1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■2622 / inTopicNo.1)  大阪のおばちゃん的(?)逆転の発想
  
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2005/02/15(Tue) 13:30:48)
     2005年は、私にとって、久しぶりのことがよく起こる年みたいだ!

     この前の、幾10年ぶりかのフラッシュバックに続いて、今度は、久方ぶりの、力が萎えるというか、出てこないというか、自己肯定感がつぶれてしまうことが、起こってしまった。
     もう、10日ばかり前になるけど、市報といっしょに配られる行政への申告文書が、私の分が届いていなかったので、町内の配布当番の家に、配り残りがないか聞きに行った。
     そこの奥さんが出てきて、私と話すときの様子、目を丸くして、私と話さなければならないことに努めているように見えた様子、また、噛んで含めるように話そうとする様子を見て、「ああ、この人は、前から、私をとんでもないような人間と見ているようだったけど、そうなんだな」と、思いつつ、そこには当該の物は残っていず、町内の相談員のところへ向かった。
     ところが、この相談員さんは、穏やかな、好々爺然とした人なんだが、顔を合わせるなり、パッと大きくはない目を開けられ、作り笑いが広がった。そして、すぐに目を細めて、物のよくわかっていない人間に対するように、私の言葉に一言一言頷くようにして、用件を聞き、文書を取りに入り、手渡してくれるのだが、ここでも、努めて話している様子がうかがえたのだった。

     私が、ここの町内で、ちょっと特異な存在と見られているのは知っている。
     この町内は、30年余り前に作られた勤労者向けの建売団地で、私は、他の何世帯かと一緒に、最初からの入居者の一人だった。
     当時、私は治療中で、入院したり、その後通院したり、仕事に就いても長続きしなかったり、苦労の真っ最中だった。
     また、その後の10何年間、母親との確執も一番激しいときで、ひきこもりも、夏の暑いときも、カーテンも開けずに1日閉じこもっているという有様だった。

     一方、母親は、最近で言うキャリアウーマンの先頭を走っているような人間で、大きくはない市内で、かなりの人に名前も顔も知られた人間だった。 それは、県単位、全国単位でも、知る人ぞ知るという人間の一人でもあった。

     そういう親の下での、私は、役立たずで、親子喧嘩をし、どうも精神がおかしいらしいし、ほんとにおかしいと、思われている人間であった。

     私が回復の手ごたえを感じ始めてから20年余りが経っている。 そうして、その後生まれてはじめて何年も続けることができた仕事は、当地を離れての、他所の土地でであった。
     で、何年か前に帰郷してからがまた、仕事したのはちょっとで、あとはぷー太郎を決め込んでいる、生活も、親がかりのようだと、見られているだろうことは、私も、承知はしている。

     それにしても、会ってはならない人と話さなければならないような反応を、続けざまに受けたのは、ショックだった。 身近な人で、ある程度、私のことも知っている人だけに、ショックが大きかった。
     この前のフラッシュバックと同じく、私の存在が認められていないように、思わせられたのだった。
     親から受けたフラバから、日ならずであったことも相乗したのだろう。

     しかし、この自己存在否定感は、思いのほか響いた。
     腹の底が温かくならない、燃えない、風船の空気が抜けていくように、力が入らないのだった。
     これは、久しぶりだった。

     さて、それが、どうして、転回したか?

     あの二人の私を見たときの表情がこたえていたのだが、それを逆手に取ったのだった!  「このろくでなしが、まだ生きていたのか?!」と、もしかしたら思ったかもしれないではないかと!

     大阪のおばちゃんたちのたくましさが、昨今巷では再認識されているようだが、それに倣ったように、「どっこい、それでも生きているぞ」と、生きているエネルギーの方を見る気持が、出てきたのだった!

     今は、まだそれほどしっかりしているわけではないが、これを、しっかりと、することをし言うことも言うようにしていけば、だんだん見直さなきゃいけないだろう、と。

     大阪のおばちゃん的転回でしょ????!!!!

