1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■5629 / inTopicNo.1)  坂を転げて。(フラバ注意)
  
□投稿者/ こくーん -(2007/03/18(Sun) 01:06:17)
    2007/03/18(Sun) 06:08:14 編集(投稿者)

    こんにちは。こくーんです。
    はじめまして、の方もたくさん見えるのでしょうね。
    今日(正確にはもう昨日ですね)久しぶりにこちらに戻って参りました。
    パソコンの故障が主な原因でこちらをしばらく遠ざかっていました。
    先ほど、以前の自分の書き込みを読みました。
    (これが自分?)
    そんな気持ちになりました。私、こんなに自分の意見を語ってたんだ…って。
    この数ヶ月の間に、私は坂を転げ落ちてしまったみたいです。
    2年近い時間をかけて登っていった坂を。

    『母』という生き物に、また絡めとられてしまいました。
    私が悪いのです。お金の管理に失敗し、年末に奨学金の返済金が足りなくなって
    しまいました。悩みに悩んだ末、母に援助を求めました。
    私が頼んだ金額は5万円だったのですが、通帳にはその10倍の金額が入金されて
    きました。
    「お金がない苦しさはお母さんが一番知っています。好きなことに使いなさい」
    そう、メールが届きました。
    私は「こんなことはしないで欲しい」とメールを返しましたが、結局そのお金を
    受け取ってしまいました。
    さらに年が押し迫った頃、母からメールが入りました。
    「年賀状をパソコンで作りたいけれど、わからないから教えて欲しい」
    お金をもらったから、それに応じる…というのは私は嫌でした。お金は半年後に
    ちゃんと返す、と母には伝えました。だから、それはそれ、これはこれ、として
    欲しかったのです。
    そうしたら、大晦日。何通目かのメールでした。
    「お母さんがパソコンで困っているのを見るのは、さぞ面白いでしょうね」
    そう、書かれていました。
    このメールに、私の心は乱れました。私の中には母への怒り、恐れがあります。
    でも、それは、母が困るのを望んだり、ましてやそれを見て笑ったり、という類の
    ものでは決してない。
    私はそんな人間じゃない!!
    身勝手かもしれないですが、母にそう思われたことが悔しくて、悲しくて、泣きました。
    …そして、母に電話をしてしまいました。

    …そして、また、母との『共依存』に陥ってしまいました。
    母は娘が戻ってきた、と満足げです。
    『元の鞘に納まった』とでもいうのでしょうか。悔しいけれど、私の中には確かに
    安堵感があります。でも、同時に恐怖感も強いのです。母が怖い。

    全部元通りです。
    そのせいか、過食嘔吐が1月から続き、胃炎を起こしてしまいました。
    近場の病院は診療時間を終えていて、結局母に助けを求めてしまいました。

    私の羅針盤は狂って、ぐるぐる回り続けています。

    長くなってしまいました。読んでくださった方、ありがとうございます。
    とりとめもない書き込みになってしまって、ごめんなさい。
引用返信 削除キー/
■5630 / inTopicNo.2)  初めまして。ですかね?
□投稿者/ HO -(2007/03/18(Sun) 02:45:11)
    こくーんさんの書き込みは以前から読ませていただいていました。
    整然とした文章を書く方だなぁ。という印象を強く持っていたので、初めましてだっけか?と思ってこんなタイトルです。
    ここに書き込むのは慣れないもので、失礼があったら言ってやってください。

    読ませてもらって思ったことなんですが
    「それはそれ、これはこれ、として欲しかった。」
    「私の中には母への怒り、恐れがあります。
    でも、それは、母が困るのを望んだり、ましてやそれを見て笑ったり、という類の
    ものでは決してない。」
    この気持ちをお母さんに伝えることはできたのかなぁ?ってことでした(引用しちゃって失礼しました)
    こくーんさんが上に書いたことを「これこれこういうこと。ってちゃんと言ってるじゃん」、「きちんとケジメはつけてるじゃん」、って思えたらもっと楽になれるかなぁと思いまして。
    こくーんさんの事情を知らずに言ってるので失礼かもしれませんが・・汗

    あともうひとつ。
    僕は最近、「絶対に成長してる。失敗しても、気分が落ち込んでも、耐え難い寂しさに襲われても、怒りが抑えられなくなっても、一歩一歩絶対に進んでる。」
    って言い聞かせてます。実際にそうだとも思うのです。
    だからこくーんさんも、こういう類の言葉が肌に合いそうだったら自分に言い聞かせてあげてくださいね。
    そしてお母さんと共依存でも、元に戻ったと感じていても、そんな自分を認めてあげてください。

    とりとめも無い文章じゃないですよ。やっぱり読みやすくて整然としてると思います。
    こちらこそよく分からない文章で、失礼があったらごめんなさい。

    元通りって気持ちと闘うことと、自分を認めることが最近のメインテーマなので、レスさせてもらいました。
引用返信 削除キー/
■5633 / inTopicNo.3)  Re[2]: 初めまして。ですかね?
□投稿者/ こくーん -(2007/03/18(Sun) 06:34:19)
    2007/03/18(Sun) 06:39:46 編集(投稿者)
    2007/03/18(Sun) 06:38:38 編集(投稿者)

    HOさん、おはようございますv
    こうしてお返事をいただくのは、初めまして、のような気がします。
    ありがとうございます。

    > この気持ちをお母さんに伝えることはできたのかなぁ?ってことでした(引用しちゃって失礼しました)
    > こくーんさんが上に書いたことを「これこれこういうこと。ってちゃんと言ってるじゃん」、「きちんとケジメはつけてるじゃん」、って思えたらもっと楽になれるかなぁと思いまして。
    > こくーんさんの事情を知らずに言ってるので失礼かもしれませんが・・汗

    ちゃんとその辺りが書けていませんでした。ごめんなさい。
    自分の考えや思いはある程度言える親子関係です。
    ただ『ある程度』というのがクセモノで、私の母はわかったフリをして受け流す
    タイプなんですね。そこで、私がさらに踏み込もうとすると、総攻撃モードに
    なるか、『お母さんが全部何もかも悪かったってことでしょう?』と居直るか
    どちらかになってしまうので、怖くて踏み込めない…というのが現状でしょうか。
    今回のパソコンの件を例にとってみても、こちらが、
    「今は会える状況じゃないから手伝えないだけで、お母さんが困っているのを
    笑ってるなんてことはないよ」
    と泣きながら電話をしてしまったのですが、
    「メールしたときは、もうパソコンがわからなくてどうしようもなかったんだもの」
    という、こちらの言い分が通じているかどうかわからない返答の一点張りでした(苦笑)。

    > あともうひとつ。
    > 僕は最近、「絶対に成長してる。失敗しても、気分が落ち込んでも、耐え難い寂しさに襲われても、怒りが抑えられなくなっても、一歩一歩絶対に進んでる。」
    > って言い聞かせてます。実際にそうだとも思うのです。
    > だからこくーんさんも、こういう類の言葉が肌に合いそうだったら自分に言い聞かせてあげてくださいね。
    > そしてお母さんと共依存でも、元に戻ったと感じていても、そんな自分を認めてあげてください。

