1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■3800
/ inTopicNo.61)
Re[5]: 親が変わる?
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□投稿者/ SILVER7
[MAIL]
-(2005/07/15(Fri) 21:40:28)
2005/07/15(Fri) 21:43:25 編集(投稿者)
■
No3754
に返信(冬子さんの記事)
こんばんは。 やっと、書くことができます。
なんだか、いっぱい、いっぱい、他にも書き込みがありますが、読んでいたら、ここに書くのが遅くなりますので、まず、ここに書くことからはじめます。
もしかしたら、全体の流れからずれた話になるかもしれませんが、あしからず、ご容赦ください。
「親が変わったら、ACは、ころっと治る」、どのような意識でこの言葉を捉えているか、特に、今回の一連の書き込みの中で使った意図は?との問いかけですが………。
まず、お尋ねしたいのは、冬子さんは、この言葉を聞かれたこと、あるいは読まれたりしたことは無いのでしょうか?
そして、私の引用ではじめて知ったという場合であったとしても、冬子さんご自身は、どう思われたのでしょう?
と、言うのも、どうお答えしたらいいか、どこに疑問を持っておられるのだろう、あるいは、何を聞きたいと思っておられるのか、どうも焦点が定まらないのです。
特に、前半の問いは、その感が深いのですが、後半の問いについては、より焦点が絞られているように思いますので、こちらの方だけ、お答えします。
今回の私の書き込み(
No.3737
)の中での引用は、「じじさん、子どもが、真に救われるのは、どういうときでしょう?」という私の問いかけのあとに、引用しています。
被虐待児を、虐待者から引き離すこと、距離を取ることは、緊急避難的に重要なことです。 そのために、この場合、母親に、すぐに警察に行けと言うことは、わからないことではありません。 ただし、その場合、条件があります。 母親が覚悟していることです。 そうであれば、母親は、どのような措置であっても、甘受できるでしょう。
そして、示唆的なことですが、上記のような場合、母親には、明快な変化が起こった結果だと言えないでしょうか?
つまり、虐待する親から、虐待を止める決心をした親へと、変わっているのではないでしょうか?
いずれにしろ、「親が変わる」ことは、決定的なんですね。
ここには、忘れてはならないことですが、子どもを持っている親御さんもたくさんおられて、虐待の経験のある人もいっぱいおられるようです。 そして、そのみなさんたちが、なんとかしたい、虐待をやめたい、そして、自分も救われたいと、みんな、必死なんですね。 即ち、みんな、「変わりたい」との思いを、強烈に持っておられるんですね。
一連の書き込みの最初のスレッドを書いた人も、そういう人の一人ではなかったでしょうか?
もう一つの思いもありました。
たとえ、警察に行ったとしても、それで終りではない、要するに、親と子が今後どう向き合うかにかかっている、それは続くのだ、そのときこそが勝負だと。
と、いうことは、つまり、親がどうするか、このスレッドを書いた人がどう生きていくか、どう、子どもに向き合うかにかかっているではないかと、いうことです。
そのとき、「親が変われば、ACは(子どもは)、ころっと治る」と、斎藤学さんが言われた言葉が生命力を持って思い出されたのです。
現に、ここでも、思いを入れ替えて子どもさんに向き合っているお母さんが、幾人かおられるようです。(私が知っているだけの範囲ですが………)
話を、元に戻しますが、だからこそ、このスレッドを書いた人の場合でも、その人自身が救われることがなければ、子どもさんも、ほんとうには救われないのだと、私は思ったのです。
そういう気持を込めて書きました。
残念ながら、じじさんには通じなかったようですが………………。
ちなみに、私は、斎藤学さんの講演だったか講座だったかで、実際に「親が変わった」例を聞いたことがあります。 というよりも、上に書きましたが、ここにおられるんですよね。
私の親も、望むべくもありませんが、「親が変わる」には、親自身の自覚がないとね。
引用返信
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■3801
/ inTopicNo.62)
Re[6]: 親が変わる?
