >  人に求めないと、自分でやらなければならないから、つまり、あの鬼のような世界にこの心もとない自分で、自分を存在させていかなければならないから、ええ格好しいなんか、してはおれなくなるんです。 そんな、他人(ひと)様向けみたいな面倒なことよりも、自分の力をつけていくほうが先です。・・・・・

    おはずかしい。依存していたときは、自分のことほったらかしで
    ええかっこしいすることに必死でした。ええかっこなんかなかったです。
    だって自分を育ててないから枯渇しちゃってて。

    >  ちっちゃな自分が、だんだん自分らしくなってきたら、いろいろ策を弄することも要らなくなるのではないでしょうか? どころか、影も形もないようなときでも、他人(ひと)様頼みではなくなると、自分頼みですから、なんか自分が誇らしくなるというか、たいせつなものですから、粗末には扱えなくなります。・・・・
    >
    >  と、私は、思います。
    >
    >  アラタさんが、自己完結でなく対話へと道を開かれたので、私の声を、出してみることができました♪

    ありがとうございます。
    うまくいえませんが、とても的を射ていて大事なこと仰ってる気がしました。
    前回の「ひんそうほんそう」といい、有難く参考にさせて貰っています。

引用返信 削除キー/
■6550 / inTopicNo.13)  Re[2]: わたしはずるい
□投稿者/ アラタ -(2008/03/23(Sun) 00:16:05)
    こんばんか。

    > こんばんは。他のメンバーさんとのやり取りを見ました。
    >
    > 今は、かなりのストレスが掛かっていますね。簡単にやめることも出来ない・・・
    >
    > 社長さん自身もかなりのストレッサーですね。
    >
    > よく頑張っている。

    あ、あの記事色々思い出しながら書いて長くなったりしてうまくかけなかったんですが…
    当時は社長のやり方は私にとってストレスでした。
    社長=父親と同じ!という思い込みもあって。
    でも、社長も、一般的な新入社員と違って、色々とでこぼことした問題を抱えていることを知らなかったし、一般的な接し方(成長を見込んでのプレッシャー)で来たので、起るべくしておこったなと言う感じです。起ってあたりまえというか…

    だからこそ今はわからないなりに(?)気遣って頂いています。
    書く機会がなかったのでかけませんでしたが、
    私は今年になってストレス(思い込みとか不安とか)で発覚した持病があり、
    それを報告した際に、その持病は私が思っているより大変である事や、
    近くでいい病院があることを教えてくれたり
    (なんと私よりその病気に理解がありました)

    自分から休むって言えないので、
    「俺(社長)と○○(先輩)とどっちに家まで送ってもらうか選びな?」と
    強制(?)早退させてくれたり、相手が思う以上に私が色々悩みすぎるので
    「大丈夫気にするな!」と言って下さったり、先回りして色々フォローして
    下さいます。

    でもやっぱり私の癖で、
    「社長ともあろう方をこんなに振り回して自分てやつは…」と勝手にストレス
    感じてしまったりするのですが。

    言葉が足らずご心配お掛けしてすみません。

    アファメーションの本は持っています。途中までやりましたが、辛すぎて…。
    無理やりにはやらないくてもいいと以前何方かからアドバイスを頂いたので
    そのままにしてありますが、卒論作成やカウンセラーに相談に行く際には
    自分は被害を口にしてもいいんだ!って確信を持つのに役立った気がします。

引用返信 削除キー/
■6551 / inTopicNo.14)  もう少々お待ち下さい
□投稿者/ アラタ -(2008/03/23(Sun) 00:19:32)
    まささんへ。
    > こんばんか。
    「こんばんは」の間違いでした;うとうとしてました。


    皆様へ

    続きはまた合間を見て書きます。

引用返信 削除キー/
■6557 / inTopicNo.15)  Re[2]: わたしはずるい
□投稿者/ アラタ -(2008/03/26(Wed) 23:53:58)
    お待たせしました。ぺあさんこんばんか。
    >  ぺあと言います、よろしくです。
    > 新人さんが入って来られると言うことでも、焦燥感は、よく分かりますよ。誰でも、この時期ってあるんじゃないでしょうか。

