1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■3674 / inTopicNo.1)  過去を振り返って・・・(フラバ注意)
  
□投稿者/ キーコ改めスケッチぶっく -(2005/07/06(Wed) 21:06:22)
    2005/07/07(Thu) 10:53:02 編集(投稿者)

    離婚して数年になります。
    ようやく落ち着いて、「当時のこと」、また「結婚生活」について、眺められるようになって来ました。
    当時「小学生」だった息子も、今は 高校生になり、随分たくましくなりました。
    身長、体重も わたしよりも、遥かに大きくなって、後ろ姿を眺めると「大きくなったなぁ〜・・・」と、つくづく感じています。
    (かなりドキドキしていますが、自分の気持ちを 整理するために、長くなりますが、わたしの目からみた、「当時の気持ち」を 書いてみようと思います。)


    ある朝、相手から「離婚したい」と、急に切り出されて、ほんとうに驚きました・・・。
    ・・・・とても混乱しました・・・・。
    でも、とにかく、三つの大きな問題(多額の借金、息子の親権、わたしの生活)が、心に浮かびました。
    それについて、どのように対処していくか、早急に 考えて行かなければなりません。
    わたしは、病気を抱えているので、働くことができませんし、精神的にも、非常に 不安定な状態です。
    自分が、どのように自活していくのか、まったく分らない・・・、まして、その状況で、息子を引き取って、暮らしていける見込みは まったくありませんでした。
    息子の「親権」に関しては、相手は、「あなたの好きなように・・・」と言っていました。
    以前から「随分淡泊な人」だと、感じてはいましたが、ほんとうに、「この態度」には驚きました。
    喧嘩をしたことは、一度もありません。 でも、『親密な関係』が 築けていたというよりも、「非常に希薄な、本音で話し合えない関係」しか持てなかったと、この頃、考えるようになりました。
    わたしも、色々な問題を抱えて、生きてきた人間です。
    それでも、とにかく相手は、「本音を言わない、…言えない?人」だったようです。 いつも「世間、会社、親のマニュアル」が口癖で、自分の代弁者になっていました。


    母の援助で、「息子と暮らせること」が分ってから、息子の立場に立って、わたしなりに考えてみました。
    散々、親の権威に振り回されて、子どもの頃から「自分の意志」、「ひとりの人間としての尊厳を つぶされてきた・自分の気持ち」を、十分に 思い巡らしました。
    息子の年齢を 考慮した上で、「どこで、誰と暮らしたいのか?」また、「自分の名前は、どう名乗りたいのか・・・」を息子に尋ねて、彼に決めてもらうことにしました。
    これが、「息子の気持ち」を 尊重するために、わたしが取ったやり方です。
    その他、諸々のことに関しても、「息子の気持」ちを、出来るだけ大切にしたかったので、『わたしの我意』が入り込まないように、細心の注意を払おうと 心掛けたつもりです。


     離婚によって、わたしが「多額の借金」を 払わねばならなくなりました。
    正直言って、これが、一番恐ろしかった!!・・・・・ 相手と別れるよりも、はるかに恐ろしい出来事でした。
    専業主婦である・わたしには、払える能力は、まったくありません。母が、「多額の借金」を 肩代わりしてくれたので、返済することができました。
    ・・・それは、「母と相手と三人で立てた・計画」に、まつわる「お金」なのです・・・。
    その時には、二人で、よく話し合ったつもりですが、人は、心変わりするものです。
    「別れたい!」と急変した 相手の気持ちは、わたしには、どうする事もできません。
    母には、心から感謝しています。 でも、当時は、「わたしが、まともじゃないから・・・、みんなわたしが、悪いのだ!」と、大きな負担をかけた、自分を随分責めました。
    でも、「大人三人で話し合って、立てた計画です・・・、それに、互いの思惑が、色々絡んで 実行した事だから、仕方がなかったのだ。」と、考えるようになりました。
    母の援助で、安心して生活出来る目処がつき、「離婚」することにしました。


