1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■3587 / inTopicNo.1)  穏やかに暮らしたいだけなのに
  
□投稿者/ 行樹 -(2005/06/11(Sat) 13:41:12)
    こんにちは。
    以前こちらのサイトでちょっとだけお世話になった者です。今回内容などの事情につき仮名にさせて下さい、申し訳ありません。

    ここ何年かの間で機能不全家族の中に生まれてきてトラウマに苦しんだ私に気付き、このサイトやACについて学んだ結果当然ながら「自分を認める事・癒す事」という結論に行き着き、今年の序盤まで穏やかな環境で少しずつ自分への信頼を取り戻す為に頑張ってきておりました。
    しかし最近新しく仕事を始めるに当り無理をし過ぎたお陰で暗礁に乗り上げ始め、また自己否定の荒らしが襲い掛かってきています。
    職場の環境も「昼夜掛け持ちの自分と辛抱至上主義のみんな(でも素晴らしい方ばかりです)に囲まれた人間関係」
    よくあることと分かっていてもこの環境の中では乗り越えるどころかさらに悪化する不安ばかり募り、この数日間今の環境から距離を置きたいばかりに一番自分に合ってないと感じた職場で辞めたいと交渉中なのですが・・・・・・・
    自分のように「ただ否定感情だけの環境で生きてトラウマになった」という状態を一笑に伏され「もっと苦労してる人はいっぱいいるのになぜ分からない?甘え過ぎだ」と反論ばかりされてしまい交渉も成り立たず、色んな人との人間関係がボロボロになって辞めるかトラウマを癒せぬまま続けるかどちらかしかない状態に追い込まれています。

    私だってけなされまくった、それだけで好きでトラウマになったのではない。
    同じ自己否定が強くなって精神的におかしくなるなら親などに虐待されまくったりもっと苛酷な環境で干された方が説得力もあったでしょう。今一緒に働いている人々がまさにそうでした。DV・離婚・非行・・・・それはもう呆然とするほど苦労の耐えない人生を送られた人たちばかりです。
    でも・・・・・・そうでない環境でこうなった私・・・・・・・
    そして「歯を食いしばって耐える」以外の方法を選びたい私。だけど、それを”大した事なくて人生に余裕があるからそういう発想が出来るのだ”と周り中から避難されて逃げ道がなくなってしまいました・・・・・・・
    自己否定が強い中でもまだ親しい人の紹介で知り合った人々です。でも、私の心の底を覗かれて私が 人を信用しきれない=情が無いから と断言され、数々の人間関係ももうボロボロになりかけです。

    周囲のせいだとは思いませんし言いたくないですけれど・・・・。

    数奇な荒波を乗り越えた中で育った人々に「ただけなされただけで育った私」は大した事が無いからもっとひどい環境下でいる人と横並び以上のことが出来る筈と、断言されそれに従いながら生きるしかないんですか?
    それで光が見えるかもしれませんけれど・・・・・・・・
    正直今の環境は限界です。それを訴える事も甘いのでしょうか。

引用返信 削除キー/
■3597 / inTopicNo.2)  Re[1]: 穏やかに暮らしたいだけなのに
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2005/06/12(Sun) 03:12:27)
    2005/06/12(Sun) 03:33:38 編集(投稿者)
    2005/06/12(Sun) 03:28:24 編集(投稿者)
    2005/06/12(Sun) 03:23:41 編集(投稿者)

    No3587に返信(行樹さんの記事)
     全然、甘くはないと、思います。 どころか、今味わっておられるように、他に表現しようのないような索漠とした、そして、どこまでも続く苦〜い苦〜い味ではないでしょうか?

     私は思うんですが、たいせつにされない経験をして育つと、形はどうであれ、生きる基本のところが抜け落ちてしまうようですね。

     しっかりたいせつにされた人間は、けなされてもそれを受け止めるものがあるかもしれませんが、そうでない人間はただただ、マイナスのストロークを受けるばっかりになるのではないでしょうか?

