1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■5069 / inTopicNo.1)  卒業論文 その一
  
□投稿者/ はなぽん -(2006/06/22(Thu) 13:36:54)
    2006/06/22(Thu) 13:56:34 編集(投稿者)
    2006/06/22(Thu) 13:56:30 編集(投稿者)

    はじめに

    私は、数年前からここに出入りしている、2児の母です。子供が小さいので、子育てに忙しく、ここに書き込むためのまとまった時間が取れません。それで、このスレッドは、連載になるかもしれません。

    私自身の行きづらさの原因であるACの問題に取り組み始めてから、もう、7〜8年もたつでしょうか。初めてここにきてからは、3年ぐらいになります。ずいぶん、たくさんの怒りや悲しみを文章にし、親にも突きつけ、自分の心を削るような痛み、苦しみを感じ、主人にも助けられ、周りに依存し、別れ、本当に、長く、苦しく、悲しい「反抗期」を過ごしてきました。

    初めてここに来たとき、私は、第一子の妊娠中でした。
    無事にその子を産んだ後、その子とのかかわりの中で、私は、自分のインナーチャイルドの存在を認識しました。また、その子の行動から、幼い頃の私の育てられ方ことを類推し、こうであったか、ああであったかと、思うことが多くありました。

    第二子を産んだあと、第一子は、「おにいちゃん」になりましたが、まだまだ幼く、赤ちゃん帰りとイヤイヤ期が同時です。

    先日、二人の子を寝かしつけていたときに、それは起こりました。
    右手に第二子、左手に第一子を腕枕し、動けないなぁと、ため息をついたときでした。ふと、子供たちに愛されていることに気づいたのです。

    以前、「りんごの木」のHPで、「親は子供に、ああしろ、こうしろ、こういう風になれ、と口やかましくいうけど、子供は、そんな親の有り様を丸ごと受け止めている。親も、子供をあるがままに受け止めてあげることができれば・・・」というような趣旨の文章を読みました。私は、「私も、子供の頃は、不平不満はあったけれど、親を受け入れていたんだ」ということに思い当たりました。

    そして、「私は、子供たちに、あるがままで愛されている」ことに気づいたときに、「私も、あるがままの親を愛していたし、今でも愛している」ことに気づいたのです。

    以前、ここに、「心の底の蓋を開けたら、どろどろとした怒りや悲しみがあった」という趣旨のことを書きました。その怒りを怒り、悲しみを悲しみ、たくさんの涙を流した結果、それらはいつの間にか、感情を伴わない「記憶」に変化していきました。
    そして、その怒りや悲しみを私にもたらしたものは、私の「幼い愛情」であり、それが両思いであったと思うことができなかったから、怒りや悲しみが溜まっていたのではないかと思いました。

    それは、幼い愛情ですから、独占したい、ほめられたい、などのいろんな感情とセットになっています。「与える愛」ではなく「奪う愛」のほうです。

    「親の心子知らず」とはいいますが、私が親になってわかったのは、親の心ではなく、子の心であったのです。
    これに気づいた瞬間、たくさんの涙を流しました。子供たちにはりつけにされたまま、たくさん涙が流れました。

    ACの問題に苦しんでいた頃には、亭主に、「本当はお父さん、お母さんのことが好きなんじゃないの」と言われ、「そんなことはない」と否定していました。でも、好きとか嫌いとか、簡単に言葉にできることではなく、怒りや悲しみが飛んで行ったあとの私の心の底に残った、ただひとつの真実であります。

