1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■4713 / inTopicNo.1)  昨日の経験
  
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2006/01/30(Mon) 01:33:22)
     昨日、3時間半ほどのエンカウンター・グループに参加した。
     夏の、泊りがけのグループをやっている人が、月1でやっているミニ・エンカウンター・グループへの案内をよこしてくれたのだ。
     わずか3人だったが、いい交流ができた。

     案内をよこした人間が、問わず語りのように、職場で行き詰まっているというか、かなり困難な状況になっていることを話し始めた。
     かなり、懐の深い人だと思うのだけど、転勤で変わってきた職場は、前の職場とはちがって、仕事の中味をていねいに考える時間はほとんど無くて、結果だけというか、事柄を処理することだけが求められて、まるでロボットかなんかのように感じられて、自分が何をしているのかわからないような気持ちだというようなことを話された。

     仕事をやめようかと思ったとも言われて、その深刻さがわかった。

     こういうときは、何かいい方法はないか、どういう風に考えたらいいかという対策ではなくて、先ず、この人の感情というか気持ちを、言わば心ゆくまで聴くことがだいじだ。
     久しぶりだったので、どれだけできたかはわからないが、心情的には、辛さを共感できたようには思う。 休憩時間に、私がトイレに立っている間に、もう一人の人に、「まるで、実家に帰って、じっくり話しを聞いてもらっているような感じ」と、話されたそうで、なによりではあった。 私だけではなくて、もう一人の人をも含めての話しだけど………。

     問題は、後半だ。 休憩中にトイレの話しで盛り上がったのだったが、「ご不浄」という言葉が出てきて、私は、おふくろのことを話したくなった。
     不浄な者として、私は隠されてきたというか、外に出されなかったというか、とにかく、外から隠されていたということを話したくなった。
     話し出すと、私がどんな風に苦しかったかということを、一定その初めから、簡単にでも辿らなければならない。 今、思うと、もっと単純に、「隠されてきたんだよね」と、1項目づつ話せば、その事柄ごとに、話しが深まったかもしれないと、思う。 が、そうではなくて、とりとめもなく、過去のことから現在の様子、おふくろの人柄、おふくろがやってきたこと、そして、それぞれのことについて思ったことなど、ちゃんこ鍋じゃないけど、ごった混ぜだったからな〜。
     自分で話していても、充分にも話せていないし、断片的だし、何を話したいのかわかるだろうかという感じだった!

     しかし、これも、あとで聞いたのだが(ちょっと気がかりだったので、案内をくれた人に、夜、電話したのだ………)、「話すときは、支離滅裂でいいのじゃないの? それを、聴いている人が、判るように聴こうとするのだし………」と、いうようなことを言われて、私は、ホッとしたのだった。

     エンカウンター・グループというものも、もう一つどういうものなのかわかっていないところがあったのだが、これで、謎が解けた。 つまり、「(どんな話しでも)話しをすることができて、それを、聴いてくれる人がいるという場」なんだと、思うのだ!


     いづれにせよ、私にとっては、久しぶりの、家の外の、外界での体験だった。 ここで、ヴァーチャルではあるけどよく語っているから、現実の場でも、同じような語り口というか対応が、あまり戸惑わずにできるような感じはあった。
     しかしながら、私は、帰ってきて、あくる日である今日も、あらためて思っているところだが、「私は、現実の世界のなかに踏み出していこうと思う」と、思っているのだ。

     1歩、外に踏み出して、外の世界で、自分としての動きをするということだ。
     自分を棚上げにして、おふくろのためであったり、何かのため、誰かのために動いていたことをしなくなって、丸4年が過ぎようとしている。
     当初は、赤子のような自分を一所懸命保護した。
     次いで、人の為とか、何かの為になんらかの動きを組み立てる癖がついているので、そうしないように、気をつけながら、それに変わる、自分としての動きで動くようにと期待したが、これは、どうも、自然に生まれてくるものではないようだ。
     だいたい、他の人も書いているが、自分らしいものは、無いのだ! そういう風には生きてこなかったから、「無くて、当然」なのだ!
     しかし、これは困った話で、大問題、おおごとなのだ! ………自分が無い! ………自分らしくということを、知らない!

