1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■6234 / inTopicNo.1)  母親になるということ
  
□投稿者/ 黒ネコ -(2007/08/22(Wed) 04:37:58)
    2007/08/22(Wed) 04:44:44 編集(投稿者)


    ※出産してお母さんになってみえる人には、失礼になるかもしれません。
     すみません。

    知り合いの人が妊娠しました。
    その人はとてもおもしろくて良い人で、大好きな人なんです。
    その人が「子どもができた」と言いました。
    その場にいたほかの人たちは、みんな笑顔で「おめでとう!!」と祝福してました。
    みんなそのことについて、いろいろと質問してました。
    みんな喜んでいて、笑っていました。

    それなのに、私は全然喜べませんでした。
    でも変な顔して、その人や他の人にイヤな思いをさせちゃいけないと、必死に笑いました。
    笑って「おめでとう」と言いました。
    でも、本当は心の中は複雑でドロドロしてました。

    その人や周りの人が、妊娠したことについていろいろ話してました。
    私も、周りの人みたいに話しかけてました。
    でも、本当はなんだか気持ち悪くて吐きそうになってました。

    以前も同じことがありました。
    友達が出来ちゃった婚をしたんです。
    妊娠したと聞いたとき、他の友達は喜んで「おめでとう」と行ってました。
    でも私は、なにが良いことなのか、どこがおめでたいのかサッパリわからなくてモヤモヤ
    してました。

    そのときの気持ちと、今回の気持ちがよく似てました・・・。
    自分の好きな人の良いことで、子どもが出来たなんて普通だったら喜ぶはずなのに、
    どうして自分は喜べないんでしょうね?
    受け入れられないんでしょうね?
    私の心の中の子どもが、癒されてないからでしょうか?


    私がACになった原因は、父のDV(経済的暴力・身体的暴力)が原因です。
    毎日いつ父が暴れるか、いつ逃げ出さなきゃいけないかと不安で、
    心落ち着ける生活がおくれなかったせいだと思います。
    母は、働いて生活費を稼ぎながら、私と兄を育ててくれました。
    だから母には、とても感謝しています。
    母が私と兄を放り出さないでいてくれたおかげで、今の私があるんですから・・・。
    でも・・・実は、母に対する恨みもあるんです。
    母はよく、私が母言うことに逆らったり、成績が悪かったり、父と話していたりすると
    「アンタなんかいらん。お父さんのところに行けばいいわ!!」と言うことがありました。
    母に「いらない」と言われたら、父のところに行くしかありません。
    なので、母のその言葉に怯えてた部分がありました。
    それが怖かった私は、母の顔色を伺って、母を怒らせないようにしてたように思います。
    育ててくれた母に対して恨むなんて、最低だと思います。
    でも私が母に対してひっかかっていた部分です。

    母に対しては感謝しています。
    でも、私が周りの人が母親になるのを受け止められないのは、母に対して恨んでいるというか、
    ひっかかっている部分があるせいなのかな?と思います。

    ただ単に、今まで同じ子どもの立場だった人たちが母親になって行くことにショックを受けて
    いるだけなのかもしれませんが・・・。
    どうなんですかね?
    複雑な想いでいるし、出来ればその話(妊娠)はしたくないし、聞いていると
    吐き気がこみ上げるのは事実です。

    まだ1ヶ月とのことで変化は何も見られないんですが、
    その人が少しずつお腹が大きくなって、母親になっていく姿を見て行くのが苦痛です。
    これから、だんだんとその話題も増えていくわけだし・・・。

    複雑な思いを隠して、笑って見守っていかなきゃならないんですよね。
    好きな人にとっての幸せを、喜んであげられないのが辛いです。
    どうして受け入れられないんだろう?

引用返信 削除キー/
■6236 / inTopicNo.2)  Re[1]: 母親になるということ
□投稿者/ ジャスミン -(2007/08/22(Wed) 06:02:22)
    こんにちは、二児の母ジャスミンです。
    あっ、黒ネコさん私と同じだ。ただ、私には父親がいなかっただけ。母を恨んではいけない、罰当たりだと思う自分。その一方で、母に支配され、自分を殺し生きてきた辛さ、苦しさはどこにも行き場がない。そんな思いが、母親になるということに嫌悪感を抱いていらっしゃるのでしょうか。

    自分の経験だけを語らせてもらいますと、私は母親になることに抵抗はあまりありませんでした。(ただし、母親になるまではです)母親になることを境にして女から親に変わりました。大げさに言えば、女であることよりも親であることがあらゆる場で優先しました。私にはできなかった自由な生き方をしてほしい。自分の人生を生き生きと歩んでほしい。ただただその思いだけでした。(今のできちゃった婚をなさっている若い方とは考え方が少しずれてるかもしれませんね)

