1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■4850
/ inTopicNo.1)
墜落〜>生まれ変わり?
▼
■
□投稿者/ SILVER7
[MAIL]
-(2006/03/02(Thu) 22:29:04)
2006/03/03(Fri) 00:14:06 編集(投稿者)
2006/03/03(Fri) 00:03:01 編集(投稿者)
こくーんさん、ずっと、気にかかっていたので、書いてみます。
1階席に、だいぶん前、こくーんさんの下記のレスが書かれました。
>今ACである自分との付き合い方に迷い…というか、わからないところが出てきていて、自分の感じ方を大事に、無理をしない…ということをしてきたら、自分の行動範囲とかが狭くなってきて、楽に思う一方で、先に進んでいない…というか停滞しているような感覚があるのです。前は、苦しくても、自分を押し殺して無理しても、前に進んでたよ?みたいな呼びかけが自分の中にもあって。
>このままどんどん低空飛行になってしまって、そのうち本当に墜落しちゃうんじゃないか…って。
>『ありのまま』を認めることと『良いほうへ変わっていく』ことの違い…というか…。
>今は1年で一番だめな時期なので、考えても良い結果は出ないと思うのですが、鬱々としてしまいます。
「自分が、何者でもない」というつぶやきのようなものが聞こえてくるようです……………。
他のところでも、私は何べんも書いているんですが、私たちは、ほんとうに、自分のものは、「これが自分だ」と言えるようなものは、ほとんど持っていないんではないでしょうか?
身近な他者の意に添うようにとばっかしに生きてきたから、自分のパーソナリティを形成するなんて、夢にも思っていなかったんじゃないでしょうか?
そうは言っても、確かに、身につけてきたものはいっぱいあります。 しかし、それらは、みな、身につけることを期待されていたものばっかりなんではないでしょうか? もちろん、第1義的にはという注釈をつけたいと、思いますが………。
副次的には、………期待されて身につけたものだけど、「生まれ変わった自分」を新しく形成していくときの資料には、充分になるように思います。 いろんな知識や、例えば礼儀のようなものとか、あるいは考え方とか見方とかいうものなどですが………。
それはともかく、「空っぽな自分」をまざまざと見ることは、恐ろしいことですね。 それこそ、目を背けたくなる。 けれども、怖いもの見たさもある。 で、どうにも否定しようもなく、「空っぽである」ことを、認めざるを得ないんですね。
だから、その意味では、こくーんさんの言われるように「墜落」なのかもしれません。
でも、それは、白日の下にと言うか、あからさまに、「ああ、私は、何をしていたのだろう?」と、自分を絡め取っていたものを知ったというときであり、それはまた、別の自分が生まれている、つまり、過去の自分を見ることができる自分が、生まれているということなのではないでしょうか?
墜(お)ちて、生まれると言うかな、「それではだめだ」と知ることが、だいじなのかもしれませんね。
それからは、おそらく、それまでとは、違う人間になっていくということだと、思いますよ。
それは、確かに、一からやらなければならない。 「Nothing I have.」なんですから!
自分らしくと言うけど、そんなもの、まったく未経験なんですね。
だから、繰り返し繰り返し、「これは、ほんとうに自分の気持か?」、「これは、ひと(他人)の期待に応えようとしていることなのではないか(強迫観念ではないか)?」と、自分に聞きながら、確かめながらやらなければならないんじゃないでしょうか?
もちろん、その間、生活が不如意になることもあると思いますよ。 その間は、それこそ親掛かりだろうがなんだろうが、ひとからの援助ももう、恥も外聞もなく受けたっていいんじゃないでしょうか? 恥ずかしながら(!)、生活力なんて、人間になっていないようなときには、持ち合わせていないんですよ!
斎藤クリニックでは、斎藤学さんを始めとして、障害者としての認定で年金を得られるようにすることや、生活保護の認定にも強力にサポートしているようですが、当たられるところには当たってみて、そうです、力がつくまでの援助を、求めることは、それこそ生きる知恵として活用していいんじゃないでしょうか?
もうひとつ言っておかなければならないと思うのですが、いっぺんに変わるということは無いんではないでしょうか?