    離婚について、周囲の人たちは、「離婚を 息子に話さずに、隠すように・・・」と言っていました。
    でも、わたしだけが、『「秘密を持っている家族」の中で暮らす・子どもの、凄まじいしんどさ』を知っていたのです。
    それに、子どもの直感力は、大人が侮るほど、稚拙なものではありません。 むしろ、大人より 遥かにまさっている、とても鋭敏なものです。
    「嘘で塗り固められた 家族関係、親子関係を 取り続ける方が、子どもへの弊害が、よほど大きい」と考えていました。
    『家族以外』の人たちに 相談して、離婚した直後に、母親であるわたしが、「息子が 理解できるように」、話すことにしました。

    息子は、「両親や周囲の様子が、おかしい、何かが起きた!」ということには、既に気づいていました。
    でも、「周囲の大人たち、特に両親には、聞きたくても、聞いてはいけない!」ことが分かっていたので、我慢していたようです。
    「離婚の話しを聞くのは、つらいけれど、誰にも、何も、聴けないのが、一番しんどかった。」と話してくれました。
    ・・・・・ほんとうに大泣きをされて………………。
    あんなに大きな衝撃を受けた、息子の姿を見たのは、始めてです。
    それから、「息子の気持ち」を 懸命に聴いて、わたしなりに支えながら、なんとか、ここまでやってきました。
    息子 と 父親の関係は、子どもにとって、とても大事なので、「息子の意志」を大切にしています。

    でも未だに、分らないのは、「友達のように、気持ちよく、楽しく」相手は、息子と関わっているようですが、「離婚」については、息子には、何も語っていません。
    離婚して、数年!経つのです。息子は、もう高校生!なのです。
    父親として、息子である彼に、何ひとつ説明しない、こういうやり方が、理解できません。


    今、わたしは、「結婚していた当時の・自分の気持ち」に 焦点を当て始めたのですが、どうやら、相手の「こういう生き方」も、受け入れられなかったことの、一つのようです。
    「大人として、親としての責任は、誠実さ」は、どこにあるのだろうか?・・・・
    超過干渉の家で育ち、自分の殻に閉じこもり、「緘黙」という生き方で、自分を守って来た人です。
    自分の気持ちを 閉じ込めて、相手に合わせて 生きて来たのは、わたしも同じです。
    でも、わたしだけが、ただ一人、治療を受け始めて、『新しいコミュニケーション』のやり方を学びました。
    最初から、上手くは行きませんでしたが、それでも、なんとか「率直に 意見を交わして、お互いを理解してゆこう!」と、精一杯努力はしたつもりです。
    でも、相手が応じてくれなかったので、駄目でした。
    お互いの気持ちが、上手く交わせない中で、わたしの病気は、どんどん悪化してゆき、人間ではないような状態にまで なっていったと思います。
    わたしとは、かなり生き方の違う人だったようだ・・・とも、思い始めている所です。
    気持ちが落ち着くと、重荷を背負って生きていた、お互いの姿も、ほんの少しだけですが、見えるようになってきたようです。

引用返信 削除キー/
■3677 / inTopicNo.2)  Re[1]: 過去を振り返って・・・(フラバ注意)
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2005/07/07(Thu) 17:43:01)
    No3674に返信(キーコ改めスケッチぶっくさんの記事)
     スケッチぶっくさん、という呼びかけで書き込む最初の人になるかもしれませんね。
     いいHNだな〜と、思います。 スケッチぶっくさんの大好きなものつながりですね。

     ほんと、かつての夫だった人の話、初めて出てきましたね。
     それと、離婚の話は、他の人からも、ほとんど聞くことはありません。私は人付き合いは少ないのですが、それでも、何人か経験者がいますが、離婚したことはわかっていても、どんな経緯だったのかを聞いたことはないですね。

     私なんか、結婚もしてない門外漢ですが、………そうなんでしょうね、何か、はっきりとした違いがあったんでしょうね。

     スケッチぶっくさんは、ご自身が、すごい葛藤を抱えておられたようですから、その葛藤に道筋が見えてきて、そして、最近何度か書いておられるように「人から示されるのではない、自分のありよう」(私流の表現で、すみません)を見出してこられたので、表題のとおり、過去を振り返ってみることができるようになられたんですね。

     そのときに、人生のいろんなエポックの中でも、「離婚」は、大きいものでしょうね。 それを語ることができるというのは、ほんとうに、自分自身をも客観的に、見てみるということなのでしょうね?

