1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■4288 / inTopicNo.1)  今、思っていること。
  
□投稿者/ スケッチぶっく -(2005/11/07(Mon) 06:00:24)
    2005/11/07(Mon) 06:16:25 編集(投稿者)

    ショコラさん、ミヤさん、chikypugさん、お返事ありがとうございます。
     日常生活でも、こうして投稿していても、「『聴いてくれる人』が居て、 『安心して 語れる場所が在る』」・・・と思えると、
    「何も 問題などない、話すことなど何もない。」と思い込んでいた 気持ちが、少しずつほぐれて・・・、語れるようになっていくのは、とても不思議だ。…と、いつも 感じています。
    訥々と 話しはじめたのに、気がつけば、思いの丈を語っている・・・ことが、今までにも、何度もありました。
    おそらく、こういう話が出来る場所、自由に、安心して自分の気持ちを 語り合える場所が、「家庭、家族」なのでしょうね。

    今、実母と同居しているのですが、
    「わたしの気持ちを、ほんとうに 受け止めて欲しいのは、お母さんなの!」 という思いを抱えている わたしにとって、一番むずかしいのは、それを 断念して、家族として、母と関わってゆかねばならないことです。
    それに加えて、かなり関係が 修復してきたとはいえ、息子は まだ18歳です。
    とても 配慮の必要な年齢です。
    「対等に・・・、率直に・・・、」 という基本的な姿勢を 保ちつつも、やはり こちらの側が、考慮すべき点が たくさんある・・・と思うのです。
    「大人になる、親になる・・・のは、並大抵のことじゃない。」と、息子や 母と関わっていると、分かるようになりました。
    わたしは、「家族のため、親、夫、家のために、奉仕する」という立場に、いつも置かれてきたので、
    どうしても 自分のことを後回しにして、人のために尽くす・・・のが、良いこと(美徳)」だと思い込んでしまうところが、今でもあります。
     拒食症(依存症)の助けは借りたくないのですが、どうにか これがあるから、生きてゆける・・・のかもしれません。

    わたしは、病気の ひどい時には、自分だけがおかしい!・・・と思っていましたが、色々な問題や ひずみを 抱えて生きているのが、「人」のようですね。
    それにしても、母は、ある意味で、やさしい所もある・・・けれど、とても攻撃的で・・・。
    安心して関われる部分が、とても少ない、非常に難しい・・・、色々な面を 持っている人だと思います。

    世間話はできても、決して 人と親しくなろう・・・としない。 自分を守るために、あらゆる手段を駆使して、生き抜いてきた人です。
    「自分のうちに閉じこもり、拒絶や攻撃をする・・・、こちらの境界を無視して、愚痴の垂れ流しをする」・・・、高齢になった今でも、若い頃と、まったく変わりません。

    今も 相変わらず、母とは、安心して関われません。
    その母と、おそらく これからも 一緒に暮らしていく・・・と思います。
    それに 息子も成長して、家族関係が、また 変わってゆくと思います。
    そんなことを 思いながら、「拒食症を抱えている わたしは、いつまで持つのかしら?・・・」と、どこかで ぼんやり考えている・・・こともあります。
    でも、「たくさんの問題」を抱えたまま 過ごしている 今の生活が、わたしにとって、「つまらないものではなくて、意味のある、大切なもの」 に思えるようになったのは、とてもありがたい!・・・ことだと思います。
    ・・・・色々なことが、あったからなのでしょうね・・・・・・。

引用返信 削除キー/
■4289 / inTopicNo.2)  Re[1]: 今、思っていること。
□投稿者/ chikypug -(2005/11/07(Mon) 11:56:44)
    スケッチぶっくさん、こんにちは。

    スケッチぶっくさんが書いてくださる内容には、うん、うん、とうなずくことばかりです・・・。
    まさに、私が子供の頃からもやもやとかかえてきて、この年になるまで言葉で言い表すことのできなかった思いが、スケッチぶっくさんの書いてくださることに重なって、自分の中からあふれ出てきているような感じです。
    本当に不思議な感覚です。

    > 今、実母と同居しているのですが、
    > 「わたしの気持ちを、ほんとうに 受け止めて欲しいのは、お母さんなの!」 という思いを抱えている わたしにとって、一番むずかしいのは、それを 断念して、家族として、母と関わってゆかねばならないことです。

    私も同じです!
    私は実家が遠いので、母と関わる機会は少なくて済みますが、同居となるとどれだけ難しいことだろうと想像します。

    お子さんとの関わり方、まさに対等に、率直に、でも配慮をしないといけない、まさにそのとおりですね。
    それがまた、難しい・・・・
    自分の思いをすべてありのままお子さんに話すべきではないし、だけど、伝えなくてはならないこともある。
    それは表面的なものでもいけないし、本当のこと、真実のことを伝えたいですね。

    本当に、「大人になる、親になる・・・のは、並大抵のことじゃない。」ですね!

