1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■3678 / inTopicNo.1)  人の死を目の当たりにして
  
□投稿者/ はなぽん -(2005/07/07(Thu) 23:31:46)
    義父が亡くなりました。病死でした。
    駆けつけたときは、意識が朦朧としていましたが、まだ自力で動けていました。
    翌日、また翌日と、少しづつ、前の日にはできていたことができなくなっていきました。
    最後の日、義父は、朦朧としているはずなのに、周りの人の声に反応し、孫である息子を胸の上に座らせると、少し笑いました。
    最後は静かだったそうです。
    早朝、なくなったとの知らせに息子を抱いて駆けつけると、昨日までと同じ姿で、でも、呼吸していなくて、もう二度と元に戻らないんだということを本当に実感しました。ちょっとうるうるしたけれど、私は、得意の「感情をするっとかわす」技を使ってしまいました。
    実家に戻ると、もうお葬式の準備が始まって、私は息子を抱いて何もできず、「悪い嫁でいいや」とあきらめて、本当に何もしませんでした。
    私が子供の頃、祖父の葬儀で母に放って置かれた経験があって、息子にそんな思いはさせたくなかったという気持ちもありました。
    お通夜、火葬、葬儀と全部を目の当たりにしました。
    特に、火葬。
    生前の姿そのものの義父が、約一時間後、横たわった姿のまま、骨になって釜から出ていました。私は、その有様にものすごくショックをうけました。
    でも、やっぱり「感情をするっとかわし」てしまい、そのショックをいまだに抱えています。
    人は死んで骨になるということは知っていたのですが、ついこの間まで生きていた人が今焼かれて骨になっているという、目の前の現実が受け入れられませんでした。
    その場で感情をきちんと感じることができませんでした。
    だから、いまだに引きずっているのです。

    昔、「死にたい」と思っていた頃、思いの割には、「死」は遠くにあったのだということを思い知らされました。
    心が病んでいても、体が健康であった私にとって、「死」はどうしても観念的でした。
    死にゆく義父の姿を見て、健康な私は、「死」と「生」との間の、厚い壁を感じました。

    ついこの間息子の誕生を目の当たりにし、義父の死をも目の当たりにし、そのどちらのときも「感情をするっとかわし」てしまい、喜びも悲しみも「そのときその場で」感じることができませんでした。
    だからこんなに心がざわざわするのでしょうか。
    引きずってしまったものは結構重いです。



引用返信 削除キー/
■3679 / inTopicNo.2)  Re[1]: 人の死を目の当たりにして
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2005/07/08(Fri) 00:03:38)
    No3678に返信(はなぽんさんの記事)
     はなぽんさん、久しぶりです。

     するっと、かわしてしまうのですか?
     激しく、感情を表現することを、よけるっていうことですか?


     それ、いつごろからですか? 小さいときからなのかな〜? もし、そうだったら、いつ頃には、自覚していたんですか?


     なんだか、たいへんな技を、身につけておられるんですね。


     私は、思っただけで、息が詰まるような感じがあります………………。



     それにしても、亡くなられる前に、はなぽんさんの子どもさんを胸の上に乗せられた様子、ほんとうに、印象的ですね。
     はなぽんさんも、きっとたいせつにしてもらったんでしょうね。

     私も、火葬については、同感です。 同じような経験があります。 土葬の方が、うんと、当事者には優しいですね。


     はなぽんさん、どうぞ、もっともっと、「得意技」について書いてみてください。
     なんだか、いろんなことをかわして「生きて」来られたようですね。
     「生きる」ためだったとは言え、ちょっと、しんどいですね。

     北海道弁(?)では、こういうときの気持、なんと言うんですか?
引用返信 削除キー/
■3680 / inTopicNo.3)  Re[1]: 人の死を目の当たりにして
□投稿者/ キーコ改めスケッチぶっく -(2005/07/08(Fri) 05:23:20)
    2005/07/08(Fri) 05:48:56 編集(投稿者)

    No3678に返信(はなぽんさんの記事)

    はなぽんさん、こんにちは。
    お義父さん、亡くなられたのですね・・・・。
    ご家族に見守られて、お孫さんに笑みを向けられて・・・、そして静かな 最後をむかえられたのですね・・・。
     
