1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
(現在 過去ログ14 を表示中)

HOME HELP 新規作成 新着記事 トピック表示 検索 過去ログ

[ 最新記事及び返信フォームをトピックトップへ ]

■2344 / inTopicNo.1)  家以外の共依存、グループ
  
□投稿者/ ハコ男 -(2005/01/15(Sat) 15:27:33)
    ちょっと雑談させてください

    学校での人間関係なのですが、小中高とクラスが決まって1ヶ月もすれば仲良しグループのようなものが出来ますよね。クラスを仕切ってるような力の強い男子グループとかちょっと大人しめのグループとか、流行に敏感、疎い、スポーツが得意か不得意か、服装がおしゃれ、けんかが強いか・・等など中学になると不良グループが出来たり、私は男子ですが、女子でも色々あると思うんです。そういうグループに分かれることが健全なように感じるときもあれば、それ自体パワーゲーム的に感じるときもあります。

    自分は小学校の1時期を除けば、人間関係は全て相手の気に入るキャラクターを演じることで、自分を主張しないことで、相手との人間関係を築く、いわゆる共依存関係だったのです。等身大の友人というものはほとんどいませんでした。

    なのでいつも本来の自分とは場違いのグループに所属してたように感じます。自分はスポーツが不得意で、流行に弱いのですが、クラスでちょっと力の強い人に気に入られてたので・・その共依存関係も数ヶ月でうまく行かなくなるのですが・・

    ACに気付いた今になって思うのですが、それが自分のアイデンティティーを獲得できてない原因のような気がするのです。ここでのアイデンティティーというのは主に家以外の学校、社会でのアイデンティティーで例えばどんな服装してどんな風にしゃべればいいんだろう・・とかこの人とどんな風に付き合ったらいいんだろう・・自分に向いているものとか・・なにかそういうのが自然にできないのです。

    で今、過去を振り返って、自分史を作ってるのですが、主に家以外の共依存だった過去を振り返り自分の本当の欲求はなんだったんだろう?と考えてそういう考えが浮かびました。今の自分を形成するのに、そういう所属グループみたいのって重要でしょうか?本来あるべき家族、親のあり方を考えるように、本来の学校での自分のあり方みたいなのを考えたことってありますか?
引用返信 削除キー/
■2345 / inTopicNo.2)  Re[1]: 家以外の共依存、グループ【訂正】
□投稿者/ はにゃ〜ん -(2005/01/15(Sat) 17:58:53)
    2005/01/16(Sun) 03:22:49 編集(投稿者)
    2005/01/15(Sat) 18:56:12 編集(投稿者)

    すみません、訂正して書き込みます。

    >そういう所属グループみたいのって重要でしょうか?

    小中高と12年間に渡る学校生活は、大人社会に出るための訓練期間であると思うし、大人社会にも
    大なり小なりグループ(派閥)というものは存在しますよね。
    家族以外の人間社会で、どう折り合いをつけていくか、自分の人生を歩む中で、それを学ぶことは
    必要なことだと思いますし、これから先も、必ず立ちふさがる問題なんじゃないでしょうか?

    ただ、自分の人生の中で、別にグループを必要としない生き方もあるわけで、アウトロー的に
    "わが道を行く"でもいいと思います。

    自分もACという立場で、何事にも主体的に考えて行動に移すことは出来ませんでした。
    ただ、当時を振り返ってみても、イジメに合わない生き方、皆に合わせる生き方しか選べなかったのも
    事実ですし、それを”逃げだった”とする見方で過去を振り返ってみても、既に過去は過去として記憶の
    中にしか存在しないものですから、今後の人生において同じことを繰り返さないための判断材料に
    するしかありませんでした。

    今は過去を振り返ることで、自責や後悔の念が大きいかと思いますが、当時の”想い”を振り返ることは、
    自分のアイデンティティの再構築には重要なことだと思います。
    ”本当は〜したかったのに”という想いが自分を変える原動力になりますから、自分も今でも
    そういう記憶から生まれる”想い”を大切にしてます。

