1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■6177
/ inTopicNo.1)
否認が集中して取れてきている時の不安定さ
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□投稿者/ さくら改めさや
-(2007/08/07(Tue) 18:10:17)
2007/08/07(Tue) 18:28:03 編集(投稿者)
2007/08/07(Tue) 18:27:53 編集(投稿者)
さくら改めさや
経験やこんな時をどのように通り抜けてきたか、その後どうなったか等をシェアしていただけると嬉しいです。
以前は覚えている過去の出来事に対する意味付けができなかったし、それに伴った感情が拾えませんでした。ここ一年は少しずつ意味付けができるようになってきて生活少しずつ改善されてきていました。
最近は、否認が集中して取れてきていて、あの時辛かったんだ、悲しかったんだ、家族を憎んでいたんだ、そしてそのことがこんな所にに影響している。というのが、リアルタイムほどの強さでないと思っていますが感情の放出を伴って出てくることが多いです。その前後は欝がひどく出たり、怒りが続いたり、ぽやっとしたりが続いて子供の様にダイレクトに心身の状態に響きます。
現在の感情や思考もよりリアルに拾えるようになってきていて、以前と変わらない生活状態(体力の無い引きこもりぎみの主婦)なのですが、自分の状態に駄目出ししていることに気付いたり、生きていくことの不安を感じたり、欝を辛く感じたり、無気力を辛く感じたりして戸惑っています。これらを感じ取れていなかった以前の状態がおかしいとは頭ではわかっているんですが、慣れないというかなじまなくって不安定です。
同時に、収まっていた害の有る今までの否認パターン・回避パターンも強く出てきていて、食事をまともに取らなかったり、疲れの感覚が拾えなくなってきてたり、体調悪いのに動き回るのがやめられない結果として動き回らない時は疲れでぼんやりしているか寝込んでいるか(これで以前体壊した)の状態を作りつつあります。
大人の部分が崩れて、子供の部分が生活に侵出している感じでもあります。(そんな自分の子供の部分を否定はしていないんですが、うまく折り合って生活できなくなってきています。大人の部分の踏ん張りどころなのかもとも思います。)
今までどおり、辛抱強く自分のケア(食事を取る・睡眠をとる・疲れをためない・ノートに吐き出していく、いける範囲で自助へ行く、カウンセリングとその復習をする)+社会復帰のためのリハビリをしていくことが今やることと思っているのですが、自分のケアをしていくことが辛くなっているし、社会復帰のためのリハビリに余力が回らない状態です。否認・回避の中に逃げたい傾向が強まっているんだろうと思います。私のスタンスは「この状態を通り抜けて先に進んでいく」なんですが少し危うく感じています。回想のペースが少し速すぎるのかも知れません。
それでも、ここに記入したことで、少し大人の部分が持ち直してきているのも感じます。これから、いつものルーティンの家事をやろうという気になってきました。夕飯も食べようと思えています。
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■6178
/ inTopicNo.2)
Re[1]: 否認が集中して取れてきている時の不安定さ
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□投稿者/ SILVER7
[MAIL]
-(2007/08/08(Wed) 00:04:34)
さやさん、久しぶりです。
私の素直な感想ですが、大いにジラを聞いてあげたらいいんじゃないかな〜? ジラって、もしかしたら方言かな〜? 駄々っ子が駄々をこねる、あの駄々と、同じ意味です。
何より、否認の楔が取れてきていることがいいことなのじゃないでしょうか?
そうは言っても、主婦業もあるでしょうから、生活のリズムが乱れるのはたいへんかもしれませんね。 それでも、ある意味、無理からぬところがあるのじゃないでしょうか? と、言うのも、それだけ、たいへんな目に遭っているというか、経験をしているので、世間並みにおとなしくはできないぐらい、いろんな感情が思い出されたりするのじゃないでしょうか?