    近頃、ようやく「生を 全面的に肯定する考え」を、しっかりと 持つことが出来るようになりました。
    わたしも、今までに、何人かの肉親 や 知人の死に出会いましたが、やはり『死というもの』が 間近で感じられたのは、父の死です。
    かなり厳しい状況で、わたしは、「父の死」を むかえなければならなかったので、未だに、心の整理がついていません。
    まだ、「しっかり当時の気持ち」を抱えて、引きずっているようです。・・・もう、24年くらい経つのですが・・・。
     
    昨日まで、生きていた人、元気だった人が、息をしていない。
    次第に、体が冷たくなってゆく・・・、そんな様子を、じっと見守ってゆく・・・。
    そして、『もう二度と、あの元気だった姿を 見ることは出来ない、会えないのだ!』という現実に、直面するのは、とてもつらいことですけれど、ほんとうに大切なことなんだと、少しずつ、少しずつ理解するようになりました。
    『時間』が、とても必要なんだなぁ〜・・・、とつくづく感じています。

    わたしは、まだ心穏やかに、「亡くなる前の 父のありさま」、そして「亡くなる前後のこと」を、思い出すことが出来ないので、はっきりとは 言えないのですが・・・。
    それでも、感情を回避したり、おさえ込んだりしながら、少しずつ、家族や周囲の人たちと「自分の気持ち」を分かち合ってゆくのが、とても大切なことだと思います。
    きっとそのために、いろいろな行事があるのでしょうね・・・。
     
    恐らくわたしが、これほど長い間、「父の死」を、昨日のことのように 生々しく感じたり、つらい過去に引き戻されて、何度も 疑似体験をしなければならないのは、
     『二十代のわたしには、相当厳しい「あの状況」を、独りきりで、体験しなければならなかったこと』、
     『周囲が あまりにも騒然としていて、心穏やかに受け入れ、見送れる状況ではなかったこと』、
     『わたしの抱えている「心の痛み、悲しみ・・」を、誰にも語ることが出来なかったこと』が、原因だと思います。


    父は色々なことを、厳しい彼の生きざまで、わたしに教えてくれました。
     あの父が、わたしに残してくれた、「最も大切な贈り物」は、わたしにとっては、非常に受け入れ難い『(死をむかえるまでの、)あの数ヶ月間の出来事』だったと、この頃、思うようになりました。
     そうは言っても、今も「フラッシュバック」に悩まされて、ひぃひぃ言っているのですが・・・。
    それでも、わたしが、今このように、少しずつ整えられて、「父の残してくれた、色々な出来事」の意味が、味わえるように成れたのは、ほんとうにありがたい!・・・と思います。
     「生きるのはつらい!」と感じながらも、わたしが、ほんとうに恐れているのは、「死」なんです。
    外側からしか 味わえなかった「現実」を、いつかは、内側から、自分のものとして、味わう日が来るのでしょうね・・・。
    「いつかは、わたしも・・・」そう思いながら、「毎日」を過ごせるのは、父や、多くの方々の死に 出あえたからだ・・・と、思うのです。
    こうして、自分の思いを書いている内に、そのように考えている「わたし」に 出会うことが出来ました。

引用返信 削除キー/
■3681 / inTopicNo.4)  Re[1]: 人の死を目の当たりにして
□投稿者/ ハニャ〜ン -(2005/07/08(Fri) 11:54:24)
    良い経験をしたんじゃないでしょうかね。

    養老先生の言葉を借りれば人間の死亡率は100%なわけだから、自分自身が早く
    亡くならない限り、多かれ少なかれ身近な人の死を経験しなければいけないんですよね。

    そういう身近な死に対して向き合う経験が無い人は、逆に言えば不幸のようにも
    思えます。

    自分もこの前、飼ってた猫を亡くしましたけど、祖父や祖母が死んだ時よりも
    ずっとショックで、未だに部屋の中で、その存在を追いかけてます。
    家族の一員でしたから、存在自体、居て当たり前と思ってて、ペットの死を迎え入れる
    準備が出来てなかったんですよね。