     なんか、読んでいて、折々にスケッチぶっくさんが感じられた、そのときどきの気持ちの揺れのようなものまで、伝わってきました。
     最初に、突然言われたとき、そして、最初に胸に去来した、立ちふさがっている大きな課題、その後の、おそらくは元夫とのやり取りや、スケッチぶっくさんのお母さんとの間でのやり取りのこと、そして、息子さんに伝えたときの様子など、言葉はわずかですが、なにか、一つ一つ、大きなものが伝わってきます。

     息子さんに伝えたときの様子は、たいへん印象的です。
     子どもは、親からどう扱われることが望ましいのかと、考えさせられます。
     子どもと親は、共通のステージに立っているんですね。 同じ舞台の一員なんですね。 それが、1人よそ者扱いされたら………、辛かったでしょうね、息子さん。 それを、スケッチぶっくさん、自分の経験があったからですね、繰り返してはいけない、当事者である自分が、きちんと伝えねばと、思われたんでしょうね。


     この、事態に、きちんと向き合うということが、全体を通して一貫して感じられますね。

     その点、元夫の人は、そこのところが、違うのかもしれませんね。


     これからも、どうぞ、繰り返し、いろいろと、辿ってみてください。
     ほんと、スケッチぶっくさんが歩いてこられた、その道を振り返って、見てみることなんですね。
     なんか、「いい仕事、して」おられるんじゃないでしょうか?
引用返信 削除キー/
■3683 / inTopicNo.3)  Re[2]: 過去を振り返って・・・(フラバ注意)
□投稿者/ キーコ改めスケッチぶっく -(2005/07/08(Fri) 19:09:57)
    2005/07/08(Fri) 20:10:14 編集(投稿者)
    2005/07/08(Fri) 19:55:38 編集(投稿者)

    No3677に返信(SILVER7さんの記事)

    SILVER7さん、お返事ありがとうございます。

    『「夫婦生活」が出来ない女性は、離婚されて当然。世間では、それが当たり前』
    「自業自得よ!」
    「あなたの気持ちも分かるけれど、相手の気持ちも 十分にわきまえておきなさい。」
    「男としては、やっていられませんでしょう・・・、大変ですね〜。」

    今まで、色々なことばで、随分傷ついてきましたが、これらの「ことば」は、ほんとうに 身にこたえました。
    この「ことば」に、雁字搦めにされていましたが、最近になって、ようやく「この考え方の呪縛」から、解放されました。
    数年もかかってしまいましたが・・・、でも、思い切って、「当時の気持ちを書いて、投稿しよう。」と思いました。

    > そのときに、人生のいろんなエポックの中でも、「離婚」は、大きいものでしょうね。

    極親しい友人や 医療援助者、特別なグループでは、「離別体験」を語ることは 出来るのですが、日常生活では、安心して語れる場は、ほとんどありません。
    自分の気持ちが、しゃんとするに従って、心の病と同じように、離婚についても、偏見や差別があることに、気がつきました。
    『離婚して、○○さんの妻でなくなる』ということは、『単なる出来事』以上の 意味があるなぁ〜。・・・と、ひしひしと感じています。
     今までに何度も、『恥、秘密』ということで、自分の気持ちを おさえ込み、「心の傷」を悪化させてきました。
    同じ事を繰り返さないためにも、『語れる場』では、語って行きたいと、思うようになりました。
    一対一の治療では、どうしようもないものが、確かにあります。

