1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■4939
/ inTopicNo.1)
感情・欲求との折り合いをつけるには
▼
■
□投稿者/ gensou
-(2006/03/26(Sun) 21:29:09)
はじめまして。
HN:gensou(男です)と申します。
「言いっぱなし」には何度か書き込みをさせていただきましたが、
こちらは初めてです。
10日ほど前にこちらのサイトでACの定義を見てまさに自分のことだと感じたのですが、
少し皆様のお話を伺いたくてこちらに書き込みました。
こちらのサイトやACについての本を読みながら自分自身の棚卸しを行っているのですが、
それをやり始めてからというもの、何といいますか、
どうにも自分がダメになっていくような感じがするのです。
今まで仕事でもプライベートでも「いい人」を演じていたのが、
「いい人」を拒否しようとする自分がいるのです。
上手いたとえが思いつかないのですが、たとえば、
近所の人への挨拶などでも「感じが悪いやつには挨拶なんかする必要ない」とか思うようになり、
自分が「感じの悪いやつ」になってしまうみたいな・・・(苦笑)。
また、物欲が異常に出てきて、
消耗品からお菓子、自転車、洋服などが欲しくてたまらなくなり、
街中やテレビなどで高級車などを見かけると、そんな金なんかないのに
「いつかあれくらいは買えるようになってやる」とか考えている自分がいるのです。
実際は、お菓子などは買ってしまうのですが、
金銭的な余裕がないのでほとんど欲求を満たせはしません。車なんてとても・・・。
感情面・欲求面に関するこういった現象が、
回復の過程で起こることなのか、たんにパワーゲームに陥っているだけなのか、
考えれば考えるほど混乱してしまってます。
(感情にフタをしないということの意味が分かってませんので・・・)
そこで皆様にもこのような現象が起こっているのかどうか、
また起こっている場合はその対処法などもアドバイスいただければと思います。
どうぞよろしくお願いします。
ちなみに私はワーカホリックのようです(でした?)。
引用返信
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■4940
/ inTopicNo.2)
Re[1]: 感情・欲求との折り合いをつけるには
▲
▼
■
□投稿者/ SILVER7
[MAIL]
-(2006/03/27(Mon) 23:42:58)
■
No4939
に返信(gensouさんの記事)
こんばんは、gensou さん。 1日経っていますね。 私は、今始めて読んだのですが、レスがないのは寂しいだろうと思いますので、私の経験ていうか、辿ってきたところと重ねて、書いてみようと、思います。
私は、直接には、gensou さんと似たような経験はありません。 辿ってきたところが、だいぶん違うのですが、私は苦しさのあまり、箍(たが)をはずしていった経験は、持っています。
私も、長年「いい子」意識が抜けませんでした。 何10年とです。 ただし、自己意識上の話で、実態は、早くに崩れていましたが………。
今まで「いい子」をしておられて、ACを知って、「いい子」になるわけも知ってこられたら、そりゃあ、もう、「いい子」はしておられなくなるのじゃないでしょうか?
その逆に、反動もあって、「悪い子」にも、もしかしたら「だらしない子」にだってなったって、少しも不思議ではないのではないでしょうか?
今まで箍できつく締めていたものが緩むのですから、何が出てくるかわかりませんね?
そう、そう、パンドラの箱を開けたようなものですね!
しかし、「偽りの綺麗なバラの花束よりも、真実の茨の冠」(?、私が作った警句です)ではないでしょうか?
出てくるもろもろの欲望、感情に辟易(へきえき)もするでしょうが、己を知る、この上ない機会でもあるのではないでしょうか? 今まで、gensou さんは、自身について、あまりに無知だったのではありませんか?!
だから、出てくるもろもろの感情を、「そうなんだ」、「そうなんだ」と、客観的に観察する第三者的視点を持つと、少し落ち着くんではないでしょうか?
まだまだ、現時点では、gensou さん、「いい子」からの視点で見ているので、出てくるものが否定的なものばっかりに見えて、たまげているんではありませんか?
自分の正直な気持ちって、なかなかどうして、いとおしくもあり、一概には捨てがたいものがあるんではないでしょうか?