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□投稿者/ 冬子
-(2005/07/16(Sat) 01:11:15)
こんばんは、お返事いただきまして、ありがとうございます。(ペコリ)
私は、斉藤学さんの書かれたものを、集中的に読んだことはないです。
ただ、時々ちょっとした文章(SILVER7さんがネットで紹介してくださったものとか、私が読む小説のあとがきなどで書かれたもの)を読んだことがあるくらいです。
ですので、特にこの言葉自体に引っかかっているということではありませんでした。
お話いただいたので、SILVER7さんのここ言葉に対する思いは理解いたしました。
>なんとかしたい、虐待をやめたい、そして、自分も救われたいと、みんな、必死。
>即ち、みんな、「変わりたい」との思いを、強烈に持っておられる。
多分そうなのだろうと、いえ、きっとそうなのだろうと思います。
その気持に異論はありません。
スレッドを立てられたお母様も、そういったお気持でいる方ではないだろうかとのご意見にも、異論はありません。
事実はわからない。だから、否定もできないと考えています。
では私は、SILVER7さんの書き込みの何に引っかかったのでしょうね?と考えてみました。(これが、SILVER7さんの私への質問ですよね?)
真に子どもが救われるには・・というようりは、親自身に変わっていただかない限り、子どもの地獄はどこまでも続くものだと、私は感じています。
子どもが救われること、それは全ては親次第という現実に、悲しくやりきれない思いをしながら、それでも、ぜひそうなってもらうしかないと思っています。
>被虐待児を、虐待者から引き離すこと、距離を取ることは、緊急避難的に重要なことです。 そのために、この場合、母親に、すぐに警察に行けと言うことは、わからないことではありません。 ただし、その場合、条件があります。 母親が覚悟していることです。 そうであれば、母親は、どのような措置であっても、甘受できるでしょう。
ただ、事が緊急の場合には(それがどの程度場合か?ということは難しいことですが)、お母様側の覚悟に関係なく、重要なことだと私などは思ってしまいます。
それこそ、お母様側が覚悟をできようができまいが、事が緊急であるような場合なら、その事態・その措置は嫌でも受け入れていただくてはならないことだと、私などは考えてしまうのです。
>上記のような場合、母親には、明快な変化が起こった結果だと言えないでしょうか?つまり、虐待する親から、虐待を止める決心をした親へと、変わっているのではないでしょうか?
もちろん、このような現象が起こることを、それこそ心から望みたいと考えていますし、また望んでもいます。
ですが、このようなことは、かなり理想的な現象のように感じています。
つまり、どなたかの言葉一つで、いきなり覚悟ができてしまったりするような場合なら、そもそもそのお母様お一人で既に問題解決はできてしまうこと。
だから、そもそも問題など起こらない状態だろうとも思えてしまう次第です。
多分ですが、今回の私の心の引っかかりというのは、子どもにとっては生死にかかわる問題が、全ては親次第という理不尽な現実に、私の心が悲鳴を上げたということだと思います。
子どもの安全は、結局親の手の中だから、どんなに時間がかかろうとも、「親を癒すまではお預け」と言い放たれたように感じた悲鳴だと思いました。
理不尽な現実は現実として受け入れていかなくてはならないと、いつも自分に言い聞かせてきました。
それでも、骨折させられ、それを訴えることもできない子どもいると、リアルに認識させられた事態に、動揺せずにはいられませんでした。
どなたも、ご自身の体験の中で、それぞれのある「確信」と呼べるようなものを持っているのだと思います。
そのご自身の「確信」というものを信じて・それに従って、いろいろなことをおっしゃったり書かれたりするのだろうと思います。
だから、SILVER7 さんが、奇跡的な事例をご存知なら、それを否定する気持はありません。
ただ、私には、そんなことがなかった。
だから、それを信じるには(信じられるとして)、かなりな時間も意志の力も必要だということなのかもしれません。
引用返信
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■3802
/ inTopicNo.63)
Re[11]: 横レスです・すみません
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□投稿者/ 花梨
-(2005/07/16(Sat) 02:02:12)
虐待の連鎖を断つには・・・
どうしたのか、わからないんですよね。
