1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■3381 / inTopicNo.1)  強迫的な性衝動(性のFB要注意です)
  
□投稿者/ アーネスト -(2005/05/06(Fri) 12:53:22)
    教育実習を前にして「自分は生徒と上手く繋がれるだろうか?」と考えた時に,コミュニケーション下手な自分に絶望して死にたい気持ちになりました。でもそれと同時に「生」を渇望する自分の気持ちに気付きました。それは,とてもとても強いものでした。「そうか俺は死にたいと思うくらい,生きたいんだ。死にたくなるのは,完璧主義やパワーゲームの思想で生きようとして,失敗を恐れるからだ」と思いました。

    「生きたい」という気持ちをを突き詰めていった時に,自分は「どう生きたいのか」を問うてみると「人と繋がりたい,特に異性と繋がりたい」という,これまでの人生では感じられなかったような,強力な性欲を感じました。

    --------------------------------------------------------------------------
    (注:ここから更に不快な表現が出てくると思います)

    それで僕は前々から気になっていた女性に(ある売店のレジの方です)もしよければ電話をもらえますか,という旨の手紙を出しました。それでも「異性と繋がりたい」という欲求は収まらず,街に出てナンパをしました。結果から言うと,両方ともダメでした。

    ただ時間が空いて,どうやら自分は「性欲を満たしたい」というよりは「異性と親密に対等に付き合いたい」という気持ちの方が強いことがわかりました。

    それでも相変わらず「街に出てナンパをしなければ」という強迫観念に襲われてしまい,とても苦しいのです。今日は抗鬱剤,安定剤を服用して落ち着けています。でもそうやっていても再びナンパする勇気の出ない自分を責めたり,勇気が出ないのは自分の服装のせいだ,というわけのわからない言い訳をしています。

    恐らく僕は「異性と親密に対等に付き合っていける」ように自己評価を上げるたり,自助会で親密な関係を築くのが本来の欲求の摩り替えであり,摩り替えをするな!!と自分を責めてしまうのだと思います。

    やはり自分には異性と親密になりたいという欲求が異常に強いように思えます。
    それが母との不仲から来るのか,はよくわからないのですが,その欲求をただアクティングアウト(行動化)し続けるのも苦しいです。

    僕が,「自分の強い欲求」に対して考えるようになったのは斎藤学さんの「自分のために生きていけるということ」を読み,嗜癖について考えたからです。嗜癖は「欲望が満たされず横道に反れたもの」だそうです。それが今までの自分でいけば異性の承認を得るために好きでもないスポーツを我武者羅にやることでした。でも僕はもうそれを辞めようという地点に差し掛かっているというか,パワーゲームの舞台から片足を下ろし始めたと自分では認識しています。

    「丸ごとの自分を異性に受け入れてもらいたい」という欲求が横道に反れたのが,強迫的なスポーツ行動でした。そして,その欲求を横道に反らさずにダイレクトに充足しようとした結果、実行したのがナンパでした。

    別にナンパでなくとも,趣味の活動なり自分の好きなところで出会った人との出会いを求めることでもいいのだと思いますが、今はまだ性に目覚めたばかりで,「欲求をダイレクトに満たすもの=ナンパ」という思い込みが以上に激しく,「出会いの手段」としてナンパ以外を選択しようとすると,「それは逃げだ」という自分虐めの思想に陥ります。多分、それは「逃げ」ではないとは思うのだけれど......

    ただナンパに出かけたところで「拒絶され恐怖」が強く結局は「異性からの拒絶」というものに以上な恐怖を持っているようにも思えます。

    以前、自分を好きになってくれた女性がいて,彼女は僕の愚痴を聞いてくれたり,と色々,力になってくれました。でも結局,付き合えませんでした。付き合ってしまったら「この母(彼女)と子(自分)」のような関係にピリオドを打って「自分は男だから彼女をリードしないといけない」という下らない「男らしさ思想」に,陥って告白できず,もしくは付き合って「今のような自分が甘えることが拒絶されたら」と思うと,付き合うことはできませんでした。

    今、思うと結構,その女性に「母」を見ていたような気もします。そう思うと自分はまだまだ誰かに寄りかかってしまうほど弱いんだ,誰も自分以外の人間が,自己評価を上げることは出来ない,と思い「しばらくはワークを続けて自己評価を上げて,自助グループで『本当の親密感』を体験し,癒していくことが先決かな,と思っています。そうすれば,また違った見方もできかな,と考えています。