それで、そういう風に第三者的に認識しながら、生活は生活としてやっていくというのが、一番理想的な姿だとは思います。
しかし、少なからず崩れたとしてもです(!)、そのことも、「そうなんだ、今、自分は崩れているな〜」と、自分を見る目をもっていると、違いますよ。
そうではなくて、「崩れてしまった〜!! どうしょう????!!!!」と、あわてると、パニックになりますね。
私のお薦めは、「自分のありのままを知って、それから、じゃあどうするか、自分はどうしていきたいかを見定めて、自分の求める自分になっていく」と、いうことです。 くれぐれも、先に答えがあるもの(たとえば、「いい子」が求めるもの)に振り回されないように、気をつけてほしいなと、思います。
引用返信
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■4941
/ inTopicNo.3)
Re[2]: 感情・欲求との折り合いをつけるには
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□投稿者/ gensou
-(2006/03/28(Tue) 10:24:42)
■
No4940
に返信(SILVER7さんの記事)
> ■
No4939
に返信(gensouさんの記事)
SILVER7さん、お返事ありがとうございます。
> こんばんは、gensou さん。 1日経っていますね。 私は、今始めて読んだの>ですが、レスがないのは寂しいだろうと思いますので、私の経験ていうか、辿っ
>てきたところと重ねて、書いてみようと、思います。
ご意見をいただけないので、人それぞれ立場や事情があると分かっていても、
悪い癖で「何か自分に落ち度があったのか?」
「嫌われるような文章だったのか?」と不安になっていたところでした。
> 私は、直接には、gensou さんと似たような経験はありません。 辿ってきたと>ころが、だいぶん違うのですが、私は苦しさのあまり、箍(たが)をはずしていっ>た経験は、持っています。
> 私も、長年「いい子」意識が抜けませんでした。 何10年とです。 ただし
>自己意識上の話で、実態は、早くに崩れていましたが………。
私もかれこれ、30数年この状態で生きてきました。
SILVER7さんは、実態は早くに崩れていた、とのことですが、
私とは違った「症状」みたいなものが現れていたということでしょうか?
>
> 今まで「いい子」をしておられて、ACを知って、「いい子」になるわけも知ってこられたら、
>そりゃあ、もう、「いい子」はしておられなくなるのじゃないでしょうか?
> その逆に、反動もあって、「悪い子」にも、もしかしたら「だらしない子」にだってなったって、
>少しも不思議ではないのではないでしょうか?
> 今まで箍できつく締めていたものが緩むのですから、何が出てくるかわかりませんね?
>
> そう、そう、パンドラの箱を開けたようなものですね!
>
> しかし、「偽りの綺麗なバラの花束よりも、真実の茨の冠」(?、私が作った警句です)ではないでしょうか?
> 出てくるもろもろの欲望、感情に辟易(へきえき)もするでしょうが、己を知る、この上ない機会でもあるのではないでしょうか? 今まで、gensou さんは、自身について、あまりに無知だったのではありませんか?!
>
> だから、出てくるもろもろの感情を、「そうなんだ」、「そうなんだ」と、客観的に観察する第三者的視点を持つと、少し落ち着くんではないでしょうか?
>
> まだまだ、現時点では、gensou さん、「いい子」からの視点で見ているので、出てくるものが否定的なものばっかりに見えて、たまげているんではありませんか?
>
> 自分の正直な気持ちって、なかなかどうして、いとおしくもあり、一概には捨てがたいものがあるんではないでしょうか?
>
>
> それで、そういう風に第三者的に認識しながら、生活は生活としてやっていくというのが、一番理想的な姿だとは思います。
> しかし、少なからず崩れたとしてもです(!)、そのことも、「そうなんだ、今、自分は崩れているな〜」と、自分を見る目をもっていると、違いますよ。
> そうではなくて、「崩れてしまった〜!! どうしょう????!!!!」と、あわてると、パニックになりますね。
>
> 私のお薦めは、「自分のありのままを知って、それから、じゃあどうするか、自分はどうしていきたいかを見定めて、
>自分の求める自分になっていく」と、いうことです。
>くれぐれも、先に答えがあるもの(たとえば、「いい子」が求めるもの)に振り回されないように、
>気をつけてほしいなと、思います。
確かに混乱してまして、生活がままならなくなりそうで怖いのです。
意識が自分に向きすぎて、仕事もサボりがちになってきています。集中できないというか、やる気が急激に落ちているという感じです。
あまりひどいようなら診療所に診てもらうほうが良いとも考えています。
自分で分析する限り、今の混乱の背景には
自分の感情というか欲求が「いい子」が求めているものなのか、そうではないのか?
自分が求めているもの、自分が本当にやりたいことは何なのか?