    人は皆、何かしら問題を抱えて生きているのですよね。
    それを無視している人、抑圧している人、感じないようにしている人・・・
    皆それぞれ心の浅いところ、深いところで何かしら抱えている。

    私の姉は、母のカウンセラー役をずっとしてきました。
    ものすごく意志が強く、私がこういう状況に陥っているときに、「自分の心も身体もコントロールして生きなければどうするの!」、と抑うつの私を叱咤激励し、通院はやめろ・クスリもやめろ・母として生きるのか女として生きるのか、はっきりしろ・・・・と強い調子で言います。
    彼女は。ものすごいエネルギーで自分を抑制しているのだと思います。
    離婚して2児の母で、家も建ててキャリアウーマンで。
    どうしてあの人は壊れないであの生活を続けられるのか、私にはわかりません。

    私の母もとても攻撃的です。
    ものすごく乾いた言い方で、「これが私の愛情だ!」と言い切りますが、その言動から私の欲しいと思っている愛が感じられることはありません。
    私も、ちっとも安心して関わることができません。
    未だに、あの人と関わるときは、傷つきたくなくて身構えてしまいます。

    人の悪口・非難ばかりして、いつも眉間にしわをよせて不機嫌な顔。
    そうして、子供の頃の私がぶすっとした顔をしていると、もっとニコニコしろ、感じよくしろ、はきはきあいさつしろ・・・と態度を改めるよう叱られ続けました。
    内と外での態度の激変、矛盾・・・・
    そんな環境で「愛されている」と実感できるはずがありません。

    本当に、母と娘という関係は、境界線が引けないことが多いのでしょうね。
    母親は娘に対し、愚痴を垂れ流し、不満・ストレスのはけ口にしてしまう。
    そこには「配慮」という愛が欠けています。

    それでも、前を向いて、今の生活を大切に思えるようになった、そんなスケッチぶっくさんに拍手です。
    私は春に内観を受けて感じたことがあるのですが、それは、感謝する心を育てよう、と思ったことです。
    私は介護職なので、ちょっとしたことでお年寄りに「ありがとう・・」と言っていただける機会が多いのです。
    家庭教師で教えている生徒さんにも、「先生、ありがとう」と素直に言われて、はっとするときがあります。

    こうして私も、ここに自分の思いを書くことができるようになったことに、本当に感謝してします。

引用返信 削除キー/
■4294 / inTopicNo.3)  Re[1]: 今、思っていること。
□投稿者/ ショコラ -(2005/11/07(Mon) 18:33:04)
    は10年ほど一人暮らしをしていましたが、つい最近、実家に戻ってきました。
    10年ぶりに母親と一緒に暮らすようになって、自分がACであること、何年も治らない鬱の原因がそれじゃないか?ということ、そして母自身がACであることに気付きました。

    私はまだ未婚ですが、ゆくゆくは結婚もしたいし子供も産みたい。でも自分自身の問題が解決しなければ、結婚も出産もできないような気がしています。子供がACになるのが怖いのです。

    ずっと優等生で生きてきたので、その考えが抜けないないのか、今でもまだ母親と上手くやっていきたい、その為にはどうしたらいいか、と必死になっています。そう思うこと自体が間違いなのでしょうか。
    母親と上手くいかなければ結婚も出産もできない。幸せになれない気がするのです。
    だから私は今でも母の顔色をうかがっているし、母も私のことをまったく子供のようにあつかいます。
    母をうっとおしいと思いながらそれに甘えてしまっている私もいるし、とにかく距離感がつかめないのです。

    私はまだスタートラインにたったばかりで、右も左もわからない状態です。
    ここに書き込みするのも、何をどう書いていいのか、何から書いていいのか、混乱しています。
引用返信 削除キー/
■4295 / inTopicNo.4)  Re[1]: 今、思っていること。
□投稿者/ ミヤ -(2005/11/07(Mon) 21:38:20)
    スケッチぶっくさんへ

    > 「わたしの気持ちを、ほんとうに 受け止めて欲しいのは、お母さんなの!」

    私も同じ思いでいっぱいでした。でも今はそれを認めたくないと意固地になっているかもしれません。
    私の母もACです。が、自覚はしようとせず、それどころか自分は健常者で私が精神異常者だから悪いのだと言います。都合よく、まとも扱いされたり病気扱いされたりする時もあります。
    引越しの際、別れた夫が長い間隠していた母からの手紙を見つけてその存在に驚き、恐る恐る読んでみました。そこには私を早く外に連れ出してあげたい、毎晩深夜帰りで本当は何をしてるのか分からないような夫に私を任せて安心してしまった母が悪かったと、以前殴ってしまったのは親としての愛情だったと、殴った事は謝るから許して欲しい、元の親子に戻りたい、私の力になりたいというような事が書いてありました。
    その時の私は涙があふれて止まらなくなり、でもこれから母とはきっとやり直せると思えていたのに、現状は期待とは違い、前にも増して苦しい関係になってしまいました。