最初は、「もしかしたら?」という、気付きですよね。 いろんなやり取りがあって、それがだんだん大きくなる。 そうして、あるとき、「私は、何をしてきたんだろう?」と、いうときがくる。 でも、「空っぽ」のショックで、何も手がつかないことだってある。 で、ほんとうの勝負はそれからで、ちょうど綱引きみたいに、引っ張ったり、引っ張られたりするんだと、思うんです。
しかし、ここでは、ACは、真剣になると、思います。 自分に無かったものを、なんとか、身につけようとするんではないでしょうか? で、ちょびっとづつ、自分の姿が掴まれてくる。 そうすると、綱引きの力が、強くなっていることにも気がつきます。 でも、それからだって、逆転してしまうことだってあるけど、負けても負けても諦めないのがACのいいところだと思いますから(!)、時間はかかっても、少しづつでも、自分というものを、掴んでいくのではないでしょうか?
長くなりました。 どうでしょうか?
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■4862
/ inTopicNo.2)
Re[1]: 墜落〜>生まれ変わり?
▲
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□投稿者/ こくーん
-(2006/03/09(Thu) 03:21:39)
SILVER7さん、こんにちは。
お返事が大変遅くなってしまったこと、お許しください。
> 「自分が、何者でもない」というつぶやきのようなものが聞こえてくるようです……………。
> 私たちは、ほんとうに、自分のものは、「これが自分だ」と言えるようなものは、ほとんど持っていないんではないでしょうか?
> そうは言っても、確かに、身につけてきたものはいっぱいあります。 しかし、それらは、みな、身につけることを期待されていたものばっかりなんではないでしょうか? もちろん、第1義的にはという注釈をつけたいと、思いますが………。
> それはともかく、「空っぽな自分」をまざまざと見ることは、恐ろしいことですね。 それこそ、目を背けたくなる。 けれども、怖いもの見たさもある。 で、どうにも否定しようもなく、「空っぽである」ことを、認めざるを得ないんですね。
>
> だから、その意味では、こくーんさんの言われるように「墜落」なのかもしれません。
こう書いていただいた部分については、本当にうなずくことしきりでした。
『何者でもない自分』『空っぽであることを認める』
…この部分の認識は、ずいぶん前です。高校生の頃でした。
『このまま、私は大人になっては危険だ』
そう感じたのを覚えています。
その後の私の人生はある意味『漂流』でした。
もちろん、あがくこともかなりしましたが、何者でもない自分は行き先など
知りえず、流されていきました。
いつかこれでは済まなくなる…その日に怯えながらただただ流されていたのです。
その怯えが『何故私は生まれてきてしまったのか』という思いを産みました。
それが私の『誕生日恐怖』の一端です。
覚悟はしていたつもりだったのですが…。
ただ、SILVER7さん、それは『墜落』ではないように思います。
私にとっての墜落は生まれ変わりとか…そういったことよりも、もっと
リアルな現実です。
なぜなら、私は墜落してしまった人を子どもの頃に見ているから。
もちろん、その人は生まれ変わりなどしなかったから。
…それは、私の父です。
私は子どもの頃から『父方の血が濃い』(顔立ちなど)と言われてきました。
ずっとだから恐れていたのです。
いつか、自分も父のようになるのでは、ないかと。
私は、死んでも(大袈裟かもしれませんが)父のようにだけはなりたくない。
だから『一度墜落してみて、新たに生まれる』と考えることは今はできません。
> もちろん、その間、生活が不如意になることもあると思いますよ。 その間は、それこそ親掛かりだろうがなんだろうが、ひとからの援助ももう、恥も外聞もなく受けたっていいんじゃないでしょうか? 恥ずかしながら(!)、生活力なんて、人間になっていないようなときには、持ち合わせていないんですよ!
>
> 斎藤クリニックでは、斎藤学さんを始めとして、障害者としての認定で年金を得られるようにすることや、生活保護の認定にも強力にサポートしているようですが、当たられるところには当たってみて、そうです、力がつくまでの援助を、求めることは、それこそ生きる知恵として活用していいんじゃないでしょうか?
生活保護等の認定に関しては現状としては知識はないのですが、少なくとも、
親(母親)からの援助は受けられない状況です。
いえ、受けられるのでしょうが、その場合、私は真に全てを失うと思います。
…ACとしての自己すら。
> もうひとつ言っておかなければならないと思うのですが、いっぺんに変わるということは無いんではないでしょうか?