     暴力など物理的虐待はそれが、生命に対立するものであることがわかりやすいと思いますが、心理的なものや言葉によるもの、そしてネグレクトは、自他共にわかりにくいのですが、生命に対立するという点では、まったく同じだと思います。
     もし、熱量や重さなどのように量る単位があれば、まったく同じ値になるものだと、思います。

     目に見えるものは、対抗策も考えやすいでしょう。
     しかし、肝腎なのは、対抗策は考えられても、ほんとうに救われるかということだと、思います。

     とかく、「負」の経験に対して「正」の対案を示せば事足れりということが、しばしば見られるように思いますが(あとは、やるだけだと)、「負」の経験は、そんなに、軽いものでしょうか?

     日本では、「解」が定まっているような風潮というか社会的強迫観念みたいなものがありますよね。 「求められている解」に向かって、一心に突き進むというね。
     先日のサッカー北朝鮮戦、なんか老いも若きも大騒ぎだったようですが、私は、空恐ろしいものを感じました。 第2次世界大戦前も、おんなじように突き進んでいったのではないかと………。

     そういう風潮のなかで「Non(フランス語でやさしく)」と言うのは、難しいです。
     しかし、ここは、単純に行きましょう。 「できないものは、できない」のです。
     「無い袖は振れない」のです。
     ただ、ここで難しいのは、自分には「無い」、「できない」と、認められるかどうかでしょうね。

     毒親と同じでね、親なり社会の方に問題があるのであって、ACとしては、あれこれ言われるいわれは無いし、できることなら、そっとしておいてほしいんだけど、うるさいですね世間は!

     ここは、どうでしょう、さっさとしっぽを巻いて、みんなにもよくわかるようにキャイ〜ンキャイ〜ンと悲鳴もあげて、これも、みんなによくわかるようにはっきり白旗掲げて、グリコのマークになりませんか?
     そう、みんなにわかるようにするというのが、コツではないでしょうか?

     そうすると、そういうものだと、世間の方も見てくれるのではないでしょうか?
     (なんらかの援助も期待できるかも知れないし………)

     (そうではなくて、思いつめると、光高校の生徒のように、また、他の多くの場合のように、折角のこの命をないがしろにする、加害者になってしまうかもしれませんね)


     ACに必要な生き方というのが、あるのではないでしょうか?
     「無いものは、無い」、「ACは、こういう生き方しかできない」というのが、あるかもしれないじゃないですか?

引用返信 削除キー/
■3602 / inTopicNo.3)  Re[2]: 穏やかに暮らしたいだけなのに
□投稿者/ 行樹 -(2005/06/12(Sun) 18:36:59)
    2005/06/12(Sun) 18:41:31 編集(投稿者)

    SILVER7さん、ありがとうございます。
    >  全然、甘くはないと、思います。 どころか、今味わっておられるように、他に表現しようのないような索漠とした、そして、どこまでも続く苦〜い苦〜い味ではないでしょうか?

    >  とかく、「負」の経験に対して「正」の対案を示せば事足れりということが、しばしば見られるように思いますが(あとは、やるだけだと)、「負」の経験は、そんなに、軽いものでしょうか?

    >  しかし、ここは、単純に行きましょう。 「できないものは、できない」のです。
    >  「無い袖は振れない」のです。

    これらの言葉を頂ける事は正直心のどこかで読んでいた面はありました。大変卑怯かもしれませんが・・・・・

    >  ただ、ここで難しいのは、自分には「無い」、「できない」と、認められるかどうかでしょうね。

    >  ここは、どうでしょう、さっさとしっぽを巻いて、みんなにもよくわかるようにキャイ〜ンキャイ〜ンと悲鳴もあげて、これも、みんなによくわかるようにはっきり白旗掲げて、グリコのマークになりませんか?
    >  そう、みんなにわかるようにするというのが、コツではないでしょうか?
    >
    >  そうすると、そういうものだと、世間の方も見てくれるのではないでしょうか?
    >  (なんらかの援助も期待できるかも知れないし………)

