1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■5980 / inTopicNo.1)  幼稚園の記憶がない
  
□投稿者/ はなぽん -(2007/05/25(Fri) 21:22:53)
    最近、息子の幼稚園について、見学とか説明会とかの時期になりました。
    それで、周りの幼稚園のことをいろいろ調べているうちに、妙なことに気づいたんです。

    私は、自分の幼稚園の記憶がないんです。
    幼稚園時代に、近所の友達と遊んだ記憶はあります。
    でも、幼稚園の園舎とか、先生とか、行事とかの記憶はないんです。
    覚えているのは、体育館のステージの壁に、「ののさま」が安置されていたことと、誕生会でそのステージに上ったときに、園児たちの頭がずらーーーーっと並んでいるのが視覚的に焼きついているだけ。

    中学生のときに、友人から「同じ幼稚園だったでしょ」と言われ、全然思い出せませんでした。「男の子とけんかばかりしていたよ」といわれても、何にも思い出せず・・・

    記憶がないことに、気持ち悪さを感じています。

    ACからは回復しつつあり、卒論まで書きましたが、いろいろ乗り越えて落ち着いたところは、「10歳」という実感なのです。10歳のときから、両親の夫婦喧嘩が顕在化しましたから、そこからAC人生が始まったかと思っていました。
    でも、長男出産時に感じたわたしのインナーチャイルドは、もっと幼かったかもしれません。

    今の私は、落ち着いているし、これ以上パンドラの箱を開ける必要があるのか迷うところではあります。
    しかも今回は、パンドラの箱の所在すら明らかではなく、両親の記憶に頼らざるを得ないのです。

    ただ、育児サークルで出会う幼稚園児たちが、エネルギー一杯に騒ぎまくり、自己主張し、叫び、泣き、取り合いし、走り回っているのが許せないと感じる私がいます。そのこたちの首根っこを押さえつけて、ビンタして、おとなしく、お行儀よくさせたいという衝動があるのです。
    そして、幼稚園児たちと話すときは、精神的に対等になってしまうのです。親や大人の立場で話すのではなく、対等に。

    ここまで書いて、私は、自分の息子たちに対して、必要以上に厳しくしているような気がしてきました。(でも、これ以上手綱を緩めると、生活が成り立たなくなりそうでもありますが・・・)

    どなたか、人生のある時期について「記憶がない」という方、いらっしゃいますか?どんなことでもいいので、お話を聞かせていただけるとうれしいです。



引用返信 削除キー/
■5985 / inTopicNo.2)  Re[1]: 幼稚園の記憶がない
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2007/05/26(Sat) 23:53:56)
     はなぽんさん、こんばんは。
     今日ね、月1度のカウンセリングの学習会があってね、気持ちよく、また、くたびれて帰ってきました。 と、言うのも、往復2時間の道のりですし、また、ゆうべ、ちょっと夜更かししたもんで・・・・。

     はなぽんさんの書き込み読んで、私も、幼稚園のときの記憶がほんとうに一つしかないことに思い当たりました。 今までは、何の疑問にも思っていませんでしたが・・・・。
     そうしてね、その記憶が無い間のイメージというのがね、それこそ、暗黒のイメージなんですね。 どこかへ引きずり込まれそうな、恐ろしいイメージがあるんですね。

     私も、この間、なにか強烈に、自分に堪えるものがあるんじゃないかな〜?

     そう言えば、幼稚園時代、私は、みんなのなかに入って一緒に遊ぶというんではなくて、1人で、ジーッと指をくわえて立っていた子だったよと、だいぶん前に、おふくろから聞いたことがありますね。 (それを言ったときのおふくろの目つきというのが、あざ笑うような目つきでね、今、思い出しても、気持ちが悪いですが・・・・)