誰か、話すことが出来る人がいたら、折々話して、少なくとも、そういう精神状態であることに理解を持ってもらえるといいですね。 自分ひとりの葛藤にすると、抱え込みきれないのじゃないでしょうか、だから、誰かに分担してもらうっていうことですが・・・・。 ここに書かれたことで、少し落ち着かれたようですから、これからも、大いに利用されたらいいと、思いますよ♪
ことばにすると、ずいぶん軽くなりますね♪
自己確認になるのじゃないかな?
自分で自分の姿を承認することが、だいじですもんね♪
かなり混乱があっても、その中で、ちゃんと、自分のほんとうの姿は見ていると思いますよ。
引用返信
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■6179
/ inTopicNo.3)
Re[1]: 否認が集中して取れてきている時の不安定さ
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□投稿者/ ぺん
-(2007/08/08(Wed) 03:54:21)
■
No6177
に返信(さくら改めさやさんの記事)
さくら改めさやさん、おひさしぶりです。ぺんです。
さやさんと私は抱えている症状や辛さがよく似ている感じが、勝手に私はしていました。
とても近い立場にある人なんだろうな、でも私とはまた違う道を選びながら歩いてらっしゃる人、
そういうところで、さやさんの言葉を私はいつも参考にさせてもらっています。
おっしゃっている感じ、分かるような気がします。
私も覚えている記憶にリアルな感情は伴っていません。他人の物語のように感じます。
でもときどき今の生活をしている中でも、ある特定の場面に出くわすと
不可思議な、でもとても強固な感情のクセが出てくることがあったりして‥‥
どうしてそうなってしまうんだろう?と自分の心を探って行くうちに、
過去にもそんな感情に陥らざるを得ない場面があったこと、
そこにはその時の自分にはどうしようもない理由があったことを、
感情と共に突然思い出したりするときがあります。
私の場合は、それが自分の手に負えるものであれば、火がついたように一晩中わんわん大声あげて泣いてしまって、
そのあと、不思議と自分の視界がすごくクリアになって、周囲がはっきり鮮やかに見えたりします。
そして、感情が成仏していってくれる。
でも、それが自分の手には負えないものであれば、発作を繰り返して意識を失ったりして大変なことになって
結局また、記憶は自分の奥深くに封印されてしまいます。
さやさんが以前おっしゃっていた言葉に、すごく共感したことがあったのですが
私も、私の病気は、私を守ろうとしてくれているんだと思います。
(無茶苦茶しんどいですけど。病気のばかやろーって泣いちゃうときもありますけど)
もう一人の私が、私にとって安全な記憶と危険な記憶をちゃんと分かってくれていて
出しても大丈夫なときが来れば、自然と安全な記憶は出してくれて
危険なものにはきちんと警報を鳴らしてくれる‥‥そんな感じがします。
その警報によく耳を澄ませることが大切なんだろうな、自分とつきあうってそういうことかな。
まだ、苦しいカウンセリング以外での治療法は確立されていない病気ですし
今は、病気に身を委ねる自分でいようかな、病気を抱えた不自由な身体の私として生きて行く道を探そうか、
私はそんな選択をしました。(だから子供は諦めようかと今は思っています)
なんだろうな、変な話ですけど、
自分を卑下するとか虐める意味でなく「自分は人とは違うんだ」と思うようになってから楽になったし、
それでも自分は人の中で社会生活を送ろうとしているんだ、と思うと
発想が逆転したようで「私がんばってんじゃん。えらいよ」と自分のことちょっと好きになりました。
> 現在の感情や思考もよりリアルに拾えるようになってきていて、以前と変わらない生活状態(体力の無い引きこもりぎみの主婦)なのですが、自分の状態に駄目出ししていることに気付いたり、生きていくことの不安を感じたり、欝を辛く感じたり、無気力を辛く感じたりして戸惑っています。これらを感じ取れていなかった以前の状態がおかしいとは頭ではわかっているんですが、慣れないというかなじまなくって不安定です。
なじまない、という感じ、なんだかとても分かる気がします。
人間の生活として自然な状態になっていく度に、
それがそれまでの自分の感情生活の中では「当たり前」のことじゃなかったから、
変化に戸惑うし、ついていけなくて、生活が安定するほどに自分は落ち着かなくて不安定になること、よくあります。
> 同時に、収まっていた害の有る今までの否認パターン・回避パターンも強く出てきていて、食事をまともに取らなかったり、疲れの感覚が拾えなくなってきてたり、体調悪いのに動き回るのがやめられない結果として動き回らない時は疲れでぼんやりしているか寝込んでいるか(これで以前体壊した)の状態を作りつつあります。