     去年の1月始め、おふくろからどやしつけられたことによるフラッシュバックを経験したことから、おふくろの影響から脱皮する、自分の動きを自分で創っていくぞと、目的意識的な行動へ、自身を方向付けた。 これは、強迫観念との両刃の刃であったから、綱渡りのようなところがあったのだが、しかし、1年かけて、次第に育ててきていたのかもしれない。

     今、自分に、何かがあるということではない。
     が、外で、形作っていこうという風に思っている。
     外の風に触れながら、その反応を見ながら、自分らしさを創っていくのだと、思っている。

     その意味でも、昨日の経験は、いい経験だったのだ………と、何か、しみじみと、深夜、思っているという次第である。………………
引用返信 削除キー/
■4714 / inTopicNo.2)  Re[1]: 昨日の経験
□投稿者/ ひよこ -(2006/01/30(Mon) 15:40:54)
    すっごい思うことなんですけど、SILVER7さんてカウンセラーに向いてるんじゃないかなぁ、と思います。どうでしょうか?話し上手は聞き上手っていうか、黙って人の話を聞いてうんうん、ってうなずいていられるのって忍耐がいると思うんですよね。
    だからSILVER7さんらしさってのは忍耐があるってことじゃないですか?だから忍者なんですかね?ごめんなさい、勝手なことを言いまして。

    私は時代遅れのアナログの埃臭い人間です。歩きが基本で車も運転しません。だって自己責任取れないんだもの。これが私の限度かなと思います。お抱え運転手でも欲しい所です。私は、職業は?と聞かれたらシーラカンスとでも答えようかと思ってます。ハ?って言われたら生ける化石です。って答えようかな(笑)。

    SILVER7さんも忍者ですって答えてみてください。
    (失礼いたしました)

    ところでエンカウンター…っていうものは何なのですか?自助グループの一種ですか?田舎者でよく知らないので教えてください。
引用返信 削除キー/
■4715 / inTopicNo.3)  エンカウンター・グループって……忍者から
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2006/01/30(Mon) 22:17:13)
    No4714に返信(ひよこさんの記事)
     忍者って、案外合っているかも。
     自分が主人公にならないところとか、蔭で、雇主のために、時には命を賭してでも尽くすところとか………。
     カウンセラーってね、場合によっては、命がけで、クライエントを守ることって、あるんじゃないかな〜。 カウンセラーではないけど、夜回り先生の水谷修さんとか、アウシュビッツに収容されて、その経験を『夜と霧』に書いた精神科医のピーター・フランクルなんか、そんな人じゃないかな〜。

     ありがとうございます。 自分でも、そうなりたいと思ってカウンセリングの勉強をしています。 ただし、この文章でも書きましたけど、どうしても自分のことを棚にあげて「世のため、人のため」に動きたがることとは、一線を画さなければなりません。
     そして、それは、かなり困難なことですから、それよりも、まず、自分のやりたいことをやる(私で言えば、たとえば、詩の世界を構築すること)方に力を注いで、それこそ、自分らしさというものを少なからず認識してからの方が、いいかもしれません。
     私は、当面、そのように動いていこうと、思っています。


     でも、「忍者」に認定していただいて、嬉しくもあり、恥ずかしくもありなんですが、エンカウンター・グループというのは、来談者中心療法を始めた人であり、カウンセリングの基本のところを科学的に実証付けていったアメリカの心理学者カール・ロジャースが、単に治療の場とか、狭い意味のカウンセリングの場だけではなくて、将来的には全世界の人のあり方を体験する場として設定された、言わば、これは私流の解釈ですが、‘人とともにある自分’を体験する場じゃないでしょうか。

     具体的には、何人でもいいんですが、たいがい、和室なんかで、グルッと輪になって座り、あるいは寝転び、あるいは足を出し、あるいは(女性でも)胡座をかき、頬杖をついても居眠りだってしても良し、楽にして、そして、テーマも無し、司会者だっていない、話したい人が話し、応じる人が応じ、応じない人は黙っていていい、そのとき、その場任せの進行なんです。
     ただ、話がやたら広がったり、暴走し始めたり、あるいは話し手が負担に感じたりというような、ある種非生産的な展開になるのを回避し、再び、お互いが耳を傾けられるようにしていく裏方、世話人、ファシリテーター、つまり場数を踏んだベテランが、参加します。

     「息子が自殺した」というような、深刻な話題も出ます。「夫に暴力を振るってしまう」という話しもあるし、なかなかうまく言えないんだけど、夫婦の間の隙間風を感じているという年配の女性の話しが出ることもあります。
     そうですね、非常にプライベートな話しなんだけど、話す人は、大概思い余っている人が多いいですね。 そして、その場にいる人間は、我がことのようにと言うか、わが身に照らしてと言うか、決して他人事ということではなくて、なんか、親身に、真剣に聴くんですね。
     この、真剣に聴くということが、話す人を救うことになるようですよ。