    > どうしても 自分のことを後回しにして、人のために尽くす・・・のが、良いこと(美徳)」だと思い込んでしまうところが、今でもあります。

    私も自分で思っている以上にその傾向が強いらしく、今までそういう生き方しかしてこなかった為に、そんなに我慢しなくてもいいんだよと言われても、ではどうしたらよいのか?知らないから分からないのだとカウンセラーに言われました。
    母もじきに年金をもらう年齢になるので、今更変わって欲しいといくら願った所で頭も体も衰えてきているのだしそれは絶対にないと言います。ましてや80歳を過ぎた祖母なんて問題外。それでも諦めきれずに母は祖母に求め、私は母に求めてしまう連鎖が現実です。祖母が死んだらひとつ終れるのでしょうか?母が死んだらやっと楽になれるのでしょうか?そう思うしかない自分が嫌いです。
    ちょうど、一年程前。転勤で離れてしまった友人にからもらった言葉があります。
    「いま起こっている出来事はすべて偶然ではなく、必然です。どうかこれ以上自分を責めないでください。ここまで来れた自分を褒めて愛してあげてください。そしてこれからは決して無理をせず、流れに身を ゆだねてみてください。良い時も悪い時もあるけれど、それは必然的に起こっている事なのだと認めてみてください。辛い気持ちを嘆くのではなく、おかげで人の気持ちまでも分かるようになったと成長を喜んでください」というものです。
    私は未熟者なのでその全てを実行に移せません。時々彼女の言葉を思い出す努力はしています。
    母娘の関係は切っても切れない呪縛のような気がします。夫から逃れても、好きな人との事は我慢ができても、母との事はどうしようもないです。私の場合、離れる事が先決だと思ったので暮らしとしては成功なのでしょう。でも仕事に就けなくて体もぼろぼろの援助を受けている今の状態では、お金につけ込んでますます母が悪魔のように見えてくるのです。離婚の時、弟の手前もあり実家に戻らせてくれなかった母が私と息子と同居したいような口ぶりで、近くに物件を探してみようと言い出しました。恐ろしくてたまりません。今後一切実家には帰らず、電話も自分からはしないと心に決めました。
    自分のことをいっぱい語ってしまいました。ごめんなさい。
    スケッチぶっくさんのように「ありがたい」と言える気持ちがなにより大事なのですけれど、私はそれが出来なくなってしまって、どうして上がった自分がまた下がったのか、悩む日々です。上がったり下がったりの波が繰り返すうちにだんだん小さくなり、いずれ穏やかになることを願って今日も生きています。
引用返信 削除キー/
■4300 / inTopicNo.5)  Re[2]: 今、思っていること。
□投稿者/ スケッチぶっく -(2005/11/08(Tue) 15:49:33)
    2005/11/08(Tue) 16:13:46 編集(投稿者)

    No4289に返信(chikypugさんの記事)

    chikypugさん、お返事 ありがとうございます。

     母は 再婚しているので、わたしには、異父兄がいます。
    兄は、祖母の養子になり、ずっと 別れて暮らしていました。
    父と 母の元で育ったのは、わたしと 妹です。
    同じ環境で育っても、姉妹でも ちがうものですね。

    妹は、遠方に嫁いでいるので、あまり会うことはありませんが、「彼女とは 生き方が、随分違う!」・・・と、会うたびに感じています。
    彼女は 若い頃、大きな病気をしたのですが、わたしのように、精神的な病や 心の問題で 非常に苦しむ・・・ことはなかったようです。
    それでも、以前は、姉として、妹には 支配的な行動を取っていましたが、今は、ただ見守る…のみです。
    妹の領域を 侵さないように注意して、「自分の体験」や「役にたつと思う・情報」を、伝えるくらいにしています。
    それでも、彼女の生き方や、子どもたちへの接し方を見ていると、「親のやり方」を、そのまま引き継いでいるので、間近で見ていると、胸が締め付けられるような思いです。 でも、仕方が無い・・・と思っています。

    結婚・・・て、一体何なんだろう?・・・と思います。
    気がついたら、父には愛人がいて、父と 母はいつも反目して、家庭内別居状態・・・。
    わたしも、結婚して 相手のことを理解しようと、それなりに努力したのですが、
    結局「相手が、どういう人だったのか・・・、10年以上も 共に暮らしていたのに、分からない?・・・」という感じです。

    離婚した当時は、息子は10歳だったので、彼が 理解できるように、言い方は工夫しましたが、「ありのままの事実」を 伝えるように、努めました。
    ただ、自分の抱えている 相手に対する、怒りや 悲しみが あまりにも大きかったので、それを 『愚痴の垂れ流し』として息子には、絶対に伝えないように 心がけました。

    「離婚する」ということは、「精神的に 大きなダメージ」を受けますが、「経済的」にも、「社会的」にも、失うものが、特に 女性の側に多くあると、わたしは感じました。
    家庭の中で、主婦として、母親として生活するためには、結婚した・相手を信頼し、経済的な自立をゆだねる。
    そういう立場に、多くの女性は 置かれるので、「結婚」や 「子どもをもつ」のに、躊躇する 女性が増えているのではないかしら?・・・と、時折 考えることがあります。

引用返信 削除キー/
■4301 / inTopicNo.6)  Re[2]: 今、思っていること。
□投稿者/ スケッチぶっく -(2005/11/08(Tue) 15:50:34)
    2005/11/08(Tue) 16:28:07 編集(投稿者)

    No4294に返信(ショコラさんの記事)