    最初からそういう人間だと見せ付けておけばいいものを中途半端で間の悪い時に「本当は無理なんですゴメンナサイ」と白旗上げてしまったことが余計にこの事に拍車をかけたのだと思うのです。
    どうしてそこまで・・・・・と思う程今相対してる人々は私の根性の一部分を買ってくださっていたようなのです。対人恐怖も仕事の厳しさも周囲の支援があれば乗り越えられると期待してくれていたようです。
    わたしだって、そうなれればいいと思ったからこそ傷ついても吐いても倒れかけても(実をいうとそんな感じでした)数ヶ月だけど頑張ったのですよね。
    その結果、「長い目で見て無理」と私は思った・・・・・・その日その日を凌ぐだけでせいいっぱいだけどこんな事長く続けていられない・・・・・人生に余裕も無い中で否定感情を消す事など出来るかどうか・・・・・・・・いえ、きっともっと荒んでしまうと思った。
    だけど「頑張れないと決め付ける事って自分の可能性を制限してる事」と言い切られた。今まで挫折し続けた傷を何らかの形で癒してくれようとしてくれてきた人だったからこそ現状を離れたいと告白した私を「人の気も知らないで」と悲しくなったかもしれません。
    それでも・・・・・・・・
    どこまでいけば「甘くない」と判断される?
    「根性がある」ってどういうこと?
    「頑張る」ってボロぞうきん寸前まで耐える事だけなの?
    そんな思いが駆け巡ったらもうどんどんみんなの期待に応えようという思いが痩せ衰えていったのが分かりました・・・・・・・・

    >  (そうではなくて、思いつめると、光高校の生徒のように、また、他の多くの場合のように、折角のこの命をないがしろにする、加害者になってしまうかもしれませんね)
    >
    >
    >  ACに必要な生き方というのが、あるのではないでしょうか?
    >  「無いものは、無い」、「ACは、こういう生き方しかできない」というのが、あるかもしれないじゃないですか?
    >
    出来ない=実はしたくないと思っている
    これが常識だからだと思うんです。人はやる気次第でなんとでもなるのにそれに制限を設けて楽を図ろうとする事・・・・・それが「出来ない」と言い切る事の真理だと。
    私は違うんです。
    ここでは出来ないけど、もっと別の形で出来る場があるかもしれないその可能性をもっと選んでいきたいと思った。私は・・・・・・今まで自由気ままに選んできてたと思われてきたけどほんとの意味で何一つ「心のままには選べてなかった」いつだって人の為、というか、「人に文句を言われにくい”自分なりの選択”」ばかり・・・・・・

    出来る場所がそこ以外に無い、と決める事それも「制限」なら、それ以外を選ぶ意志があるなら選んだっていいと思ったのだけど・・・・
    その選ぶ事も数奇で過酷な運命を生きた人には贅沢そのものなのでしょう。「私などここしか選ぶ事が出来なかったのにあなたは」と言われるのでしょうか、今回のように・・・・。

    全て・・・・頭が固い人間(わたし)の屁理屈。

    そういう判断しか残らない私・・・・・・・・
    今まで世間に心を閉ざした報いでしょう。

引用返信 削除キー/
■3604 / inTopicNo.4)  Re[1]: 穏やかに暮らしたいだけなのに
□投稿者/ はにゃ〜ん -(2005/06/12(Sun) 19:00:13)
    行樹さんの人生に責任を負ってるわけでも、その過去全てを見たわけでも無い赤の他人が、
    表面的な行樹さんの苦しみに触れただけで、全てを分かったような事を言う人は逆に。。

                  ”人を信用しきれない=情が無い”

    こういう人だと思いますけど?(皮肉を込めてます)

    他人の不幸と比べたら、行樹さんは一生幸福になんてなれないですよ。
    それを善しとする社会であるならば、明日死ぬか生きるかの瀬戸際に立たされた発展途上国の
    貧しい人達と、呆然とするほど苦労の耐えない人生であるかもしれないけど、一応先進国で
    生まれて、しかも仕事をして給料を貰ってる職場の人とを比べたら、明らかに後者の方が
    幸せだし、そんな”極甘な人生”(しつこいようですが皮肉です)を生きてる人たちが自分が背負った
    不幸自慢も、行樹さんの苦しみを否定することもしないんじゃないでしょうか?

