1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■6313 / inTopicNo.1)  人にあった後の言いようのないもの悲しさ
  
□投稿者/ フー -(2007/11/11(Sun) 00:13:54)
    最近特に意識すること、いや以前からそうだったのでしょうが、
    人と会ったり、話したりした後、特に無視されたとか嫌われたとか
    そういうんではないとしても、言いようのない寂しさ、悲しさ、
    孤独感に襲われます。会話していながら何もつながっていないような
    インナーチャイルドがぽつんとひとりですすり泣く感じ。

    決してその人がいやな人だったりするわけではない。
    むしろいい人だったりしたとしても。親切にされたとしても。

    うまく伝えられないんですけど、こういった経験されたかたいらっしゃいますか?
    このことをどう解釈したらよいのか、自分なりにどう消化していけばいいのか。


引用返信 削除キー/
■6314 / inTopicNo.2)  私にも・・・
□投稿者/ 雨 -(2007/11/11(Sun) 21:37:45)
    フーさん、初めまして。
    同じとは言えないかもしれませんが、私もそんな感覚があります。

    > 最近特に意識すること、いや以前からそうだったのでしょうが、
    > 人と会ったり、話したりした後、特に無視されたとか嫌われたとか
    > そういうんではないとしても、言いようのない寂しさ、悲しさ、
    > 孤独感に襲われます。会話していながら何もつながっていないような
    > インナーチャイルドがぽつんとひとりですすり泣く感じ。

    会話自体が口論になっているとか、うまく行っていないとか、
    疎外感を感じるとか、そうじゃなくて、むしろうまく、スムースに
    いっているのに、それなのにも関わらず、
    単純に、何か「壁」を感じてしまう。
    自分と人との感覚の違いを、勘違いなのかもしれないけれど、
    何だか感じてしまう。

    周りが無邪気に(そうじゃないのかもしれないけれど、そう見えてしまう)
    楽しげに会話を「楽しんでいる」のに、自分は必ず冷静な状態の自分を
    横においていて、場を読んだり、調整することに必死になってしまう。
    楽しむ、ということが何なのかわからない。
    それが、無性に虚しく、寂しい。
    周りは本当に、会話の中身や内容や、気持ちを発散させているのに、
    自分には、何故だかわからないけれど、それが出来ない。
    やりたいのか、やりたくないのかもよくわからない。
    やってしまうことでどうなるのか、それすらも怖い。

    だからって、周りの役に立てているわけでもなく・・・。

    私はそんな感じです・・・。
    誰と会話していても、それを感じます。

    どうしたら良いんでしょうね・・・。
    何にも答えになっていなくてすみません。
    ただ、私もこんな感じです・・・。
引用返信 削除キー/
■6315 / inTopicNo.3)  Re[1]: 人にあった後の言いようのないもの悲しさ
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2007/11/11(Sun) 22:30:04)
     フーさん、久しぶりです。 私もでした。
     ずーっと、孤独でしたね。
     自分を隠しているんだから、親しくなれるわけがないですよね、人と。
     今でも、そんなにオープンではないですよ。 用心しながら、(自分を出しても)大丈夫と確かめながら、出しています。

     フーさん書いておられるように、会話をしていても、嫌いな人ではなくても、私の場合で言えば親友と言えるような人間と会っているときでも、そうです、親切にされているときでも、・・・・・そのときの状況把握を、現在進行形でしながらね・・・・。

     もっとも適切と思える対応をとりつつね。

     だから、積み重ねれば積み重ねるほど、創作が積み重なって、ほんとうの自分とは違う別人格が私の存在と同時に存在していて、・・・・・・。 
     そして、その、もう1人の自分には、実は統一性がないんですね。 その場その場に合わせた振りをする自分だから、言動に責任を取れと言われても、困るんですね。

     どうでも責任を取らなければならないときは、不本意ながら、やってきた自分の言動に合わせて、それらしく振舞ったりするんですよね・・・・。


     際限ない悪循環ですね。 限りなく透明に近いブルーではなくて、限りなく自分が遠ざかっていく私、みたいになって行くんですね。

     私も、ほとんどの場面が、そうでしたね。・・・・・人にあった後の、言いようのないもの悲しさ・・・・・。

     だけど、そうすることが、生きていくことだと、思っていました・・・・。 外界のなかで生きることが生きることみたいな意識で、それを、豪も疑っていませんでした・・・・。 むしろ、適切な対応が取れなかったことを悔やみ、今度こそはと、常に努力していました・・・・。 自分で自分の背中を押していたと、思います。

     自分は、いつも、追われる身でしたね。 1960年代だったか70年代だったか、『逃亡者』というアメリカ製のテレビドラマがありましたが、あの、いつも追われている感覚は、妙な親近感がありました。 デビッド・ジャンセン(確か)主演の、妻を殺したという嫌疑をかけられて、アメリカ中を逃げ回る話しでした。

