1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■4996
/ inTopicNo.1)
記憶っていつ頃から覚えてますか?
▼
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□投稿者/ エゴ
-(2006/04/28(Fri) 22:26:51)
こんばんわ皆様、はじめまして。
自分はACの範囲に入る事は無いと思うのですが書き込ませて頂きます。
身勝手で自分に都合の良い人生を送っていますが、親への責任転嫁の為か?
現在、自分の保育園時代にどういう性格&行動&出来事を振り返り中です。
ちなみに、24歳、男性、無職(高校中退&専門卒)、両親のすねかじり。
皆様に小さい頃からの記憶についてお聞きしたいです。
自身が親をどう思っていたという記憶はいつ頃からはっきりしてますか?
日常生活がはっきり記憶され始めた時はいつ頃でしょうか?
また、保育園の頃になにか物事を深くとらえたりできるのでしょうか?
もしくは考えた事や思ったことを記憶していますか?
以上の事をお答えいただけると幸いです。
引用返信
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■4997
/ inTopicNo.2)
自分の場合は。
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□投稿者/ エゴ
-(2006/04/28(Fri) 22:28:56)
自分の記憶は小学校へ通学してからはっきりしている、明るいのですが。
通学前の保育園時代(年中〜年長)がどうも空虚感&思い出しにくいがあります。
忘れやすい性分でもあるのですが。
もちろん、保育園のトピック的な記憶は少しはあるにはあるのですが足りない気がします。
特に親に対する気持ちや家での日常の会話や感情がまるっきし無い&自信が持てない。
母親曰く、平穏で幸せな家庭、土日以外は保育園だから覚えてないのではという事です。
家で平穏で幸せと感じていた部分もトピック的な記憶に、
4〜6枚あるのですがなんか不十分な気がしています、嫌な思いでが少ないような。
最低限度の社会的な教え&しつけの記憶もあまり無い。
一度、小4〜6の時に保育園時代の友達の母親に会い、親同士が話していたのですが。
ああ、小学校前もあったんだぐらいしか思えず。
思い出そうとしてもあまり思い出せないので忘れたんだな〜と思い深く考えなかったのですが、
自分を振り返り始めるとかなり気になります、
小学校通学前の1つの事柄だけは忘れてはいけない気持ちがあったので覚えています、多分。
小学校の通学前までで夫婦喧嘩関連を除き、
家の中での嫌な思い出で、しつけ&怒られた等ではっきり覚えていたのは1つのみ。
ただし親は手をあげるやり方は子供にしていない、
生きるのに最低限度の事を覚えさせのに手を挙げた覚えは無いそうなので、
その思い出も自分の脚色もしくはねつ造した可能性もありかと。
別個に振り返り始めて親との話で出てきて思い出したので1つ。
やっぱりちょっと少なすぎる、親を悪人にしたい訳でもないのですが、なんかちょっと。
ちなみに、自分の記憶で母親の行動で思い出深いのが2つあります。
もちろん、逆恨みというか落ち度は100%こちらにあり、
1回だけなので虐待では無く単に教えなのですが、気分的にちょっち気にいらない部分があります。
ワースト1は、小3〜小5の頃の言葉的による悟す方法(2〜3回)
ワースト2は、小学校通学前の軽く頭をはたく?なでる?やり方(1度のみ)
どちらも母親は記憶に無いそうです。
自分が小学校以降に変な風に世の中を見るように変わったとしか思っていないらしい。
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■4998
/ inTopicNo.3)
ACの可能性、長文。(フラッシュバック?)
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□投稿者/ エゴ
-(2006/04/29(Sat) 20:52:29)
疑問が湧いてきました。
ACであると判定できる場合って、ケースバイケースだとは思うのですが。
下地(気遣い・思い)の部分以外の大きな出来事?について質問があります。
継続的なショックでなくても1度や回数が少なくても高いストレス状態で不快な思いを
した場合でもACになっている可能性ってあるのでしょうか?
また当時は全く何ともなく、気づかなくても後々大きな傷となっている事ってありますか?