    ACって、成人してから子供の成長の時間がスタートするから厄介なんですよね。
    自分はACの子供時代は、”人生のサービス業”って呼んでます。
    子供としてやるべきことを蔑(ないがし)ろにして、他人にサービスし続ける生き方しか
    やってこなかったツケが、成人になって借金のごとく利子付きで周ってくるから、余計に
    苦しいんですよね。

    ちなみに、自分はもう取り戻せない子供時代の本当の”想い”を蘇らせるために、実際に通ってた
    小中学校に行ってみたりしました。
    そうする事で、当時はどうする事も出来なかったという考え(諦め?)が生まれて、自責と後悔の念は
    消えていったように思います。

引用返信 削除キー/
■2347 / inTopicNo.3)  Re[1]: 家以外の共依存、グループ
□投稿者/ ミルキー -(2005/01/16(Sun) 12:40:16)
    ハコ男さんへ

    はじめまして。
    私は小中高とかなり悩みましたよ。
    私は転校などもしていたので、それに合わせて、自分のキャラクターもころころ変えていました。
    私もアイデンティティを考え出すようになってから、同じようなことを考えました。

    自分の服装なども、グループに合わせて変えていったし、言葉使いなどもまったく違うようにしたり。。。

    私は中学生ですごいハードないじめにあっていて、その頃はあわせるも何も、ただの的になってあげていました。

    今になって思うのは、自分が合わせる事をしないで、自分自身だったらどんなに楽な生活を送れたのだろうって。。。
    でも、自分自身を出せなかったのがACなんですよね。

    私は高校を卒業してから、あえて所属しているところでグループにかき回されないように壁を作りました。
    それでも、仲良くなれる人はなれるし、ならない人はならない。

    私はまず自分を作ってから、それに合うグループがあれば入ればいいと思うし、なければしかたが無いと思います。

    私は、学校でもどこでも、自分でありたい。
    だから 自分のありかたじゃなくて、自分が誰なのかを考えています。
引用返信 削除キー/
■2350 / inTopicNo.4)  Re[2]: 家以外の共依存、グループ【訂正】
□投稿者/ モハメッド -(2005/01/17(Mon) 03:51:21)

    >
    > >そういう所属グループみたいのって重要でしょうか?
    >
    > 小中高と12年間に渡る学校生活は、大人社会に出るための訓練期間であると思うし、大人社会にも
    > 大なり小なりグループ(派閥)というものは存在しますよね。
    > 家族以外の人間社会で、どう折り合いをつけていくか、自分の人生を歩む中で、それを学ぶことは
    > 必要なことだと思いますし、これから先も、必ず立ちふさがる問題なんじゃないでしょうか?
    >
    > ただ、自分の人生の中で、別にグループを必要としない生き方もあるわけで、アウトロー的に
    > "わが道を行く"でもいいと思います。

    ● 私の家族は精神的に機能不全{?}家庭だったせいか、小学5年ぐらいで自分自身がなんであるのか迷いだしたように思います。
    中学からは周囲の友人は優しいのに、不安や脅えがつきまとうようになり、学校になじめない自分であるといことは分かりました。
     その後は、家族と会話しなくなり、家でも学校でも完全に孤立化してしまったので、現在でも集団、グループというものにはなじめませんでした。
     まったくアウトロー化して現在にいたります。

    、イジメに合わない生き方、皆に合わせる生き方しか、それを”逃げだった”とする見方で過去を振り返ってみても、既に過去は過去として記憶の
    > 中にしか存在しないものですから、今後の人生において同じことを繰り返さないための判断材料に するしかありませんでした。

    ●社会に出て社内で何とか勤続年数も長くなってからのいじめはきついですね。対応しきれませんでした。 経済基盤を失うわけですから、相手を殺す。しかないと思いましたね。
    できませんでしたが、人間関係は壊れると修復は困難であろうと思いました。