    行樹さんが抱えている苦しみの大きさなんて、他人には推し量れないし、推し量ろうとするのは
    不毛の極みで傲慢な人間のすることですよ。
    そして、そもそも他人の不幸レベルに合わせることで皆が幸せになれるなら、ACの概念なんて
    生まれてないし、精神医学も必要無いんじゃないでしょうか?

    >正直今の環境は限界です。それを訴える事も甘いのでしょうか。

    ACの回復は主体性と自尊心の獲得です。今の職場でボロボロになってまで働くことが、
    自分を大切にすることであるならば居続ければいいと思います。
    最終決断をするのは職場の人間でも、ここを利用している人達でも無い、行樹さん自身
    ですよね?
    仮に訴えたとしても、行樹さんの人生に責任を負ってない人たちに、自分の大切な人生の
    舵取りを任せてもいいんですか?

    行樹さんも少なからず大切な子供時代を、親のために犠牲にしてきた一人なんですよね?
    もうこれ以上、他人に自分の人生を委ねるのは止めた方がいいんじゃないですか?

    これも主体性と自尊心の獲得のための訓練と思って、自分自身が納得する答えを導けば
    いいと思いますよ。

引用返信 削除キー/
■3605 / inTopicNo.5)  Re[3]: 穏やかに暮らしたいだけなのに
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2005/06/12(Sun) 22:28:10)
    No3602に返信(行樹さんの記事)
     なんの、なんの。 
     そうです、行樹さんが、自由気ままに選んできたようだったが、選ばなければならないところを選んでいたというのは、私も、まさしく然りでした。

     お話の様子では、もうすでに白旗を掲げられたようですね。
     そして尚且つ遺留されておられるのでしょうか?

     そこで出口が無くなっているという状況なのでしょうか?


     私は、行樹さんの意向、「ここではできないけど、他にできることを選択してもいいのではないか」という意向を、支持します。

     これは、実は、単純そうに見えて、根本的な転換を含んでいるのではないかと、思います。
     つまり、一番だいじなところは、選ぶ主体が、ご自分になっているのではないだろうかと、いうところです。 はにゃ〜んさんが書いておられますが、「決めるのは自分」と、いうところですね。

     しかし、だからといって、私は、話をそこまでにしてわが身を退けることはしません。
     なんとなれば、全身を投げ出して、「困っている」と言っている人の話し相手になることは、他のことはできなくても、また、場合によってはどうでもいい話であっても、必要なことなのではないだろうかと、思うからです。

     行樹さんの文章の全部に、私は、雪隠詰にあって、どうしょうも無い喘ぎを感じます。
     何よりも、自分自身を信じられない(底の底の方から、自分を動かしていくエネルギーが出てこない………)という、切羽詰った空気を感じます。

     それを、「決めるのは自分だ」と言って突き放すのは、獅子が谷底に我が子を落とす譬えのように取れないこともないけど、私には、現在の行樹さんの職場の人の声と、同じように聞こえます。

     はにゃ〜んさんも、「頼りない心」については、充分にご存知なのではないかと思いますが、私は、あえて言いますが、私たちACの目標とするところは、「回復」ではなくて、「このままでいられる」ということではないでしょうか?

     だから、言わば「回復の方程式」に当てはめるばかりが道ではないのではないでしょうか?

     
     行樹さんへのレスのなかで、多少不適切かとは思いましたが、似て非なるものは、ここでは看過できませんでした。 お許しください。


     何か、大きな、また、厳密な話をしましたので、くたびれましたが………、行樹さんの方向転換、ギヤの切り替え、繰り返しますが、支持します。 この選択は、今までの選択の欺瞞を知った上でのことですから、ご自分を信頼してもいいのではないでしょうか?
     それが、仮に、うまいこといかなかったとしてもですよ。

     一つ、付け加えますと、私も、「求められていた選択」ではなくて、「自分に必要な選択」をしたときが、大きな大きな転機でした。
     それからだって、すっごい格闘がありましたが……………………。
引用返信 削除キー/
■3608 / inTopicNo.6)  卑怯なのは私・・・・・・
□投稿者/ 行樹 -(2005/06/13(Mon) 07:46:52)
    はにゃ〜んさん、レス有難うございました。

    > ACの回復は主体性と自尊心の獲得です。今の職場でボロボロになってまで働くことが、
    > 自分を大切にすることであるならば居続ければいいと思います。
    > 最終決断をするのは職場の人間でも、ここを利用している人達でも無い、行樹さん自身
    > ですよね?
    > 仮に訴えたとしても、行樹さんの人生に責任を負ってない人たちに、自分の大切な人生の
    > 舵取りを任せてもいいんですか?