引用返信 削除キー/
■2625 / inTopicNo.2)  Re[1]: 大阪のおばちゃん的(?)逆転の発想
□投稿者/ 大門 -(2005/02/15(Tue) 18:54:28)
    2005/02/15(Tue) 19:32:25 編集(投稿者)


    SILVER7さん、こんばんは。

    気持ちの切り替えができてよかったですね。
    自分も他者の気に入らない態度や言葉は、胸で受け止めずに手で受けてソッコー投げます。イチローみたく、即バックホーム!アウトーッ!ってイメージです。

    もっとえげつなく
    「何びびってんねん。アホちゃうか(吐き捨てる)」くらいで中級オバハン度だと思います。是非がんばってください。

    今後の更なる大阪オバハン化計画期待しております。
引用返信 削除キー/
■2626 / inTopicNo.3)  Re[1]: 大阪のおばちゃん的(?)逆転の発想
□投稿者/ いろは -(2005/02/15(Tue) 20:12:18)
    2005/02/15(Tue) 20:15:53 編集(投稿者)
    2005/02/15(Tue) 20:15:34 編集(投稿者)

    SILVER7さん、こんばんは。。。
    私がそういう立場になったらと思ったら、へなちょこな私は、
    ノックアウトです。きっと頭の上には、お星様と天使が飛んでいて
    ピヨピヨピヨピヨとひよこの声が聞こえてきそうです。

    逆転の発想が定着すれば、もしかしてスーってするのかも
    しれませんね。
    大門さん方式もいいですね。。。
    負けないぞ!って気持ちって凛としててかっこいいかも。。。
    (ちょっと背筋を伸ばして威張ってみようかな)
引用返信 削除キー/
■2627 / inTopicNo.4)  Re[2]: 大阪のおばちゃん的(?)逆転の発想
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2005/02/15(Tue) 21:11:13)
    No2626に返信(いろはさんの記事)
     いろはさん、ありがとう!
     「ピヨピヨピヨ」のひよこには、大笑いしました。

     おかげさまで、もう一段、スッキリしましたよ。

     (今、思い出して、また、笑ってしまいました!)
引用返信 削除キー/
■2628 / inTopicNo.5)  Re[2]: 大阪のおばちゃん的(?)逆転の発想
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2005/02/15(Tue) 21:26:00)
    No2625に返信(大門さんの記事)
     大門さん、ありがとう!
     大門さん、大阪人だったんですね。

     「何びびってんねん。アホちゃうか!」で中級ですか、いろはさんじゃないけど、私なんか、それこそ、ひよこですね。

     ウ〜ン、胸ではなく手で受け止めるですか、いいですね。 
     手ごたえあります。 ちょっと練習します!

     「大阪オバハン化計画」、やりまっせ。

引用返信 削除キー/
■2643 / inTopicNo.6)  Re[1]: 大阪のおばちゃん的(?)逆転の発想
□投稿者/ あんじぇ -(2005/02/17(Thu) 14:49:54)
    こんにちは。

    「自分は自分なんだ」って言う手ごたえを掴む一つのエピソードだったんですね。
    その調子!です。
    逆手に取る事でその奥さんに対しても前進の機会を与えてくれた意味で感謝できるし一石二鳥ですよね。
    回復の手段や過程は何もひとつではない・・・・・・・そんな事例の一個をを間近に聞かせていただいた事で私も気持ちが上向いてきました。ありがとうございます。

    私信ですがオエビではレス有難うございました。
    自分の記事のところだけむやみにでっかくなったもので追加レス気が引けて書けませんでした・・・・・ごめんなさい。今は天気がイマイチなので&寒くて(笑)行き先決まらずなんです☆それでは。
引用返信 削除キー/
■2645 / inTopicNo.7)  Re[2]:あんじぇさん、ありがとうございます
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2005/02/17(Thu) 22:49:23)
    No2643に返信(あんじぇさんの記事)
     あんじぇさん、ありがとうございます。
     今、見たところなんですが、ほんとに、まだまだ寒いですね。 私は西日本在住ですが、今度の日曜日には、また、雪が降るだろうと、予報で言っています。
     寒いときは、じっと、エネルギー貯めなければね。

     あんじぇさん、そのとおりです、あの奥さんが、憎くなくなりました。 今度、顔を合わせても、「どうだろう、少しは、私にもいいところがあるように見えているかな」と、思えるんじゃないかな。
引用返信 削除キー/
■2646 / inTopicNo.8)  Re[1]: 大阪のおばちゃん的(?)逆転の発想
□投稿者/ キーコ -(2005/02/18(Fri) 12:16:25)
    2005/02/18(Fri) 20:55:56 編集(投稿者)

    No2622に返信(SILVER7さんの記事)