    ショコラさん、こんにちは。お返事ありがとうございます。

    「何だか もやもやして、ことば”にならない・・・、でも、なんとなく腑に落ちない、納得できない」・・・そんな思いを、"ことば”にする" のは、とても難しい・・・ですね。
    じいーっと落ち着いて、自分の心を 見つめられるようになるまで、「長い時間 と 労力」が、わたしには必要でした。
    「わたしの人格」が、母親に 乗っ取りかけられていた所から、『色々な助け』を借りて、罪悪感を ほとんど感じないで、
    「本来の わたしの気持ち、心の動き」を認められるような状態に、やっとの思いで 辿りつきました。
    それでも、「他の人の領域に入り、自分の気づいた点や、助言を言うこと」は、今でも ほとんどありません。
    「いったん口を開いたら、何が起こるか・・・、また どういう事態に 巻き込まれるか分からない?」・・・・と思うからです。
    今も、そんな恐怖心に 付きまとわれながら、過ごしています。


    一緒に暮らしているので、出来れば 母との 摩擦は避けたいし、穏やかに過ごしたいのですが、
    もう今は、一人でも、識別出来るようになったので、「どうしても、これだけは!」と思うことは、決死の覚悟で「母」に言います!
     結婚生活において、相手や その家族と、円滑にやってゆくために、自分を 抑えに抑えて 生きてきました。
    その結果、どんどん病気がひどくなり、子どもや 自分を深く傷つけたり、周囲の人たちに 散々迷惑をかけてきた・・・という経緯があります。
    今は、自分の出来ることを、丁寧にやって、後は「大喧嘩になろうが、母との仲が 分裂しようが・・・仕方が無い!」・・・と思っています。
    どんなにこちらが、気を使っても、「あなたは、とんでもない事をいう子だ!」と、母に言われたことが、何度もあります。

     結局、わたしなりに分かってきたことは、
    「親であろうが、だれであろうが、感じる気持ちは、人それぞれだ。」・・・ということ。
    そして、「真摯に 人の意見を認めることは 大切だけれど、それを どうとらえるかは、わたしの自由なのだ。」・・・ということです。
    わたしの取った行動の「責任をとれる」のも、また「とる必要がある」のも、『わたし』だけ・・・。
    そう考えると、「『自由である』ことは、とても すばらしいけれど、でも、とても おそろしいことだ。」・・・とも思うように なりました。
     
    息子は、今、自分の将来のことを、色々考えて、彼なりの行動を 取っています。
    そんな姿を 見せてもらえるのが、親である わたしにとって、一番うれしい・・・ことです。
    出来る限り、邪魔をしないように・・・と思うのは、わたしは、彼の年には、「両親のために、自分の人生が 生きられない状態に 追い込まれていた」からなのです。

引用返信 削除キー/
■4302 / inTopicNo.7)  Re[2]: 今、思っていること。
□投稿者/ スケッチぶっく -(2005/11/08(Tue) 15:51:34)
    No4295に返信(ミヤさんの記事)

    ミヤさん、ありがとうございます。
     
    "ことば" にすれば「AC」という短い"ことば" なのですが、幾世代にも渡って 生きて来た家族や 親族たちの、色々な問題や 人生が、どーんと、わたしの肩に 乗っかっている・・・という感じで、重たくて重たくて・・・。
    一人の人間が、担えるような、尋常な重さではない!・・・と、わたしが、「ずっと背負い続けてきた・荷物のこと」を、そう考えるようになりました。

    少し前まで、「まずいなぁ〜。」・・・と思いながらも、母からのなぐさめが、どうしても欲しくて、「わたしの結婚生活」について、母と語り合ったことが、何度もあります。
    でも、それから、ようやく抜け出せたのは、「わたしが、あの時、やめさせておけば、あなたは こんな目に遭わなかったのに!・・・それが、ほんとうに心残りだ。」という 「母のことば」の意味が、はっきり分かったからです。
    何度 母から、「わたしの言うことを聞けば、あなたは 幸せになれる・・・」とか、
    「わたしが、○○してあげるから、そうしなさい!」と言われたか(命じられたか)分かりません。
    人を 威嚇するような 一種独特の口調で言われる 「母のことば」に、子どものわたしは、震え上がりました。
    それでも、反抗心旺盛なわたしは、「ここぞ!」 という時には、母の脅しには 乗せられていない・・つもりでしたが、
    実際には 母の術策に陥って、ぼこぼこにされてしまった・・・ようです。

     母自身、「親の言うことは、絶対だ!」 と思って、生きてきた・・・といっています。
    それを、そのまま信じて、同じことを子どもに、強いてきた 母であり、父でした・・・。
    「まるで、我が家の 教育方針は、戦時中の 洗脳教育のようだなぁ〜。」・・・・と、先日 テレビ・ドラマを見ながら、感じていました。
    母も 父も、子どもの わたしから見れば、決して 「幸せな結婚生活」を、送って来た人たちではありません。
    それなのに、なぜ 別の人間である わたしに向かって、 「このように生きれば、幸せになれる!」と、母は 断言できるのでしょうか?
    その絡繰りが、分かるようになるにつれて、「母の脅し」にも、次第に 動じなくなりました。
    自分では、どうしようもなかった、フラッシュバックや 心身の反応も、随分減ってきました。