ワースト2:
自分の場合、母親に手をあげられて辛かったのは1度、これくらいなのですが。小学校通学前、
苦手でなものだったので1週間覚えるのを怠けていた為に、
名前と人物(写真)を覚えさせようと集中させようとしていた母親。
短くても2時間くらい。間違えたら頭を怪我させない程度にぶつとか、
手痛くなったら縫いぐるみでぶつとか。
最後らへんに泣き声がうるさいと外から文句が来たので、口にタオルを入れられる等、
その当時には辛かったと記憶しており、母親の言葉や状況から色々それなりに感じたです。
ワースト1:
小学校の3〜4の時に言葉的に自分の、人を傷つける事に無頓着な性格をなおそうとして。
小柄でしたが既に肉体的にはこちらを御せないとみたか、言葉で責めてきました。
自分にとっては信じやすく、だまされやすく効果的で多分逆らえない、
親には絶対的で本音的な言葉で言いたい事が言える効果的なシュチュエーション状態で、
色々心の奥底に響く事、言われました、ワースト2の記憶へも響いたし。
1回目に必死に謝罪と反省したのですが、その後、効果抜群とみたのか別件でも使った。
2〜3回目以降にシュチュエーションが嘘かも?と思わせる事例が学校であり、
3〜4回目(経過約2週間)の時に、いちかばちかで嘘かどうか試しました、それなりに覚悟した。
こちらも親に対して使うべきでない言葉を使い、なんとか終わらせました。
その後、使わなくなりました、母は直後から記憶がないふりで逃げたけどね。
あれは半信半疑でしたが必死になるしかない、母よあなたが言うと冗談に見えないし、思えない。
それにタブーだよあれは、嘘と気づかず半年続いていたら自我が衰弱して親殺すか自殺してたよ。
その時は、もう親は斬り捨てていこうという感じで、もう親に付き合いきれんという方向で納得。
まあでも母の言っていた反省範囲は多分事実、ワースト2のも事実、反省すべき範囲は反省する。
当時は自意識6割、学校2割、母親2割という感じだったので親への依存を切っても何ともなかった。
特に直後はまだ学校が幸せだった、まあ、小学校の通信簿の担任評価はやさしいだったからね。
傷は無視、反省のみを知識として吸収したつもりだったのですが、
反省が自分に与えた影響ってかなり大きかったのも事実、まあその後、家族関係にほとんど配慮せず。
自分本位で、自分なりに自分の頭の中を変えながら拡張しながら生きて来たのですが。
ふりかえると、あの反省範囲は今にいたる自分への影響はかなり強かった、
あの当時でさえ切り捨てた事は痛くなかったけど、反省範囲は重かった、その分重し代わりに使えた。
自我が弱り切った今の自分が考えると、なぜあの頃、維持できたかが不思議。
中2ぐらいまで外側に影響はほとんど見せずにすんだし、中2で自我が維持できなくなったけど。
親に詳しく聞いてみると、中2頃から確実に変になったと感じたらしい。
引用返信
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■4999
/ inTopicNo.4)
Re[2]: ACの可能性、長文。(フラッシュバック?)
▲
▼
■
□投稿者/ SILVER7
[MAIL]
-(2006/04/30(Sun) 14:11:48)
2006/04/30(Sun) 15:08:45 編集(投稿者)
■
No4998
に返信(エゴさんの記事)
エゴさん、率直な感想です。
> 継続的なショックでなくても1度や回数が少なくても高いストレス状態で不快な思いを
> した場合でもACになっている可能性ってあるのでしょうか?
> また当時は全く何ともなく、気づかなくても後々大きな傷となっている事ってありますか?
あると思いますよ。 また、記憶としては数が少なくとも、それは氷山の一角のような場合があるのではないでしょうかと、言うよりも、その方が、むしろ普遍的なことなのではないでしょうか?
次に書かれているワースト2、ワースト1の事例を読むと、お母さんの行為は、どちらも、たいへん偏執狂的行為のように私には思えますが、このような行為をする人が、とんびとんびに1度、2度ということは無いように思えるんですね。
仮に、記憶に残るほどのことはわずかに2度だとしても、その他の、それこそお母さんに言わせれば取るに足らないほどのことで、言わばいじめのような、あるいはダブルバインド(相反する価値観の表出、ダブルスタンダードも、似たところがある)や、もう一つ決定的なことは、お母さんが他者の(単に、あなたについてだけでなく)気持を汲んで(耳を、心を傾けて)コミュニケーションされるのではなくて、自分の思いが勝ってしまう、自分の思い通りに動いてしまう、あるいは、結果的に自分の思い通りにしているという動き方を、されるところがあったのではないでしょうか?
私に言わせれば、上に書いたうちの3番目のことというのは、要するに他者に対して排他的ということなんですね。 だから、される方は、排除される存在になるんですね。
家庭内という、連続的日常のなかでそういう目に会うと、される方は自己肯定感を失っていくのではないでしょうか? そう、常に、自分は否定的存在なわけです!
