1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■4781 / inTopicNo.1)  もう無理です(FB多少注意願います)
  
□投稿者/ どうしたら?? -(2006/02/12(Sun) 16:20:30)
    ACの自覚を持ってから数年の会社員です。
    どこにも書いてゆける場所がなくここでもきっとご迷惑でしょうが、
    自分ととことん向き合うために過去の家庭内であったこと、トラウマなどを思いつくだけ整理し嘆く作業も何度となく実践してきましたが、今ここに来て絶望に近いものを感じています。

    全てが理詰めになっていないはずなのに「やはり私が悪いんだ」に還ってしまう記憶ばかり思い出すようになったのです。
    例えば、家庭内や両親の事に関してはどうにかそれはないのですが、特に第二のトラウマを生んだ学生時代のことに関してです。
    私は児童の頃から高校までの実に5年以上もの間仲間外れ、陰湿ないじめなどに遭っていました。そのとき受けた苦しみや辛さ、悲しさはどんどん思い出せてました。
    しかし今になってやっと、その長期の孤独のきっかけになった一つとして自分には非常に吐き気を催すような嗜好があった、という事を思い出してしまったのです。
    今までちっとも思い出せなかったのがどうして突然思い出せたのか疑問ですが。
    その内容に関しては自分でも吐きたくなるほど(自己嫌悪を除いても生理的にも)気持ちが悪く、書きたくありませんので伏せさせて下さい、申し訳ありません。
    でも「爪を噛む癖」に追従する相当に不衛生な嗜好です。今は当然そのような兆候は爪を時に少し噛んでしまう以外は無くなりましたが。
    その数というか異常な嗜好のバリエーションは様々、過去の痛みを思考で捉えてはいけないと思いつつもその当時結局私はその嗜好でなるべくしてクラス中から虐げられていたのだ、自分が自分以外の人間の立場であったらいじめずとも避けたくなるのも当然だと、心底感じる位壮絶な嗜好を持った過去を思い出してしまったんです。

    それまでもその嗜好ではないのですがこれがきっかけで誰もが私から離れてゆくようになった、というエピソードは相手側ではなくほとんど私が作り出したもの。
    親に認めてもらえないまま幼少を経た後それを機に友達にも見捨てられて、それでも尚嗜好は止まらなかった自分・・・・・汚いことは判っていたのに止まらなかった自分。
    こんな状態で、過去を消す事も当然出来はしませんが、もう今までのように「昔の自分はよく耐えてきた、苦しかったんだな」などと励ましたり出来なくなってしまいそうになりかけています。

    ありのままの過去を認める?癒す?どうやって?
    私が傍観者だったらきっと心底汚いって思ってやっぱり近づきたくないと感じたでしょう。いじめは肯定出来ないけどあのまま認めてもらえるなど天がひっくり返っても有り得なかっただろう。
    自分が性暴力の加害者であったとしっかりと自覚してしまったかのような自己嫌悪と吐き気・・・・・・・・
    自分の事なのに「生理的に」慰めるなんてもう出来ない、と思ってしまっています。

    もしこんな風に自分の感情に寄り添う事が困難な場合はどうしたらいいんでしょうか。
    これも自分の歴史だと胸張って将来感じる事も無理そうです。考え方次第で出来るんでしょうか?
    自家療法に頼ってきたけれどちゃんとした機関に相談に行った方がいいのでしょうか。

    お目汚し失礼しました。
引用返信 削除キー/
■4785 / inTopicNo.2)  Re[1]: もう無理です(FB多少注意願います)
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2006/02/13(Mon) 01:26:08)
    No4781に返信(どうしたら??さんの記事)
     どうしたら??さん、今晩は。
     夜中なので、簡単に書きます。
     その嗜好に走ったのは、「認められない存在である自分」を、そういう、「級友からもわかる形」で、つまり、「別の形で表現した」のではないでしょうか?

