1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■3086
/ inTopicNo.1)
自分の作った鎧
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■
□投稿者/ 夕実
-(2005/03/31(Thu) 20:50:38)
2005/04/01(Fri) 00:07:37 編集(投稿者)
昔は、人に合わせてた。可笑しくない時も笑ってみたり。
同席したくない場所にも同席したし、同感していないことにも
同感のスタイルでいた。嫌なことを我慢してばかりいた。
自分というものがなかった。皆無。
10年前にACだと気付いてから、私は「自分」という本体に気付いた。
その時に知りました。
私が高校時代から親友と思っていた人は、私自身の育ちきれないインナーチャイルドの渇きを埋める為の、依存関係だったこと。
その子の父親は、パチンコ依存症で、家計を食い潰した挙句に
窃盗と傷害罪で逮捕され、後、出所後ホームレスになり野垂れ死にました。
親友も、私を自身の渇きを埋める為に私を必要としていたのだと思います。
否定されて生きてきたから、肯定してくれる人は神様のように思った。肯定してくれる人に溺れました。
気付いた時、その相互関係の哀しさに愕然としました。
依存的関係は、地獄だと思った。
回復への足係りを失ってしまう。傷を舐め合い、褒めあい、許し合い、互いの快楽だけを追求するだけの関係になってしまう。
私は気付いた時には、覚醒剤中毒のように依存関係にどっぷりつかってしまっていました。
それから、私は自立しようともがきました。
社会的には自立をはたしていたものの、自我の自立の確立を。
私はもともと「自分」という確たるものがなく、息も絶え絶えその日暮らしだったから。
まず、自分の境界を確保する術を身につけようと努力しました。
そして、10年後の今、私には頑丈な鎧が出来上がりました。
容易く叩き割ることは出来ない鎧。
中身が正でも否でも、強い人間には鎧はいらない。
私は、自分を「無表情」であるとか、「無口」であるとか「無感覚」であるように振舞って、自分を強く見えるように無為なコーティングの上塗りを続けて、自分の鎧を作り上げました。
でも今、私はその自分の作り上げた鎧の重さに、自分自身が押し潰されそうになっていることが分かりました。
自分の弱さを守る防具の鎧、他者からの攻撃から身を守る為の鎧。
それが重過ぎて、本末転倒し、自分の作った鎧で自分が潰れそうに感じています。
何故にそこまで鎧をぶ厚くしてしまったのか考えましたが、私は自分の自意識や理解の範疇以上に、人を怖れているから。
小心過ぎる、そして小心を隠す為に頑なな鎧を脱げない自分を、手放したい。手放したいのに出来ない、そのジレンマで苦しいです。
同じような感覚を持つ方はおられるのでしょうか。
それが知りたくてスレを立てました。
同じ感覚でなくても、ご意見を伺えたら嬉しいです。
引用返信
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■3089
/ inTopicNo.2)
Re[1]: 自分の作った鎧
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□投稿者/ 大門
-(2005/04/01(Fri) 00:55:00)
夕実さん こんばんは。
今、自分に一つ一つけじめをつけてます。
先日はありがとうございました。
夕実さんは傷つかないための鎧を身につけたんですねー。
自分は真逆で、攻撃タイプでした。斬鉄剣を振り回してます。
斬るときは斬る。
他人との間合いをはかってて、うざいなとか面倒だなとか思ったときは距離を置くとか離れるというより、もう同じ場には立たないとかそういう感じになってしまう。それでもしつこいなら、ああもう斬ってしまえ!ですね。
斬るっていうのは、人間関係っす。
> 中身が正でも否でも、強い人間には鎧はいらない。
> 私は、自分を「無表情」であるとか、「無口」であるとか「無感覚」であるように振舞って、自分を強く見えるように無駄なコーティングの上塗りを続けて、自分の鎧を作り上げました。
それはその時、それが必要だったんだと思う。
傷ついてないぞーみたいなのですかね。痛くねーよ。
泣いてないし、どうってことない。なんとも思っちゃいねーよ。
別に普通。慣れてるし。そんな感じかなぁ?
自分は防御が苦手なので直撃するんですが、「ちっとも」みたいな顔するかな。
> 何故にそこまで鎧をぶ厚くしてしまったのか考えましたが、私は自分の自意識や理解の範疇以上に、人を怖れているから。
自分の場合は、意地かなと思う。泣いたら負けみたいに思ってたから。
自分がもっとかわいそうで不幸になるような気がしたんだよな。
けど、そうだなぁ。
誰に勝ちたい?って思ったときに、自分に負ける気がしたかな。
泣いたらだめだ。泣いたって何にもならない。
感情に流されずに今自分がどうしたいか、することは何かを考えないと。
同じするなら、何とか楽しくなる方法はないかな。
これ以上不幸になったらダメだって、ずっと思ってたなぁ。
今でも思ってるけどね。
> 小心過ぎる、そして小心を隠す為に頑なな鎧を脱げない自分を、手放したい。手放したいのに出来ない、そのジレンマで苦しいです。
何となくだけど、夕実さんは、誰かの迷惑になることを恐れてるんじゃないかな。
それを脱いで誰かの迷惑になるくらいなら、脱がなくていいとか思ってないですか?
だから、甘えられないけど人にはたくさん気を遣ったり、でも気を遣われると逆に恐縮したりしてないですか?
借りたらすぐ返さないといけないとか、何かしてもらったらお礼をしても返しきれてないような、そんなのないですか?