    > すごく分かります。私も思ったことありますよ。でも、逆に、アラタさんは、かこつけて、鍛えようとせずにいた時間も、それはそれで、きっと、何か人間関係とか、色々学んでいるんじゃないのかな。もしかしたら、アラタさんは、この1年間もまた、自分を守りながら、大変な一年だったのかもしれませんね。「まるだし」で、とにかく正直に!!というモットーを作って、ご自分を守っていたのかなあ?
    > 私が思うに、「まるだし」で、とにかく正直に!!というモットーで過ごすって、かなり疲れますよ。というか、私の経験ですが、私は全然だめだめで、世間一般基準にはじめから満たない人間だと心の底から思っていたから、それを逆手に取って、「まるだし」で、「正直」にと私も自分に枠をはめて、大学時代は過ごしました。だから、アラタさんは、社会人として、会社で働くことが、自信が無くて、ちょっと怖かったのかもしれませんね。(すみません、これは私の予想です)

    まるだしは…ほかにどう技巧をこらして接しても、自分で自分の首を絞めるはめになると思ったからです。正直に、って思ってますが、正直になれずいつのまにか壁を作ってしまったり、うそをついてしまうこと、うそを事実だを思い込もうそしたりしましたが、それも含め「できない自分」「うそついてしまう自分」をありのままに出しました。
    社会に出る自信は全くなかったですよ。だから
    私なにもできませんよ?冗談でもなくこんなに問題がいっぱいなひとですよ?
    貴方本当にこんな私でいいんですか?…とはじめに確認してから、
    それでもいいって言ってくれるなら、私なりにがんばります、というスタンスで
    やろうとしてました。

    > でも、新しい人が入ってくるという事態になって、色々思うことがあること自体、アラタさんの中で気持ちに変化が出てきたじゃないですか。アラタさんは、何もできない、しようとしない、それが当たり前と思うことで、自分自身にカバーをかけて、自分も他者にも見せないようにしてきたのかもしれないですね。

    今日また、ちょっとした出来事があったのですが…それによって
    これは甘えてたな、いかんいかんと自分の意識に変化があっても、解ってても
    どうしてもできないことや、どうしてもやってしまうことがあって
    今はそれを変えられないんだな…と思えました。

    それは新人だからとか、不安だから、じゃなく、
    自分がはっきりきっぱりACの檻の中に閉じ込められてるから、な出来事でした。



    > よく分かります。社会で渡っていくために、使ってしまう術なのかも。私も、同じようなことをしていた気がする。アラタさん、ご自分を守ってこられたのかなあ。それに、それだけ、処世術に長けているなんて、ある意味良い事かもしれないですよ。それくらいしないと、心の力が弱まっている人には、この「せちがらい」世の中、渡っていけないのかもしれないしね。皆、自分が疲れている時や、自信ない時は、多かれ少なかれ、やっていることかもしれないです。でも、ご自分のことよおく理解してらっしゃるし、処世術も使えるし、全然大丈夫ですよ。

    やりたい放題でした…と元の記事に書き、いかにも「意図してやっちゃいました」的な言い方で書いてますが、今日自覚しました。
    処世術でもなんでもなく、やっぱり私は愚直に『そうするしかできなかった』
    というのが正解みたいです。本当に、最悪な形だとしてもそれしかできない。
    そうするほかなかったのに、後から「あれはわざとです」というのも
    自分の癖みたいです…。

    > 気まずい関係になってしまったのは、大変でしたね。でも、コミュニケーションは人それぞれだし。気まずい関係になった方にも色んな思いあるし。本当に心配しておられる方もいるだろうし。これから、関係を良くしていくこともできるのかもしれませんね。

    そうですね…。ただ、会社の人じゃない普通の人に相談したら、
    どっちも悪くないけど
    アラタが気持ちの整理がつかないまま無理して人に接すると
    双方にいいことないから、それまでは波風立てないで距離置いたほうがいいかもね
    と言われました。なまけだずるだって思ってましたが、とりあえず距離をとって
    自分を立て直さないとなにもできない…。

    > そうじゃないかもしれない・・・という思いもあるんですね。そうじゃないかもしれないけど、自信がないのかな。でも、できないフリをするのも、辛いでしょう?「なにもできません!でもそうじゃないかもしれない・・・」そうなんですよ。きっと自信ないかもしれないけども、でも、できるかもしれない、だから、やってみることが大事なのかもしれません。

