1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■4648 / inTopicNo.1)  私の家族の場合
  
□投稿者/ くり -(2006/01/18(Wed) 17:50:41)
    ここで発散することができたらなあという思いで書こうと思います。
    ひどい家庭だったと、改めて思います。

    始めに私の家族のことを。

    ●父…あまり家に帰ってこない。帰ってくると八つ当たり。自分の機嫌で家族を左右する。アルコール・薬物依存。うつ病もあった。女遊びが激しい。子供は動物扱い。幼少期は身体的虐待、思春期からは性的虐待をする。

    ●母…幼少期はよく寝ている。中学からあまり家事・育児をしなくなった。宗教にハマッていたが、そのうち「自分には竜神と観音がついている」と言い出し、「自分は力があるから逆らうと罰が下る」と言い始める。何でも「霊」のせいにする。子供をコントロールしたがる。逆らうと顔面蒼白になりてんかんみたいなものを起こす。

    ●家政婦…母に代わり私達の世話はもっぱら住み込みの家政婦がしていた。すごいヒステリー。常に私達のことを監視。妹の首をしめたことがある。

    ●兄弟…半分血のつながってない姉が二人(父は3度結婚している)、妹二人がいる。一番上の姉は特に人間扱いされていなかった。地下室で生活させられていた。兄弟同士でコントロールしていた(親がさせていた)

    ●祖母・祖父…母・父方ともにとてもひどい祖母である。父方の祖父は自殺、母方は祖母の素行があまりにもひどいため離縁され、母は私生児として育ったため、顔も知らない。

    ●おば…父の妹。警察に2度逮捕されたことがある。父がもみ消した。

    ●親戚…付き合いがない。というかさせてくれない。周りはみんな敵だと親が思っていた。

    父・母ともに「反抗期」がなかったといいます。恐ろしいことです。
    なので「反抗期がある方がおかしい」と逆らうことを許されなかった家庭でした。
    こんな中で育ちました。

    続きはまた今度…。
引用返信 削除キー/
■4649 / inTopicNo.2)  Re[1]: 私の家族の場合
□投稿者/ なきむしっこ -(2006/01/18(Wed) 19:03:15)
    くりさん、こんにちわ。なきむしっこです。
     くりさんの文章を読ませて頂きました。
    ひどい家庭環境だったんですね。兄弟が地下室で生活だなんて・・・テレビ報道で大騒ぎしているもんだから、めったにない事なのだろうと思っていましたが、やはり見えていないだけで、日本にもそういう子どもっているもんなのかなあ?
     山崎房一さんの本で「子どもを伸ばす魔法のことば」など・・・・子どもに辛く当たる親がどう変わるべきか書いた本があります。そういう本を読むと・・・自分には何が必要だったのかが見えてきたりします。
     また「自閉症だったわたしへ」という本は、オーストラリアで生まれた高機能性自閉症(知能指数は通常だが、感情が伴うコミュニケーションが人とうまく取れない)の女性が、自分の持って生まれた障害を全く「障害」と理解されずに、親から虐待されながら育った事を含めて振り返った自伝で、くりさんの家庭と重なるかどうかは分からないのですが、おすすめです。
     
引用返信 削除キー/
■4650 / inTopicNo.3)  Re[1]: 私の家族の場合
□投稿者/ ひよこ -(2006/01/18(Wed) 20:48:58)
    くりさん、ありがとうございます。
    語ってくれてありがとうございます。

    そのようなことは家庭という檻に閉じ込められていて
    世間には発信されないし、されていた人も黙秘せざるを得ない内容なんですよね。

    私たちは聞くことしかできません。
    聞いて、うなずくことしかできません。

    薬が飲めないくりさん。お父さんのせいですね。
    だから、どす黒い感情をここで吐き出しまくって!
    あなたが一人で抱え込むには重すぎます。
    くりさんが吐き出すことによって、ここで救われる人間もいるのです。