    SILVER7さん、こんにちは。
    内憂外患で、外見は暇だけれど、中では かなり忙しくて…。
    この所、外からの刺激がなくて、ホッと一息ついていたら、この日曜日くらいから、こころの中の「独りバトル」が始まって、結構忙しかったです。
    頭が、空回りしているような感じでしたが、ようやく落ち着いて、投稿を読める状態になってきたようです。

     世間に出る時には、必要に迫られて、色々な帽子を使い分けています。
    特に、息子に関する所へ出かけてゆくときは、迷惑をかけちゃイケナイ!・・・と気合を入れて、シッカリ「まともに見える帽子」を深くかぶってゆきます。
    でも、帽子を、無理にかぶらなくてもいい所では、かえってその反動で、「見る人がみれば、かなり違和感を持たれているようだ。」ということは、はっきり認識しています。
    まぁ、わたし自身、あまり攻撃的なタイプではないので、周囲の人たちが、腫れ物に触るように、慎重に関わろうと努力してくれているのが、よ〜く分かります。
    かなり ひどい状況から立ち直ってきたので、家人は まともに関わってくれるようになりました。


    自分が、外からどのように見えるのか、今でも、さっぱり分からないのですが、
    以前、とてもひどい状態の時には、何を言っても、主張しても、「人間として、まともに扱われていないなぁ・・・。」と、分かりながら、人と関わらざるを得ないような状態が続きました。
    そんな風に扱われると、なんだか頭がボ〜っとして、自分が 人ではなくなったような感じ、・・・現実の世界から切り離されたような、ふわふわ宙に浮いたような気持ちになっていました。
    「これが、差別というか、疎外されるというモノなんだろうなぁ〜。」・・・とぼんやりと自覚しながら、「今、こんなに つらい気持ちを味わっているのだから、自分がよくなったら、他の人にはこんな思いはさせたくない。」と、思うのが精一杯で、・・・いったいあの時期を、どうやって切り抜けたのか、今はよく思い出せません・・・。

     それでも、すごく不思議だったのは、当時、病人扱いして、まともに取り合ってくれない人も居るのだけれど、「いったい、あなたの、どこがおかしいのですか?」と首をかしげて、ふつうに楽しんで、話を語れる人もいました。
    その時は、どちらのわたしが、ほんとうのワタシなのか、混乱して分からなかったのです。
    感情表現は、とても豊かだけれど、しごくまともな事を言っていたのだと、今は思うようになりました。

    SILVER7さん、わたしは、もう確かに「おばちゃん」なのですが、『大阪のおばちゃん的(?)逆転の発想』のところまでは、まだ到達できそうにありません。
     それでも、未だに 生き抜いているのですから、思いのほか 弱いってことは、強いのかもしれませんね。

引用返信 削除キー/
■2659 / inTopicNo.9)  Re[2]: 大阪のおばちゃん的(?)逆転の発想
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2005/02/19(Sat) 23:33:13)
    No2646に返信(キーコさんの記事)
     キーコさん、ありがとうございます。

     3日前ぐらいから、おふくろが風邪で寝込んでしまい、おさんどんしています。
     久しぶりで、今日なんか、味噌汁のだしの素が、どこにあるかわかりませんでした。
     今日の晩御飯は、50点! 今日の昼までは、おふくろはお粥だったので、おかずも、やわらかいスクランブルエッグぐらいでしたから、おかずらしいおかずは、今夜がはじめて。

     この団地には、他にも、どうも白い目で見ている人が、他にもいるようなんですが、「大阪のおばちゃん的(?)逆転の発想」をしてから、その人たちの顔を思い浮かべても、「どや、まだ生きてるで。 わい、どない見える?」と、逆に聞いてみる自分の姿が連想されます。(実際に聞くわけではありませんが、そんな心構えが、感じられるようになりました。)

     そうすると、ずいぶん、世界が変わって見えますね。 重ーいかさぶたを被っているような感じがあったんですが、それが取れて、リアルに景色が見えるような感じですね。

     元々私は、否定的な面がいっぱいあっても、もう一方のどんなにちょっとでも肯定的な部分を大きくしていくことで、否定的な面が相対的に小さくなっていくということをかなり早いうちから、思っていました。 そういう理論・法則があることを知っていたからです。 もうひとつ、量的変化の増大が、質的変化をもたらすということも、この理論・法則と、密接に関連しています。
     これは、自然科学の法則で、例えば、水に熱を加えつづけると、ある時点で、水は、液体から気体に変わるんですよね。 逆に、固体にもなる。 今、思いつくのはこれだけですが、他にも、いっぱいあると、思います。

