1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■4177
/ inTopicNo.1)
親密性
▼
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□投稿者/ SILVER7
[MAIL]
-(2005/10/09(Sun) 22:54:16)
明日から、2泊3日で、外に出てくる。
先月、ちょっと長距離ドライブをした友人と一緒だ。
彼には、用事があり、長距離でもあり(片道350〜400キロメートル)、その他の要素もあって、話し相手&ドライバーという役割でもある。
彼と私の間の関係は、どうやら親密性に叶うようだ。
IFFのホームページの『斎藤学の世界』のところの『メッセージ』だったかな、その最初の『母の承認』だったかな、その文章の一番最後の節が「親密性」についてだが、長〜いこの文章の全体を読むと、人間関係において、一方に「親密性」があり、他方に「嗜癖」、「対人恐怖」があるようだ。
私も、長〜いこと「対人恐怖」と言うか、「対人緊張感」があった。
が、共依存を脱してから、この緊張感も、まるで外皮が抜け落ちるように取れてきて、逆に、今、人々の中へ入っていく練習が行われているように思う。
かつては、この友人とも、強〜い緊張感を、私の方は感じながらの関係だった。 一生懸命話を合わせているようにも感じていたし、自分の思っていることなんか、ほとんど伝えることはなかった。 言わば、私は、彼にとって必要な人間だった(のかな? 斎藤学さんの言われるところによると、少し違ってくるかもしれない)ので、私は言わば、サーヴァーで、召使で、奉仕する人で、斎藤学さんの言われるところに従えば、奴隷だったかもしれない。
しかし、彼は、ずっと、私を尊重してくれていた。 と、他の要素も感じなくはないが、しかし、一貫してそうであったように思えてならない。
とにかく、私の方が、自分を取り戻したところから、2人の関係にも変化が出てきて、それは、私が、窮屈な思いを感じることが無くなっていき、また、自分の思いを、忠実に言うように、次第になっていった。
「自分の思いを、忠実に」と、書いたが、これは、即ち「自分の言いたいことを言う」ことは、私にとっては、天地の開闢(かいびゃく)にも等しいようなと言ってもいいぐらいのことなんだ!
しかし、齢(よわい)ウン十年になっての、その獲得ではあるけれども、しみじみとと言うか、じわじわと言うか、喜びが沁み出してくるような、嬉しいことである。
このように、辿りなおしてみると、現在只今の、この友人との間柄は、「親密性」と言っていいように、思う。
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■4178
/ inTopicNo.2)
Re[1]: 親密性
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□投稿者/ こくーん
-(2005/10/10(Mon) 02:02:10)
2005/10/10(Mon) 02:05:12 編集(投稿者)
2005/10/10(Mon) 02:03:44 編集(投稿者)
SILVER7さん、こんばんは。
ずいぶん、秋らしくなってきましたね。明日(今日ですね)からはご旅行も兼ねていらっしゃるのでしょうか。
この文章を読まれるのは帰られてからかもしれませんが、楽しんでらしてくださいね。お気をつけてv
友人との親密性について、自分のことと照らし合わせながら読ませていただきました。
> かつては、この友人とも、強〜い緊張感を、私の方は感じながらの関係だった。 一生懸命話を合わせているようにも感じていたし、自分の思っていることなんか、ほとんど伝えることはなかった。 言わば、私は、彼にとって必要な人間だった(のかな? 斎藤学さんの言われるところによると、少し違ってくるかもしれない)ので、私は言わば、サーヴァーで、召使で、奉仕する人で、斎藤学さんの言われるところに従えば、奴隷だったかもしれない。
人と関わるとき、相手によって度合いが違うものの、私も『奉仕する人』という立場に立つことが多いと感じます。
それが特定の相手に対しては、大変な苦痛を伴うこともあります。
『奉仕』があまりに過剰になり、完全に、マスターとスレイブの関係に近くなってしまうからです。その中で自分の中で渦巻く、自尊心の葛藤は酷いものです。
しかし、一方でそういった『関係が固定化』した相手の方が、自分が取る態度が明確であると感じるのか、楽だと感じている部分もあるように思います。
…うまく言えないのですが、自分は『奉仕する側である』という立場が固定している方が、対等で状況によって立場が変化するような相手よりも付き合いやすい…。
対等な立場の相手の方を『自分にはもったいない』『自分とはつりあわない』と考えて、あえて遠ざけてしまう傾向が、あるように思います。
ACというものを理解する中で、それが共依存であること、悪い意味で利害が合致してしまう相手の問題なのではなく、自分自身の問題であることに気づいたのは、比較的最近のことです。(ACを知ってから長い間、ACについての私の意識は親子間のことに向けられていたので)
それは私に新たな視点をもたらしました。
まだ、扱いあぐねているところも多いのですが…。
> しかし、彼は、ずっと、私を尊重してくれていた。 と、他の要素も感じなくはないが、しかし、一貫してそうであったように思えてならない。
>
> とにかく、私の方が、自分を取り戻したところから、2人の関係にも変化が出てきて、それは、私が、窮屈な思いを感じることが無くなっていき、また、自分の思いを、忠実に言うように、次第になっていった。
> 「自分の思いを、忠実に」と、書いたが、これは、即ち「自分の言いたいことを言う」ことは、私にとっては、天地の開闢(かいびゃく)にも等しいようなと言ってもいいぐらいのことなんだ!