これは、もう、完全にACになります。 心を許せる場所を持たない、魂のさすらい人になっちゃうんですね!♪
安心できる人、ところ、場合(T、P、O)を持たないと、怖いですよ〜、恐ろしいですよ〜。 私なんかも、一時も心休まらなかったので、1日中、街をさまよっていたことがありました………。 もう、だいぶん昔のことですが………。
> > ワースト2:
> 自分の場合、母親に手をあげられて辛かったのは1度、これくらいなのですが。小学校通学前、
> 苦手でなものだったので1週間覚えるのを怠けていた為に、
> 名前と人物(写真)を覚えさせようと集中させようとしていた母親。
> 短くても2時間くらい。間違えたら頭を怪我させない程度にぶつとか、
> 手痛くなったら縫いぐるみでぶつとか。
> 最後らへんに泣き声がうるさいと外から文句が来たので、口にタオルを入れられる等、
> その当時には辛かったと記憶しており、母親の言葉や状況から色々それなりに感じたです。
> > ワースト1:
> 小学校の3〜4の時に言葉的に自分の、人を傷つける事に無頓着な性格をなおそうとして。
> 小柄でしたが既に肉体的にはこちらを御せないとみたか、言葉で責めてきました。
> 自分にとっては信じやすく、だまされやすく効果的で多分逆らえない、
> 親には絶対的で本音的な言葉で言いたい事が言える効果的なシュチュエーション状態で、
> 色々心の奥底に響く事、言われました、ワースト2の記憶へも響いたし。
> 1回目に必死に謝罪と反省したのですが、その後、効果抜群とみたのか別件でも使った。
> 2〜3回目以降にシュチュエーションが嘘かも?と思わせる事例が学校であり、
> 3〜4回目(経過約2週間)の時に、いちかばちかで嘘かどうか試しました、それなりに覚悟した。
> こちらも親に対して使うべきでない言葉を使い、なんとか終わらせました。
> その後、使わなくなりました、母は直後から記憶がないふりで逃げたけどね。
> あれは半信半疑でしたが必死になるしかない、母よあなたが言うと冗談に見えないし、思えない。
> それにタブーだよあれは、嘘と気づかず半年続いていたら自我が衰弱して親殺すか自殺してたよ。
以下のことも、よくわかるような気がします。
> その時は、もう親は斬り捨てていこうという感じで、もう親に付き合いきれんという方向で納得。
> まあでも母の言っていた反省範囲は多分事実、ワースト2のも事実、反省すべき範囲は反省する。
> > 当時は自意識6割、学校2割、母親2割という感じだったので親への依存を切っても何ともなかった。
> 特に直後はまだ学校が幸せだった、まあ、小学校の通信簿の担任評価はやさしいだったからね。
> 傷は無視、反省のみを知識として吸収したつもりだったのですが、
> 反省が自分に与えた影響ってかなり大きかったのも事実、まあその後、家族関係にほとんど配慮せず。
> 自分本位で、自分なりに自分の頭の中を変えながら拡張しながら生きて来たのですが。
> ふりかえると、あの反省範囲は今にいたる自分への影響はかなり強かった、
> あの当時でさえ切り捨てた事は痛くなかったけど、反省範囲は重かった、その分重し代わりに使えた。
> > 自我が弱り切った今の自分が考えると、なぜあの頃、維持できたかが不思議。
> 中2ぐらいまで外側に影響はほとんど見せずにすんだし、中2で自我が維持できなくなったけど。
> 親に詳しく聞いてみると、中2頃から確実に変になったと感じたらしい。
> > >
おそらく、ボディブローみたいに効いていたんじゃないですかね、お母さんとの関係でのストレスが………。
気がついたときにはアウトですよ! ノックダウン。
立ち上がるのは、たいへんですよ〜。
て、言うか〜、まず、「やられた〜」と、敗北を認めることが先かもしれませんね。
私、思うんですけどね、天下の逆説に聞こえるかもしれないけど、これが、最初の「自己肯定」になるのではないでしょうか?
巷間言われていることで言えば、「勝ち組」ではないと思う「負け組」が、「そうか〜、俺は負け組なんだ〜」と、思うとき、確かに、自分の姿を、よく見ているんじゃないでしょうか? で、そこから、物語は始まるんじゃないでしょうか?
だって、背伸びをしてもしょうがないわけで、この今の自分のどこを評価して、どこを改めていくかという方向性を、見出していくことができるのではないでしょうか?
同じようなことが、初めての自己肯定感を味わった人間にも、言えるのではないでしょうか?
ACであることを充分に味わいながら、自分育てをしていくって、それまでには味わえない楽しみだと、思いますよ!
だって、親の奴隷、あるいは家来でなくていいのですから!