    一時期は毎日アファメーションをしていたのですが、アファメーションを受け入れ
    られなくなっていた…というか、アファメーションをすると、心の中から反アファ
    メーション的フレーズが浮かんできてしまって、続けられなくなっています。
    自分を認めて、受け入れることが大事だって、わかってきていたはずなのに。
    情けないですけれど、こうしてHOさんに言ってもらって、やっと受け入れられるような
    感じです。
    ここのところずっと自分を責めてばかりいて、自分で自分からどんどん力を奪って
    いたと思います。そうして弱っていく自分を望んでいる自分が多分、います。
    HOさん、ありがとうございます。
    転げ落ちちゃった道でも、一度通った道は前よりは登りやすくなっているかもしれない
    ですよね。
    勇気を持って、また登っていくしかないですよね。自分のために。
    力強い書き込みをありがとうございました。

    (久しぶりの書き込みで『フラバ注意』と書くのを忘れていましたので、
     今回書き加えさせていただきました。私の不注意で内容により不快な
     思いをされた方が見えましたら、本当に申し訳ありません)

引用返信 削除キー/
■5635 / inTopicNo.4)  Re[1]: 坂を転げて。(フラバ注意)
□投稿者/ ぺん -(2007/03/18(Sun) 23:07:42)
    No5629に返信(こくーんさんの記事)

    こくーんさん、何度もお邪魔してすみません。ぺんです。
    こくーんさんの今の苦しみを目にして、居ても立ってもいられない気持ちになってしまったので、
    書き込ませて頂きます。

    >「お母さんがパソコンで困っているのを見るのは、さぞ面白いでしょうね。」

    この言葉、絶句しました。
    親からこんな心ない言葉を投げつけられて、動揺しない子供はいないと思います。
    こくーんさんが、あまりにもかわいそうです。あまりにもかわいそうで、私は泣いてしまいました。

    しかも、意識してか無意識かはわかりませんが、明らかにこれは、
    お母様がこくーんさんを自分の支配下に置いておくことを狙っての言動としか、私には思えません。

    正直私は、こくーんさんのお母様という人が怖いです。
    なんでこんな手の込んだねちっこいことを‥‥。その業の深さはどこから来るものなんだろう?
    それに振り回されて、心を痛め続けていらっしゃるこくーんさんが、気の毒すぎて見ていられません。
    「見えない暴力」をさんざん受けて、こくーんさんボロボロになっていらっしゃるんですね。


    私も以前、大きな手術をするために、どうしても親から生活の援助を受けなければならない状況になったことがあって。
    親からしてみれば「してあげた」ことによって、自分たちから離れようとしていた私が手元に戻ってくるはずだと思ったんでしょう、今思えば、身代金のようなものでした。

    でも「お金は下さい。でも絶対あなたたちの元には戻りたくない。」という私の意思を
    両親が理解するはずもなく、私は自殺を図るところまで追いつめられました。
    父にそのとき言われた言葉は、あまりにもショックが大きすぎたため、
    記憶の底に封印されていて、今はもう思い出せません。

    ただ、いとこのお姉ちゃんが、その父の言葉を聞いて「○○(私)がかわいそうや」とたくさん泣いてくれたそうです。
    そのときのお姉ちゃんと同じ気持ちが、私は今、こくーんさんに対してしています。


    > この数ヶ月の間に、私は坂を転げ落ちてしまったみたいです。
    > 2年近い時間をかけて登っていった坂を。

    たしかに今、とても苦しい状態に置かれていらっしゃるのだと思います。
    生きていれば、色んな波がやってきて、それに呑み込まれることがあるのも当然のことです。
    同じ失敗繰り返して落ち込むことだって、そらあります。当たり前です。

    でも、こくーんさんが2年近い時間をかけて登っていった坂が、その経験が
    今のこくーんさんを支えてくれるときが、そのうちやって来ると思うよ。
    何にも事情を知らないくせにと思うけどでも、それは私にも断言できる。


引用返信 削除キー/
■5637 / inTopicNo.5)  Re[3]: 初めまして。ですかね?
□投稿者/ HO -(2007/03/18(Sun) 23:45:54)
    > 自分の考えや思いはある程度言える親子関係です。
    > ただ『ある程度』というのがクセモノで、私の母はわかったフリをして受け流す
    > タイプなんですね。そこで、私がさらに踏み込もうとすると、総攻撃モードに
    > なるか、『お母さんが全部何もかも悪かったってことでしょう?』と居直るか
    > どちらかになってしまうので、怖くて踏み込めない…というのが現状でしょうか。
    > 今回のパソコンの件を例にとってみても、こちらが、
    > 「今は会える状況じゃないから手伝えないだけで、お母さんが困っているのを
    > 笑ってるなんてことはないよ」
    > と泣きながら電話をしてしまったのですが、
    > 「メールしたときは、もうパソコンがわからなくてどうしようもなかったんだもの」
    > という、こちらの言い分が通じているかどうかわからない返答の一点張りでした(苦笑)。
    ふむーん・・。って感じですね。とても難しい状況のようで、やっぱりズレたこと言ってたみたいで・・すいません。
    僕も人との関係の中で、「あとは相手の対応次第」ってことなのに過剰に自分を責めちゃうことがあります。絶対責める必要なんてないって分かってるのに。
    関係性っていうのは陳腐な表現を使えばキャッチボールで成り立つものだってことに最近気付き始めてます。「そのボールはいくらなんでも捕れねぇよ。」っていうのは「もう自分は投げちゃって手放してるから、あとはお前次第なんだよ。」って思って納得させてます。伝わるでしょうか・・汗


    > 一時期は毎日アファメーションをしていたのですが、アファメーションを受け入れ
    > られなくなっていた…というか、アファメーションをすると、心の中から反アファ
    > メーション的フレーズが浮かんできてしまって、続けられなくなっています。
    > 自分を認めて、受け入れることが大事だって、わかってきていたはずなのに。
    > 情けないですけれど、こうしてHOさんに言ってもらって、やっと受け入れられるような
    > 感じです。

    僕もそういうタイプでした。もっとはっきり言っちゃえば、「アファメーションなんて気持ち悪い。そんなのが頭の片隅にでもあるんだったら今こんな惨めな気持ちになってないわ。」って思ってました。
    人を励ましたり、自分が励まされていく中で、自分を認める言葉が根付いてきて最近ようやくできるようになったなぁ。って感じです。
    今だって何かあったらすぐに自分を罵る言葉が山と浮かんできます。
    だからアファメーションができないのは全然情けなくなんかないと思います。


    > ここのところずっと自分を責めてばかりいて、自分で自分からどんどん力を奪って
    > いたと思います。そうして弱っていく自分を望んでいる自分が多分、います。
    > HOさん、ありがとうございます。
    > 転げ落ちちゃった道でも、一度通った道は前よりは登りやすくなっているかもしれない
    > ですよね。
    > 勇気を持って、また登っていくしかないですよね。自分のために。