    でも、マイペースでいきましょうね。無理はいけません。
引用返信 削除キー/
■4651 / inTopicNo.4)  私の家族1
□投稿者/ くり -(2006/01/19(Thu) 09:02:38)
    2006/01/19(Thu) 09:03:33 編集(投稿者)

    書き込みありがとうございます。
    日本は本音と建前の国であり、「くさいものには蓋」というものが日常化しているので、それがとても嫌で歯がゆさを感じています。
    報道の仕方にも問題があるように思いますし、医療体制にも問題があると感じます。

    家庭の話を書こうと思います。

    小さいころ、母はくたくたに疲れていた記憶があります。父親は育児や家事は一切手伝わず、曾祖母、祖母、父の連れ子と私や妹の世話を一人でやっていて、つかれて寝ている場面が思い出されます。いつも寝ている場面を思い出すのです。
    なので、ほっておかれることも多く、私は「母は健康である」という安心が得られないまま育ちました。

    母の祖母は姉を虐待していました。一週間風呂に入るなとか、同じ服を着ていろとか、言われていたそうです。においが原因でいじめに会っていました。
    その反動で私達妹をいじめていたそうですが、私にはその記憶がありません。

    父は家族が苦しんだりするのをみるのが好きでした。
    スキンシップのつもりでしょうがいつも頭をげんこつで殴っていました。
    嫌で泣いているのにそれをみると笑い、更に殴りました。
    ある日動物用の檻を買ってきました。
    私や妹が動物はいないのに何故?ときくと
    「おまえら用だ」といわれました。
    子供のおもちゃに檻を買ってくるような親です。異常以外何がいえるでしょう。

引用返信 削除キー/
■4652 / inTopicNo.5)  私の家族2
□投稿者/ くり -(2006/01/19(Thu) 09:39:59)
    父は世間では人権を扱うえらい人としてみられています。
    地位もそこそこありました。
    ●●(父)さんはえらい、人権者だと他人はいいます。
    「差別はよくない。私は命を賭してでもこれと戦う」

    妻や子供の人権をないがしろにしておいて、そんなことよく言えるものだと怒りが湧き起こってきます。
    逆らうことも許されず、目が合っただけで「おまえ、オレのことにらんだな」とえんえんと怒り、父の機嫌ひとつで学校をやめさせられそうになったり、泣いて泣いて「もうしません」とすがらないと生きられなかったあの家庭に、人権なんてありませんでした。おびえてくらしてました。人として扱ってはいません。ただ、お金だけありました。お金で解決です。

    母は宗教団体に入っていました。
    私が小学校高学年あたりでしょうか。何が原因でやめたのか知りませんが、やめてから、自分は力があると信じるようになりました。
    霊能力者のところに通うようになり、「自分にはパワーがある。しかしお前達にはない。なんてかわいそうだ」「私には何でもわかる。隠し事をしたり自分のことをないがしろにしたら罰が下る」とコントロールするようになりました。
    霊感があることが優れているという価値観を植えつけられ、私達姉妹は必死で母を立て、みえもしない霊を感じるとか、みたとか一生懸命母の戯言についていこうとしていました。
    とてもつらいことだった、と今では思います。
    反抗したり、思い通りのことをこどもがしないと、
    「おまえには今悪い霊がとりついているのと違うか。お払いをしないとだめだ」
    といって、私達の自我を押さえ込みました。

    高校のころです。深夜タクシーをとばし他県にある神社に行ってきたかと思えば、
    「おまえが19で死ぬと言われたからお払いに行ってきた。ささげものが必要だったので鶏肉で代用した。これでお前は死なない。母のおかげだ。」
    そのときは麻痺していて、感謝しましたが、今から思えばなんて狂った人だと思います。
    「私はマザーテレサのように慈悲深い」とかアホなことも言っていました。
    まだ行動がましになった今は「そんなこと言った覚えはない。何をうそ言ってるんだ」とこれもまたおかしなことを言ってますが…。
    「お前はおれの世話だけしていればいい」という父による過度のコントロールに耐えかね、今度は私達をコントロールするしか心を安定させられなかったんでしょう。それには家政婦も一枚かんでいました。
    住み込みで来た家政婦はとんでもない人だったのです。
引用返信 削除キー/
■4653 / inTopicNo.6)   私の家族3
□投稿者/ くり -(2006/01/19(Thu) 13:54:07)
    2006/01/19(Thu) 13:56:28 編集(投稿者)

