1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■6355 / inTopicNo.1)  親がこわくて、なのに逃げる勇気もなくて
  
□投稿者/ panda -(2007/12/24(Mon) 23:56:25)
    初めてこちらに書かせていただきます。pandaと申します。
    現在カウンセリングに通いACからの回復を試みているのですが、自分自身他人特に母親に対して恐れ、かなり心身的に影響を受けていることに気づきました。カウンセリングを受けて一旦癒されても、家に帰って母に罵倒されると(うちではそれに対する反論は一切反抗とみなされさらに侮辱されます)、急に頭が真っ白になり、心臓がバクバクしてこのあと母の機嫌が治るまでなににも集中できなく、癒しが取り払われてしまいます。そのため、「はやく家を出たほうがいい。いくら癒してもお母さんの力で元に戻ってしまう。」とカウンセリングの先生にも言われ、自分でもわかっているのですが、状況が変わったり、新しいことをはじめるのがなかなか怖くて、なによりも不動産屋さんに入ることすら怖くてなかなかできません。店頭の冊子を取ってくる程度です。もし、みなさんの中で同じ思いをされた経験があり、それでも家から出られた方がいらっしゃいましたら、どのように克服されたのかお話を聞かせていただきたいと思いました。よろしくお願いいたします。(ここで書く内容でなかったらすいません)
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■6356 / inTopicNo.2)  Re[1]: 親がこわくて、なのに逃げる勇気もなくて
□投稿者/ けしき -(2007/12/25(Tue) 10:14:28)
    こんにちはpandaさん
    僕は今から33年前父の酒乱が怖くて母と一緒に東北の宮城県から
    東京都に逃げました。
    誰でも一人は心細いもの協力してくれる人がいてくれればいいのですが・・・
    それと働く所がないと。
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■6357 / inTopicNo.3)  Re[2]: 親がこわくて、なのに逃げる勇気もなくて
□投稿者/ panda -(2007/12/26(Wed) 01:09:47)
    けしきさん、レスありがとうございます。
    「誰か協力してくれる人がいれば…」たしかにカウンセリングを受けてからの自分は多少そう思えるようになりました。がやはりつい「自分でなんとかしなければ甘えだ!恥だ!」と思ってしまい、人に協力を求めることにまだ抵抗があります。でも今まで自分が表面だけの付き合い方しか知らなかったため、相談できる友達も作れず今に至り、そして誰もいなくなってしまいました。でも自分でやらないと依存…なんか、どこまでが依存でどこからが依存でないものかまだわかりません…。
    仕事も今は時給生活者です。定職に就くことも考えなくてはなりませんよね。ただ、何をしたらいいのか、何が向いているのかとか思ったり、以前の職場で「下っ端はNOを言ってはならない」の思いのもと、なんでもかんでも引き受けたりなすりつけられたりされた挙句、心身ともに滅入ったこともあり体も壊しました。こんなので勤まるのか?と不安になります。なにひとつできない自分がいやで、たまりません。・・・すいません。タイトルから脱線した話題になってしまいましたが・・・。ごめんなさい。
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■6358 / inTopicNo.4)  Re[3]: 親がこわくて、なのに逃げる勇気もなくて
□投稿者/ りん -(2007/12/26(Wed) 04:41:58)
    初めまして りんと申します。
    時々このサイトを拝見させてもらっているのですが、こうして書き込みをして
    コンタクト(?)をとるのは 初心者です。どうぞ、よろしくお願いします。
    私は1年前くらいにACを自覚して、今はワークブックで癒しの作業と
    向き合いながら暮らしています。
    私は30代ですが、私も今まで ものすごく自分を隠して表向きに会わせて
    表面的な人間関係しか 築いてこず、気付けば本音を語れる相手も友人も
    いない・・・という状態に陥ってしまっていてとても孤独な気持ちを味わっています。だからパンダさんのお気持ちが、分かる気がいたします。
    今は、本音を明かさず人と付き合うことは、自分にとってとても負担に
    なっていることに気付いて、本音を少しでも出していける訓練をして
    人や場所が得たい、と思っています。
    依存の話なんですが、私の考えですが、
    (当たり前だ)と思うとやはり甘えなのかな、と思ったりします。
    でも、
    (助けてもらう 頼る)という意識であれば、それは甘えではなく
    生きていくための自立的な意識だと私は考えます。
    自立は社会的に、成功している形だけでないって思うんです。歩けない人は、手を貸してもらう、障害者は病院や薬、健常者の支え、車椅子 それをつくる会社
     健全な人でも、働く会社先など・・。人は、自分より力あるものを選んで生きるんだな、と最近思えます。
    私たちACは、機能不全で育っていますから 心理的な障害 ゆえの不全さを抱えてますよね。目には見えなくても大きな苦労はあるはずなんです。
    社会だって、まともに雇用できる口が用意されていればいいけれど、社会も勝手で厳しいですよね。
    責任外で、厳しい環境に置かれていたのだ、と考えてはどうでしょう。
    そして、今の自分に足りないものを求めることは、大切だと思います。
    こうした相談できるHPを作ってくれている人や 本などにに頼ることも
    小さな依存といっていいかもしれません。(当たり前)ではなく
    (助けてほしい)と思えれば、依存ではなく依頼(信頼を込めている)なはずです。私も、弱くて 派遣業という不安定さのまま ぎりぎりの貯金をして家を出ています。結婚しましたが実家からわざと遠くに越しました。離れて 接触機会を ほぼ皆無にして数年、初めて 自分自身と向き合っています。共にいるときは、親に引きずられて無理でした。参考になるか分かりませんが、お役に立てばと思いを綴らせていただきました。
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■6362 / inTopicNo.5)  Re[4]: 親がこわくて、なのに逃げる勇気もなくて
□投稿者/ panda -(2007/12/27(Thu) 00:09:43)
    りんさん初めまして。pandaです。レスありがとうございます。確かにそうですね。人間完全な人はいないから、だから自分の足りないところを、できる人の力を借りてこなしていく。力をかりるっていうのは今の自分にはなかなか言い出せないことだけど、うまく人の力を借りるのも自立に必要なんですよね。
    他のりんさんの投稿拝見しましたが、やはり家を出られたからこそ、自分と向き合うことができあそこまでいろいろ語れるようになられたんですね。きっと。「共にいるときは、親に引きずられて無理でした。」の部分、やはりそうなんだなと思いました。現に今、また親の仕打ちにへとへとになり、親の機嫌のことばかり考えてしまってるから…。参考になりました。ありがとうございました。
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