ただ、私は断ったのです。
色んな知識を得て、助けを求めて。
子供を産む前にACの自覚はありましたし
子供は産まない方がいいと思っていましたし(医者からもいわれたし)
でも子供を産み、育て
今は変則育児だけれど、子供はすくすく成長し
私は、子供を愛しています。
親にされたくなかったことはしない、そう堅く決めました。
子供の心に添って生きよう、そう決めました。
よくないことは、改めようと。
私は自信を持って子育てしています、と言いたくなったので
ごめんなさい。横レスしました。
人が変わるのは、自分の意志の力だと思います。
引用返信
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■3803
/ inTopicNo.64)
じじさんへ。。
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□投稿者/ ハニャ〜ン
-(2005/07/16(Sat) 06:52:02)
2005/07/16(Sat) 06:52:38 編集(投稿者)
じじさん、おはようございます。
一応、別スレッドの内容は拝見いたしました。ただ、これといって反論するでもなく、共感するでもなく、
別の新たなスレッドを立てる必要は無いと感じています。
今の状態は、ここのスレッドで自分から じじさんに疑問を投げかけた状態です。それに対しての
回答をお待ちしております。
ちなみに、別のスレッドで発言した じじさんの書き込みはには触れません。じじさんの発言のみに
しておきます。(他の方が書き込む可能性もありますが・・)
それと、じじさんが不快に思われた感情は じじさんだけのものなので、自分にはどうすることも
できません。自分の発言によって”攻撃された””ルール違反”だと強く思われているのであれば、
是非、管理人様にメールにてお問い合わせください。
管理人様から出入り禁止という旨のメールを頂きましたら、進んでその申し出を受ける
つもりでいます。
ちなみに管理人様にはメールアドレスを報告していると思いますが、もし分からないと
いうことであれば、こちらから管理人様にメールアドレスを報告いたします。
では。。
引用返信
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■3806
/ inTopicNo.65)
Re[17]: すみません、横から失礼します・・・
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□投稿者/ みにゃん
-(2005/07/16(Sat) 15:14:59)
> 私も同じでした。
>
> 私にとっては、ずっと虐待する人が謎でした。
> 謎解きを長い事していたように思います。
> そして時間をかけて、虐待する人の事がわからないということがわかりました。
私は他人を変えたいからわかろうとするのかもしれないです。
> 自分のことさえわからないのに、他人のことなんてわかるわけないんです。
> 彼らは虐待することに嗜癖していると思います。
> だったら、放っといて底つきを経験してもらった方がいい。
>
> 共依存になりがちな私は、自分が楽に生きられるように、
> 自分の世話をしてればいいやと、思うようになりました。
> だから今回のことは、自分の世話の一貫です。
> いい子ちゃんでいることを要求されるのはもうまっぴらだからです。
>
> 私は、他人の評価を気にしなくなり、自分のことにかまけるようになりました。
> 前よりも、ずっと楽です。
>
自分の世話をしようとして自分にを見ようとすると、傷だらけで心が痛みます。
人のことを考えて気をそらしたくなります。
人の評価を気にすることも、人にかまけていることですよね。
引用返信
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■3810
/ inTopicNo.66)
Re[2]: NO TITLE
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□投稿者/ はなぽん
-(2005/07/16(Sat) 21:55:58)
どこに書いていいのかわからないので、自分のにレスします。
どうにもこうにも、書かずにいられない気持ちになってしまいました。
皆さんの一連の書き込みを読んで思ったことは・・・
ACは、(私ももちろん含めて)それぞれの過去をもって、それぞれに苦しんで生きている。
それは、とってもつらいことだし、ここで吐き出しながら、苦しみながら、回復していけたらすばらしい。