    小学校高学年のころから住み込みの家政婦がくるようになりました。
    最初の方はよかったのですが、2番目が最悪でした。小学校5年のころです。
    父は母に「子供の世話など家政婦にまかせておけばいい。おまえは俺の世話だけしろ」ということで、母はいいなりになり、育児をしなくなりました。

    まず家政婦は学歴が大事だ、と受験勉強させられるようになりました。私の意見はそこにありません。
    母は家政婦の言うとおりにしました。
    学歴がないので、コンプレックスをもっていて、子供に自分を投影させようと思ったのでしょうか。
    父も学歴がありません。経歴には●●大学卒業と書かれてますが、あれは金で買ったものです。つくづく嫌なやつです。

    元気に友人と遊んでいたのがそれからというもの学校から帰ると常に監視です。
    お茶の間にずっと座らされ、ふすまを少し開けた状態で家政婦はずーっと私をのぞいているのです。
    窓の外から庭の掃除をしながらのぞいて、少しでも休もうものならとんできてしかられました。いやみをネチネチいいました。休息はありません。
    これがもとで私は社会で働くたびに「休んだらしかられる」と人の目を気にしすぎて頑張りすぎ、体をこわしやめていくことをくりかえすようになりました。
    社会=恐怖なのです。
    父の「社会にでたらレイプされる」という虚言もしみついています。
    母の「社会はこわいところだ。みんな敵だ」という言葉もしみついています。
    いったいどこの親がこどもを脅すようなことばかりいうのでしょう。

    家政婦はヒステリーも起こしていましたし、私達子供は召使のような扱いです。
    耳をつねられたり首をしめたり(これは妹。「私の悪口を言ったやろ!」とヒステリーを起こされたそうです)灯油の入ったくさい物置に閉じ込められたりしました。
    妹達といっしょに「あの家政婦をやめさせて」と母に頼みましたが今更めんどくさいというのが理由で聞き入れられませんでした。
    その上母は一緒になって霊がどうだのお払いがどうだの言うようになり、ついには
    家庭の悪口を二人でえんえんと話すようになりました。ここからどんどん私はすさんでいくようになりました。
引用返信 削除キー/
■4654 / inTopicNo.7)  フラバ注意!汚い言葉です。
□投稿者/ ひよこ -(2006/01/19(Thu) 15:24:42)
    ひどいね。そんなバカ親父ぶっ殺してやりたいよ。
    お母さんはかわいそうだけど、子供を連れて逃げるべきだったね。
    あと、個人的には、マザーテレサを侮辱するな!と言いたい。
    家政婦も、そんなんで金もらってんじゃねーよ!死んじまえ!
    みんなバカヤローだ。地獄へ堕ちろ!
引用返信 削除キー/
■4655 / inTopicNo.8)  Re[3]: フラバ注意!汚い言葉です。
□投稿者/ くり -(2006/01/19(Thu) 18:30:13)
    私に代わって怒ってくれてありがとうございます。
    私はまだ怒りをコントロールできず、感情をうまく出すことが難しいです。

    母は離婚しようと思ったことが何度もあるそうです。
    1度目、鼓膜がやぶれるほど暴力をふるわれ、、弁護士に相談しましたが、その当時女性は離婚することが不利とされ、お金も後ろ盾も何もない母は仕方なくあきらめたそうです。