そうですね。
何かのきっかけで、それこそ全ての見方が変わってしまうことを望んでいるところ
があると思います。
それこそ、スイッチが切り替わるように。
少しずつ変わること、行きつ戻りつすることにちょっと疲れてしまったみたいです。
…SILVER7さんの書いて下さった言葉の意図を正確に理解できていないかもしれません。そうでしたらごめんなさい。
私の言葉を拾って、丁寧にお答えいただいたこと、心から感謝します。
そちらはまだ寒いでしょうか?
季節の変わり目ですので、ご自愛下さいね。
引用返信
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■4882
/ inTopicNo.3)
Re[2]: その後、いかがお過ごしでしょうか その1
▲
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■
□投稿者/ SILVER7
[MAIL]
-(2006/03/13(Mon) 22:42:34)
■
No4862
に返信(こくーんさんの記事)
こくーんさん、レスをいただいてから、だいぶん日にちが経ちました。 間が空いたことをお許しください。
レスをいただいて一番驚いたのは、「自分が何者でもない」、「空っぽの自分」というものに、高校生の頃に気づいておられていたというところでした。
> 『このまま、私は大人になっては危険だ』
と、感じられたということ、
> その後の私の人生はある意味『漂流』
だったということ、
> いつかこれでは済まなくなる…その日に怯えながらただただ流されていたのです。
> その怯えが『何故私は生まれてきてしまったのか』という思いを産みました。
> それが私の『誕生日恐怖』の一端です。
と、聞いてくると、こくーんさんの『誕生日恐怖」の訳が、よくわかります。
そして、もう一つ、心に響いたのは、お父さんについての箇所です。
> 私にとっての墜落は生まれ変わりとか…そういったことよりも、もっと
> リアルな現実です。
> なぜなら、私は墜落してしまった人を子どもの頃に見ているから。
> もちろん、その人は生まれ変わりなどしなかったから。
> …それは、私の父です。
> 私は子どもの頃から『父方の血が濃い』(顔立ちなど)と言われてきました。
> ずっとだから恐れていたのです。
> いつか、自分も父のようになるのでは、ないかと。
> 私は、死んでも(大袈裟かもしれませんが)父のようにだけはなりたくない。
> だから『一度墜落してみて、新たに生まれる』と考えることは今はできません。
次の箇所も、目に焼き付いています。
> > 生活保護等の認定に関しては現状としては知識はないのですが、少なくとも、
> 親(母親)からの援助は受けられない状況です。
> いえ、受けられるのでしょうが、その場合、私は真に全てを失うと思います。
> …ACとしての自己すら。
そして、もう1箇所、
> 少しずつ変わること、行きつ戻りつすることにちょっと疲れてしまったみたいです。
こくーんさんの苦しみが深く、また、その歴史が長いことを、驚きを伴って、知ることになりました。
そして、あらためて、「それで、こくーんさんは、今、どんなことを一番考えておられるのだろう?」と、思い巡らせていました。
そうすると、どうも、振り出しに戻るように思えるのですが、そう思うと、私は、ちょっと先走りしていたかもしれませんね。
私が、最初に引用したところですが………、
>今ACである自分との付き合い方に迷い…というか、わからないところが出てきていて、
>自分の感じ方を大事に、無理をしない…ということをしてきたら、自分の行動範囲とかが狭くなってきて、楽に思う一方で、先に進んでいない…というか停滞しているような感覚があるのです。
>前は、苦しくても、自分を押し殺して無理しても、前に進んでたよ?みたいな呼びかけが自分の中にもあって。
>このままどんどん低空飛行になってしまって、そのうち本当に墜落しちゃうんじゃないか…って。
>『ありのまま』を認めることと『良いほうへ変わっていく』ことの違い…というか…。
ちょっと分解して書きましたが、第2連のところが、メインなのではないのでしょうか? それが、要約すると、一番最後の連の言葉になるのではないのでしょうか?
私流に翻訳してみますと、「‘ありのまま’に生きると、‘停滞’して、このままいくと‘何もしない、無価値の、存在することの意味すら失ってしまう’ように思えて、不安が募ってくる」と、いうことのように思えるんですが、違うでしょうか?
