1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■2493 / inTopicNo.1)  この歳で(フラバ注意)
  
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2005/01/31(Mon) 00:18:10)
    2005/01/31(Mon) 02:27:06 編集(投稿者)
    2005/01/31(Mon) 01:01:28 編集(投稿者)
    2005/01/31(Mon) 00:50:58 編集(投稿者)

     おとついのことであった。 トイレに入っている私に、おふくろが外から、鉄板で叩きのめすような口調で、私がとんでもないことをしたと、怒鳴りつけたのだった。
     私はすーっと、身がすくんでしまうのを感じた………。 怖さが感じられて、震え上がるというか、自分が弱いものであるように感じられて、身を縮めてじーっとしてしまうという状態になったのが感じられた。

     これは、フラッシュバックだなと思った。 もう、20年ぐらい経験していなかったと思う。  私は、フラッシュバックという言葉も知らないときに、何度も経験していたのだが、そういう意味では、はっきりと、これがそうとわかる経験は、ある意味新鮮だった。
     しかし、そんなのんきなことは言っておられない。 これは、いったんそうなると、理屈を超えて囚われてしまうので、私は、怖い気持のままに、身をすくめていることにした。 自分のなかのその気持を、決して否定しないことにした。 逆に、あわててなんとかそこから逃れようとすると、とんでもないことになることは、経験上知っていたのだ。
     胸のうちに、すくんでいる心を抱えて、行動も、控えることにした。 2、3、することもあったのだが、すくんでいる心にはそれを押してやることは負担になるので、止めた。

     部屋で、じーっと、新聞読んだり、切り抜きができていないままたまっていたのを切り抜いたりして、時間を過ごした。 食事は、呼ばれると行って、黙って食べた。
     相手は、全然打撃を与えたなんて思っていないわけだし、フラバと食事は別のことなので、腹に入れるものは入れた。
     只、フラバを受けた少しあとで、ちょっとした用事を頼まれたが、それは「おことわりします」と言って、受け付けなかった。 理由は聞かれたけど、答えずに。
     傷つけられた相手の言うことを、しっぽを振ってやるほど、お人好しではない。

     丸々2日以上経って、ようやく、ここにこうして書こうというところまで、気持が楽になってきた。
     しかし、フラバを受けたことについては、非妥協的である。 まだ、心も固くガードしているところがある。

     前から、一線は画しているのだが、今度のことで、より一層、許さないというか、違いをより意識していこうと、思っている。


     私はいい歳をしているのだが、この歳でも、フラバを感じるのだということがわかった。
     鉄板で叩きのめすようなと書いたが、言葉でも、それぐらいの威力のある言い方がある。 イラクの人の虐待ではないが、人を震え上がらせることは、そんなに難しいことではないのではないだろうか?
     今度の私の場合でも、私は、存在を否定されたような感じを受けたのだった。 久しぶりに、私は無力感を感じて、どうせ、生きていてもろくなことにはならない、生きていてもしょうがないという意識が立ち上ってきたのだ。
     頭から受け付けないというか、問答無用というか、怒鳴りつけるというのは、言葉による往復ビンタみたいなものだ!
     それも、自分の方が正義であり、正当だという意識でやってくるから、コミュニケーションは不能になる。

     わたしが怒鳴られたのも、植木を今ごろ剪定したら、芽が出なくなると、いうものだった! そうかもしれないが、こっちにはこっちの言い分もあるし、仮に出なくても、来年は出るかも知れないし、万が一枯れたって、大騒ぎするほどのことないじゃないかと、私は思うが、相手は、そうではないのだ。

     私はかつて、ほんとうに耳のすぐ傍で、好きなように怒鳴られた経験を持っている。 そのときは、ほんとうに右の耳から左の耳へ、左の耳から右の耳へ通り抜けさせるしかなかった。 耳のすぐ傍で、やかましく言われている騒音に耐えながら、そうやってやり過ごして涼しい(ほんとはカッカ燃えている)顔をするのは、我ながら珍妙な気持だった!
     そのときは、「なんで仕事をせんのか? 仕事をせんのはおまえが怠けているからだろう?」ということが、確かテーマだったと思う。
     そんなことが、何十遍あったろうか? 何百遍だったかもしれない。


     とにかく、いい経験をした(まだ、完全に振り切れたわけではないが)。 私の、共依存への決別の気持ちは、より一層、強固なものになっている。


引用返信 削除キー/
■2501 / inTopicNo.2)  Re[1]: この歳で(フラバ注意)
□投稿者/ キーコ -(2005/01/31(Mon) 16:56:24)
    2005/01/31(Mon) 17:29:16 編集(投稿者)
    2005/01/31(Mon) 17:10:17 編集(投稿者)

    No2493に返信(SILVER7さんの記事)

    こんにちは、SILVER7さん。
    ほんとうに、大変!!だったですね・・・。
    フラッシュバックが起きると、今まで 自分の中で培ってきたことや、理屈が吹っ飛んで、ほんとうに無力な子どもだった頃の「あの状況」に引き戻されてしまいます。

    >  しかし、そんなのんきなことは言っておられない。 これは、いったんそうなると、理屈を超えて囚われてしまうので、私は、怖い気持のままに、身をすくめていることにした。 自分のなかのその気持を、決して否定しないことにした。 逆に、あわててなんとかそこから逃れようとすると、とんでもないことになることは、経験上知っていたのだ。

    無意識で、攻撃して来る相手を、変えようとは、まったく思わないのですが、落ち着いて考えられるときには、分かっているつもりなのに、どうして「その毒牙の、犠牲になるような状況」に 自ら飛び込んでいくのか 訳が分かりませんでした。
    なるほど、こういう風になっていたのですね。
    相手に ますます力を与えてゆくのは、ほんとうにつまらないことです。それにも増して、二次被害を、自らに与え続ける方が、よほど恐ろしい・・・と思いました。
    往復ビンタを 受けるようなキツイ体験も、目に見えないだけに、自己肯定感と 冷静に 状況を把握する力が育っていないと、「この暴力」をしっかりと認めて、相手に対する 正当な怒りをもつことは、とても難しいものだと、改めて気づきました。