    > 今は過去を振り返ることで、自責や後悔の念が大きいかと思いますが、当時の”想い”を振り返ることは、
    > 自分のアイデンティティの再構築には重要なことだと思います。
    > そういう記憶から生まれる”想い”を大切にしてます。
    ●現在を生きながら過去を振り返るのは早いほうがいいでしょうね。
    一人暮らしをしながらだと、不眠や経済的な行き詰まりから社会生活を営むことさえ難しくなります。
     私の場合、18歳ぐらいから自分の考えることが複雑すぎて 、混乱し収拾がつかず、極度に人に脅え、病院に行く勇気が出ませんでした。
     一人で過去を振り返ることは大変な苦痛であり、長い時間が必要でした。
     現在、自分を受け入れられるかといえば、、、まだ充分ではありません。

    > ACって、成人してから子供の成長の時間がスタートするから厄介なんですよね。
    > 自分はACの子供時代は、”人生のサービス業”って呼んでます。
    > 子供としてやるべきことを蔑(ないがし)ろにして、他人にサービスし続ける生き方しか
    > やってこなかったツケが、成人になって借金のごとく利子付きで周ってくるから、余計に
    > 苦しいんですよね。
    ●まったく同感、わかりやすいです。

    > ちなみに、自分はもう取り戻せない子供時代の本当の”想い”を蘇らせるために、実際に通ってた
    > 小中学校に行ってみたりしました。
    > そうする事で、当時はどうする事も出来なかったという考え(諦め?)が生まれて、自責と後悔の念は
    > 消えていったように思います。
    ●私も同じようなことを何度もしましたが、なかなかその境地にいけませんでした。
    今は、人に合わせることや適度な主張もしていかねばと考えています。
    。。ただ、親兄弟ともう顔をあわして話すことはないだろうと思います。
引用返信 削除キー/
■2384 / inTopicNo.5)  Re[2]: 家以外の共依存、グループ【訂正】
□投稿者/ ハコ男 -(2005/01/21(Fri) 02:02:22)
    No2345に返信(はにゃ〜んさんの記事)
    > すみません、訂正して書き込みます。
    >
    > 小中高と12年間に渡る学校生活は、大人社会に出るための訓練期間であると思うし、大人社会にも
    > 大なり小なりグループ(派閥)というものは存在しますよね。
    > 家族以外の人間社会で、どう折り合いをつけていくか、自分の人生を歩む中で、それを学ぶことは
    > 必要なことだと思いますし、これから先も、必ず立ちふさがる問題なんじゃないでしょうか?
    >
    > ただ、自分の人生の中で、別にグループを必要としない生き方もあるわけで、アウトロー的に
    > "わが道を行く"でもいいと思います。

    今、大学に入ってからはずっと友達いません。ACに気づき1年になりますが人と親密になることへの抵抗がなかなか消えないんです。同じゼミの人たちは親切にしてくれますが・・アウトローというか孤立しています。でもそれにある程度満足もしてるというか・・はにゃ〜んさんの記事読んで考えたのですが、自分は過去を恥じていて、過去への未練が断ち切れてないようです。つまりもっと他の選択肢を取れたんじゃないか・・と。今だったら小中高全部で孤立してアウトロー的な生き方を選ぶと思います。でも当時は選びようがなかった。そのことを受け入れられないようです。

    >
    > 自分もACという立場で、何事にも主体的に考えて行動に移すことは出来ませんでした。
    > ただ、当時を振り返ってみても、イジメに合わない生き方、皆に合わせる生き方しか選べなかったのも
    > 事実ですし、それを”逃げだった”とする見方で過去を振り返ってみても、既に過去は過去として記憶の
    > 中にしか存在しないものですから、今後の人生において同じことを繰り返さないための判断材料に
    > するしかありませんでした。
    >
    > 今は過去を振り返ることで、自責や後悔の念が大きいかと思いますが、当時の”想い”を振り返ることは、
    > 自分のアイデンティティの再構築には重要なことだと思います。
    > ”本当は〜したかったのに”という想いが自分を変える原動力になりますから、自分も今でも
    > そういう記憶から生まれる”想い”を大切にしてます。