    はなぽんさんが言う”感情をするっとかわす”技術、自分も身についていると思います。
    猫が段々弱っている時でも、どこか冷静な自分が居たし、亡くなって火葬に移される時も
    そんな状態でした、、。身内を亡くした時は、尚更アッサリした自分で居られます。

    でも、引きずる期間が長いんですよね。その時々の自分の感情を受け止めずに、
    逃げてしまうから、総括して乗り越えるのに時間がかかってしまう。
    やっぱり人は感情の生き物なんだなぁ、と痛感します。感情を素直に出すことは
    人にとって、とても大切なことなんだと思います。

    とりあえず、引きずってしまった事は結構重くても、死と向き合ったことによる
    心の揺らぎを経験したことの方がずっと重要だと思います。

    ちなみに↑で名前を出した養老先生の本「死の壁」、ちょっとオススメ。
    http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4106100614/qid=1120790728/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/250-0167969-9414600
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■3682 / inTopicNo.5)  Re[1]: 人の死を目の当たりにして
□投稿者/ 柊 -(2005/07/08(Fri) 13:53:13)
    はなぽんさん、こんにちは。

    今年の2月に旦那の祖母が病気で亡くなり、私もお通夜、お葬式、火葬まで全部出席しました。
    私も下の娘の面倒を見なくてはいけないので、お手伝いもせずに下の子の相手をずっとしてました。逆にほったらかして手伝ってたら周りに迷惑がかかりそうでしたので、、、。
    私は「感情をするっとかわす術」は身についてはないと思うんですが、それでもしばらくは複雑な思いをかかえてました…

    8年ほど前に、母の姉が病気で亡くなりました。男を作って離婚していて子供にも見放されてた伯母の看病を母がずっとしていました。伯母には男がいましたが、ヒモだったので伯母の看病をするどころか、病院にやってきてお小遣いをせびって帰っていくような男でした。
    母にしたら「何で、私が?」って思いがあったみたいで、仕事帰りに看病して疲れるから私によく八つ当たりをしてました。「あの男が面倒見てやればいいのに。姉さんからお金もらってるくせに」って。私も母の代わりに病院に行って手伝ってたのですが、内心「何で?」って思いがありました。
    伯母がとうとう亡くなってお葬式が終わった後の母のひとことが忘れられません。「姉さんには悪いけど、死んでくれてせいせいしたわ」って…私も内心実はほっとしてたんです。当時、私は両親が死んでも「せいせいした」ってぐらいにしか思わないのかも。ってそれを特に悲しいとも思わずにいたのですが…
    祖母の死で旦那の親戚側のお葬式に初めて出席して、みんな「おばあちゃんが大好き」だったというのがすごく伝わってきました。そのことがショックでした。そういう風に心から身内の死を悲しむことができるのがうらやましいのかもしれません…祖母が火葬場に行く前にみんな「ありがとう。よくがんばったね」と言って泣いてました。多分、子供や孫たちは祖母からたくさん愛情をもらったんだと思います。同居していた長男のお嫁さんまでも祖母の死にショックを受けてたぐらいです。私は火葬場にいたときに、これが両親だったら?と想像していました。
    今の私は自分の両親が亡くなったときに「ありがとう」って言えない気がします…
引用返信 削除キー/
■3684 / inTopicNo.6)  Re[2]: 人の死を目の当たりにして
□投稿者/ はなぽん -(2005/07/08(Fri) 23:57:30)
    お久しぶりです。
    はなぽんは、以前に比べて、同じぐらいの頻度でここにきているのですが、書き込む頻度はずいぶん減っています。

    私が感情をするっとかわすようになったのは、小学校の5年生ぐらいからです。
    私はその頃から、「いい子」を演じるようになったのです。
    正確に言うと、「いい子」でいることの心地よさを知ってしまったので、意識して演じるようになったのです。
    パワーゲームを始めたと言っていいかもしれません。