でも、自分が過去に、どんな苦しみを負っていようとも、越えてはならない一線があるということを、はっきりと、言葉で認識しました。
いままでは、漠然と、無意識の中で、いけないことだと知っていましたが、言葉ではっきりと、意識できたと言う意味です。
私は、スレ主さんに同情しました。
でも、スレ主さんの娘さんが、もしも書き込んだとしても、同情すると思います。
なぜって、どちらも苦しいから。私は、子供を産んで以来、子供の立場も、親の立場も、両方に感応するようになったから。
でも、現状、弱い立場にいるのは娘さんのほうです。
そして、守られてほしいのは娘さん。
でも、スレ主さんも救われて欲しい。
子供の私は、自分の親に対して、まだ、「親には親の事情があったんだ」という風には受け入れることができずにいます。怒りもあるし、さげすむ気持ちもあり、パワーゲームから完全に折りきっていないと感じます。
母親の私は、「こういう風に、連鎖していくのか・・・」と、今まさに感じているところです。そして、連鎖の気配を感じるたびに、心が揺れます。連鎖を完璧にとめようとすると、ストレスが数倍になります。連鎖を完璧にとめるなんて、無理かもしれない。でも、できるだけ薄めたい。そういう風に思いながら、綱渡りをしています。
もし、自分が、重大な虐待をしてしまったら・・・
自分がACであることを言い訳にしてはいけないんだ、とはっきり認識しました。
引用返信
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■3812
/ inTopicNo.67)
Re[3]: NO TITLE
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□投稿者/ SILVER7
[MAIL]
-(2005/07/16(Sat) 22:55:31)
■
No3810
に返信(はなぽんさんの記事)
はなぽんさん、そうですね、自分で引き受けなければいけませんね。
私も、今までも、いろんな恥ずかしいことや、人の心を傷つけることや、フェアでないことや、自分の任務を放り出したことなど、数々の負の経験を持っています。
それらも、皆、私のしたことです。
これからも、とんでもないこともするかもしれません。
それらも、皆、自分の行為として、引き受けなければなりませんね。
そうですね、ACのせいにすることはできませんね。
ACだからこそ起こったということであっても、それを、ひとのせいにし、ACのせいにすることは、問題が違ってくると、思います。
私も、負の行為全てには、責任をとりきれないところがあります。 もう、黙って見過ごしてもらうしかないこともたくさんあります。
しかし、それであっても、行為は「私がしたことです」と、認めなければなりません。 それが、私たちが、最低限守らなければならない責任のとり方ではないでしょうか?
引用返信
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■3813
/ inTopicNo.68)
Re[7]: 親が変わる?
▲
▼
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□投稿者/ SILVER7
[MAIL]
-(2005/07/16(Sat) 22:58:40)
2005/07/17(Sun) 00:20:21 編集(投稿者)
■
No3801
に返信(冬子さんの記事)
私も、第一義的に被虐待者を保護することには、異存がありませんし、しなければならないことです。
しかし、最初のスレは、ご本人のSOSだったと思います。
私も、最初に読んだとき、子どもさんの身を思い、胸が痛みましたが、子どもさんには、直接には手が届かないのでした。
ならば、一方で虐待をしているご本人ですが、しかし、ここでは、この人に応えていくしかないと思って、当初は、どう対応したらいいかわからなかったので、すぐには対処しませんでした。
しかし、早い内に(私の言葉ですが)行為を断罪する言葉が出てきましたので、私は、もう、その時点で手遅れになってしまったと、思いました。
自身も、自分がとんでもないことをしていると思っている人、そして、そんな自分をなんとかしたいと思って訴えてきた人に、裁判官のように判決をくだし、すぐさま対処をという処置だけを求めたら、話は、その時点で終りだと思います。
折角本人が必死に訴えてきたのだから、本人と同じように真剣に受け止めて、真剣に考えていったら、本人が変わっていく端緒がつかまれたかもしれなかったと、私自身は、悔やまれています。
私は、実は、精神科の看護助手として、3年弱働いた経験を持っています。