    ええ、その通りだと思います。
    >
    > ACって、成人してから子供の成長の時間がスタートするから厄介なんですよね。
    > 自分はACの子供時代は、”人生のサービス業”って呼んでます。
    > 子供としてやるべきことを蔑(ないがし)ろにして、他人にサービスし続ける生き方しか
    > やってこなかったツケが、成人になって借金のごとく利子付きで周ってくるから、余計に
    > 苦しいんですよね。
    >
    > ちなみに、自分はもう取り戻せない子供時代の本当の”想い”を蘇らせるために、実際に通ってた
    > 小中学校に行ってみたりしました。
    > そうする事で、当時はどうする事も出来なかったという考え(諦め?)が生まれて、自責と後悔の念は
    > 消えていったように思います。

    自分もACに気づいてから小中学校に行き、色々振り返りました。小学校には楽しい思い出もあります。サッカーをしたこと学校の帰り道に色々空想してたこと。自分も未練が断ち切れるようにがんばってみます。
    >
引用返信 削除キー/
■2385 / inTopicNo.6)  Re[2]: 家以外の共依存、グループ
□投稿者/ ハコ男 -(2005/01/21(Fri) 02:15:17)
    No2347に返信(ミルキーさんの記事)
    > ハコ男さんへ
    >
    > はじめまして。
    > 私は小中高とかなり悩みましたよ。
    > 私は転校などもしていたので、それに合わせて、自分のキャラクターもころころ変えていました。
    > 私もアイデンティティを考え出すようになってから、同じようなことを考えました。
    >
    > 自分の服装なども、グループに合わせて変えていったし、言葉使いなどもまったく違うようにしたり。。。

    自分の場合、それはすごく無意識的にやってました。当時としては人に気に入られるキャラクターを演じて、演じてるという意識もなくそれが自分だと思ってましたし、人に好かれてるんだからいい事なんだと真面目に思ってました。
    >
    > 私は中学生ですごいハードないじめにあっていて、その頃はあわせるも何も、ただの的になってあげていました。
    >
    > 今になって思うのは、自分が合わせる事をしないで、自分自身だったらどんなに楽な生活を送れたのだろうって。。。
    > でも、自分自身を出せなかったのがACなんですよね。
    >。

    うん、そう感じます。本当に中学の時とかの人間関係なんてなんであんなことにこだわったんだろう・・って物ばかりです。いわゆる「見捨てられ恐怖」ですね。いかなる人にも嫌われたくない・・と思ってしまい人に合わせてしまうんだと思います。そして自分自身がないんですね。
    自分も今は自分自身でいることを念頭において生きて行きたいです。
引用返信 削除キー/
■2387 / inTopicNo.7)  Re[3]: 家以外の共依存、グループ【訂正】
□投稿者/ はにゃ〜ん -(2005/01/21(Fri) 04:56:07)
    >小学5年ぐらいで自分自身がなんであるのか迷いだしたように思います。

    自分もそう、、。丁度、小学校5年生くらいのとき。。このままでいいんだろうか?とか、、。
    なんとなく流されて生きてたし、自分を出すのが苦手で、その1つの原因として、転校生ゆえの
    イジメを経験したのと、その加担者に教師が含まれていたという、大人(教師)への不信感が
    あったと思います。

    >一人暮らしをしながらだと、不眠や経済的な行き詰まりから社会生活を営むことさえ難しくなります。

    経済的な問題はACを考える上で深刻ですよね。だからと言って、社会人の経験が遅ければ
    いいかと言えば、そういいきれない面もあるし・・・。
    一時の社会人経験が無ければ、再び社会へと向かう自信にもならないですし・・。経済面と回復作業は
    必ずしも相容れない深刻な問題ですよね。

    >現在、自分を受け入れられるかといえば、、、まだ充分ではありません。

    自分もまだそういう面はあるけど、共依存体質は無いし、家族にもACゆえの生き辛さはもう無いと
    公言してます。去年は職場の人間と激しい口喧嘩しちゃったしw、青臭い反抗期中かも・・。
    今の問題は、子供と話せないのと、自分と父・兄との微妙な関係(互いに心配し合ってるのは分かって
    いるんですけどね・・)。あとは、逆に離れすぎた人との距離感を縮めること。