    何か事件が起こったら、「こんな程度のことでは、私は悲しまない」というように、負の感情をするりとかわして、目先の、こなすべき作業を完璧にこなし、「頼りになる強い人」というアイデンティティーを獲得する、というやり方で生きてきました。
    だから、相談する、とか、人に頼る、とか、弱っている姿を見せる、なんてことは、絶対にしませんでした。
    相手が親なら、絶対、絶対、やってはいけないことでした。

    そうですね。しんどかったのかもしれません。
    「しんどい」というのもかわしてきました。
    おかげで、人としての感情がずいぶん欠落しているみたいです。
    義母は、今、「悲しくて、不安で、やらなくてはいけない作業が手につかない」状況なのですが、私にはまったく理解できないのです。
    「甘えてないで、さっさと作業をしなさいよ」という言葉がのどまで出掛かっています。
    どうしてそんなに不安そうな表情ができるんだろう?そんなんで恥ずかしくないのか?と、本気で思ってしまうくらい、私にはわからないのです。

    最近の私は、少しづつ感情を取り戻しているはずなのですが、それは、まだ、両親への怒りやいらいらなどに限定され、衆目の中で喜びの涙も悲しみの涙も流すなんて、無理です。

    北海道弁ですか?うーん・・・「なぁんもだぁ・・・」かなぁ??
    「たいへんだったね。」「なんもさぁ」
    「かなしかったね」「いやぁ、なぁんもだぁ」






引用返信 削除キー/
■3685 / inTopicNo.7)  Re[2]: 人の死を目の当たりにして
□投稿者/ はなぽん -(2005/07/09(Sat) 00:24:02)
    スケッチぶっくさん、ありがとうございます。

    私にとって、今回のこと以前の人の死にまつわる事件は、祖父の自殺でした。
    ぶら下がっていた祖父を居間に寝かせたあと、私は、母が何分私を抱いていてくれるか試しました。
    あえて大声で泣きました。
    でも、私が泣き止む前に、「あんたをだっこしていたら、お母さん、何にもできない」と言われ、押しのけられました。
    その後、お寺で、「自殺とは人に言ってはいけない」と、父に言われ、このことはタブーになりました。
    もう、25年ほども昔のことです。私が8歳のときですから。
    でも、私は、折に触れて、「私の家族は祖父をいじめて自殺に追い込んだのではないか?ならば私も同罪だ」と自分を責めて生きてきました。
    そのことについては、誰にも言うことができませんでした。
    両親になんて、絶対にいえませんでした。

    AC発覚後、電話で父と言い争いをしながら、話がこのことに触れ、父の認識と私の認識が大きく違うことに驚き、私の記憶もあやふやであったことを知り、しかしながら、言葉にできたことで、背負っていたものがふっと軽くなりました。

    義父の死は、私が物心ついてから初めて出会う「自然死」でした。
    だからこそ、こんなにいろいろ考えてしまうのだと思います。

    祖父が自殺をしたことで、私は、「本当につらかったら死んでしまえばいいんだ。祖父もそうしたんだから、それほど間違った考えではない」と思って生きてきました。
    でも、「つらさ」もするっとかわしていましたし、高校への登下校時は、自転車をこぎながら念仏を唱えてもいましたから、「死にたい」願望が現実になる機会はありませんでした。


     
    > 恐らくわたしが、これほど長い間、「父の死」を、昨日のことのように 生々しく感じたり、つらい過去に引き戻されて、何度も 疑似体験をしなければならないのは、
    >  『二十代のわたしには、相当厳しい「あの状況」を、独りきりで、体験しなければならなかったこと』、
    >  『周囲が あまりにも騒然としていて、心穏やかに受け入れ、見送れる状況ではなかったこと』、
    >  『わたしの抱えている「心の痛み、悲しみ・・」を、誰にも語ることが出来なかったこと』が、原因だと思います。


    ここのところ、とてもよくわかります。この3点はそのまま私に当てはまります。

    でも、感情をその場でストレートに表現するのは私にとって、清水の舞台から飛び降りる、いえいえ、飛んでいる飛行機から飛び降りるより難しい!
    時間が解決してくれるといいのですが・・・

    義父の生き様、死に様を見て、死の恐怖がすこし私の中に芽生えてきました。
    死ぬのはけっして楽じゃない。
    生と死の間の壁を壊すのは、苦しい苦しいことなんだということを、目の当たりにしたので。
    「死の恐怖」さえ、するっとかわして生きているということに、今、気づきました。
    回復したつもりになっていたのになぁ。。。まだまだですね。。。

引用返信 削除キー/
■3686 / inTopicNo.8)  Re[2]: 人の死を目の当たりにして
□投稿者/ はなぽん -(2005/07/09(Sat) 00:42:41)
    HN、カタカナでしたっけ??