    私は上記のような考えでいいのでしょうか?それとも荒治療と称して,片っ端からナンパを続けていけば,自己評価も上がるのでしょうか?今の自分には「ナンパすることが目的』のような生活が苦しく,また余計に自分の傷を増やしそうな気がします(と,わかっていて囚われるから強迫観念なのでしょうが)

    本当に不愉快な話しを最後まで読んで頂いてありがとうございました。
    もし宜しければ,ご意見を御伺いしたいです。
引用返信 削除キー/
■3383 / inTopicNo.2)  Re[1]: 強迫的な性衝動(性のFB要注意です)
□投稿者/ とら -(2005/05/06(Fri) 13:26:23)
    アーネストさんへ

     大変ですね。僕はそう言う脅迫願望ないけど、気持ちは分かります。誰か異性に丸ごと愛して欲しいと願うんですね。やはり、お母さまとの関係から来ているように感じます。ナンパは過去一回しかやったことがないけど(正確には違う)納得できるまでやってもいいのではと思います。心の深い赤ちゃんのような願望を満たすのは、やはり、自分で自分をまるごと受け入れることではないでしょうか。自己充足ができれば脅迫行動もおさまると思います。とにかくぼちぼちと生きていきましょう。

引用返信 削除キー/
■3384 / inTopicNo.3)  Re[2]: 強迫的な性衝動(性のFB要注意です)
□投稿者/ アーネスト -(2005/05/06(Fri) 14:00:00)
    とらさん,長い文章を読んでくれて,そして御返事も書いていただいてありがとうございました。

    >納得できるまでやってもいいのではと思います。

    そうですよね。私も本当はこれが一番いいのかなと思うのですが,なかなか勇気が出ないですね。かと言って「今日は〜人(人数)に声をかけるなど,ノルマを課すのも嫌ですし,またそのノルマがパワーゲーム的になるのもいやかなと,いう感じです。まぁたまに(笑)街に出てみます。ただ見てるだけでも(と,いうとちょっと変態かもしれませんが)満たされるものがあるんですよ。街で出るというだけで,少し行動的にもなれるので,一がいに悪いとは思っていません。もちろん犯罪はまずいですが。ありがとうございました。
引用返信 削除キー/
■3386 / inTopicNo.4)  Re[1]: 強迫的な性衝動(性のFB要注意です)
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2005/05/06(Fri) 23:42:41)
    2005/05/06(Fri) 23:49:36 編集(投稿者)

    No3381に返信(アーネストさんの記事)
     アーネストさん、ほんとうに、本能に近いところの問題で、欲求自体はシンプルなんでしょうが、なんかいろんな絡みがあって、単純にはいかないところがありますね。

     私も苦労したな〜。

     ただ、欲求は消去できませんよね。
     どのように上手に実現するかということかな〜。
     その点では、アーネストさんも、人並みの苦労の真っ只中にいるということでしょうね。
     上手な人がいますよね。 ごくごく自然に異性とのコンタクトが取れて、よくよくコミュニケーションもできて、お互いに気持が通い合うようなカップルもいますよね。


     私たちは、アーネストさんも書いておられるように、気持の表出が下手な人間なんですよね。 斎藤学さんが言っておられるという、本来の欲求が叶えられないので、他のもので代えているというか、そこによりすがっているというところも、ありますね。
     その点では、本来の欲求の実現ということも、おろそかにできないのかもしれませんね。

     アーネストさんの場合、肉体的成熟も伴って、欲求が異性を求めるところに収斂しているところがあるのかもしれませんが、得られていなかった欲求のところ、「したくもなかったスポーツに強迫観念で」没入していった、その元のところ、そこのところが叶えられることが、だいじなのかもしれませんね。
     もちろん、それは、ストレートな形では得ることはできないのかもしれませんが、例えば、「ほんとは〇〇××がしたいんだー! それが欲しいんだーーー!」と、確認する作業を通じてとか(グリーフワーク=嘆きの仕事)によって、ある意味での昇華の過程を経ないと、いつまでも、どこかに残りつづけるのかもしれませんね。………………


     人との結びつき、これは、ある意味私たちACにとっての課題、大きなテーマですね。
     結びつきの断絶やねじれ、不快な結びつきなどを経験しているのが、私たちですもんね。

