1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■5246
/ inTopicNo.1)
SILVER7さんへ
▼
■
□投稿者/ こくーん
-(2006/08/12(Sat) 11:01:38)
2006/08/12(Sat) 11:03:16 編集(投稿者)
SILVER7さん、こんにちは。
今、渦中にいらっしゃるまのんさんのお心を煩わせては申し訳ないと思って、
別でスレッドを立たせていただきました。
昨日の夜から、何度も何度も読ませていただきました。
ACに関しては、SILVER7さんの方が私などよりもずっとお詳しいので、
私には見えないものが見えているのだと思います。
> どこから、そのエネルギーが生まれているのか?
これはまのんさんにしかわからない、いえ、まのんさんご本人にもわからない
かもしれませんね…。
ご本人不在の議論は(このレスに置いてのみです。これはSILVER7さんに宛てて
書いているので)、避けたいと思いますが、1つ感じたことは、
『私はACであるが、ACである前に私自身である』
ということでした。
…いや、まだこの言葉には違和感があります…。
『ACだけど、それが全部じゃない。「私」がある』…?
…つまり、何を言いたいか、というと『エネルギーの発露』というものが、
ACの負の特性を源としたものなのかどうか…ということに、ちょっと疑問が
あるということです。
> 「自分をないがしろにされたとき」、打ちのめされるのと同等の反発力というか、「自己承認欲求」が出てくるのではないでしょうか?
> これが自分というものがあり、それを育くみ、自分のパーソナリティというものを形成していれば、そんなにあわてることはないのではないでしょうか?
> 他人はないがしろにしても、自分は確かにあるんだったら、あわてることはない。
> 自分というものが無いと、せっかく構築していた自分の陣地をないがしろにされると、居場所を失うわけですから、馬鹿力も出てくるのではないでしょうか?
> でも、それらは、別に承認される必要は無いでしょ?
> 持っていればいいんですから。
> そうではなくて、ひとに承認してもらいたいがために、一生懸命身につけたものは、こっちから請求するわけにはいきませんが、あがめられているうちはいいんですが、踏みつけにされたら、黙っていられなくなるのではないでしょうか?
> でも、その、守りたいものは、所詮、「幻」ではないでしょうか?
ここのところを今、反芻しては考えているところです。
まだ、消化しきれていないので、もう少しゆっくり考えさせて下さい。
> 私は、まのんさんが、ほんとうに、ドン・キホーテのように、自己という装いの「幻」を守るために、弱肉強食というシステムを向こうに回して、槍を持って向かっていこうとしているように、見えるんです。
SIVER7さんが指摘されたように、今回の問題には『表』と『裏』の部分がある。
その『裏』を理解していない私が、これを問うのにはちょっと無理があるのかも
しれませんが、『表』に於いて、何らかのものを勝ち取った、或いは、思うように
いかなかったとしても、問題に対する方法論などを知りえた、ということが、
『裏』に良い作用を及ぼす…ということは考えられないでしょうか?