    ある宗教の勧誘に来た方と2時間くらい話をしたことがあるんです。
    彼らにとって神の存在とはどういうものなのか聞きたくて。本くれるからってのもあるんですがw
    彼らは「私は、神が自分を気にかけてくれ、愛してくれていることを知っています。」と当然のように言うんです。
    ここに僕はアファメーションの真髄を見た気がしました。
    彼らにとっては、自分が認められてるのは当然のことで、あとはそれを知るかどうかだけなんです。
    もうなんでもありかよって最初は思ったんですが、自分自身のためにとって、と考えてみたらこれは大正解なんだなぁ。って思ったんですね。
    それから僕は「死刑囚でさえも神にすがり、自分を受け入れ、死の恐怖を受け入れようとする。自分の中で、無限に自分を許し、認め、大きなものに包まれる。それは誰からも責められることじゃないし、誰にも侵すことのできない聖域なんだ。」
    って言い聞かせてアファメーションを続けてきました。

    弱っていく自分を望んでるこくーんさんも、自分を責めるこくーんさんも、勇気を出そうとしているこくーんさんも全部丸ごと、ルール無用で認められて良い存在なんだって僕は思います。

    > 力強い書き込みをありがとうございました。

    どういたしまして。プレッシャー与えたり、おせっかいなアドバイスになってなきゃいいのですが・・。
    長文乱文ですみませんでした。それでは、また。

引用返信 削除キー/
■5638 / inTopicNo.6)  Re[2]: 坂を転げて。(フラバ注意)
□投稿者/ こくーん -(2007/03/19(Mon) 00:13:05)
    (フラバ注意)

    ぺんさん、こんばんはv
    ありがとうございます。お返事うれしいです。

    > この言葉、絶句しました。
    > 親からこんな心ない言葉を投げつけられて、動揺しない子供はいないと思います。
    > しかも、意識してか無意識かはわかりませんが、明らかにこれは、
    > お母様がこくーんさんを自分の支配下に置いておくことを狙っての言動としか、私には思えません。
    > 正直私は、こくーんさんのお母様という人が怖いです。

    私の母は周りの人には、面倒見が良くて、優しくて…というような『いい人』と
    思われています。私も母のそういった部分が偽りだとは思いません。
    でも母のある一線を越えたとき…身内にしか多分見せない一面だと思うのですが、
    怖い言動に走るところがあります。
    そして、子供の頃の何らかの体験が原因なのかもしれませんが、私の中には理屈抜
    きに母への恐れがあります。これは比較的最近気づいたことです。
    機嫌の良い母と接していても、心の奥でビクビクおびえている自分がいます。
    それでいて、母に甘えたい、助けて欲しいと思っている自分も同時にいて、混乱し
    ているのが現状です。


    > 私も以前、大きな手術をするために、どうしても親から生活の援助を受けなければならない状況になったことがあって。
    > 親からしてみれば「してあげた」ことによって、自分たちから離れようとしていた私が手元に戻ってくるはずだと思ったんでしょう、今思えば、身代金のようなものでした。
    >
    > でも「お金は下さい。でも絶対あなたたちの元には戻りたくない。」という私の意思を
    > 両親が理解するはずもなく、私は自殺を図るところまで追いつめられました。
    > 父にそのとき言われた言葉は、あまりにもショックが大きすぎたため、
    > 記憶の底に封印されていて、今はもう思い出せません。
    >
    > ただ、いとこのお姉ちゃんが、その父の言葉を聞いて「○○(私)がかわいそうや」とたくさん泣いてくれたそうです。
    > そのときのお姉ちゃんと同じ気持ちが、私は今、こくーんさんに対してしています。

    ぺんさん…辛い体験をなさったのですね。
    親なのだから、「してあげた」のだから、子供に干渉する権利がある、と上から
    見下ろされるのは、囚われるのは、生きる意味を失われるのに等しいです。

    > たしかに今、とても苦しい状態に置かれていらっしゃるのだと思います。
    > 生きていれば、色んな波がやってきて、それに呑み込まれることがあるのも当然のことです。
    > 同じ失敗繰り返して落ち込むことだって、そらあります。当たり前です。
    >
    > でも、こくーんさんが2年近い時間をかけて登っていった坂が、その経験が
    > 今のこくーんさんを支えてくれるときが、そのうちやって来ると思うよ。
    > 何にも事情を知らないくせにと思うけどでも、それは私にも断言できる。

    ぺんさん、ありがとう。
    今、何もかもが怖くて、…死んでしまいたい気持ちになっていました。
    弟に暴力を振るわれていたときとかに思った、明確な理由のある願望ではなくて、
    ただただ、もう消えてしまいたいような気持ちに。
    どこに行ったらいいのかもわからなくて、何も見えなくて、さまようだけなら、
    もういい…。そんな気持ちです。

    今日は気持ちが乱れていて、小さい子のようにわめいて泣いたり、かと思うと、
    その小さい子を守るような気持ちになったり…してました。
    そういえば、小さい頃、1人になるともう1人別の自分に話しかけてました。
    もう1人の自分は私より客観的に物事を見ていて、強いのです。
    その自分が、
    『大丈夫。ちゃんと守ってあげるから。泣かなくていいよ』
    と言いました。
    それで、ちょっと落ち着いたのですが…これっておかしいことでしょうか?
    (すみません。わかりにくいことを問いかけていますよね。)

    話がずれてしまいましたが、そして落ち着いてきて、ぺんさんのお返事を拝見して
    力強さと温かさを感じています。本当に感謝です。
    月曜(もう今日ですね)は1週間と2日ぶりの出勤です。
    勇気を出して、行ってきます。


引用返信 削除キー/
■5639 / inTopicNo.7)  Re[4]: 初めまして。ですかね?
□投稿者/ こくーん -(2007/03/19(Mon) 00:52:22)
    HOさん、ありがとうございますv

    > 関係性っていうのは陳腐な表現を使えばキャッチボールで成り立つものだってことに最近気付き始めてます。「そのボールはいくらなんでも捕れねぇよ。」っていうのは「もう自分は投げちゃって手放してるから、あとはお前次第なんだよ。」って思って納得させてます。伝わるでしょうか・・汗

    まさに『手放す』ということですね。
    多分、私はそれがとても苦手です。自分の力の及ばない領域に捕らわれ、やきもき
    したり、イライラしたり…職場でも、自分と合わない人の言動に振り回されて、
    必要のないストレスを抱えていました。
    (そうじゃないでしょ?こう投げたんだから、こう返すんでしょう?)
    みたいな感じです。
    母との関係は多分もっと膠着した状態なのだと思います。
    父が不在だった家庭の中で、私は母の言動にアンテナを張り巡らせて、言われる前に
    母が何を望み、私は何を捧げれば安全なのか、ということを考えていたので。


    > 僕もそういうタイプでした。もっとはっきり言っちゃえば、「アファメーションなんて気持ち悪い。そんなのが頭の片隅にでもあるんだったら今こんな惨めな気持ちになってないわ。」って思ってました。
    > 人を励ましたり、自分が励まされていく中で、自分を認める言葉が根付いてきて最近ようやくできるようになったなぁ。って感じです。
    > 今だって何かあったらすぐに自分を罵る言葉が山と浮かんできます。
    > だからアファメーションができないのは全然情けなくなんかないと思います。

    人を励ましたり、自分が励まされていく中で…というところが、素敵ですね。
    人との関係をいい形で築いていかれているのでしょうね。
    私は今、人が怖いけれど、それは自分次第だということを理解しているつもりです。
    それを行動に転化させて、HOさんのようにできたらいいな…と思いました。