     私が今、切実に思うのは、やはり、上に書いた、本来欲しくて得られなかった願いを、欲求を、それを自分が求めていることを自覚することが始まりだなーと、いうことですね。
     その素直な自分の気持を認めると、他のことにも素直になれるように思います。

     例えば、異性に声をかけることでも、自分に自信が無いながらも一生懸命にやってみるという風にできるように思います。 さらに、付き合いということは何が起こるかわかりませんが、その過程でも、未経験ながら、もっとも適切と思うことで対処していくという風にできていくようにも、思われます。

     アーネストさんの書き込みの最初に書いてあったけど、「子どもたちとうまく結びつくことができるのだろうか?」という不安だって、最初に答えがあってできるものではないんじゃないでしょうか?
     不安を持ちながら、それこそ、子どもにも聞いてみながらやっていくということなんじゃないのかな〜?


     アーネストさんの問いかけられたことは、たいへん微妙なところがありますが、その奥に、根本的なところに触れているところがあるように、思いました。

引用返信 削除キー/
■3387 / inTopicNo.5)  Re[2]: 強迫的な性衝動(性のFB要注意です)
□投稿者/ アーネスト -(2005/05/07(Sat) 02:38:30)
    SILVER7さん,こんばんは。いつもありがとうございます!!
    御返事長くなってしまいましたが,読んでいただけると嬉しいです。

    結構,難しいですよね。ただ,強い欲求が出てきたのは喜ぶべきことだな,と思っています。横道に反らさずというのが今の自分には本当に大事なことで,それを抗鬱剤で消す事にかなりの抵抗がありますね。

    眠れないことも,あるのですが,実は体が疲れていないんですよね,本当に不思議なことに。まぁもともと体力はあるので,変なことではないですが。昔はスポーツでくたくた,だから不眠がなかったのかもしれませんね。

    あ,あと分かりづらい点がありましたので,もし宜しければ教えてください。 

    >アーネストさんの場合、肉体的成熟も伴って、欲求が異性を求めるところに収斂しているところがあるのかもしれませんが、得られていなかった欲求のところ、「したくもなかったスポーツに強迫観念で」没入していった、その元のところ、そこのところが叶えられることが、だいじなのかもしれませんね。

    現時点では異性のみに欲求が向いているだけで,「スポーツに没入する前の状態」をもう少し掘り下げて(例えば母との関係であるとか)いくといいということですよね?

    あぁこれはまだ自分でも相当に整理のできていないところなのですが私は小5から校3までずっと陸上部でした。10歳頃に,親に承認されない(あるいは家庭が乱れていた),勉強も嫌いだ,しかしマラソン走ってみたらクラスでもトップ。ということで,かなり優越感を持ったんだと思います。子ども心に。親も私が部活で活躍するのは応援してくれましたし,尚更頑張ったのだと思います。

    >もちろん、それは、ストレートな形では得ることはできないのかもしれませんが、例えば、「ほんとは〇〇××がしたいんだー! それが欲しいんだーーー!」と、確認する作業を通じてとか(グリーフワーク=嘆きの仕事)によって、ある意味での昇華の過程を経ないと、いつまでも、どこかに残りつづけるのかもしれませんね。………………

    僕の10〜12歳ごろ,というのはかなり複雑で,万引きをして親の注目(承認)を得るどころか,今まで見せなかったような剣幕で,母親が罵倒し,父親には最初で最後の暴力を受けました。そこから,割りと奔放だった自分が,生真面目な人間と変わっていた変わり目だと確信しています。恐らく根っこにあったのは母親の過干渉や,幼い頃からの両親のさめた関係など(父は海外及び単身赴任が多い人でした)へのプロテストではなかったのか?と自分では考えております。

    それを踏まえとSILVER7さんの仰ったことを解釈すると,その辺の時期を重点的にグリーフワークで,「欲しかったものや状態」を思い出し,嘆き,悲しむことで,その欠落が(部分的にでも)癒される,そうすれば欲求が横道に反れたり,一つのものに収斂されたりが少なくなっていく,ということでしょうか?

    書きながら思い出したのですが,自分の場合スポーツは異性の承認を得るためというのは,結構後付であったように思えます。むしろマズローの言う「承認欲求」の一つ前の「所属欲求」を満たす方が私には大事でした。所属ができないと,恋愛する自信もなかったように思えます。

    ただSILVER7の仰るように,私はかなり頭でっかちで,実行に移す前に考えることに拘泥しして「現場」で起こるミスに弱いのも事実です。なるべく欲求(ナンパに連れて行くとインナーチャイルドは喜んでいるように思えます。あくまで主観ですが)を横道に反らさず,チャイルド=欲求と上手く付き合ってやっていこうと思いました。

    >不安を持ちながら、それこそ、子どもにも聞いてみながらやっていくということなんじゃないのかな〜?