このへんがグチャグチャで自分でも何がなんだか分かっていない、ということなのだと思います。
始めたばかりなのに結果を急ぎすぎてるのでしょうが・・・。
先は長そうだと思うにつれ、気分が滅入ってしまいます。
また何かが変わってきたら「いいっぱなし」にでも報告したいと思っています。
SILVER7さん、聞いていただけて嬉しかったです。
ありがとうございました。
引用返信
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■4942
/ inTopicNo.4)
Re[1]: 感情・欲求との折り合いをつけるには
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□投稿者/ こくーん
-(2006/03/28(Tue) 13:15:13)
2006/03/28(Tue) 13:18:13 編集(投稿者)
2006/03/28(Tue) 13:17:05 編集(投稿者)
gensouさん、はじめまして。こくーんといいます。
実は書き込みを拝見して、ずっと気になっていました。
そして、自分の場合はどうなのか…ということを考えていたのです。
が、上手くまとまらない(つまり、私も渦中にいるということですね)し、『対処法』となるととても…ということで、私も興味を持ちつつ、静観させていただいていた次第です。
そんな私の場合が参考になるようでしたら、ちょっと書き込みますね。
> 今まで仕事でもプライベートでも「いい人」を演じていたのが、
> 「いい人」を拒否しようとする自分がいるのです。
私はACという言葉を知るより多分前だったと思うのですが、ある日、
『私は誰かにとって都合がいいだけの人間なんじゃないか』
という思いに駆られました。
現在も自分や人の思惑に振り回されているようなところがあって、
どれが本当の自分なのかわからなくなるようなところがあります…。
「いい人」という1つの自分があれば、ある意味楽だったのかな…と思うことも。
今は、少しずつ、人との距離をどうとるか、ということについて考えて行動してみるようにしています。
でもどちらかというと『八方美人』のままですね…。
> また、物欲が異常に出てきて、
物欲に関しては、すごくあるときと、なくなってしまうときと波があります。
いろいろ買いがちなときは、自分のどんな気持ちがそうさせているのか、気持ちを内側に向けてみるようにします。
私の場合は、あまり大きなものには向かない(食べ物が多いです…)ので、大きな問題になることはありませんが、車などに向くと気になりますね。
例えば、車のカタログや雑誌を見て、いろいろ調べたりしているうちに、逆に冷静になる…というようなことはないでしょうか?
…というのは、私は、バッグや洋服などは、雑誌を見て満足してしまうからなのですが…。
> 感情面・欲求面に関するこういった現象が、
> 回復の過程で起こることなのか、たんにパワーゲームに陥っているだけなのか、
> 考えれば考えるほど混乱してしまってます。
> (感情にフタをしないということの意味が分かってませんので・・・)
この部分については、私もわかりません。ごめんなさい。
でも、自分の感情を押さえつけないこと(=買う、ではなく) は大切なのではないかな、と思います。
そういった自分もいることを認めてあげるというか…。
お互い、混乱の中で辛い時期だと思います。
少しでも良い方向へ進んでいけるといいですね。
関係ないですが、昨日、今年初めての桜を観ました。何だかとても幸せでした。
そういった穏やかな気持ちが続けばいいな…と思いました。
引用返信
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■4943
/ inTopicNo.5)
Re[2]: 感情・欲求との折り合いをつけるには
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▼
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□投稿者/ gensou
-(2006/03/28(Tue) 23:45:11)
■
No4942
に返信(こくーんさんの記事)
> 2006/03/28(Tue) 13:18:13 編集(投稿者)
> 2006/03/28(Tue) 13:17:05 編集(投稿者)
>
> gensouさん、はじめまして。こくーんといいます。
こくーんさん、はじめまして。レスありがとうございます。
> 私はACという言葉を知るより多分前だったと思うのですが、ある日、
> 『私は誰かにとって都合がいいだけの人間なんじゃないか』
> という思いに駆られました。
> 現在も自分や人の思惑に振り回されているようなところがあって、
> どれが本当の自分なのかわからなくなるようなところがあります…。
> 「いい人」という1つの自分があれば、ある意味楽だったのかな…と思うことも。
> 今は、少しずつ、人との距離をどうとるか、ということについて考えて行動してみるようにしています。
> でもどちらかというと『八方美人』のままですね…。
私も「八方美人」が治らず、説得力のある人の意見や威圧的な人の意見に流されてしまいやすいです。
後で振り返ってみて自分の中でモヤモヤした感じが残るのですが、
その時点では反対意見など全く思い浮かばない(思考停止ですかね?)という感じです・・・。
> 例えば、車のカタログや雑誌を見て、いろいろ調べたりしているうちに、逆に冷静になる…というようなことはないでしょうか?