     ・・・・・長くなりました・・・・・。
引用返信 削除キー/
■6316 / inTopicNo.4)  Re[1]: 人にあった後の言いようのないもの悲しさ
□投稿者/ こくーん -(2007/11/12(Mon) 01:39:19)
    フーさん、こんにちは。

    私も…フーさんと同じ感覚なのかわからないですが…似た感覚はあります。
    会話をしている自分は、自分なんだけど、自分ではない自分で、相手に見つけて
    欲しい、
    『本当の自分』
    は別のところにある…そんな感じなのかな。
    自分から、さらけ出すことは怖くてできないから、見つけて欲しいんです。
    だけど、それは…とても叶うことの難しい望み。
    見つけて欲しくて、水を向けてみても、全く見当外れの答えが返ってこれば、
    孤独感は更に増すだけ…。

    場の雰囲気を壊さないように、表面的に取り繕った会話は、安全だけど、
    本当の自分は、
    『私を見つけて!!』
    って叫んでるような感じです。



    …実は、最近、そんな自分を見つけてくれた人がいます。
    「短絡的な考えだよね」「頭悪いよね」「そうじゃないでしょ」
    って、きついこともズバズバ言われたけど、ショックじゃなかったんです。
    あ…やっと見つけてくれた…って感じです。
    そういう自分を見つけて、見ても、受け入れてくれる人。
    とっても安心して、自分でも驚いているところです。

    …あと、さっきテレビを見ていた言葉なんですが、小学生へ向けられた言葉で、
    「生きる中では、ワガママや辛いことを我慢しなくてはいけないことがある。
    でも、それは1人で我慢しなくてもいいんです。あなたの側にいる人に、自分の
    思いを語り、心の輪を作っていけばいい」
    というようなものでした。
    私は今まで、1人で何でも抱えて我慢してきました。
    それが、我慢することだと思ってきました。
    そうじゃないのかもしれない…ということを、やっと知りました。

    まだ人間不信は根強く残っていて、すぐに変わることはできないと思うんですが、
    自分のベクトルを変えていけたらいいな…と思っています。

    勝手な思いを、長々と書きました。
    不快に思われたら、ごめんなさい。

引用返信 削除キー/
■6317 / inTopicNo.5)  Re[2]: 人にあった後の言いようのないもの悲しさ
□投稿者/ フー -(2007/11/13(Tue) 00:39:35)
    SILVER7さんこんばんわ。
    お久しぶりですといいながら、結構ROMさせていただいてます。
    いつものことながら、的確な洞察だと感心させられます。

    この書き込みをした日はこのことでダメージを受けた直後で、
    精神的につらかったのでこのような書き込みをしてしまいました。
    2,3日経つと大体落ち着きます。

    いまでは、私自身もこの問題は理解しているので悪循環に陥らないよう
    違う人を演じないよう注意をはらって、自分の心を感じるように
    しているんですが、でもやはりダメージを受けるところをみると
    やはり本当の自分の姿はまだ遠いみたいです。

    結局「もっとも適切と思える対応」をとっているだけなんでしょうね。
    創られた自分のイメージ。そこから抜け出せない。

引用返信 削除キー/
■6319 / inTopicNo.6)  Re[2]: 私にも・・・
□投稿者/ フー -(2007/11/14(Wed) 01:56:52)
    雨さんはじめまして。

    レスしていただきましてありがとうございます。

    >
    > 会話自体が口論になっているとか、うまく行っていないとか、
    > 疎外感を感じるとか、そうじゃなくて、むしろうまく、スムースに
    > いっているのに、それなのにも関わらず、
    > 単純に、何か「壁」を感じてしまう。
    > 自分と人との感覚の違いを、勘違いなのかもしれないけれど、
    > 何だか感じてしまう。
    >
    > 周りが無邪気に(そうじゃないのかもしれないけれど、そう見えてしまう)
    > 楽しげに会話を「楽しんでいる」のに、自分は必ず冷静な状態の自分を
    > 横においていて、場を読んだり、調整することに必死になってしまう。
    > 楽しむ、ということが何なのかわからない。
    > それが、無性に虚しく、寂しい。
    > 周りは本当に、会話の中身や内容や、気持ちを発散させているのに、
    > 自分には、何故だかわからないけれど、それが出来ない。
    > やりたいのか、やりたくないのかもよくわからない。
    > やってしまうことでどうなるのか、それすらも怖い。
    >
    > だからって、周りの役に立てているわけでもなく・・・。
    >
    > 私はそんな感じです・・・。
    > 誰と会話していても、それを感じます。
    >
    > どうしたら良いんでしょうね・・・。
    > 何にも答えになっていなくてすみません。
    > ただ、私もこんな感じです・・・。


    私の感じていることも雨さんとほとんど同じとおもいます。
    私はその理由を、自分が本当の自分を隠して、
    外面で周りに合せているためということは
    ACの勉強とかを通じて頭では理解しているつもりなんです。
    だから今では人と会っているときもかっこをつけず
    出来るだけ素の自分を出すように努めているつもりなんですが、
    まだうまく出来ません。やはり雨さんの書かれているような
    状況になってしまいます。
    この書き込みも、ちょうどそういう状況で辛い気持ちに
    なってしまったので、おもわず書き込んでしまいました。