    わたしの母は、以前と、まったく変わらないのですが、息子が 大きく成ってきたので、我が家にも「新しい関係」が出来つつあるように感じています。
    健全な関係を結べる人間が、『もう一人』存在することで、わたしと母の間に在った『縦の力関係』、母が わたしに対して持っていた力は、かなり弱くなりました。
    彼女がもっているのは、「お金」という力で、これはおそらく最後まではなさないでしょう・・・、この件に関しては、親族間で厳しい確執がありましたから・・・。

    わたし自身、かつて 息子をぼこぼこにしてきた 母親ですから、特に 彼と接するときには、『一線を画すること』を、かなり意識して実行しています。
    どうしても、息子は母親への配慮から、自分のことを抑え込んでしまう・傾きを持っているからです。
    わたし自身が体験していないだけに、「このこと」を実行するのは、とても難しいのですが、若いということは、ほんとうにすばらしいことで、こちらが過ちを犯せば、的確に息子が教えてくれます。 どれだけ、年上のこちらが感性を働かせて、それを察知するかが、とても大切なことだと思っています。

    >  前から、一線は画しているのだが、今度のことで、より一層、許さないというか、違いをより意識していこうと、思っている。
    >  とにかく、いい経験をした(まだ、完全に振り切れたわけではないが)。 私の、共依存への決別の気持ちは、より一層、強固なものになっている。

    SILVER7さん、子どもの声に真摯に耳を傾ける・力が育っていない「相手」に対しては、こちらが妥協しないで、自分を主張して、守っていくしか仕方がないのですね・・・。
    息子だけでなく、年はとって、かなり損傷は受けていますが、わたしだって、自分の人生を生きてゆきたい!です。
    大切な体験を語ってくださって、ありがとうございます。
    わたしも改めて、「自分を犠牲にするような生き方は、決してしない!」ことを、心の中で、静かに、しかし シッカリと宣言しています。

引用返信 削除キー/
■2503 / inTopicNo.3)  Re[1]: この歳で(フラバ注意)
□投稿者/ ハコ男 -(2005/01/31(Mon) 19:06:12)
    半年ほど前だった思いますが、50過ぎの母にフラバをさせてしまったかもしれません。

    当時、私は今まで麻痺していた親への怒りを感じ始めた頃で、猫なで声の母に対し怒りを感じ衝動的に怒鳴ってしまったことがありました。その時の母の怯え方とその後母が5歳の子供のように私の顔色を伺い甘えてくるので、これはフラバかもしれないと思いました。

    被害者でもあり加害者でもある母の被害者の部分を1番強く感じたのがその時でした。母への思いは複雑です。

    私も小学校前の記憶で平仮名の書けない私を横で怒鳴りつける母、電車の模型かなにかで遊んでたところイライラしてた母にいきなり怒鳴りつけられた記憶があります。その時何故私が怒鳴られたのか、私の何が悪かったのか、頭のなかでグルグル考え答えなど出ず、感情を麻痺させてしまった事を覚えています。そんなことが憶えている以外にも多々あったようなので、私は人から理不尽な要求をされても異常が分からず鵜呑みにしてしまうNoの言えない人間になってしまいました。

    フラバなのかは分かりませんが私は何か理不尽な要求をされそうになった時、どうやってNoと言うべきか一生懸命考え不安になってしまいます。
引用返信 削除キー/
■2505 / inTopicNo.4)  Re[1]: この歳で(フラバ注意)
□投稿者/ kiwi -(2005/01/31(Mon) 20:40:21)
    SILVER7さん、こんにちは。はじめまして。

    >  私はすーっと、身がすくんでしまうのを感じた………。 怖さが感じられて、震え上がるというか、自分が弱いものであるように感じられて、身を縮めてじーっとしてしまうという状態になったのが感じられた。
    >  これは、フラッシュバックだなと思った。 

    同じような感覚を職場で経験しました。
    それが言葉による暴力のフラバだと自覚はできなかったのですが、
    SILVER7さんの文章を読んで、そうだったんだと思いました。
    しばらく踏ん張って働いていたのですが、
    怖くて仕事が手につかなくなってしまったので、2月から休職します。

    >  しかし、そんなのんきなことは言っておられない。 これは、いったんそうなると、理屈を超えて囚われてしまうので、私は、怖い気持のままに、身をすくめていることにした。 自分のなかのその気持を、決して否定しないことにした。 逆に、あわててなんとかそこから逃れようとすると、とんでもないことになることは、経験上知っていたのだ。
    >  胸のうちに、すくんでいる心を抱えて、行動も、控えることにした。 2、3、することもあったのだが、すくんでいる心にはそれを押してやることは負担になるので、止めた。

    そうか…。フラバ起こしている状態で、何とかしようと焦って
    ジタバタするのは無謀なんでしょうか。
    今回の職場の件に限らず、フラバ起こして、怖くなって、
    何にも出来なくなってしまう自分に自己嫌悪なことがよくあるので…。

    >  部屋で、じーっと、新聞読んだり、切り抜きができていないままたまっていたのを切り抜いたりして、時間を過ごした。 食事は、呼ばれると行って、黙って食べた。
    >  相手は、全然打撃を与えたなんて思っていないわけだし、フラバと食事は別のことなので、腹に入れるものは入れた。
    >  只、フラバを受けた少しあとで、ちょっとした用事を頼まれたが、それは「おことわりします」と言って、受け付けなかった。 理由は聞かれたけど、答えずに。
    >  傷つけられた相手の言うことを、しっぽを振ってやるほど、お人好しではない。