     わたしも、働けないので、「母の援助」を受けています。
    でも、お金に関しては、「金は 天下の回りもの、だから 両親からのお金は、有難く使わせてもらおう・・・」という感じで、
    結婚していた時よりも、気楽な、素直な 気持ちで受け取れました。
    「離婚に際して、『縁の切れめが、金の切れめ』」 ということを、これでもか!・・・というほど味わいましたから・・・。

    「母親である わたしが、息子にとって、どのような存在なのか。」・・・ということを 理解するようになるにつれ、
    「母親にたいする 子どもの思慕は、打ち切りがたいものなのだ。・・・ということを知りました。
    だからこそ、父や 母の「生き方」が、あんな風に ゆがんでしまったのかもしれません。
    でも、「子どもの 欲する愛情」が与えられない・母親に、いつまでも しがみ付いていても 仕方が無いのですから・・・。
    実際に 母と 離れられるようになったのは、そう思えるようになってからです。
    ・・・つい最近のことです・・・。
    孫の息子と 楽しそうに語り合っている 母の姿をみると、異父兄の姿や 実母と 離別した父の姿が 浮かんできます。
    なんとも言えない気持ちになって、「母に、また 利用されたのではないか?」・・・と、屈折してとらえていた時期もあります。
    でも、今は、うれしそうな母の姿、息子の姿を、そのまま素直に、喜べる・・・ようになりました。

    お母さんに対して、「コワイという気持ち」は、まだ 感じるけれど、わたしにとって、母は、ほんとうに怖い存在では なくなりました。

引用返信 削除キー/
■4303 / inTopicNo.8)  支配から、出はじめて・・・
□投稿者/ スケッチぶっく -(2005/11/08(Tue) 15:55:02)
    No4288に返信(スケッチぶっくさんの記事)

    しんどい思いを、ず―とし続けてきたので、もう 疲れきってしまって・・・、わたしとしては、随分年を取ったように感じるのですが、
    実際には、まだ「若いのだから、あなたの人生はこれからよ!」と言われることが、よくあります。
    おそらく、ほんとうにそう思われるのでしょうね・・・。
    『ふつう』に考えれば、40代半ばという年齢は、働き盛り・・・ということになるのでしょうか・・・。
    「あたらしい生き方」を学んでゆく・・・、身に着けてゆくのは、大切だと分かっていても、
    この年齢になるまで、「人と深く関わったこと」があまり無い。
    それに加えて、長い間、病気と向き合い続けてきたので、どうしようもないほど、つらくなったり、しんどくなることも、よくあります。


    「わたしにとって、人と関わってゆくのが、こんなに怖いことだとは…!」と、以前とは違う気持ちで、その『こわさ』を 改めて感じています。
    両親の元に居た頃、結婚していた頃・・・・に感じていたのは、
    「彼らの作った世界の中に、わたしが、(条件を満たしているから)どうにか 居させてもらえている。
    その中に居続けるためには・・・、また、彼らの満足を得るためには・・・、どのようにして 生きてゆかねばならないのか?」・・・ということばかりに、気が向いていたようです。
    それが、わたしにとって、すべてでした。
     別の生き方や 価値観がある…ことは知っていました、でも、別世界の絵空事、実際には存在しない作り話・・・だと思っていました。
    (当時は、理解している、分かっている・・・つもりでいたのですが、今、振り返ると、「自分のことを、何も分かっちゃいなかったんだ!」・・・と思います。)
    自分の気持ちを 感じるときにも、自分の行動を決めるときにも、
    「親の価値観」や「結婚した相手の、また 相手の家族の価値観」を通して、「自分の気持ち や 行動」を はかってゆこう・・・としていました。
    支配されるより先に、自分が「支配者の心に潜む願望」を探り出して、いち早く実行してゆく・・・、そんな感じです。
    わたしの周りの人たちは、みんな そんな風にして、生きてきました。 おそらく、何世代にも渡って身に着けてきた「生き方」なのでしょうね。
    「短所や 長所・・が色々あったはずなのに、どうして 祖父母、両親−わたしの世代で、こんなにゆがんでしまったのかしら?」・・・と思います。
    ゆがみを、「ゆがみ」として識別できる直感は、小さい頃から、強い方だと思います。
    だから、異分子のわたしは、「出る釘は打たれる」という感じで、完膚なきまでに 叩かれて来たのだと思います。
    「変化や 成長を望まない・親や大人」にとって、「過ちを指摘してくる 子ども」ほど、恐ろしいものはありません。
    だから、彼らは、本能的に、子どもを ぼこぼこにしてしまうのかもしれません・・・。
    洗脳する方も、される方も 無自覚なので、よほどのことがない限り、自分のもっている「ゆがみ」には気がつかないと思います。
    そう思えるようになって、わたしの生きてきた過程や、抱えている病気(摂食障害)のことを考えると、
    「大きな意味が あり、その時期に 起こるべくして起きた」・・・と思えるようになり始めている・・・ところです。
    そうは言っても、あんなに痛い目!・・・つらい思い!をするのは、ひど過ぎますよね・・・。