    >人間関係は壊れると修復は困難であろうと思いました。

    自分もそういう面は少なからずあります。ただ、時間が経てば修復が困難な関係でも、自分が求めたい
    相手が出てくるケースもあるし、逆に相手が自分を必要としてくるケースもありますからね。
    こればっかりはケースバイケースだと思います。

    >今は、人に合わせることや適度な主張もしていかねばと考えています。
    >。。ただ、親兄弟ともう顔をあわして話すことはないだろうと思います。

    親兄弟との関係ってそれぞれなんで、自分が何かをいえることは無いけど、人の思考って常に
    揺らいでるものなので、この先の自分の在り方なんて、自分にも分からないですよね。
    色んな事象に影響を受けることで、物事の価値観も変化してくるし、それは人との関係にも
    言えますよね。だから皆、ACからの回復が可能なんだと思います。

    ウチの死んだ爺さんも、義父に育てられて酷い目にあったACだったんです。残念なことに、それに
    気付かず亡くなりましたが、、。自分の妻や息子とも仲が悪くて、しょっちゅう喧嘩してました。
    でも晩年、妻や息子に厳しくした自分の過ちみたいなものを反省して、この世を去りました。

    言いたいことは、人間は死ぬ直前まで変化し続けるものだし、それは自分以外の人間関係にも
    言えることだと思います。
    一生、関係を断絶する決意をするのもいいと思います。ただ、人は常に変わり続ける生き物だと
    いうことも念頭に入れた方が、少しはラクになれると思います。
引用返信 削除キー/
■2388 / inTopicNo.8)  Re[3]: 家以外の共依存、グループ【訂正】
□投稿者/ はにゃ〜ん -(2005/01/21(Fri) 05:00:17)
    >アウトローというか孤立しています

    自分の自我を再構築するためには、一度社会から断絶した環境を作る事は重要な事だと思います。
    俗に言う”引き篭もり状態”とも言いますが、そういう状態に身を置くことで、外界からの余計な価値観に
    振り回されないで、地に足のついた確固たる自我が育ちますからね。

    昆虫が、幼虫→さなぎ→成虫 へと成長するようなものだと思います。孤立を選ぶことは、さなぎへの
    準備段階のような気がします。

    自分も2年間の孤立状態と、3年間の家での引き篭もり状態を続けました。ただ、ACの回復にとって、
    それは重要なことだと分かっていたんで、あえて引き篭もる道を選びました。

    >自分は過去を恥じていて、過去への未練が断ち切れてないようです。つまりもっと他の選択肢を
    >取れたんじゃないか・・

    そう考えることは凄い重要ですよね。自責の念、後悔の念。自分もたくさん、そういう歪んだ"念"の重りを
    体に付けてたようなものです。
    ただ、分かると思いますが、今度はそれを1つ1つ取り除いていかなければいけないですよね。

    他の選択肢を考えてしもうのも、後悔の念と言えると思いますので、これから先の"夢や希望"を
    完全に諦めろとは言いませんが、今の段階では自分自身の弱さからくる問題を、きちんと解消
    しなければいけないですよね。

    >自分もACに気づいてから小中学校に行き、色々振り返りました。小学校には楽しい思い出もあります。
    >サッカーをしたこと学校の帰り道に色々空想してたこと。自分も未練が断ち切れるようにがんばって
    >みます。

    自分も色々と空想してました。戦闘機のパイロットになったり、ロボットのパイロットになったり(w
    楽しい思い出も振り絞るように思い返してみると、かならず1つや2つ出てくるんですよね。
    そういう楽しい思い出って、これからの回復作業に凄い大きな意味を持つので、ハコ男さんも
    大切にしてください。

引用返信 削除キー/



トピック内ページ移動 / << 0 >>

このトピックに書きこむ

過去ログには書き込み不可

Pass

HOME HELP 新規作成 新着記事 トピック表示 検索 過去ログ

- Child Tree -