    >  丸々2日以上経って、ようやく、ここにこうして書こうというところまで、気持が楽になってきた。
    >  しかし、フラバを受けたことについては、非妥協的である。 まだ、心も固くガードしているところがある。
    >
    >  前から、一線は画しているのだが、今度のことで、より一層、許さないというか、違いをより意識していこうと、思っている。

    勉強になりました。
    私は自分の殻に逃げ込むのは得意だけど、
    まだまだ、「お断りします」って上手にできないです。
    そうか…フラバって、辛いのは、その瞬間だけじゃないのも普通なんだ…。
    ほんの些細なこと、モノが落ちた音だけでも縮み上がってしまうんです。

    >  私はいい歳をしているのだが、この歳でも、フラバを感じるのだということがわかった。
    >  鉄板で叩きのめすようなと書いたが、言葉でも、それぐらいの威力のある言い方がある。 イラクの人の虐待ではないが、人を震え上がらせることは、そんなに難しいことではないのではないだろうか?
    >  今度の私の場合でも、私は、存在を否定されたような感じを受けたのだった。 久しぶりに、私は無力感を感じて、どうせ、生きていてもろくなことにはならない、生きていてもしょうがないという意識が立ち上ってきたのだ。
    >  頭から受け付けないというか、問答無用というか、怒鳴りつけるというのは、言葉による往復ビンタみたいなものだ!
    >  それも、自分の方が正義であり、正当だという意識でやってくるから、コミュニケーションは不能になる。

    そう。言い方って、大事ですよね。
    自信満々で、攻撃されると、自己主張出来なくなってしまい、会話にならない。
    「存在を否定されたような感じ」を受けると、私はダメですね。

    相手と会話して解決策を模索しようとする努力の前に、
    震え上がった自分の心を大事にすることのほうが先なのかもしれない。
    今回の休職という選択をして良かったんだと思いました。
    幸い、仲間や上司の理解も得られたので。
    勉強になりました。ありがとうございました。
引用返信 削除キー/
■2506 / inTopicNo.5)  Re[1]: この歳で(フラバ注意)
□投稿者/ いろは -(2005/01/31(Mon) 20:41:02)
    SILVER7さん、こんにちは。。。
    その後、大丈夫ですか?
    なんだか鉄板で叩きのめすような口調ってわかるような気がします。
    かつて私の母もそうでした。いったい何を言っているのか
    よくわからないので私も右から左へ聞き流し、おさまる時を
    ただひたすら待ちました。今は接触していないのでその恐怖からは
    逃れていますが。。。

    ひそかな抵抗。いいですね。私もちょっとしめしめみたいな
    気持ちで読んでいました。敵は訳がわからないからなおさら
    しめしめ。。。
    (ちょっぴりいじわるかな。でもいいですよね。それくらいの気持ちに
    なっても。。。)
    植木はちょんぎっても大丈夫だけれど、人間の心をちょんぎっちゃいけないと
    思う私でした。



引用返信 削除キー/
■2508 / inTopicNo.6)  Re[1]: この歳で(フラバ注意)
□投稿者/ ねね -(2005/01/31(Mon) 22:47:45)
    No2493に返信(SILVER7さんの記事)
    > 2005/01/31(Mon) 02:27:06 編集(投稿者)
    > 2005/01/31(Mon) 01:01:28 編集(投稿者)
    > 2005/01/31(Mon) 00:50:58 編集(投稿者)

    SILVER7さん、こんばんは。

    今現在のお気持ちはどうですか?少し落ち着いていらっしゃると良いのですが・・

    >  おとついのことであった。 トイレに入っている私に、おふくろが外から、鉄板で叩きのめすような口調で、私がとんでもないことをしたと、怒鳴りつけたのだった。
    >  私はすーっと、身がすくんでしまうのを感じた………。 怖さが感じられて、震え上がるというか、自分が弱いものであるように感じられて、身を縮めてじーっとしてしまうという状態になったのが感じられた。
    これってフラバだったんですね。
    私はSILVER7さんのようにはっきり自覚がありませんでした。が、職場や周囲の人が怒り出したり、自分の失敗を指摘されたりすると頭が真っ白になって、怖くて身がすくんでしまう事が度々ありました。
    具体的な出来事として憶えていはいませんが、ゆっくりや失敗を許されなかったおぼろげな記憶が浮かんできます。

    > 今度の私の場合でも、私は、存在を否定されたような感じを受けたのだった。 
    > わたしが怒鳴られたのも、植木を今ごろ剪定したら、芽が出なくなると、いうものだった! そうかもしれないが、こっちにはこっちの言い分もあるし、仮に出なくても、来年は出るかも知れないし、万が一枯れたって、大騒ぎするほどのことないじゃないかと、私は思うが、相手は、そうではないのだ。
    これってとても良くわかります。
    結局は相手は相手の都合でその事について言ってくるんですよね。
    人ってそんなもの。だから自分も自分の都合でその事について意見を言っても良いのですよね。
    ただ自分の意見をいう事は時・場所などの状況も的確に判断して言う事も必要。
    それも本来なら家族間という単位から出発して自然と学んでいく事なのでしょうけれど、その学びができなかった為に、どう自分を出して良いのかという状況判断もできないで葛藤している。
    又自分を出した時に認めてもらえなかった=だから自分を出せない。自分を出すのが怖くなってしまうのですものね。
    でも今回の出来事について自分で冷静にお気持ちの分析をしていらっしゃるSILVER7さんはすごいなと思いました。

    私もSILVER7さんのように冷静に分析して、次の一歩が踏み出せるようになりたいです。
引用返信 削除キー/
■2514 / inTopicNo.7)  Re[1]: この歳で(フラバ注意)
□投稿者/ はなぽん -(2005/02/01(Tue) 11:40:45)
    こんにちは、SILVER7さん。
    投稿を拝見して、私自身のことで、身のすくむような気持ちになりました。