    これからも、わたしが 知らずに抱えている「ゆがみ」は、その時々で、必要に 応じて修正してゆこう・・・と思います。
    「(子どもであっても、)人の気持ちや、生き方」は、その人独自のものです。 
    だから それを侵害できる人は、だれも居ない・・・と思います。
    しかし、わたし自身、それを知ってはいても、実際に 体験したことがありません。
    だから、「今、それを実行して、生きている・・・」のですから、「こわい!」と感じるのは、当たり前ですよね。
    それにもかかわらず、「長年 馴染んだ生き方を修正して、新しいやり方を 身に着けて、生きていこう」と思えるのは、病気で どん底を何度も 味わったこと。
    ・・・それと「自分が ほんとうに大切だ。」と思えるようになったからです。
    「大切な自分のためになら、怖くても、また ぼこぼこになるような目に 遭っても、ほんとうの自由を味わわせてあげたい!」・・・と、心の中で、大きな声で叫んでいるみたいです。

引用返信 削除キー/
■4305 / inTopicNo.9)  Re[3]: 今、思っていること。
□投稿者/ ショコラ -(2005/11/08(Tue) 20:37:07)
    私も! 母に「わたしの言うことを聞けば、あなたは 幸せになれる・・・」とか、
    「わたしが、○○してあげるから、そうしなさい!」と言われ続けて来ました。
    だから母の言うことを聞かなければ、不幸になる、という意識が植え付けられてるようです。

    母はACですが自覚はありません。そういう概念があることも知らないと思います。
    私は今さらそれを「あなたはACなのよ。だから私もこうなった。」と言うつもりはありません。
    母は自分が過酷な状況の中、幸せとは言えないけれど自分は生き残ってきたのだから、だから私の言うことを聞きなさい、と言うのです。
    「あなたが心配だから。幸せになってほしいから。」とい大義名分のもと。
    それは親として当然のことかもしれません。でもわたしは歪んでしまった。

    私も今は無職で親の援助なしでは暮らせません。
    結局親に依存してしまっている自分が情けなく、一日を惰性で暮らしていると自己肯定感を持とうと努力しても、どうしても無理です。
    「わたしの言うことを聞けば、あなたは 幸せになれる」と言われ続けたせいで、私はちょっとしたことでも自分の決定に自信も確信も持てません。
    本当にしょうもない事でも、親に「〜してもいい? どう思う?」と聞かないと不安なのです。親じゃなければ、友達に聞いたり、人と比べて決めたり。
    常に「他人ありき」なんです。何一つ自分で決められない。
    だからいつも自分がなくてからっぽな存在に思えるのです。


引用返信 削除キー/
■4306 / inTopicNo.10)  Re[2]: 支配から、出はじめて・・・
□投稿者/ いつか -(2005/11/08(Tue) 21:04:33)
    キーコさん、こんばんは。
    遅いレスですみません。
    全て読ませていただきました。

    一人ではない、と思われるようになって良かった、と思いました。
    キーコさんの、お母様に認められたいと思われるお気持ちに、ああ私もそうだったと。
    ずっと拒否し続けていたから、そのなかにやはり慕う気持ちがあります。
    読ませて頂いて、そのことにも気がつきました。

    一番大切なのは自分。
    私もそうできるように一歩ずつあるいて行きたいと思います。

    ありがとうございました。
引用返信 削除キー/
■4307 / inTopicNo.11)  Re[3]: 今、思っていること。
□投稿者/ ミヤ -(2005/11/08(Tue) 23:49:24)
    スケッチぶっくさんへ

    確かに祖母や母は戦争を生き抜いてきた人達ですから私の知らない世の中を知っている訳で、そう考えていくと私はやっぱり「甘え」なのかと思ってしまいます。
    悔しいです。

    > でも、今は、うれしそうな母の姿、息子の姿を、そのまま素直に、喜べる・・・ようになりました。
    > お母さんに対して、「コワイという気持ち」は、まだ 感じるけれど、わたしにとって、母は、ほんとうに怖い存在では なくなりました。

    母からの手紙を読み、離婚成立したばかりの何ヶ月かは私も↑に近い気持ちになれていました。
    久しぶりのフルタイムでの仕事も家事もこなし、息子とも友達とも時間を作り、眠る時間を惜しんでステップアップするため勉強をしていました。
    とにかく夫から逃げるのに必死で、何から何まで全部を自分1人でやってやる!という強い決意がその時の私にはありました。
    悔しいことをたくさん言われながらも出来ていた自分。
    今は夢のようですが、本当にあの時の私はいました。
    でもだんだん、いたような気がします・・・という言い方になってきちゃうのですが。
    何に支えられていたのか?いままたどうしてこんな苦しい状態になっているのか?
    一度は「もう大丈夫!」というところまで這い上がっていた筈なので、なぜなのか全然まったくわかりません。
    ココに書き込みを始めて吐き出してすっきり出来る良い面もあるけれど、やはりどうしても抱えている症状の悪化はさけられないのだなと分かりました。
    母より先に死んでしまいそうで怖いです。
    過呼吸になる回数が増え、胸が苦しいです。
    それでも涙を流しながら吸い寄せられるようにパソコンに向かっています。