    2度目、私達を連れて離婚という話になったそうです。最初慰謝料がこれだけ、と合意していたのにどんどん提示額がへらされ(金があるのにもかかわらず)生活するのが難しいと判断し、あきらめたそうです。

    学生のころ家を出て行ったこともあります。私と妹が探しにいった事があります。
    その間父方の祖母とおばが家にきて「これからは私達が住む」と言って家に居座るようになりました。
    この祖母は、子供のころ父を捨てて男のもとへ走ったのですが、父にお金ができたとたん「息子や」とすりよってきて金ばかりせびる最低の人間でした。
    しまいにはかわいそうな姉に残すために父が買った姉名義のマンション(遺産)を勝手に売り払い、70も過ぎてる老婆のくせに恋した男にその金を全額貢いだ大馬鹿者です。
    おばは偽ブランドを売って逮捕されたことのある前科者です。また盗みも働きました。
    しかし社会的地位をきづいていた父はこれをもみ消しました。
    父は警察や政治家、教育委員会に顔がきいたのです。
    ですからもう父親に関しては恐怖しかありません。怒らせたら何をされるかわかりませんでした。
    ろくな人間がまわりにいませんでした。精神的に頼れる人もいませんでした。
    母もかわいそうですが、母も加害者なのです。私達子供にとっては…。

引用返信 削除キー/
■4656 / inTopicNo.9)  私の家族4
□投稿者/ くり -(2006/01/19(Thu) 21:48:27)
    中学・高校の時が一番つらいものでした。
    家政婦と母はずっと家で家族の悪口を言っていました。毎日です。
    父に関しては欠かさず毎日、ある日は私、飽きてきたら次は妹、とターゲットを変えてこれでもかというほど言っていました。もちろん私達こどもも参加しないといつターゲットにされるかわからないので、一人をターゲットにして、みんなで悪口を言い合っていました。

    そのターゲットが部屋にくると悪口はとまり何事もなかったかのようにふるまうのですが、声がつつぬけなので、今まで自分のことをさんざん言われていた、というのがわかるのです。

    悲しくてしょうがありません。本来なら守ってくれるはずの家族が一番の敵なのです。しかも宗教色も混じっていたので、異常でした。

    妹とはお互い嫌悪するようになりました。
    母は私達を分断させていました。
    ことあるごとに「お前たちは力がない。お母さん以上にはなれない」と言われてきました。「お母さんのパワーをもらってるからお前達は運がいいのだ。お母さんがいなかったらお前達は何もできない。ろくな人生を送らない」
    今もこの言葉から抜け切れていません。

    高校の時、進路相談で母が先生とけんかして帰ってきたことがあります。
    その内容が、
    「先生はあなたのお子さんの成績だと●●大学には行けるでしょうと言ったが、先生は現実をみていない。うちの子は頭が悪いんだからそんなできもしないこというなと怒ってやった」というのです。
    ほんとに、ほんとに悲しかったです。普通なら逆の反応をするのではないでしょうか?

    私はどうしてこんな家庭に生まれてきたんでしょう?
引用返信 削除キー/
■4657 / inTopicNo.10)  私の家族5
□投稿者/ くり -(2006/01/19(Thu) 22:16:02)
    2006/01/19(Thu) 23:22:46 編集(投稿者)

    父は、すごい女好きでした。母に
    「■■の社長は愛人をつくっている。だからおれも愛人をつくっていいか」と平気でいう最低な人間です。
    昼間から会社にも行かず愛人のところへ行っていました。それも何人もいるみたいでした。
    新しい車を買ったかと思えば、家族には一度も乗せてくれず、それは愛人のためでした。

    話は戻り、私が思春期を迎えたころです。
    父からいきなりみなの前によびだされ、「そろそろおっぱいがでてきたころだろう。見せろ」といわれました。
    母は傍観しているだけです。妹もとめません。
    だれも止めませんでした。
    私は心の中では泣いていました。
    そして怖かった。
    ですが顔だけは笑っていました。
    今まで染み付いた恐怖のため、笑って見せるしかありませんでした。