    SILVER7さんのお母様は怒鳴るという形で怒りをあらわにされるのですね。
    私の母は、怒鳴るのではなく、いやみを言う形でコントロールするタイプでした。

    昔、よく言われたのが、「お手伝いは、相手がやってほしいようにやらないと、お手伝いにならない」という言葉でした。
    特に、台所周りのことは、母の支配下にないと気がすまないので、お手伝いをすると文句を言われ、けなされ、私はすっかりお手伝い嫌いになりました。
    そうすると、「お前は、お手伝いもできない!」「本当にもう!あんたは!!!」と、捨て台詞のように言われ、いとこと比較されたりもして、本当に嫌な気分を味わいました。
    母とよく似た言い方をする会社の上司にあたってしまったときは、毎日、失語症になりました。結局、退職しました・・・

    でも、今、主婦で母親になった私には、べったりと「母の価値観」がくっついているのです。
    息子を追い掛け回して一日が終わる中で、亭主がよく食器を洗ってくれます。
    でも、調理道具や食器がいつものところに返っていなくて、料理をしながら探し回ることに・・・本当に、本当にイライラするのです。「本当に、もう!」と独り言が出ます。息子と二人っきりのとき、物を扱う音がどんどん大きくなってしまいます。ガチャガチャいう音に、息子がびっくりしてこっちを見ているとき、多分私は、鬼のような顔をしているのではないでしょうか。イライラのピークでは、SILVER7さんのお母さんのように、叫びたい。。。何とか抑えていますが。。。

    「亭主が食器を洗ってくれた」ことのうれしさを、「食器が定位置に戻っていない」ことのイライラが上回ってしまうのです。亭主は主夫ではないのに・・・
    正直に書けば、亭主が食器を洗ってくれることにすっかり慣れてしまって、「完璧」を期待しているのです。母が私に期待していたように。

    冷静に考えれば、食器を洗うことより、定位置に戻すことのほうが数倍楽なはずなのに・・・
    ACが連鎖する、とはよく言ったものです。
    今の私は、何とか冷静に、計量スプーンは食器棚に入れないでほしいことを伝えただけです。
    でも、抑えているだけでは爆発しそうです。
    相手を傷つけず、必要なことを伝える「言い方」と、相手ができるようになるまで待つ「忍耐」を身に着けなければ、息子のしつけができないですよね。
    先は長いです・・・


引用返信 削除キー/
■2516 / inTopicNo.8)  Re[2]:この歳で(フラバ注意)
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2005/02/01(Tue) 13:59:10)
    2005/02/01(Tue) 15:35:59 編集(投稿者)

    No2501に返信(キーコさんの記事)
     レス、ありがとうございます。
     私は、ほんとうに、以前はフラッシュバックという言葉も知らなかったのですが、ほんとうに、コントロールが効かず、すーっと身をすくめてしまうのを感じて、これがそうだなと、思いました。
     こんなことじゃいけないと思って、なんとかしょうとすると、そうしょうという気持の裏側でと言うかすぐ傍で、縮み上がっている気持ちがあるので、いわゆる「張り裂けんばかり」の心理状況になるんですよね。 それで、ますます混乱することになるというのは、何回も経験していたように思いました。

     それで、自分にとっては少々不名誉な(!)というか、自分で承認するのは少々はがいいことではあるのですが、しかし、フラッシュバックのたいへんさは、骨身にこたえるぐらい知っていましたので、じーっと、それを、両手で囲うようにして、言わば、保護しました。

     周囲の、現実の生活がありますから、そういう気持を抱えて過ごしていくのは、難しいところがあるのですが、幸い、私は今、無職で、家族も、おふくろの他にはいませんから、私が壁を作ってしまえば、特に侵害されることは無かったのでした。

     幸い、どうやら、峠は越えたようです。 今日で、丸々4日が過ぎたことになりますが………。

     私の中に、以前より一層固い岩ができたかな?(笑) 
     ほんとうに、キーコさんの言われるように、自分を、自分で、守っていかなければならないと、思います。

     でも、ほんとうに、キーコさん、同居は辛いですね。 私は、歯を食いしばっていることも、多いんですよ。 歯が痛むんじゃないかと思って、緩めるようにしているんですが………。(笑)

     あと、ほんとうにそうです。 自分のしたいことをしていくようにすることが、根本的解決になりますね。
     他人のコントロールからはなれて、自分の人生を創っていく(!!)、すばらしいことですね。

     
     息子さんから教えられるというところ、心に、沁みます。………………
引用返信 削除キー/
■2518 / inTopicNo.9)  Re[1]: この歳で(フラバ注意)
□投稿者/ 柊 -(2005/02/01(Tue) 14:31:56)
    SILVER7さん、こんにちは。

    >  鉄板で叩きのめすようなと書いたが、言葉でも、それぐらいの威力のある言い
    >方がある。 イラクの人の虐待ではないが、人を震え上がらせることは、そんなに
    >難しいことではないのではないだろうか?
    私の母はヒステリーで、「かなきり声」をあげて怒鳴り散らすタイプでやはり「脅かして」コントロールしたがるタイプです。
    ほんと、”何で、こんなことで?”って思うようなことでも、ものすごく大げさに「何てことをしてくれたの!」といわないばかりの口調でまくしたててきます。
    母にとって、怒鳴って脅かすやり方が一番手っ取り早いのです。他の方法を知らなかったのもあるのでしょうが、知ってたとしても感情が先走るんだと思います。
    私は母になって、わかりました。

    >  今度の私の場合でも、私は、存在を否定されたような感じを受けたのだった。 >久しぶりに、私は無力感を感じて、どうせ、生きていてもろくなことにはならな
    >い、生きていてもしょうがないという意識が立ち上ってきたのだ。
    私も怒鳴られるたびに同じ思いを感じてきました・・・・中学生ぐらいの頃から、そんな思いが強くなった気がします。

    >  それも、自分の方が正義であり、正当だという意識でやってくるから、コミュ
    >ニケーションは不能になる。
    そうです!!私の親と同じです。

    その後、落ち着かれましたか?
    私が、同じ状況ならかなり落ち着きがなくなります。若い(あ、といっても
    30を過ぎてますが)からなのか、ACに気がついて1年以上しか経ってない
    からわかりませんが、、、。