> …というのは、私は、バッグや洋服などは、雑誌を見て満足してしまうからなのですが…。
私の場合はたちが悪く、知れば知るほど欲しくなるという感じで・・・。
なるべく自分を情報から遠ざけるようにしている状態です。
> この部分については、私もわかりません。ごめんなさい。
> でも、自分の感情を押さえつけないこと(=買う、ではなく) は大切なのではないかな、と思います。
> そういった自分もいることを認めてあげるというか…。
私もこのあたりを考えると混乱してしまいます。
「自分の感情を押さえつけない」とはどの程度まで許されるのかと考えるともう・・・。
大切にしたいという気持ちはあるのですが、上手くいきません。
いかに今まで自分の感情を無視していたかということでしょうか。
ちなみに、余談ですが、
私が初めてインナーチャイルドをイメージしてみたとき、
ゾンビのような、ボロボロに腐った小さな子供が出てきました。
このイメージが出たとき、大勢のゾンビに追っかけられる夢を見ていたのを思い出したのですが、
ひょっとしたら自分の「心の叫び」だったのではと考えるとゾッとしました・・・。
> お互い、混乱の中で辛い時期だと思います。
> 少しでも良い方向へ進んでいけるといいですね。
こくーんさんも辛いときなのにありがとうございます。
> 関係ないですが、昨日、今年初めての桜を観ました。何だかとても幸せでした。
> そういった穏やかな気持ちが続けばいいな…と思いました。
桜、そろそろ見ごろになりますね。
こくーんさんのレスで私も桜を見に行ってみようかと思いました。
今は一日でも早く穏やかな気持ちですごしたいという気持ちでいっぱいです。
ごくごくたまに、年に1〜2回程度、穏やかな心持になれるんですが、それが続くようにしたいです。
ありがとうございました。
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■4944
/ inTopicNo.6)
Re[3]: 感情・欲求との折り合いをつけるには
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■
□投稿者/ SILVER7
[MAIL]
-(2006/03/29(Wed) 00:40:05)
■
No4941
に返信(gensouさんの記事)
こんばんは。
> SILVER7さんは、実態は早くに崩れていた、とのことですが、
> 私とは違った「症状」みたいなものが現れていたということでしょうか?
私が箍(たが)をはずし始めたのは、30歳を過ぎてからでした。
私が苦しんだ年月は、トータル50年を越えますが、ACについて知ったのは10年ちょっと前で、また、20代の10年間は、出たり入ったり、治療機関と繋がっていましたが、その他のときは、誰に頼ることもできず、ほとんど1人で、悪戦苦闘でした。
そもそもは10歳のときからのネグレクトであり、またおそらくは赤ん坊の頃からダブル・バインド(親からの、相反する価値観の提示)があったのだろうと想像しています。 もう一つ言えば、親からの恣意的(しいてき=自分の思い次第の)コントロールも受けてきましたね。
寂しさを紛らすために手を出したタバコが止められないことに気づいてからは、自分を責める気持と、表向きは隠している顔と実際との断絶が広がっていき、高校のときには、まったく出口が無い状態になっていて、断続的な不登校にもなっていました。 大学に入りましたが、起きている間中不安感に囚われているという状態で、気持を落ち着けるところを探して街をさまよっていました。
そんな様子を見かねて、親が、治療機関につなげました。
でも、私が繋がっていた当時は、薬も特にいいのがあるわけでもなく、生活療法や作業療法(私が入っていたところは導入していました。診療報酬の点数はついていませんでしたが)が関の山で、精神療法(そこではケースワーカーによる面接。これも診療報酬無し)も、試験的にやられていたぐらいでした。
で、私は、自分で治していく道を選択しました。 30歳を機に治療機関からは縁を切り、あとは、ひたすら自問自答と言うか、自分の状態を自分で見ながら、よくなっていく道を探しつづけました。
その過程で、そして最初にやったことが、箍をはずすことでした。
私も、強烈な「いい子」でした。「斯くあらねばならない」という強迫観念(=インナーマザー、インナーペアレントでしょうね)が、ガチガチに強くて、そこにさらに「正義のために」というイデオロギーも1枚噛んでいましたので、その箍をはずすのは、大仕事でした。 2年がかりでしたね。
最初は0.1%から。 何度も何度も揺り戻しを経験して、最終的に0にしました。 高かった欲求水準をね。 「あるべき姿」の基準をね。
それからは、私の場合、自堕落そのものでした。 寝たいときに寝、起きたいときに起き、とにかく、なにか「やらなければならない」という箍をはずしたんですから、なにかやりたい、やろうという気持ちになるまで、なるがままに任せたんです。
仕事につける状態ではありませんでしたから、親掛かりを決め込みました。
親との関係、世間との関係、その葛藤、軋轢自体と、それを感じる自分自身とのせめぎあいもあって、超ストレスフルでしたが、しかし、箍から離れた正直な自分の姿を見出したことは、大きな転回点になりました。 そして、その正直な気持に従って、自分の心と行動を組み立てていくようになっていきました。