     私が覚えている記憶っていうのは、大きな鉄の輪っかが二つぐらい、真ん中の柱から傘みたいにぶらさがっている回転遊具がありますね、あれにぶらさがって、体が宙に浮いているという記憶です。 この記憶は、怖いというのでは、ありませんね。 むしろ、もっと遊びたいな〜というような思いが重なっています。 でも、他の園児の姿は無いな〜。
     しかし、私が怖いのは、これ以外の記憶が無いことですね。 同じ時期、家での記憶というか、と、書きかけて、よく考えてみると、やはり、家での記憶も無いような気がします。 近所の女の子が、「○○さん、遊びましょ」と、よく来ていたと、覚えていたように思っていたのですが、これは、祖母だったかおふくろだったかに言われていたことでした・・・・。
     小学校に上がってから(祖父母の家を離れて、他所に行っていましたから、)、学校の休みごとに帰っていて、そのときのさまざまなエピソードは、鮮明に覚えているんですが、・・・・・同じ家での幼稚園時代は、記憶が無いように思います。・・・・・・

     この時期は、親父の死と弟の死が重なり、世の中も、敗戦と戦後の混乱の真っ最中でした。・・・・・

     その祖父母の家を離れて住んでからの4年間、小1〜小4の間が、私にとっては光り輝く時期でしてね、子どもらしく生き生き過ごした時期だったんですが・・・・・。


     取り留めなく書いてしまいました。 いろいろ考えさせられています。・・・・・

引用返信 削除キー/
■5992 / inTopicNo.3)  Re[2]: 幼稚園の記憶がない
□投稿者/ はなぽん -(2007/05/27(Sun) 23:27:07)
    こんばんわ。レスありがとうございます。

    はなぽんも、小学校入学以降はそれなりに記憶があるのです。
    木造校舎の小学校とか、クラスの友達とか。
    でも、幼稚園での記憶が無いことが、気になってしょうがないのです。
    それを思い出すことは、私も、怖い、と思います。
    何かの本で読みましたが、被虐待児は、忘れることで心のバランスを取ることがあるんですよね。

    幼稚園以前の記憶は、祖母のお葬式の記憶が一番鮮明です。他にはうろ覚えの、イメージっぽい記憶が2,3ある程度です。年齢的にも、そんなに記憶が残っていなくて当たり前と思います。でも、はなぽんは、幼稚園年長の記憶がないんです。

    当時、2年保育の年少(今は年中です)のときは、病気で長く入院していたらしく、やっぱりなにも覚えていないのですが、3月に引越しのため幼稚園を変わりました。そのときのお別れ会の記憶はあるんです。それは、いす取りゲームなどのほのぼのしたもので、嫌な記憶ではありません。
    引越し後に通い始めたのが、件の幼稚園なのです。

    残っている記憶は、きっと、本当のはなぽんの心で見た記憶なのかな、と書いていて思いました。
    なにか、ボーイッシュで、きかない、いつもハイテンションな私を演じていたような気もします。からかわれると逆手にとって騒ぎ立て、周りの注目を集めているような気分に酔ってみたり。それは、小学校でもやっていましたから、それを覚えたのが幼稚園なのかな。
    そうです。「演じて」いました。私は常に、演じていたような気がします。本当の気持ちや欲求は、口に出しても相手にされないから言わないようにしていました。
    何かが起こって、父親が怒鳴り始めると、するっとかわして、私は関係ないもーんと、意識をよそに飛ばしたり。当事者から傍観者になって。

    親との対決をしていたとき、父親が、「はなぽんが小さいときは、なんでかわからなかったけど、よく引っ叩いていた」と言っていましたが、はなぽんには、引っ叩かれたという具体的な記憶がありません。(心の傷としては残っていますが)
    でも、それは、幼稚園以前のことじゃないかなぁ・・・と勝手に思っていたけど、案外、幼稚園時代まで続いていたのかもしれません。

    幼稚園時代の家庭環境は、父、母、祖父、私の4人家族でした。
    家での記憶はいくつかありますが、楽しかった記憶はありません。全部、嫌な記憶です。でも、それらの記憶が、幼稚園時代のものなのか、小学校低学年時代の記憶なのか、判別できずにいます。
    うまくかけませんが、「暗い」家だったように思います。
    私が2年生のとき、祖父が自殺し、3年生のとき、家を取り壊すため、別のアパートに引越ししました。転校して、いじめにあいましたが、クラス替えで救われました。そして、10歳。

    うーん、思い出せないことが気持ち悪いですね。思い出さないほうが幸せなのかも。
    育児サークルのおかげで、息子が幼稚園に入る前に気づいたことが、せめてもの救いですね。



引用返信 削除キー/
■5993 / inTopicNo.4)  Re[1]: 幼稚園の記憶がない
□投稿者/ 1553 -(2007/05/28(Mon) 20:36:50)
    記憶を遡る旅に出たらどうですか?