    そうですね。こういう姿勢は本当に私には欠けていたと思います。完璧にして相手に何も言わせないというのが自分の大きな欠点の一つです。

    本当にありがとうございました!!!
     


引用返信 削除キー/
■3393 / inTopicNo.6)  Re[1]: 強迫的な性衝動(性のFB要注意です)
□投稿者/ KY -(2005/05/07(Sat) 10:36:47)
    アーネストさん、こんにちわ。
    高校時代から付き合いのある、僕の友人(現在30代半ば)の話をしたいと思います。表現に、あからさまな部分があることを承知してください。

    友人は、思春期以降、性的欲求は「タブー」なものだと考えていたみたいで、アダルトビデオ・性的な雑誌を決して見ることはなく、そういった話題にはあからさまに嫌悪感を表し、20代半ばまで、自慰行為すらしたことがなかったようです。もちろん、女性と付き合ったことも話したこともありませんでした。その代わり、アーネストさんが陸上に燃えていたように、友人は柔道に燃えていました。

    ところで、なんの拍子か分かりませんが、自慰行為を始めた20代半ば頃から、女性に対して、妙に興味を持ち始めました。アダルトビデオ・雑誌を山ほど買い込んでみたり、仕事帰り、ある目的で通っていた学校で知り合った女性(一回り以上年下)に声をかけたり、挙句には、女性を買う場所にまで通いつめるようになりました。

    しかし、年下の女性に声をかけても上手くはいかず、女性を買いに行っても、いつも性行為までには至らず・・・とにかく、ことごとく上手くいかなかったようです。それでも、女性を買いに行く事はやめませんでした。傍から見ていて、「上手くいかないのに、何故、無理してまでそういう行為を繰り返すのか?女性を買いに行くなど、柄でもないはずなのに・・・」と感じるほどでした。きっと、アーネストさんと同じく、性的欲求より、女性と深く関わり合いたかったのでしょう。その方法が、女性を買いに行くことになってしまっただけで・・・。

    現在は、あまり連絡を取り合っていないため、どうなっているかはよく分かりませんが、恐らく、同じことを繰り返していると思われます。「自分は一生結婚できない」と、言い続けながら。

    父親が厳格な家庭に長男として生まれ育った友人。その父親の期待に沿えるよう、頑張ってきたようですが、なかなか上手くいかず、柔道以外の部分では、趣味に興じて家にこもりがちになってしまい、就職は、大学卒業が遅れてしまったため、就職活動をしないまま、近所の人のお膳立て。「親父は自力で大学まで出て、それなりの役職にまでのぼりつめたのに俺は・・・」と、常々言っていたことを思い起こせば、そんな自分をふがいなく感じていたのかもしれません。勝手な想像ですが。

    根本的に、1人を好む友人でしたが、決して、同性間では人付き合いが悪いわけではなく、人が集まると、場を盛り上げようと頑張るタイプです。集団の輪から外れた人がいたなら、声を掛けるといった気配りができるタイプです。他人の悩みをよく聞くタイプでもあります。

    しかしこれまで、性的な部分を含めて女性と関わってこなかったので、男女の集まりの時には、どこか浮いてしまっているのですよね。イイ人で終わってしまうのです。
    男から見たら、あんなに優しくてイイ男はいないのに・・・と、思えるのですが。

    友人の話で始終してしまいました。すみません。
    友人の話で、少しでもアーネストさんに、ピンとくるものがあればいいのですが・・・。
引用返信 削除キー/
■3396 / inTopicNo.7)  KYさん,ありがとうございました!!
□投稿者/ アーネスト -(2005/05/07(Sat) 14:14:18)
    こんにちは。
    大変、貴重なお話しをありがとうございました。

    >根本的に、1人を好む友人でしたが、決して、同性間では人付き合いが
    悪いわけではなく、人が集まると、場を盛り上げようと頑張るタイプです。
    集団の輪から外れた人がいたなら、声を掛けるといった気配りができる
    タイプです。他人の悩みをよく聞くタイプでもあります。