私は半年ほど前かな、こういった状態になっていました。
異常に視界が前のめりに狭くなっていて、疲れている自分を自分で丸無視して、
自分を壊す方向に突っ走りそうになりました。
主治医の先生が心配そうにしておられるのを見て「あれ?私おかしくなってる?」ってやっと気が付いて
ブレーキがかけられたんですけど‥‥。
それで自分の気持ちと向き合ってみたら、そのときの私の場合は
『私は人生の中で初めて「誰も自分の生き方を強制しない。どんな選択をしても誰も咎めない。自分の生き方を100%自分の意志で決めて構わない。」そんな状況に置かれたんだ、
今まで当然のこととして身に染み付いていた生き方をしなくても許される状況に生まれて初めて置かれて、それでどうしていいか分からなくなってしまって、極端に迷走してしまってたんだ。』
‥‥ということだったんだと気が付きました。
それまでの自分を手放して、新しい自分を手にするときには誰だって
戸惑って混乱するものなのかも知れません。
自分の話ばっかり長々としてしまいました。
さやさんの場合とはまた違うと思うので参考にはならないかも知れませんが、私みたいなのもいるっちゅうことで‥‥
解離性健忘については、お分かりになる方とお話をさせていただきたいという気持ちが強いので
またできたらお話していただけるとありがたいです。
できるだけゆっくり、ゆっくり、ご自愛下さい。それでは(^ ^)
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■6181
/ inTopicNo.4)
Re[1]: 否認が集中して取れてきている時の不安定さ
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□投稿者/ はなぽん
-(2007/08/08(Wed) 22:57:33)
こんばんは。
私は、そういう状態になったことがあります。
あるのですが、通り過ぎたように思います。
初めてここに来てから、親との実りの無い会話に泣き、怒り、
ここに過去を吐き出し、親と対決し、かみ合わないことに怒り、
怒りの噴出がおさまってきて、諦観を得・・・
そのあとに襲ってきたのが、「広い草原にぽつんと立ち尽くし、どこへ行ってよいかわからない」という感じでした。
そのとき、私には子供がいたので、体を動かすことで考えに沈むのを回避していたように思います。毎日、毎日外出していました。
この、「どこへ行ってよいか」というのが、曲者だということに気づいたのは結構最近のような気がします。
「回復しよう」と思っていると、いつのまにか、「回復しなければいけない」とか、「回復した何者かにならなければならない」と思っていたのです。
「回復」した結果、何になることができるのか?
私の場合は、「私自身」にしか、なれませんでした。
精神年齢は子供で、ACで、人と対するとき自分がすることはすべて迷惑なんじゃないかと思うような、勘繰りすぎ、気にしすぎの、自己評価の低いはなぽん本人でした。
そんなこんなで、はなぽんは、はなぽんとして生き始めたわけです。
いまだに、いろいろ気にしすぎて、考えすぎて、行動にブレーキがかかってしまうのですが、「捨て身」の戦法で、えい!と飛び込むこともできるようになりました。そして、私を受け入れるかどうかは、相手に任せて、受け入れられなくても私は私、これ以上にもこれいかにもならないんだわ、と言い聞かせるようになっています。
レスになっているでしょうか。でも、これは、はなぽんの物語なんですね。
これ以上どうしようもありません。はははっ・・・お恥ずかしい限りです。
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■6187
/ inTopicNo.5)
Re[2]: 否認が集中して取れてきている時の不安定さ
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□投稿者/ さや
-(2007/08/10(Fri) 00:12:08)
SILVER7さん こんばんは お久しぶりです。
レスありがとうございます。
駄々をこねることを、SILVER7さんの住んでいるところでは、「ジラ」ていうんですね(^^)
どこらへんがインナーチャイルドのジラなのかな?と思い返してみたら、ほとんど全部だと思いました。。
辛かったら、欝がひどく出るだろうし。嫌な事され続けたら、怒りが続くだろうし。抱えきれない出来事なら、ぽやっとした感じが続くいて否認・回避に向かってしまう。
>>ある意味、無理からぬところがあるのじゃないでしょうか?