いや〜、私自身、私流にこのようにまとめてみると、この問題にこそ、私は応えようとしたんだ、と、思い当たるものがあるのですが………。 もちろん、できる限りでということですが………。
それで、よいよ、本題なのですが………、こくーんさんのお気持ちも、いつまでも同じでは無いと思うのですが、上に私流に翻訳しましたところは、ACにとって、普遍的な課題の一つではないかと思われますので、私の勝手で申し訳ありませんが、少し、述べさせてください。
長くなりました。 少しくたびれましたので、この続きは、明日にしたいと思います。 どうか、わがままをお許しください。
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■4888
/ inTopicNo.4)
Re[3]: その後、いかがお過ごしでしょうか? その1のつづき
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□投稿者/ SILVER7
[MAIL]
-(2006/03/14(Tue) 22:06:23)
■
No4882
に返信(SILVER7さんの記事)
こくーんさん、遅くなりました。
私は、またまた、勝手に問題を設定していますね。
これでは、こくーんさんに話し掛けたのに、そのこくーんさんはそっちのけにしょうとするものですから、話しになりません。
とは言え、折角、こくーんさんが、今思われていることを書いてくださっていることを無駄にしてしまうことも、忍び難いものがあります。
申し訳ありませんが、もう少し、時間をください。 もうちょっと、気持を落ち着けて、考えてみたいと思います。
すみませんが、お願いします。
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■4889
/ inTopicNo.5)
Re[4]: その後、いかがお過ごしでしょうか? その1のつづき
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▼
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□投稿者/ こくーん
-(2006/03/14(Tue) 22:43:58)
SILVER7さん、こんばんは。
私などのために、大切なお時間とお気持ちをくだいて下さること、感謝します。
>私流に翻訳してみますと、「‘ありのまま’に生きると、‘停滞’して、このままいくと‘何もしない、無価値の、存在することの意味すら失ってしまう’ように思えて、不安が募ってくる」と、いうことのように思えるんですが、違うでしょうか?
こう書いていただいたこと。
その通りなのだと思います。
『ありのまま=空っぽな自分』が…。
そして、この思いは私の半生近くを占めてきた長い長いものなのです。
最初に書き込んでいただいたとき、SILVER7さんの書かれていることを上手く自分に
当てはめることができませんでした。
同じ事象を全く違う目線で見ているから?
同じ事象を捉えるのに、立っているステージに違いがあるから?
そんな途惑いでした。
キーワードは私には親しみのあるものなのに、違う。決定的に何かが違う。
前の返信には書きませんでしたが、その最たるものは『Nothing I have』でした。
この言葉は、長い間…本当に長い間、私には呪詛に近い言葉でした。
絶望を意味する言葉でした。
「どうして、私には『ない』の?」
心の中で叫び続けていた言葉でした。
SILVER7さん、こうして書いている間も私はSILVER7さんの言葉をちゃんと理解しているのか自信がありません。
私と他の誰かの見ているものが同じである確証がないのと同じで、同じ言葉、似た言葉を使っていても、同じ捉え方をしているかどうかわからないから。
ただ、『答え』は誰かからもらえるものではないのでしょう。
そもそも『答え』があるのかどうか…。
だから、私のためにこうしてくださるSILVER7さんのお気持ちと存在で充分なのです。申し訳ないくらいです。
高校生の頃、英語の時間に『5行詩』を書こう、というのがありました。
テーマを1つ決めて、最後の行にその言葉を持ってくるのです。
欲しいものとか、大事なものとか…。
周りの生徒たちが『夢』とか『友達』とか選んでいる中で、
私の選んだ言葉は『存在』でした。
自分が存在しているという自覚が薄れていて、実感が欲しかった。
おかしいですね。
楽しいこともうれしいことも、幸せなこともありました。ちゃんと。
なのに、どうして色褪せてしまっているんでしょうね。
グレーに染まっているんでしょうね。
思いつくままに書きました。乱文をお許し下さい。
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■4899
/ inTopicNo.6)
Re[5]: その後、いかがお過ごしでしょうか? その1のつづき
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□投稿者/ SILVER7