引用返信 削除キー/
■2526 / inTopicNo.10)  Re[2]: この歳で(フラバ注意)
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2005/02/01(Tue) 22:29:37)
    2005/02/01(Tue) 22:32:12 編集(投稿者)

    No2503に返信(ハコ男さんの記事)
     ハコ男さん、レスありがとうございます。

     怒鳴りつけること、わたしは、おふくろに対しては、無いかもしれない。 激しく拒否することは再々だけど………。 共依存を自覚する前は、遠慮しながらだったんですが、以後は、一切遠慮無しです。  しかし、そう言えば、「そねえ怒鳴らんでもええわあね」とか「また、怒る」とか言っていますし、おびえたような顔も見た覚えがありますから、怒鳴っているかもしれない(!)。 

     おふくろは、甘えることはないかもしれないが、機嫌を取ろうとする行為はしょっちゅうです。 で、それをまた、自分の善行と、思っているんですね。 今回も、なにか機嫌を損ねたということがわかると、下手に出るんですね。 昼食がすんで間が無いのに、サツマイモを切ってトーストしたのを持ってきたりね。 「いらん。そんなに食べてばかりおられるか」と、いくら言っても懲りない。 手を変え品を変え、ちょっとの隙を見て、なにかしょうとする。

     怒鳴りつけるのも、甘えるのも、下手に出て機嫌を取ろうとするのも、みな、同じじゃないですかね。 自分中心に世界が回って欲しいんじゃないかなあ?

     ハコ男さんは、理不尽なことをされても、NOといえない人間になってしまったというのは、つらいですね。  それをされそうになると、どうやってNOと言うべきか考えて不安になるというのは、なにか、体が、反応しているような感じですね。

     私は、体の反応というのは、たいへん大事だと、思っています。
     今度の私のフラッシュバックも、ほんとうに、体感と言っていいものでした。 突然訪れたのですが、それは、普通に感じる感情の感じ方とは違うものでした。 コントロールが効かないもので、また、占領されるものでした。 その辺を感じたので、私は、「これはいつもとは違うぞ」と、その様子を眺め、手のひらで囲むように、保護する道を選んだのでした。

     おかげさまで、峠は越えたように思います。 今までとは、もうひとつ違う、おふくろとの接触が、始まっています。………………


     
引用返信 削除キー/
■2527 / inTopicNo.11)  Re[2]: この歳で(フラバ注意)
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2005/02/01(Tue) 22:56:56)
    No2506に返信(いろはさんの記事)
     いろはさん、レスありがとうございました。
     最後の、「植木はちょん切っても………」のところ、思わず、にっこりしました。 ありがとうございました。
     いや〜、心が軽くなりました。

     いろはさんは、今は接触がなくて、恐怖から逃れておられるんですね。 いいな〜。
     いや〜、日常茶飯に接触していると、ほんとにたいへんです。 しかし、おかげで、いろいろ勉強させられます。 今度も、あらためて、自分の置かれている状況をはっきりと見ることができたし、もうひとつ、自分がこの状況のなかで、どうしなきゃならないかを、考えさせられています。

     おかげさまで、峠は越えました。 転んでも、只じゃ起きないんだから、この辺は、経験を重ねてきたものの強みではないかと、思っているんですよ。
引用返信 削除キー/
■2533 / inTopicNo.12)  親として、子どもとして・・・。(フラバ注意)
□投稿者/ キーコ -(2005/02/02(Wed) 12:14:24)
    2005/02/02(Wed) 20:29:43 編集(投稿者)
    2005/02/02(Wed) 12:23:38 編集(投稿者)

    No2516に返信(SILVER7さんの記事)

    SILVER7さん、こんにちは。お返事ありがとうございます。
     SILVER7さんや、皆さんのお話を 読ませていただいて、わたしが、親 と 子どもの立場から、受け止めていることに気がつきました。
    とても悲しいことですが、息子が 10歳になる位まで、彼を傷つける行為をしてきました。
    その当時は、自分でも、はっきり「してはいけない行為だと」認識しているにもかかわらず、どうしても「意志の力」で止められない。 まるで、自分が、何かに取り付かれたようになっていたようでした。・・・そういう所と、世代連鎖を継承して、母と同じように、まったく気づかないで、無意識でしていた所があったと思います。
    形は違いますが、当時のわたしは、「自分の意のままに、『力』を使って、息子を コントロールしようとしていたこと」が、今は、はっきりと分かります。

    今も 当時を振り返りながら、なぜ あのような事をしていたのかと思い返しています。
    いろいろなことが、一度に重なって、母親のわたし自身が、非常に 追いつめられていたのだと思います。
    自分が 枯渇して生きられない状態で、育児をしなくてはならない・・・そんな状態でした。
    それならば、子どもをもつな・・・ということになるのですが、『子育て・育児』に関しては、何も知らなかったので、まさか「これほど、わたしにとって、大変で、厳しいもの」だとは、思ってもみませんでした。
     息子から、この点をよく批判されます。その通りだと思います。
    病気 や 世代連鎖に関しては、後から分かったことなので、「どうしようもなかった。」というのが、親としての正直な気持ちです。
    でも、息子と同じ、子どもの立場としては、「とてもじゃ〜ないけれど、受け入れられるものではない!」・・・とも思います。

    「親の立場に在る・自分」を、責めてばかりでは、どうしようもないわけですし、
    それと並行して、いつまでも、わたしが、実母にすがり付いて、支配されたままの「共依存関係」では、病気の回復も望めません。
    一番恐ろしいと思うのは、「世代連鎖」を気づかないままに、受け継いでいくことです。
    だから、まさに命がけで やってきましたし、また、「やっていく」だけの価値はあると思います。