    でも、そういうことは実際の現場ではだれにも言えないことなので、
    この掲示板では雨さんのように理解してくださる人がいるだけでも
    救われる気持ちになります。
    どうもありがとうごさいました。

引用返信 削除キー/
■6320 / inTopicNo.7)  Re[2]: 人にあった後の言いようのないもの悲しさ
□投稿者/ フー -(2007/11/14(Wed) 02:31:29)
    こくーんさんこんにちわ。

    レスをいただきましてありがとうごさいます。

    >
    > 私も…フーさんと同じ感覚なのかわからないですが…似た感覚はあります。
    > 会話をしている自分は、自分なんだけど、自分ではない自分で、相手に見つけて
    > 欲しい、
    > 『本当の自分』
    > は別のところにある…そんな感じなのかな。
    > 自分から、さらけ出すことは怖くてできないから、見つけて欲しいんです。
    > だけど、それは…とても叶うことの難しい望み。
    > 見つけて欲しくて、水を向けてみても、全く見当外れの答えが返ってこれば、
    > 孤独感は更に増すだけ…。

    そう、相手が見ている自分は本当の自分ではなくて、
    会話していても失望感だけが蓄積していくんですね。
    ほんとにそんな感じです。

    >
    >
    > …実は、最近、そんな自分を見つけてくれた人がいます。
    > 「短絡的な考えだよね」「頭悪いよね」「そうじゃないでしょ」
    > って、きついこともズバズバ言われたけど、ショックじゃなかったんです。
    > あ…やっと見つけてくれた…って感じです。
    > そういう自分を見つけて、見ても、受け入れてくれる人。
    > とっても安心して、自分でも驚いているところです。

    素晴らしい経験ですね。その人はとても大切な人だと思います。

    もうかれこれ10年以上前の話ですが、自分がサラリーマンを
    していたころ、自分のACの問題もまだ全然気がついていな
    かったころ、ある若いOLの娘が酒の席で
    「あなたは私のことを避けているんじゃないですか、おかしい」
    とか自分にからんできたことがありました。
    その頃はなんでそんなことを言われるのか面食らってしまった
    のですが、本当の自分を隠して外面だけで世渡りしている
    のを見抜かれていたんですね。あるいはそれがわかっても
    面と向かって指摘する人はそうは多くないです。

    案外、本当の自分って自分でさがすのけっこう難しくて
    人に見つけてもらうことでだんだん気が付く物なのかもしれませんね。


    >
    > …あと、さっきテレビを見ていた言葉なんですが、小学生へ向けられた言葉で、
    > 「生きる中では、ワガママや辛いことを我慢しなくてはいけないことがある。
    > でも、それは1人で我慢しなくてもいいんです。あなたの側にいる人に、自分の
    > 思いを語り、心の輪を作っていけばいい」
    > というようなものでした。
    > 私は今まで、1人で何でも抱えて我慢してきました。
    > それが、我慢することだと思ってきました。
    > そうじゃないのかもしれない…ということを、やっと知りました。

    ほんとにそうですね。
    私も、我慢はしなきゃいけないものだと思っていました。
    ちょっと私も付け加えたい言葉があります。

    「我慢する必要のないことは我慢しなくていい」
    「いやなことは避けてもいい」

    これって普通のひとが当たり前にやっていることなんですけど、
    自分は不必要に我慢を強いてきたように思います。

    >
    > まだ人間不信は根強く残っていて、すぐに変わることはできないと思うんですが、
    > 自分のベクトルを変えていけたらいいな…と思っています。


    私は自分不信といったほうがいいかもしれません。本当の自分を出しても
    受け入れられるはずがないという思いがすべての行動の基礎になっている気がします。
    私も少しづつ変えるようにしていきたいと思います。

引用返信 削除キー/
■6321 / inTopicNo.8)  Re[3]: 人にあった後の言いようのないもの悲しさ
□投稿者/ こくーん -(2007/11/15(Thu) 01:19:01)
    フーさん、こんにちは。

    > 「我慢する必要のないことは我慢しなくていい」
    > 「いやなことは避けてもいい」

    その通りだと思います。
    理不尽な…あまりにも理不尽な我慢をして、苦しみを背負う必要はありませんよね。

    > 私は自分不信といったほうがいいかもしれません。本当の自分を出しても
    > 受け入れられるはずがないという思いがすべての行動の基礎になっている気がします。
    > 私も少しづつ変えるようにしていきたいと思います。

    私は、自分というものがちゃんと形成されていないように感じています。
    何かのツギハギみたいだったり、中身が空っぽ…っていうような感じの。
    …オズの魔法使いの何かみたいです。

    魔法で一気に…なんて思わなくて、少しずつ自分を作っていけたらいいな…と思いました。
    私も気づきをいただきました。ありがとうございました。
引用返信 削除キー/



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