    > 彼らは「私は、神が自分を気にかけてくれ、愛してくれていることを知っています。」と当然のように言うんです。
    > ここに僕はアファメーションの真髄を見た気がしました。
    > 彼らにとっては、自分が認められてるのは当然のことで、あとはそれを知るかどうかだけなんです。
    > もうなんでもありかよって最初は思ったんですが、自分自身のためにとって、と考えてみたらこれは大正解なんだなぁ。って思ったんですね。
    > それから僕は「死刑囚でさえも神にすがり、自分を受け入れ、死の恐怖を受け入れようとする。自分の中で、無限に自分を許し、認め、大きなものに包まれる。それは誰からも責められることじゃないし、誰にも侵すことのできない聖域なんだ。」
    > って言い聞かせてアファメーションを続けてきました。

    大きな気付きですね。周りの状況に揺す振られ、更に自分を自分でざくざくと切り
    刻むようなことをしている私には、ここにHOさんが書かれているものに対して、
    『揺るぎのない大きなもの』を感じます。


    > 弱っていく自分を望んでるこくーんさんも、自分を責めるこくーんさんも、勇気を出そうとしているこくーんさんも全部丸ごと、ルール無用で認められて良い存在なんだって僕は思います。

    私の頭の中には『自分』がいっぱいいて、『自分』だけで定員オーバーで、他人を
    迎え入れる余裕がないように感じています。
    そして『ダメ自分』を消し去りたくて…もしくは、いっそのこと『ダメ自分』だけ
    になってしまって、ラクになりたい…と思っています。
    ルール無用で認められて良い、という言葉で、この『自分』が安心したのを感じます。
    このせめぎあいは簡単には終わらないとは思いますが、この言葉を覚えておきたい
    と思います。


    > どういたしまして。プレッシャー与えたり、おせっかいなアドバイスになってなきゃいいのですが・・。
    > 長文乱文ですみませんでした。それでは、また。

    とんでもないです。とても感謝しています。
    こちらこそ、見当違いの返答をしていたらごめんなさい。
    ありがとうございました。

引用返信 削除キー/
■5646 / inTopicNo.8)  Re[3]: 坂を転げて。(フラバ注意)
□投稿者/ ぺん -(2007/03/19(Mon) 20:50:14)
    No5638に返信(こくーんさんの記事)
    > (フラバ注意)

    こくーんさん、こんばんは。お帰りなさい。
    久しぶりの出勤、本当にお疲れさまでした。
    初日はどんな感じでした?


    > 私の母は周りの人には、面倒見が良くて、優しくて…というような『いい人』と
    > 思われています。私も母のそういった部分が偽りだとは思いません。
    > でも母のある一線を越えたとき…身内にしか多分見せない一面だと思うのですが、
    > 怖い言動に走るところがあります。
    > そして、子供の頃の何らかの体験が原因なのかもしれませんが、私の中には理屈抜
    > きに母への恐れがあります。これは比較的最近気づいたことです。
    > 機嫌の良い母と接していても、心の奥でビクビクおびえている自分がいます。
    > それでいて、母に甘えたい、助けて欲しいと思っている自分も同時にいて、混乱し
    > ているのが現状です。

    私はなぜか、以前からこくーんさんのお母様の話になると、感情的になって
    激しい思い込みで話をしてしまっていました。そんな自分に気がつきました。
    ご本人と直接お話したこともないのに‥‥。とても失礼なことを言ってしまったこと、反省しています。
    こくーんさん、そしてお母さん、ごめんなさい。

    そしてそのことから、私の中に今まで気付かなかった深い課題があったことに、今日気がついたところです。
    それはこくーんさんの感じていらっしゃる「理屈抜きの恐れ」と相通じる所があるようにも思います。

    こんなとこでお礼を言うのも変かも知れませんが、
    こくーんさん、私と話をしてくださって本当にありがとう、と言いたいです。


    > 親なのだから、「してあげた」のだから、子供に干渉する権利がある、と上から
    > 見下ろされるのは、囚われるのは、生きる意味を失われるのに等しいです。

    > 今、何もかもが怖くて、…死んでしまいたい気持ちになっていました。
    > 弟に暴力を振るわれていたときとかに思った、明確な理由のある願望ではなくて、
    > ただただ、もう消えてしまいたいような気持ちに。
    > どこに行ったらいいのかもわからなくて、何も見えなくて、さまようだけなら、
    > もういい…。そんな気持ちです。

    ああ、こくーんさんはほんとに今の本心を語ってくれているんだろうな、と思いました。
    掛ける言葉が見つからないのが辛いけど‥‥。
    (これはただの私のワガママな気持ちだけど、こくーんさんがそんな形で本当に消えちゃったりしたら
    私、絶対いやだ。)

    > 今日は気持ちが乱れていて、小さい子のようにわめいて泣いたり、かと思うと、
    > その小さい子を守るような気持ちになったり…してました。
    > そういえば、小さい頃、1人になるともう1人別の自分に話しかけてました。
    > もう1人の自分は私より客観的に物事を見ていて、強いのです。
    > その自分が、
    > 『大丈夫。ちゃんと守ってあげるから。泣かなくていいよ』
    > と言いました。
    > それで、ちょっと落ち着いたのですが…これっておかしいことでしょうか?
    > (すみません。わかりにくいことを問いかけていますよね。)

    おかしいかどうかより、それはとてもすてきなことだな、と私個人は思いました。
    そんな「もう一人の自分」がいてくれて、本当によかったですね。
    それに、私にはそれがとても「こくーんさんらしいな」という感じがします。

    ちなみに、だいぶ違う種類のような気がしますが、私にもいますよ「もう一人のぺんちゃん」。
    目端の効かない乳くさい感じの子ですが、なんかいっつもいっしょうけんめい私のこと励ましてくれます。
    (それこそ、おかしなヤツなんじゃ‥‥どきどき)

    私の好きな歌の歌詞に「人は本当の孤独を知った時に孤独じゃなくなる」というのがあります。
    いつでもどんな時でも自分の傍にいてくれる「自分」の存在に気がつくからじゃないかな、って
    私は勝手に思っています。

    こくーんさん、これからもいろいろお話してください。
    ゆっくりと健康を取り戻されること、心からお祈りしています。


引用返信 削除キー/
■5647 / inTopicNo.9)  Re[4]: 坂を転げて。(フラバ注意)
□投稿者/ こくーん -(2007/03/19(Mon) 23:41:35)
    ぺんさん、ただいまですv

    出勤する前に気持ちが萎えそうで、言いっぱなしにえいっと書き込んで気持ちを
    切り替えました。このまま仕事に行けなくなるのではないかという心配が大きかっ
    たのですが、今日を無事終えて、なんとかいけそうです。
    上司に対してとか、ぎこちない感じにはなっていますが、少しずつ元に戻れると
    思います。
    ちゃんと働けると思います。大丈夫だと思います。
    ご心配おかけしました。


    > 私はなぜか、以前からこくーんさんのお母様の話になると、感情的になって
    > 激しい思い込みで話をしてしまっていました。そんな自分に気がつきました。
    > ご本人と直接お話したこともないのに‥‥。とても失礼なことを言ってしまったこと、反省しています。
    > こくーんさん、そしてお母さん、ごめんなさい。