    幼稚園時代の記憶が鮮明じゃないのであれば、通ってた幼稚園にお邪魔してみると
    いいかもしれません。
    園児が帰ったあと電話一本かければ中に入れてくれると思います。

    自分も小学校ですが記憶を思い出すために、中にいれてもらって、当時学んでいた教室や
    体育館に入ったりしました。
    もし幼稚園がもう無いという場合でも、家のあった場所から幼稚園までの道を歩いてみたり、
    何か1つ幼稚園時代に縁のある場所に行ってみると、何らかの記憶が思い出されたり、
    複雑な感情が喚起されたりするかもしれません。

    最初から記憶を思い出すために行くとかじゃなく、久しぶりに当時の道を歩いてみるか、程度の
    気持ちで行動に移すといいと思います。
    そういう自分も中学校→小学校→幼稚園時代と、当時の思い出を鮮明にさせる旅に出かけた
    おかげで、ある1つのトラウマが解消されて、転職癖がなおりました。

    とりあえず頭で考えるよりも行動する方がいいかもしれません。

引用返信 削除キー/
■5994 / inTopicNo.5)  Re[2]: 幼稚園の記憶がない
□投稿者/ はなぽん -(2007/05/28(Mon) 22:02:55)
    レスありがとうございます。

    なるほどです。行ってみるのも手ですね。

    ただ、私は、高校卒業まで、その幼稚園の前を、毎週1回歩いていたんです。習い事に通う道だったので。でも、そこが母校(母園?)だという感慨も、懐かしさも、何にも感じたことがないんです。
    通る時間が、閉園後だったからでしょうか。
    園児がわいわいやっている時間だったら、少しは違ったのでしょうか。
    AC回復中の今、行ってみたら、また感じが変わるかも???

    ただ、そこに行くのはかなり大変・・・費用的にも、時間的にも。
    息子が幼稚園に行って、もし、私のトラウマがうずきだして、まずい方向に行くようであれば、思い切って行動してみようかと思います。


引用返信 削除キー/
■5999 / inTopicNo.6)  Re[1]: 幼稚園の記憶がない
□投稿者/ さくら -(2007/05/30(Wed) 11:06:47)
    2007/05/30(Wed) 15:41:46 編集(投稿者)
    2007/05/30(Wed) 15:41:35 編集(投稿者)

    なはぽんさん

    おひさしぶりです。
    私のことを少しシェアさせてください。
    私は、全般的に記憶が変でした。感情が伴わない断片的な映像が多くあり、記憶の断片の順番が解からない所が多かったです。人生が断片できたモザイクのような気がしていました。
    今でも、小学1年〜5年の記憶が少ないです。それに比べると幼稚園のころの記憶はあり、官舎の年の近い遊び仲間の名前は覚えているし、通っていた幼稚園の園歌の一番もほとんど歌えます。

    > ただ、育児サークルで出会う幼稚園児たちが、エネルギー一杯に騒ぎまくり、自己主張し、叫び、泣き、取り合いし、走り回っているのが許せないと感じる私がいます。そのこたちの首根っこを押さえつけて、ビンタして、おとなしく、お行儀よくさせたいという衝動があるのです。
    > そして、幼稚園児たちと話すときは、精神的に対等になってしまうのです。親や大人の立場で話すのではなく、対等に。