    色々痛い!体験をしてきましたが、やはり「離婚」は、相当こたえますね!
    以前は、「子どもだから、理不尽な目に、散々合って来たけれど、大人に成ったら 自分で選べる。」と思っていました。
    でも、大人になっても、「自由に選べない事」がたくさんある。・・・そのことを痛感しました。

     自分を貶めようと思えば、いくらでも出来ます。
    わたしの両親が、女性蔑視をしているのは、以前から気がついていました。
    かつての「結婚生活」において、散々苦しんできたことの中に、明らかに「セクシュアル ハラスメント」と 同じような視点に立った、行動や言動が、相手や、姑にもあったことに、つい最近になって気付き始めました。
    「嫁しては家に従え」のマニュアルに 洗脳されて、渦中に居る時には、『相手の言う事に「従う」ことが、妻、嫁の務め』だと思い込んでいたのです。
    でも、どうしても、わたしは、『相手の家の・やり方』に 従うことが出来ませんでした。
     結婚生活は、「二人の生活」であると、同時に、「お互いの両親、親族、その家独自の習慣・・」というものが、入り込んできます。
    「男女対等」、「親から独立した生活」・・・と言われても、理想と現実は、随分違います。
    『どこで、親(相手)の家庭と、自分たちの家庭の「境界線」を引くのか』が、わたしにとって、結婚当初からの 大きな問題でした。
    ・・・・とにかく、すごい干渉があって、まるで「相手方の別宅」のような感じで、「新しい生活」が始まりました。
    今は、はっきりと、そう言い切れます。
    でも、当時は「実母と まったく違う、姑の共依存関係」に巻き込まれて、混乱しきっていました。
     
    色々な「母と息子」の関係が、あるものですねぇ・・・。
    偶然なのですが、わたしの父も、異父兄も、相手も、みんな養子に出されています。
    父と兄は、幼い頃に両親から離れて育ちました。
     相手は両親のもとで育ったのですが、次男である 相手ひとりだけが、名字を変えられました。
    義父母は、財産上の理由で、息子の将来を考えて、養子に出したようです。
    書類の上の出来事とはいえ、「自分の知らない内に養子に出され、名前を変えられた」という事実は、大きな傷を 相手に、残したようです。
    相手の両親は、まったく気づいていませんでしたが、「自分のことを 吐いて捨てるように言う」相手の態度を見て、わたしには、そう思えて仕方がありませんでした。

    わたしは、父の女性問題があったので、その反動で、「真面目一方の堅物」になってしまいました。
    そのような わたしにとって、「ことば」は、非常に!重要な!コミュニケーションの手段なのです。
     わたしの知っている、唯一の男性は、自分の父親しかいません。
    わたしが、男性に対して、対等に、率直に「自己主張」してゆくのは、まさに命がけなのです。
    ですから、自分の発言が、『女・子どもの戯言』として 無視されるような扱いをされるのは、絶対に 受け入れられませんでした!
    『ひとりの人間としての尊厳は、絶対に守りたい!』という わたしの気持ちは、誰にも つぶすことは出来ません!
    それで、お互いに、率直な意見を、交わすことが出来ないまま・・・、色々な支障が出てきて、どうしようもない所まで、追い詰められていったようです。・・・わたしには、そう思えるのです。

    母親として、息子には、ほんとうに 大変な迷惑をかけました。
    でも、この頃、「聴く力の備わってきた」息子に、ひとりの人間として、懸命に生きてきた、わたしの気持ちを、ありのまま語ってゆこう・・・と思い始めています。

引用返信 削除キー/
■3689 / inTopicNo.4)  Re[3]: 過去を振り返って・・・(フラバ注意)
□投稿者/ chikypug -(2005/07/09(Sat) 09:40:29)
    スケッチぶっくさん、こんにちは。

    私は離婚調停中でまさに現在進行形の渦中にいます。
    GWに夫が帰省と称して、子ども2人を連れて出て行ったまま、子どもたちは夫の実家に預けられました。
    そのうち上の子は、児相にて母親の虐待と認定され、PTSDの診断で入院し、下の子は向こうの保育園に通って義母がひとりで面倒をみています。
    夫の実家はここから700kmはなれた遠くの地方ですので、会いにいくのも容易ではなく・・・。