    そして、そのことに気づいた後、私は、完全に、「他者」として、親を見るようになりました。

    続く
引用返信 削除キー/
■5070 / inTopicNo.2)  Re[1]: 卒業論文 その一
□投稿者/ いろは -(2006/06/23(Fri) 09:32:32)
    はなぽんさん、こんにちは。
    遂に卒論なんですね。
    はなぽんさんが初めてのお子さんを抱え、苦しんでいた頃から
    もう3年もたったんですね。あれから私ははなぽんさんを勝手に同士と
    思い、お互いの成長を確かめあってきたように感じていました。
    今回、こうして卒論をかけるまでにいたったはなぽんさんに
    拍手を送りたいと思います。
    是非、続きを読ませてください。
    今回の親を愛せるにいたった境地について
    一晩考えちゃいました。私はまだ残念ながら親を拒否することで
    自分を成長させている真っ最中ですのでこのいろはがちゃんと成人して
    はじめて親のことも振り返ることができるのだろうと思っています。
    なので今は自分のことに専念するつもりです。
    なんて自分のことを書いちゃいましたが
    引き続き卒論読ませていただきますね。最後は卒業式かな?

引用返信 削除キー/
■5072 / inTopicNo.3)  卒業論文 その二
□投稿者/ はなぽん -(2006/06/23(Fri) 14:09:28)
    2006/06/23(Fri) 14:19:18 編集(投稿者)

    「他者として親を見る」ということができるようになったと、私が感じた理由は、すべてのこと、すべての人を、「私」じゃない、「他人」と感じるようになったからです。
    私の皮膚一枚の外側の人は、私ではない、ということを、強く認識したのです。

    親を愛しているのは私であります。
    この世に生まれ出で、親を親と認識したときから、私は親を愛し続けてきました。
    誰かに強制されたわけでも、そうでなくてはいけないと言われたのでもありません。私は、本能とも言うべき、この愛情の存在に気づいたのです。
    私が持っていた、すべてのACとしての問題の根っこに、この、子供から親へ向けられる愛情があったのです。

    反抗期とよばれる、自分への疑問、親への疑問を命がけで問う時期があります。
    私は、この時期を過ぎるまで、この、本能のような親への愛情が続いたのです。反抗期を獲得できなかったから、この年まで、この幼い愛情に絡め取られ、親に絡め取られて、苦しみ続けなくてはいけなかったのです。

    反抗期を過ぎて、私は、「私」であることを認識すると共に、私に関わるすべての人やすべての事柄に対して、自分の頭で考えて、自分の言葉で表現し、自分の行動を自分で決める、ということを、しなくてはいけなくなりました。
    自分の言動や行動は、周りからの何らかの反応を引き起こしますから、自分で種をまいて自分で刈り取らなくてはいけないのです。

    親と話していて、愚痴を聞かされているなと感じたとき、聞いてあげることも、断ることもできます。どうするかは自分で決めるのです。そして、その意思を伝える言葉も、自分で選んで決めます。伝わったら成功。伝わらなかったら失敗。やり直すかどうかも自分で決めます。親の意向に流される、ということも、自分でそうすると決めたなら苦痛ではなくなるのです。

    究極のことを言えば、親を愛することを、続けることも、やめることもできるのです。
    また、どのように親を愛するか、どのようの親を愛さないか、方法を決めることもできるのです。真剣に自分で考えて出した結論ならば、他人がとやかく言おうと、そのことに罪悪感なんて感じないのです。また、他人に話すような筋合いのことではないという判断ならば、あいまいな微笑でごまかす、という選択もあるのです。

    そして、私は、欠点だらけで思いやりのかけらもない親を、そういう人としてこれからも付き合っていくということを選択しました。ただし、付き合い方は以前と違って、私の頭で考えて行動するというやり方で。
    そして、それは、欠点だらけの自分を許すということにつながるものでした。

    他者からの働きかけに関しては、例えば、その一で書いた、息子たちのことなら、息子たちから愛されている、と感じたのは私であり、息子たちが私を愛しているかどうかは、本当のところはわからないのです。でも、私は確かに、息子たちの愛を感じました。そして、うれしかった。私にとっての真実は、「息子たちの愛を感じてうれしかった」以上でも以下でもありません。それで、十分満足なのです。

    続く






引用返信 削除キー/
■5073 / inTopicNo.4)  Re[2]: 卒業論文 その一
□投稿者/ はなぽん -(2006/06/23(Fri) 14:16:09)
    いろはさん、レスありがとうございます。
    読んでいただけてうれしいです。
    まだまだ長くなりそうな予感がしています。

