1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■5271 / inTopicNo.1)  板橋区の両親殺害事件に思う
  
□投稿者/ マフマルバフ改めモハメッド -(2006/09/01(Fri) 14:41:06)
    板橋区の両親殺害・管理人の住居爆破する事件が確か一昨年に起きたと思うのですが その裁判の判決が懲役17年ということでした。

    裁判官の主文を少し読んだ限りでは 少年は幼少期から虐待を受けており両親の養育放棄は歴然としており児童相談所の管轄に入る問題であるように思います。

    しかし判決文にはそのようなことは一切触れられておらず 少年の計画的で残虐であるという 事情をまったく把握できていないバカ裁判官が判断することの恐ろしさに私は愕然としてしまいました。

    私が少年の立場であれば逃げ出すか殺すかの選択しかできなかったでしょう。

    皆さんはこの事件をどう思われますか?

    事件の概要はこのサイトにリンクされている日刊スポーツの社会面の阿蘇山の裁判を見に行きまショウを読んでからにしてくださいね。
引用返信 削除キー/
■5273 / inTopicNo.2)  Re[1]: 板橋区の両親殺害事件に思う
□投稿者/ めっせ -(2006/09/05(Tue) 03:31:27)
    まだ論告求刑が出た状態ですよね?、検察側から15年の求刑を言い渡されただけで、
    裁判所の判決はまだのようですよ。
    情状酌量の余地もありますから、もしかすると少年院送致→数年で出所になるかも
    しれませんよ。

    少年犯罪については同情できる面がある一方、少年が全面的に悪くないのか
    と言えば、そうとも言えない面がありますよね。

    まぁ、いろいろと思うことはありますが、今日はこれで止めときます。

引用返信 削除キー/
■5274 / inTopicNo.3)  Re[2]: 板橋区の両親殺害事件に思う
□投稿者/ マフマルバフ改めモハメッド -(2006/09/05(Tue) 13:49:16)
    レスありがとう。

    ・・・・・そうでしたか。慌てて書いたこともあってミスがあったことお詫びしますね。

    この事件をその後週刊誌の報道で読んだことがあるのですが 爬虫類を好み異様な趣味の持ち主で友人もいないとか何とか書いており 書く者の意図によってどのようにも被告人の人格をねじ曲げることができることを知り 報道する側の姿勢如何によってどうにでも伝わることが怖いですね。
    でも最後の方で両親の(元暴走族)虐待を少し書いていましたが阿蘇山大噴火の傍聴記とは別の事例でした。

    アルコール依存症の父親を絞殺した少年(長男)がその後周囲の関係者が減刑の嘆願書を集めて裁判所に出し 少年は執行猶予がついた事例はあッたことは覚えています。

    今回の事件の場合少年は事件が起こる前に児童相談所に関係者が連絡をとることも可能であったはずで、事件は未然に防げたかもしれません。

    私ごとですがわたしが小学五年の時教師は私の顔色が悪い事に気づき いろいろ質問をしどうも熱があるらしいことを察して帰宅するように言われたことがあります。

    顔色が悪いだけで気配りできる教師がこの少年にはいなかったことも不孝だったなと思います。
引用返信 削除キー/
■5290 / inTopicNo.4)  Re[3]: 板橋区の両親殺害事件に思う
□投稿者/ マフマルバフ改めモハメッド -(2006/09/14(Thu) 23:53:35)
    一昨日裁判も結審して弁護士は本人も反省しており、家裁送致が妥当であろう。と述べていました。
    本人も育ててもらったことに感謝しています。とかなんとかかかれておりました。

    重要な点である両親の虐待については書かれていなかった。

    虐待の立証というのは裁判の場では立証しにくいところが問題である。

    協力的な第三者か母親でもいればいいが 過去は「主観的な事実」であるから 検察側が養育の面で親の立場に立った発言でもしようものなら ひとつひとつ検証していくことは困難を極めるし 少年自体が苦しむ事になるし混乱してしまうだろう。

    これが性虐待(DSAYS JYAPAN9月号にも記事がありますが)となると 親に否定され公的な場所においても否定されたんじゃ被害者は立ち直れませんよ。

    被害者は病院の7階から飛び降り自殺を試みましたが 一命をとりとめ手術した事情を知らない整形外科医に「オレは自殺する奴は嫌いだ」といわれたそうです。

    ・・・娘が誘ったんです。という鬼畜のような親が後をたちません。

    この性虐待にも時効というものがあることをしり私は驚きました。確か5年でしたかね。
    労災の時効がたしか6年ぐらいだったと思います。
    裁判をするには本人の立ち直りと周囲の支援がないとできませんよ。
    このような記事を読む時 側にいる母親がまったく無力で人権感覚をもちあわせていないことです。
    悲劇的事実を救う立場の母親が透明人間になってしまうことです。

    飲酒運転の同乗者もどこかの県職員では免職処分にされることが決まったそうですが

    性虐待の現場にいた母親が助けようともしなかった場合父親と同等の刑罰が科されて当然ではないでしょうか?

    そのうち書こうと思っているのですが トンガは親族関係の強い人間関係で互いを助け合っていますが 海外移住者(ニュージーランド・オーストラリア・アメリカ)は親族関係が壊れてしまいましたからやはり 孤立した母親が子どもを虐待するケースが増えているそうです。
    これはトンガ人同士の助け合いが根強くありますから 発見が早いんですね。

    しかし白人家庭の場合 隠されてしまうので発見が送れたり 表面化しないケースが割と多いようです。というか水面下では虐待はかなり多いのではないでしょうか。
引用返信 削除キー/



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