    子どもに会えないつらさにも加えて、自分の心の中がぐちゃぐちゃのままで、それでも弁護士に依頼し、離婚調停ですから、10年間の結婚生活や当時の気持ちを振り返り、調停委員にわかるような内容の文書にしなくてはなりません。
    その、過去を振り返り言葉にしていき、さらに、夫が親権者としてなるべく不利になるような材料を集めた内容に作成する作業があまりにもしんどくて、なかなか前に進まず胸が苦しくなります。

    そういう時間の中、まだ小さい下の子との絆をつないでおくためにも、月に2回会いに行く交通費も必要で、専業主婦だった私も急遽仕事を見つけにいったり・・・。
    とにかく一番悲しいのは、下の子に私のことを忘れられてしまうのではないかという恐れです。

    義母は私をひどくきらい、その近所の人たちにも私がいかにひどい虐待母であるかを話しています。
    そんな環境におかれて養育されたら、私に対する憎しみが自然と子どもに伝わるのではないかと、それが心配でなりません。

    いつなったら心が平静で、落ち着いていられ、誰かにこのことをじっくり語れるようになれるのか・・・と思う毎日です。

    私自身は仕事依存で実質的不在の父、専業主婦でいつも不機嫌・ヒステリックな母に育てられました。
    母は姉には早くから自分の友達のように何でも話し、精神的に依存してきたように思います。
    私に対しては、無視、でした。
    話すことは「あんたは本当は男の子のはずだったのに」という婉曲的なメッセージ。
    叩かれたことはありませんが、じっくり親と話し合うこともない、私は家で「いない子」でした。

    結婚生活で、私は夫に親を求めていたのかもしれません。
    でも、夫はACの概念どころか、私の抑うつ状態も受け入れるだけの度量がありませんでした。
    まあ、普通の配偶者は受け止めきれないでしょう、自分で自分を受け入れる作業をしていかなくてはならないのですから・・・・

    自分のことばかり長く書いてしまって申し訳ありません。
    スケッチぶっくさんのように「ひとりの人間として、懸命に生きてきた、わたしの気持ちを、ありのまま語ってゆこう・・・」という姿勢に感動を覚えました。
    私もそうなれたら、もし子どもと離れ離れになったとしても、いつかそうなれたら・・・とただ願わずにいられません。

引用返信 削除キー/
■3697 / inTopicNo.5)  Re[4]: 長文ですが・・・(フラバ注意)
□投稿者/ キーコ改めスケッチぶっく -(2005/07/09(Sat) 20:48:44)
    2005/07/09(Sat) 21:33:19 編集(投稿者)
    2005/07/09(Sat) 21:16:14 編集(投稿者)
    2005/07/09(Sat) 21:01:50 編集(投稿者)

    No3689に返信(chikypugさんの記事)

    chikypugさん、お返事ありがとうございます。
    かなり意を決して、投稿したつもりなのですが、急に ガタガタ震えたり、当時の気持ちに 引きずり込まれたりして・・・、この2〜3日、揺り戻しが来たようです。
    数年経った、今でも、こんな状態なのですから、今まさに、渦中におられる chikypugさんは、どんなに大変かと・・・思います。
    とても、『ことば!』で、表せるような状態ではないですよね…………。

    ご主人が、子どもさんたちを 実家に 連れて行かれた様子を知って、とても驚きました。
    それに、義母さんが取られている行動は、わたしには、『決して大人が 取ってはならない行動、態度』だと思います。
     「嫁・姑の関係」は、夫婦が 円満な時でも、なかなか大変なものがある・・・のですが・・・。
    わたしの場合もそうでした。
    「息子が危うい!」となれば、人が変わったように、義母の態度が 急変して、まるで「牙をむき出して、襲いかかってくる野獣」のようでした。
    でも、「わたしの母が、借金の肩代わりをする」と、分った途端に、いつものように にこやかな笑みを浮かべて…。
    その あまりの変わりように、ほんとうに 大きな衝撃を受けました。その影響もあって、いまだに「人が怖くて」仕方がありません。