    しんどいのではないかと思います。
    子育て中のなはぽんさんには、自分を刺激する場面に出会いやすい状況の気がするからです。

    少し似ていて、処理があるていどできている話しをシェアせてください。
    私の場合は、刺激する場面に頻繁に出会う生活はしていませんでした。私は、女子高校生にいいようのない怒りを感じていました。「お前の人生もつぶされちゃえ」と激しく思うことがありました。(見苦しくてスイマセン)
    最初は、なぜか解からなかった。こんな思考や感情を自分が抱えているのが怖かった。まったくの他人に激しい怒りと妬みを感じているからです。
    回復の為に、カウンセラーの助けを借りながら、自分を世話をする練習をして自分に優しくできるようになっていくうちに、じゃぁ、今の私が私にできることはなんだろう?と考えました。この考えと感情を持っていることは自分を苦しめる。考えを抑圧しても反動が来る(私の場合は一番大切にしたい人に八つ当たりしてしまう)、八つ当たりすることは相手にも自分にも優しくない。この考えの通りに高校生に意地悪することも、相手も自分も苦しめることになる。
    私にできることは、この考えと感情の存在を認めること。この考えと感情を持つに至った自分を心で大変だったねと抱きしめること(多分大変だったんだろうと思ったから)。過去は変えられないけど、今の私は私の自我と性格を大切にしていくねと自分に言い聞かせて、できるだけ実行しつづけること。
    このことを続けているうちに、高校生を見ても以前のような考えと感情に襲われることが減っていって。逆に高校生に頑張ってねって自然に思えるようになってきました。この状態は私にとってとても楽で、自分に優しい状態に思います。そして自分に成長したねっ頑張ったねって思えるようにもなってきました。
    そして、高校生という時期は、親が、強烈に執拗に私の自我と性格に攻撃を加えていた時期だということに思い至りました(その時々の記憶は断片的で、感情が伴っていないものでした。今は記憶が多少まとまりが良い状態になっています。)
    そのとき自分の自我と性格を守りきれなかった。愛して大切にしてほしかった両親に執拗に攻撃されていたことが悲しく悔しい。私の自我と性格がこの時ダメージを受けていなければもっと違った人生が。。。と今も強く思います。悔しくて、悲しい。同時に高校生の私にはあの状態で自分の自我を保つことは難しかったんだと思えました。
    実際は、ここに書いたほど、スムーズには進まなかったし時間もかかりました。

    記憶欠損等に関しては、今のところ私が取っているスタンスは、積極的には記憶にアプローチはしない。できるところやりやすいことをまず先にやる。というものです。そうしているうちに耐えられる分の記憶は戻ってきている気がしています。同時に自分に対する負荷が少ない回復の方法で、生きるスキルもついていってる気もしています。とはいえバリバリのACなので、今でも十分生きにくい。以前よりはましだけど。。
    (記憶の欠損等に関しては、いろいろなスタンスがあることは知っています。自分に合う方法を各々選ぶのがいいのだろうと思っています。私のとっているスタンスは、今の私にとって楽な方法という基準で選んでいます。とはいえ、昔は記憶をすぐにしっかり取り戻したくてしょうがなかった次期がありました。)

    どうぞご自愛くださいね!
    なはぽんさん。シェアと考える機会を与えてくださってありがとうございます。

引用返信 削除キー/
■6015 / inTopicNo.7)  Re[2]: 幼稚園の記憶がない
□投稿者/ はなぽん -(2007/06/01(Fri) 22:54:29)
    2007/06/01(Fri) 23:04:41 編集(投稿者)
    2007/06/01(Fri) 23:04:35 編集(投稿者)

    さくらさん、お元気そうで何よりです。

    貴重なお話をありがとうございます。

    > しんどいのではないかと思います。
    > 子育て中のなはぽんさんには、自分を刺激する場面に出会いやすい状況の気がするからです。

    はい。ご指摘を受けるまで、自分が「しんどい」のだということに気づいていませんでした。確かに、しんどいのだと思います。

    今通っている育児サークル、実は、あんまり好きではないのです。
    息子が好きだというので、息子のために、我慢して通っています。「通い続ければ、そこの人になれる」というのが、私の持論なので、通い続けているのです。
    4月から通っているので、まさに、5月病・・・先週、ちょっとした行事でママさん達と話す機会があり、少し和んだところです。