というのも、私は『自分を助けてくれる人は誰もいない』という固定観念をずっと
自分の中に持ってきました。
だから、前の仕事を辞めるときも、あっさりしたものでした。
『誰かが相談に乗ってくれる、助けてくれる』なんて思いもしなかった。
だから、もし、社会の中に、あるいは個人に、『私を助けてくれる』…いえ、
『この社会は困ったことが起こったときに、何らかの助けの手が得られるところだ』
という認識を持てたなら、心強いことだと思ったのです。
だとすれば、本当に立ち向かっているのは『幻』なのか。
そう思いました。
> 以上は、私の私見です。 私の、見方です。
もちろんですvそして、SIVLER7さんの書かれることはとても勉強になります。
だから、もうちょっとお話がしたいし、以前のやり取りから、ご報告したいことも
あったりします。(まだ時が来ていない感じなのでもう少し待ちます)
私はもう少し考えてみたいと思います。
その機会を与えて下さった、この場に感謝して。
SILVER7さん、その後、腰はいかがでしょうか。
暑い日が続きますので、お身体を大事になさって下さいね。
引用返信
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■5247
/ inTopicNo.2)
遅くなってすみません
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□投稿者/ まのん
[MAIL]
-(2006/08/12(Sat) 18:37:20)
皆さん、様々な角度からご心配してくださって本当にありがとうございます。お騒がせしてすみませんです。。
昨日まで弱っていたかと思えば突然活動し出したり、とにかく皆さんを混乱させてしまってごめんなさい。。自分でもなぜこのような展開になったのかはよく分かりません。何か本能のようなものに突き動かされて、勝手にこのような状態になっていました。職場の問題に気が付いてから、こんなにも短期間でたくさんの人に出会ったり、色々なご意見を聞かせて頂けるとは思ってもみませんでした。一緒になって考えて下さり、また見守っていてくださっている方、本当にありがとうございます。毎日、現実と奮闘しながらも、そのことを皆さんに伝えたいと思うのですが、でも上手く表現できなくてつい思考停止状態になってしまいました。。ご心配をおかけしてすみませんでした。
今は紹介して頂いた労組で、とてもいい担当者に巡り会い、その人に自分の気持ちを受け止めてもらうことで、大分落ち着いてきています。話していることは労働問題なのですが、お金にならなくてもここまで一緒に寄り添って、一緒に戦おうとしてくれる人たちがいるということが、私には全くの新世界で驚いています。。怖いひとたちがたくさんいるところだと思っていましたがそうではなく、お菓子を出してくれたりします。毎回行く前の自分は書類や理論で頭がいっぱいになっているのに、帰りはそこの人たちの人柄に癒されて帰ってくるというか。。そんな不思議なところです。。本来ACとは関係ないのですが、自助グループにそっくりな感じです。
今回の件では周りの圧力が強すぎて、もしかしたら本当に自分が変なのかも、ACだからただの被害妄想なのかも、それだったらどうしよう、と思いました。いじめよりもその事実を、自分の痛みを、誰にも信じてもらえないことが一番辛く、本当に心が壊れてしまいそうになりました。それは2重に傷つくことでした。でも私を応援して下さる皆さんの力をお借りしているうちに、涙が、少しつづ怒りのエネルギーのようなものに変わってきたのです。本当は泣きたいんじゃない、本当は怒りたい、という気持ちです。私が労組でしていることは、バラバラになった心を、少しづつ元の形に戻していく作業ではないかと感じています。担当者の方に支えてもらっているうちに、問題がはっきりしてきて落ち着いてきました。今までずっと抑圧していたので、怒りを感じるのはとても難しく、こんなにも時間がかかってしまいましたが。。。でも私は今、この気持ちをきちんと感じて、そして表現しようと思っています。
組の担当者の方が、今回の対応策をホームページに記載して下さいました。今も私と同じような問題で苦しんだり、戦ったりしている見えない人たちがいるので、今回の件が落ち着いたら今度はあなたにも誰かを助けてほしい、とのことでした。自分にそんなことができるとは到底思えませんが。。でも人の話を聞く力さえあれば大丈夫、ということでした。。
黒人や難民やACなど全ての社会的マイノリティは皆、本来は同じような痛みを持っているような気がします。きっとどこかで、それがエネルギーに変わるのです。だから世の中には、一緒に活動している組織がたくさんあるのかもしれません。私にはまだよく分かりませんがそんな気がしました。私は家庭内でのパワーハラスメントには立ち向かうことができませんでした。でもその時の怒りとか悲しみは今も自分のどこかで生きていて、出口がなくて困っています。だから、いつかはきちんと外に出してあげたい、と思います。家の中ではそのことに気づけませんでしたが、今はこのBBSをはじめ、教えてくれる人たちが周りにいて下さいます。失敗しても、ここの皆さんは私を受け止めて下さいました。そのことをとても心強く思います。
これからどうなるかは、やっぱりまだ分かりません。うまくいくかもわかりません。でも会社は少しづつ対応を変えてきています。自分の気持ちをもう一度ちゃんと表現してみて、その後色々考えてみたいと思っています。こんな私ですがみなさんどうぞもう少しだけ見守っていて下さい。よろしくお願いしますm。
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■5248
/ inTopicNo.3)
Re[2]: まのんさんへ