[MAIL]
-(2006/03/17(Fri) 22:24:00)
■
No4889
に返信(こくーんさんの記事)
こくーんさん、すこうし、落ち着いてきました。
もう少し、待ってください。
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■4901
/ inTopicNo.7)
Re[6]:こくーんさんへ
▲
▼
■
□投稿者/ SILVER7
[MAIL]
-(2006/03/19(Sun) 23:55:41)
■
No4899
に返信(SILVER7さんの記事)
今日も、もう遅くなっているのですが、とにかく書こうと、思います。
私は、Re[3]#4888 を書いてから、一番思っていたことは、人の思いをずれて受け止めていることに気がついたことです。 そして、自分の考えの方に持ってこようとしているということでした。
このように思う思い方というのは、簡単に改まるものではなくて、私の生活の仕方、私の生き様のところに、そのようにしているものがあることを、感じとらせました。
それで、すぐには、キーを打ち込むことができなかったのです。
今も、改まったとは思いませんが、十分に気をつけていきたいと思っています。
私の生き様という言葉が出ましたので、そのことを、少し述べさせてください。
私は、今年に入って、外の世界へ出て行くことに踏み出しています。 それは、まず何よりも気持のところで、そうしているのですが(目に見えるところで言えば、他の、AC以外の人の掲示板に参加していること、その一つは詩で参加するもので、継続的な創作が伴うこと、また、月一で、近くの地域でのカウンセリングの学習会に参加し始めたことなどですが………)、そうし始めて間がないところでの、このように、人の気持ちをずれて捉えていることに気づかされたことは、たいへん考えさせられることでした。
落ち着く時間をいただいてからも、そう1度に気持ちの変わるわけではありませんが、この間一番思ったことは、「私の、この人生に、真剣に向き合っていこう」と、いうことでした。
私は確かに、今までも、言わば必死に生きてきました。
しかし、「私」という主体を持って、外界に対処したことは、今まで、無かったわけです。
今までの外界と私との関係は、ひたすら外界に迫られ、包囲されて、それへのなんらかの対処に追われる、と、いうものでした!
だから、私はずーっと、自分の生き方を「受身の生き方」と、感じていました。
それはまた、「どうしても、能動的になれない」生き方なのでした。
それは、絶望感を醸成するし、悲観的な感情が道連れになってきます………!
50年間がそうだったから、しんどかったですね。
ここまで書いてきたら、こくーんさんが、今、同じような気持なんではないかな〜と、思い至りました。
少し、話を発展させていきますが………、それでも、こくーんさんは、比較的最近、気付きがあったようですね。
私の言葉で述べさせていただくと「(周りからの)期待に応えようとばっかりしなくてもいいんだ」みたいな、「私が、私であっていいんだ」みたいな気付きのようでしたね。
そして、それが同時に、そのままだったら、何もしなくなる、活動範囲が狭くなってしまうという思いに繋がっていったところがあるみたいですね。
この辺を捉えて、私の、前の書き込みでは、確かに「空っぽ」かもしれないけど、何もない、つまり、それまでは、「自分」というものが実は形成されていないので、そのことを知ることが、新しい「自分」を発見する始まりになるのではないかということを、書こうとしたように思います。
ところが、実は、ここで、まず、ずれていたんですね。
こくーんさんは、「このままだったら、何もしなくなる」という不安のようなものを訴えておられたのではないでしょうか? 「ひきこもりのようになって、心も体も不活性化していく」と、いうような、漠然とではあるが、間違いなくそうなっていくというような不安だったのではないのでしょうか?
こくーんさんは、あんまり、感情を表に現されることが少ない方だと思うのですが、上に書いたような思いは、手に余るものがあったのではないのでしょうか? それに、自分に正直にもなってきておられたので、溢れる思いのままに書かれたんではないかと、私は、受け止めていました。
しかし、それは決して、「空っぽな自分」を見出して慄(おのの)いているわけではなかったようですね。
それはともかく、
今、改めて、このことを考えてみると、私が思うところで言えば、いったん、自分の気持に正直になってくると、引き返すということはないように、思われますね。
確かに、私の例で言えば、ひきこもりになるし、言わば、無為徒食になるところがあるかもしれません。
しかし、それまでのように、自分が確かに動いているんだけど、自分の心は別にあるような、なんか、ただ、人のために動いているような、苦しさからは解放されているんですね。
だから、引き返す愚はしたくない。
問題は、おそらく、それに替わるものでしょうね。 今までの生き方とは違う、「確かに、これは、自分の生き方だ」と思えるものが要るのではないでしょうか?