そして、42歳のとき、人の目が怖くはなくなっていることに気がつきました。 それから、漸進的に、継続して仕事ができるようになりました。
それでも、私は自覚していませんでしたが、親との共依存が残っていました。
それに気づいたのは4年前、以来、画然と、親とは一線を画し、自分育てをし、今年、そろりそろりと、外へ出始めました。 私の場合、ごくわずかですが、一応定期的な収入がありますので、この間は、仕事はしていませんでした。
なんだか、あらまし、私のことを喋ったようですが、………そんな感じだったのです。
ですから、
> > 確かに混乱してまして、生活がままならなくなりそうで怖いのです。
> 意識が自分に向きすぎて、仕事もサボりがちになってきています。集中できないというか、やる気が急激に落ちているという感じです。
gennsou さん、通過儀礼ではないですが………、臍(ほぞ)を固めて、正直になっていく時間をくぐって欲しいな〜と、私は、思ってます。
似せ者じゃあ、保(も)たないんですね。
正直になっていく過程をくぐるということは、どのような場所に出ても「これが私です」というアイデンティティを獲得していく、生みの苦しみだと、思うんですよ。
どうか、今の苦しみに、耐えて欲しいな〜と、思っています。
引用返信
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■4947
/ inTopicNo.7)
Re[4]: 感情・欲求との折り合いをつけるには
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□投稿者/ gensou
-(2006/03/30(Thu) 10:44:00)
■
No4944
に返信(SILVER7さんの記事)
> ■
No4941
に返信(gensouさんの記事)
SILVER7さん、お返事が遅くなり申し訳ありません。
> 私が箍(たが)をはずし始めたのは、30歳を過ぎてからでした。
> 私が苦しんだ年月は、トータル50年を越えますが、ACについて知ったのは10年ちょっと前で、また、20代の10年間は、出たり入ったり、治療機関と繋がっていましたが、その他のときは、誰に頼ることもできず、ほとんど1人で、悪戦苦闘でした。
>
> そもそもは10歳のときからのネグレクトであり、またおそらくは赤ん坊の頃からダブル・バインド(親からの、相反する価値観の提示)があったのだろうと想像しています。 もう一つ言えば、親からの恣意的(しいてき=自分の思い次第の)コントロールも受けてきましたね。
辛い実体験をお話いただきありがとうございます。
「AC」は病名でもないだけに、理解が得られにくそうなので私は誰にも話せずにいます。
こういうサイトで、共感してくださる人がいることは心強いです。
> 寂しさを紛らすために手を出したタバコが止められないことに気づいてからは、自分を責める気持と、表向きは隠している顔と実際との断絶が広がっていき、高校のときには、まったく出口が無い状態になっていて、断続的な不登校にもなっていました。 大学に入りましたが、起きている間中不安感に囚われているという状態で、気持を落ち着けるところを探して街をさまよっていました。
> そんな様子を見かねて、親が、治療機関につなげました。
> でも、私が繋がっていた当時は、薬も特にいいのがあるわけでもなく、生活療法や作業療法(私が入っていたところは導入していました。診療報酬の点数はついていませんでしたが)が関の山で、精神療法(そこではケースワーカーによる面接。これも診療報酬無し)も、試験的にやられていたぐらいでした。
SILVER7さんは「タバコ」だったのですね。
私は「仕事」に逃げ、SILVER7のように表の「いい子」「よき会社員」顔と内面の乖離が激しくなりました。
私は社会に出てから「自覚症状」が現れました。
こちらのサイトを読んではじめて、自分が「離人症」に陥っていたことを知りました。
薬や病院はいまだに抵抗があるため、なかなか足を運ぶ勇気が私にはありません。
> で、私は、自分で治していく道を選択しました。 30歳を機に治療機関からは縁を切り、あとは、ひたすら自問自答と言うか、自分の状態を自分で見ながら、よくなっていく道を探しつづけました。
> その過程で、そして最初にやったことが、箍をはずすことでした。
> 私も、強烈な「いい子」でした。「斯くあらねばならない」という強迫観念(=インナーマザー、インナーペアレントでしょうね)が、ガチガチに強くて、そこにさらに「正義のために」というイデオロギーも1枚噛んでいましたので、その箍をはずすのは、大仕事でした。 2年がかりでしたね。
> 最初は0.1%から。 何度も何度も揺り戻しを経験して、最終的に0にしました。 高かった欲求水準をね。 「あるべき姿」の基準をね。
私も祖父と父から植え付けられた「正義感」が「いい子」とガッチリ組み合わさっています。
その価値観の転換といいますか、箍をはずすのに2年ですか・・・。
今の私には気の遠くなるような長さです・・・。
書きながら、箍をはずすことをイメージしてみたら、何ともいえない恐怖感が出てきました。
私はまだまだ「がちがち」に固まったままですね(苦笑)。
> それからは、私の場合、自堕落そのものでした。 寝たいときに寝、起きたいときに起き、とにかく、なにか「やらなければならない」という箍をはずしたんですから、なにかやりたい、やろうという気持ちになるまで、なるがままに任せたんです。