    いいえ、気にしないで下さいね。
    本当は母に怒りがあるのならば、私が母に怒ることが正当なのだと思います。
    でも、私は怯えて、オブラートに包むような、母に思惑に流されそうになりながら
    の表現しかできないのです。
    だから、正直なところ、ぺんさんが私の怒りや不安に呼応してくださったことは、
    救いになりました。
    そこに立ち止まらず、そこから前へ進むこと、進む勇気を持つこと…が私の課題だ
    ろうと思います。

    > そしてそのことから、私の中に今まで気付かなかった深い課題があったことに、今日気がついたところです。
    > それはこくーんさんの感じていらっしゃる「理屈抜きの恐れ」と相通じる所があるようにも思います。
    > こんなとこでお礼を言うのも変かも知れませんが、
    > こくーんさん、私と話をしてくださって本当にありがとう、と言いたいです。

    こちらこそ。とても感謝しています。ありがとうございます。

    > ああ、こくーんさんはほんとに今の本心を語ってくれているんだろうな、と思いました。
    > 掛ける言葉が見つからないのが辛いけど‥‥。
    > (これはただの私のワガママな気持ちだけど、こくーんさんがそんな形で本当に消えちゃったりしたら
    > 私、絶対いやだ。)

    孤独感と絶望感、不安感…そういった感情に押しつぶされそうになって、でも、
    助けを求める相手もいなくて、どうして自分はそうなんだろう、自分には誰も
    いないんだろう…って思っていました。
    ぺんさんのお気持ちに値するような私じゃないかもしれないけれど、ぺんさんの
    お気持ち、とてもうれしいです。


    > おかしいかどうかより、それはとてもすてきなことだな、と私個人は思いました。
    > そんな「もう一人の自分」がいてくれて、本当によかったですね。
    > それに、私にはそれがとても「こくーんさんらしいな」という感じがします。
    >
    > ちなみに、だいぶ違う種類のような気がしますが、私にもいますよ「もう一人のぺんちゃん」。
    > 目端の効かない乳くさい感じの子ですが、なんかいっつもいっしょうけんめい私のこと励ましてくれます。
    > (それこそ、おかしなヤツなんじゃ‥‥どきどき)

    「もう一人のぺんちゃん」可愛いですねv
    ぺんさんのことが大好きな大好きな子なんでしょうねvv
    「もう一人のこくーん」(他にもいる気がしますが…)はちょっと怖い子で、
    『ああ、そんな怖い顔しちゃダメだよ』と鏡を見て、修正しながら、でも、
    その子のお陰で外に出られた今日でした。

    > 私の好きな歌の歌詞に「人は本当の孤独を知った時に孤独じゃなくなる」というのがあります。
    > いつでもどんな時でも自分の傍にいてくれる「自分」の存在に気がつくからじゃないかな、って
    > 私は勝手に思っています。

    「人」に過剰に求めるのではなくて、自分を決して見捨てない「自分自身」の存在。
    大切なのはそれかもしれないですね。

    > こくーんさん、これからもいろいろお話してください。
    > ゆっくりと健康を取り戻されること、心からお祈りしています。

    よろしくお願いします。
    ぺんさんも、お身体にはお気をつけ下さいね。
引用返信 削除キー/
■5665 / inTopicNo.10)  今日はいかがでしたか?
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2007/03/22(Thu) 23:05:26)
    2007/03/22(Thu) 23:08:06 編集(投稿者)

     こくーんさん、今日はいかがでしたか?

     昨日は、お休みでしたか?


     ようやく、暖かくなってくるようですね。(北日本は、まだまだでしょうが・・・・)

     我が家の生垣には、ユキヤナギとレンギョウが隣り合って生えているところがあるんですが、勢いが出てきましたよ、咲き方に・・・・。 ユキヤナギの黄緑色の葉っぱに白い小さい花と、レンギョウの真っ黄色で、目を奪われるようです。

     おとつい、こちらの小さい城跡の公園の中を通ったんですが、1本、山桜の仲間と思える小ぶりの花の桜が、5分咲きから7分咲きぐらいに咲いていました。
     もう、ほどなく次々に開花宣言が続くのでしょうが、ほんとうに待ち遠しいですね、今年は。
     私は、3月の半ばの生まれですから、早春の時期は好きなんですが、今年は、一際待ち遠しいですね。 この間の寒の戻りが厳しかったですからね。・・・・・

     こくーんさんには、この時期は辛い時期なんですね、花粉でね。 今年は飛び始めが早かったし、寒の戻りで、一層、期間が延びるのではないのでしょうか?

     今年は、ダブルパンチになったんですね。

     花粉の方も含めて、今日は、いかがでしたか?

引用返信 削除キー/
■5668 / inTopicNo.11)  Re[2]: 今日はいかがでしたか?
□投稿者/ こくーん -(2007/03/23(Fri) 01:09:09)
    2007/03/23(Fri) 01:10:53 編集(投稿者)

    SILVER7さん、こんばんはv

    私の仕事は祝日は関係ないので、昨日は出勤でした。
    あと1日働けば、土日はお休みです。
    まだ胃炎が治っていなくて、痛む胃を抱えながらの勤務ですが、
    仕事に没頭してしまえば、なんとか最後までもつようです。

    でも、恥ずかしながら『仕事に行きたくないよう』とジタバタごねる
    自分がいて、別の自分は『どうして行きたくないんだろう』と懸命に
    考えているのですが、理由がわからないのです。
    世の中には活き活きと働いている人もいるのに、私はどうしてこんなに
    仕事をしたくないんだろう…?
    今の職場は多分恵まれていて、仕事自体は嫌いではないのに…。
    そんなことを考えていました。


    >  ようやく、暖かくなってくるようですね。(北日本は、まだまだでしょうが・・・・)
    >
    >  我が家の生垣には、ユキヤナギとレンギョウが隣り合って生えているところがあるんですが、勢いが出てきましたよ、咲き方に・・・・。 ユキヤナギの黄緑色の葉っぱに白い小さい花と、レンギョウの真っ黄色で、目を奪われるようです。
    >  おとつい、こちらの小さい城跡の公園の中を通ったんですが、1本、山桜の仲間と思える小ぶりの花の桜が、5分咲きから7分咲きぐらいに咲いていました。
    >  もう、ほどなく次々に開花宣言が続くのでしょうが、ほんとうに待ち遠しいですね、今年は。
    >  私は、3月の半ばの生まれですから、早春の時期は好きなんですが、今年は、一際待ち遠しいですね。 この間の寒の戻りが厳しかったですからね。・・・・・

    この2、3日は日中暖かかったです。
    私の住んでいるところは決して都会ではないのですが、駅が近いこともあり、
    周りはマンションや大型スーパーなどが立ち並び、植物が少ないです。
    今日は郵便局までちょっと歩いたのですが、郵便局のそばに、道に張り出す
    ほどの桜の木がありました。
    近づいて見ますと、うっすらとピンク色が。
    このまま暖かくなれば、勢いよく色づくのでしょうね。今週末は雨のようなので、
    週明けくらいには咲き始めるかもしれません。

    子供の頃住んでいたところは、自然がいっぱいで(その分、花粉症もすごかった
    のですが…笑)、梅、桃、桜はもちろん、柘榴、桑の実、あけびに木苺…などを
    学校帰りにつまんで食べたり、草で遊んだり、夜には蛍を見、セミを虫かごいっ
    ぱいにし、時にはカブトムシにクワガタを捕まえる…なんていう野性味溢れる(?)
    1年を過ごしていました。
    夜は星が数え切れないほど瞬いて、『オリオン座』の観察の宿題が出たときには、
    どれがオリオン座かわからなくて困った覚えがあります。
    今にして思うと、貴重な経験をしてきたのかもしれません。


    >  こくーんさんには、この時期は辛い時期なんですね、花粉でね。 今年は飛び始めが早かったし、寒の戻りで、一層、期間が延びるのではないのでしょうか?
    >  今年は、ダブルパンチになったんですね。
    >  花粉の方も含めて、今日は、いかがでしたか?