    はい、よい経験なんだと思います。
    養老先生の著作は私も好きで、死の壁も読みました。
    が、内容を覚えているようないないような・・・

    亭主は、看病のときからずっとつらそうでしたが、初七日にはもう吹っ切れていましたから、ちゃんと悲しんだのだなぁ、すごいなぁと思いました。
    つらそうな姿は弱弱しく見えるのですが、その後の回復が早くて、亭主のほうが私より、人として強いのでしょうね。

    私は準備がなくても、感情をするっとかわせてしまうのが、ちょっと困り物です。
    コントロール不能です。
    今回、ちょっとうるうるした時に、泣いてしまえばよかった・・・
    でも、看護婦さんがいたり、亭主がいたりして、気を散らすほうに心が動いてしまいました。

    引きずってしまったものは、しばらく引きずるしかないですね。
    総括できるのはいつになるやら・・・
    「引きずらない自分」になるべきか、「引きずるもんだと覚悟を決める」べきか・・・
    それも、先延ばしです。




引用返信 削除キー/
■3687 / inTopicNo.9)  Re[2]: 人の死を目の当たりにして
□投稿者/ はなぽん -(2005/07/09(Sat) 00:52:44)
    柊さんも大変でしたね。

    私も、今回はそれを感じました。
    義父は本当に、たくさんの人たちに惜しまれていました。
    今、私の両親が死んだら、ほっとする親戚が結構いそうです。

    今回抱えた私個人の最大の問題は、「両親が死んだら、喪主は誰がやるんだろう?」です。私は一人娘で、嫁に出てしまいましたので・・・まあ、やりたくない気持ちはあるのですが、やらないといけないのでしょうねぇ。

    私の実家のシステムの中で生きている親戚たちにとって、「悲しみをストレートに表現する人間」は、後で嘲笑の対象になるかもしれないのです。弱みは見せられないのです。

    今回、私が義父にかけた言葉は「おつかれさまでした」でした。
    闘病生活、短かったけれど、大変そうでしたので。
    両親のときは、、、どうかなぁ?
    突き詰めて考えると、それが、心の準備になってしまって、また、感情をするっとかわして、長く引きずることになりそうなので、考えないことにします。





引用返信 削除キー/
■3688 / inTopicNo.10)  Re[1]: 人の死を目の当たりにして
□投稿者/ ゆかり -(2005/07/09(Sat) 02:22:04)
    はじめまして。
    「感情をするっとかわす」感じ、なんとなく分かるような気がします。

    私の場合は弟の自殺でした。
    (不愉快になる方もいると思うので、読みたくなければ飛ばしてください)



    実家から電話がかかってきて「○○が自殺したんだよ・・・」と妹が
    泣きながら言ってきました。
    夫の車で向かいましたが、自殺した弟の事を考えなくて「ごめんね」と
    夫に向かっていっていたのを思い出します。

    家族が泣きじゃくっている中、「警察の人が来るから」とそのままにしてある
    「現場(自室でした)」へ見に行ってきました。「最後の現場」を目に
    焼き付けとこうと思って。
    でも泣く事が出来なかった。
    「何でみんなは、そんな素直に泣けるの?」と思ったくらい。

    火葬にする時も、私だけ泣けなかった・・・。悲しいはずなのに。
    泣きじゃくる妹達を肩を抱いてなだめていました。

    「自分の感情」を殺してたんでしょうね。今考えると。
    小さい頃からの癖でしたが、まさか弟の死に直面しても
    「感情を押さえ込んでしまっていた」なんて・・・という感じです。