    先日、ドラマを観ていたら、「両親が、子どもに、とても丁寧に関わって、『離婚』の経緯を説明している」場面がありました。
    当時の事を考えて、「う〜ん・・・、もっと、わたしは、息子の立場にたって、行動することが 出来なかったのか?」と思って、自分を 責めてしまいそうになりました。
    でも、まさに『渦中に居る時』には、親も ぎりぎりの所に居る訳ですよねぇ・・・。
    わたしは、心身ともに、ぼろぼろの状態で、『離婚』に臨まなくてはなりませんでしたので、せめて、「息子には、相手や その家族の悪口、批判・・は、絶対に聞かすまい!」と、心に決めました。
    いっしょに、暮らしていた実母にも、この点だけは、絶対に守るように 言っておきました。
    わたし自身、「母親の愚痴の垂れ流し」、それから、「父の醜聞を、父の亡くなった直後に聞かされる」・・・ということがあったので、
    「ことば」の暴力が、どれほど、子どもの心を破壊するかを、身を持って体験しました。
    また、息子にも、『自分の大事な、お父さんの悪口は、絶対に聞きたくない! 誰にも、言う権利がない!』と言われました。
     わたしの考えでは、お母さんの批判を、ご近所に言いふらしたり、子どもさんの 耳に入れるのは、周囲の大人が、絶対にしてはならない行為(アビューズ)だと思います。
    こういう行動を取られると、「人間に対する不信感が、小さい時から、子どもに 植え付けられる」と、思うからです。
     周囲の人間(特に両親は)、『「離婚」という大きな問題に 臨んでいる、二人』を、静かに、信頼して見守るべきものではないのでしょうか。
    自分のエゴを むき出しにして、夫婦の問題に 介入してくるのは、実に 愚かな行為だと、当時のありさまを 振り返って、そのように感じています。

     どんなに親密でも、人間関係が崩れて行くのは 仕方が無いのかもしれません。
    でも、『生涯を 共に歩んでゆこう!』と 心に決めた者同志が、色々な経緯があったとはいえ、『敵対関係』におかれるのは、ほんとうにつらいこと、…悲しいことです。
     離婚を機に、虐待が、急速に 治まっていきました。
    やはり・・・結婚生活では、わたしは、幸せではありませんでした。相手といっしょに暮らしていても、少しも 心が安らぎませんでした。
    ほんとうに、色々なことが積み重なって、そのような状況になったと思うのですが、やはり、本音を 率直に交わせなかったこと。
    実家や 社会のやり方を、そのまま継承して、相手が、一方的に 押し付けてきたことが、大きな要因だった。・・・と思います。
    相手は、夫、父親、人生の同伴者である前に、「息子のままで 居続けたかった人」のように思えます。
    わたしは、妻であり、母親であり、同伴者であるけれど、相手の母親にはなろうとは思いませんでした。
    実際、相手に 要求されたようには、ふるまえませんでした。
     きちんと「No!」を伝えても、女の戯言としか 受け取らない・相手に対して、いったい わたしは、どのように すればよかったのでしょうか?
    男性ですから、体も大きいですし、力もあります。 体力の点では、とても叶いません。
    わたし自身、原家族で「父の浮気、暴力」を 体験していなければ・・・と、何度も考えました。 でも、それだけが 原因ではないと思います。

    > まあ、普通の配偶者は受け止めきれないでしょう、自分で自分を受け入れる作業をしていかなくてはならないのですから・・・・

    chikypugさんの 言われているように、わたしも同じものを、相手に対して、ずっと感じていました。
     母親であり、妻であった『わたしだけ』が 悪いのではない・・・と、改めて感じています。
    また、当事者の 事情を何も知らない・第三者から、非難や 中傷される覚えはありません。
    当時は 分らなかったのですが、随分 「ひどいこと」を、周囲から 言われて来たようです。
    自己肯定感が もてるようになった・最近になって、ようやく、そう考えられるようになりました。