そうですね。振り返ってみたらそう思いました。無理ないですね。子供の頃の私は、このようなジラを表現することも無く、出来事も感情も思考も抑圧して世間から見た普通を装って生活してたんですから、普通を装わないと自分が惨めでしょうがなかったんだと思います。
SILVER7さん、やさしい視点くださってありがとうございます。
ジラを表現できて良かったんだなぁと思いました。それを受ける大人の部分は結構しんどいですが。今まで、我がままで暴れているように見えた反応も、子供にとって必要なことで、表現とか自我のスタートみたいなものなのでしょうね。これからしばらく続くかも知れないけど、受ける(=ジラを聞く)よって思いました。
大人の私としては、子供(=自分自身のことなんですけど。。。)に三食食べさせることと、休ませること、無理させないことだけはやっていこうとも思いました。
これをやる気なくしたら、また書き込んだりしてみますね。ホントに言葉にすると軽くなりますね。
>>自分で自分の姿を承認することが、だいじですもんね♪
ホントそうですね。昔自分を取り巻く現実を直視できなかったように、今の私も今の自分を了承することができてないです。情けないって思っています。そして、自分自身の性質とかもです。
少しずつでも、了承していこうと思います。怖いけどその方が自分にやさしいと思うから。そしてできることをし続けていきたい。
>>かなり混乱があっても、その中で、ちゃんと、自分のほんとうの姿は見ていると思いますよ。
そうだといいなぁと思います。
最近人と人がつながること(ネットでもミーティングでも)で生じるパワーってすごいなぁって思います。ほろほろと自分の鎧が少しずつ取れていく基になっているんです。鎧が取れて暖かくなっていく感じがします。
暑い日々が続いているので、SILVER7さんも体を大切に過ごしてくださいね。
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■6188
/ inTopicNo.6)
Re[2]: 否認が集中して取れてきている時の不安定さ
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□投稿者/ さや
-(2007/08/10(Fri) 00:29:09)
ぺんさん こんばんは お久しぶりです。
レスありがとうございます。嬉しいです。
>>さやさんと私は抱えている症状や辛さがよく似ている感じが、勝手に私はしていました。
私も勝手に、症状とか似ているなぁって思ってました。
そしてペんさんの書かれていることを読んで、励みにしたり自分を振り返ったりしています。
今日は、遅くなってしまったので明日続きを書きますね。
おやすみなさい。
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■6189
/ inTopicNo.7)
Re[2]: 否認が集中して取れてきている時の不安定さ
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□投稿者/ さや
-(2007/08/10(Fri) 00:35:31)
なはぽんさん こんばんは。
なはぽんさんの物語をシェアしてくださってありがとうございます。嬉しいです。
すいません。書きたいことがあるのですが、今眠くて頭回らなくなってきているので、後日書かせてください。なはぽんさんが立てたスレッドにも(インナーチャイルドのやつです)レスしたいんですが、まとまらなくて記入できていないです。
それでは、また。おやすみなさい。
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■6192
/ inTopicNo.8)
Re[2]: 否認が集中して取れてきている時の不安定さ
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□投稿者/ さや
-(2007/08/11(Sat) 01:50:52)
ぺんさん こんばんは
ぺんさんは、ぺんさん自身とレスで書いて下さったように向き合ったり、付き合ったりしているんですね。
シェアしてくださってありがとうございます。
共感する所、考えるきっかけになっている所たくさんあります。全部は書ききれないし考えがまとまらないところも多いので、その中から書けるもので優先順位の高いものを書かせてくださいね。