     私も、同じように、自分を罰しました。
     私は10歳のとき、小学校5年のとき、引越し、転校、親(母親だけ、父親は早くに死亡)の仕事が変わり、帰宅が夜遅く、夜中になることもあり、同僚の家族と一緒の食事、入浴が済んだあとは、別棟の小さい部屋でひとりぼっちになったのですが、今から思うと、衣食住は保障されているけど、精神的なネグレクト(養育放棄)だと、思います。
     私は、親に要求するのでも、なんか、世間的に人目を引くようなことをするのでもなく、当時唯一の暖房器具であった火鉢のなかにあったタバコの吸殻をくわえてみたのでした。 興味本位でしたが、子どもがしてはいけないことをやってみ、間もなく、それが止められないことに気がつきました。
     私は「悪いことをしている」と、自分を責め、そして、隠しました。 自分から、自分を「存在してはいけないもの」と規定したのです!
     そこから、私の心は次第に断裂していき、回復の道の閉ざされた蟻地獄か底無し沼のなかに落ちたようでした。

     あなたも私も、ある意味、忠実に、当時の自分の状況を、別の形で、自己確認したのじゃないでしょうか? そうですよ、自分に確認させたんですよ。 そういう形で、現状を承認したんじゃないでしょうか、とても認められない状況だけど、まごう方ない現実だったから! 
     それが、唯一、自分の心を鎮める途(みち)だったんではないでしょうか?

     幼心を精一杯働かせたんでしょうね。………………

     ほんとうは肯定されたいのに、あからさまに否定される姿になるなんて、ね。

     
     有森裕子さんのセリフではありませんが、そうまでしても、親を責めることもなく、自分で何とかしょうとしたご自分を、誉めてやってくださいよ。

     ちっちゃい自分は、なかなかたいしたやつじゃないですか!


     私は、自分を、取り戻しました。
     親への期待と幻想を、一切断ったことが転機でした。
     私は、もう、いい歳(over 50 or 60 ?)ですが、自分を取り戻したのは、忘れもしない、ちょうど4年前の今ごろです。 共依存を自覚したと同時に見出した赤子のような自分を、一所懸命保護し、育て、今、世間の荒波に再チャレンジしょうとしています。

     自己肯定感を得ることなく、自己否定感しか知らなかったから、生き方知らないんだけど、しかし、この命は、他人(ひと)のものではない、私のものです。
     いとおしいですよ〜〜〜。 いとおしいから、もう、そんなに永く生きられるわけではないけど、たいせつにしていきたいと、思っていますよ。

     どうか、どうしたら??さんが、たいせつな自分を見出すことができますように、祈っています。

引用返信 削除キー/
■4787 / inTopicNo.3)  Re[1]: もう無理です(FB多少注意願います)
□投稿者/ こくーん -(2006/02/13(Mon) 05:09:47)
    2006/02/13(Mon) 05:11:59 編集(投稿者)

    どうしたら??さん(とお呼びしますね)、こんばんは。はじめまして。

    迷惑だなんて、とんでもありませんよ。
    今まで、お1人でずっと頑張って来られたのでしょうね…。
    お辛かったでしょうね。
    私も長い間『自分は一人ぼっちだ。誰にも理解されないだろう』と
    思って、孤独を抱えていましたから…。

    今、忘れていた記憶を取り戻されて、動揺されているのですね。
    > 今は当然そのような兆候は爪を時に少し噛んでしまう以外は無くなりましたが。
    > それまでもその嗜好ではないのですがこれがきっかけで誰もが私から離れてゆくようになった、というエピソードは相手側ではなくほとんど私が作り出したもの。
    > 親に認めてもらえないまま幼少を経た後それを機に友達にも見捨てられて、それでも尚嗜好は止まらなかった自分・・・・・汚いことは判っていたのに止まらなかった自分。