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□投稿者/ SILVER7
[MAIL]
-(2006/08/12(Sat) 23:58:10)
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No5247
に返信(まのんさんの記事)
よっしゃ。 納得です♪
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■5249
/ inTopicNo.4)
SILVER7とこくーんさんへ
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□投稿者/ まのん
[MAIL]
-(2006/08/13(Sun) 03:03:58)
SILVER7さんへ
SILVER7さん、お返事ありがとうございます。私も良かったです♪
私の表現が下手なので、様々な憶測を呼んでしまったことと思います。
それと、パニックになりやすい性質ですので、多分また騒ぎ出すことがあるかと思いますが。。。そういう時はどうかまた諭してやって下さい。
決着の日はまだですが、震えたりしないで、いいたいことが言えるようにと願っています。。
こくーんさんへ
こくーんさん、お返事が遅くなってしまってすみませんでした。私の思考が止まっている間、代わりに問題を一緒に考えて下さり、本当にありがとうございます。私もこくーさんと同じように、「良い子病」であると思います。。自分は時々なりきれていないと思いますが。。あと攻撃にさらされると、暴力の記憶と直結してしまうのか、頭が真っ白になってしまって無力感を味わいます。多分今回もそういう反応と戦うことになるかと思います。。。どうかこくーんさんも見守っていてください。お願いします。
引用返信
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■5258
/ inTopicNo.5)
SILVER7さんへ その2
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□投稿者/ こくーん
-(2006/08/16(Wed) 21:29:10)
SILVER7さん、こんにちは。
杞憂だと思いますが、SILVER7さん相手に論戦を繰り広げようとか、自分の意見を
無理に押し通そうとか、そういう意図はありません。
むしろ、混乱の中にいる私の糸口をもしかしたら、SILVER7さんがお持ちなのかも
…と思う次第です。
前に、私が『空っぽの自分』を昔から感じていて、墜落しそうで怖い…という
書き込みをここでしたのを覚えていらっしゃるでしょうか。
その後、墜落しそうなまま、浮き沈みを繰り返し…あるとき感じたのは、
『私は本当に空っぽか?』
ということでした。小さいけど、吹き飛びそうだけど、踏ん張っている私がいる。
…そんな感じがしたのです。
それが、多分今回の、
> 『私はACであるが、ACである前に私自身である』
> ということでした。
> …いや、まだこの言葉には違和感があります…。
> 『ACだけど、それが全部じゃない。「私」がある』…?
という言葉になったのかな…と描き終えてから、思いました。
>> これが自分というものがあり、それを育くみ、自分のパーソナリティというものを形成していれば、そんなにあわてることはないのではないでしょうか?
>> 他人はないがしろにしても、自分は確かにあるんだったら、あわてることはない。
> > 自分というものが無いと、せっかく構築していた自分の陣地をないがしろにされると、居場所を失うわけですから、馬鹿力も出てくるのではないでしょうか?
>
>> でも、それらは、別に承認される必要は無いでしょ?
>> 持っていればいいんですから。
>> そうではなくて、ひとに承認してもらいたいがために、一生懸命身につけたものは、こっちから請求するわけにはいきませんが、あがめられているうちはいいんですが、踏みつけにされたら、黙っていられなくなるのではないでしょうか?
>> でも、その、守りたいものは、所詮、「幻」ではないでしょうか?
>> 私は、まのんさんが、ほんとうに、ドン・キホーテのように、自己という装いの「幻」を守るために、弱肉強食というシステムを向こうに回して、槍を持って向かっていこうとしているように、見えるんです。
その一方で、まだ、その『自分』が確かなものなのか疑っている自分がいます。
『確かにある自分』なのかSILVER7さんのおっしゃる『幻』なのか…。
他人から承認されることを求めてはいけないのか…?
これは、きっと『他人から承認されることで自分を形成してきた』私がなかなか
脱却できない問題だと思います。『我思う故に我あり』という言葉を、私は認め
られませんでした。自分がどんなに大声で叫んだとしても、誰も反応してくれな
かったら、私はいないのと同じじゃないか…そう子どもの頃から思っていました。
今、私の中に感じる『私』が確かに私なら、私はそれを育む術を学ばなくては。
でも、やっぱり周囲から認められること…が全てではなくても、自己承認というか
自分を映す鏡として、必要なものなのではないのか…と考えています。
もしかしたら、前の時のように、言葉の齟齬、誤解があるかもしれないです。
だから、ご意見を伺いたいと思っています。
決してパワーゲームの発露ではないです。それはお約束できます。
よろしくお願いします。
引用返信
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■5259
/ inTopicNo.6)
Re[2]: 取り急ぎ、こくーんさんへ(フラッシュバック注意!)