精神科での救急外来は、たいへん重要な仕事だと思います。 クライエントは非常に緊張し、しばしば暴力的です。 その、最初のときの受け留め方で、以後の療養が違ってくるように、思われます。
私は、自分の経験だけが頼りで働き始めたのですが、まだ働き始めてそんなに間がないころ、宿直当番のとき、夜、救急外来を経験しました。
クライエントさんは、幸い暴力的ではありませんでしたが、極度の緊張状態で、なかなか入院の承諾が取れませんでした。
私は助手ですから、ドクターとナースの補助的役割ですが、クライエントに対する態度には違いがありません。
くるくるくるくると頭の中を回転させながら、選択したのは、クライエントの表現を全部受け入れようというものでした。 ドクターもナースも、同じような対応で、幸い時間がかかりましたが、自分の足で歩いてもらって病棟へ入ってもらうことができました。
もし、あの時、こちら側が強圧的に対応したら、入院は拒否されたろうし、もしかしたら暴れられて、たいへんなことになったかもしれません。
今回の場合も、スレを立てたご本人が救われる機会は、ずいぶん狭くなっただろうなあと危惧しつつ、子どもさんに類が及ぶことの無いよう、祈るばかりです。
引用返信
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■3816
/ inTopicNo.69)
Re[8]: お返事
▲
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□投稿者/ 冬子
-(2005/07/17(Sun) 00:55:19)
>最初のスレは、ご本人のSOSだったと思います。
>もう、その時点で手遅れになってしまったと、思いました。
>自身も、自分がとんでもないことをしていると思っている人、そして、そんな自分をなんとかしたいと思って訴えてきた人に、裁判官のように判決をくだし、すぐさま対処をという処置だけを求めたら、話は、その時点で終りだと思います。
>折角本人が必死に訴えてきたのだから、本人と同じように真剣に受け止めて、真剣に考えていったら、本人が変わっていく端緒がつかまれたかもしれなかったと、私自身は、悔やまれています。
ということが、SILVER7さんのこのスレッドにおけるスタンスであるということは理解いたしました。
ただ、はっきりと言葉にしないと伝わらないことでもあるので、今回は、きちんと言葉にしようと思います。
そのスタンスで、これ以上の言葉かけをされるのは、私には痛いです。
ですから、もうお話は止めたいと思います。(この手の内容に関してのみということですが)
私は、今回、それぞれのスタンスの違いということが理解できたことで、満足したいと考えております。
追伸:ほぼ同じスタンスであると思われるハニャ〜ンさんに宛ててレスした内容ですが。
このスレ主さんは、メールアドレスを載せていらっしゃいます。
ですので、SILVER7さんが悔やまれるお気持があるのであれば、メールでなんとか呼びかけることも可能ではないか?とも考えたりは致します。
もちろん、これは私の余計な口ということではありますが。
失礼いたしました。
引用返信
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■3817
/ inTopicNo.70)
Re[18]: すみません、横から失礼します・・・
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□投稿者/ みにゃん
-(2005/07/17(Sun) 01:44:52)
2005/07/17(Sun) 01:46:20 編集(投稿者)
もし私が主婦のかた、近所の方、友達の方と指定されて、同情を強要されたら、それにこたえてしまいます。何か嫌な気がしても、同情してあげます。私の親は、親の思い通りの意思や感情を私が見せないと、殺しそうないきおいだから・・・きっと殺すと思います。
この人も自分の思い通りの反応をしなかった人に、ひどいことを言っています。ネットだからいいけど、顔を合わせてされると、私は怖くて強要に逆らえません。強要して従わない人にひどいことを言うのは暴力です。自分のこどもを思い通りにならないから虐待するように、思い通りにならない大人にも暴力をするのだと思います。暴力を受けるのが怖くて、逃げられるときはいいけど、逃げられない時は困ってしまいます。強要に従うしかありません。
だから私は人が怖いのだと思います。強要されていい人のふりをして従うのは嫌だけど、従わないとひどいことを言われるのは怖いです。
強要されるのは嫌ですといいにくいです。人を虐待する強要する人は私みたいな怖がっているACをねらいやすいと思います。