    SILVER7さん、わかっているんです。
    辛いこと、嫌なことばかりじゃなかったって。
    今だってそう。幸せなこと、恵まれていること…ちゃんと、あるって。
    なのに、私はどうしてそれをちゃんと受け止めて、味わうことができないのでしょうね。
    どうして、夜、一人になると、思いが渦巻いて、泣いてしまうんでしょうね。
    『許し』について、よく考えます。
    本当は、許したいのだと思います。全部。
    『辛い』『憎い』『嫌い』『苦しい』…といったものに固執しないで、手放したい。
    そうしたら、自分のことが好きになれると思うのに。

    以上、今日の(昨日の)私でしたv
    お声をかけて下さって、ありがとうございます。とても嬉しかったです。
    つれづれと書きましたので、わかりくい文章かもしれません。ごめんなさい。

引用返信 削除キー/
■5673 / inTopicNo.12)  Re[3]: 追記。
□投稿者/ こくーん -(2007/03/24(Sat) 03:48:24)
    無事に1週間勤め終えました。
    ありがたいことです。
    来週はちょっと忙しくなります。
    落ち着いて終えられますように、と願います。

    『働く目的』が「生きるため(生活の糧を得るため)」というのは、
    動機として弱いような気がします。
    …何というか、現状生きることに積極的ではない、自分がいて、
    生きるのに積極的でないのに、その『生きること』を目的に働く、
    というのは、やはり積極的になれないことになるのでしょうか。
    『働くこと(又は、自分の仕事)への積極的な意義を見出す』ことと、
    『生きることに、喜びを見出し、積極性を持つ』こと、
    やはり、後者が先なのでしょうか…?

    望むにしろ望まないにしろ、生きている以上『お金がかかる』ということに
    改めて気づいたとき、なんだかとても衝撃を受けたのを思い出しました。
引用返信 削除キー/
■5675 / inTopicNo.13)  Re[4]: 追記。
□投稿者/ とら [MAIL] -(2007/03/24(Sat) 20:00:28)
    No5673に返信(こくーんさんの記事)
    > 無事に1週間勤め終えました。
    > ありがたいことです。
    > 来週はちょっと忙しくなります。
    > 落ち着いて終えられますように、と願います。
    >
    > 『働く目的』が「生きるため(生活の糧を得るため)」というのは、
    > 動機として弱いような気がします。
    > …何というか、現状生きることに積極的ではない、自分がいて、
    > 生きるのに積極的でないのに、その『生きること』を目的に働く、
    > というのは、やはり積極的になれないことになるのでしょうか。
    > 『働くこと(又は、自分の仕事)への積極的な意義を見出す』ことと、
    > 『生きることに、喜びを見出し、積極性を持つ』こと、
    > やはり、後者が先なのでしょうか…?
    >
    > 望むにしろ望まないにしろ、生きている以上『お金がかかる』ということに
    > 改めて気づいたとき、なんだかとても衝撃を受けたのを思い出しました。
    こんばんわ。いっぱい書きましたね。気持ちが素直に出ていて、読んでいて気持ちが良いです。働くことについて消極的でしたが、自問することで意味を見出す途中とお見受けします。
    やはり後者が先かということですが、俺の経験で言うと生きることのために働くと言うより自分の幸福が先で、仕事は自己実現のひとつと言うことです。趣味や恋愛でも自己実現できますし、幸福感を抱くに様々な方法があります。それは人によって異なり、これだと言うことはできません^^;こくーんさんは本音でなにを選びますか?仕事が好きになるためにはまず、自分を愛さねばなりません。いい心状態も悪い心の状態もすべて自己責任で味わうことが必要です。そうするうちに仕事が楽しくなり、自分のしたいことが見えてきます。また、そんな仕事との出会いも自然にできるでしょう。現状ではすぐには無理かもしれませんが、今の仕事に意味を持てれば、好きな仕事は何か見えるでしょう。俺自身、入院し、そこで人の話を分析し、助言することが良いとわかり、そこでの友人のひとことで、自分がカウンセラーに向いていることを改めて自覚しました。毎日が勉強ですが、ここでみんなの書き込みを見て、返事をするのが大変楽しみです。多分、時々は変なことを書いているかもしれませんが、そのときは指摘していただけると、助かります。俺も結構、間違えます。言われて初めて前進できます。そんなかんじです。グットラック!!!
引用返信 削除キー/
■5676 / inTopicNo.14)  Re[5]: 追記。
□投稿者/ こくーん -(2007/03/24(Sat) 21:32:02)
    とらさん、こんばんは。

    今日の愛知県(確かとらさんも愛知県の方でしたよね)は、雨模様でしたね。
    とらさんのお住まいのところでは、桜はもう咲いていますか?
    雨の日も、3月に入ってから続いた寒い日の中でも、早朝に新聞を配達されて
    いるのですね。お疲れ様ですv

    > こんばんわ。いっぱい書きましたね。気持ちが素直に出ていて、読んでいて気持ちが良いです。働くことについて消極的でしたが、自問することで意味を見出す途中とお見受けします。
    > やはり後者が先かということですが、俺の経験で言うと生きることのために働くと言うより自分の幸福が先で、仕事は自己実現のひとつと言うことです。趣味や恋愛でも自己実現できますし、幸福感を抱くに様々な方法があります。それは人によって異なり、これだと言うことはできません^^;こくーんさんは本音でなにを選びますか?仕事が好きになるためにはまず、自分を愛さねばなりません。いい心状態も悪い心の状態もすべて自己責任で味わうことが必要です。そうするうちに仕事が楽しくなり、自分のしたいことが見えてきます。また、そんな仕事との出会いも自然にできるでしょう。現状ではすぐには無理かもしれませんが、今の仕事に意味を持てれば、好きな仕事は何か見えるでしょう。俺自身、入院し、そこで人の話を分析し、助言することが良いとわかり、そこでの友人のひとことで、自分がカウンセラーに向いていることを改めて自覚しました。毎日が勉強ですが、ここでみんなの書き込みを見て、返事をするのが大変楽しみです。多分、時々は変なことを書いているかもしれませんが、そのときは指摘していただけると、助かります。俺も結構、間違えます。言われて初めて前進できます。そんなかんじです。グットラック!!!