    感情をするっとかわし、たまに後ろを振り向くとそれまで溜め込んだ感情が
    ごろごろと転がっている、そんな風です。

引用返信 削除キー/
■3699 / inTopicNo.11)  Re[2]: 人の死を目の当たりにして
□投稿者/ はなぽん -(2005/07/10(Sun) 00:22:51)
    はじめまして。
    おっしゃること、とてもよくわかります。
    私の場合、感情を殺す、というよりは、感情を感じなくてもいい第三者的な立場に、一瞬にして逃げ込むような感じですが、その後の行動が、ゆかりさんととてもよく似ています。


    > 感情をするっとかわし、たまに後ろを振り向くとそれまで溜め込んだ感情が
    > ごろごろと転がっている、そんな風です。


    そうなんです。ごろごろ転がっている、感じなかったはずの感情が、私を責め立てるんです。で、いまさらながら、感じなおさないと、にっちもさっちもいかないんです・・・

    自分自身のことですが、どういう風になりたいのか、本当に今のままではいけないのか、いまだ、判断がついていません。
    感情を表に出すことは恥ずかしいことだと言う価値観がどうにも抜けないのです。



引用返信 削除キー/
■3708 / inTopicNo.12)  Re[3]: 人の死を目の当たりにして
□投稿者/ ゆかり -(2005/07/10(Sun) 18:19:32)

    > 感情を表に出すことは恥ずかしいことだと言う価値観がどうにも抜けないのです。

    私も同じようなものかもしれません。
    ちょっと横になりますが、映画などをみて素直に泣けますか?
    私は、誰か人がいると素直に泣けないんです。(夫がいても)(^^;
    感情を閉じ込めちゃう感じかな〜?
    「取りあえず、ここは感動しないで心にしまって置こう」みたいな感じ。
    家に誰もいなくて、一人でコッソリみてる時は少し泣けますが・・・。
    映画館へ行っても、感情をコントロールしてる自分がいます。

引用返信 削除キー/
■3715 / inTopicNo.13)  Re[4]: 人の死を目の当たりにして
□投稿者/ はなぽん -(2005/07/10(Sun) 23:19:15)
    > ちょっと横になりますが、映画などをみて素直に泣けますか?

    泣けません。お察しのとおりです。。。

    うるうるしても、ばれないようにしちゃいます。

    でも、最近は、とりあえず亭主にだけは、見せてもいいかなー・・・って思うようになったんですよ。
    まだ実行してないですけど。

    どうなんでしょうね?
    感情をコントロールし、時にはするっとかわし、時にはがまんして、冷静に冷静に生きていくことは、それほど悪いことじゃないですよね?
    でも、時に強い感情をどうにもできずに引きずってしまうのは、結構つらいですが、この年になると(34)そうそう簡単に変わることもできなくて・・・

    誰かに(親に、もしくは子供の自分に)強制的にそうしろといわれてやっているから、余計につらいのであって、自分でそれを、能動的に、戦略的に選び取るのであれば、つらいのも克服していけそうな気がしているのです。

    試行錯誤です。



引用返信 削除キー/
■3729 / inTopicNo.14)  Re[3]: 人の死を目の当たりにして
□投稿者/ 柊 -(2005/07/11(Mon) 17:40:50)
    横レス失礼します。

    > 感情を表に出すことは恥ずかしいことだと言う価値観がどうにも抜けないので
    >す。
    私もそうなんです。何だか感情を表に素直に出すのがどうも子供っぽい気がして仕方がないのですが、私の場合困ったことに感情を押し殺すのが苦手なんです。昔、独身の頃に友達と泣ける映画を見ました。私だけぼろぼろ泣いてた横で友達はしれーっとした顔で映画を見てました。私は泣きたくないけど泣いてしまうのでそういう自分がすごく嫌いで仕方がなくその日も映画の内容より「人前で泣いてしまった」自分が悔しくて仕方がなかったと同時に泣かなかった友達がうらやましくて…家に帰ってずっともやもやしていました。今でも忘れられないです。
    昔から「顔に出るタイプよねー」って言われます。そういうのもコンプレックスなんです。私としては必死で隠してるんですが、モロに出るようで、、、(汗)

引用返信 削除キー/



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