    だけど、子どもを産んだ直後は途方に暮れました。どう扱っていいか分からないのです。「はい、あなたの赤ちゃんです。どうぞ」と、手渡された時、何というのでしょうか、母の言いなりになって生きてきた私にとって初めて自分で決断していかなくてはならな日々が始まった重さを感じたというのかな。思い起こすと、結局自己満足で育ててきたのかもしれません。ACの私が子どもを産んではいけなかったのではないかと後悔したこともあります。ACのつらさをぶつけてしまい、母と同じことをしてしまったのではないかという自責の念もあります。

    ですが、子どもにしがみついていた私を見つめ、これ以上子どもの人生に立ち入ってはいけないと気付くいい機会になりました。恨んでいた母の言葉にはできなかったであろう苦労もひしひしと実感しました。あとは、もう一度自分の人生を生き直そうと思っているところです。

    小さかったころは、銭湯によく行ったのですが、赤ちゃんを見かけるとつねってやりたいという気持がわき起こって必死で押さえていました。どうしてそんな気持になるのかその時は分かりませんでしたが、母の愛情をいっぱいうけている赤ちゃんに嫉妬していたのかもしれません。その頃は、自分が親になるということが怖かったなあと思い返しています。

    勝手なことを書いてしまいました。的はずれかもしれません。ごめんなさい。
引用返信 削除キー/
■6237 / inTopicNo.3)  Re[1]: 母親になるということ
□投稿者/ ぺん -(2007/08/22(Wed) 08:03:03)
    No6234に返信(黒ネコさんの記事)

    黒ネコさん、はじめまして。ぺんと申します。

    私は黒ネコさんの文章を拝見して、今はもう忘れてしまっていた昔の感覚を思い出しました。
    私もいつ頃までだったかはっきりとは分からないのですが
    赤ちゃんが出来たことがどうしておめでたいことなのか、実感として全く分かりませんでした。
    ただ、社会一般的に祝うべきものとされているから、お祝いの言葉をいわなきゃいけないのかな‥‥みたいな。
    私の場合はきっと、人間そのものがものすごく怖かったからだと思うのですが‥‥。

    それと、自分自身が生きて行くことが苦しいことでしかなかったから、
    楽しいと思うことや幸せを感じることなんてなかったから、
    新しく人が生まれ落ちて、親に育てられながら成長して行くということが、
    恐ろしく苦しいことにしか思えなかったのだと思います。

    生まれ来る赤ちゃんと自分の幼い頃をだぶらせて、フラッシュバックの状態にいつもなっていた様に思います。
    たぶん黒ネコさんも、お母さんと一緒に過ごされていた時間が安心できるものではなかったのだろう‥‥という想像をしました。怖かったんだろうな、きっと‥‥。

    親から直接「いらない」と言われるのは、子供にとってどれほど辛いことだろうかと思います。
    お母さんのメッセージを身体で受け止めて吸収してしまって
    「私なんか生まれて来なければ良かったんだ」と自分で自分に言ってしまうかもしれない。
    これは私の勝手な想像でしかありませんが‥‥。


    私は今はかなりの子供好きですし、今日も従姉妹のお姉ちゃんに第二子ができたという話を聞いて
    「おめでとう! ○○(第一子)ちゃん、お姉ちゃんになるんやねぇ」
    と、素直に口からお祝いの言葉が出てきました。

    ただ自分のことになると、主人には申し訳ないし、ほんとはお母さんにもなってみたかったけど
    自分の心身の状態では子供を産み育てるのは難しいのかな、諦めようかな、
    子供がいなくても夫婦二人が仲良く暮らして行けたら、それも幸せな家庭のひとつの在り方なのかも知れないな‥‥
    と今は思っています。

    黒ネコさんの思いと被る部分があるか分からないのですが、
    黒ネコさんが書いて下さったことで、自分の中で引き出される部分があったので書き込みさせていただきました。
    まだまだ暑い日が続いていますので、どうぞお身体大事になさってくださいね。
引用返信 削除キー/
■6238 / inTopicNo.4)  Re[1]: 母親になるということ
□投稿者/ まる -(2007/08/23(Thu) 22:17:21)
    こんばんわ。