    私は過食とか買い過ぎに陥りやすいので、いわゆる『消費過剰』状態になって
    しまうのです。そうすると、必然的に消費の対価として支払う収入のことが気に
    なります。
    じゃあ、過食と買い過ぎのために、私は働いているのか?自分の人生の時間を
    切り売りしているのか?
    …そんなことを考えました。

    『自分が本当にしたいことは何か』
    この答えを出すのは簡単なようで難しく、一方、難しいようで簡単なのかもしれ
    ない…とも思います。
    『本当に自分がしたいこと』を導き出したとき、既に手遅れになっていることに
    気づく…或いは、『したくてもできないこと』だと思う…こと、に恐れを抱いて
    いるのかもしれません。
    また、子どもの頃から『収入の安定した公務員、または資格のいる仕事につきな
    さい』と言われていたことから、それ以外の仕事を望むことに罪悪感があるよう
    にも思います。

    『恐れ』と『罪悪感』から解放されたいと願っています。
    『許し』と『解放』が、今の自分のキーワードのように感じています。

    今の仕事にやりがいを感じることもあるし、向いているようにも思います。
    しかし失敗するのではないかという『恐れ』や、束縛されているような『窒息感』
    によく襲われます。
    周りの人間と連携が取れていなくて、自分は認められていないのではないかという
    『不安』。自分は一生懸命仕事に取り組んでいないのではないかという『罪悪感』
    …そんなものに縛られ、自分を、周囲を裁いてばかりいる気がします。

    とらさんの書き込みからは開放感を感じますね。
    恐れず、前に進む強さを感じますね。
    うらやましく、同時にそうでありたい、と思いました。
    書き込み、ありがとうございました。
    You,too!(グッドラック!と声をかけていただいたのでv)
引用返信 削除キー/
■5680 / inTopicNo.15)  Re[4]: 追記。
□投稿者/ ぺん -(2007/03/25(Sun) 02:29:06)
    No5673に返信(こくーんさんの記事)

    こくーんさん、こんばんは。度々失礼します。

    > 無事に1週間勤め終えました。
    > ありがたいことです。
    > 来週はちょっと忙しくなります。
    > 落ち着いて終えられますように、と願います。

    とりあえず、ぼちぼちのスタートだったご様子、なによりです。

    > 『働く目的』が「生きるため(生活の糧を得るため)」というのは、
    > 動機として弱いような気がします。
    > …何というか、現状生きることに積極的ではない、自分がいて、
    > 生きるのに積極的でないのに、その『生きること』を目的に働く、
    > というのは、やはり積極的になれないことになるのでしょうか。
    > 『働くこと(又は、自分の仕事)への積極的な意義を見出す』ことと、
    > 『生きることに、喜びを見出し、積極性を持つ』こと、
    > やはり、後者が先なのでしょうか…?

    私には私の話しかできなくて申し訳ないのですが
    私の感覚では、両者は同じ根っこから出ている二本の木のような感じです。

    いくら弱ってボロボロになっても、自分の根っこの部分が叫びをあげるんですね、「生きたい!」って。
    最後の最後には、自分がそう叫ぶお陰で、私は生きる為の糧を無理矢理でも絞りだして
    結局死なずに今まで生き延びた感じです。生きる欲が強いみたいです、私。


    「生きる為に生きる」というのは、生物の在り方として最もシンプルなことのように思いますが‥‥。
    こくーんさん今は、生命力が弱っていらっしゃるのかも知れません。

    積極性=「〜したい」という欲は、自分で意識して持ち上げるものではなく、
    自分の内側から勝手に湧き出てくるエネルギーのもののような気がします。
    エネルギー切れのときには、積極性は持とうと思っても持てないものなんじゃないかな?

    「無事に一週間勤めあげた」そんなご自分をほめてあげれば、今はそれで充分なんじゃないか‥‥
    私にはそんな気がします。
引用返信 削除キー/
■5681 / inTopicNo.16)  Re[6]: ぺんさんへ
□投稿者/ とら [MAIL] -(2007/03/25(Sun) 03:18:39)
    No5676に返信(こくーんさんの記事)
    > とらさん、こんばんは。
    >
    > 今日の愛知県(確かとらさんも愛知県の方でしたよね)は、雨模様でしたね。
    > とらさんのお住まいのところでは、桜はもう咲いていますか?
    > 雨の日も、3月に入ってから続いた寒い日の中でも、早朝に新聞を配達されて
    > いるのですね。お疲れ様ですv
    >
    >>こんばんわ。いっぱい書きましたね。気持ちが素直に出ていて、読んでいて気持ちが良いです。働くことについて消極的でしたが、自問することで意味を見出す途中とお見受けします。
    >>やはり後者が先かということですが、俺の経験で言うと生きることのために働くと言うより自分の幸福が先で、仕事は自己実現のひとつと言うことです。趣味や恋愛でも自己実現できますし、幸福感を抱くに様々な方法があります。それは人によって異なり、これだと言うことはできません^^;こくーんさんは本音でなにを選びますか?仕事が好きになるためにはまず、自分を愛さねばなりません。いい心状態も悪い心の状態もすべて自己責任で味わうことが必要です。そうするうちに仕事が楽しくなり、自分のしたいことが見えてきます。また、そんな仕事との出会いも自然にできるでしょう。現状ではすぐには無理かもしれませんが、今の仕事に意味を持てれば、好きな仕事は何か見えるでしょう。俺自身、入院し、そこで人の話を分析し、助言することが良いとわかり、そこでの友人のひとことで、自分がカウンセラーに向いていることを改めて自覚しました。毎日が勉強ですが、ここでみんなの書き込みを見て、返事をするのが大変楽しみです。多分、時々は変なことを書いているかもしれませんが、そのときは指摘していただけると、助かります。俺も結構、間違えます。言われて初めて前進できます。そんなかんじです。グットラック!!!
    >
    > 私は過食とか買い過ぎに陥りやすいので、いわゆる『消費過剰』状態になって
    > しまうのです。そうすると、必然的に消費の対価として支払う収入のことが気に
    > なります。
    > じゃあ、過食と買い過ぎのために、私は働いているのか?自分の人生の時間を
    > 切り売りしているのか?
    > …そんなことを考えました。
    >
    > 『自分が本当にしたいことは何か』
    > この答えを出すのは簡単なようで難しく、一方、難しいようで簡単なのかもしれ
    > ない…とも思います。
    > 『本当に自分がしたいこと』を導き出したとき、既に手遅れになっていることに
    > 気づく…或いは、『したくてもできないこと』だと思う…こと、に恐れを抱いて
    > いるのかもしれません。
    > また、子どもの頃から『収入の安定した公務員、または資格のいる仕事につきな
    > さい』と言われていたことから、それ以外の仕事を望むことに罪悪感があるよう
    > にも思います。
    >
    > 『恐れ』と『罪悪感』から解放されたいと願っています。
    > 『許し』と『解放』が、今の自分のキーワードのように感じています。
    >
    > 今の仕事にやりがいを感じることもあるし、向いているようにも思います。
    > しかし失敗するのではないかという『恐れ』や、束縛されているような『窒息感』
    > によく襲われます。
    > 周りの人間と連携が取れていなくて、自分は認められていないのではないかという
    > 『不安』。自分は一生懸命仕事に取り組んでいないのではないかという『罪悪感』
    > …そんなものに縛られ、自分を、周囲を裁いてばかりいる気がします。
    >
    > とらさんの書き込みからは開放感を感じますね。
    > 恐れず、前に進む強さを感じますね。
    > うらやましく、同時にそうでありたい、と思いました。
    > 書き込み、ありがとうございました。
    > You,too!(グッドラック!と声をかけていただいたのでv)
    おはようございます。なかなかの名文ですね。気持ちが伝わってきます。辛いですが、自己分析の能力が日に日にペンさんは上がっていますねえ。感心します。今悩んでいる気持ちは、過去の俺と似ています。俺も仕事に対して罪悪感がありました。もっともとあるいんちき宗教の性ですが、脱退して3年になり、今は正常な感覚があります。公務員ですか・・・そんな親を見て育つと仕事観も影響を受けると思います。でも、親と自分は別個の存在ですねえ。今は自分の気持ちにひたすら正直であってくださいねえ^^;大変ですが、人生に岐路なので、悩みつつ前進してくださいねえ。どんなことにも意味がある。ここでは古株の俺の経験です。グットラック!!!
引用返信 削除キー/
■5684 / inTopicNo.17)  Re[7]: ごめんなさいね^^;
□投稿者/ とら [MAIL] -(2007/03/25(Sun) 06:12:11)
    No5681に返信(とらさんの記事)
    > ■No5676に返信(こくーんさんの記事)
    ごめんなさいね。こくーんさんとペンさんを呼び間違えました。すいません。寝ぼけて書いたと思います。以後気をつけます。ぺこ。
引用返信 削除キー/
■5688 / inTopicNo.18)  Re[8]: 気になさらないで下さいv
□投稿者/ こくーん -(2007/03/25(Sun) 21:14:45)
    とらさん、こんばんは。