    長男が3歳になり、主張がより具体的になり、「なに?どうして?」が増え、うるさいなんてものではありません。ちょっとでも隙を見せると、話しかけてきますので、私は「ぼーっ」とすることができないのです。人とのかかわり、(特に会話)が苦手な私にとって、とてもストレスフルな毎日です。

    私の、幼稚園児に対する怒りの原因は、やはり、私が、そのくらいの年頃に、親から、なんらかの否定的な行為を受けていたのではないか、と思い当たるところがあります。

    どんな行為を受けていたのかというと、おそらく、今の私が、長男に対してしてしまっていることだと思います。「早く大人になりなさい」というメッセージを、事あるごとに発しているのです。

    こう考えると、私の心がざわついてきます。

    > この考えと感情を持っていることは自分を苦しめる。考えを抑圧しても反動が来る(私の場合は一番大切にしたい人に八つ当たりしてしまう)、八つ当たりすることは相手にも自分にも優しくない。この考えの通りに高校生に意地悪することも、相手も自分も苦しめることになる。

    そうです。私は、長男に八つ当たりしてしまっている。ACにしたくないと、真剣に願ってきたにもかかわらず。
    そして、私は、自分が苦しいということに気づかないまま、苦しんでいました。長男も、なぜ私が怒るのか、わからないまま、次男へのやきもちも含めて、苦しんでいるのではないかと思います。

    私は、言葉を話さない次男のことはすぐに抱っこできるのに、言葉で「だっこ!」と要求する長男のことは、気軽に抱っこできないのです。
    だから、長男は余計にしつこく抱っこをせがむのでしょう。
    でも、私の心の中で、「抱っこをせがむのは悪いことだ」と思っているのです。
    それは、記憶がなくても、確実に、私の親が、子供の私に発したメッセージなのでしょう。

    > 私にできることは、この考えと感情の存在を認めること。この考えと感情を持つに至った自分を心で大変だったねと抱きしめること(多分大変だったんだろうと思ったから)。過去は変えられないけど、今の私は私の自我と性格を大切にしていくねと自分に言い聞かせて、できるだけ実行しつづけること。

    赤ちゃんから子供へ、大きく変化する3歳から5歳の時期、私は、大変だったのでしょう。おそらくは、私の母が「いい母親」であることの証明となるような「いい子」になるように、「早く大人になりなさい」と言うメッセージを受け取りつつ、「お母さんの言うとおりにしていれば間違いない」という、決まり文句を聞かされていたのかもしれません。

    考えてみれば、家には、かんしゃくもちでよく殴る父親、口数少なく父の言いなりの祖父、コントローラブルな母。幼稚園は転園したばかり。近所の友達とのなじみも少ない。自分の部屋もなく、話しあいては母しかいない。幼い子供であった私は、あまりに「大変」だったがゆえに、その環境に、過度に適応してしまったのでしょう。

    > このことを続けているうちに、高校生を見ても以前のような考えと感情に襲われることが減っていって。逆に高校生に頑張ってねって自然に思えるようになってきました。この状態は私にとってとても楽で、自分に優しい状態に思います。そして自分に成長したねっ頑張ったねって思えるようにもなってきました。

    私は最近、長男の言葉や思いがけない行動でイライラし、「悪いのはすべて長男」というメッセージを発していました。しかし、さくらさんの書き込みを読みながら、イライラの原因は、長男ではなく、私が3歳のときに親から受け取ったメッセージなのだということに、気づきつつあります。

    私のオリジナルであると思っていた考え方が、実は刷り込まれたものであった、ということなのでしょう。刷り込まれたとき、私が押さえつけた私の感情が、今、よみがえってきているので、息子の行動に、過度に反応してしまっている。