    吐き気までするとはお辛そうですね。
    そこまでのショックを感じたことはないので的外れなレスだとは思いますが、ちょっぴりお邪魔させてください。

    私にも素直に喜べなかったことが何度かありました。
    やはり、出来婚になってしまい、他にもなかなかに難しい条件を抱えている状態だったり
    気付いていない(ので、改善しようとしていない)らしいACのような人だったり…
    間も悪くクリスマスを楽しんでいたところにきた電話での知らせには、聞いた瞬間、
    何それ勘弁してよ、今あたしに言わないでお願いだから。と思っちゃいました。
    そんな時はもう何と言うのか、基本だけを見てただ純粋に、
    わああすごいな、命が発生したのか。どんどん大きくなって外に出る準備してるのかあ
    って、切り替えてました。
    そこまで遡れば、私にとってとても楽しい事なので。
    胎児も思いの他いろいろ感じながら暮らしてるようですし、子供目線で考えると楽でした。

    今書いていて気付いたのですが、子供を迎え得る環境ではないため子作りを控えていた時期に
    聞いて辛いおめでたが重なっていたようです。
引用返信 削除キー/
■6239 / inTopicNo.5)  Re[1]: 母親になるということ
□投稿者/ クッキー -(2007/08/23(Thu) 22:32:35)
    私は、自分と近い位置にいる人が幸せな状況になることに対し、
    嫉妬心が一番先に立ってしまいます。
    結婚や出産、ラブラブなご夫婦関係であることを聞かされる時など
    「おめでとうございます!お幸せにね!」という言葉をかけるし、
    心底そのような気持ちになりたいのに..
    自分の沸いてくる感情がじゃまして、結果的に表面的な言葉となります。
    (ほんとう、失礼なことと分かっているんですが..)

    私の場合は「先をこされた焦り」からだと思っています。
    私は今結婚していて子供も2人いて、世間一般的には安定した状況でいます。
    でも、生きづらい日々にのたうちまわりながら日々過ごしています..。
    表面的に幸せなことに足をつっこむ人たちに対し、
    輝かしいオーラを勝手に感じてしまい、自分と比べてしまいます..。

    自分が成長し、自分の幸せを感じてゆける人間になってゆけたら、
    この嫉妬心は少しずつ消えてゆくものと、信じています。
引用返信 削除キー/
■6240 / inTopicNo.6)  Re[1]: 母親になるということ(フラバ・不快表現注意)
□投稿者/ こくーん -(2007/08/24(Fri) 12:23:51)
    2007/08/24(Fri) 12:27:11 編集(投稿者)

    黒ネコさん、こんにちは。
    今日もまた暑くなりそうですね。

    素直に喜べないことでご自分を責めていらっしゃらないかな…?と心配です。
    あくまで私の場合ですが、自分の『攻撃性』が自分自身に向いた時の方が、
    身体的にダメージが大きいので…。

    私にも似た感情があります。
    多分、私の場合は『自分はもう子どもではなく、親になってもおかしくない年なのだ』と
    否応なしに実感させられることが原因だと思います。
    あとは…もしかしたら、自分の中に男女の性的な関係に関する嫌悪感みたいなものが
    あるのかな…と思うこともあります。
    産まれた赤ちゃん・子どもに比べて、胎児というのは何か生々しい感じがします。
    (不快に感じられる方がお見えになったら、ごめんなさい)


    自然に沸き起こる感情は『ただあるもの』として受け止められるといいですね。
    それは黒ネコさんが悪いのではないのですから。
    ご自身を責めないで下さいね。
    そして、時々思うのですが、私から見える一様の『おめでとう』の中にも、私からは伺い
    知れない、それぞれの人の複雑な感情が含まれているのかもしれないのかも。

    まとまりのない文章になってしまいました。ごめんなさい。


引用返信 削除キー/
■6242 / inTopicNo.7)  Re[1]: 母親になるということ
□投稿者/ はなぽん -(2007/08/29(Wed) 21:53:24)
    おひさしぶりです、こんばんは。
    はなぽんも、卒業したつもりが、戻ってきちゃいました。
    よろしくお願いしますね。

    はなぽんは、今では2児の母になっておりますが、昔・・・ACという言葉に出会う前、ACバリバリの若い頃、「人の体に触る」ことに、嫌悪感を持っていました。触られるのも嫌でした。特に、汗をかいた肌とかの、湿った感じは、ものすごく嫌でした。

    退職して、武道の道場で子供たちに接するようになったとき、ある子が、稽古中、汗だくで、「ひもが解けたから直して欲しい」と言って来たんです。その子のひもを直すということは、汗だくのその子の衣服に触れるということで・・・「えーーーーっ!!!本当に私が触るのぉっ!!」(←心の中の叫び声)今思い出しても、そのときの、私の心臓のどきどきばくばくがよみがえってきます。なんとか、うわべは平然とひもを直して、その子は「ありがとうございました!」と元気よく稽古に戻っていきましたが、私にとっては、ものすごい大仕事を達成した!という感じでした。そのあとは、慣れたのか、そこまで緊張しなくなりました。