     世の中で、他人の話に耳を傾けてもらうということは、たいへん少ないですよね。
     ましてや、なかなか人には話せないようなこととか、負い目に感じているようなことはね。
     そんな話しをすることができる場なんですね。
     で、そんな話しに、じっと耳を傾けてくれる人がいる場ですね。

     自助グループは言いっぱなしだったりしますが、エンカウンター・グループは、関わりを持っていきますね。 ただし、アドバイスやたとえば指導の類は、嫌われますね。 そんなものを期待して話し始めるんじゃないんですね。 「ただ、聴いて欲しい」とか、「そんなことがあったの」という、承認された感じとか、「自分が、ここにいていい」、「自分は生きていていいんだ」というような、とにかく、辛いことを抱えていても、存在を否定されない、むしろ「それでも、生きていってね」というような、とにかく存在が許される場ですね。

     こんな嬉しいことはありません。

     カール・ロジャースは、1対1の来談者中心療法を、グループに広げたのではないでしょうか? 来談者中心療法も、ロジャースが体験的に取り入れるようになった、「こちらから指示するのではなくて、クライエントをそのまま受け入れる」という対応なんです。
     で、お互いに、そんな風な関わりができるようになるといいな〜と、人のありようの理想として、それを体験する場として、治療からも、学習ということからも離れて、グループの体験ということで、グループだけで、広く行われるようになっていますね。

     カルト集団とか、宗教とかとの違いも、「どっかへ導こうということが無い」ところでしょうね。


     長くなりました。
     詳しくは、↓を見てください。
     http://www.osaka-gu.ac.jp/php/matumoto/

引用返信 削除キー/
■4716 / inTopicNo.4)  ありがとうございます
□投稿者/ ひよこ -(2006/01/30(Mon) 23:58:51)
    SILVER7さん、グループの説明、大変詳しくありがとうございました。
    私は不登校児たちの塾を作ろうと意気込んでいたのですが、ことごとくその親達に問題があることに気づかされ、頓挫してます。

    子供達の話を聞こうとすると、そこに必ず親の壁が立ちふさがってしまい、ただ子供を傷つけるだけで終わってしまいました。非力な自分に腹がたってます。
    カウンセラーっていうのは時に命がけなんですよね。夜回り先生はあこがれの人です。私も彼のようになりたいです。もう腹はくくっているので、関わりになった子供本人と(親に内緒で)会って本音を聞きたいと思っています。そのためになら忍者にでもなります。自分の責任はとらねばなりません。いいのか悪いのか分かりません。失敗も怖いです。でも失敗しても今は自分を受け止めてあげられると思います。私はもう大人ですものね。

    SILVER7さんのように、カウンセリングには詳しくないし、裏をかえせば成長の余地があるのかもしれませんが、やりたい!!っていう使命感があるんですよね。もう私みたいな思いをこれからの子どもにさせたくないという。勉強する為に大学院、受けてみようかな。

    近いうちに自分の住んでいる自治体でそのエンカウンター・グループもどきを作って、実践してみたいと思います。SILVER7さんはお歌が上手ならば、吟遊詩人という職業はどうでしょうか?SILVER7さんの詩集が発売されることを待ってます。
    その際にはサインをお願いしますね。

    SILVER7さんは「死なないで生きて 虐げられた魂の詩」大島洋子編 チームあんぶれら 樹花舎 ってご存知ですか? 被虐待児の詩集です。こういう詩集を作られたらどうでしょう?

    エンカウンター・グループについて本当に詳しくありがとうございました。勉強してみます。
引用返信 削除キー/
■4722 / inTopicNo.5)  Re[1]: 昨日の経験
□投稿者/ だりあ -(2006/02/02(Thu) 17:17:49)
    エンカウンターお疲れさまでした。
    私はまだ人の前で話す事は出来ません。
    カウンセラーの前でも淡々と喋っている様です。
    かえって、カウンセラーの方が泣き出してしまいました(笑)

    私は今は休んでいるけれどもやりたい事はいっぱいあって、だけど病気で出来ない事に腹がたっているのです。

    SILVER7さんの書き込みにはいつも感動してしまいます。
    深く深く考えて、心にスッとしみこむ文章に癒され、考えさせられ、暖かいものを感じています。
    そして、前にお願いした私のわがままも聞いて下さり、感謝しています。