    「できなくてもいいよ、大丈夫だよ」はどこまで真実か?
    あとから「なんでできねーんだてめーは!!!」って怒られないかな?
    と思ってしまって、自分の時間を使って試そうとした…んだと思います。
    …父の影響ですわ。

    >  私も同じような思いをして、ずっと大学時代いました。自分の力量も分からないし、他の人と同じくらい出来るかわからないし、今まで自己効力感を感じずに、ただ環境に適応し、弱い他者にもたれかかって、保護をしているつもりで生きてきた私も、自信がなくて、自分を固定化してきましたので。アラタさんも、今まで達成感を感じた経験は少なかったのかな?でも、これまでのご経験の中で、自分で「これだけできた」という思いをしたり、達成感、自己効力感を感じたことを是非思い出してみてくださいね。

    達成の記憶、あったかもしれませんがここ5年強くらいはなかったですね。
    過去のことは他人の記憶でも覗き見てるかのようで、実感がありませんでした。

    > あんまりご自分を追い詰めないで下さいね、きっと大丈夫ですよ。

    はい。おそらくあんまり悪いことに考えないほうが状況はよくなって、
    おそらく実際そうなんでしょう。

    > その気持ちは、分かりますよ。アラタさんは、今まで自分はすごく悪いことをしてしまったという思いがすごくお強いのですね。でも、他者からの批判、今までの反省で、アラタさんすべてを否定はしないで下さいね。きっと、アラタさんなりに、今までの色んな思いを総合し、会社で、自分を守ったり、頑張ってこられたんではないでしょうか。
    >  他者からの批判は、今は聞き入れるのが怖い状況なのかもしれませんね。でも、他者を意図的に傷つけようとする方は、そんなにはいないかもしれない(まあ、いる時も多々ありますが・・・)。他者からの批判は、自分を全否定するのではなく、「その部分だけ直せばOKなのね」って受取れば良いのかもしれませんね。でも、他者からの批判を全否定取らずに、聞き入れるようになるには、やっぱり自分に自信がないとできないことですよね。

    ないですね…。思い出したんですが、話題の種として、
    私が知らないものを「○○知らないの?!おかしくない?!」とからかう…とか、
    そういうコミュニケーションがあり、自分でも「えー?!そうですかー?!」って
    返すのが妥当…とわかっているものがあったのですが、
    反射的に「こき下ろされる!」と思って、すごく些細なことでものすごく反応してしまって、多分そのせいで社員さんは気を使って「無理するなよ」って言ってくれていると思うのですが、
    「傷つけちゃいけない子」だと言われました…。

    > でも、それがアラタさんには必要だったわけですよね。それに、ACって悪い言葉ではないですし。。ACという言葉は、自分の「生き辛さ」を、「自分の内面に問題があるのではないか?」ということから、「いや、自分のせいじゃない!育った環境…そこで生き延びるために私はその環境に適応したのだ!」という一種の思考転換の言葉だしね。

    やっぱりいまだに、自分はACか?とか、私がとってきた行動はOKか?とか
    思ってしまうんです。

    > う〜ん。私もいっつも、大学でもバイト先でも、どこでも「その年で親の文句言うなんておかしいだの、育ててくれただけでもありがたい、すごいことだ」って言われ続けましたよ。世間ではそういう人が大多数でしょうね。
    >  ある一面ではそうでしょう。それでも、当時アラタさんがそう思わなかったなら、それはそれで、アラタさんはそう思わなかったという事でいいんじゃないかなあ。アラタさんの手紙の言葉は、全くその通りだと思います。私も同感だし、私も、同じようなこと言いました。
    >  私は、そういう世間一般の押し付けの中で、でも、私は子供の頃どう感じていたかというと、「とても辛い思いをしてきた」ということでした。周りが、どんなに「お前は恵まれている」「贅沢だ」と言おうとも・・・です。そして、その素直な思いを持ってもOKだと、認めることが、私の、そしてACの回復にはとても大切なことだと思っています。

    私のは、「(自分の成育に関して)育ててくれただけでもありがたいと思ってる」と
    言ったのは会社の社長で、それを言われる前に別の社員の方から

    社長は厳しい親の元で育って、言われたくないこともずいぶん言われて育って、
    だから相手が何か言う前に「ああか?こうか?そうはいかないぞ?」って
    いいくるめるような言い方が癖になってしまい、それで時々落ち込んでる
    と聞いていたので、親に対する「恨み」みたいなのは解ってくれると思ったんですが
    ご自分にお子さんができて子育てをやっているで、(彼の)親に対して
    「すげえよなぁ」って思えたのかもしれないです。