    親を愛することができるようになったのではなく、
    親を愛していることに気づいたということなのです。

    いろはさんをはじめ、ここでお世話になったすべての方に報告したくて、
    誠実に、正直に書き進めようと思います。
引用返信 削除キー/
■5079 / inTopicNo.5)  Re[1]: 卒業論文 その三
□投稿者/ はなぽん -(2006/06/27(Tue) 14:19:06)
    転機はもうひとつありました。
    近い肉親二人の死です。内一人は、大好きな祖母の死でした。
    死装束を着た祖母は、棺おけの中に入れられ、たくさんの花と共に火葬されました。後に残ったのは、灰と骨だけ。あとはみんな、煙になって、消えてきました。でも、私は、ただ消えていったのではないことを知っています。かつて祖母だったものは、地球の物質の循環の中に帰っていき、祖母の魂は記憶として、私の中にあるのです。

    出産もまたしかり。私が食べたたくさんの生き物から、息子の体が形作られ、生まれてきました。私も、たくさんの生き物を食べて、命を維持している。私が死んだら、何かの生き物を饗することになるのでしょう。そうやって、昔からここにいて、これからもずっとここにいる。生きていても、死んでからも、居場所はこの地球の中。
    そう思ったら、なんとなく、恐いものがなくなりました。

    そうして、今、私が得たものは何かというと、「心の自由」です。
    私の心は、インナーマザーを取り込んでしまいました。インナーマザーは他者ではなく、私の心の一部でした。母が作ったものだと思っていましたが、母との関係の中で、私が作ったものでした。だから、私がこわそうと思えば壊れます。今は、毒を弱め、時々、ボソッと何か言う程度。それも、参考意見程度に聞けるようになりました。
    インナーチャイルドは、まだいます。これからもずっといると思います。両親の背中に向かって手を差し出し、抱っこをせがむインナーチャイルド。彼女のおかげで、私は、抱っこをせがむ息子を(時には断りますが)いとわずに抱っこできます。彼女は、私の心の傷です。この傷のおかげで、忙しい時も、ふとわれに変えることができます。息子にやさしくなれます。だから、このままでいいのです。

    誰にはばかることもなく、すべての出来事に対する、対応策を、私の心の中に求めるということ。
    それは、私の心を、完璧なまでに、自由にしました。
    責任の伴う自由です。
    その自由が、私に、生きていてよかった、自殺しなくてよかった、という気持ちと、「自分の今という時間」がいとおしい、という気持ちをもたらしました。

    今は、前向きに、「なりたい自分」を模索しています。今思っていることは、「言葉を上手に使える大人になりたい」ということです。私の言葉を息子がオウム返しすることから、そう思うようになりました。
    言葉なんて無力で、以心伝心がいい、なんて思っていましたが、今は、言葉の力でコミュニケーションできるということを信じたくなりました。
    言葉の使い方を勉強し、不用意なことを言わず、人を不快にせずに意思を伝えることができるようになりたいのです。

    これで、卒業論文は終了です。

    皆様のご意見、ご質問には、誠意を持ってお答えしたいと思います。

    最後に、管理人様、今までお世話になりました。
    今まで、私とお話してくださった皆様、本当にありがとうございました。

    また、時々は遊びに来ると思いますが、はなぽんのAC問題との取り組みは、ここでひとまず終了とさせていただきます。問題がおきたら、またお世話になるかもしれませんが、これからのはなぽんは「大人」になるべく、生きて行こうと思います。

    読んでくださった皆様、ありがとうございました。



引用返信 削除キー/
■5080 / inTopicNo.6)  Re[2]: 卒業論文 その三
□投稿者/ さくら -(2006/06/27(Tue) 19:17:06)
    はなぽんさんへ