>でも、それが自分の手には負えないものであれば、発作を繰り返して意識を失ったりして大変なことになって結局また、記憶は自分の奥深くに封印されてしまいます。
思い出したものをまた忘れてしまうということなのかなと思いました。
私は下記の様な事があります。
ひどく断片的な記憶なんですが、入眠時とかにショックと記憶の断片と共に目が覚めて「ああ、これカウンセラーに話そう」ノートに記入しとかなきゃと思いつつ落ちるように眠り込んでしまい、朝起きたときにはショックがあったことと「ああ、これカウンセラーに話そう」と思っていたことだけ覚えてる。
これを何回も(半年がかりのこともあります)繰り返して、やっと記憶や感情の断片が拾える。そして話す。
もう一つのパターンは、現在のことで過去につながるような出来事があったときに離人がつよくなって、多眠になってホントに忘れるまで終わらないというやつです。
これは、あまりに一日のことが回想できなくてどうなっているんだろうと、日々のことを離人と多眠に逆らいながら外出して(外出しないでノート記入すると気分悪くなったり、急に眠り込んでしまっていました=気を失うといった方が近いかも)搾り出すように回想してノートに記入するようになって仕組みが解かったことなんです。今は耐性が付いてきて日々のことを記入するのが楽になってます。
>私も、私の病気は、私を守ろうとしてくれているんだと思います。(無茶苦茶しんどいですけど。病気のばかやろーって泣いちゃうときもありますけど)もう一人の私が、私にとって安全な記憶と危険な記憶をちゃんと分かってくれていて出しても大丈夫なときが来れば、自然と安全な記憶は出してくれて危険なものにはきちんと警報を鳴らしてくれる‥‥そんな感じがします。その警報によく耳を澄ませることが大切なんだろうな、自分とつきあうってそういうことかな
私もそんな風に感じます。(同時に警報が過去の自分の悲鳴に感じるときが今はあります。だから、泣きそうになるくらいきつい時があるのかなと。こう考えると病気さんというかもう一人の私がとても健気な気もします。)
それで今は過去に集中しないで、小さな今できること(=日々の生活)をしていって感情耐性とストレス耐性をつけることを優先しています。そうしているうちに、本当になんとか受けきれる分の記憶の断片が出てきいる気がします。出てきた記憶断片を成仏させられそうならトライしてみる。取り組むのが厳しそうなら保留にしてます。そして出てきたことで視界や周囲が以前より少しハッキリ鮮やかになって、生活も次に進んでいくような気もしています。だからって、全部思い出さなきゃとかは思わなくなっています。
>今まで当然のこととして身に染み付いていた生き方をしなくても許される状況に生まれて初めて置かれて、それでどうしていいか分からなくなってしまって、極端に迷走してしまってたんだ。』‥‥ということだったんだと気が付きました。
最近とても広い草原に急に立っている事に気付いて途方にくれるような気分になるんです。これって「身に染み付いていた生き方をしなくても許される状況」を感じているのかもしれないですね。ただ、どうして良いかホントにわかんない。何したいか、どういうふうに生きていきたいか。子供が欲しいのか、可能なのか。白紙を抱えている気分なんです。心にこのクエスチョンを引っ掛けて日々の生活をしていこうと思っています。そしたら、答えが少しずつまとまるかなぁと思っています。
>自分を卑下するとか虐める意味でなく「自分は人とは違うんだ」と思うようになってから楽になったし、それでも自分は人の中で社会生活を送ろうとしているんだ、と思うと発想が逆転したようで「私がんばってんじゃん。えらいよ」と自分のことちょっと好きになりました。
なんか読んでいて、励まされました。
私はまだ、症状をもっている自分を変な夢のように観察していて、変な夢はそのうち消えて症状のない人達のように生活できるんじゃないかって重いが手放せてない。自分の体力のなさや、症状に消耗している自分を観察はしているんだけど、受け入れられていない。こんな状態をで立ち止まっている方がきっと苦しいんだろうなとも思う。それでも現状を受け入れた時の痛みがまだ怖い。けど痛みを越えて前に進みたい。あと自分の性質も受け入れられてないなぁ。。。。性質ってちゃんとあるのにね。
