1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■2736 / inTopicNo.1)  気づくと
  
□投稿者/ 羽衣 -(2005/03/03(Thu) 15:58:04)
    母と同じことをしてしまいます。
    「愚痴の垂れ流し」です。
    朝から晩まで母の愚痴の垂れ流しを聞くのに疲れ果てても、自分が今度はほかの人に愚痴を言ってしまいたくなる。

    旅行に行こうと友人に誘われて、「ごめん行けない」「どうして?」ここでスイッチが入ってしまいます。どうして旅行できないのか、その理由を全部言ってしまいたい衝動です。外出には母の詰問が伴うのだと。お金とか時間とか予定とかではなく、理由は「母」なのだと。死んでやると脅されると身動きが取れないのだと。私は一挙手一投足、彼女の思うままに動かないと家の中が数週間荒れるのだと。

    彼女と同じにはなりたくない、それが辛うじて歯止めになっていますが、いずれそれも聞かなくなって母と一緒のことをしてしまうのではないかと思うと恐ろしいです。
    「それでもあなたを育ててくれたお母さんでしょ?」「それもあなたの為を考えてくれてるんでしょ?」そう言われたら、反論せずにはいられない。それも、愚痴を垂れ流す母と一緒です。思うとおりの反応しか許さない。


    でも、完全にコントロールして自分の中だけで消化してしまう術はまだ見つかりません。趣味はありますが、母のことで疲れてしまうと、もう何をやっていてもうつろな気分になってしまうのでコントロールどころではありません。

    結局、小出しには愚痴らせてもらいつつ、聞いてくれる人に助けれられる形で毎日を乗り切っています。でも、母と一緒のことを繰り返して誰かを追い詰めたり苦しめたりしてしまいそうで、とても怖いです。

    皆さん、(完全にとまではいかなくても)何かご自分で見つけた「気晴らし」の方法はありますか?もしあったら教えてください。趣味を広げるというか、そういうことが自分の生活を守る一つの方法のような気がするので。お願いします。


引用返信 削除キー/
■2739 / inTopicNo.2)  Re[1]: 気づくと
□投稿者/ こくーん -(2005/03/05(Sat) 04:13:23)
    羽衣さん、はじめまして。
    一日中お母さんの愚痴を聞いてみえるなんて、お疲れでしょうね。
    愚痴でも例えば仕事関係とか、共有して愚痴りあって、盛り上がれるようなものはある意味健全だと思うのです。
    でも、家族のことはそうはいきませんよね。
    私も誰かに聞いて欲しいのに言えなくて、オブラートに包むようにして小出しにはしていてもそれではもうどうしようもなくて、友人の手を掴んで泣いてしまったことがあります。
    今は家族と離れているので、ラクになりましたが、羽衣さんは常にお母さんの愚痴というストレスにさらされているのですから、本当にお辛いと思います。

    内に溜め込んでしまうのは逆効果…とは思うのですが、私もなかなかよい昇華の方法というと分からないのが本当です。
    いろいろしました。
    ノートに思いつくままいろんなことを書きなぐる、とか、
    新聞紙とかを手当たり次第に破る、とか
    あとは、その頃、よく歩いていたなあと思います。
    1〜2時間かけて隣の市の大型書店まで歩いて行き、歩いて返って来たりしていました。歩くのはお薦めかもしれません。発見もあるし、何と言うのでしょう、自分の足で確実に前へ進んでいく感覚って当たり前のことなのに、気持ちよかったりします。
    あと、手芸関係。単純作業で、完成にあまり時間がかからないもの。
    編み物ならマフラーくらい、あと、ビーズ細工などはお嫌いでなければ、完成までにそれほど時間がかからなくて、綺麗なものができるので気持ちよいです。


    > 結局、小出しには愚痴らせてもらいつつ、聞いてくれる人に助けれられる形で毎日を乗り切っています。でも、母と一緒のことを繰り返して誰かを追い詰めたり苦しめたりしてしまいそうで、とても怖いです。

    気を緩めたら、思っていることが全てあふれ出てきそうな感じってありますよね。
    愚痴を聞いてもらうことも必要だと思います。私も「あなたは悪くない」って言葉が欲しくてひたすら、何かを言っていたことがあったと思います。
    お母さんのことがあって、愚痴を言うことに罪悪感を感じていらっしゃるんですね。あの、難しいことを言っているのかもしれないですが、愚痴は絶対に言わない、と決め付けないで(愚痴って時にはある種の円滑油だと思います)、趣味とか気晴らしとかいろいろ併用して(ココへの書き込みも)、羽衣さんのお気持ちが少しでも軽くなられればよいなあ、と思います。

    私も時々溺れそうであぷあぷしてますので、あんまり参考にはならなかったかもしれませんが、羽衣さんの辛いお気持ちが少しでも解消されますように、祈っています。

引用返信 削除キー/
■2751 / inTopicNo.3)  Re[2]: 気づくと
□投稿者/ 羽衣 -(2005/03/05(Sat) 21:57:51)
    こくーんさん、レスありがとうございます。

    > 愚痴でも例えば仕事関係とか、共有して愚痴りあって、盛り上がれるようなものはある意味健全だと思うのです。

    そうですね。
    愚痴が発端で、そのうちのお互いの気持ちもわかったりストレスが解消できたり。。。そういうこともあるので、肝心なのは「どういう愚痴か」っていうことなのかもしれません。


    こくーんさんは現在、ご家族と離れていらっしゃるんですね。
    楽になられたというのを読んで、嬉しく思いました。よかったですね。
    本当の意味で「自分の生活」を持てるようになったということでしょうか。

    今の私の目標は家族とまず物理的に離れることです。
    私はまだ学生で、この春から大学院に進学するので、経済的に一人暮らしはまだ無理かなと思います。今の私にとって目標を全うするよりも家族とはなれることのほうが重要ではないかと、それならば進学を止めて就職しようかとも考えましたが、進路を決めた今となっては、勉強を頑張って資格が取れ際の研修地希望を実家から遠くへ出そうと考えています。経済的にも、精神的にも、自立を目指して春から頑張りたいです。


    歩くのは、自分の実感として前に進んでいる感じが得られるので、いいですね。
    こくーんさんの書き込みを読ませて頂いて、モノ作りもいいなと思いました。ちょっと話がずれますが、少し前に皿洗いのアルバイトをした時に、単純作業だからかそのうち無心になって、ピカピカになったお皿が増えるのも自信になって、無性に気持ちが良かったのを思い出しました。ビーズは材料もそろえやすいですし、アクセサリー好きなのでやってみようかなと思います。

    今日は一日家にいたのですが、24時間顔を付き合わせるというのはやはり苦しいものですね。明日は出かけて、ぐんぐん歩いてこようかと思います。


    自分自身に対しても、愚痴を一切禁じるというのは難しいですね。
    せめて「いい愚痴」の使い方と「悪い愚痴」の状態を知っておきたいと、こくーんさんの書き込みを読んで思いました。

引用返信 削除キー/



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