    数々のご意見は正直なところ自分ではわかっているのです。でもそれだけをダシにして持論を通せない・・・・・・現在に行きつくまでの(迷惑ばかりかけて恩ひとつ返せていない)事情が私の持論を留まらせ意地の悪い言い方をすれば「言われっぱなし」に見える結果になってしまったのです。
    SILVER7様の方には書いておりませんでしたが・・・・・・私にも努力が不充分だったり人の自尊心を傷つけたり、親切な方々の思いを無にする行為の断片が無かったとは言い切れないのです。

    一文無しになりかけていた私を救ってくれた場所が今の夜の職場であった事、というのが一番ですが・・・・・・その山を越えた今の私にはその当時のハングリー精神は消えいつしか「恩を返すためだけ」の仕事になってしまった。諸リスク費用差し引いてコンビニのバイトにも満たない金額でしたが、今でもそれ自体はどうでもよかった。
    けれど、周囲の人々の情や温かさだけではお金の為でもなければ好きでもない(正直性に合わずすぐにでも投げ出したい)仕事をし続けるのは無理でした。
    昼夜掛け持ちの心身衰弱・お風呂に入る暇も無いほどの生活面の負担や、(職業上)フラバの恐怖と戦う日々・・・・・・・無理をしてきた事全てがつけになり一番みんなが苦しい時期にたまらず辞めたいと言ってしまったことで「信用されてなかった、裏切りだ」と言うに近い形で解釈されてしまっただけに過ぎないのです。

    何においても遠慮は要らないとずっと微笑んで世話を焼いてくれた親切な人々(結局心底心を開けなかった)や私が仕事をやり易くする為なら何でもしようと力の限り働きかけてくれた事、無器用な私をやる気を出させる為にずっと励まし続けてくれた事・・・・・・・全てを翻し「やはり無理でした」と宣言したのです、何を言われても仕方がありませんでした。

    しかし期待を裏切る気はなかった事を変に弁護しようとした仇か、結局持論を通すつもりが私も冷静になりきれず遠回しに恩着せがましいなどと周囲を批判めいて発言したりACをほのめかし開き直ったような言い草になった事で口論を呼ぶ形にしかならなく私は更に泥沼に陥ってしまった。
    自業自得と言えばそうかもしれませんが。

    だからといって、もう現状を保つ事は不可能です。
    数々の批判は全て「自分のした事の因果応報」と割り切っても・・・・・・・
    辛いですけれどまた人から後ろ指指されながらひとつの場を去ることしか出来ないようです。
    自分の事ばかり書いてしまって申し訳ありませんでした。
引用返信 削除キー/
■3609 / inTopicNo.7)  SILVER7さんへ
□投稿者/ 行樹 -(2005/06/13(Mon) 07:56:29)
    2005/06/13(Mon) 07:57:35 編集(投稿者)

    レス有難うございました。

    とても嬉しかったのですが・・・・・何だか自分をよく書きたい・見せたいばかりの一方的な発言で当初からの流れを冷静に見て、「皆さんの予想通りのレスに安心した私」がいた事に気付き正直ぞっとしました。
    はにゃ〜んさんへのレスで私のしてきた事も少しばかり詳しく書いておりますのでSILVER7さんへにも改めて見て戴けると幸いです。あれでもまだ不充分ですしもっとひどい事も言い放ったりもしておりますが。

引用返信 削除キー/
■3611 / inTopicNo.8)  Re[3]: 卑怯なのは私・・・・・・
□投稿者/ はにゃ〜ん -(2005/06/13(Mon) 10:47:42)
    行樹さんの書き込みで良い疑問がありますよね。。

    >どこまでいけば「甘くない」と判断される?
    >「根性がある」ってどういうこと?
    >「頑張る」ってボロぞうきん寸前まで耐える事だけなの?