> 仕事につける状態ではありませんでしたから、親掛かりを決め込みました。
SILVER7さんは「自堕落」とおっしゃいますが、自分を変えようとする覚悟みたいなものを私は感じました。
その勇気がすごいと思います。
「なるがままに任せる」ということの怖さは表現しづらいです。
今は、「なるがまま」にすれば自分がボロボロに崩れていくというイメージしかできません。
> 親との関係、世間との関係、その葛藤、軋轢自体と、それを感じる自分自身とのせめぎあいもあって、超ストレスフルでしたが、しかし、箍から離れた正直な自分の姿を見出したことは、大きな転回点になりました。 そして、その正直な気持に従って、自分の心と行動を組み立てていくようになっていきました。
>
> そして、42歳のとき、人の目が怖くはなくなっていることに気がつきました。 それから、漸進的に、継続して仕事ができるようになりました。
やはり箍をはずすことを、私も真剣に受け入れたほうがいいのかもしれません。
「人の目が怖くない」は今目指している目標の一つですし、
その状態になって初めて「普通の人」に近づける気がしますから。
今書きながら気づきました。
「なるがままに任せる」ことの怖さは、「自分にも他人にも正直な自分の姿をさらけ出す」という怖さなのだと。
考えただけで、「自分には無理だ」と思ってしまってます。
今までの人生でやったことのない「得体の知れない」怖さです・・・。
> それでも、私は自覚していませんでしたが、親との共依存が残っていました。
> それに気づいたのは4年前、以来、画然と、親とは一線を画し、自分育てをし、今年、そろりそろりと、外へ出始めました。 私の場合、ごくわずかですが、一応定期的な収入がありますので、この間は、仕事はしていませんでした。
> gennsou さん、通過儀礼ではないですが………、臍(ほぞ)を固めて、正直になっていく時間をくぐって欲しいな〜と、私は、思ってます。
>
> 似せ者じゃあ、保(も)たないんですね。
> 正直になっていく過程をくぐるということは、どのような場所に出ても「これが私です」というアイデンティティを獲得していく、生みの苦しみだと、思うんですよ。
>
> どうか、今の苦しみに、耐えて欲しいな〜と、思っています。
現実問題として、金銭的な余裕がないために「仕事をしない」という選択肢は考えにくいのですが、
「似せ者じゃあ、もたない」というお言葉は、身にしみてよく分かりますから
何とか「さらけ出す」怖さを乗り越えられるようにしたいです。
辛いときは「いいっぱなし」に逃げます。
書きながら、色々な気付きをいただきました。
ありがとうございました。
引用返信
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■4954
/ inTopicNo.8)
Re[3]: 感情・欲求との折り合いをつけるには
▲
▼
■
□投稿者/ ぺん
[MAIL]
-(2006/04/04(Tue) 13:05:02)
gensouさんはじめまして。ぺんと申します。
少し前の書き込みに今更お返事だしたりして申し訳ありませんが、「わあ、私と同じ事感じてはる」と驚いたことがあったので、ちょっとお邪魔させていただきます。
それは、あなたがイメージされたインナーチャイルドについてです。
私もずっと、自分がものすごい分厚い皮を被って生きている感覚があって、「本当の自分」はごく小さい子供の頃にその皮の中で息ができずに窒息死して、腐ってゾンビになってしまっていると、心の中でずっと感じていました。だから、とても汚い醜悪な「本当の自分」を知られたら、自分は誰からも嫌われてしまう存在だと頑なに信じて疑っていませんでした。
私の場合は、鬱病になり、その治療の過程で自分自身の人生を取り戻す事ができました。
そのときに、自分のインナーチャイルドのイメージも変わりました。
もう腐りきっていると思っていた自分の「芽」は、意外にも、小さくて弱々しいけど必死で生きていました。ただ、真上に自分の力ではとてもどけられない大きな岩がのしかかっていたために、地中深くに押し込められて、地上に芽吹くことができずにいたんだと。
今は、やっと芽吹いた弱々しい自分を、すくすく育ててやろうとしているところです。
gennsouさんはいま、助けをもとめていらっしゃいます。それはとても大事な事だと思います。
自分一人で回復なんてできません。誰か手伝ってくれる存在が必要です。そして、「たすけて」と、他者に声をかけることは、自分自身にしかできません。gensouさんにはそれができている。きっとあなたのインナーチャイルドは生きていると思います。
よく知らないのに、勝手なことばかり言ってすみません。全然見当違いなこと書いていたらご容赦くださいm(_ _)m
あと、おせっかいついでに、買い物の欲求が止まらず悩んでいらっしゃる事について、私の感じた事を言いっぱなしにします。
なんとなく、gensouさんの文章を拝見していると、「買いたいものを買っている」というよりは、なにかその奥にあるgensouさんの本当の欲求の代償として、物を買い求めているような....。
もしそうだと仮定させていただくと、いつまでも「本当にほしいもの」は得られなくて、満たされない気持ちから、物欲だけがエスカレートしてしまう危険があると思います。買い物をしたあとに、もし虚しい気持ちを感じたりする事があるようなら、もしかしたらあなたがあなた自身を不幸にしてしまうことがあるかもしれない。