自分は以前そうでした。違ってたらスンマセン。
自分には時間がなかったから。だから生き急いでたな。
後悔しないように、ただそれだけで生きてたとこある。
自分が生まれてきたこと自体を後悔しないためにって言う方が正確かな。
何が何でも幸せになるんだって、そこらへん意地だった。今でも時々。
普通だったらできなかったようなことを、今の自分だからできたっていう・・・
うーん。その結果を残すことが自分を肯定する方法だと思ってたんかも。
って、アニキ。自分って熱血君っすね。
うーむ。似たようなことはきっとみんなあると言いたかった。
引用返信
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■3090
/ inTopicNo.3)
Re[1]: 自分の作った鎧
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□投稿者/ こくーん
-(2005/04/01(Fri) 01:30:49)
2005/04/01(Fri) 01:32:40 編集(投稿者)
夕実さん、こんにちは。
『強くある』ために鎧を身にまとう…という気持ちはすごくわかる気がします。
私はそれ以前の夕実さんの、人と共依存になりやすい状態だと自覚しています。なので、人と距離を置いてしまっているのだと思います。
友人との関わりの中で、友人から『親への不満』や『将来への不安』を引き出そうとしている自分を見つけた時は、泣けそうになりました。自分の不満や不安を一方的に語っているよりも性質が悪いですよね。今でもたまにそういうことをします。
頭の中で『共依存』だって、レッドアラートがつく感じです。
いろいろ本を読んだり、考えたりしても、『理想的な人との関わり方』がわからないのです。他の人は自然にできているであろう、もしかしたら、その人たちだって意識してしまったら自然にできなくなってしまうであろうことを、自分は最初から意識せずにはいられない。それは「自然に身につける」機会を与えられなかったからだと思いますが。
だから、人と共感しあって、理解しあって、でも自分は確固たる自分を保っていられる…というのがよくわからないんです。
『共依存』になってしまうか、『拒絶』してしまうか、の二者選択。
でも、本当はどちらも欲してはいないです。
アダルトチルドレンの本の中で、機能的な家族というのは、役割が固定せず柔軟性がある…というようなことが書いてあった(今手元になくて曖昧です。ごめんなさい)のですが、人間関係も本当は、いつも上手くいっている、誰も傷つかず、円満…というのはなくて、ただうまくいかない時に柔軟に対応してよい状態に回復させる機能がある、というのがよい形なのかな…と思います。
でも、今の私には雲を掴むような話です。
> まず、自分の境界を確保する術を身につけようと努力しました。
> そして、10年後の今、私には頑丈な鎧が出来上がりました。
> 容易く叩き割ることは出来ない鎧。
共依存を自覚して、人との距離を置くようにしている私にとって、『鎧』が必要だった夕実さんのお気持ちがわかるような気がします。距離を置くといっても社会で生きている以上限度がありますから。
この10年間、夕実さんにとって、この鎧は確かに必要なものだったのではないかと思います。
> 小心過ぎる、そして小心を隠す為に頑なな鎧を脱げない自分を、手放したい。手放したいのに出来ない、そのジレンマで苦しいです。
手放したい、と思われることはきっと「回復」への足がかりだと思うのです。
でも、自分を守ってくれているものを手放す怖さというのはとても大きいと思います。時間をかけて堅固になっていった鎧をまた時間をかけて少しずつ薄く、柔らかくしていけたらいいのかもしれませんね。どうすれば…となると、私も途惑ってしまいますが。
これは、私自身の課題でもあると思いました。
身勝手な解釈などが含まれていると思います。ごめんなさい。
引用返信
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■3093
/ inTopicNo.4)
Re[2]: 自分の作った鎧
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□投稿者/ みにゃん
-(2005/04/01(Fri) 04:52:59)
わたしはヨロイが重すぎて たおれました。
ヨロイだと知らなかったけど。
引用返信
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■3094
/ inTopicNo.5)
Re[1]: 自分の作った鎧
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□投稿者/ KY
-(2005/04/01(Fri) 08:24:20)
夕実さん、おはようございます。
ものすごく大雑把に言うと、誰でも鎧をつけているのですよね。
つけてないのは、新生児〜2才頃まででしょうか。3才にもなれば、物心がついてきて
無意識のうちにでも、鎧を身に着けはじめますからね。。。
ただ、決定的に違うのは、鎧の重さ・分厚さに気づいているかいないかという
ことだと思えます。
私の場合、勉強・スポーツ・仕事・趣味などに没頭(両親・周囲に認められるため)
するように、目に見えた鎧を分厚くする方法をとらず、ひたすら存在を消す方法で
あったため、自分が鎧をつけていることに気づきにくかったです。
でも、目に見えてようが、目に見えてなかろうが、鎧をまとっていて、
その鎧の重さ・分厚さに気づいて、もがき苦しむことは、一緒ですよね。。。
今まで、一番身近である家族に認められなかった私達。
そんな私達が、他人に素を曝け出すなんてことは、容易ではありません。
曝け出したつもりでも、それが依存・共依存であったりして、極端です。
バランスよく、曝け出すことは、非常に困難に思えます。
上手く言えませんが、無理に鎧を脱ぐことはないと思います。
鎧自体、仮初めの自分だとしても、今まで生きてきた自分であることには
違いないのですからね。それをバッサリ脱ぎ捨てるというのは、
手足を切断されることと同じように思えます。
鎧と本当の自分・・・上手く、共存できれば理想のように思えますね。
引用返信
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■3095