▲
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□投稿者/ SILVER7
[MAIL]
-(2006/08/18(Fri) 01:07:34)
2006/08/18(Fri) 07:56:36 編集(投稿者)
2006/08/18(Fri) 01:13:32 編集(投稿者)
■
No5258
に返信(こくーんさんの記事)
遅くなりました。 ずっと、考えていました。
今日昼前から、2泊3日でカウンセリングのワークショップに行きますので、取り急ぎ、今考えているところを、お伝えしておきます。
こくーんさんの文章のなかで、印象に残ったことばが二つあります。
>小さいけど、吹き飛びそうだけど、踏ん張っている私がいる。
>自分がどんなに大声で叫んだとしても、誰も反応してくれなかったら、私はいないのと同じじゃないか…そう子どもの頃から思っていました。
ことに2番目のことばは、強く、私に迫るものがありました。
こくーんさんの「空っぽ」感は、ここから来ているのではないでしょうか?
ACの心情は、一人ひとり違いますから、自分と同じように考えてはいけないんですが、こくーんさんの気持ちは、私の状況とは違うところがあるから、もう一つわかっていなかったように、思います。 こくーんさんには、暴力を受けていたという経緯があるんですね。 ここんところは、私には、経験がない。
どこかで書いておられましたが「このまま死ぬんだ」と、暴力を受けているときに思われたこともあったんですね。
そのときに、本来守ってくれるべき(丸ごと承認してくれる、受け止めてくれる)親が、一切手出しをされなかったんですね。
その親(お母さんですね。お父さんと離婚<確か>された後ですね)は、暴力を受ける前のことだったのかもしれませんが、こくーんさんを板の間に正座させて、こくーんさんのあるべき態様を演説でもするように説諭(!)されたんでしたね。
両親が離婚(確か、もしかしたら違っていますかね)される前は、ずっと、両親の喧嘩ばっかし見ていたんですね。
こういう環境のなかでこくーんさん育ってきたのだから、「自分」が感じられない、「空っぽ」感を感じられるのは、むしろ当然ですね。
しかし、こくーんさん言われるように、だけども、生き残ってきた(!)。
そうですね、必死に「自分」を繋ぎ止めて来たのかもしれませんね。 「空っぽ」どころじゃない、ボロボロかもしれないけど、「私」は、確かに、「居る(!)」と、いうことでしょうか?
うん、私が30代の中ごろ考えた「これが、私の踏み跡。 歴史に刻む私の姿。 私は力いっぱい苦しんでいる」と、いうのと、似ているように思いますね。
それは、確かに、認めてやらんにゃあならん。 誰が認めてくれるか、自分が認めなくて!
そうですね、そこで踏ん張って、グーッと舵を切るときなのかもしれませんね。
やられっぱなしの人生から、自分で運転する、自分が船の舵を握るとね。
それは、そうでなくちゃあならん。
現に、こくーんさんは、親の膝下を離れておられますね。 仕事だって、以前の職場に未練は残しておられないような様子ですね。 それこそ、自分で歩き出しておられるようですね。 それは、単に「期待される人間になる」という「幻想」とは、違うかもしれませんね。
しかし、何か、「認めてほしい」と、いう気持ちが、疼くようにあるようですね。
そうですね、誰からも認めてもらったという実感が無いのかもしれませんね。
寂寥感みたいな、まるで、ある意味、絶対的「空っぽ感」みたいですね。
丸ごとの承認を受けてこなかったACの、これはトラウマというより、何かしら、もっと、根源的なものですね。
私の場合も、この辺から、おふくろの私への対応を見てみたとき、同じように、私も、「期待される姿」こそ求められたでしょうが、「期待されない姿」を含めて、丸ごとの承認は、無かったように、思っています。 赤ん坊の頃からも、そうだったのではないかな〜と、思っています。
これが、かつて、私が盛んに言っていた「絶対的孤独感」であり、「ブラックホール」ですね。
こくーんさんも、基本の基のところに、これがあるんでしょうね。
だから、それは、付きまとうんですね。
私が、この孤独感を脱したのが、何度も書いていますが、自分が「共依存」をしていることに気づいたときからでした。
「共依存」、つまり、もっとも切実な誰かに、「自分」を承認してもらいたいし、自分の方からも、その切実な誰かが、きっと悔い改めて、というか、気づいてというか、とにかく「私の方に」顔を向けてくれる日が来ると、思っているという関係ではないでしょうか?