あくまでも仮の話ですので、当てはまらないようなら読み飛ばしてください。
こちらは大阪なんですが、今日もいいお天気ですね。お花見したりさんぽしたらきっときもちいいでしょうね。どうぞお大事にしてください。失礼します
引用返信
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■4956
/ inTopicNo.9)
Re[1]: 感情・欲求との折り合いをつけるには
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□投稿者/ cala
-(2006/04/05(Wed) 04:57:58)
gensouさま、
はじめまして。遅いレスでごめんなさい。
一言だけ書き込みたかったのでレスします。
ほんとうにダメ、になってしまうひとは、gensouさんのように、ダメになることに不安を持ったりしません。ですから安心して、そして勇気を持って、心の膿を出してください。
何も知らない他人が口にする、堕落、という言葉は無視!どんなに出口が見えなくても、螺旋のように着実に明るい方向へ向かっているのだということをどうか、信じてください。
応援しています。
祈ってます。
カラ
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■4960
/ inTopicNo.10)
Re[4]: 感情・欲求との折り合いをつけるには
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□投稿者/ gensou
-(2006/04/07(Fri) 11:07:10)
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No4954
に返信(ぺんさんの記事)
> gensouさんはじめまして。ぺんと申します。
ぺんさんはじめまして。数日PCを離れており、お返事が遅くなり申し訳ありません。
> それは、あなたがイメージされたインナーチャイルドについてです。
> 私もずっと、自分がものすごい分厚い皮を被って生きている感覚があって、「本当の自分」はごく小さい子供の頃にその皮の中で息ができずに窒息死して、腐ってゾンビになってしまっていると、心の中でずっと感じていました。だから、とても汚い醜悪な「本当の自分」を知られたら、自分は誰からも嫌われてしまう存在だと頑なに信じて疑っていませんでした。
なぜ腐った子供が出てきたのかよく分かりませんが、「誰からも嫌われる」「本当の自分を見せれば嫌われる」という思いはとても強いものがありました。
そして、「自分は誰からも嫌われる」→「好かれるためには人の意見をすべて受け入れなくてはならない」
というふうに感じていました。
もちろん今も、頭ではそうではないと分かっていてもなかなか実行は難しいという感じです。
> 私の場合は、鬱病になり、その治療の過程で自分自身の人生を取り戻す事ができました。
> そのときに、自分のインナーチャイルドのイメージも変わりました。
> もう腐りきっていると思っていた自分の「芽」は、意外にも、小さくて弱々しいけど必死で生きていました。ただ、真上に自分の力ではとてもどけられない大きな岩がのしかかっていたために、地中深くに押し込められて、地上に芽吹くことができずにいたんだと。
> 今は、やっと芽吹いた弱々しい自分を、すくすく育ててやろうとしているところです。
ぺんさんがうつ病を治療されようと決心された勇気がすごいと思います。
私は、うつ病だと診断を受けるのが怖くて、自分ひとりでただひたすら絶えていました・・・。
今でこそ若干落ち着いてますが、
ひどいときは毎朝目が覚めた瞬間に「死にたい」と頭に浮かんできてずいぶん苦しい思いをしていました。
> gennsouさんはいま、助けをもとめていらっしゃいます。それはとても大事な事だと思います。
> 自分一人で回復なんてできません。誰か手伝ってくれる存在が必要です。そして、「たすけて」と、他者に声をかけることは、自分自身にしかできません。gensouさんにはそれができている。きっとあなたのインナーチャイルドは生きていると思います。
> よく知らないのに、勝手なことばかり言ってすみません。全然見当違いなこと書いていたらご容赦くださいm(_ _)m
いえ、全然見当違いではないです。こうやってぺんさんやほかの皆さんにレスをしてもらえるだけで、
今まで息苦しかったのが、「ぷはーっ」と深呼吸できたような気分です(笑)。
共感してもらえるというのはほんとにありがたいです。
> あと、おせっかいついでに、買い物の欲求が止まらず悩んでいらっしゃる事について、私の感じた事を言いっぱなしにします。
>
> なんとなく、gensouさんの文章を拝見していると、「買いたいものを買っている」というよりは、なにかその奥にあるgensouさんの本当の欲求の代償として、物を買い求めているような....。
> もしそうだと仮定させていただくと、いつまでも「本当にほしいもの」は得られなくて、満たされない気持ちから、物欲だけがエスカレートしてしまう危険があると思います。買い物をしたあとに、もし虚しい気持ちを感じたりする事があるようなら、もしかしたらあなたがあなた自身を不幸にしてしまうことがあるかもしれない。