/ inTopicNo.6)
Re[1]: 自分の作った鎧
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□投稿者/ キーコ
-(2005/04/01(Fri) 15:13:49)
2005/04/01(Fri) 21:25:03 編集(投稿者)
2005/04/01(Fri) 15:56:07 編集(投稿者)
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No3086
に返信(夕実さんの記事)
夕実さん、こんにちは。
同じ感覚かどうか、分からないのですが、わたしも長い間、『自己防御の鎧』に 苦しんで生きてきましたので、自分の気持ちを 書いてみようと思います。
わたしは、今も たくさんの鎧(自己防御の壁)を付けて、生きていると思います。
それに気付いて、既に 脱いでしまった…というよりも、生きるためには、どうしても 脱がざるを得なかった鎧、
また、現に今、気付いているけれど、自分の力では、どう努力しても「脱ぐことが出来ない鎧」が 確かにあります。
わたしは、摂食障害という病気を 抱えているのですが、人と知り合って、ある程度「親密な関係」になると、いつも「子どもの頃から身に付けてきた、自己防御のパターン」が、知らないうちに 自動的に始まります。
自分でも、「本来のわたし」が、まったく 分からなくなるくらいに、『完璧な別の人格』を演じはじめる・・ようです。
「本来の自分」を守るために、『操り人形』を作り出し、操作していたはずなのに、気がついた時には、人形に 人格をのっとられていたような、ちょうど宿主が、寄生生物に 食い殺されるような感じに、成りかかっていたのだと思います。
「相反する人格が、自分の中に 同時に存在して、『本来の自分』が 死にかかっている。」・・・そんなどうしようもない状態、心の葛藤を、抱えながら生きてゆくために、『拒食症』になって、どうにかその場をしのいで、やって来たのだと思います。
心身をコントロールする「拒食の状態」では、自己防御の 仮想現実の中に、自分を閉じ込めて、「別の人格」を演じてゆきます。
そして、「過食」になった時には、飢餓と、どうしようもない 心の苦しみを、「食べ物」に依存することで、解消しようとしてきたように思います。
云十年、この繰り返しでやってきたのですが、病気が進行するにつれて、体も弱り、人格が崩れてきて、人間ではないような所にまで、追い込まれました。
子どもと 接することが出来なくなり、自分が つぶれてしまう所まで追い込まれて、ようやく 少しずつ「身に付けていた鎧」が、取れ始めました。
自己防御の壁を 壊して居るときも、壊した後も、今まで自分を守っていたものが、まったく無くなってしまったので、以前とは まったく異なりましたが、相当厳しい苦しみが、長い間 襲いかかって来ました。
「苦しみ」には変わりないのですが、「鎧に依存しないで感じる・苦しみ」は、苦しむこと自体に 意味があります。
一瞬一瞬の苦しみが、自分を作り上げている・・・という 確かな手ごたえがあります。
それに、自分から進んで受け入れているものだけに、どんなにつらくても、人間に戻れた・・・という自覚は、なによりも 大きな喜びでした。
今も、「たくさんの 見えない鎖や鎧」が重たくて、あっぷあっぷしながら 生きているのですが、それでも、少しずつですが、以前よりは確実に、「自由」に成れているように思います。
最後まで、不自由な世界でもがいて、訳の分からない事をやっていくのだろう。…と思うのですが、「そんなものかもしれないなぁ〜」・・・と、少し 余裕のある時には、感じています。
引用返信
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■3096
/ inTopicNo.7)
Re[1]: 自分の作った鎧
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□投稿者/ だりあ
-(2005/04/01(Fri) 18:39:58)
> 昔は、人に合わせてた。可笑しくない時も笑ってみたり。
> 同席したくない場所にも同席したし、同感していないことにも
> 同感のスタイルでいた。嫌なことを我慢してばかりいた。
> 自分というものがなかった。皆無。
> 10年前にACだと気付いてから、私は「自分」という本体に気付いた。
私は17年前?(高校生)くらいからACという言葉は知りませんでしたが、親のコントロールを受けている自分に気付いて、そこから、自分とは、自分がしたい事は...とずっと考えて生きて来ましたので、自分でのル−ル、したくない事などの基礎はできていました。
ただ、親向けの鎧はその辺りから作り始め、3年程前に心の病気とともに崩壊しました。だから、今の私には親や友達などのささいな言葉が胸に突き刺さり、とても苦しいのです。でも鎧がない私でも一歩ずつ、病気やACに立ち向かっています。
親にはなかったけど、私は私の道を信じて生きて来ましたから...。
> 私が高校時代から親友と思っていた人は、私自身の育ちきれないインナーチャイルドの渇きを埋める為の、依存関係だったこと。
> 親友も、私を自身の渇きを埋める為に私を必要としていたのだと思います。
> 否定されて生きてきたから、肯定してくれる人は神様のように思った。肯定してくれる人に溺れました。
> 気付いた時、その相互関係の哀しさに愕然としました。
そこまで依存はした事ないと思うので、わかりませんが、成人になるまでは友達に依存してもいいのではないかと思いました。
1人で立てなければ、2人でも3人でも。(青春ですよ!!)
夕実さんは自分に厳しすぎるのでは〜?とも思いました。
時には甘えないとパンクしちゃいますよね。
> それから、私は自立しようともがきました。
> 社会的には自立をはたしていたものの、自我の自立の確立を。
> まず、自分の境界を確保する術を身につけようと努力しました。
> そして、10年後の今、私には頑丈な鎧が出来上がりました。
> 容易く叩き割ることは出来ない鎧。
きっと、夕実さんはとてもとても敏感なのですね。
頑張って作った鎧、壊さなくても、脱ぎ着出来るようになればよいですね。
壊しちゃったら、今までの自分を否定しちゃう感じしませんか?