    そこから私はこのままでは何をされるかわからないと無意識に思ったと思います。
    何しろ自分の妹とも寝ている父なので。
    食べて食べてふとり出しました。
    ふとってブスになれば父は私を相手にしないだろうと思ったのかもしれません。
    そして猫背になり、部屋に閉じこもり、寝る・ゲームするの生活を送るようになりました。
    母や家政婦が悪口を言い合っていたころのことです。
    妹たちからは「あっちに行け」と馬鹿にされるようになりました。
    私の寝ているところをビデオ撮影し、「まぐろが寝てる」と観て笑っていました。
    後できいたことですが、妹も、何かしら父からされたようです。

    しかし、夜中寝ているとたまに父がドアの前にじっと立っていることがありました。私はどうすればいいのかわかりません。そのころは「家を出る」という観念がなく、また抵抗することもできず、うつ状態になっていきました。

    ほんとに嫌な中学・高校時代でした。


引用返信 削除キー/
■4658 / inTopicNo.11)  私の家族6
□投稿者/ くり -(2006/01/19(Thu) 22:50:27)
    2006/01/20(Fri) 02:18:48 編集(投稿者)

    しかし、救いは友人でした。
    部活に入っていたので、すごく楽しかったのです。
    友人や学校がなければ私はどうなったかはわかりません。
    今でも付き合いは続いています。

    妹ですが、一人は有名私立大に行きましたが、プライドだけの高い人間になりました。そして典型的な共依存です。考えがころころ変わって落ち着きがありません。

    もう一人は高校のとき登校拒否をおこし、親に中退させられました。
    しかも、病院で「うつ」と診断されたにもかかわらず、母は「キツネの霊がとりついているから妹はおかしくなった」といいだし、妹の部屋をお払いし、線香の煙だらけにしました。私もそのときはそうだと信じていました。
    集団ヒステリー状態です。
    父はといえばその状況を楽しんでいました。
    家に問題があると喜んでいました。

    もし、あの時適切な対応をとっていれば、妹は救われたかもしれません。
    現在はそれがもとで私とその妹とは絶縁状態です。
    母によればキャバクラで働いているとのことです。
    最近は病院でも働いているとのことです。
    母も学歴もなく水商売をしていましたから、母と同じ道をたどっているのです。
    この妹を母は一番かわいがっていたので、無意識のうちに自分と同じにしたかったのかもしれません。

    一番上の姉はそのころ施設に入れられていました。
    もう一人の姉は実は顔もしりません。

    私は名のある短大に進学するようになりました。

引用返信 削除キー/
■4659 / inTopicNo.12)  私の家族7
□投稿者/ くり -(2006/01/20(Fri) 01:38:43)
    短大に入ってから、家政婦は殆ど仕事もせず知り合いと電話ばかりするようになりました。
    そして自分からやめると言い出し出て行きました。

    ふとっていた私ですがどんどんと体重が減り、普通に戻りました。
    そこから周りから「女」としてみられるようになりましたが、今までの生い立ちから、それは恐怖以外何者でもありませんでした。
    彼氏をつくることもできませんでした。
    できたら家族が一斉に悪口をいい、根掘り葉掘り詮索し、ぐちゃぐちゃにかきまわすと思ったからです。(それは当たっていました。妹に彼氏ができたときはすごかったです。それをみてさらに怖くなりました。)

    そして今度は母から別の意味でキツくあたられるようになりました。
    母は自分を「ライバル」としてはりあうようになりました。
    「化粧するなんていやらしい」とか、「お前の選ぶ服はセンスがない。お母さんの方がある」とか「自分は昔すごくもてた」とか娘としてではなく「女」としてはりあうのです。私の手をみて、「綺麗な手でうらやましい」と自分の手をみながらぽつりと言ったときはすごい嫌悪感を覚えました。
    どうにかしてほしいと思いました。