    勇気の出る書き込みをありがとうございます。
    欲張って一気に何もかも変えようとか、逆に全部がどうでもいいとか
    思わないで、日々の変化に耳を傾けてみようと思います。
    『素直さ』も大事にしたいです。
    理屈を捏ねて捏ねて捏ね上げて、物事を複雑にしないように。



引用返信 削除キー/
■5689 / inTopicNo.19)  Re[5]: 追記。(フラバ注意)
□投稿者/ こくーん -(2007/03/25(Sun) 21:49:39)
    ぺんさん、こんばんはv

    > とりあえず、ぼちぼちのスタートだったご様子、なによりです。

    お休みしている間は(もしかしたらこのまま仕事にいけなくなるかもしれない)、
    と何度も思ったので、何とかこなせて、自分でもほっとしています。
    もし、同じようなことが再び起こっても(起こらないことを願いますが)、この
    経験で、『大丈夫』と思えるような気がします。


    > 私には私の話しかできなくて申し訳ないのですが
    > 私の感覚では、両者は同じ根っこから出ている二本の木のような感じです。
    >
    > いくら弱ってボロボロになっても、自分の根っこの部分が叫びをあげるんですね、「生きたい!」って。
    > 最後の最後には、自分がそう叫ぶお陰で、私は生きる為の糧を無理矢理でも絞りだして
    > 結局死なずに今まで生き延びた感じです。生きる欲が強いみたいです、私。
    >
    >
    > 「生きる為に生きる」というのは、生物の在り方として最もシンプルなことのように思いますが‥‥。
    > こくーんさん今は、生命力が弱っていらっしゃるのかも知れません。
    >
    > 積極性=「〜したい」という欲は、自分で意識して持ち上げるものではなく、
    > 自分の内側から勝手に湧き出てくるエネルギーのもののような気がします。
    > エネルギー切れのときには、積極性は持とうと思っても持てないものなんじゃないかな?

    『生命力』を自分で測ることができるのかわかりませんが、弱っているのかも
    しれません。
    ふと、弟に殺されかけた時のことを思い出した。
    その時に、『生きたい』とは思いませんでした。
    頭が真っ白になって、感情がなくなったようになりました。
    母は現状を見ていながら、仕事に行ってしまった。
    ここには自分と弟しかいない。
    誰も助けてはくれない。私には誰も居ない…。
    私はその時、過呼吸を起こして倒れてしまい、それに驚いた弟が逃げたので、
    私は助かりました。そして、自分も仕事にいかねばなりませんでした。
    もちろん、そんなことがあったとは、誰にも言えないままで。
    (何年もたったのでもう大丈夫だと思ってましたが、やっぱり泣けちゃいますね(苦笑))

    何かの小説か、漫画か、忘れましたが、
    『最も必要なのは「生きるための意志」である』
    という一文がありました。その時、それが自分にはない気がしました。

    積極的に死にたい、と思ったことはそれほどありません。
    ただ、いつでもいい。消えてしまうことができるならそうしたい。
    …そう思っていました。
    『死にたい』ではなく、『終わりたい』。
    この、ゴールのないマラソンのような人生からドロップアウトしてしまいたい。

    いつも、自分は『さまよえる人』だと感じていました。
    何もわからないまま、さまよって、さまよい続けて、何も成し得ないまま、
    ただ、足が止まった時に死ぬのだろう、という不安が常にあります。

    …でも、生きなくてはいけないなら、変わりたいと思います。
    ああ、きっと『生きなくてはいけない』が『生きたい』に変わること…、それが
    大切なことなのでしょうね。
    上記のようなことが起きたから、と過去の出来事に縛られないで。

    今日、こんなことがありました。
    お出かけをして、疲れて帰ってきてから、夕食の買出しに出たのですが、その時、
    とても過食をしたかったのです。
    おなじみの自暴自棄な気持ちでした。過食衝動の時はいつもそうなのですが、
    何をか、何故だか、何に向かってだかはっきりしないのですが、
    『どうでもいいよ』
    というぼんやりした意識に支配されるのです。
    で、いろいろ買い込んで、そのぼんやりした意識のまま帰ってきたのですが、
    それからしばらくして、急に意識がはっきりしたのです。
    『私はこれを食べないという選択もできる』
    『もちろん、食べるという選択もできる』
    『半分食べて、残りを明日食べるという選択もできる』
    『どれを選択するか、自分には自由が与えられている』と。
    これが変化の兆しだといいな、と思います。


    > 「無事に一週間勤めあげた」そんなご自分をほめてあげれば、今はそれで充分なんじゃないか‥‥
    > 私にはそんな気がします。

    先週できたから、今週もできる。
    今、そう思います。
    本当に『いきる(活きる、という字の方が相応しいかもしれませんね)』ことが
    できたらいい。
    諦めないで、変わっていきたいです。
    自分をほめますねv

    ありがとうございました。

引用返信 削除キー/
■5701 / inTopicNo.20)  Re[9]: 気になさらないで下さい、その2
□投稿者/ ぺん -(2007/03/27(Tue) 04:08:40)
    とらさん、こんばんは。
    いきなり名前を呼んで頂いて、「あら嬉しい、どうしたのかしら?」といそいそと書き込み拝見したら
    明らかにこくーんさんのことだったので、ずっこけてしまいました(笑)
    でも、編集で訂正しないで「ごめんね」って、そのまんま言っちゃうとらさんが、なんか好きです。
    新聞配達、どうぞがんばってくださいね☆
引用返信 削除キー/

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