鎧はあったほうがいいと思います。毒な人に傷つけられないように、その時は着てくださいね。でも、鎧を脱いで、安心できる所、人もみつけられるといいですね。
休む時は休む。戦う時は戦う。そのコントロールがうまくいきますように。
鎧もきっと無駄ではないと私は思います。
引用返信
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■3099
/ inTopicNo.8)
大門さんへ
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□投稿者/ 夕実
-(2005/04/01(Fri) 21:54:17)
2005/04/01(Fri) 23:04:06 編集(投稿者)
大門さん、こんばんは。こちらこそありがとうございます。
先日の大門さんのスレで、「あ、そうか!」と気付くことがありました。
> 今、自分に一つ一つけじめをつけてます。
私も一つ一つ私の問題をやっつけていこうと思います。
> 夕実さんは傷つかないための鎧を身につけたんですねー。
> 自分は真逆で、攻撃タイプでした。斬鉄剣を振り回してます。
> 斬るときは斬る。
私は、人間関係というものは「切ってはいけないもの」のような間違った思い込みがありました。
切ること=相手を傷つけること=罪悪、みたいな図式が。何でだろう・・・。
多分、自己主張することが許されない、自己主張なんかしたら叩きのめされる環境で生きてきたからかもしれません。
限りなく自分の存在を無にすることが昔の私にとっての生きるという意味でした。
ACについて、虐待についてさまざまな文献を読み情報をかき集めた10年前。
自己主張して良い、嫌なものを拒否する権利を自分の手に握っていると知ってから
怒りの潮流に呑み込まれ止められない時期がありました。その頃、私は人間関係をむやみに切って切って。
そうして自分の自尊心を取り戻そうとしたのかもしれません。
その時の私には、自分を生かすことしか頭にありませんでした。
人を自分と同じように生かせる方法については考えもしなかった。
ある時、ふと「誰もが同じ人間だから自分だけを守ろうとした自分も正しくなかったんだ」と
激しく自分を責めました。自分が切り放った人の心境を考え続けて胃に穴が開きました。
今でもそういう心の働きがないと言えば嘘になります。
人にNOを言うことにより罪悪感を感じることが共依存体質の人間の特質であると知ったのは、ずっと後のことです。
それを知らなかったから、私は武器を捨てることを選択しました。防具だけを強靭にすればいいと考えたんですね。
再び、自分を守る為に闘うことも時には必要だと知ってからは、戦闘状態になることがあります。
RPGのドラクエやファイナルファンタジーも過去にやっていましたけど
そんなゲームでも、私は武器と防具を最強にするまでバトルをこつこつしてポイントを貯めます。
敵が付け入る隙がないように身構えて、抗戦できる状態になるまで次の町に進みません。
最悪です。とにかく。ちなみに攻略本は買いません(何となく卑怯な気持ちになるから)
問題なのは、「抗戦」ではなく結果的にただの「攻撃」になる程、手痛くこてんぱんに相手を打ちのめしてしまうことです。
とにかく何につけ極端で、白か黒か、とかくグレーゾーンを許容することを知らないんですね。
> それはその時、それが必要だったんだと思う。
> 傷ついてないぞーみたいなのですかね。痛くねーよ。
> 泣いてないし、どうってことない。なんとも思っちゃいねーよ。
> 別に普通。慣れてるし。そんな感じかなぁ?
> 自分は防御が苦手なので直撃するんですが、「ちっとも」みたいな顔するかな。
うん、そうです。傷ついてないフリします。痛くないフリします。
最近は、ちょっと痛いよーと言えるようになってきたかな。
> 自分の場合は、意地かなと思う。泣いたら負けみたいに思ってたから。
> 自分がもっとかわいそうで不幸になるような気がしたんだよな。
> けど、そうだなぁ。
> 誰に勝ちたい?って思ったときに、自分に負ける気がしたかな。
> 泣いたらだめだ。泣いたって何にもならない。
> 感情に流されずに今自分がどうしたいか、することは何かを考えないと。
> 同じするなら、何とか楽しくなる方法はないかな。
> これ以上不幸になったらダメだって、ずっと思ってたなぁ。
> 今でも思ってるけどね。
そう、私も日々思います。悲劇のヒロインとして生きていくなら死んだ方がまだましだと。
自分に負けたくない。だから決して人の前では泣きません。でも独りになるとまだ泣くかな。
感情に流されず、というのが難しいです。降って沸いてくる感情に逆らうにはまだまだ訓練が必要かも。
> 何となくだけど、夕実さんは、誰かの迷惑になることを恐れてるんじゃないかな。
> それを脱いで誰かの迷惑になるくらいなら、脱がなくていいとか思ってないですか?
> だから、甘えられないけど人にはたくさん気を遣ったり、でも気を遣われると逆に恐縮したりしてないですか?
> 借りたらすぐ返さないといけないとか、何かしてもらったらお礼をしても返しきれてないような、そんなのないですか?
その通りです。多分にあります、そういう傾向が。
自分の存在が人にとって負担になっていると感じてしまうことが苦痛です。
それが、相手にとって負担でもなんでもなく善意で。
相手が善意を受け取ってくれることが本意で、相手が喜ぶことだからと受け取るスタンスを差し出そうと、そこまで考えます。
そうだと分かっていても出来ることならばフェアな関係を保ちたいと願います。
人の世話になることは、決してアンフェアではないと頭で分かっていても、感情的に処理することが難しいんです。
> 自分には時間がなかったから。だから生き急いでたな。
> 後悔しないように、ただそれだけで生きてたとこある。
> 自分が生まれてきたこと自体を後悔しないためにって言う方が正確かな。
> 何が何でも幸せになるんだって、そこらへん意地だった。今でも時々。
> 普通だったらできなかったようなことを、今の自分だからできたっていう・・・
> うーん。その結果を残すことが自分を肯定する方法だと思ってたんかも。
> って、アニキ。自分って熱血君っすね。
> うーむ。似たようなことはきっとみんなあると言いたかった。
「生まれてきたこと自体を後悔しないために、何が何でも幸せになるために」生きるというのはとても大切な訓示になりそうです。
そして「その結果を残すことが自分を肯定する方法」。
そっか・・・・・・・。そうですね。自分が生まれてきて生きた意味を、自分の生き方で残すこと。
そう考えて生きていけば、何かしら自ず進むべき道が間違いなく選択できそうな気がしてきました。
熱血、いいじゃないですか。私も熱血っす。(方向違いの熱血か思案中)
そうですね。ひとりひとりみんな手探りなんですね。
レスありがとうございました。