    短大時代は割と楽しかったのですが、妹からは「大学は遊ぶためのものではない。勉強もしないで金の無駄遣いだ。何様のつもりだ」とえんえん当たられるようになりました。そのくせ自分が大学に入ると私以上に遊びだし、そのことを言うと、「は?何過ぎたことぐちぐち言ってんの?」といわれ、怒りを感じたことがあります。今もこのことに怒りが収まりません。
引用返信 削除キー/
■4660 / inTopicNo.13)  私の家族8
□投稿者/ くり -(2006/01/20(Fri) 02:14:47)
    大学を卒業して一応就職はしました。
    しかしすぐにだめになりました。
    怖くて怖くて続けられないのです。
    ほんとにつらくて、泣いて母にそのことをいいましたが、母は嫌そうな顔をして「はやく寝なさい」と言っただけでした。

    父は「短大が有名だったから会社はお前をとったんだな」とこともなげに言いました。

    会社をやめてからバイトをすることにしました。
    それから一年後、友人と東京に住むことにしました。
    いったん家を離れました。
    しかしこの友人もおかしなところがあり、一緒にくらしてからそれがわかるようになりました。それもトラウマのひとつです。

    父が自殺したのはこのころです。
    もとからもう長くはないと言われていました。
    重度のすい炎と肝臓を患い、うつ病にもなっていました。おなかに水もたまっていました。原因はアルコールとタバコと薬のとりすぎでした。

    実家に帰ってるときでした。
    父が早朝電気コードで首をつって死んでいるのを妹が最初に発見しました。
    心臓発作ということにして葬式を行いました。
    涙はでませんでした。
    むしろ死んでくれてよかった!!と心の底から思いました。
    これで私は楽になれると本気で思ったんです。
    後日父の会社から偲ぶ会みたいなものがあり、父の軌跡を思い出すということでフィルムが流されました。
    父と私達の幼い時の写真が映し出され、「よき父として…」と読み上げられたとき、私は心の中で「何がよき父だ!」と毒づいていました。みんなに言ってやりたい衝動にかられました。「父はとてもひどい人だった」と。
引用返信 削除キー/
■4661 / inTopicNo.14)  Re[2]: 私の家族4
□投稿者/ ひよこ -(2006/01/20(Fri) 06:48:05)
    くりさんはすんごいパワーの持ち主ですよ。
    そんなお母さんなんかより、とってもとっても強いです。
    だって、だって、うつになって自分に向き合っているじゃないですか!
    それはすごいことなんですよ。尊敬します。
    よく今まで頑張ってきたんですね。
    本当に、本当に、すごい。
    誰にでもできることじゃない。
    家族はくりさんに嫉妬してるんですよ!
    羨ましいからいじめたんだ!
    くりさんは家族がもってないものをもってます。

引用返信 削除キー/
■4662 / inTopicNo.15)  フラバ注意!汚い言葉です
□投稿者/ ひよこ -(2006/01/20(Fri) 06:55:34)
    そんな女好き、異常だ。鬼畜だ。動物以下だ。
    くりさん、洗面器にぬるま湯を張って!

    さあ、顔をつっこんで叫んで!

    バカ!アホ!死んじまえ!鬼!畜生!汚らわしい!お前なんかとは血のつながりがありようもない!あるわけない!私の中から出て行け!消えてしまえ!
    お前なんかこの世に生まれて来なきゃよかった!何もせずに死んでいきやがって!
    人の気持ちを考えろ!テメーも同じ目に遭わせてやる!ひっぱたいてやる!踏みつけてやる!ぶんなぐってやる!善人面するな!人間じゃねー!最ッ低なヤローだ!マジでぶっ殺してやるーーー!!

