1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
(現在 過去ログ20 を表示中)

HOME HELP 新規作成 新着記事 トピック表示 検索 過去ログ

[ 最新記事及び返信フォームをトピックトップへ ]

■3364 / inTopicNo.1)  苦しいです。(気分悪くなるかも、です)
  
□投稿者/ いつか -(2005/05/04(Wed) 00:27:09)
    みなさん、こんばんは。
    私はACを自覚してまだ一年です。
    このサイトを知り、カウンセリングや自助グループ、クリニックなどに通っています。
    どうしても苦しいことがあって、相談したいのです。
    自助グループですが、他の人のお話を聞くこと、自分が話す事、とても回復のために良いと思うし、どんなことがあっても休みたくないです。

    そのときは感動し、泣いたりします。でも家に帰るといつもよりおかしいのです。
    私は過食してしまうのですが、ひどくなります。
    さらにひきこもり、起きられなくなったりします。
    何日かすると、少しは落ち着くのですが。

    どういうことなのでしょう?
    できればアドバイス、お願いします。
引用返信 削除キー/
■3365 / inTopicNo.2)  Re[1]:いつかさんへ
□投稿者/ だりあ -(2005/05/04(Wed) 02:14:17)

    > そのときは感動し、泣いたりします。でも家に帰るといつもよりおかしいのです。
    > 私は過食してしまうのですが、ひどくなります。
    > さらにひきこもり、起きられなくなったりします。
    > 何日かすると、少しは落ち着くのですが。

    私の経験からいうと私達は共依存という問題と、他人との境界がわからなかったりします。
    なので、他の人の経験を聞いたり、見たりするとまるで自分が経験したかの様に感じてしまうのだと思っています。
    なので、話しに影響を受けて体調や、自分のペースが乱されてしますのではないだしょうか?

    私もAC関連の本を読む事はやめました。気分が悪くなり、引きづられてしまうからです。
    だから今はまだ自分には早すぎるんだって思い、自分のペースとはどれくらいなのか...を実践して、観察している様な感じです。

    いつかさんは自助グループなどで自分に対しての手ごたえはありますか?
    自分自身を愛していますか?
    それが出来るなら、私よりも回復に向かっているって事だと思います。

    でも、無理はせずに...。まずは私と一緒に自分のペースについて考えてみませんか?
引用返信 削除キー/
■3371 / inTopicNo.3)  Re[1]: いつかさんへ
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2005/05/04(Wed) 23:56:13)
    No3364に返信(いつかさんの記事)
     いつかさん、久しぶりです。

     似たような状況、私も何度も何度も体験しました………。
     どうしてですかねぇ。なかなかすんなりとはいい状態になってくれないようですねぇ。

     なんか、だいぶん前というか、私がカウンセリングを勉強し始めたころに読んだ文章の中に、こころがシックになっている人は、プラスのストローク(働きかけ)を受けた経験が少なく、逆にマイナスのストロークを多く受けているというようなことが書いてありましたが、もしかしたら、その辺が影響しているのかもしれませんね。

     気持ちのいい経験になじみがなくて、なんか、そんないい経験をしちゃあいけないように思う意識が働くのかも………ですね。
     いや、きっと、そういうところだよ。 いいことしちゃいけないんだよ、私たちは………。 きっと、そういう刷り込みがしてあるんだよ。
     自分で書いても恐ろしいぐらい、今でも私にも当てはまりますよ。

     私の毒親は、マイナスのストロークのプロ(!)です!

     今日も、おかしな話ですけどね、我が庭のサクランボの実がたくさん成って、この2、3日の好天で、一気に赤くなってきたので採っていたんですけどね。 見に出てきたおふくろが「いっぺんに採らんでもいいんじゃないか」、「その辺で置いておきなさい」と言うんですね。
     置いといたら、明日の夜明けにはカラスにヒヨドリにツグミに食べられてしまうんですよね。 私は、朝遅いので見ていないんですが、去年は、近所の人が、朝あんまり騒がしいから何かと思ったら、ツグミがまぶりついていましたよと、言っておられたんですよね。

     本人としては、しっかり熟れてから採ったらいいというところのようでしたが、鳥は、そんなお人(?)好しではありませんからね。
     私としては、しっかり熟れたのだけ採ったので、もう一つの分が、明日、どれだけ残っているか心配しているぐらいなんですが………。
     (実は、小さいんですよ。中指の先を上から見て、もう一回りかぐらい大きくしたぐらい………)
     私は、「気前がいいですね」と答えて、今日採れる分は全部採りましたけど………。


     なんか、自分のことばっかし書きましたが………、なんか、そんなところがあるんではないでしょうか?