    子どもの頃は無力です。物事の判断も順番に学んでいくものだと思います。
    今はその嗜好は止められているのですから、どうしたら??さんは、
    成長し、学ばれたということのように思います。
    …そして、その嗜好も、何らかの意味があり、当時のどうしたら??さんには
    必要なこと、やむをえないこと、だったのかもしれません。
    行動というのは、外部へのメッセージを含むものだから…。
    そうすることで何かを訴えていらしたのではないでしょうか…。

    > こんな状態で、過去を消す事も当然出来はしませんが、もう今までのように「昔の自分はよく耐えてきた、苦しかったんだな」などと励ましたり出来なくなってしまいそうになりかけています。
    > もしこんな風に自分の感情に寄り添う事が困難な場合はどうしたらいいんでしょうか。
    > 自家療法に頼ってきたけれどちゃんとした機関に相談に行った方がいいのでしょうか。

    …実は、私は今自分に押しつぶされ気味で、先日医療機関に予約を入れたところ
    です。(ちょっと下に書き込んでいますが…)
    まだ予約を入れただけなので、どんな感じなのかわかりませんが、受診したら、
    ご報告したいと思います。
    私も自分に寄り添えている、インナーチャイルドを抱きしめてあげられる、と
    手ごたえを感じる時があったかと思えば、もう突き放してしまいたいような、
    切り刻んでしまいたいような(乱暴な書き方ですが、まさにそうなのです)、
    衝動に駆られることがあるのです…。

    どうしたら??さんのお気持ちが少しでも楽になられますように。
    お互い、自分に少しでも寄り添えるようになるといいですね。
    言葉足らずで、もし不快に思われる表現などありましたら、ごめんなさい。

引用返信 削除キー/
■4796 / inTopicNo.4)  Re[2]: SILVER7さん
□投稿者/ どうしたら?? -(2006/02/14(Tue) 23:14:30)
    こんなお話を読んでくださって有難うございました。
    内容を全て明かしていたらどうだっただろうかと考えたりもしましたが、それでも感謝しております。
    >  その嗜好に走ったのは、「認められない存在である自分」を、そういう、「級友からもわかる形」で、つまり、「別の形で表現した」のではないでしょうか?
    >
    >  私も、同じように、自分を罰しました。
    >  私は10歳のとき、小学校5年のとき、引越し、転校、親(母親だけ、父親は早くに死亡)の仕事が変わり、帰宅が夜遅く、夜中になることもあり、同僚の家族と一緒の食事、入浴が済んだあとは、別棟の小さい部屋でひとりぼっちになったのですが、今から思うと、衣食住は保障されているけど、精神的なネグレクト(養育放棄)だと、思います。
    >  私は、親に要求するのでも、なんか、世間的に人目を引くようなことをするのでもなく、当時唯一の暖房器具であった火鉢のなかにあったタバコの吸殻をくわえてみたのでした。 興味本位でしたが、子どもがしてはいけないことをやってみ、間もなく、それが止められないことに気がつきました。
    >  私は「悪いことをしている」と、自分を責め、そして、隠しました。 自分から、自分を「存在してはいけないもの」と規定したのです!
    >  そこから、私の心は次第に断裂していき、回復の道の閉ざされた蟻地獄か底無し沼のなかに落ちたようでした。
    >
    >  あなたも私も、ある意味、忠実に、当時の自分の状況を、別の形で、自己確認したのじゃないでしょうか? そうですよ、自分に確認させたんですよ。 そういう形で、現状を承認したんじゃないでしょうか、とても認められない状況だけど、まごう方ない現実だったから! 
    >  それが、唯一、自分の心を鎮める途(みち)だったんではないでしょうか?
    >
    >  幼心を精一杯働かせたんでしょうね。………………
    >
    自分を再確認するために・・・・・・・ちょっとだけ心が落ち着きました。
    こんな不可解な行動からでも何らかのメッセージがあったのだろうかと少し考えてみたら少々思いつく点がありました。
    ひとことで言って、世間体をやたら気にする家族でした。
    かといって、やってる事で目につくといえば、その両親が崇める世間様とやらが鼻で笑うような中途半端に幼稚かつ理不尽な家庭内での姿。
    特にこの事に関して引っかかるのは父の姿でした。
    テレビとか食事とか、馬鹿馬鹿し過ぎる事柄でだけ取り立てて髪の毛降り乱さんがばかりの勢いで完膚なきまで父親面し偉そうぶる。基本的には無口。暴力はもちろんないが怒りと威厳の表現方法は「ひたすら無言で攻撃し傅けること」
    町の行事など肝心なところでは母の影に隠れ弱腰。
    そして肝心な事を母がこなし事なきを得れば又低次元なポイントで父親の権利を振りかざす事を繰り返す。気さくな性格ならここで笑って許してもやれただろうけれど、寡黙な性分ゆえいつだって本気で怒っているようにしか見えなかった。
    子供心に「大人になるのは自分らなんだ」と自覚した。色んな事を父の手によって諦めさせられた。
    それもこれも全て「世間様」向けの泣ける話にもならなければ心から笑える話にもならない、でもはっきりと思い起こす確かな理不尽。
    それを当然母にもきちんと道理付けられる事などない。でも大人向け、世間様向けの人としてどうあるべきかの教育は家庭を通し続けられる。