    今のくりさんにはこれがアファメーションになるような気がします。
    無理だったらやらないでください。

引用返信 削除キー/
■4663 / inTopicNo.16)  Re[2]: 私の家族7
□投稿者/ ひよこ -(2006/01/20(Fri) 06:58:55)
    洗面器にお湯をはって、顔をつけて妹さんへの怒りを吐いてください。
    吐き出さないと身体の中に、腹の底にたまって悪さをなすだけです。
    怒りは毒物です。ホントですよ。
引用返信 削除キー/
■4664 / inTopicNo.17)  Re[2]: 私の家族7
□投稿者/ ひよこ -(2006/01/20(Fri) 07:01:43)
    戦時中、祖国のためだ、お国のためだと死んでいった人たちが、戦後どのような気持ちになったでしょうか。くりさんが、本当に信じていたことを裏切られたこと。それがどんな喪失をもたらすか彼らは知っているはずです。
    だから、くりさんは狂った家のために心を殺されたのです。そうですよね。
引用返信 削除キー/
■4665 / inTopicNo.18)  Re[2]: 私の家族7
□投稿者/ ひよこ -(2006/01/20(Fri) 07:07:06)
    まだ、みんなに言いたいけど、発信したいけど、今のくりさんは家族に縛られていますよね。そんなこと言う自分が悪いのではないかと責めてしまいますよね。

    それは違いますよ。くりさんが苦しいのには原因があってそれは全て過去の大人達に責任があるのであって、くりさんは一つも悪くないのです。
    辛いなら無理なさらないでいいです。ここは安全です。ここで吐き出してください。わたしはくりさんの書き込みに勇気をいただいております。感謝しております。よくぞ話してくださいましたと思います。涙がでるほど有り難いです。

    だから、自分を責めないでください。
    くりさんは私たちを救うことのできる、強い強い人間です。


引用返信 削除キー/
■4668 / inTopicNo.19)  Re[2]: 私の家族8
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2006/01/20(Fri) 12:04:47)
    2006/01/20(Fri) 12:07:39 編集(投稿者)

    No4660に返信(くりさんの記事)
     うん、私も、続きを書いて欲しいと思います。 働けなかったとき、どんな風に怖かったか、それから、そのあとも、何度も何度も動いて、うまくいっていたけども、それが破綻したことなども、ぜひぜひ、書いてください。 具体的に書かれると、くりさんがそのときどきに感じられたであろう心持ちまで、伝わってくるように思われます。
     そして、それは、ほとんど私も同じような心持ちを味わっているところに、ほとんどシンクロして共感します。 私は男ですが、味わった心持ちは、ほとんどかわりません。
     具体的に書かれるとね、もう一度、自分自身の味わった、あの歯がいさ、屈辱、苦痛の元を、再確認できるように思います。 それは、自分を、改めて、はっきり認識することのように思われるのです。 だから、決して、他人事ではないんです。

     ひよこさんが書かれたときも、同じように感じました。
     今までにも、何人も何人も、辛い経験を話されました。 そして、そうだからこそ、このページが、かけがえの無いものに感じられるのです。

     辛かったことを、全部出したら、少し、気持が軽くなるかもしれませんね。

引用返信 削除キー/
■4669 / inTopicNo.20)  ありがとうございます
□投稿者/ くり -(2006/01/20(Fri) 14:08:33)
    ひよこさん、SILVER7さん、どうもありがとうございます。
    読んでくれてる方々もありがとうございます。

    私にはこうして怒ってくれたり、共感してくれる人がまわりにいませんでした。
    書いてる途中、少し気分が悪くなったりしたのですが、全部書いた方がすっきりするだろうと思うのでまだ、もうちょっとお付き合いください。

    世間では父が「いい父親」とか思われてるが嫌でたまりませんでした。
    ひどい家庭の有様をかくして何ともないようにふるまう母が嫌でした。

    家庭のことを書いたことで薄皮一枚ほどですがはがれた感じがします。
    自分のせいでこうなったわけではない、と前より思えてきました。
    できないものはできなくていいのだ、とも少し思えるようになりました。
    親を無理に許す必要はない、と思えるようになりました。
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