    う〜ん,と納得したり共感できる部分がありました。私も昔はどちらか
    というと,KYさんの御友人のように(上記のような)性質を持っていたと
    思います。場を盛り上げようとするところなんか,特にそうですね。

    >しかしこれまで、性的な部分を含めて女性と関わってこなかったので、
    男女の集まりの時には、どこか浮いてしまっているのですよね。イイ人
    で終わってしまうのです。
    男から見たら、あんなに優しくてイイ男はいないのに・・・と、思えるの
    ですが。

    「いい人で終わる」というのは男女問わず,よく言われました。何か,
    こう自分から女性を求めていく求心力のようなものが,僕には欠けて
    いるように思います。

    私も思春期以降性はタブーとか恥部であると思っていました。高校3年
    で初めて彼女を作るのですが,何かこう変にプラトニックなものを
    求めて,手も繋げないという感じでした。でも,これは純愛という
    言葉を使えば聴こえはいいですが,親密性がない感じでした。大学に
    入ってからも,コンパに出たりするのですが,何かその場の盛り上げ役
    で終わってしまうという感じでした。

    KYさんの御友人よりは少し早いですが,私も二十代前半,大学の部活
    で挫折してから,それまで解禁していた性というものを,ようやく自然
    なものとして受け止められるようになってきました。それでも,まだ
    どこかで恥じたり,罪悪感を感じている部分も多少はあります。

    思春期で芽生えるものが,一気に芽生えてしまったのかも
    しれませんね。それと思春期で芽生えなかったということは,やはり何か
    しらの抑圧が働いたのでしょうね。

    読ませて頂いて,「あぁ自分と同じような人間もいるのだなぁ」と気付か
    され,少し安心しました。欲求がなるべく横道に反れることなく,たまに
    欲求と相談しながら,今後どうしようか考えていきたいと思います。

    本当にありがとうございました!!!
引用返信 削除キー/
■3406 / inTopicNo.8)  Re[3]: 強迫的な性衝動(性のFB要注意です)
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2005/05/07(Sat) 23:32:37)
    No3387に返信(アーネストさんの記事)
     アーネストさん、もう少し、待ってください。
     2日続けて寝るのが3時前、4時前になっちゃって、ボーっとおかしかったのです。
     明日は朝から夕方まで出かけますから、明日も書けるかどうかわかりませんが………。

     お尋ねのところは、間違いなく、私の思っていたとおりに理解しておられましたよ。

     レスを受けて、もう少し、何か伝えたいことがあるような無いような、揺れている心があるんです。………………

     もうちょっと、待ってみてください。………………

引用返信 削除キー/
■3416 / inTopicNo.9)  Re[4]: 強迫的な性衝動(性のFB要注意です)
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2005/05/09(Mon) 22:29:42)
    2005/05/10(Tue) 09:45:58 編集(投稿者)

    No3406に返信(SILVER7さんの記事)
     アーネストさん、お待たせしました。
     昨日はくたびれて、夜の10時ごろには、もう体が持たなくなっていました。
     今日も、午後からも寝たりして、結局、この時間になりました。

     と、言っても、書かなくてもいいなあと思うので、特に書くことは無いのですが、何も書かないと、アーネストさんも、私がどんなことを思っていたのだろうと、気になると思いますので、思いをめぐらしていたのはどこかということだけ、お伝えしておこうと、思います。

     お尋ねだったところで、アーネストさんが正しく理解されていたとおり、抑え込んでいる、得られていなかった欲求のところについてでした。

     私は、「したくもなかったスポーツへ打ち込んでいった」という文章がたいへん印象深く、そうまでさせるものの強さというか、アーネストさんに思わせたものの大きさというものを感じたんですが、………きっと、それは、アーネストさんにとっても、もしかしたら普段は、もう思わないようにしているのかもしれないけど、大きなものがあるんじゃないかな〜と、思っていたのでした。
     そこのところに、ほんとは得たかったが得られなかったものがあるんじゃないかな〜と、思っていたのでした。

     で、レスを読んで、その辺はどうなんだろうと、もう少しつっこむかな〜、どうしょうかな〜と思っていたのですが、ここ2日ばかり日を置いて思うに、これはやっぱり、アーネストさんが自分で決めることだな、取り組むなら自分で取り組んでいくことなんだなあと、思えるようになりました。

     自分で取り組んで、そして、わからないことや困ったことが出て来たら、又、問い掛けられるかもしれない。 その時に応えることができるのなら、その時に応えたらいいんだと、思うんですね。