    子供を産むと、まあ、いろいろ、そういう、湿ったイメージのことが起こるわけですが、そういうものに対する嫌悪感を、その子がショック療法でやわらげてくれたのかなと思っています。

    なんでそんなに触りたくなかったのか?うーん・・・親に触られた記憶が無いから?抱っことか、手をつなぐとか?私の心の中に、人の肌を「汚い」と思う気持ちが、やっぱり、まだあるんですよ。自分の子に対して、よだれとか、鼻水を含めてそこまで思わないのは・・・なぜでしょう?わかりません・・・

    お知り合いの妊娠、無理して、心から受け入れる必要はないでしょ?つらい気持ちを我慢して、笑顔で、「おめでとう」って言えたんなら、もう、100点満点ですよね。妊娠した人がうれしそうなら、「おめでとう」。それだけのことですよ、きっと。

引用返信 削除キー/
■6243 / inTopicNo.8)  Re[1]: 母親になるということ
□投稿者/ Akira -(2007/09/01(Sat) 05:41:36)
     私は結婚して一年になります。
     今は私が心身ともにダウンしているので話は出ませんが、結婚当初は子供の話も出ていました。お互い30歳を過ぎていますし、主人は子供が好きなので当然ではありますが、その話がでる度に、あいまいにやり過ごしてしまいました。
     正直なところ、私には子供を生み育てる自信がないのです。

     私はアルコール依存症の父親と共依存の母親の家庭で育ちました。身体的な暴力はなかったものの、家庭内でも外食先でも、酔って大声をだし、理屈もなく母親をどなる父親と、周囲の目を気にしてたしなめる母親のやりとりをみて育ちました。母親は、父親の酒の事と自分の仕事で手一杯で、私の相談相手ではありませんでした。
     小学生のころから、周囲の子供と情緒的なふれあいの持ち方がわからず孤立していましたし、いじめにもあっていましたが、それを相談することはできませんでした。たった6歳のころから、すべての問題は私にあるんだから私が悪いんだと信じていました。
     父親の酒の上での醜態を母親は恥じていましたし、私はその母親の気持ちをとりこんだのか、同じように父親を恥ずかしいと感じ、また父親が醜態をさらすと、まるで私自身が醜態をさらしているかのように恥ずかしく感じていました。
     からくりはまだよくわかりません。
     小学生からのいじめや孤立の問題も、私の恥、なのでした。それは母親に相談できることではありませんでした。父親は論外でした。
     生きずらいまま成長し、高校で摂食障害、自殺未遂、大学でアルコール依存症になり、今は欝で…

     今、アディクションは使わずに生活をしていますが、自分が親になることにはまったく自信が持てずにいます。
     休職前、職場の後輩が出産しました。産休しかとらずに仕事をしていたので、大きなお腹で幸せそうな彼女を毎日見ましたし、出産後は赤ちゃんの話をやはり輝くような幸せそうな表情で話してくれましたが、「かわいいね」「よかったね」と、やはり表面上でしか言えませんでした。「子供はかわいいですよ」と言われても、内心は(私は欲しくない)と思っていました。
     
     ACの自分が子供をもつことへの不安感は、ここを訪れる人は大なり小なり感じるものなのかもしれません。
     私は自分の子供が、私と同じような苦しい人生を歩むかも知れないと思うと、子供をもつことがとても恐ろしい。私はなんとか生き延びてきたけれど(今のところ)、自分の子供が、私と同じような苦しみに合う姿を見ていくのがたまらなくかわいそうだと思ってしまうんです。
     もちろん、子供は親と別の人格ですから、同じように育つわけではないことは、頭では理解していますが、もし、もしかしたら…という不安は消えないです。

     この話をできたのは、ここが初めてです。
     こんな思いをもっていることは、なかなか人には言えませんでした。主人にはなおさらです。
     黒ネコさんへのアドバイスにはまったくなっていませんが、自分の感じ方を否定することはないと思います。
     皆さんの文章を読ませていただいて、感じ方はそれぞれなんだと思いました。素直に「わあ、おめでとう」と言えなくても、それが今の正直な気持ちなら、それでいいんだと思います。
     自分の感情に正直に向き合うことで、変わっていく部分もあるのかなと思います。
     皆さんのお話に勇気をもらい、書くことができてよかったです。ありがとうございます。
引用返信 削除キー/



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