しかし、今はそれどころじゃないことも、また正直なところなのではないでしょうか? 何しろ、さんざん苦労してこられたのだから、しんどさも並みでないですからね。
しばらくは、流れに身を任せるように、身をたゆたわせておく「時間」が、必要なのかも、しれませんね。
それと、もしかしたら、今までのことを洗いざらい吐き出すことも、もしかしたら必須なのかもしれませんね。 それには、誰でも良いわけではなくて、何もかも丸ごと受け止めてくれる人が要りますけどね。
もしかして、最初から、丸ごと受け止めてくれる人でない場合でも、こくーんさんの方が、それを必要としているんだと、自分の方から一方的にでも話して、自分のペースに巻き込んでいってでも、もしかしたら、必要なことかもしれませんね。
なんか、こくーんさん、たいせつなときに、ところに、今、おられるように、あらためて思われます。
長くなりましたが、そんな風に思われます。
レスが遅くなったこと、それから、いろいろと間違った解釈をして、ご迷惑をおかけしたことを、どうぞ、お許しください。
引用返信
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■4902
/ inTopicNo.8)
Re[7]: :こくーんさんへ
▲
▼
■
□投稿者/ こくーん
-(2006/03/20(Mon) 19:40:44)
2006/03/20(Mon) 19:43:52 編集(投稿者)
SILVER7さん、こんばんは。
丁寧な返信をありがとうございます。
いろいろと書きたいことがあるので上手くまとまるかどうか不安ですが書いてみますね。
> 私は、Re[3]#4888 を書いてから、一番思っていたことは、人の思いをずれて受け止めていることに気がついたことです。 そして、自分の考えの方に持ってこようとしているということでした。
言葉を用いた意思の疎通では認識のズレというのはとても生じやすいと、私は思っています。最初に気づいたのはチャットででした。自分は『わかるだろう』と思って書き込んだことを『これはどういうことですか?』と問われる経験が何度かあったのです。チャットではすぐに補足説明、訂正等ができますが。
もちろん、ネット上に限らず、人の心の機微を説明するのには言葉はあまりにも不充分なのでしょうね。直接体面する場合は、相手の顔の表情やしぐさ、声の大きさや抑揚などからも情報を多く得ている分、ズレが少ないのかな、と思います。
認識のズレ、あるいは考え方の違い、それを無くすことはできないのだと思います。
人間関係において、おそらく大切なのは、そのズレや違いに気づいた後どのような態度をとるか…なのでしょうね。
推測ですが、多くのACにとって、そのズレや違いを相手と時間と言葉を共有することで、理解し合い、納得する…という作業はとても困難なものと感じられるのではないでしょうか。
自分の意見を持たないこと、相手に合わせることで『回避』する。
ズレや違いに気づいた時点で、分かり合えないと『逃避』する。
相手の意見を自分の意見に変えるまで『攻撃』する。
…やや強引な分類かもしれませんが、こういった方法を取ってしまうことがあるように思います。(私はよく『回避』しました)
どちらかが、WINNER/LOSERになるのではなく、お互いに理解し合うこと、それが大切に思います。仮にそれができないとしても、お互いに理解し合おうと、努力し、費やした時間によって、生じる相手への信頼感は大きなものなのではないでしょうか。
理想的すぎるでしょうか…?
> だから、私はずーっと、自分の生き方を「受身の生き方」と、感じていました。
> それはまた、「どうしても、能動的になれない」生き方なのでした。
> それは、絶望感を醸成するし、悲観的な感情が道連れになってきます………!