    「弱い立場に在るもの」にしか 見えないものが、世の中にはたくさんあります。
    (男の人も、弱い立場に立つことはあります。ですから、女性も 気をつけなくてはならないと思います。)
    「家庭」では、弱肉強食の価値観ではなくて、『「ありのままの自分」が、大切にされる場』であって欲しいと、心から願っています。
    息子を虐待したこと、離婚したことは、ほんとうに残念です。 でも、それらのことを通じて、色々なことに気がつきました。
    「気付いた時点」から、どのように生きていくのか?が、大切だと思って、勇気を出して、少しずつでも、成長して行きたいと思っています。
    また、それは夢物語ではなくて、本人が 望みさえすれば、「実現、可能な現実なのだ!」と、今は、信じられるようになりました。
      chikypugさん!・・・心身ともに、非常に 厳しい時期ですから、体を大切にしてくださいね。



引用返信 削除キー/
■3717 / inTopicNo.6)  Re[1]: 過去を振り返って・・・(フラバ注意)
□投稿者/ はなぽん -(2005/07/10(Sun) 23:31:23)
    スケッチブックさんの文章を拝見して、いままで漠然と考えてきたことが言葉になりそうな気がしています。

    「言葉の定義は人によって違う」ってことです。

    同じ言葉、同じ相手でも、相手の状況によっては、受け取られ方が違いますよね?

    じつは、両親のけんかの場面を思い出しているのです。

    母が父に、おんなじことを言っても、昨日と今日では父の対応がまるっきり違っていたらしいのです。
    昨日は「へへっ」と笑って聞いていたものが、今日は大声で怒鳴り散らして怒ったり。

    私は、相手の表情を読んだり、会話の流れを察したりしながら、自分の言葉を選んで、思いを伝えようと努力することが、とっても苦手です。母もそうで、言葉を選ぶということをしない人なのです。
    それどころか、大体の相手のことについて興味がなかったりします。

    なんだってこんなに自分のことしか考えられないのか・・・


    ちょっと考えがまとまってないですね。

    私は、人として、スケッチぶっくさんの元だんな様と近い気がしたのです。
    だから、私が、周りにどう見られているか、参考になるように思ったのです。

    自分のことばかりでごめんなさい。

引用返信 削除キー/
■3723 / inTopicNo.7)  Re[2]: 過去を振り返って・・・(フラバ注意)
□投稿者/ キーコ改めスケッチぶっく -(2005/07/11(Mon) 08:30:09)
    2005/07/11(Mon) 08:39:32 編集(投稿者)

    No3717に返信(はなぽんさんの記事)

    はなぽんさん、お返事ありがとうございます。
    「結婚していた 当時の気持ち」や「離婚に際しての思い」を振り返って、文章にするのは、とても難しいですね。
    口頭で語るのは、何年もかけて、相当やってきたはずなのに、いざ「書いてみよう!」と思うと、得体の知れない力が、わきあがってきて、一言も書けない・・・状態が、かなり 長い間ありました。
     それと、わたしは、どうも「聴き手(受け取り手)が、確かに居る」と、頭の中で 想定できないと、『書くことの出来ない! タイプの人間』のようです。
    子どもの頃から、いつも「想像の世界」で、独りで遊んでいました。さびしかったけれど、結構楽しくて、豊かな 世界だったと思います。
    でも、「中学生になり、家の中が 荒れ始めた」、否 「小学生の時に 進学塾に 通い始めた頃から」でしょうか?・・・・
    「その世界」が 持てなくなり、自分の中で、安心して、もう一人の わたしと、会話することが、次第に 出来なくなっていきました。(それからかなぁ〜、生きるのが、相当キツクなったのは…?)
    『過去の思い出』が、つらくなればなるほど、独りきりで 書いてゆくのが、ほんとうに怖くて!!・・・、
    『のた打ち回る・自分』と、独りだけで 対峙していると、なにか おぞましい、恐ろしい修羅場に 引きずり込まれて行くようで、無理だ!・・・と思いました。