つまり、自分は被害者だけではなくて、自分の方から、必死に、「期待している」、つまり、「求めている」んだと、いうことです。
それを追い求めている限りは、「無いものねだり」になるのではないでしょうか?
永遠の空虚感を追い求めるような、「幻」になるのではないでしょうか?
「私は認められるべき存在」という想いが、もし、あるんでしたら、それは、「幻」かもしれませんね。
私は、「幻」を追っていた目を、その視線を止めたんですね。 そしたら、初めて、「自分」が見えた、と、いうことです。 何も持っていない、今まで、まったく気がついていなかった、生れ落ちたばかりのような、何も着ていない赤子の姿でした。 私は、掌に、「自分」を取り上げたんです。
それから2年ばかりは「かくかくあらまほし」、「かくかくあらざらん」とする気持ちを振り払いながら、「自分」が求める姿を手探りでたどりました。3年目4年目は外界との関わりを観察し、今年5年目から、実際に外界へ船出しました。 ネットの世界とか、ごくごくわずかな実際の外界との接触ですが………。
長くなりました。 すぐ上のあたりの話は、また、別の機会にしたいと、思います。
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■5260
/ inTopicNo.7)
横レス失礼します。
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□投稿者/ さくら
-(2006/08/18(Fri) 12:25:38)
こーくんさんへ
横レス失礼します。書こうか書くまいかとても迷ったんです。
読んでて、こーくんさんの切実な空白感と真摯さを感じて書きたくなりました。気に障ったらごめんなさい。
>>小さいけど、吹き飛びそうだけど、踏ん張っている私がいる。…そんな感じがしたのです。
この小さいこーくんさんは、とても愛しいものに感じます。
こーくんさんが小さいこーくんさんを大切にしてくれたらいいなと思いました。
この小さいこーくんさんを一番大切にすることができるのは今のこーくんさんだと思うのです。
>>その一方で、まだ、その『自分』が確かなものなのか疑っている自分がいます。
『自分』というのは小さいこーくんさんだと思って書きます。早とちりかもしれません。少し心配しています。なんか今のご自身をも否定しているように感じたのです。
今のこーくんさんも大切にして下さいね。今のこーくんさん沢山いい所や能力あると思っています。私はこーくんさんの気遣いや知性をすごいと思っていつも読んでいます。それに、なにより今まで生き延びてきたのはご自身の能力を活かしてきた今のこーくんさんです。今のご自身も大切に可愛がって欲しいと思いました。
小さいこーくんさんは消えたりまた出てきたりして、少しずつ大きくなって今のこーくんさんに暖かいものをくれるかもしれません。
今のこーくんさんも大切にしていくことで、小さなこーくんさんも又育っていくと思います。(小さいこーくんさんも別個に可愛がってくださいね。)
>>他人から承認されることを求めてはいけないのか…?