     この辺はね、本人と第三者の違いですよね。
     あらためて、だいじなことだな〜と、思っています。

引用返信 削除キー/
■3417 / inTopicNo.10)  SILVER7さんへ
□投稿者/ アーネスト -(2005/05/09(Mon) 23:06:31)
    2005/05/09(Mon) 23:56:10 編集(投稿者)
    2005/05/09(Mon) 23:55:01 編集(投稿者)
    2005/05/09(Mon) 23:08:17 編集(投稿者)
    2005/05/09(Mon) 23:08:10 編集(投稿者)

    こんばんは。私のことで深く考えていただいてありがとうございます。
    本当に嬉しいです。

    >私は、「したくもなかったスポーツへ打ち込んでいった」という
    >文章がたいへん印象深く、

    これは少し語弊があったかもしれないです。
    私は実は大学に入ってからは別のスポーツ(球技)に挑戦
    したんですね。そこで初めて集団競技の難しさ(チーム内で
    の意思疎通,共通目標・認識の保持など)を知って,且つチーム
    内に確執がありまして,それに巻き込まれて先輩に振り回され
    たり,同輩と上手く行かなかったりで辞めてしまいました。

    前述しましたように私にとって陸上,引いては部活・体育会組織
    に属している状態というのは10歳頃から親の承認を得る手段
    でした。それが大学で初めて崩れ,うつ病を患い,回復して
    いく過程で(最初は大学の部活に限定していましたが)
    「俺はなんで,あんなに苦しいことをやっていたのか?
    なんで続かなかったのか?そもそも好きじゃなかった
    んじゃないか?」と思うようになったのです。そういう
    気持ちが「したくもなかった」という文に現われたのだと
    思います。始めた時点では,「したくない」とは思いません
    でしたね。

    >そうまでさせるものの強さというか、アーネストさんに思わせたもの
    >の大きさというものを感じたんですが、………きっと、それは、
    >アーネストさんにとっても、もしかしたら普段は、もう思わないよう
    >にしているのかもしれないけど、大きなものがあるんじゃない
    >かな〜と、思っていたのでした。
    >そこのところに、ほんとは得たかったが得られなかったものが
    >あるんじゃないかな〜と、思っていたのでした。

    「したくもなかった」というのは,やはり後付けで,ここ2,3年
    で「ああ,したくなかったのかな」と思いました。実は大学で止めた
    競技を,社会人のリーグで去年の10月まで続けていました。丁度、
    ACを自覚した頃です。実は去年の今ごろというのは,ようやく大学
    を卒業して聴講生のような制度で免許を取りながら,就職試験対策
    の予備校に通っていて,自分にとっては,(鬱を患いながら,ようやく
    手にした卒業だったので)自立に向けた新しいライフステージに
    突入した時期でした。

    そんな大事な時期に,大学で好きな人ができたのですが,
    その時も自分は「スポーツマン」というステータスに頼ろうとして,
    チームの復帰を考えていました。結局,ACを自覚したことで自分
    にとってのスポーツは承認欲求や所属欲求を満たす手段でしかない
    ことをほぼ確信しました。

    長くなってしまいましたが,私にとって,就職の時期に差し掛
    かっても尚,承認を求めるためにスポーツを使うという癖が
    抜けきれていなかったと思うと,今でも恐ろしくなります。
    自分は,何をそこまで飢えているんだろう,乾いているんだろう?と。

    SILVER7さんが仰ってくださった,「そこまでして得たい何か」という
    のがやはり大きいのでしょうね。

    大学の部活を退部してすぐに,小説のようなもの(恥)を
    書いたのですが,自然と10歳の頃に万引きして両親に叱られた
    出来事が出てきてしまいましたね。それほど,自分はその叱責
    がショックだったのだと思います。そのショックをずっと
    部活というもので蓋をしていたんじゃないのかな〜と自分では分析しています。

    本当に最後まで読んで頂いてありがとうございました。
    性の問題とは直接に繋がらなかったのですが,自分のパワーゲーム
    遍歴を整理することができました。10歳の頃に戻ってグリーフワークも
    してみたいと思います。本当にありがとうございましたm(_ _)m

    丁度、これから棚卸しをぼちぼちやっていこうと思うので
    そこで初めて湧き上がってくる感情もあると思います。
引用返信 削除キー/



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