    どうか、SILVER7さんやここに集まるサバイバーの方たちが幸せに暮らしていける様、心から願っています。
引用返信 削除キー/
■4723 / inTopicNo.6)  Re[1]: 昨日の経験
□投稿者/ かすみ -(2006/02/02(Thu) 17:43:55)
    またしても、読んでいるうちに何か、こみ上げてきました。
    そして、気付かされました。

    何も焦らなくていいと。
    自分探しに焦っていたのですが、今は暖かく自分を保護してあげようと。

    私は、人の話が聞けません。
    共感することも、苦手です。
    そして、自分の気持ちを話すことも苦手です。
    だけど、深い心の奥を探して少しずつ進歩しているように感じることもあります。

    SILVER7さん、良いお話をありがとうございました。

    少しずつでも確実に、この毒親に育てられた私は、私として育てて生きたいと思います。

    文章を書くのも苦手で、このレスも書き直して書き直してやっとでした。
引用返信 削除キー/
■4728 / inTopicNo.7)  (削除)
□投稿者/ -(2006/02/03(Fri) 09:13:46)
    この記事は(投稿者)削除されました
引用返信 削除キー/
■4737 / inTopicNo.8)  Re[2]: だりあさん、こちらこそ
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2006/02/03(Fri) 23:39:51)
    No4722に返信(だりあ さんの記事)
     だりあさん、こちらこそ、ありがとうございます。

     だりあさんは、人前で話すことができないんですね。 人の前に出ること自体も、難しいとき、私も、そうでした。 
     カウンセラーさんにも、淡々と話されているんですね。 
     カウンセラーさんが泣かれたのは、だりあさんの話の中身が、淡々と話されるのとはちがってたいへんな内容だったからですかねえ?

     ゆっくり、ゆっくり歩いていきましょうね。
引用返信 削除キー/
■4738 / inTopicNo.9)  Re[2]: かすみさん、ありがとうございます
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2006/02/03(Fri) 23:51:52)
    No4723に返信(かすみさんの記事)
     かすみさん、ありがとうございます。

     ほんとうに、ついつい、焦るんですね。

     でも、ようやっと見つけた自分だから、たいせつにたいせつに、育てていきましょうね。

     あらためて、この、自分が見つけた、「自分」を思うと、胸がキューーっとしますね。
     
     私だって、何10年がかりです。
     でも、もう、絶対に、離しません。
引用返信 削除キー/
■4740 / inTopicNo.10)  Re[2]: だいじなところ
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2006/02/04(Sat) 01:32:35)
    No4728に返信(スケッチぶっくさんの記事)
     スケッチブックさん、もう、今日になっているのですが、九州の方で開かれる日本でのカウンセリングの先導者の人を囲んだエンカウンター・グループに、1泊2日で参加してきます。
     前から、できればお会いしたいと思っていた人なので、楽しみです。

     また、帰りましたら、感じたことなど書けるかもしれません。

     グループについては、スケッチブックさんも体験されて、感じられてるんですね。
     以下に書かれたところは、だいじなところですね。

    > > > 「大切に、自分の思い」が 聴いてもらえている。…というのは、相手が何も語らなくても、語っている本人には、よく分かります。
    > 本来、どの人にも 備わっている力だと思うのですが、わたしの場合は、「それ」を 体験することが、ほとんど出来ませんでした。
    > > 「心を 傾けて聴いてもらえる」という関わりの中に居るだけで、「自然に、自分らしく振舞える」ように成ってゆきます。
    >  自分が、丸ごと受容されている…ことを、みなと共に、より豊かに味わえるのも、「グループ」の醍醐味ですね。
    >

     帰ったら、また、書きます。………………
引用返信 削除キー/
■4780 / inTopicNo.11)  Re[2]: 昨日の経験
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2006/02/11(Sat) 21:05:42)
    2006/02/11(Sat) 21:19:30 編集(投稿者)

    No4728に返信(スケッチぶっくさんの記事)
     今しがた、もう一度、スケッチブックさんのレスを読み直してみました。

     なんだか、スケッチブックさん、いい経験をしておられるようですね。

     今までにくぐってこられたことも、それがあったからこそ、腹にこたえているんですね。

     そうですね、腹にこたえていると、ぶれませんね。 それとは違うものを、文字通り必死になって求める、探すんですね。

     その意味では、ACとしての、私たちの経験というのは、たいへん辛いんだけど、その、味わった辛さを生まない、違うものを、全力を傾けて求めるんですよね、そういう意味では、かけがえのない経験ですね。

     なんだか、こんな言葉を自分で書いちゃうと、自分で、涙ぐんでくるようで、まずいですね………!

     ………………………………
引用返信 削除キー/



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