ちなみに、大門さんはその後体調はいかがですか。
私はとりあえず順調です。
皆さんのレス、じっくり考えてお返事したいです。
睡眠不足で頭の回転も限界にきたので、明日またゆっくりお返事を書くことにします。
大門さんへのレス内ですみません。
引用返信
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■3100
/ inTopicNo.9)
こくーんさんへ
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□投稿者/ 夕実
-(2005/04/02(Sat) 09:14:50)
こくーんさん、おはようございます。その後、体調はいかがですか。
> 『強くある』ために鎧を身にまとう…という気持ちはすごくわかる気がします。
> 私はそれ以前の夕実さんの、人と共依存になりやすい状態だと自覚しています。なので、人と距離を置いてしまっているのだと思います。
そうですね。共依存体質です。
長年の親の影響で誰かに奉仕するような自己犠牲的な生き方をしていないと自分への価値感を失いそうです。
ですから、共依存関係がとても怖いです。
共依存体質の人の気配は鋭くキャッチし、心の中で警報が鳴ってしまうともう関係の持続は無理になりますね。
相手が悪い人ではなくても、関係を絶つしか自分を守れない。結果強い罪悪感を感じることになってしまいます。
> 友人との関わりの中で、友人から『親への不満』や『将来への不安』を引き出そうとしている自分を見つけた時は、泣けそうになりました。
あー、これはとてもよく分かります。私もそうでした。人の中に不幸を見つけようとする心の働きがあります。
そして苦しみを知っている人には深く共感してしまいます。泣けますね、悲しいです。
> いろいろ本を読んだり、考えたりしても、『理想的な人との関わり方』がわからないのです。他の人は自然にできているであろう、もしかしたら、その人たちだって意識してしまったら自然にできなくなってしまうであろうことを、自分は最初から意識せずにはいられない。それは「自然に身につける」機会を与えられなかったからだと思いますが。
そう、これもとても分かります。
人間関係というのはもっと自然に心のままに、「気がついたら信頼関係ができていた」みたいなもののはずなのに
先に頭で色々と考えてしまう分、ぎこちなくなってしまう。
> だから、人と共感しあって、理解しあって、でも自分は確固たる自分を保っていられる…というのがよくわからないんです。
> 『共依存』になってしまうか、『拒絶』してしまうか、の二者選択。
> でも、本当はどちらも欲してはいないです。
私もそうで、どちらも欲していないのに、二者択一みたいになってしまっています。
人と共感し合って、理解し合っても、お互いに依り合うことが怖いから
共感を語る時も、出来るだけさっぱり流すように話してはいます。
共感を語ってもらった時も、心が揺れてもできるだけそれが相手に伝わらないようにさらっと返事するようにしているかな。
でも、不自然な話ですよね。何かやりきれない気がします。
> アダルトチルドレンの本の中で、機能的な家族というのは、役割が固定せず柔軟性がある…というようなことが書いてあった(今手元になくて曖昧です。ごめんなさい)のですが、人間関係も本当は、いつも上手くいっている、誰も傷つかず、円満…というのはなくて、ただうまくいかない時に柔軟に対応してよい状態に回復させる機能がある、というのがよい形なのかな…と思います。
> でも、今の私には雲を掴むような話です。
機能不全の家庭で、年月をかけて身に付けてしまったことだから、同じぐらいの年月をかけないと柔軟になることが難しいのかもしれません。
> 共依存を自覚して、人との距離を置くようにしている私にとって、『鎧』が必要だった夕実さんのお気持ちがわかるような気がします。距離を置くといっても社会で生きている以上限度がありますから。
> この10年間、夕実さんにとって、この鎧は確かに必要なものだったのではないかと思います。
私にとってはそう、必要だったと思います。
ただ、自分が作った鎧がぶ厚くなりすぎて、本当の自分と「他人から見た私」の差異がどんどん広がってしまいました。
強い、しっかりしている、クール、冷静、みたいな言葉に深く傷ついてしまいます。
それらの言葉は全部私の中で「冷たい人」に変換されてしまうのかもしれません。
> 手放したい、と思われることはきっと「回復」への足がかりだと思うのです。
> でも、自分を守ってくれているものを手放す怖さというのはとても大きいと思います。時間をかけて堅固になっていった鎧をまた時間をかけて少しずつ薄く、柔らかくしていけたらいいのかもしれませんね。どうすれば…となると、私も途惑ってしまいますが。
> これは、私自身の課題でもあると思いました。
そうですね。お手本になりそうな人が周囲にいれば、その人の言動を観察してみるとか。
今まで、自分が言えなかった、使えなかった言葉をひとつでも話せるようになるとか。
小さなことを積み重ねていくしかないのかもしれませんね。
自然に出来上がった信頼関係の中で、安心しきって思い切り笑ったりしてみたいですね。先は長そうです。
レスありがとうございました。
引用返信
削除キー/
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■3101
/ inTopicNo.10)
みにゃんさんへ
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□投稿者/ 夕実
-(2005/04/02(Sat) 09:24:11)
みにゃんさん、初めまして。おはようございます。
> わたしはヨロイが重すぎて たおれました。
> ヨロイだと知らなかったけど。
倒れてしまいましたか。 うーん、軽量で機能抜群な鎧を作るのは難しいですね。
でも、いつか出来ると信じたいですね。
レスありがとうございました。
引用返信
削除キー/
編集
削除
■3102
/ inTopicNo.11)
KYさんへ
▲
▼
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□投稿者/ 夕実
-(2005/04/02(Sat) 12:37:06)
KYさん、初めまして。レスありがとうございます。
> ものすごく大雑把に言うと、誰でも鎧をつけているのですよね。
> つけてないのは、新生児〜2才頃まででしょうか。3才にもなれば、物心がついてきて
> 無意識のうちにでも、鎧を身に着けはじめますからね。。。
> ただ、決定的に違うのは、鎧の重さ・分厚さに気づいているかいないかという
> ことだと思えます。
そうですね。私は自分の鎧の重さや分厚さで、本当の自分と他人から見た自分の