> 50年間がそうだったから、しんどかったですね。
>
> ここまで書いてきたら、こくーんさんが、今、同じような気持なんではないかな〜と、思い至りました。
そうですね。
「これが私の『本当の人生』なのだろうか?」と。
周りの出来事に巻き込まれ、誰かの期待や思惑の副うことを考える『受身』の人生。…これが、自分の人生なのか?と。
この気持ちは長い間抱えてきました。
『私はいつも誰か(親・先生)にとって都合がいい人間』
そう思っていました。
> 私の言葉で述べさせていただくと「(周りからの)期待に応えようとばっかりしなくてもいいんだ」みたいな、「私が、私であっていいんだ」みたいな気付きのようでしたね。
>
> そして、それが同時に、そのままだったら、何もしなくなる、活動範囲が狭くなってしまうという思いに繋がっていったところがあるみたいですね。
そうですね。
『何もしたくない。努力も頑張りも、目標を持つことすらしたくない』
そんな自分だけが残ってしまった。
…本当はそんなのが自分だと気づいていたんです。でもずっと隠していたのです。
きっと。
> こくーんさんは、「このままだったら、何もしなくなる」という不安のようなものを訴えておられたのではないでしょうか? 「ひきこもりのようになって、心も体も不活性化していく」と、いうような、漠然とではあるが、間違いなくそうなっていくというような不安だったのではないのでしょうか?
> しかし、それは決して、「空っぽな自分」を見出して慄(おのの)いているわけではなかったようですね。
そうですね。現実的な不安…ということが適当かどうかはわかりませんが、
実際にこのままの状態を放置しておいて、現実の生活で自分は大丈夫なのかどうか…ということですね。
「空っぽな自分」への慄き…というものは、ない、というか、もう付き合いが長すぎて(苦笑)。もちろん、これは根源的な問題にはなってくるのでしょうが…。
> 今、改めて、このことを考えてみると、私が思うところで言えば、いったん、自分の気持に正直になってくると、引き返すということはないように、思われますね。
> 確かに、私の例で言えば、ひきこもりになるし、言わば、無為徒食になるところがあるかもしれません。
>
> しかし、それまでのように、自分が確かに動いているんだけど、自分の心は別にあるような、なんか、ただ、人のために動いているような、苦しさからは解放されているんですね。
> だから、引き返す愚はしたくない。
>
> 問題は、おそらく、それに替わるものでしょうね。 今までの生き方とは違う、「確かに、これは、自分の生き方だ」と思えるものが要るのではないでしょうか?
無意識にも、先ほど「これが私の『本当の人生』なのだろうか?」と書きました。
なんだか、この部分の最後のところが、ピタリと呼応したように思います。
> しばらくは、流れに身を任せるように、身をたゆたわせておく「時間」が、必要なのかも、しれませんね。
> それと、もしかしたら、今までのことを洗いざらい吐き出すことも、もしかしたら必須なのかもしれませんね。 それには、誰でも良いわけではなくて、何もかも丸ごと受け止めてくれる人が要りますけどね。
> もしかして、最初から、丸ごと受け止めてくれる人でない場合でも、こくーんさんの方が、それを必要としているんだと、自分の方から一方的にでも話して、自分のペースに巻き込んでいってでも、もしかしたら、必要なことかもしれませんね。
>
> なんか、こくーんさん、たいせつなときに、ところに、今、おられるように、あらためて思われます。
ありがとうございます。
そういう『誰か』を私は本当はとても求めているのだろう…と時々思います。
(時々、と書くのは『自分1人で立っていきたい』という自分の心とのせめぎあいかな…?)
前の書き込みの続きになりますが、今、メンタルクリニックに通っています。
(もう少し様子が分かったら、ご報告しようと思っていました)
今は基本的にはお薬による治療です。
お医者様のお話を私なりに解釈すると、パニック障害(?)や対人不安はそれほど重いものではないが、生育歴(家族ですね…)のところで私が大きな問題を抱えている…と。まずは薬で不安感を改善してから、次に行きましょう…といったところです。自分としては目新しい発見(?)はなかったですね(笑)。
担当のお医者様は神経科がご専門のようで、ACにはあまり詳しくないようではありますが、まずはお任せしてみようと思っています。
> レスが遅くなったこと、それから、いろいろと間違った解釈をして、ご迷惑をおかけしたことを、どうぞ、お許しください。
謝られることなどなかったです。
温かいお返事をありがとうございます。感謝しています。
大変長くなりました。お読みいただいてありがとうございました。
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