    わたしの育った家庭でも、結婚した家庭においても、「人は居る のだけれど、お互いという関係」がない、「心の交流がない という感覚、ふぜん感」に、いつも苛まれていました。
    言い換えると、『その人が居るが故に、かえって ますます 孤独に陥ってゆく。』という感じです。

    ある意味、実母と 相手は、「自分を守るために、一切 自分の気持ち」 を語らないで、内に閉じこもることで、どうにか 生き延びて来た・・・人たちのようです。
    「感情」と、「ことば」が、離れ離れになっているようで、彼らの話を 聴いていると、まるで、頭に、金魚鉢を被せられて、外の世界を 見ているようです。 (わたし自身、病気が、ひどい時に、ちょうどこんな風でした。)
    わたしは、丸っきり 正反対のようで、「自分の気持ちを、言葉にして、きちんと 表して語っていかないと、生きられない!タイプ」なのです。
    そうですね・・・、だから 気持ちを 言い表せないタイプの人と居ると、イライラして、糾弾したい衝動に 駆られます。
    思い出して来ました……、当時は、わたしも 若くて ゆとりが無かったですし、それに、「お互いを、よく知り合う前に」、義母の 『物凄い介入』が始まって、相手のことと、義母のことが、ごちゃごちゃに なってゆきました。
    相手は、『義母という怪物から、「わたし」を 守ってくれる人』 ではなくて、むしろ、「義母の仲間」、「襲いかかってくる敵」のように 感じていました。
    ・・・事実、「夫婦生活」、「子どもの教育」に関して、特に、そういう事がたくさんあって……、それが 積み重なっていきました。

    今更、考えてみても、相手のことを、完全に 理解することも、すべての真実を 知ることも、出来ないとは、分かっているのですが・・・、「結婚生活での、わたしの苦しみは、いったい なんだったのだろう?」と、いつも 考えてしまいます。

    もう今は、「豆腐のような、塗り壁、暖簾のような人だった…。」としか思えない、相手の存在であるけれど、
    わたし自身を 相手の立場において、当時は分らなかった、「お互いの間に生じていた問題」を 見てゆこう!・・・と思っていました。
    でも、この頃「それは、わたしにとって、好ましいことではない。」・・・と考えるようになりました。
     それで、あえて意識して、「わたしの気持ち」を中心にして、物事を とらえ直すようにしました。
    そうする内に、「個人」ではなくて、「家族の、社会全体の問題」が 見えてきたのです。
    相手や、その家族、わたしの両親が、「継承してきた、物事の考え方」の、色々な矛盾点に 気がつき始めました。
    「嫁姑の問題や、夫婦間の暴力、家族や 社会の弱者に対するアビューズ・・」に、共通する問題点があると、とらえるようになりました。


    わたしは、「拒食症」(依存症)になり、『自分の心身を、「意志の力」で、コントロールして、どうにか生き抜こう!』としてきた人間です。
    それでも、拒食症が ひどくなって、自分自身と 家族を 深く傷つけ、家庭生活が 破綻することになりました。
    わたしは、力を持っている者(両親・相手)によって、つぶされて来た 『被害者』であると同時に、息子を、相手を、傷つけてしまった 『加害者』でもあるのです。
    『多くの過ちを たくさん犯して来たけれど、「両方の立場で、それを体験して来たことは、わたしにとって、とても貴重な事だ。」と、少しずつ 考えるようになりました。

     書いている内に、また長くなりましたが、これからも、こんな風にして、自分の気持ちを 眺め続けていくと思います。
    きっと、「白黒思考的に、結論が出る」と いう問題ではないのでしょうね・・・。
    「どういう意味が あるのだろう?」と思い続けて、「自分の気持ち」に 整理をつけながら、年を 重ねてゆくのだろうと思います。
    「それらのつらい出来事」は、取り返しのつかない 大失敗ではなくて、わたしにとって、今は、意味のある、とても貴重な たからものになりました。

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