引用返信
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■5001
/ inTopicNo.5)
Re[3]: ACの可能性、長文。(フラッシュバック?)
▲
▼
■
□投稿者/ エゴ
-(2006/04/30(Sun) 15:47:52)
■
No4999
に返信(SILVER7さんの記事)
SILVER7さん返答ありがとうございます、嬉しいです。
> 2006/04/30(Sun) 15:08:45 編集(投稿者)
>
> ■
No4998
に返信(エゴさんの記事)
> エゴさん、率直な感想です。
>
率直な感想、聞きたいです、やはり当事者同士だと覚えてないとか偏りがでるので第3者の声が欲しい。
>>継続的なショックでなくても1度や回数が少なくても高いストレス状態で不快な思いを
>>した場合でもACになっている可能性ってあるのでしょうか?
>>また当時は全く何ともなく、気づかなくても後々大きな傷となっている事ってありますか?
>
> あると思いますよ。 また、記憶としては数が少なくとも、それは氷山の一角のような場合があるのではないでしょうかと、言うよりも、その方が、むしろ普遍的なことなのではないでしょうか?
ある可能性はあるんですね、
氷山の一角はそのまんまかもと思います、母にしてみると全部覚えてませんけどね。
> 次に書かれているワースト2、ワースト1の事例を読むと、お母さんの行為は、どちらも、たいへん偏執狂的行為のように私には思えますが、このような行為をする人が、とんびとんびに1度、2度ということは無いように思えるんですね。
> 仮に、記憶に残るほどのことはわずかに2度だとしても、その他の、それこそお母さんに言わせれば取るに足らないほどのことで、言わばいじめのような、あるいはダブルバインド(相反する価値観の表出、ダブルスタンダードも、似たところがある)や、もう一つ決定的なことは、お母さんが他者の(単に、あなたについてだけでなく)気持を汲んで(耳を、心を傾けて)コミュニケーションされるのではなくて、自分の思いが勝ってしまう、自分の思い通りに動いてしまう、あるいは、結果的に自分の思い通りにしているという動き方を、されるところがあったのではないでしょうか?
> 私に言わせれば、上に書いたうちの3番目のことというのは、要するに他者に対して排他的ということなんですね。 だから、される方は、排除される存在になるんですね。
> 家庭内という、連続的日常のなかでそういう目に会うと、される方は自己肯定感を失っていくのではないでしょうか? そう、常に、自分は否定的存在なわけです!
>
> これは、もう、完全にACになります。 心を許せる場所を持たない、魂のさすらい人になっちゃうんですね!♪
> 安心できる人、ところ、場合(T、P、O)を持たないと、怖いですよ〜、恐ろしいですよ〜。 私なんかも、一時も心休まらなかったので、1日中、街をさまよっていたことがありました………。 もう、だいぶん昔のことですが………。
>
町をさまよう・・・・・辛いですね、
安心できる&信じられる所、人たちはあの頃の自分にとっては小学校だったのかな。
>>> ワースト2:
>>自分の場合、母親に手をあげられて辛かったのは1度、これくらいなのですが。小学校通学前、
>>苦手でなものだったので1週間覚えるのを怠けていた為に、
>>名前と人物(写真)を覚えさせようと集中させようとしていた母親。
>>短くても2時間くらい。間違えたら頭を怪我させない程度にぶつとか、
>>手痛くなったら縫いぐるみでぶつとか。
>>最後らへんに泣き声がうるさいと外から文句が来たので、口にタオルを入れられる等、
>>その当時には辛かったと記憶しており、母親の言葉や状況から色々それなりに感じたです。
>>> ワースト1:
>>小学校の3〜4の時に言葉的に自分の、人を傷つける事に無頓着な性格をなおそうとして。
>>小柄でしたが既に肉体的にはこちらを御せないとみたか、言葉で責めてきました。
>>自分にとっては信じやすく、だまされやすく効果的で多分逆らえない、
>>親には絶対的で本音的な言葉で言いたい事が言える効果的なシュチュエーション状態で、
>>色々心の奥底に響く事、言われました、ワースト2の記憶へも響いたし。
>>1回目に必死に謝罪と反省したのですが、その後、効果抜群とみたのか別件でも使った。
>>2〜3回目以降にシュチュエーションが嘘かも?と思わせる事例が学校であり、
>>3〜4回目(経過約2週間)の時に、いちかばちかで嘘かどうか試しました、それなりに覚悟した。
>>こちらも親に対して使うべきでない言葉を使い、なんとか終わらせました。
>>その後、使わなくなりました、母は直後から記憶がないふりで逃げたけどね。
>>あれは半信半疑でしたが必死になるしかない、母よあなたが言うと冗談に見えないし、思えない。