    一足飛びに、さくらさんの状態まで到達するのは無理なことですが、状況改善のための手がかりがつかめた気がします。

    ただ、「心で、自分で自分を抱きしめる」というのが、どうにもこうにも苦手なのです。原因を追求して行き当たれば、一気に変わることができるというのが、前回の私のやり方でした。「私が悪いんじゃなかった。親が変だったんだ」と気づいたところが私の出発点だったのです。
    今回は、「親が変」なのがわかっていて、原因と思われるところの記憶がないので行き詰ったように感じていました。
    でも、答えはどうやら私の中にあるようですね。
    記憶がなくても、私の考え方や、イライラを刺激されるところが答えなのです。きっと。
    泣き喚く幼稚園児に怒りを覚えるなら、幼い私が泣き喚いたときに、親が私をひっぱたいたり、怒鳴りつけたりしたんだということです。
    そういいきってよいと思います。

    ここから、自分を変えることができるように、少し考える時間を持ってみようと思います。

    さくらさん、本当に助かりました。どうもありがとうございました!


引用返信 削除キー/
■6232 / inTopicNo.8)  Re[3]: 幼稚園の記憶がない
□投稿者/ さや -(2007/08/21(Tue) 23:58:08)
    なはぽんさん

    遅いレスでごめんなさい。しばらく私も考えていました。
    なはぽんさんの上の息子さんに関する状況が、好転しているといいなと思いながら記入しています。

    > 今通っている育児サークル、実は、あんまり好きではないのです。
    > 息子が好きだというので、息子のために、我慢して通っています。「通い続ければ、そこの人になれる」というのが、私の持論なので、通い続けているのです。
    > 4月から通っているので、まさに、5月病・・・先週、ちょっとした行事でママさん達と話す機会があり、少し和んだところです。
    > 長男が3歳になり、主張がより具体的になり、「なに?どうして?」が増え、うるさいなんてものではありません。ちょっとでも隙を見せると、話しかけてきますので、私は「ぼーっ」とすることができないのです。人とのかかわり、(特に会話)が苦手な私にとって、とてもストレスフルな毎日です。

    今は、なはぽんさんの状況が変わっているかもしれないけれど、ストレスフルな状況で、自分に向き合われるのは大変なことのように思います。

    > 赤ちゃんから子供へ、大きく変化する3歳から5歳の時期、私は、大変だったのでしょう。おそらくは、私の母が「いい母親」であることの証明となるような「いい子」になるように、「早く大人になりなさい」と言うメッセージを受け取りつつ、「お母さんの言うとおりにしていれば間違いない」という、決まり文句を聞かされていたのかもしれません。
    > 私のオリジナルであると思っていた考え方が、実は刷り込まれたものであった、ということなのでしょう。刷り込まれたとき、私が押さえつけた私の感情が、今、よみがえってきているので、息子の行動に、過度に反応してしまっている。
    > 記憶がなくても、私の考え方や、イライラを刺激されるところが答えなのです。きっと。
    > 泣き喚く幼稚園児に怒りを覚えるなら、幼い私が泣き喚いたときに、親が私をひっぱたいたり、怒鳴りつけたりしたんだということです。
    > そういいきってよいと思います。

    私も、なはぽんさんが小さい頃に置かれていた状況は、なはぽんさんが書かれているような状況だったのではないかと思います。
    「息子の行動に、過度に反応してしまっている」くらいに、小さな頃のなはぽんさんは辛かったのだろうなと思いました。そして自分の要求に向き合って欲しかったんだんじゃないかと思いました。

    少しシェアさせてください。

    記憶が無い強い感情。感情から引っぱって過去の連想をする。その後に浮遊していた断片的な記憶が意味を伴って浮かんでくることが最近有るんです。
    小さい頃私は切実に空腹だった、不衛生な状況に置かれていた、家の中でいつも恐怖感を感じていた。
    小さい頃の私は、そんなこと親に訴えたら我がままだといわれ、悪い子供だと言われるのを知っていた。状況がより悪化することも知っていた。
    正当だと思っている要求が通らない怒りと不満・自分ではどうすることもできない無力感・終わらない空腹感・不衛生な気持ち悪さ・恐怖。
    だから、無いことにした。空腹なんて知らない・不衛生ってなに?・感情なんて感じても無駄。
    そして、外で普通のフリをして生活していた。惨めな自分をごまかすため。惨めな自分なんて認識したくなかった。
    ずっと抑圧・否認されていた過去の状況。パーフェクトな記憶じゃないけれど。
    気付いた時はとてもつらかったです。いまもつらいです。つらいけど、フィットしている。おさまりがいいんです。どこかすっきりしている。