他人からの承認を求める自分を抱えつつ、自分で自分を承認して行くっていうのもありかなと思っています。
私の経験で申し訳ありませんが、自分のことを自分で丁寧に扱うことを練習していく中で、自分のことを自分で「まぁこれでいいか。存在してもいよね」と思えてきました。そうしたら、小さいわたしと今の私両方とも心の奥が緩んで暖かくなってくるんです。気持ちいいです。
そうすると、他人の承認がそんなに必要じゃなくなってくるんです(もちろん承認されたら嬉しいです)。この緩んで暖かくなっている部分の方が他人の承認よりずっと気持ちいいんです。
そして今は私に必要な承認を持っている人(私の存在丸抱えではなく、私の存在をOKと思っている人)人と、あまり気持ちの良くない承認(下心ありとか条件付とか承認しているようでしてない人)を出す人の区別が少しつきつつあります。
長くて申し訳ありません。もう一つだけ。
私の母は、子供のように私に承認を求める人でした。
私の成長と心と境界線を壊してまでも、私を母の心と一体化をさせてその上で承認させようとする人でした。もちろん母は私の気持ちを受け止めることも承認することも出来ない人でした。母は私を母の必要を満たすためのものと思っていて、私として私が生きようとすることを脅威に思い攻撃する人だったと思っています。抵抗しつつも、私の中の空白が強まるように感じていました。
こーくんさんのお母さんも私の母と同じような人だったのではないかと感じました、自分の無意識の欲求に絡め取られて自分の娘が、自分とは別個の一人の尊重されるべき人間だということが解からない人。娘を自分の延長線上のものであるべきだと考える人。
そんな人の子供として育てられたら、自分の境界線がとても脆くて、他人からの進入と思えるものにぐらぐらするのは当然な気がします。私は侵入的な女性に今でもとても弱いです。私の課題でもあります
まとまりなくてごめんなさい。
的を外れたことを書いたのではないかとドキドキしています。
どうぞ、残り少ない夏を気持ちよく過されますように。
さくら
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■5262
/ inTopicNo.8)
Re[2]: 横レス失礼します。
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□投稿者/ こくーん
-(2006/08/18(Fri) 23:03:23)
さくらさん、こんにちは。
書き込みうれしいです。
> この小さいこーくんさんは、とても愛しいものに感じます。
> こーくんさんが小さいこーくんさんを大切にしてくれたらいいなと思いました。
> この小さいこーくんさんを一番大切にすることができるのは今のこーくんさんだと思うのです。
> 小さいこーくんさんは消えたりまた出てきたりして、少しずつ大きくなって今のこーくんさんに暖かいものをくれるかもしれません。
> 今のこーくんさんも大切にしていくことで、小さなこーくんさんも又育っていくと思います。(小さいこーくんさんも別個に可愛がってくださいね。)
ありがとうございます。
おこがましいかもしれないですが、もし自分の中に感じた小さな私が、真珠の核の
ようなものだとしたら、それを大きく育てていくためには何が必要なのだろう、と
思います。
少しずつ、少しずつ、大きくしながら、光るにはどうしたらいいのだろうか、と。
> 他人からの承認を求める自分を抱えつつ、自分で自分を承認して行くっていうのもありかなと思っています。
> 私の経験で申し訳ありませんが、自分のことを自分で丁寧に扱うことを練習していく中で、自分のことを自分で「まぁこれでいいか。存在してもいよね」と思えてきました。そうしたら、小さいわたしと今の私両方とも心の奥が緩んで暖かくなってくるんです。気持ちいいです。
> そうすると、他人の承認がそんなに必要じゃなくなってくるんです(もちろん承認されたら嬉しいです)。この緩んで暖かくなっている部分の方が他人の承認よりずっと気持ちいいんです。
『心の奥が緩んで暖かくなってくる』っていいですね…。
私にはまだ『自分を認めてあげる』<『他人に認められる』という世界から、きっと
抜け出せていないのだと思います。
…あ、さくらさん、SILVER7さんの言わんとされていることが、今分かった気がしました。
そして、自分の問題の核も。
わかっているつもりでも、忘れてしまったり、ちゃんとわかっていなかったりする
みたいです。
私は『自己による承認』<『他人による承認』の<の天秤があまりに『他人』に傾
きすぎているのだと思います。
> こーくんさんのお母さんも私の母と同じような人だったのではないかと感じました、自分の無意識の欲求に絡め取られて自分の娘が、自分とは別個の一人の尊重されるべき人間だということが解からない人。娘を自分の延長線上のものであるべきだと考える人。
> そんな人の子供として育てられたら、自分の境界線がとても脆くて、他人からの進入と思えるものにぐらぐらするのは当然な気がします。私は侵入的な女性に今でもとても弱いです。私の課題でもあります
…そうかもしれません。私の母は私に自分の優位を示しながら(承認とも言えますね)、
自分の理想を私に望むようなところがありました。
私は、母の理想であると同時に、母よりも下位にあり、母を煩わせず、母を輝かせる
…そういう、矛盾した存在であることを求められていたように思います。
(母自身は気づいていないでしょうが)
今、母から離れて、別個の存在としての自分をやっと感じられるようになってきた
のであれば、やっと、スタートラインに立った…というところでしょうか。
> まとまりなくてごめんなさい。
> 的を外れたことを書いたのではないかとドキドキしています。
> どうぞ、残り少ない夏を気持ちよく過されますように。
とんでもないです。思考優位でグルグルと考え続けてしまう私にとって、こうして
書き込みをいただけることは本当にありがたいことです。
自分と『小さな私』とのこと、もっと深く感じてみます。
ありがとうございました。
さくらさんも、毎日を心地良く過ごされますように。
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■5263
/ inTopicNo.9)
Re[3]: 取り急ぎ、こくーんさんへ(フラッシュバック注意!)