引用返信 削除キー/
■3375 / inTopicNo.4)  Re[1]: いつかさんへ
□投稿者/ キーコ -(2005/05/05(Thu) 11:05:46)
    2005/05/05(Thu) 20:32:17 編集(投稿者)
    2005/05/05(Thu) 11:19:48 編集(投稿者)

    No3364に返信(いつかさんの記事)

    いつかさん、こんにちは。
    わたしは、かなり長い間「一対一の個人的な治療」を 受けてきました。
    それなりの 成果もありましたし、なにか「この方法が、自分にとって 最も望ましい方法だ。」という自負を 持っていた時期がありました。
    それでも、ある時から、硬直してしまって、自分の中で「何かが進展してゆかない、このままではまずいんじゃないか?」・・・というような気持ちが 起きてきました。
    それに、「自分の内面を、ただひたすら 独りで見てゆく」のは、とても孤独で 厳しい作業です。
    同行者が 居るとはいえ、所詮は 医療援助者、同じ立場に立て得ない。どうしようもない さびしさや、孤立感に苛まれて、そちらの方が 苦しくなってゆきました。
    それで意を決して、「自助グループに参加しよう!」と思ったのです。

     2〜3回出たのですが、体調がかえって 悪くなり、続けられませんでした。
    その時は、力が育っていなかったのかもしれませんが、とにかく 初めての体験ばかりだったので、その場に居るだけでも、相当な力が 必要だったと思います。
    「また脱落して、仲間に付いてゆけない自分」が、ほんとうに情けなくて・・・、非常に つらい思いをしましたが、とにかく 無理をせずに、今までの治療を受け続けて、「ひと休み」のつもりで 間をおくことにしました。
    それから かなり経って、また 参加するようになったのですが、前とは、自分が かなり変わっていることに気づきました。
     わたしにとって、ある意味では 「自助グループ」へ参加するのは、とても怖いです。
    上手く説明できないのですが、同じ病気や 問題を抱えている人たちに 出会うのが、とてつもなく怖いのです。
    これも、また 変化して行くと思うのですが、今は、そんな風に 感じています。

    以前は、「ただ自分の思いを語るだけ、人の話を聴くだけ…」と思っていたのですが、相当なエネルギーが要るなぁ。・・・と、参加するたびに、いつも感じています。
    それに、これらのことは、わたしにとって、とても 重要な意味を持つことだとも、近頃 感じてきました。
    グループの中で、人の話を聴きながら、「自分の思い」を 言葉にして、『場』に向かって話す、手放してゆくという体験は、『「場」に合わせて、常に 自分をコントロールしてゆくことしか知らなかった」わたしにとって、まさに 未知の体験、とても新鮮なものでした。
    また、少し余裕が出てくると、他の人の話を聴くことによって、「色々な心の変化」、「揺れ」が、自分の中で 生じてゆくのを、『グループのもつ力』に、支えられて見つめてゆける・・・ということも、不思議な体験でした。
    それを味わって、初めて 「今まで、安心して人の(家族の)話を聴けなかった・自分」を知るようになりました。
    心穏やかに、涙を流す時もあれば、過去のつらい体験が よみがえって来て、切り裂かれるような痛みを 感じながら、傾聴し続ける時もあります。
     帰宅後、かなり長い間、体調が悪くなり、とても不思議に 感じていた事があるのですが、そのことが 基点になって、自分の抱えていた問題に 気づくようになったことが、何度かありました。
    こんな発見が、今までにも たくさんありましたし、これからも「知らなかった自分」に出会えるのではないかと、期待しています。
    ほんとうに、何が起こるか分からない・・・という意味において、自助グループでの体験は、わたしにとって、とても 意味のあるものになりつつあります。 
     