    卒業論文読ませていただきました。
    ありがとうございます。読めて嬉しいです。

    正直、回復途中の私には理解できないところもあるのですが、それは私がそのうち理解できるようになるかもしれないのを楽しみに待ってみようと思っています。

    質問してもいいでしょうか?
    今のなはぽんさんの心境というか状態は、
    大人のなはぽんさんがご両親への執着がほとんどなくなって、ご自身の人生を出来る限りご自身で引き受けていけるようになった(又は引き受けていこうと思えるようになった)状態と思っていいでしょうか?
    そして、世の中に対しても、なんとなく大丈夫だという安心感を持つことが出来るようになった状態ということでしょうか?
    私なりのなはぽんさんの状態を想像すると、このような言葉になったのです。





引用返信 削除キー/
■5081 / inTopicNo.7)  Re[2]: 卒業論文 その三
□投稿者/ いろは -(2006/06/27(Tue) 23:03:40)
    はなぽんさん、こんにちは。
    卒論読ませていただきました。
    留年生として少し重たいですが
    私の思いを書いてみようと思いました。
    (フラバ注意です。)
    私は全く逆なのです。
    私は親が人として大嫌いな存在であることに気がついてしまいました。
    子どものころから何かおかしいと思いつつも
    生活を共にしなければ生きてこれなかった小さな私が不憫でならないのです。
    私は子どもを持って実両親がなおさらわかりません。
    何故いとおしいはずである子どもに虐待をしなければいけなかったのか。。。
    小学校の低学年の子を置いてどこかに行って私を締め出したまま
    夜遅くまで帰ってこなかったり、家出をしてしまったり、
    父が暴れて家具や家電製品を壊し私を傷つけたりしたことが
    余計にわからないのです。
    酔った父が絡んだ相手に頭をさげたのは私です。
    軽い性的虐待も受けました。
    何度も愛情が欲しくて門を叩いてもその度に裏切りつづけられた小さな私はボロボロでした。
    ごはんは食べられました。学校も行けました。
    けれど、精神は破綻してしまったのです。
    きっと神様は不憫な私に今の家族を与えてくれたのだと思います。
    初めて自分の家族がいとおしいと思えました。
    そして、今の家族がいるから生きていこうと思いました。
    はなぽんさんがご両親に対して気づいたこと。
    私にはとても無理なような気がします。
    けれど、私は私でいいのだから、
    実両親と平行線でも生きていていいんだとわかったことだけでも
    成長してきているんだと思います。
    はなぽんさんの節目にちょっと便乗させてもらうように
    自分の思いを書いてみました。
    いつかまたどこかでお話したいです。
    どうかお元気で、
    はなぽんさんの幸せをココロから祈っております。

引用返信 削除キー/
■5082 / inTopicNo.8)  (削除)
□投稿者/ -(2006/06/28(Wed) 06:02:26)
    この記事は(投稿者)削除されました
引用返信 削除キー/
■5083 / inTopicNo.9)  Re[1]: 卒業論文 その一
□投稿者/ 柊。 -(2006/06/28(Wed) 10:08:38)
    お久しぶりです。
    ご出産、ご卒業おめでとうございます。

    思うんですが、私は自分の育った家庭環境が
    ずっとコンプレックスでした。
    でも、コンプレックスって生きていく上で
    そう邪魔ではないのかも。
    乗り越えた後すごく成長できるような
    気がします。
    コンプレックスがあるから、こそ子供には
    …っていう思いがあります。その思いの
    おかげで上手くいってることもあるんです。
    過去は肥やしにしちゃって、今を大切に
    生きたいです。