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□投稿者/ こくーん
-(2006/08/18(Fri) 23:12:11)
SILVER7さん、お忙しいところ、ありがとうございました。
今はもう、ワークショップにお出かけですね。
書き込みをじっくり拝見して、お戻りのころにまたお話させていただければ
光栄です。
(この宿題?を読み解いて、感じてみたいと思っています)
まのんさん、もしご覧でしたら。
このスレッドは既にまのんさんの問題から1人歩きしているようです。
…というより、私の問題として。
まのんさんの起こされた勇気ある行動が、私に新しい気づきを与えてくれました。
ありがとうございます。
今、渦中におられるまのんさん、いろいろと大変なことがあると思います。
応援していますね。背中を押すというより、見守るような意味で。
心身ともにお大事にして下さいね。
引用返信
削除キー/
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■5265
/ inTopicNo.10)
Re[4]: 取り急ぎ、こくーんさんへ(フラッシュバック注意!)
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□投稿者/ まのん
[MAIL]
-(2006/08/21(Mon) 01:08:03)
こくーんさん、お返事が遅くなってしまってすみません。
わざわざ声をかけて下さって、ありがとうございます。
> このスレッドは既にまのんさんの問題から1人歩きしているようです。
> …というより、私の問題として。
そうなんですね。「小さいけど、吹き飛びそうだけど、踏ん張っているこくーんさん」のお話、読みました。私も、小さなこくーんさんのこと、応援していますね。
今回、私の身に起こった問題のゴチャゴチャから、このように可愛らしいこくーんさんのお話が紡ぎ出されたこと、不思議であると同時にどこか、嬉しく思います。。。
最初は自分の混乱ぶりを、ただそのまま皆さんに伝えてしまい、この場を乱してしまったような気もしていたのですが、、、。でもこの件がなんらかの形で、別のどなたかの過去のお話や気づきにつながっていくことができたら、そのことを嬉しく思います。私一人では、きっと同じ所をぐるぐる何周も回っているだけなので。。。
ですから、こうして問題が脱線したり、発展したりしているうちに、また新たな分かち合いがそこで生まれたらいいなと思います。答えが迷宮入りすることもあるかと思いますが、それでもいいんですよね。自分の発した信号を、どこかでちゃんとキャッチしてもらえる感じが、私にはとても安心です。。
私は自分のことはまだよく分からないのですが、小さなこくーんさんの成長をきっといつか、またここで聞かせて頂けたら、嬉しく思います。
こくーんさんこそ、私のパニックぶりをいつもやさしく受け止めて下さって、こちらこそ本当にありがとうございます、です。。
まだまだ不安定で動揺や不安も大きく、今さらもがいても遅いのですが、やはり引き返したくなる事もあります。。でも様々な方にサポートして頂き、なんとか生きております。。
近々またご報告に来たいと思いますので、そのときはまたどうぞよろしくお願いします。
引用返信
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■5269
/ inTopicNo.11)
SILVER7さんへ その3(フラバ注意)
▲
▼
■
□投稿者/ こくーん
-(2006/08/23(Wed) 00:09:43)
2006/08/23(Wed) 00:15:23 編集(投稿者)
SILVER7さん、こんばんは。
『エウレカ!』と叫ぶところまで至らないまでも、気づくことがありました。
ぜひ、ご意見を聞いてみたいと思って、書き込みます。
『他人からの承認』…自分が好きなことをして、自分が納得していることをして、
結果として他人から認められることと、他人から認められんがために、自分の意に
反する行動であってもそれをする…というのは違いますね。
…そして、私がしていたことは後者であった、ということ。
他人に認められたくて、何かを積み上げて積み上げて、心の中で『ねえ、見て見て!