    毎日、喘ぐようにして過ごしているので、「少しでも、楽になりたい!」という気持ちが強いだけに、焦って つい無理をしてしまいます。
    だから、「自分にやさしく、無理をしないように…」と心に留めて、「気持ち」よりも、自分の体から出るメツセージ(反応)を 重視するように心掛けています。
    その時、その場で、自分で掴み取っていくしかないので、ほんとうに むずかしいですね。
    けれど、状態が悪くなっても、それが、自分の体験になってゆくのですから、予期しない事が起きても、どうやら怖れる必要はないようです。
    もしかしたら、これが、自分のために生きてゆく、それを選び取れる自由…なのかもしれません。

引用返信 削除キー/
■3376 / inTopicNo.5)  Re[1]: 苦しいです。(気分悪くなるかも、です)
□投稿者/ るあん -(2005/05/05(Thu) 11:45:57)
    いつかさん、こんにちは。

    私もACという概念に出会って、1年くらいになる者です。自助グループ等には参加したことがないのですが、思うところがありましたので、書かせて下さい。

    ACを自覚した人とは、「何々をしたい」という願望によってではなく、「何々をしなければならない」という義務の観念につき動かされて生きてきたことを自覚した人だと思います。私達は、そういう義務の姿勢で生きている限り、自分の人生を生きてきた気がせず、息苦しいのだということを学びました。人生において、自分の願望に沿った選択をしていないので、他人に人生を乗っ取られたみたいで、現実感がなく、生き辛いのです。

    そんなことを気付かせてくれたACという概念は、生き辛さの全てを解決してくれるマジックワードであるかのように思えるかもしれません。AC概念を新たに生きる指針とし、ACマニュアルの通りに進めば、自分は普通の人間になれると考えてしまうかもしれない。けれども、それは「ACはこうすべき」という新たな義務観念を自分に押し付けることに他ならないのではないでしょうか。

    自分の人生を取り返すための道具であったはずのAC概念に縛られてしまっては、元も子もないような気がします。もとより、多くの方々がおっしゃっているように、ACは病名ではないのです。だとすれば、ACという状態から完全に回復するということもないと、私は思います。ACからの回復というものがあるのだとすれば、それは、AC細胞を根絶するようなものではなく、ACであることと共に生きてゆく、そのやり方を少しずつ身に付けていくようなことではないでしょうか。だから、いつかさんがしておられる回復の努力、急がなくてもよいと思います。

    もしも、「ACはこうすべき」という義務感に縛られてしまっているなと思うのならば、回復の努力を少し休んでみるというのもありかもしれません。AC概念はあくまで、いつかさんが使うものであって、使われるものではないのだから。ちょっと、離れてみたら、また違ったAC概念の使い方が見えてくることもあるでしょう。

    私は、ひきこもり気味ですが、外出するようにしています。それでもやはり、どうしても出かけたくない時がある。そんな時、無理して出かけると、自分でも驚くほど心が晴れるときもあれば、逆にもっとひどく落ち込んでしまうこともあります。その確立が五分五分であるならば、出かけたくないときにあえて出かけるという選択をとる時、私は賭けをしているわけですね。賭けですから、選択をするときには、結果は分かりません。それでも、自分でした選択だという意識があれば、出かけて落ち込んでも後悔はしないでしょう。

    私にとって、「出かけなければならない」という義務感は、生活のリズムを整えたり、自分の殻に閉じこもりすぎないために、ある程度、大切です。しかし、もっと大切だと思うのは、出かけるという選択を自分でしているという意識。その意識を保つためには、別に出かけなくてもいいということを知っていなくてはなりません。例えば、毎日何処か決まった場所へ行くというルールを自分に強いて、其処から逸脱することを許さなかったら、出かけることは完全な義務であって、自由な選択ではなくなります。

    別に出かけなくてもいいけれど、あえて出かけるという選択をしているのだと自分に言い聞かせるために、私は、出かけたくないと思ったとき、50%くらいの確率でサボるようにしています。いつかさんの通っていらっしゃる自助グループと比較してよいものか、自信はないのですが、もしかしたら、いつかさんもたまにサボってみてこそ、グループ参加を自分で自由に選択したのだという意識を取り戻せるのじゃないかなぁと思います。