    母が60を過ぎたあたりから「死後」のこと
    を話すようになりました。
    この間も母がそんな話をしてきたので、
    「マンションは弟がいらないなら、早く売って
    しまって、(もうすぐローン完済なので)
    そのお金で老後のための生活として使って
    しまえば?子供に一銭もお金を残す必要は
    ないよ。お父さんとお母さんで使ってしまったほう
    がいいよ」って話をしました。
    母が「マンションを売れば、子供に遺すお金が
    ない」というので、そう言いました。
    もうすぐ父も定年退職ですが、その後二人で
    趣味をしながらのんびり過ごすって絶対にできないの
    はわかります。
    もう、今さら親に違う生き方を。。なんて薦めても
    できるわけもなく、子供に干渉しながら子供のことを
    いつまでも心配しながらいつまでも子供を子供扱いに
    しながら夫婦で子供の愚痴を言いながら生きていく
    両親を認めてあげなくてはいけないのかな?と思ったりします。
    今のところ、両親が私の家庭に害を及ぼしてるわけでもないし、
    そうなったら縁を切りますが、そうでもないので
    このまま今までどおり付き合っていこう思います。
    私は私で成長していってると思います。
引用返信 削除キー/
■5087 / inTopicNo.10)  Re[3]: 卒業論文 その三
□投稿者/ はなぽん -(2006/06/28(Wed) 11:22:01)
    さくらさん、レスをありがとうございます
    苦しめば苦しんだだけ、心の中に、明るい道が開けるはずです。いつか、さくらさんの人生に、明るい日差しがさしますように。


    > 質問してもいいでしょうか?
    > 今のなはぽんさんの心境というか状態は、 大人のなはぽんさんがご両親への執着がほとんどなくなって、ご自身の人生を出来る限りご自身で引き受けていけるようになった(又は引き受けていこうと思えるようになった)状態と思っていいでしょうか?

    答えは、YESです。自分の人生をできる限り、ではなく、自分の人生は、誰のものでもなく、自分自身のものであることを、当たり前のことと、認識したという感じです。さくらさんのいう「両親への執着」が、私が「幼い愛情」と表現したものだとすれば、それはずいぶん薄れました。親に、「ああして欲しい、こうなって欲しい」と思うことが、ほとんどなくなったからです。親は、きつい言葉を連発する人ですが、それを、受け止めたり、流したり、返す刀で切りつけるのもありで、それは、私の判断の上での行動として、表現していこうと思っています。

    > そして、世の中に対しても、なんとなく大丈夫だという安心感を持つことが出来るようになった状態ということでしょうか?

    答えは、YESです。この世のすべての人が、自分自身の人生を生きているのだから、私も自分の人生を生きて大丈夫。私が、他の人の人生やありようを認めているように、私自身も、人生やありようを、周囲の人に認めてもらっても大丈夫。認めてくれずに干渉してくる人、敵意をあらわにする人がいたら、その対応は自分で考えて自分で決める。悲しかったら泣いてもいいし、腹が立ったら怒ってもいい。でも、その表現方法は自分で考えて自分で決める。そんな感じです。

    はなぽんが、完璧に、そう実行できているわけではないですよ。
    まだまだ修行は続きます。
    でも、以前のような、後ろ向きな感情はほとんどなくなりました。
    私ってだめだなぁ、まだできてないなぁ、、、よし、また今度やってみよう!
    そんなことを繰り返しています。



引用返信 削除キー/
■5097 / inTopicNo.11)  Re[3]: 卒業論文 その三
□投稿者/ はなぽん -(2006/06/28(Wed) 13:31:09)
    いろはさん、レスありがとうございます。

    私は、いろはさんのレスを読ませていただいて、私が、私の思うところを表現した「愛している」「幼い愛情」といった表現が、もしかしたら、いろはさんの心の敏感なところを、刺激してしまっているのではないかと心配になりました。いろはさんだけではなく、他の読んでくださった方たちに対してもです。もし、そうであったなら、ごめんなさい。

    「愛している」の反対を「愛していない」、「好き」の反対を「嫌い」と定義して、お話させていただきますと、私は、わたしの両親を、人として嫌いなのです。近所のおじさんおばさんだったなら、避けるタイプの人間であります。

    その、嫌いな人間に対して、なぜ、息子たち(彼らの孫)を会わせないと罪悪感を感じるのか、なぜ、彼らの年齢を数えてしまうのか、なぜ、彼らのうちどちらかが亡くなったり、病気になったときのことを考えて暗くなってしまうのか、なぜ、漠然と将来の同居を想像してぞっとしてしまうのか・・・そんなことを考えていました。