    もう一度、母との距離を保っていける私になれるでしょうか。
    流れに身をゆだねるとは「素直になること」だと気が付いているのですが素直という言葉に反抗しています。
引用返信 削除キー/
■4308 / inTopicNo.12)  Re[4]: 今、思っていること。
□投稿者/ ミヤ -(2005/11/09(Wed) 00:10:20)
    ショコラさんへ

    > 私は今さらそれを「あなたはACなのよ。だから私もこうなった。」と言うつもりはありません。

    私は逆に母にも母自身を理解させようとしました。
    母は「そんなことアンタに言われなくても知ってる」と言いますが、知識は少なく、決して自分を重ねてみている訳ではないようです。
    母と私の生きてきた年月の分、回復への時間に差があると学んだので、母への無駄な期待はやめました。


    > 「あなたが心配だから。幸せになってほしいから。」という大義名分のもと

    そう。その言葉。何度言われたことか。


    > 結局親に依存してしまっている自分が情けなく、一日を惰性で暮らしていると自己肯定感を持とうと努力しても、どうしても無理です。

    今の状態が依存で、その私の依存に満足している部分を持っている母が憎いです。
    「私がいるから今、生活できるでしょ」と。


    > 「わたしの言うことを聞けば、あなたは 幸せになれる」と言われ続けたせいで、私はちょっとしたことでも自分の決定に自信も確信も持てません。
    > 本当にしょうもない事でも、親に「〜してもいい? どう思う?」と聞かないと不安なのです。親じゃなければ、友達に聞いたり、人と比べて決めたり。
    > 常に「他人ありき」なんです。何一つ自分で決められない。
    > だからいつも自分がなくてからっぽな存在に思えるのです。


    同じです。他人ありきと言うか、やはり母です。
    でもそこを医者やカウンセラーにつつかれるとどうしようもない怒りに落ちるので
    意識して「母」という言葉を出さないようにと言い聞かせるのです。
    実家に行かない、自分からは電話もしないと決めたはいいのですが、では、どこに向ければいいのか?やはり私も自分がいません。
引用返信 削除キー/
■4309 / inTopicNo.13)  Re[2]: 支配から、出はじめて・・・
□投稿者/ ミヤ -(2005/11/09(Wed) 00:33:56)
    スケッチぶっくさん、あなたは素晴らしい。
    あなたのような気持ちになれることを「自立」というのでしょうか?
    いつかカウンセラーが怒りや恐怖を感じるということは自分を大切に思っているからこそだと言っていました。
    私は混乱の最中です。
    私の抱えているものはACだということだけではなく、PTSDもなので本当に長い長い時間をかけていかなくてはならないのでしょうね。
    これからもスケッチぶっくさんの言葉を読んで 私も少しずつ支配から脱していきたいと思いました。
引用返信 削除キー/
■4312 / inTopicNo.14)  Re[4]: 今、思っていること。
□投稿者/ スケッチぶっく -(2005/11/09(Wed) 14:00:51)
    No4305に返信(ショコラさんの記事)

    ショコラさんへ・・・
     
     今でも、時折「母や父に対する、どうしようもない気持ち」を、相談電話で 語ったり、こうして書き込んだ後に、「罪悪感の残骸・・・のような気持ち」が、立ち上ってくることがよくあります。
    それで、なんとなく 居心地が悪くなり、母のところへ行って、「自分の言ったことを 洗いざらい白状して、平謝りに謝りたくなる」・・・衝動に駆られます。
    「不安な気持ちや 罪悪感を持つより、とにかく母に謝って、言うことを 聞いてしまえ!・・・と、行動に移したことが、数え切れないくらいあります。
    でも、一応は、安心できたように思えても、なんだかおかしい?・・・
    自分で、納得して取った行動 のはずなのに、「自分で自分を、いやしめる、貶めている」ように感じはじめて・・・、
    心の中の「しこり」が、どんどん大きくなってゆきました。

     「疑う、脅える、偽る、装う・・」 そんな馴染みの行動を 振り捨てて、
    「わたし」とか 「自分」といわれるモノが、いったいどういうモノか、未だ よく分からない?・・・、
    それに加えて、「信頼される、信じてもらう・・」ことを体験したこともなければ、自分自身で実行したこともない・・・、
    その中で、ぼんやり・・・感じられるようになってきた 「多分、これが わたしの気持ちであろう・・・というモノ」を信じてゆくのは、ただそれだけでも、不安で不安で仕方がありません・・・。(まだ、わたしも、現在進行形・・・です。)


    ただでさえ、「そんな気持ち」を抱えているのに、そのうえ 病気に 引きずり回されて、「自分のやりたくないことばかり、やっている・・・」そのような状況に、家族を、巻き込んで生きてきました。
    でも、今も 抱えている「拒食症」という 病気は、わたしにとって、とても 厄介なものなのですが、「この病気」があったおかげで、『自分の力では、どうしようもない所』から 抜け出させてもらえた・・・と、思います。
     「拒食症」は、わたしに、「このまま行ったら、自分が 崩れてしまう…こと」を、はっきりと 分からせてくれました。
    これが、わたしにとって、一番 役に立ったことでした。
    これからも、多分、教え続けてくれる・・・と思います。
    家族関係を めちゃくちゃにして、わたし自身を 死に追いやる力をもった「この病」が、わたしの一番の助けになるなんて、考えてもみませんでした。
    これは真実で、・・・わたしだけの体験です。
    人に頼らなくても、自分の中に、ちゃんと 答えがあるんじゃないか!・・・と確信させてくれた 出来事です。