    >  責任を果たさずに、周りのせいばっかりにしてきたのも、きっと色んな思いがあったからこそなんでしょうね。今、辛い時期かもしれませんが。アラタさんは、ご家族に自分の思いを手紙に書いたり、すごく勇気があると思いますよ。私も、子供時代の本音を書いた手紙を出したときは、もう乖離しそうなほどの勇気を出したもん・・・(今では無理しすぎたかもって少し思ってます)。
    >  あんまり無理なさらないで下さいね。今までのご自分を少し認めてあげてください。どうして、そういう行動をしたのか?それを把握して、駄目だなあと思うところは少しずつ変えていければいいんじゃないかな。
    >
    > 自分に重ね合わせて書いたので、参考にできる箇所があったら、してくださいね。正直に思いを書かれていて、それで、私も色々自分を振り返りましたよ、ありがとうございました。
    >

    私は、わがままばっかりでなにもできなくてなまけて…って結果だけみて
    思ったんですが、この一年の振り返りから学ぶことは
    「自分はなまけものだ!」じゃなく
    「がんばってもそれはできなかった、
     だから次からはできなくても自分を責めない。
     "いまはできない"が事実だから」…ということなのかなぁと思いました。

    責任については、いくら口で言ったところで
    「甘えだ」「責任逃れだ」「言うこときかない馬鹿」と言われてしまうので
    相手が自分で自分の間違いに気づいて愕然とするまでとことん付き合う…という
    スタンスでやってたので、早く「自分が悪い」って思い込みやがれ!と
    いう気持ちで居たので、相手に責任感じさせるために(口に出さなくても)人のせいにしまくりました。それで人間性が見えるともおもってたので…。

    返信ありがとうございました。

引用返信 削除キー/
■6558 / inTopicNo.16)  Re[2]: わたしはずるい
□投稿者/ アラタ -(2008/03/26(Wed) 23:57:28)
    こくーんさんどうもです。

    > アラタさん、こんにちは。
    >
    > 社会人2年目になられたのですね。おめでとうございます。
    > (子どもの頃は、進級おめでとう、卒業おめでとう、入学おめでとう、となるのに、大人になると言わないな…と思ったので…)

    ありがとうございます。無事に(?)一年間生き延びました(冗談じゃなく本気で…)

    > アラタさんの書き込みを読ませていただいて、
    > (すごいなあ!)
    > って思いました。
    > アラタさんの気づきも、それを真正面から見つめたアラタさんも。
    > そして、きっととても辛くて重い気持ちを抱えていらっしゃるのでしょうが、その中に力強さも感じました。
    >
    > 私もずるいところがたくさんあって、いっぱい理由つけて逃げてきました。
    > 逃げたところはコワくて見られないのに、心残りはいっぱいです。
    >
    > 社会人になって随分経った経験だけしかないので、それから語ることしかできませんが、今はその気づきを手にしたことで十分、じゃないかなって思います。
    > 社会人、何年目になっても、コワいことや悩むことはたくさんあって、尽きることはないのが私の現状です。その中から少しずつ、前よりできるようになったことがあって、それを糧にするしかない年月です。
    > 多くを求められて、潰れた経験もあります。
    > でも、今やっと、『それも経験』と思えるようになりました。

    そっか。カリキュラムがあるわけでもセオリーがあるわけでもないですもんね。
    そこから何を学ぶか、どういう体験としてとっておくかによって
    違うんですね。大人の「経験」は。

    > 私はずるい。そして、みんなきっと、それぞれのずるさをどこかに持っていると思うのです。
    > 『私は自分はずるいことをするのに、人のずるさを許してなかったな』
    > とアラタさんの書き込みを拝見して思いました。
    >
    > 焦らず、少しずつアラタさんが今の気づきを手がかりに、新しい何かをつかんでいかれたらいいなあ…と思いました。
    > (今、私も転機を迎えているので、見方が偏っているかもしれません。見当違いの書き込みをしていたらごめんなさい)

    いえいえ。こくーんさんも転機ですか。転機はそわそわしますね。
    ありがとうございますた。
引用返信 削除キー/



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