強要されて従って同情するよりも、強要されるのは嫌ですと言えて、言葉で暴力をふるわれるほうがいいのかも。でも怖いです。殺されそうです。
殺される恐怖があるけど、「強要に従いません。強要されたくないです。」と言えるように練習したいです。
そのあとひどい言葉の暴力をぶつけられたら、逃げるしかないのでしょうか。強要されて従うのも嫌、強要された反応と違う反応をして暴力を受けるのも嫌、最初に強要されるのは嫌ですと言うのも、強要されたのと違う反応だから暴力を受けます。
やっぱり今は虐待している人とは一緒にいられません。強要と違う反応をして暴力がかえってきても、もう少し大丈夫にならないと、怖くて強要に従わないことなんてできません。
強要に従って、いい人をすることを、よいことと思えなくなったことが、よかったです。強要されたとき強要と感じて嫌に思うアンテナがないと、人の意思や感情を、自分の思い通りの反応に強要しても、いい人をさせようとしても、それが悪いことだとわからなくなりそうです。
引用返信
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■3819
/ inTopicNo.71)
Re[18]: すみません、横から失礼します・・・
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□投稿者/ case
-(2005/07/17(Sun) 08:19:42)
2005/07/17(Sun) 10:43:20 編集(投稿者)
> 私は他人を変えたいからわかろうとするのかもしれないです。
そういう事も、あるのかもしれないですね。
けど私の場合、始め(といっても記憶にないのですが・・)は、
自分の家庭の中が荒れた(?)状態が多く、状況や相手(親)の気持ちを察して行動しないと酷い目にあったりするので、自分の気持ちをそっちのけにして、相手の気持ちをカバーする(=コントロールする)ことを学習したのだと思います。
>
> 自分の世話をしようとして自分にを見ようとすると、傷だらけで心が痛みます。
> 人のことを考えて気をそらしたくなります。
これも私の場合ですが、
私は、周りの批判と一緒になって、自分を批判していたと思います。
「あなたは このままで充分」と評価してくれる他人は、非常に少ないです。
私が完璧に近くできたとしても、不足を言われるのが常でした。
そんな状況で、自分さえ自分を批判してしまい、自分を守ってくれる人なんていないのですから、自分が傷だらけであることは当然です。
そして、そんな傷だらけの自分を救えるのは他人ではなくて、自分だけなのです。
(自分を救う過程で、自分から信頼できる人に助けを求めることは有効です。
私も何人かの人に助けられました。
でも、最終的に自分を救うのは自分だと感じています。)
> 人の評価を気にすることも、人にかまけていることですよね。
人の自分への評価を「自分のものとして受け入れるか否か」は、自分が決めていい。
自分にあてはまらなかったら(←他にも理由は沢山あると思いますが)、「あなたは、そう思うんですね。」と必要ならば言って、自分の境界の外に置きっぱなしにしておく、自分の中には決して入れない。
あと、評価という名の批判をする人の側からは離れることです。
私はそうしています。
引用返信
削除キー/
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■3820
/ inTopicNo.72)
Re[19]: すみません、横から失礼します・・・
▲
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□投稿者/ case
-(2005/07/17(Sun) 08:42:33)
2005/07/17(Sun) 08:47:14 編集(投稿者)
> だから私は人が怖いのだと思います。強要されていい人のふりをして従うのは嫌だけど、従わないとひどいことを言われるのは怖いです。
私も同じです、
> 強要されるのは嫌ですといいにくいです。人を虐待する強要する人は私みたいな怖がっているACをねらいやすいと思います。
>
> 強要されて従って同情するよりも、強要されるのは嫌ですと言えて、言葉で暴力をふるわれるほうがいいのかも。でも怖いです。殺されそうです。
暴力をふるわれるかもしれない時に「嫌です。」と言わなくていいです。
3819に書いたけど、「あなたはそう思うのですね。」といって、暴力をふるう人から離れて近寄らないことです。
> 強要に従って、いい人をすることを、よいことと思えなくなったことが、よかったです。
それは良かった!です。
>強要されたとき強要と感じて嫌に思うアンテナがないと、人の意思や感情を、自分の思い通りの反応に強要しても、いい人をさせようとしても、それが悪いことだとわからなくなりそうです。