    それらの問いを、私自身に向けた結果、出た答えが「愛している」からだ、というものでした。嫌いなのに愛している。この結論を受け入れるには、少々きついものがあったし、葛藤もありました。でも、私にとって、「愛していない」とは、何の感情も感じない状態を言うので、両親にたいして、ここまで怒り、悲しみ、乗り越えてきたものの大きさを考えれば、どうしても断ち切れなかった気持ちとして「愛している」ということを受け入れよう、それが私の正直な気持ちだ。奇麗事を言い立てる必要はないのだ。それでいいのだ。そう思ったら、とても気が楽になりました。

    この、「愛している」「幼い愛情」は、もしかしたら「依存」と置き換えられるのかもしれません。「依存」という言葉で表現するなら、私は、親に依存している自分を強く認識し、依存している自分を許した。依存している自分を認識したとたん、依存心が薄れた。そして、私は自律して生きる幸せを感じた、という文章になると思います。

    そして、依存心が薄れた今、私は、親の子供時代や若い頃の状況について、いろいろ思うようになりました。親との対決の中で、断片的に得た情報です。
    父は小学生のときに結核や骨折で長期にわたり学校に行けず、成績も伸びず、いじめを受けたこと、祖父が言葉の少ない人で、長男であった父が若いときから、一家の長的な立場にいたこと、年功序列の職場で、早生まれの父は同期の中でもっとも遅い昇進であったこと、などです。母は長女であり、弟のために進学をあきらめたこと、母が子供の頃、母の祖母の介護で、オムツ換えは母の仕事であったこと、高校生のとき、弟や、母の父の友人の息子たちを預かって、毎日お弁当を作って送り出していたことなどです。

    親に対する依存心が強かったときは、「だからって、私にしたことは許せない!」と思っていました。依存心が薄れた今は、「親の人生は親の人生でいろいろあった。そのせいで、私にもとばっちりが来た。私は、腹が立ったし、悲しかったし、つらかった。でも、もういい。親には親の生きた時代と人生がある。私にも私が生きている時代と人生がある。」そんな風に変わってきました。

    いろはさんへのレスの場を借りて、卒論の補足をしてしまったようです。すみません。

    いろはさん、私は、「自分の家族のために生きる」という風に思っていた時期がありましたが、今は違うのです。「自分の人生を生きる」という風に変わったのです。自分の人生を生きるなかで、私が家族を愛することにしたのです。
    なぜなら、家族はいつか変化していくものだからです。私がもし長生きしたら、逆縁もありえないことではないし、そうなったときに、私の生きる意味がなくなってしまう。そう思ったら、心底ぞっとしました。
    息子を産んでからこの方、「子供を産んで育てて、子供が自立したら、私は用なしなんだろうか」と、ずっと悩んでいたのですが、どうやら、そういうものでもないらしい。「生きる喜び」みたいなものがあって、それがあれば、人生、何があっても、喜び、悲しみ、怒り、妬み・・・といった、たくさんの感情と共に、人生を歩んでいける。そして、たとえ野垂れ死にをしても、人生楽しかったぞと言い切れる。その、「生きる喜び」が、私にとっては「自律」すなわち、「自分で考えて自分で決める」ということなのです。

    私の成長は、今、始まったばかりです。生まれて初めて、自分の足で歩いているようで、危なっかしくて仕方がありませんが、それでも、生き抜いてみようと思います。
    いろはさん、今まで本当にありがとうございました。ここで、いろはさんのお名前を見るたびに、一緒に歩んでいる人が確かにいるんだと、心強く思っていました。もう少し子供が大きくなるまでは、PCの前に座る時間がかなり短くなってしまうと思いますが、これからも、時々は遊びに来ますし、いろはさんのHPにも伺いたいと思っています。いろはさんに出会えて本当によかったです。ありがとう。ありがとう。


引用返信 削除キー/
■5098 / inTopicNo.12)  Re[3]: 卒業論文 その三
□投稿者/ はなぽん -(2006/06/28(Wed) 13:51:58)
    2006/06/28(Wed) 13:52:21 編集(投稿者)