    余談ですが、最近私はフォーカシングについて読み始めました。精神の不調が身体的不調として現れる方には良いかもです。もうご存知かもしれませんね。

引用返信 削除キー/
■3380 / inTopicNo.6)  Re[2]: いつかさんへ 追伸です
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2005/05/05(Thu) 23:49:52)
    No3371に返信(SILVER7さんの記事)
     もうひとつ、あるかもしれませんね。
     どうしても、力が入らないというところがあるかもしれませんね。
     自分を肯定的に見て、それを形にしていくというところが、すこぶる苦手なんですよね。

     自助グループやカウンセリングも受けられて、きっと、何かたいせつなものを受け取られているんでしょうね。
     でも、だからって、それを、自分の実にし花を咲かせていくって、それはまた、たいへんなことなんですよね。

     そんなエネルギーは出てこないからってことか、あらためて自分の姿を再確認するってことなのかな〜?


     いづれにしろ、たいへん、自分に正直なように思いますね。
     なんか、そうやって、一つづつ確かめながらやっておられるんじゃないかな〜?

引用返信 削除キー/
■3385 / inTopicNo.7)  だりあさんへ
□投稿者/ いつか -(2005/05/06(Fri) 18:56:56)
    だりあさん、こんにちは。
    確かに、境界線がないです。
    母の苦しみを感じて、助けていた日々。
    それがあたりまえだと思ってました。
    人のことばかり優先して、今身体も少し壊しています。

    だりあさんに、自分を愛してますか?と問われてハッとしました。
    自分に無理をさせていました。
    焦ってしまって、回復の階段上りたくて。
    自分のペースを探しながら行きたいと思います。
    カウンセラーさんとやっと上手くお話できるようになったばかりなのに!
    頑張らないで少し休みながらにします。
    ありがとうございました。
引用返信 削除キー/
■3388 / inTopicNo.8)  SILVER7さんへ
□投稿者/ いつか -(2005/05/07(Sat) 04:47:50)
    No3380に返信(SILVER7さんの記事)
    > ■No3371に返信(SILVER7さんの記事)
    >  もうひとつ、あるかもしれませんね。
    >  どうしても、力が入らないというところがあるかもしれませんね。
    >  自分を肯定的に見て、それを形にしていくというところが、すこぶる苦手なんですよね。
    >
    >  自助グループやカウンセリングも受けられて、きっと、何かたいせつなものを受け取られているんでしょうね。
    >  でも、だからって、それを、自分の実にし花を咲かせていくって、それはまた、たいへんなことなんですよね。
    >
    >  そんなエネルギーは出てこないからってことか、あらためて自分の姿を再確認するってことなのかな〜?
    >
    >
    >  いづれにしろ、たいへん、自分に正直なように思いますね。
    >  なんか、そうやって、一つづつ確かめながらやっておられるんじゃないかな〜?
    >
引用返信 削除キー/
■3389 / inTopicNo.9)  Re[4]: SILVER7さんへ
□投稿者/ いつか -(2005/05/07(Sat) 05:28:54)
    おはようございます。
    まだ目が覚めてなくて、PC操作をまちがえてしまいました。
    訂正もできなくて、すみません!

    いつもあたたかい言葉をかけてくださって感謝しています。
    SILVER7さんも、経験されたのですね。
    そうなんです、こんないい思いしていいのか?
    何か、ああこういうことかと、自分は悪くなかったんだと気付くことや、先を行く方たちにとてもよくしてもらったりすると、どこからか罪悪感が生まれてきます。
    ああ、これも帰ってからおかしくなる原因ですね、確かにそうです。

    健康な人ならいいものは自然に受け取ることができますね。
    自助グループに行くと確かにそのままでいい、ってメッセージが常にでていますから。
    だから無理してでも行きたくなるんですね。

    自分の心の中の葛藤がすこし解ってきました。
    もう少しきちんと自分と向き合いながら続けていきたいとおもいます。
    ありがとうごさいました。

    SILVER7さんの畑でのおかあさんとのやりとりがおもしろかったです。
    不思議なことに、いつも映像がでてくるんですね、のどかな畑などの。
    いっぱいヒントを頂きました。
    私も何か急がないでいこうと思います。
    どこに立っているのかも解らない、そんな所です。

引用返信 削除キー/
■3395 / inTopicNo.10)  Re[1]: 苦しいです。(気分悪くなるかも、です)
□投稿者/ マフマルバフ改めモハメッド -(2005/05/07(Sat) 12:28:37)
    No3364に返信(いつかさんの記事)