    私は何を信じればいいのか判らないまま子供時代を生きたのは確かでした。
    大人としてのプライドって何?威厳って何?世間体って何?真実は何処にあるの?
    そんな心のカオスを映し出す行為だったのかもしれません。

    過去の事実への生理的昇華にはまだ時間がかかりそうですが、「やはり私が悪かったからこうなった」から少し解き放たれるかもしれないという気持ちにはなれそうです。

    読んで、感じてくださって、有難うございました。
引用返信 削除キー/
■4807 / inTopicNo.5)  Re[2]:こくーんさん
□投稿者/ どうしたら?? -(2006/02/15(Wed) 20:06:36)
    考え疲れてしまって御礼が遅くなってしまいました。申し訳ありません。
    > 子どもの頃は無力です。物事の判断も順番に学んでいくものだと思います。
    > 今はその嗜好は止められているのですから、どうしたら??さんは、
    > 成長し、学ばれたということのように思います。

    無力な子供とはいえ、ある程度判断能力はあるはずの児童期(10歳前後)の話だったので、理屈で納得させるにはショックの方が強過ぎて、まだ落ち着いて認める事には時間を要しそうです。
    確かに今はもうしていないとはいえ・・・・・・やはり自我ある時代の消したい過去って辛いですね。
    否定したらダメって思うのにしたくなってしまいます。

    > …実は、私は今自分に押しつぶされ気味で、先日医療機関に予約を入れたところ
    > です。(ちょっと下に書き込んでいますが…)
    > まだ予約を入れただけなので、どんな感じなのかわかりませんが、受診したら、
    > ご報告したいと思います。
    > 私も自分に寄り添えている、インナーチャイルドを抱きしめてあげられる、と
    > 手ごたえを感じる時があったかと思えば、もう突き放してしまいたいような、
    > 切り刻んでしまいたいような(乱暴な書き方ですが、まさにそうなのです)、
    > 衝動に駆られることがあるのです…。
    >
    > どうしたら??さんのお気持ちが少しでも楽になられますように。
    > お互い、自分に少しでも寄り添えるようになるといいですね。
    > 言葉足らずで、もし不快に思われる表現などありましたら、ごめんなさい。
    >
    このような話に目を向けてくださりどうも有難うございました。
    ちょっとだけ、誰にもどうにも伝えられなかったものを吐き出せた分軽くなれました。
    医療機関をご利用されるそうで、後日報告聞かせて頂ける機会があればと思ってます。
引用返信 削除キー/



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