     「自分の欲求を満たすために、支配してくる・相手」に対して、境界線をきちんと引いて、自分を守ることは、自分を大切にすること。
    少しずつですが、着実に「これ」は、実行できるようになりました。自分が主張すべきだと感じた時には、言えるようになりつつあるようです。
    しかし、わたしにとって、最も厄介な問題は、「拒食症の症状や、体の反能、フラッシュバック‥」が、今も、頻繁に起きること。・・・恐怖で固まって、どうしようもない状態に陥ってしまうことなのです。
    どうやらこれが原因で、以前と 同じような行動を取り、「二次被害」を何度も体験しているようです。
    何が引き金になって、「そういう事態」が、起きるか予想できませんし、ダメージを受けると、気持ちが落ち着くまでに、相当長い間かかるようです。
    だから、「自分が信じられない、怖い!・・」という気持ちを いだかざるを得ません。常に 自分を管理し、支配しようとする。また、人が怖くて近づけない・・・わけです。
     ほんとうに、まだまだ、「わたしは、大変な状態に居る」ことが、分かりました。
    それでも、あきらめずに一歩一歩あゆんでいきます。つらくても、自分が学びとったことは、自分を創ること、それが わたしの宝となるからです。

引用返信 削除キー/
■2535 / inTopicNo.13)  Re[2]: この歳で(フラバ注意)
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2005/02/02(Wed) 16:06:19)
    No2505に返信(kiwiさんの記事)
     kiwiさん、はじめまして。

     kiwiさんのレスを読んで、「書いてよかったな」と、思いました。 
     私も、あらためて、いろんな場面で、身がすくんだことを思い出しました。

     自分が哀れで、情けなく思えるんですが、それで、取り繕おうとしたり、なんでもない風に装うと、ほんとに自分の心との断絶が起こるんですよね。
     そのまま動くと、嘘の自分を世間にさらすようになるから、もう、たまらなくなるんですよね。

     でも、こういう風に書くと、いつも思うんですが、「たまらなく」なる心を持っているし、「嘘」だと感じる心があるんですよね。 
     即ち、一方で変なことをしたり、空元気を出したり、あるいは、いろいろ打撃を受けることがあるけど、同時に(!)、それらを感じとる心を持っていることが、私たちを生かし、いろんな弊害からの脱出に向かわせているんじゃないでしょうか?

     只、ややこしいんだよね、これが。 それこそ、一筋縄では行きませんね。

     休職されるとのことですが、一方で、いろいろとしんどいこともあるでしょうが、自分をいたわる経験も、きっと貴重なものになるのではないかと、推察します。

     今回の私の経験でも、ほんとうに、すぐカヴァーしたことで、変な言い方ですが、数日間、一緒にいてやることができました、縮み上がった心と………。(!)
     ほんとに、貴重な経験でした。

     kiwiさんも、どうぞ、ご自分を大切にしてあげてください。
引用返信 削除キー/
■2537 / inTopicNo.14)  Re[2]: この歳で(フラバ注意)
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2005/02/02(Wed) 17:01:46)
    No2508に返信(ねねさんの記事)
     ねねさん、レスありがとうございました。
     どうやら、クリヤーしたようですよ。 でも、元に戻ったのではない。 もうひとつ賢くなったというか、心の中に、固いものができましたよ。 砦に、似ているかな?

     でも、表面上は、私はいたってやわらかくて、優しい(!)人間ですから、これからも、なんでもなかったように、柳に風のようにやっていくかもしれません。 でも、譲れないところは譲れないと、一層強固になっていると思います………。

     ねねさんのレスを読んで私が思うところは、身がすくむようになるには、それだけの体験をしているということですよね。 その積み重ねのすごさというところを、一番、思います。
     おそらく、体験している渦中は、なんとかやり過ごすことで精いっぱいで、そして、喉元を通り過ぎた水のように忘れているのかもしれませんが、どっこい、そうは問屋がおろさないんですね。

     辛いですね。

     でも、他の方へのレスにも書きましたが、いろんなことがあっても、それを感じとる心を持っている私たちは、決して、捨てたものではないのではないでしょうか?
     私たちの(傷つきやすく!)やわらかい心こそ、私たちが何を望んでいるか、どうなりたいと思っているかの指標ではないでしょうか?

     それは、「再び傷つくことの無いように」、一言で言ったら、こういうことになるのかもしれませんが、それを、何よりも、自分の力でやらなければならないというところが、しんどいところですね。  いろんな力も借りますが、やっていく主体は、自分ですからね。

     この過程で不思議なパワーを感じることできるのが、「同じ経験をしている人がいる」ということですね。   

     どうしてなんでしょうね?
引用返信 削除キー/
■2545 / inTopicNo.15)  Re[2]: この歳で(フラバ注意)
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2005/02/03(Thu) 18:34:09)
    No2514に返信(はなぽんさんの記事)
     はなぽんさん、レスありがとうございます。
     はなぽんさんのレス読んで、「う〜〜〜ん」と、唸るような、言葉に詰まるような気持でした。 ずーと続いていたのですが、今、読み返してみて、チラッと、「これかもしれない」と思えるものが、浮かんできました。

     そうなんですよ、はなぽんさん書いてる通り、抑えているのはよくないと、思うんですよ。  でも、それ、というか、「完璧」を期待するのは、長年積み重ねて思ってきていることですからね、抑えるなって言ったって、そう思うものは思っちゃうんですよね。

     私も、私の思い方っていうのは、思うほど変えられないものだっていうことは、体験で、知ってきました。
     いや〜、おふくろだって、そうなんですよね。  彼女は、彼女の世界観というか、その人生のなかで積み重ねてきたことで怒鳴るのだし、その行動パターンというものがあるのだから、ちょっとやそっと言ったぐらいで変わるものじゃないんですよね。  それも、もう、しっかり経験してきました………。

     こういう、それぞれの思いを、歴史を持った思いを持っている人間と、どう付き合うのかと、いうことですよね。

     やっぱり、どうでしょう、それぞれ、「違う人間」と思うことが、その呪縛から逃れる道なんじゃないでしょうか?