     この理論を自分にも応用して、少しずつ動くようにしていったりして、あるとき、外を歩いていて、人の目が気にならなくなっているのに気がついたりしたのでした。

     それでも、今回は、こっちの方が予期していなかったからでしょうか、まともにこたえたのでしたが、出口をいろいろ探っているときに、ふっと、あの奥さんだって、私のいいところを見ることがあったっていいじゃないかと、思ったんですね。

     そうすると、(赤恥をさらしているけど)「まあ、よくも生きているわね」と、感心されたっていいだろう(!!!)と、思ったんですね。

     これが、代打逆転満塁サヨナラホームランみたいに、「大阪のおばちゃん………」になった次第です!

     キーコさんの「それでも、未だに、生き抜いている」のも、大いに拍手喝采していいですよね。
     「思いのほか、弱いってのは、強いのかもしれませんね。」も、まったく同感ですね。
     生物の進化だって、そうみたいですもんね! 弱い方が生き抜いて、その後、発展しているようですよね!

     
引用返信 削除キー/
■2660 / inTopicNo.10)  Re[1]: 大阪のおばちゃん的(?)逆転の発想
□投稿者/ 優奏 -(2005/02/20(Sun) 00:50:58)
    こんばんは、先日は雑談掲示板でレスをありがとうございました(^▽^)/

    >  私が回復の手ごたえを感じ始めてから20年余りが経っている。 そうして、その後生まれてはじめて何年も続けることができた仕事は、当地を離れての、他所の土地でであった。
    >  で、何年か前に帰郷してからがまた、仕事したのはちょっとで、あとはぷー太郎を決め込んでいる、生活も、親がかりのようだと、見られているだろうことは、私も、承知はしている。
    プー太郎を決め込んでいるのは私も一緒です。決め込むって中々できないことですよね。
    生活も親と彼におんぶにだっこ、だけど私は私!私を必要としている代償ということで(笑)

    >  それにしても、会ってはならない人と話さなければならないような反応を、続けざまに受けたのは、ショックだった。 身近な人で、ある程度、私のことも知っている人だけに、ショックが大きかった。
    >  この前のフラッシュバックと同じく、私の存在が認められていないように、思わせられたのだった。
    >  親から受けたフラバから、日ならずであったことも相乗したのだろう。
    >  しかし、この自己存在否定感は、思いのほか響いた。
    >  腹の底が温かくならない、燃えない、風船の空気が抜けていくように、力が入らないのだった。
    >  これは、久しぶりだった。

    よくわかります。燃えない、空気が抜けていく感覚。私は喘息をもっているので尚更かもしれませんが
    力が入らないんですよね。外に出たいのに力が入らなくて、休む。
    実際、体が動きすぎたようで悲鳴をあげてます(笑)筋肉痛に耐えながらこうしてお話し合いが
    できること嬉しく思います。

    >
    >  さて、それが、どうして、転回したか?
    >
    >  あの二人の私を見たときの表情がこたえていたのだが、それを逆手に取ったのだった!  「このろくでなしが、まだ生きていたのか?!」と、もしかしたら思ったかもしれないではないかと!
    >
    >  大阪のおばちゃんたちのたくましさが、昨今巷では再認識されているようだが、それに倣ったように、「どっこい、それでも生きているぞ」と、生きているエネルギーの方を見る気持が、出てきたのだった!
    >
    >  今は、まだそれほどしっかりしているわけではないが、これを、しっかりと、することをし言うことも言うようにしていけば、だんだん見直さなきゃいけないだろう、と。
    >
    >  大阪のおばちゃん的転回でしょ????!!!!

    転回、面白かったです(*´∇`*)
    「どっこい、それでも生きてるわ!」私も、いつも追い込まれるとそういう気持ちでふんばってきました。
    SILVER7さんの気持ちよくわかります。
引用返信 削除キー/
■2665 / inTopicNo.11)  Re[2]: 大阪のおばちゃん的(?)逆転の発想
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2005/02/21(Mon) 22:31:02)
    No2660に返信(優奏さんの記事)
     優奏さん、ありがとうございます。

     「どっこい、生きているぞ」、「どっこい、生きているわ」で、行きましょう!

     今から50年ぐらい前、『どっこい生きている』という映画があったんですよ。 日本映画でね。 山田五十鈴という女優さんが主演でした。 残念ながら、私も見ていないのですが、今でも、見てみたい映画のひとつです。
引用返信 削除キー/



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