    スケッチぶっくさん、レスありがとうございます。

    スケッチぶっくさんの、いつも真剣で誠実な文章を、いつも拝見していました。
    息子さんとの関係がよくなってこられたことは、私自身、もし息子との間がこじれても、私が変われば、息子を癒すことができる、すなわち、やり直しができる、ということを教えていただいているようで、心強く思っておりました。

    ここにきていると、ACと言っても、本当に人それぞれだと思います。
    私は、回復が進むに連れて、他の人たちの投稿に簡単にはレスできなくなりました。
    スレッドを立てるのも、なんとなく、できなくなって、「このまま幽霊になって消えていこうか」とも思ったのですが、「私の例」として、卒論を書かせていただき、お世話になった皆さんにお礼をしようと思い立って、この投稿をしたのです。

    以前、「ACとしての運命を生きぬく」決意表明を、ここに書きました。
    決して選びなおせない自分の親と、やり直せない自分の過去があって、それらはとても不本意だけれども、それでもその運命を受け入れて生きていこうという、自分お背中を自分で押すような内容のことを書きました。
    そのときは、自分のことは自分で救うのだ!と思っていたのです。

    でも、今回は、もっと深い意味で、ACである自分をもう一度発見し、それでいい、と受け入れることで、自分の一部として捉えなおすことができました。そして、それが、私の生きる力に変化していきました。

    もしかして、スケッチぶっくさんと同じようなことを感じているのかもしれませんし、まったく違うことなのかもしれません。私の心におきたことを、文章にする難しさを、強く感じています。

    私と、あなたの、それぞれの人生を、生きていきましょうね、スケッチぶっくさん。今まで本当にありがとうございました。



引用返信 削除キー/
■5099 / inTopicNo.13)  Re[2]: 卒業論文 その一
□投稿者/ はなぽん -(2006/06/28(Wed) 14:01:09)
    柊さん、お久しぶりです。レスありがとうございます。
    柊さんとは、よくお話しましたね。

    柊さんがここにあまり来られなくなった頃から、私も少しずつ足が遠のいていました。そのくせ、何かあると何度も来てみたりして、まるで、駆け込み寺のようにしちゃっていました。

    でも、ようやく、卒論までこぎつけました。長い間、本当にお世話になりました。
    柊さんも、ご自身、成長を感じていらっしゃるようですね。なによりです。

    卒業すると宣言しても、懐かしい場所には帰ってみたくなるもので・・・
    もしまたここでお見かけしましたら、ご挨拶します。
    本当にありがとうございました。




引用返信 削除キー/
■5100 / inTopicNo.14)  NO TITLE
□投稿者/ いろは -(2006/06/28(Wed) 21:15:08)
    はなぽんさん、いろいろと答えてくださってありがとうございます。
    私のことを心配してくださってかえって気を使わせてしまってすみません。
    はなぽんさんが卒論なら私はとりあえず進級テストといった感じです。
    いつかはなぽんさんと同じように思うのかそれともわたしなりの
    道が開けるのかはわかりませんが、はなぽんさんが
    書いてくださったことをもっとじっくり読んでみようとそしてかみ締めてみようと
    思います。もしかしたら、すぐにはお返事できないかもしれませんが。。。
    とりあえず、今の気持ちはすがすがしいのです。
    純粋にはなぽんさんのことを祝福したい気持ちなのです。

引用返信 削除キー/
■5101 / inTopicNo.15)  Re[4]: 卒業論文 その三
□投稿者/ さくら -(2006/06/29(Thu) 22:25:36)
    なはぽんさん

    真摯なお返事ありがとうございました。

    > 苦しめば苦しんだだけ、心の中に、明るい道が開けるはずです。いつか、さくらさんの人生に、明るい日差しがさしますように。

    ありがとうございます。とても嬉しいです。

    私の言う「両親への執着」=なはぽんさんの言う「幼い愛情」だと思います。
    ただ、私の「両親への執着」はまだ、両親を求める「幼い愛情」になっていないのです。「両親を拒絶する」という「両親への執着」の段階なのです。

    ぶしつけな質問をして失礼しました。
    甘えて、なはぽんさんにぶつからせて頂きました。
    私の、今のなはぽんさんの状態への理解が的外れでないようで良かったです。
    ありがとうございました。

    なはぽんさんとは交流する機会がほとんどなかったように思います。
    いまさらですが、少し残念です。

    なはぽんさんの卒業を心より祝福しています。
    きっと、いろいろなことを乗り越えてきたのではないかと思います。
    たまに里帰りして、近況等を読ませて頂けたら嬉しいです。
    なはぽんさんのこれからにたくさんの幸せが待っていますように!