>解離性健忘については、お分かりになる方とお話をさせていただきたいという気持ちが強いので、またできたらお話していただけるとありがたいです。
私、記憶と健忘のことを多く書いちゃってますね。このことについて私も話したいみたいです。
私も、解離性健忘についてお話できたらいいなと思います。そして話しを聞きたいです。
似ているところも、違うところも、お互いの個性や生き方を大切にしながら、ペんさんがぺんさん自身の理解を深められて、私も私自身の理解を深められるようなお話しができたらいいなと思います。どう話すといいのかは、解かんないんですけど(^^)。希望として。
解離性健忘についてお話したい方、他にもいらしたらその方達も交えてお話できたらいいなとも思っています。
長くなっちゃいました。それでは、また。
暑い日が続いています。ぺんさんも体を大切に過ごしてくださいね。
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■6194
/ inTopicNo.9)
Re[2]: 否認が集中して取れてきている時の不安定さ
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□投稿者/ さや
-(2007/08/12(Sun) 00:11:42)
なはぽんさん こんばんは。
なはぽんさんの物語をシェアしてくださってありがとうございます。
なはぽんさんは通り過ぎたんですね。
なはぽんさんの言う「広い草原」って表現は自分の状況にもぴったりなんです。
心地よい「草原」なんだけど、心細くて途方に暮れて立っている感じ。360度どこに進むのも自分で決めてよいことに戸惑っている。
以前いきなり「広場」に出てしまって戸惑っている感覚を持ったことがあったんです。その時は心細かったけど、まだ以前の見知ったパターンが広場を囲むように残っていました。
> 初めてここに来てから、親との実りの無い会話に泣き、怒り、
> ここに過去を吐き出し、親と対決し、かみ合わないことに怒り、
> 怒りの噴出がおさまってきて、諦観を得・・・
ここに書いてくださったことを、通り抜けて今のなはぽんさんが居るんですね。
> 「回復」した結果、何になることができるのか?
> 私の場合は、「私自身」にしか、なれませんでした。
回復した結果、「私自身」になれるなら嬉しいなぁと思いました。
私はずっと私自身=そのままの私、になりたかったんです。焦がれるくらい。今もです。それなのに「私自身」なるのがとても怖い。
あの両親に育てられずに成長した自分になりたかった時がありました。
悔しく悲しくかんじました。今は成長過程で負った傷も含めた「私自身」になれたらいいなと思っています。
「私自身」になるのが怖いのが、親が執拗に攻撃してきた私の性質の一部(好き嫌いがはっきりしていて、気が強く、荒い気性)を私が怖がっているのです。「こんな部分持っていたら、また誰かに精神を破壊される」って強く思い込んでるんです。(文字にしてみると、これあまりありえない思い込みに思いました。認知行動療法で取り組んでみようかな。きっかけ作ってくれて、なはぽんさんありがとうございます。)あと、こんな部分持っていてはいけなくて、持っていたらうまく生活していけるはずがないって思ってるんです。すこしずつ受け入れて、受け入れたうえで周りや社会と付き合っていきたいな。怖いんだけど、少しずつやっていきたい。周りとの人間関係に変化はおきるんだろうな。。。ちょっと憂鬱。
> 精神年齢は子供で、ACで、人と対するとき自分がすることはすべて迷惑なんじゃないかと思うような、勘繰りすぎ、気にしすぎの、自己評価の低いはなぽん本人でした。
なはぽんさんが見つけた、大切ななはぽんさんなのだろうなぁと思いました。
> そんなこんなで、はなぽんは、はなぽんとして生き始めたわけです。
> いまだに、いろいろ気にしすぎて、考えすぎて、行動にブレーキがかかってしまうのですが、「捨て身」の戦法で、えい!と飛び込むこともできるようになりました。そして、私を受け入れるかどうかは、相手に任せて、受け入れられなくても私は私、これ以上にもこれいかにもならないんだわ、と言い聞かせるようになっています。
>
> レスになっているでしょうか。でも、これは、はなぽんの物語なんですね。
> これ以上どうしようもありません。はははっ・・・お恥ずかしい限りです。
レスになってます(^^)とてもありがたいです。