    こんな時にカウンセラーの質問がいつも私の頭に浮かびます。「今のさやさんが、過去のさやさんを見てどう思いますか?」
    その時は、「なんでそんな質問を?」と思っていました。今思うと、この質問が大人である現在の私の視点を育ててくれているんだなぁと思います。
    子供の頃の自分を、痛みを感じながらも「つらかったね。たいへんだったね。お腹いっぱい食べたかったよね」って思います。

    この間、デパ地下を通った時、自分の子供の部分がきれいで可愛いお菓子をみて「おいしそうなのがいっぱいあるっ!」って素直に喜んでいるのを感じました。
    なんか、悲しくて泣けてきました。こんな素直な生き生きとした感情意識したことなかった。危険なものと思って押さえ込んでた。こんな些細なことなのに。
    私が、親の視点を取り込んでこんな小さな生き生きとした感情をおさえこんでたこともきがつきました。自分の栄養になる感情でもあったのに。

    私の感情生活って今も貧しいんだろうな。まだ、生き生きとした自分の感情怖いし。少しずつ少しずつ慣れていきたい。
    喪失を悲しむと、自分がどこか軽くなったきがします。喪失を受け入れることが少し上手になってきたのかなと思っています。

    これらの気付き、なはぽんさんのスレッドに影響されたことが大きいです。ありがとうございます。

    お子さんのいる家庭の夏休みは、負荷の大きい時期と思います。ご自身を大事に過ごしてくださいね。
    (勝手な想像です。外れていたらごめんなさい。よく子供のいる友人から夏休みは楽しくも有るけど、大変だという話しを聞くんです。)
引用返信 削除キー/
■6241 / inTopicNo.9)  Re[4]: 幼稚園の記憶がない
□投稿者/ はなぽん -(2007/08/27(Mon) 21:34:57)
    2007/08/27(Mon) 21:35:46 編集(投稿者)

    さやさん、いつもありがとう。

    スレを立てたのが5月で、今8月。3ヶ月で、我が長男は、ずいぶん成長したように思います。感情がどんどん複雑になってきた様です。言葉も増えたし、遊び方や興味の対象もどんどん変わっています。例の育児サークルも夏休みだったので、ストレスの種が減りまして、前よりは平穏な暮らしをしています。

    でも、やっぱり、長男くらいのときに、両親からいろいろ責められるのは大変なことだと思います。心がどんどん成長していますから、それを押さえつけられるのは、子供にとってはつらいことこの上ないですよね。「成長するな」と言われているようなものです。

    でも、完璧に息子の要求に応えるなんて絶対にできませんし、そんな必要も無いのではないかと思います。息子とは別の人間であるはなぽんが、一緒に暮らしていればいいのですよね、きっと。

    はなぽんも、おいしそうなものを、素直に「おいしい」って食べられない性質です。おいしそうなものを、おいしく楽しく食べて何が悪い!!!って、心を奮い立たせなくちゃ、ついつい自虐してしまうんです。「食べ過ぎちゃだめ」「なんて贅沢な」「嫌いなものも食べなくちゃ」・・・そんなこと考えてたらおいしく食べられなぁい!

    はなぽんは、今日、「甘酢ラッキョウ」を買いました。これって、一大決心が必要だったんです。まず、家族の中で私しか食べない。特に、だんなに、「嫌いだ」と力説されたことがある。でも、私の大好物。そういうおかずって、食卓に並べるのに罪悪感が強くて、並べることができないんです。そういうおかずがたくさんあります。私は甘酢好きで、だんなは甘酢が大嫌い。例えば、酢豚。魚のから揚げの南蛮漬け。酢の物。などなど。それで、一大決心で買って、「私は甘酢ラッキョウが好きだぁぁ」と宣言して、だんなの目の前で食べました。だんなの反応は、「ああそう」拍子抜け・・・でも、まあ、こんな感じで、一歩一歩、いろんな足かせをはずしていくんですよね。