    > 自助グループですが、他の人のお話を聞くこと、自分が話す事、とても回復のために良いと思うし、どんなことがあっても休みたくないです。
    >
    > そのときは感動し、泣いたりします。でも家に帰るといつもよりおかしいのです。
    > 私は過食してしまうのですが、ひどくなります。
    > さらにひきこもり、起きられなくなったりします。
    > 何日かすると、少しは落ち着くのですが。
    >
    こんにちは、いつかさん。
    私も自助グループに行っています。同じような体験をしています。
    感情を取り込んでしまうのだろうと私は思います。これはTVを見ていて気づいたのですが、出演者が緊張していると、私も緊張してしんどくなるのです。
    緊張すると言う事に私は、ひどく反応するようです。
    自分の気持ちの整理をすることは大事ですが、そのような状態の時はかなり不安定でもあるので、休み休み自分の調子をみながら参加することがいいのではないかと思います。

    言いっ放し、聴きっ放しは聞く時間が圧倒的におおいのです。
    トラウマなりがあると、聞きっぱなしもよくないことがあります。

     雑談のできる人たちが集まれば、ルールを守って雑談という形式でミーティングを勧めたりしていますよ。その方が話し易い雰囲気になります。
    同じ悩みを持ち、ルール(常識)を守れる人達が集まれば・・・・。
引用返信 削除キー/
■3404 / inTopicNo.11)  Re[2]: 苦しいです。(気分悪くなるかも、です)
□投稿者/ いつか -(2005/05/07(Sat) 22:44:38)
    No3376に返信(るあんさんの記事)
    > いつかさん、こんにちは。
    >
    > 私もACという概念に出会って、1年くらいになる者です。自助グループ等には参加したことがないのですが、思うところがありましたので、書かせて下さい。
    >
    > ACを自覚した人とは、「何々をしたい」という願望によってではなく、「何々をしなければならない」という義務の観念につき動かされて生きてきたことを自覚した人だと思います。私達は、そういう義務の姿勢で生きている限り、自分の人生を生きてきた気がせず、息苦しいのだということを学びました。人生において、自分の願望に沿った選択をしていないので、他人に人生を乗っ取られたみたいで、現実感がなく、生き辛いのです。
    >
    > そんなことを気付かせてくれたACという概念は、生き辛さの全てを解決してくれるマジックワードであるかのように思えるかもしれません。AC概念を新たに生きる指針とし、ACマニュアルの通りに進めば、自分は普通の人間になれると考えてしまうかもしれない。けれども、それは「ACはこうすべき」という新たな義務観念を自分に押し付けることに他ならないのではないでしょうか。
    >
    > 自分の人生を取り返すための道具であったはずのAC概念に縛られてしまっては、元も子もないような気がします。もとより、多くの方々がおっしゃっているように、ACは病名ではないのです。だとすれば、ACという状態から完全に回復するということもないと、私は思います。ACからの回復というものがあるのだとすれば、それは、AC細胞を根絶するようなものではなく、ACであることと共に生きてゆく、そのやり方を少しずつ身に付けていくようなことではないでしょうか。だから、いつかさんがしておられる回復の努力、急がなくてもよいと思います。
    >
    > もしも、「ACはこうすべき」という義務感に縛られてしまっているなと思うのならば、回復の努力を少し休んでみるというのもありかもしれません。AC概念はあくまで、いつかさんが使うものであって、使われるものではないのだから。ちょっと、離れてみたら、また違ったAC概念の使い方が見えてくることもあるでしょう。
    >
    > 私は、ひきこもり気味ですが、外出するようにしています。それでもやはり、どうしても出かけたくない時がある。そんな時、無理して出かけると、自分でも驚くほど心が晴れるときもあれば、逆にもっとひどく落ち込んでしまうこともあります。その確立が五分五分であるならば、出かけたくないときにあえて出かけるという選択をとる時、私は賭けをしているわけですね。賭けですから、選択をするときには、結果は分かりません。それでも、自分でした選択だという意識があれば、出かけて落ち込んでも後悔はしないでしょう。
    >
    > 私にとって、「出かけなければならない」という義務感は、生活のリズムを整えたり、自分の殻に閉じこもりすぎないために、ある程度、大切です。しかし、もっと大切だと思うのは、出かけるという選択を自分でしているという意識。その意識を保つためには、別に出かけなくてもいいということを知っていなくてはなりません。例えば、毎日何処か決まった場所へ行くというルールを自分に強いて、其処から逸脱することを許さなかったら、出かけることは完全な義務であって、自由な選択ではなくなります。
    >
    > 別に出かけなくてもいいけれど、あえて出かけるという選択をしているのだと自分に言い聞かせるために、私は、出かけたくないと思ったとき、50%くらいの確率でサボるようにしています。いつかさんの通っていらっしゃる自助グループと比較してよいものか、自信はないのですが、もしかしたら、いつかさんもたまにサボってみてこそ、グループ参加を自分で自由に選択したのだという意識を取り戻せるのじゃないかなぁと思います。
    >
    > 余談ですが、最近私はフォーカシングについて読み始めました。精神の不調が身体的不調として現れる方には良いかもです。もうご存知かもしれませんね。
    >
引用返信 削除キー/
■3405 / inTopicNo.12)  るあんさんへ
□投稿者/ いつか -(2005/05/07(Sat) 23:07:28)
    るあんさん、レスありがとうございます。
    何々をしなければならない、また、こうあるべきだ、これらの概念にやはりとらわれています。脅迫されるように、動いてしまう時と、また、何もしない完全主義だったりしています。
    このサイトの、グループの上手な利用法を読んで、さらに自分が無理をしていると思いました。自助グループに出るにしても、ある程度力をつけてからですね。
    少し意図的に休んでみます。