     違う人間だから、自分とは違うことをするのが、あたりまえですよね。
     はなぽんさんのパートナーも、まだちっちゃい息子さんもね。

     私が、だいぶん前と言ってもまだ1年にはなりませんが、おふくろのすることにいちいち腹を立てていて、「なんで、こう、あたりまえのことができないんだろう」と、思い、カッカカッカしていたのですが、言っても言っても改まらないことと、腹を立てる精神衛生上の非常な気分の悪さに、言うのを止めたんです。

     おふくろには、おふくろ流の家事の仕方があるんですね。 刃を広げたままキッチンバサミをフックにかけるとか、野菜くずや卵の殻を、その都度生ゴミ入れに入れるのではなくて、流しの隅やその辺に置いておくとかね。
     ひとつ家に暮らしていると、目につくことはいっぱいあるんですよね。

     今度怒鳴られたのも、おふくろの方から見た、腹が立つことだったんですよね。

     長くなりました。 要するに、「自分とは違う人間だ」と思うことにしてから、いちいち言うのは止めたんです。 腹を立てるのも止めるようにしたのです。
     それで、私の方は、ずいぶん楽になりました。

     はなぽんさんにも、お勧めしたいな〜と、思っています、はい。
引用返信 削除キー/
■2546 / inTopicNo.16)  Re[2]: この歳で(フラバ注意)
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2005/02/03(Thu) 20:57:16)
    No2518に返信(柊さんの記事)
     柊さん、レスありがとうございました。

     おかげさまで、クリアーしました。 今までとは、ワンステップ違う対応を始めています。

     おふくろの方は、変わらないと、思います。 パワーゲームのパワーを持っている方ですからね。
     問題は、こっちの方です。 感じなんですが、なんか、私、心持ちが、もうちょっとやわらかくなったような感じがあります。
     上手に受け流さなければならないというか、そんな感じなんですね。

     それと、もう一つ思っているのは、いつまでもおふくろの支配下にあるのではなくて、ひとつ家に暮らしていても、自分のすることを明快にして、そこに向かっていくようにしていくと、いうことです。
     私も、まだ共依存を自覚して、赤ん坊のような、何も持っていない自分を見出してから、そんなに日が経っているわけではないので(丸々3年というところですが、私は、決して長くはないと、思っています)自分の人生を自覚的に創っていくことには、まだ多分に準備不足ですが、今度のことで、他人のコントロールの下に屈することの屈従を、あらためて、はっきりと感じましたので、1歩、歩を進めようと、思っています。


     それとは別に、柊さん、今度、このスレを書いて私は思ったのですが、言葉もだけど、実際の物理的な暴力を経験している人も多いんですよね。
     夫婦喧嘩を毎日のように見てきた人も、たくさんおられるんですよね。

     私は、久しぶりのフラッシュバックだったけど、どんなにか、心も肉体も、痛い思いをした人が、たくさんおられるのだということを、身近に、感じることができました。

     そして、こんな痛みをずっと受けていると、私が書いたように、生きる気力が薄れてくるんですよね。
     柊さんも、おんなじように感じたと言っておられましたね。

     暴力の、もっとも恐ろしいところですね。

     ACを背負うことになった私たちの親たちは、子どもに対して、こんな虐待をしているなんて、思ってもいないんでしょうね。

     ここに来ている人たちは、みんなね、必死で、生きようとしているんですよね。
     みんな、なんとか生きていきたいと、思っているんですよね。

     柊さん、なんとか、生きていきましょう。
     他のところで柊さん書いておられましたが、達成感を蓄えていくというの、あれ、いいんじゃないかと、思いました。  それ、生きていく力ですよね。

     私も、柊さん、同じようにしてきたんですよ。 入り口は違っているようだけど、私は、自分の欲求水準を下げて、嘘偽りのない正直な自分を積み上げていくというやり方でした。 背伸びをやめて、上から見るのではなくて、下から積み上げていく、自分のできることをしていくという方法でした。

     長くなりました。 又にします。
引用返信 削除キー/
■2550 / inTopicNo.17)  Re[3]: この歳で(フラバ注意)
□投稿者/ 柊 -(2005/02/04(Fri) 09:58:55)
    SILVER7さんへ

    >  それとは別に、柊さん、今度、このスレを書いて私は思ったのですが、言葉も
    >だけど、実際の物理的な暴力を経験している人も多いんですよね。
    >  夫婦喧嘩を毎日のように見てきた人も、たくさんおられるんですよね。
    私はそのことで色んな影響を受けてしまったんですが、そのひとつに男性に対する恐怖があるんです。特に父(現在56歳)ぐらいの年齢の人が怖いんです。社会人になれば、父ぐらいの年齢の人と一緒に仕事をすることが多々ありました。父みたいな人もいれば、やさしい人もいたり。
    旦那の親戚にも父と同じ歳ぐらいのおじさんがいまして、最初は怖くてしょうがなかったんですが、やさしい人だとわかったので今は全然平気ですが!
    SILVER7さんもやさしい人なので、ほっとします。

    >  柊さん、なんとか、生きていきましょう。
    >  他のところで柊さん書いておられましたが、達成感を蓄えていくというの、あ
    >れ、いいんじゃないかと、思いました。  それ、生きていく力ですよね。
    ありがとうございます。ぜひ、経験談を機会がありましたらお聞かせください。


引用返信 削除キー/
■2553 / inTopicNo.18)  柊さんへ 【横レス失礼します。(フラバ注意)】
□投稿者/ キーコ -(2005/02/04(Fri) 13:38:32)
    2005/02/04(Fri) 20:00:35 編集(投稿者)
    2005/02/04(Fri) 14:07:43 編集(投稿者)

    No2550に返信(柊さんの記事)