二つのギャップが大きくなり過ぎて、その違和感に耐えられなくなりそうな感じがしています。
> 私の場合、勉強・スポーツ・仕事・趣味などに没頭(両親・周囲に認められるため)
> するように、目に見えた鎧を分厚くする方法をとらず、ひたすら存在を消す方法で
> あったため、自分が鎧をつけていることに気づきにくかったです。
> でも、目に見えてようが、目に見えてなかろうが、鎧をまとっていて、
> その鎧の重さ・分厚さに気づいて、もがき苦しむことは、一緒ですよね。。。
KYさんと同じように、私も昔は自分の存在を消そうとしました。
でも、社会で報酬を得て食べて生きていく為には、どうしても無で居続けることは出来ませんよね・・・。
だから、その鎧をどうにか柔軟にするなり、もっと軽く出来たら、と思います。
なかなか難しいんですけどね。
軽くすることによって抵抗力を失いそうな不安をどう解決するかという問題もあるし。
> 今まで、一番身近である家族に認められなかった私達。
> そんな私達が、他人に素を曝け出すなんてことは、容易ではありません。
> 曝け出したつもりでも、それが依存・共依存であったりして、極端です。
> バランスよく、曝け出すことは、非常に困難に思えます。
本当にそうですね・・。丸裸で外を歩くことができないように曝け出すというのは難しいですよね。
> 上手く言えませんが、無理に鎧を脱ぐことはないと思います。
> 鎧自体、仮初めの自分だとしても、今まで生きてきた自分であることには
> 違いないのですからね。それをバッサリ脱ぎ捨てるというのは、
> 手足を切断されることと同じように思えます。
結局は、自分の傷の根幹から気長に癒して育てていかないのかもしれないと
今は毎日ACリソースの「自分を育てる」を繰り返し声に出すようにしています。
特に「毒になる親」は私も読みましたが、このスーザン・フォワードの
●私は、いつの日か自分の家が幸せな家庭になってくれたらという幻想を、いまここに捨てる。
私は、もし親がああではなかったら、もしこうだったなら、などという希望や幻想を、いまここに捨てる。
私は、子供の時に親を変えるために何かできたのではないかという幻想を、いまここに捨てる。
私は、愛情ある素晴らしい親を持つことは永久にないであろうということを、いまここにはっきりと自覚する。
私は、そのような親を持てなかったことを、深く悲しむ。
だが私は、この現実をそのまま受け入れる。
そして私は、すべての幻想には永遠に、そして心静かに、別れを告げる。●
この言葉が、自分の回復に向かう根幹にあたるのではないかと大切にしています。
> 鎧と本当の自分・・・上手く、共存できれば理想のように思えますね。
いつか出来ると信じていたいです。レスありがとうございました。
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■3103
/ inTopicNo.12)
キーコさんへ
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□投稿者/ 夕実
-(2005/04/02(Sat) 13:28:57)
キーコさん、こんにちは。レスありがとうございます。
> わたしは、今も たくさんの鎧(自己防御の壁)を付けて、生きていると思います。
> それに気付いて、既に 脱いでしまった…というよりも、生きるためには、どうしても 脱がざるを得なかった鎧、
> また、現に今、気付いているけれど、自分の力では、どう努力しても「脱ぐことが出来ない鎧」が 確かにあります。
そう、脱いだ鎧と脱げない鎧が私にもあります。
> わたしは、摂食障害という病気を 抱えているのですが、人と知り合って、ある程度「親密な関係」になると、いつも「子どもの頃から身に付けてきた、自己防御のパターン」が、知らないうちに 自動的に始まります。
> 自分でも、「本来のわたし」が、まったく 分からなくなるくらいに、『完璧な別の人格』を演じはじめる・・ようです。
> 「本来の自分」を守るために、『操り人形』を作り出し、操作していたはずなのに、気がついた時には、人形に 人格をのっとられていたような、ちょうど宿主が、寄生生物に 食い殺されるような感じに、成りかかっていたのだと思います。
> 「相反する人格が、自分の中に 同時に存在して、『本来の自分』が 死にかかっている。」・・・そんなどうしようもない状態、心の葛藤を、抱えながら生きてゆくために、『拒食症』になって、どうにかその場をしのいで、やって来たのだと思います。
胸に響きました。まるで自分の心の動きを的確に表現してもらったようです。
あぁ、そうだったのか・・・私もそうだったのだと思います。
自分で作り上げた偽の自分によって、本当の自分がどんどん殺されていく不安感で
自分がこんなに苦しかったのか、と謎が解けたような気持ちです。
キーコさんは、よくここまでご自分の内面について分析され、受け入れられましたね。
> 心身をコントロールする「拒食の状態」では、自己防御の 仮想現実の中に、自分を閉じ込めて、「別の人格」を演じてゆきます。
私も鬱状態が長く続くと拒食になります。酷い時には1週間近く何も口にしない日がありました。
最近は、もう拒食はなくなったんですけどね。
「仮想現実の中に自分を閉じ込めている時」が私も拒食の時だったのかもしれません。
> そして、「過食」になった時には、飢餓と、どうしようもない 心の苦しみを、「食べ物」に依存することで、解消しようとしてきたように思います。
> 云十年、この繰り返しでやってきたのですが、病気が進行するにつれて、体も弱り、人格が崩れてきて、人間ではないような所にまで、追い込まれました。
> 子どもと 接することが出来なくなり、自分が つぶれてしまう所まで追い込まれて、ようやく 少しずつ「身に付けていた鎧」が、取れ始めました。
> 自己防御の壁を 壊して居るときも、壊した後も、今まで自分を守っていたものが、まったく無くなってしまったので、以前とは まったく異なりましたが、相当厳しい苦しみが、長い間 襲いかかって来ました。
とてもよく分かります。分かるような気がします。苦しかったでしょうね。
私も2年ぐらい前に、もうこれ以上はないという苦しい時がありました。自分でも、もう駄目だと思った。
その時を越えてから今は少しずつ薄皮が剥がれるように、自分の内面をこうして言葉にしたり
自分の中に棲む悪を直視したり出来るようになってきた気がします。辛い作業ですよね。
今は、その残りの鎧をどうしたら軽く出来るのか。
本当の自分を表現していくには、どういう方法がいいのか、それが分からないです。
自分のありのままを丸投げにするわけにもいかず、人を無条件に信じることも出来ず
何から始めればいいのか、迷います。
> 「苦しみ」には変わりないのですが、「鎧に依存しないで感じる・苦しみ」は、苦しむこと自体に 意味があります。
そうですね。同じ苦しみでも建設的な苦しみなんですね。