    私の発見したインナーチャイルドは何と赤ちゃんなんです。
    だから、自分が何処にいるのか、何をしているのかまして、どう感じているのか解らないでうろうろしてるのです。
    たっぷり睡眠がいるはずです。よく寝てますから。
    フォーカシング、やってみようと思ってたところなんです。自分の気持ちを知る良い方法だと思います。
    ありがとうございました。
    >
引用返信 削除キー/
■3407 / inTopicNo.13)  キーコさんへ
□投稿者/ いつか -(2005/05/08(Sun) 10:06:35)
    キーコさん、あたたかいレスありがとうございます。
    皆、あるときはそれぞれ孤独な戦いがあるのだなって今更ですが思いました。
    長い間カウンセリング受けられたのですね。
    私はまだ、始めたばかりだし、ありのままお話することも大変です。

    西尾さんの本に、ある程度過去の傷を出してから自助グループに参加しましょう、とありました。私は、自分の気持ちもまだ解らない。
    ただ、回復したくて、良いと言われることを何でもがむしゃらにつき進んでやってました。
    そんな自分をそれはそれで認めたい。
    だけどここでお話して、本当に焦ってもしかたないって反省です。
    キーコさんも無理をされるときもあるのですね。
    少しでも楽になりたい!私もこれに尽きます。

    自助グループから帰ってこのままますますおかしくなるのでは?
    そんな不安、怖れがありました。
    ですが、キーコさんのお話で少し解ってきました。
    これは、もう少し力をつけた私がつぎにグループに参加した時の楽しみとして待つことにします。
    前向きな考えの下に、休む事が出来そうです。
    ありがとうございました。
引用返信 削除キー/
■3408 / inTopicNo.14)  マフマルバブ改めモハメッドさんへ
□投稿者/ いつか -(2005/05/08(Sun) 10:26:53)
    モハメッドさん、こんにちは。
    感情を取り込んでしまうんですね、確かにそうです。
    帰り道、電車まちがえそうになったりします。
    今思うとかなりハードですね。

    思い出したことがあります。
    家族でTVを観てたんですが、どこかの国でテロがあって担架で大怪我した人を運んでいて泣いたり、パニックになっている様子が映っていて、私だけ倒れてしまいました。
    それをみて母と姉が大笑いしてました。
    二重に気分が悪くなりましたが。

    本当に休み休み、参加していきたいと思います。
    あと、もしかして治療者の自助グループのほうがあってるかもなどと思っています。
    どうもありがとうございました。
引用返信 削除キー/



トピック内ページ移動 / << 0 >>

このトピックに書きこむ

過去ログには書き込み不可

Pass

HOME HELP 新規作成 新着記事 トピック表示 検索 過去ログ

- Child Tree -