    柊さん、こんにちは。
     急に飛び込んで、ここでお話をしていいのか どうか迷ったのですが、わたしも 同じような悩みを抱えているので、『投稿』させていただきました。

    >> それとは別に、柊さん、今度、このスレを書いて私は思ったのですが、言葉も
    > >だけど、実際の物理的な暴力を経験している人も多いんですよね。
    >> 夫婦喧嘩を毎日のように見てきた人も、たくさんおられるんですよね。
    > 私はそのことで色んな影響を受けてしまったんですが、そのひとつに男性に対する恐怖があるんです。

    今まで、何度か書いたことが あるのですが、わたしも「男性に対して、かなり根強い恐怖心」を持っています。
    十代の頃は、はっきり行動にも出ていました。
    学校の行き帰りに、同じ車両に、同年代の男子学生が居るだけでゾッとして、別の車両に そそくさと移る・・・。
    その頃から、ずっと「そんな風」にしか 男の人をみられません。
     よく思い返してみれば、「男性」というよりも「父の女性問題」で、いやと言うほど、歪んだ男女間の問題を 見たり、聞かされてきたので、そういう事が起きる「可能性が在る場所」に居るだけで、
    「わたしが よごれてしまうような感覚」や「『わたしも父たちと同じような、ことをしてしまうのではないか?』 という恐怖心」、もっと苦しいのは、「実際には、何もしていないのに、『もう既に、彼らと同じ行動を、わたしはしたのだ!』 という・訳の分からない疑念に、いつも付きまとわれていたようです。

    結婚していた時は、「既成概念」にとらわれる・・・というか、固く守って生きていたので、「その問題」について、あまり意識はしていませんでした。
    相手に対して、対等な立場にたって「自己主張」が出来なかったのは、『嫁しては家に従え、妻は夫につかえよ!』と教えこまれてきた影響も、確かにあります。
    でも、やはり「男の人に刃向かえば、殴られる。」、「母と 同じように女性問題で、苦しめられる。」 という恐れが、体に染み付いていて、怖くて、とてもじゃないけれど、そんな事は、相手に対して言える。・・・なんて考えてもみませんでした。
    非常にデリケートな問題なので、当時は 相談するのがむずかしくて、なかなか出来ませんでした。
    それでも、一回り年上の・既婚女性の何人かに、勇気を出して「悩み」を打ち明けました。
    返って来る答えは『辛抱、忍耐』 とか、『あまり深刻に考え過ぎるな』 とか・・・、今でも、首を傾げるような 奇妙なものばかりでした。
     今思えば、自分でも 愚かなことをしたと思いますが、やはり『既存のマニュアル』に、自分を合わせて(自分の気持ちを、押し殺して)生活し続けました。 その影響で、離婚した今は、以前より「恐怖心・・」が、益々ひどくなっているように感じています。


    父の女性問題や、夫婦喧嘩の暴力、母の愚痴の垂れ流し・・が、「これほどひどい影響を、わたしに与えている」なんて、予想もしていませんでした。
    父母の問題から解放されて、もう 20年以上も経っているのに、今も、『その後遺症』が、シッカリ頭の中に残っていて、毎日 わたしを苦しめ続けています。
    笑いごとではありませんが、自分よりも 体の大きな息子(男性)が、わたしの肩よりも上に いきなり腕を動かすだけで、身がすくみます。
    彼には、「ちょっとしたことで、パニックになる可能性が在ること」を説明して、「これだけは、絶対にして欲しくないこと」は伝えてあります。
     
     中年に成ったけれど、このままでは あまりにも生きつらくて仕方がありません。
    用事があっても、男性に 近寄るのが怖くて仕方がありません。
    現在ではなく、過去に暴力を経験したり、見てきた者は、どのようにしたら 回復していけるのか分からなくて、本当に困っています。
    最近、電話 や 話を聴いてくれる人には、出会えたのですが、それだけでは 解決できないように感じています。

引用返信 削除キー/
■2557 / inTopicNo.19)  キーコさんへ(フラバ注意)
□投稿者/ 柊 -(2005/02/05(Sat) 16:02:25)
    キーコさん、こんにちは!

    > 今まで、何度か書いたことが あるのですが、わたしも「男性に対して、かなり
    >根強い恐怖心」を持っています。
    > 十代の頃は、はっきり行動にも出ていました。
    私はとても強く表面には出ないのですが、気がつけばやはり「怖い」って思いがあります。
    私も避けたり、、ってありました。今でも避けてしまいます。若い男性でも電車に乗っていて隣に座られるとブルーになるんです…

    > 返って来る答えは『辛抱、忍耐』 とか、『あまり深刻に考え過ぎるな』 と
    こういう風に言われると、辛いですよね。私も母から言われました。
    父と一緒に食事をするのが嫌いなんですが、そのことも母から「我慢しなさい」
    って言われてます。

    > 笑いごとではありませんが、自分よりも 体の大きな息子(男性)が、わたしの肩
    実は、私は男の子をほしがってたくせに成長したことを考えるとやはり「怖い」んです。

    > 彼には、「ちょっとしたことで、パニックになる可能性が在ること」を説明し
    >て、「これだけは、絶対にして欲しくないこと」は伝えてあります。
    息子さんはキーコさんの説明を納得してくれてるんですね。
    この間、旦那がちょっと大声を出して私に怒ったことがありました。その瞬間怖い!って思って、条件反射で私は手で顔を隠して自分の身を守ろうとしたんです。その姿を見て、旦那は何も言わなかったんですが不思議な目で見ていました。
    今まで一度も旦那から殴られたことなんてないですし、殴らない人ってわかってるのに、私の中では大声→殴られるがインプットされてしまってるので、無意識でそういう行動に出てしまうんです。
     
    今のところ、女性としか接する機会がないので日常生活で困ることはないのですが、でも私の中で性の問題も含めて何か問題がある気がしてるので解決できればいいなぁと思いつつも、どうなることやら、、です。
引用返信 削除キー/



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