> 一瞬一瞬の苦しみが、自分を作り上げている・・・という 確かな手ごたえがあります。
> それに、自分から進んで受け入れているものだけに、どんなにつらくても、人間に戻れた・・・という自覚は、なによりも 大きな喜びでした。
一瞬一瞬の苦しみが作りあげる自分・・・そうですね、今の自分の苦しみは無駄ではないと思えてきます。
> 今も、「たくさんの 見えない鎖や鎧」が重たくて、あっぷあっぷしながら 生きているのですが、それでも、少しずつですが、以前よりは確実に、「自由」に成れているように思います。
> 最後まで、不自由な世界でもがいて、訳の分からない事をやっていくのだろう。…と思うのですが、「そんなものかもしれないなぁ〜」・・・と、少し 余裕のある時には、感じています。
そんなものかもしれないですね。
自分の目にはそう映る人でも、誰も手放しで自由に生きているのではないのでしょうね。
不自由な世界は変わらないから、自分の力で自由を掴みとっていくしかないのかな。
力入れすぎずに、人の助けも借りながらやっていけるといいのですが。すぐリキみます(笑)
はぁ、のんびり生きることがこんなにも難しいなんて。
辛い記憶を掘り起こさせてしまったのではないかと、それが少し気懸かりですが。
レスありがとうございました。
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■3104
/ inTopicNo.13)
だりあさんへ
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□投稿者/ 夕実
-(2005/04/02(Sat) 14:13:21)
だりあさん、こんにちは。初めまして。
>私は17年前?(高校生)くらいからACという言葉は知りませんでしたが、親のコントロールを受けている自分に気付いて、そこから、自分とは、自分がしたい事は...とずっと考えて生きて来ましたので、自分でのル−ル、したくない事などの基礎はできていました。
そうですか。すごいですね、だりあさん。
ちゃんとご自分のルールについて考えることが出来たんですか。
私が高校生の頃というのは、もっと前ですが何にも考えていませんでした。
ただ、生きてるだけでした。
生きてることが苦痛でどうしようもなかったから、これから生き続けていくための
方法については何ひとつ考えたことがありませんでした。
>
> ただ、親向けの鎧はその辺りから作り始め、3年程前に心の病気とともに崩壊しました。だから、今の私には親や友達などのささいな言葉が胸に突き刺さり、とても苦しいのです。でも鎧がない私でも一歩ずつ、病気やACに立ち向かっています。
> 親にはなかったけど、私は私の道を信じて生きて来ましたから...。
そうですか。自分の気持ちや進もうとしている道を信じられるだりあさんが羨ましいです。
心の病気が良くなるといいですね。
人の悪意無い言葉でも、突き刺さってしまうのって苦しいですね。
でもご自分を信じることが出来るだりあさんだったら、きっとACも強く克服していけると思います。
>
> そこまで依存はした事ないと思うので、わかりませんが、成人になるまでは友達に依存してもいいのではないかと思いました。
> 1人で立てなければ、2人でも3人でも。(青春ですよ!!)
成人までだったらよかったのですが、その後何年もその関係依存が続いてしまいました。頼りなかったな、と思います。
> 夕実さんは自分に厳しすぎるのでは〜?とも思いました。
> 時には甘えないとパンクしちゃいますよね。
はい、そうなんです。人にも厳しいから最悪です。
甘えるのが一番下手で難しいんでしょうね。どんなことをどんな風にだったら人に甘えていいのか分かりません。
> 頑張って作った鎧、壊さなくても、脱ぎ着出来るようになればよいですね。
> 壊しちゃったら、今までの自分を否定しちゃう感じしませんか?
> 鎧はあったほうがいいと思います。毒な人に傷つけられないように、その時は着てくださいね。でも、鎧を脱いで、安心できる所、人もみつけられるといいですね。
> 休む時は休む。戦う時は戦う。そのコントロールがうまくいきますように。
> 鎧もきっと無駄ではないと私は思います。
うん、そうですね。脱ぎ着出来るようになりたいです。
ぼちぼちやっていこうと思います。アフォメーションの勉強もしようと思います。
レスありがとうございました。
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■3105
/ inTopicNo.14)
夕実さんへ
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□投稿者/ だりあ
-(2005/04/02(Sat) 17:03:23)
共依存のとこみてきました。
そして、一つ発見がありました。
母がかなりの点であてはまり、私を巻き込んでいたのだ。
と言う事です。
だから、本当の私は今も、かなり強い人間だと思ってはいますが、
もっともっと、母の心の穴を埋めてあげたかったと小学生で思うほど
強かったのだと。
そう思うと共依存ってすごく怖い事なのですね。
私の心まで壊してしまった。
私は家族(母)を捨てても構わないくらいに思っていた
時期もあるくらい、自分との境界線を守ろうとした
冷たい人間でしたね〜。自分がおかしくなっていくのも
わかりましたからね。
でも、今は母もカウンセリングに行ってもらっています。
どうもトラウマがあるようで、引き続き行くらしいです。
これで、母と私が良くなると良いのですが...。
夕実さんもとりあえず、なりたい人間?の目標を羅列して
ゆ〜〜っくりと人生終わるまでには達成しよう!くらいの意識で
いいと思います。
もっと、じぶんにやさしくね。私もやさしくなれる人を目指します。
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■3106
/ inTopicNo.15)
Re[4]: 夕実さんへ
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□投稿者/ 夕実
-(2005/04/02(Sat) 18:04:06)
2005/04/02(Sat) 18:31:39 編集(投稿者)
> そう思うと共依存ってすごく怖い事なのですね。
> 私の心まで壊してしまった。
> 私は家族(母)を捨てても構わないくらいに思っていた
> 時期もあるくらい、自分との境界線を守ろうとした
> 冷たい人間でしたね〜。自分がおかしくなっていくのも
> わかりましたからね。
親といってもお互い別々の人間だから、自分が安全を感じられる距離を確保することは
冷たいとは思いませんね。逆にその方がお互いにとってプラスになると思うのですが。