褒めて!すごいと言って!!』と叫んで、他人から見向きもされなくて、落ち込む。
滑稽なことだけれど、多分こんなことを私はしていたのだと思います。
社会人になって、最初に辛いと感じたことは『褒めてもらえない』ということでした。
『褒めてもらえない=他人の期待に応えていない=私はダメ人間』
そんな気持ちになっていました。
実際に仕事を辞めたのは、これとは違う理由でしたが、根幹にはこの気持ちがあった
ように思います。
SILVER7さん、自分の中で整理されていくものがあるのを感じます。
私はずっと『贖罪意識』に苛まれていました。一体何の罪が自分にあるというのか。
何か分からないまま、献血をしたり、募金をしたり…できる範囲でいろいろなこと
をして、自分を『許して』きました。
自分のしたいことを何一つしなかったわけではありません。
ワガママも充分言いましたし、しました。
でも、『こんな私は自分じゃない』そうも思っていた(いる)ように思います。
本当の人生を生きていない…本当の私は…。
> 「期待される人間になる」という「幻想」
この言葉がひっかかったんです。本当の私は『期待されてないといけない』し、
『期待に耐えうる人間でなくてはいけない』だから、そうでない私は、いけない私、
偽物の私…そう思っていたのでしょう。
私の中の『期待されるのが怖い!!』という気持ちは、この幻想の裏返しのように
思います。
そうして、『期待される人生を送れない』ことが罪の意識になっていたのです。多分。
> うん、私が30代の中ごろ考えた「これが、私の踏み跡。 歴史に刻む私の姿。 私は力いっぱい苦しんでいる」と、いうのと、似ているように思いますね。
今、この言葉が染みます。
私が一番承認を求めた相手は『母』でした(です)。
その母から離れて1年半。だからなのか、それとは関係なく『その時』が来たのか
わかりませんが、確かに存在する、育てていきたい『自分』がいるのを感じます。
> 「共依存」、つまり、もっとも切実な誰かに、「自分」を承認してもらいたいし、自分の方からも、その切実な誰かが、きっと悔い改めて、というか、気づいてというか、とにかく「私の方に」顔を向けてくれる日が来ると、思っているという関係ではないでしょうか?
> つまり、自分は被害者だけではなくて、自分の方から、必死に、「期待している」、つまり、「求めている」んだと、いうことです。
>
> それを追い求めている限りは、「無いものねだり」になるのではないでしょうか?
> 永遠の空虚感を追い求めるような、「幻」になるのではないでしょうか?
>
> 「私は認められるべき存在」という想いが、もし、あるんでしたら、それは、「幻」かもしれませんね。
> 私は、「幻」を追っていた目を、その視線を止めたんですね。 そしたら、初めて、「自分」が見えた、と、いうことです。 何も持っていない、今まで、まったく気がついていなかった、生れ落ちたばかりのような、何も着ていない赤子の姿でした。 私は、掌に、「自分」を取り上げたんです。
わかる…気がします。
理屈としての理解が、長年染み付いてきた行動パターンをどれだけ変えられるのか、
私が本当にちゃんと理解できているのか、自信はありません。
でも、何かが変わる…そんな気がします。
長くなってしまって申し訳ありません。
SILVER7さんが経験されたことや、今回参加されたというワークショップのことなど、
お話を伺いたいことがいろいろあります。
また、今回ここまで自分の考えを整理できたのは、まのんさんを始め、他の方々の
書き込みに触発されてのことでした。
もっと、自分の内面に目を向けてみたいと思います。
行ったり来たり、矛盾したことを言ってみたりするかもしれませんが、手探りで進んで
いこうと思います。
これからもよろしくお願いします。
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