>>それにタブーだよあれは、嘘と気づかず半年続いていたら自我が衰弱して親殺すか自殺してたよ。
>
>
> 以下のことも、よくわかるような気がします。
>
>>その時は、もう親は斬り捨てていこうという感じで、もう親に付き合いきれんという方向で納得。
>>まあでも母の言っていた反省範囲は多分事実、ワースト2のも事実、反省すべき範囲は反省する。
>>> 当時は自意識6割、学校2割、母親2割という感じだったので親への依存を切っても何ともなかった。
>>特に直後はまだ学校が幸せだった、まあ、小学校の通信簿の担任評価はやさしいだったからね。
>>傷は無視、反省のみを知識として吸収したつもりだったのですが、
>>反省が自分に与えた影響ってかなり大きかったのも事実、まあその後、家族関係にほとんど配慮せず。
>>自分本位で、自分なりに自分の頭の中を変えながら拡張しながら生きて来たのですが。
>>ふりかえると、あの反省範囲は今にいたる自分への影響はかなり強かった、
>>あの当時でさえ切り捨てた事は痛くなかったけど、反省範囲は重かった、その分重し代わりに使えた。
>>> 自我が弱り切った今の自分が考えると、なぜあの頃、維持できたかが不思議。
>>中2ぐらいまで外側に影響はほとんど見せずにすんだし、中2で自我が維持できなくなったけど。
>>親に詳しく聞いてみると、中2頃から確実に変になったと感じたらしい。
>>>>
>
> おそらく、ボディブローみたいに効いていたんじゃないですかね、お母さんとの関係でのストレスが………。
ボディーブローまさにそのとうり、クリーンヒットでした。
完全に今まで一緒に歩んできた人生に価値無し&
全て狂わしたのはお前のせい(母の頭の中やストレス含め)みたいな事、言われて。
> 気がついたときにはアウトですよ! ノックダウン。
>
> 立ち上がるのは、たいへんですよ〜。
> て、言うか〜、まず、「やられた〜」と、敗北を認めることが先かもしれませんね。
>
そうですね、まだ良く理解できないですけど、まず認識ですよね。
> 私、思うんですけどね、天下の逆説に聞こえるかもしれないけど、これが、最初の「自己肯定」になるのではないでしょうか?
>
> 巷間言われていることで言えば、「勝ち組」ではないと思う「負け組」が、「そうか〜、俺は負け組なんだ〜」と、思うとき、確かに、自分の姿を、よく見ているんじゃないでしょうか? で、そこから、物語は始まるんじゃないでしょうか?
> だって、背伸びをしてもしょうがないわけで、この今の自分のどこを評価して、どこを改めていくかという方向性を、見出していくことができるのではないでしょうか?
>
うん、見出していく事が大事ですね、負け組の認識はちょっと難しそう。
現実としてはわかるけど、そのダメージに負けていたと思いたくないという気持ちが少しあるので。
でもそのうちダメージを受け止められていなかった事もうけいられるようになるのかな。
> 同じようなことが、初めての自己肯定感を味わった人間にも、言えるのではないでしょうか?
> ACであることを充分に味わいながら、自分育てをしていくって、それまでには味わえない楽しみだと、思いますよ!
> だって、親の奴隷、あるいは家来でなくていいのですから!
ですよね、親の奴隷や人形では無いですよね、子供は!
少しでも聞いてくれる人がいてくれる人がいて良かったです、
アドバイス大変参考になります、高校の頃いった心のお医者さんより暖かいです。
あの頃はまあ、お医者さんの前で言わなかったから、しょうがないのですが。
母はやった事覚えていない&無いのいってばり、親戚や何も知らない父にはいえないし。
なんか自分の空想? やっぱり頭おかしい?狂ってる?とか 思えて来ていたので。
人に聞いて、答えてもらい、だいぶ心が落ち着きます、本当にありがとう。
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■5013
/ inTopicNo.6)
病院探した方が良いのかも。
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□投稿者/ エゴ
-(2006/05/08(Mon) 04:20:10)
記憶さがし順調に進み中、手探り状態ですが。
一度20の時に自殺してから専門卒まで何か変なゾンビ状態だったのがやっと息吹き返しそう。
保育園時代の母と自分関係は多少なりとも精神衛生上的に不健全だったと言う事になりそうです。
ワースト1がらみのショックで母に関わる需要事項の記憶が飛んで逝ったのかかも。
まだまだ、重いのがあるのかな? 母も思いだしたくない筈だ。
もう少し落ち着いたら病院に行った方が良いのか考えてみます。
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