    この疑問全てが行樹さんの子供時代に養われなかった疑問ですよね。
    そして今も解決されていないんですよね?
    何を持って甘えとするのか、根性を見せるとはどういうことなのか、
    頑張るとはどういうことなのか。。

    ACの子供時代というのは、サバイバルゲームと言われるほど、子供にとっては
    過酷な生き方を強要された人たちですよね。
    自分の素の甘えを受用されず、自分のためじゃなく、他の誰かの為に頑張り続けた人にとって、
    更に甘えられない、もっと頑張り続けなければいけない大人社会に出て行くことは、逃げ道が
    無くなるほど自分を追い込むことになると思います。。

    他の誰かに受け入れられたい欲求が消化されていないと、自分の本意では無い選択を
    するものだと思います。
    行樹さんが今辿ってる道は過酷かもしれないけど、自分の素の感情を適切に表現することが
    未熟なACにとって、色んな人の犠牲によってでしか、自分自身を育てていく方法が無いんじゃ
    ないでしょうか?

    ACの問題は第三者が生んだ産物ですよね?、人から生まれたACの問題は、やっぱり
    その解決も人によってでしか解決できないと思います。

    そういう自分も色んな人をさんざん裏切り傷つけながら、”何を持って甘えとするのか”、
    ”どこまで頑張り続ければ、頑張ったと評価されるのか”、”根性を見せるとはどういう
    ことをいうのか”、を学んできました。

    親が与えた毒を、家族以外の人が吸わなければいけないのは、行樹さん自身が一番
    辛いことだと思います。
    でも、ACから回復するには、そういう経験の積み重ねによってでしか解決できない問題も
    含まれていることを知ってください。

    行樹さんは今までが優しすぎたんですよ。子供時代からずっと人のことを思いやって、自分のことを
    犠牲にしてきたんだから、今度は自分の中に溜め込んだ毒を吐かなければいけない番だと思いますよ。
    行樹さんの優しすぎる心の片鱗が、書き込みにいっぱいありますよね。。

    今は本当に辛いかもしれないけど、行樹さんが経験している人間関係の問題を経ないと、
    色んな社会と適切に折り合っていける、バランスの取れた大人にはなれないと思います。

    行樹さんはどっちを選びますか?、他者を傷つけないで親が与えた毒を溜めながら、生き辛い自分、
    誰かの犠牲による自分で在り続けるか。。
    それとも、他者を傷つけても自分の中にある毒を吐き続けて、生き易い自分を獲得するか。。

    その最低限の選択肢を選ぶ自由は今の行樹さんにあると思います。

    それと最後なんですけど、行樹さんが悩んでることってACの考えに必然的な結果として
    説明されてます。もっとACの考えに寄り添って楽になったらどうでしょうか?

    では。。
引用返信 削除キー/
■3623 / inTopicNo.9)  Re[5]:行樹さんへ
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2005/06/14(Tue) 00:22:39)
    No3609に返信(行樹さんの記事)
     行樹さん、はにゃ〜んさんへのレスも読みました。

     了解。 相手に嫌われるような言質を吐いて、態度も取って、表明されたんですね。
     そんな自分が、「どこまで続くぬかるみぞ」という言葉が、昔の軍歌かなんかにあったのではないかと思いますが、同じように、わかっていても、わかっていても繰り返す自分が、情けないんでしょうね。

     昭和25年製作の映画『きけわだつみのこえ』のラストシーンのすぐ前では、ビルマ戦線で敗北した日本兵が、泥土のなかを、次々に被弾し、のた打ち回って死んでいくシーンが10分かそれ以上続きますが、最近見たばかりでもあり、連想されました。………………

     そうですね、「わかっちゃいるけどやめられない」という歌もありましたが、やめられませんね。

     もう、行樹さんも、数えることもできないぐらい、同じような忸怩たる思いを味わっておられるんでしょうね。
     この忸怩という言葉、音の感じが、意味するところにピッタリですね。

     ああ、私も、何度味わったか…………………………………………………………………………………………………
引用返信 削除キー/



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