>
アンテナは各自そなわっています。
それは”感情”です。
何かを言われて傷ついた時、ムカッとした時、不安な時が注意警報です。
そういう時は、相手のことは適当に流して、自分の心を覗いてください。
あなたにとって大切なことをまだ見逃していることを教えてくれます。
従うべきは、そちらの注意警報の方です。
他人の批判や要求ではありません。
引用返信
削除キー/
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■3832
/ inTopicNo.73)
Re[4]: NO TITLE
▲
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■
□投稿者/ はなぽん
-(2005/07/17(Sun) 20:53:04)
責任・・・と言う言葉は、私には強制力の強いタブーな言葉なのですが・・・
おっしゃることはよくわかります。
ただ、ACのせい、親のせい、と思うことで、回復できた面があることで、過去のことを背負うところまでは、まだ、回復していないです、。なぜなら、自分の過去を、誰のせいでもなく、自分のやったことだと「責任」を取れるのであれば、親に対して怒りを感じることがなくなるのではないかと思ったのです。
今の私は、過去にやってしまったこと(犯罪に相当することはないのですが)については、やっと、あきらめようと、思えるようになったところです。そして、現在以降のことに対して、何事も、自分の頭で考えて、人のせいにせずにやってみようと思えたところです。
過去については、努力目標なのでしょうが、それを達成するには、まだまだ、親との対決を繰り返す必要があるのでしょうね。。。
でも、それを、あくまでも自分の意思で、やっていこうと思っています。
引用返信
削除キー/
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■3833
/ inTopicNo.74)
読みやすいように、別のとこにあげておきます。
▲
▼
■
□投稿者/ じじ
-(2005/07/17(Sun) 23:10:54)
。。。
引用返信
削除キー/
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削除
■3838
/ inTopicNo.75)
Re[20]: すみません、横から失礼します・・・
▲
▼
■
□投稿者/ みにゃん
-(2005/07/18(Mon) 07:19:10)
2005/07/18(Mon) 07:27:18 編集(投稿者)
2005/07/18(Mon) 07:22:43 編集(投稿者)
>状況や相手(親)の気持ちを察して行動しないと酷い目にあったりするので、自分の気持ちをそっちのけにして、相手の気持ちをカバーする(=コントロールする)ことを学習したのだと思います。
そうでした。思い出しました。本当にそのとおりです。
>人の自分への評価を「自分のものとして受け入れるか否か」は、自分が決めていい。
こどものときから長い間、自分が決められるものは何もありませんでした。感情も意思も決められてきました。「評価という名の批判」をされてきました。自分が決めていいという言葉はまだ慣れないけど、気持ちのいい響きです。
>暴力をふるわれるかもしれない時に「嫌です。」と言わなくていいです。
なるほどです。言われてみればわざわざ言うことはないと気づきました。ありがとうございます。
>アンテナは各自そなわっています。
>それは”感情”です。
>何かを言われて傷ついた時、ムカッとした時、不安な時が注意警報です。
>そういう時は、相手のことは適当に流して、自分の心を覗いてください。
>あなたにとって大切なことをまだ見逃していることを教えてくれます。
>従うべきは、そちらの注意警報の方です。
>他人の批判や要求ではありません。
大事なことを教えてくれてありがとうございます。
人に強要されていなくても、従おう従おうと自分からしてしまいます。根が深いみたいです。でも、変えていこうと思います。
相手は関係ないんですよね。相手のことは流して、自分の心をのぞく。
>自分さえ自分を批判してしまい、自分を守ってくれる人なんていないのですから、自分が傷だらけだらけであることは当然です。
傷だらけは嫌なので、いい人になることを変えようと思って、少しは実行しようとしているから、根は深いけど、自分を批判しないようにしたいです。
ありがとうございます。
引用返信
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