    ところで、さやさん、はなぽんのHNは、なはぽんじゃないんですよ〜

    早く涼しくなるといいですね。
    またどこかでお話させてください。
引用返信 削除キー/
■6244 / inTopicNo.10)  失礼しました
□投稿者/ さや -(2007/09/01(Sat) 11:31:59)
    はなぽんさん

    名前を勘違いして覚えてしまってごめんなさい。
    大変失礼なことをし続けてました。。。指摘してくださってありがとうございます。

    子供の変化って早いんですね。
    以前より平穏な暮らしをしているとのことで、読んでいて嬉しくなりました。

    > でも、やっぱり、長男くらいのときに、両親からいろいろ責められるのは大変なことだと思います。心がどんどん成長していますから、それを押さえつけられるのは、子供にとってはつらいことこの上ないですよね。「成長するな」と言われているようなものです。
    >
    > でも、完璧に息子の要求に応えるなんて絶対にできませんし、そんな必要も無いのではないかと思います。息子とは別の人間であるはなぽんが、一緒に暮らしていればいいのですよね、きっと。

    私もそう思います。
    私と私以外の人が家族だろうと親友だろうと違う人で、だから100%の理解は得られないし私も出来ない、相手は私の望むとおりにはなれないし、私も相手が望むとおりにはなれない。ということが受け入れられるようになってきた時、寂しさと同時に救いを感じた事を思い出します。
    なんたって、私は親の望むとおりに不幸にならなくてもいいし、なれない。という考えが0%→15%になったんです(行きつ戻りつ少しずつ%を増やしていきたいです。)
    そして、理解しようと耳を傾けてくれるのが嬉しくなったし、
    「あなたにはそれは、辛いこと(楽しいことetc.)なのね」と同じように感じては暮れなくても、暖かく接してくれる人に誠実さを感じるようになってきました。
    「あなたの望むととおりにはできないけれど、(自分のニーズを大切にしたうえて)できるだけあなたの望みも大切にしたい」という言動を取ってくれることがありがたいなと思うようにもなってきました。
    私自身も、大切な人にこのような態度で接することができるようになっていきたいなと思っています。

    > はなぽんも、おいしそうなものを、素直に「おいしい」って食べられない性質です。おいしそうなものを、おいしく楽しく食べて何が悪い!!!って、心を奮い立たせなくちゃ、ついつい自虐してしまうんです。「食べ過ぎちゃだめ」「なんて贅沢な」「嫌いなものも食べなくちゃ」・・・そんなこと考えてたらおいしく食べられなぁい!

    私も「なんて贅沢な」「嫌いなものも食べなくちゃ」をよく自分に言ってマス。。。

    > はなぽんは、今日、「甘酢ラッキョウ」を買いました。これって、一大決心が必要だったんです。まず、家族の中で私しか食べない。特に、だんなに、「嫌いだ」と力説されたことがある。でも、私の大好物。そういうおかずって、食卓に並べるのに罪悪感が強くて、並べることができないんです。そういうおかずがたくさんあります。私は甘酢好きで、だんなは甘酢が大嫌い。例えば、酢豚。魚のから揚げの南蛮漬け。酢の物。などなど。それで、一大決心で買って、「私は甘酢ラッキョウが好きだぁぁ」と宣言して、だんなの目の前で食べました。だんなの反応は、「ああそう」拍子抜け・・・でも、まあ、こんな感じで、一歩一歩、いろんな足かせをはずしていくんですよね。

    祝!甘酢らっきょう!!
    私はまだ、食べ物の何が好きかとか今何が食べたいとかの意識の把握が弱いのだろうな(食べ物を選ぶなんて贅沢よ!食べれて栄養取れればいいでしょ!とか思ってる)。
    私も少しずつ、いろんな足かせ外していきますね。

    > またどこかでお話させてください。

    こちらこそ、又どこかでお話しさせてくださいね。
    はなぽんさんのHN間違いのお詫びを早く書けなくてごめんなさい。



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