    「自分を 信頼する気持ち」を、育ててゆけば、自分で 答えが出せるようになると思うのです。
    ・・・・時間と、労力、忍耐‥が必要でしょうが、・・・そして、これは、とても子育てと 似ていると思います。
    「自分…という人間を 育ててゆく、成熟した大人に 成長してゆく・・・」その過程を、歩んで、大切にするならば、他の人に対しても、そのように 接することが出来るようになれる。
    また 子どもたちに対しても、成長した 大人として、関われるようになれると、今は、「確信のような気持ち」が 持て始めているのです。

引用返信 削除キー/
■4313 / inTopicNo.15)  Re[4]: 今、思っていること。
□投稿者/ スケッチぶっく -(2005/11/09(Wed) 14:11:06)
    No4307に返信(ミヤさんの記事)

    ミヤさん、こんにちは。
     紆余曲折・・・と言いますが、「ほんとうに 色々なことが、生きて来た 年数だけ、積み重なってきたんだなぁ〜。」・・・と思います。
    自分の生きて来た 変遷を、これからも 見つめ直してゆくのですから、「相当の労力 と 時間」が必要だろうなぁ・・・と、覚悟していくつもりです・・・。
    でも、とても しんどくて、つらい作業ですね・・・。


    以前、わたしは、人に助けを求めたり、甘える・・・ことが、一切 出来ませんでした。
    「わたし個人の問題なのに、人さまに 迷惑をかけるなんて・・・。」という風に、何もかも 「自分の(意志の)力」でやろう!・・・としていました。
    そして、この生き方は、まさに 母の生き方、そのものなのです。
    今は、「自己防衛の 一つのやり方」だと、理解するようになったので、ほとんど「母の影響」を 受けることはなくなりました。
    母には、「母の生き方」があって OK!・・・ですし、わたしは、「わたしのやり方で 生きてOK!」・・・ということですね。
    結局、自分のやり方を、他の人に 押し付けて、コントロールしようとするから、問題が 起きる訳です。
    「自分の取ってきた・色々な行動」を 見ていく内に、「行動」 と「自分という・人間」を 分けて見ることを、少しずつ 理解するようになりました。
    それで、ようやく この頃、母の『やり方』が間違っていた・・・と、感情に 押し流されずに、「母という人間」を、どうにか 眺められるようになつつある・・・ところです。
    ・・・いつも、うまくいくとは、限りませんが・・・。


    云十年の 生き方を、修正してゆくためには、「時間」が、とても かかりますね。
    今までは、「自分を コントロールする方」に、力を 使っていましたが、
    今は、「なかなか 言うことを聞いてくれない・自分自身」と付き合うために、力を 使うようになりました。
    なかなか 先が見えないのですが、一生の問題だと思って、「寛容、信頼、忍耐だよ!」・・・と、時折、自分に言いきかせています。

引用返信 削除キー/
■4314 / inTopicNo.16)  Re[3]: 支配から、出はじめて・・・
□投稿者/ スケッチぶっく -(2005/11/09(Wed) 14:12:43)
    2005/11/09(Wed) 14:42:15 編集(投稿者)

    No4306に返信(いつかさんの記事)

     いつかさん、お返事ありがとうございます。
    人から阻害され、まったく孤立して、そして、自分自身ですら、自分の存在を 認められない。・・・という気持ちでいたときが、一番 厳しい状態でした。
    両親のもとにいた 十代の頃にも 感じていましたが、やはり「息子が幼かった頃」に、最も 強く感じていました。
    わたしの置かれていた状況に反して 抱いていた「自分の気持ち」が 理解できなくて、ほんとうに苦しみ抜きました。
    そうした中で行なう「育児、結婚生活・・」は、わたしにとって、とても厳しい・・・ものでした。

    訳の分からないまま、ただ 「自分を責めたり、粗末に扱う」ことでしか、「毎日の 生活」を 送っていけませんでした。
    でも、・・・・仕方がありませんよね・・・・。
     
    「自分を大切に!」と 簡単に 言われますが、『ほんとうに 大切にすること」は、案外 難しいことなのかもしれませんね。

引用返信 削除キー/
■4315 / inTopicNo.17)  Re[3]: 支配から、出はじめて・・・
□投稿者/ スケッチぶっく -(2005/11/09(Wed) 14:20:00)
    No4309に返信(ミヤさんの記事)

    ミヤさん、ありがとうございます。

     これからも、相当 なが〜い時間がかかる・・・と、わたしも思います。
    「たくさんの後遺症を 抱えているので、一刻も早く、楽になりたい!・・・」と、正直言って 焦る気持ちも 湧いてくるのですが、
    自分のペースで、一歩ずつ歩んでゆくことを、大切にしたいと思います。

引用返信 削除キー/



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