なはぽんさん自身の物語を聞けて嬉しいし、参考にさせていただいてます。
少しずつやっていきますね!怖くてもいいや。
なはぽんさん、暑さが厳しいので体を大事に過ごしてくださいね。
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■6195
/ inTopicNo.10)
My name is
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□投稿者/ はなぽん
-(2007/08/12(Sun) 21:16:00)
2007/08/12(Sun) 21:25:13 編集(投稿者)
> 「私自身」になるのが怖いのが、親が執拗に攻撃してきた私の性質の一部(好き嫌いがはっきりしていて、気が強く、荒い気性)を私が怖がっているのです。「こんな部分持っていたら、また誰かに精神を破壊される」って強く思い込んでるんです。
私の中にも、負けず嫌いで頑固なところがあるのですが、やはり、親に、潰されてきました。でも、「気が強い」ことを賞賛される世界もあるんです。たとえば、武道の世界とか。礼儀だ、作法だ、と、うるさく言われますが、それは、「抑えきれない闘争心が殺気にならないように戒めるためにある」と、今の私は解釈しています。つまり、気の強さが無いと始まらないんです。以前の私?まったく闘えませんでした。試合に出ると、されるがままで・・・「強い人とは友達になれない」って、本気で思っていましたし。強い人は一クセ二クセあるのが当たり前。
今は闘えますよ。闘えるんだけど、気持ちが空回りして、戦術とか、作戦とか、冷静に考えるべきところまで手が回りません。子育てでかなりお休みしているのですが、いつかまたやりたいです。今度こそ、余計なことを考えずに、楽しめると思うのです。
引用返信
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■6199
/ inTopicNo.11)
Re[4]: My name is
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□投稿者/ さや
-(2007/08/14(Tue) 21:49:12)
なはぽんさん こんばんは
> 私の中にも、負けず嫌いで頑固なところがあるのですが、やはり、親に、潰されてきました。
なはぽんさんも、潰されてきた性格をもっているんですね。
私は、性格の一部が潰されてきたことを思い返すと今も悲しくなります。自分が否定されていることだと感じるんです。
>でも、「気が強い」ことを賞賛される世界もあるんです。たとえば、武道の世界とか。礼儀だ、作法だ、と、うるさく言われますが、それは、「抑えきれない闘争心が殺気にならないように戒めるためにある」と、今の私は解釈しています。つまり、気の強さが無いと始まらないんです。以前の私?まったく闘えませんでした。試合に出ると、されるがままで・・・「強い人とは友達になれない」って、本気で思っていましたし。強い人は一クセ二クセあるのが当たり前。
>
気が強いことを賞賛される世界もある。
そういう世界があることを知ると不思議に心が落ち着きます。
自分(の性質)が受け入れられる世界を持つのってかもしれないと思いました。
礼儀・作法=「抑えきれない闘争心が殺気にならないように戒めるためにある」
考えさせられます。ある人から聞いた、「(嫌いな人と境界線を引くためにも)礼儀正しく付き合う」という言葉を思い出しました。私この言葉好きなんです。
> 今は闘えますよ。闘えるんだけど、気持ちが空回りして、戦術とか、作戦とか、冷静に考えるべきところまで手が回りません。子育てでかなりお休みしているのですが、いつかまたやりたいです。今度こそ、余計なことを考えずに、楽しめると思うのです。
闘えるってなんかいいですね。武道の再開楽しみですね!
自分の性質を(両親のように)潰すんじゃなく、受け入れて+合う場所を生活の範囲の中に入れたりして、付き合っていきたいなと思いました。
私、クラッシック好きなんです。それぞれの楽器(奏者?)がその個性を活かして主張しつつ全体としてまとまって曲になっているような感じがするんです。
引用返信
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