> しかし、齢(よわい)ウン十年になっての、その獲得ではあるけれども、しみじみとと言うか、じわじわと言うか、喜びが沁み出してくるような、嬉しいことである。
SILVER7さんにとって、自分の言いたいことが言えるということはとても大きな転換だったのですね。それが獲得できたことが大きな喜びだったのですね。
その手ごたえを感じていく過程というのは、きっと素晴らしいこと〜世界の色が変わって見えるような〜なのだと思います。
私は全く言えないということはないのですが、オブラートに包んだり、裏に意味を込めたり、最も言いたいことは言えないでいるように思います。
『相手を不快にしてはいけない』という意識が働くからです。
しかし、そうすることでむしろ、関係を悪くしてしまうこともありますし、
『(はっきり)言わなくても、気づいて』
という自分の思惑に、自分のエネルギーを消耗してしまうこともしばしばです。
相手をコントロールしようとしているからでしょうね。
これから自分がどのような関係を他人と築いていくのか、まだまだわかりませんが、自分の中の課題が見えたことは、途上にある私にとってとても大きなことだと感じています。
一朝一夕に進むことではないと覚悟はしていますが、少し手ごたえを感じ始めているようにも最近思うのです。
勇気づけられる書き込みでした。ありがとうございました。
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■4179
/ inTopicNo.3)
Re[1]: 親密性
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□投稿者/ いつか
-(2005/10/10(Mon) 12:54:57)
SILVER7さん、とてもいいお話を聞かせてもらいました。
こくーんさんも言われていましたが、私も勇気貰いました。
私は、透明人間のようです。
これからなんです。
何も無い、自分に、愕然としていますから。
私の中の子供は、なんとまだ生まれたばかり、乳児なんです。
読ませて頂いて、胸が張り裂けそうになりました。
私などに解るはずの無い、長い道を感じました。
しかしそれは、あたたかいものに続く。
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■4197
/ inTopicNo.4)
Re[1]: 親密性
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□投稿者/ SILVER7
[MAIL]
-(2005/10/17(Mon) 23:46:18)
■
No4177
に返信(SILVER7さんの記事)
遅いレスです。
ちょうど、出かけてから1週間が経ちました。
今回の旅行は、私には負担だった。 肉体的にも、精神的にも。
肉体的には、帰ってから、丸2日はほとんどなにもできず、今日ぐらいから、やっと、1日中、ほぼ動けるようになった。(1日中、ほぼ動けるってことが、もう、革新的だけど!)
なにしろ、ずっとずっと半ひきこもり状態で、ちょろっと買い物に行ったり、何日か置きぐらいにちょこっと庭仕事していたような状態から、朝早く(6時半過ぎ起床)から夜は11時過ぎくらいまで、それも足が痛くなる(普段ほとんど歩かないから)まで、昼間は相当歩いたり、いっぱいいろいろなところを見たり、そして相棒とほとんどずっと話しをしながらだから、最終日3日目は、もう、朝起きたときから、疲れがとれていないことを感じていた!
こちらのほうの言葉で言えば、「ああ、えらかった………」というのが、偽らざるところでした。
精神的にも、負担でした。
彼は、ウン十年、社会的に仕事もしてきて、家庭も持ち、子どもも育ててきた人間です。
私は、いつかさん、私は、精神年齢的には幼子ぐらいかな、すこうし、外へ眼が向き始めたところです。 いくら、彼が私を尊重していても、キャリアが違います。
彼は実は体の病気持ちで、薬を飲みながらの旅なんですが、彼の方が、ケロッとしている。
話もね、彼は今までの人生で体得してきたところから話す。 私は、一所懸命外界に合わせてきた幾十年は言わば、私の人生ではない、作り物の、まるでいろんな彩りのあるデコレーションケーキみたいなものだ!
私も、いつかさん、生まれたての赤ん坊のような自分を見出したときからの再出発でした! 最初の2年間は、それまでの強迫観念で動かしていたことを、ほんとうに詫びるような気持で、ただただ無理強いしないように努めました。 だから、実人間の動きはあまりなく、正直な気持に任せていましたので、横になっていることが多かったのです………。
それが、今年の初めから、意識的に、外向きの気持を持つようにしてきたばかりですから、まだまだ幼子並みです………。 超ベテランと幼子じゃ、ハンディありすぎですよね。
と、帰ってから、なんとなくおもしろくなかった気持の整理が、ゆうべ、やっとできたのでした!
こくーんさん、ちょっと大胆な意見かもしれないけど………、自分を取り戻したら、自分の目で見るようになりますね。 自分の気持次第は言い過ぎかもしれないけど、私の経験したところでは、ほんと、「自分の気持」を、ほんと、初めて見出しました! とても、新鮮でした!
今度の旅行でもね、「なにか、おもしろくないな〜」と、偽らざるところが見えるんですね。
「おもしろくないなんてことは、あってはならない」なんて、答えが先にあって、そこから、なんとか自分の気持を、どこかに当てはめるなんていう、面倒なことをしなくてもよくなっているんです!
それもこれも、生まれ落ちたばかりの赤ん坊のような自分を見出したとき(ああ、自分は、共依存をやっていたんだ、それが、人間がやることだと思って!と、自覚したとき)から、始まっているのです。
いつかさん、何も知らない「自分」だと思いますが、しかし、これから覚えていくことは、まぎれもなく「自分自身」のものなのではないでしょうか?
きっと、一つ一つ、手ごたえがあると、思いますよ。
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