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■5102 / inTopicNo.16)  Re[5]: 卒業論文 その三
□投稿者/ はなぽん -(2006/06/30(Fri) 11:45:56)
    さくらさん、本当に、あんまりお話できませんでしたが、私の卒論に声をかけていただいてありがとうございました。

    また、機会がありましたらお話ししてください。
    どうぞお元気で。

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■5103 / inTopicNo.17)  Re[5]: NO TITLE
□投稿者/ はなぽん -(2006/06/30(Fri) 14:33:15)
    いろはさん、いろはさんのお気持ち、わかりました。ちゃんとうけとりました。

    いつかまた、お話しましょう。私は、子育てBBSのほうには、今後も、たまに立ち寄るかもしれません。

    どうもありがとうございました。
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■5133 / inTopicNo.18)  Re[2]: 卒業論文 その三
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2006/07/11(Tue) 18:03:29)
    No5079に返信(はなぽんさんの記事)

     はなぽんさん、遅レスです。

     全部の書き込みを、今日やっと読んだんです。
     
     私は、今、基本的なスタンスが、社会生活の方へ踏み出しているところがあるんですが、そうすると、そちらの方に気を取られて、こちらへ手が回らなかったり、心理面の分野に関わることが気が重かったりしていました。
     また、はなぽんさんが『卒業論文 その一』を書かれたころに、新しいPCを購入する契約をして、機種選定、バックアップ、新設定に気をとられていたことも重なったのでした。 5日に、基本的な設営をすませた後、一種の興奮状態も、一熱冷めましたので、ようやく読むことができたと、いうわけです。

     『その一』は、掲載当初に読んでいたのですが、あれは、全体の序章であり、本文そのものなんですね。

     子供さんを持った母親ならではの感想というか、実感だったんですね。
     はりつけにされていて、嬉しかったというようなことが書いてありましたね。
     自分が「親を愛しているんだ」と、いう気付きは、ほんとうに、大きな転換だったかもしれませんね。 後のレスでも書いておられましたが、親のことが嫌いなのに気になっていた、そのわけがわかったのであり、それは、自分でも承認できなかった自分が「承認できた瞬間」だったのかもしれませんね。

     自分で、自分を否定する気持があると、気持悪いですね。
     これは、何気ない言葉のように聞こえますが、ACが、直面していることですね。 ACの苦しみの元と言ってもいいかもしれません。

     はなぽんさんは、最後に残っていた自己否定感に気づかれて、同時に肯定感に変えられたのかもしれませんね。

     私も追体験してみると、「ふ〜〜〜」と、力が抜けて、体が温かくなってくる感じですね。

     親を敵対的対象として見るだけでなく、自分のなかにあるさまざまな感情も、そのまま「自分のもの」として承認すること、すなわち、自分が自分の主人公になることを取り戻したのかもしれませんね。 「我が手にした」、だから「自由になった」のかもしれませんね。

     どの文章も、たいへん気持ちがいいです。 そうですね、以前の無理矢理思い込ませようとしたものは無いかもしれませんね。 「あるべきではない姿」から「あるべき姿」みたいな、ね。

     別の書き込みで、「『卒業論文』と書いたけど」と、書いておられますが、私が思うには、立派な『卒業論文』になっていると、思いますよ。 現在の、ただ今のはなぽんさんの、立派な『卒業論文』だと、思います。 これから先、『修士論文』も、『博士論文』もあるんだから!♪

     はなぽんさんの文章は楽しみですから、また、いつでも書き込んでください。 なんてったって、仲間なんだから!♪

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