> あくまでも仮の話ですので、当てはまらないようなら読み飛ばしてください。
買い物については、おっしゃるとおり一度失敗してまして、
数年前小型のバイクを「衝動買い(?)」してしまいまして、
買った直後にはもう熱が冷めてしまっている自分が情けなくなってしまったのを覚えているので、
今は何とかそれを押さえ込んでいるという感じでしょうか。
物欲ではない「満たされない何か」が自分の中にあるのは感じています。それをどう処理していいかはまだまだ分かってませんけど・・・。
> こちらは大阪なんですが、今日もいいお天気ですね。お花見したりさんぽしたらきっときもちいいでしょうね。どうぞお大事にしてください。失礼します
私は九州ですが、ほぼ桜が満開です。今日はいい天気で、気持ちもわりと落ち着いています。
回復にどれだけかかるか分かりませんが、諦めないようにしたいです。
聞いていただきありがとうございました。
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■4961
/ inTopicNo.11)
Re[2]: 感情・欲求との折り合いをつけるには
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□投稿者/ gensou
-(2006/04/07(Fri) 11:20:11)
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No4956
に返信(calaさんの記事)
> gensouさま、
>
> はじめまして。遅いレスでごめんなさい。
calaさんはじめまして。お返事が遅くなり申し訳ありません。PCから数日離れておりました。
> 一言だけ書き込みたかったのでレスします。
>
> ほんとうにダメ、になってしまうひとは、gensouさんのように、ダメになることに不安を持ったりしません。ですから安心して、そして勇気を持って、心の膿を出してください。
>
> 何も知らない他人が口にする、堕落、という言葉は無視!どんなに出口が見えなくても、螺旋のように着実に明るい方向へ向かっているのだということをどうか、信じてください。
そういってくださるだけでホッとします。
毎日「俺はダメになっているんじゃ・・・」という心の声と格闘しています。
誰も私のことなど気にしていないはずなのに、ちょっと仕事をサボりがちになっては
近所の目がやたら怖くなったりして、日々気分のアップダウンが激しいのがつらいところです。
今は、ACを自覚してから自分で過去の整理を進めていってますが、
昨日、私はじぶんでワーカホリックの自覚がありながら、
「ACが治りさえすればもっと仕事をがんばれるはず」
とあいも変わらず自分をコントロールしようしている自分にがいることを知りました。
「おいおい、またこれか・・・」と、
なんか回復から後退したような気がして落ち込んでしまっていたのですが、
今日、calaさんの「螺旋のように着実に明るい方向へ向かっている」とのお言葉を見て、ちょっと救われました。
> 応援しています。
> 祈ってます。
>
> カラ
諦めずに、ちょっとずつでも回復できていると信じてみようと思います。
ありがとうございました。
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■4963
/ inTopicNo.12)
Re[1]: 感情・欲求との折り合いをつけるには
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□投稿者/ ぺん
[MAIL]
-(2006/04/07(Fri) 20:18:21)
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No4939
に返信(gensouさんの記事)
gensouさん、ていねいな優しいお返事本当にありがとうございました。
それに対して、またお返事書いたりして、「あんた、しつこいよ!」と自分でもツッコミ入れたくなりますが、どうしても言いたかったことがあって。良ければ聞いてやって下さい。
gennsouさんは、己のためにどうすればいいのか、ちゃんと分かっていらっしゃる方だとおもいました。大丈夫、あなたはいつか回復していい人生を送られることと思います。ご自分を信じて大丈夫。
また、自分の心の内が明らかになり、「本心で求めているもの」が分かれば、その「仮の姿」でしかない物欲は、自然とおさまっていくことと思います。ご自分の心との対話、がんばって続けていって下さい。
勇気がなくて、、、と言う理由であれば、専門家の門を叩いてみることもお勧めします。
ただ、「この人になら自分を任せられる」と思える治療者を根気よく探すことが大切だと、自分の経験上感じます。ただ病名だけを付けて薬だけを処方する、自分の胸の内は何も聞いてくれない、という治療者は実際多いですから、、、。
私は、今の先生に出会えた時、「ああ、やっと私は救われるんだ」と号泣したのを覚えています。もう通院して5年になります。先生は最近よく「強くなったね、がんばっている自分をほめてあげてね」と、心から嬉しそうに言ってくれるようになりました。
長々と失礼いたしました。げんきになってくださいね。それでは。
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