私も、一番に共依存関係を怖れる理由は母親との関係にあります。
母親は、子供と一心同体だという認識で子供の人生と自分の人生を別物だと考えない人で
私は母親の苦しみを引き受ける役割を担ってしまいました。
自分が母親を助けなければならないと思って、自己を犠牲にして私も献身的に尽くしました。
母親との関係が、歪んだ共依存関係と気付いた時のショックは今でも忘れられないですね。
その流れから、親友との関係も同様だと気付きました。
私の人間関係の構築は、母親との関係が強く影響していることを知りました。
> でも、今は母もカウンセリングに行ってもらっています。
> どうもトラウマがあるようで、引き続き行くらしいです。
そうですか、それは一歩前進ですね。私の方も母に懸命に説得を続け、昨年から
カウンセリングと心療内科への通院を始めました。
功を奏して、私にしがみ付いてくることは減り、母も母なりに自立しようとしているように見えます。
> これで、母と私が良くなると良いのですが...。
> 夕実さんもとりあえず、なりたい人間?の目標を羅列して
> ゆ〜〜っくりと人生終わるまでには達成しよう!くらいの意識で
> いいと思います。
> もっと、じぶんにやさしくね。私もやさしくなれる人を目指します。
そうですね。自分に優しくですね。すぐ忘れますが大事なことですね。
だりあさんが、良い方向に向かわれるよう私も応援しています。
本当にありがとう。
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■3107
/ inTopicNo.16)
Re[1]: 自分の作った鎧
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□投稿者/ たみえ
-(2005/04/02(Sat) 20:35:20)
私の周りには鎧を着てる人なんていませんよ?
そんなひと、いたら目立って大変です。
私はあなたに会ったことないけど、鎧を着てるとは思えませんけど。。。
そんな人は江戸時代ぐらいで消滅してるんじゃない?
鎧を着てると思い込んでるだけ
鎧が重いと思い込んでるだけ
鎧が脱げないと思い込んでるだけ
違いますか?
鎧なんてどこにある?鏡見てみてよ。
あなたが着てるのはかる〜い洋服でしょ?
ジャンプもできるしごろ寝もできるしなんでもできるじゃん!!
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■3108
/ inTopicNo.17)
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□投稿者/
-(2005/04/02(Sat) 20:47:13)
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■3109
/ inTopicNo.18)
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□投稿者/
-(2005/04/02(Sat) 21:07:24)
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■3111
/ inTopicNo.19)
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□投稿者/
-(2005/04/02(Sat) 21:12:31)
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■3115
/ inTopicNo.20)
Re[5]: 夕実さんへ
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□投稿者/ だりあ
-(2005/04/03(Sun) 06:29:33)
2005/04/03(Sun) 06:34:25 編集(投稿者)
> 母親は、子供と一心同体だという認識で子供の人生と自分の人生を別物だと考えない人で
> 私は母親の苦しみを引き受ける役割を担ってしまいました。
私もそうだと思います。母の嫌な事のはけ口になっていましたから。
そして、1年かかって、言い合いをしながら、やっと今に漕ぎ着けました。
自殺未遂やリスカを何回もした事、昔の話をしてもしょうがないじゃない、覚えていないしって言う母に「私はこれを乗り越えないと心の病も治らないんだ」って言い続けて。落ち込む母をみた父にも「蒸し返したって治るわけないだろう、何を言ったんだ!!」って怒られて...。大学病院の先生もわざわざ、母と2人でカウンセリングについて話しても「行っても同じだろ」って態度とられて。でも私は私が治るためには必要だって確信してたので、無視してカウンセリングに通いはじめました。親に負担をかけるのはとてもプライドが傷付く事でもありましたけど...。
> 母親との関係が、歪んだ共依存関係と気付いた時のショックは今でも忘れられないですね。
私はショック...受けたのかな?「私はあなたの分身ではない!」といった時、母は「そう思ってはいけないの?」って泣いていましたからね。
だから、私は子供の頃は人権がなかった訳だって納得しました。これはかなり傷付きましたが。母の様になってはいかんと。母は異常な心配性で、男尊女卑で、褒めてもくれなくて、難しい性格だなって子供も頃から思ってました。
>私の方も母に懸命に説得を続け、昨年からカウンセリングと心療内科への通院を始めました。
なんか、似てますね。夕実さんと私。私の方が、親がおかしい、まちがってるって思ってるだけで、生い立ち?はそっくりですよ。
でも、夕実さんは私よりもずっとずっと繊細で、辛かったのでしょう。
私は中学生辺りから、無視する事で、親との距離を取りましたから。ささやかなる反抗期とでも言いましょうか?ただ、母の言う事はやりましたが。
自分の意見は自分だけのものって思いました。
だから夕実さんは何も悪くはないんです。ただ、親の影響を受け過ぎただけで。
そんなに自分に厳しくしないでください。きっと自分にそう出来たなら他の人にも出来ますから。枷をはずしてください。きっとそんなのはないはずだから。自己啓発?健康な?人も自分なんて突き詰めては考えていませんよ?まわりに流されて、生きていますよ。だから自分とは?ってACの人は深く考えちゃうけども
私の結論(今時点)では、好きな事だけする。嫌な事は病気を盾にしてしない。です。(笑)病気もACも時には利用出来ますよ。今はただ、楽になれる事を探してください。もう一生分以上苦しんできたのですから。本当に、本当にこれから夕実さんが楽に生きて行けますように......。私も楽に生きて行けますように.....。
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