1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■2332 / inTopicNo.1)  これも、わたしです。
  
□投稿者/ キーコ -(2005/01/13(Thu) 11:06:34)
    2005/01/13(Thu) 11:53:00 編集(投稿者)

    こんにちは、弱音を、言わせてください。
    どんな気持ちも、自分のほんとうの気持ちです。それにしても、こんなにたくさんの気持ちが、同時に存在するなんて信じられない!・・・です。

    「生きていこう!」と前向きで、希望いっぱいの思いがある。
    それと並行して、四六時中「もうこれ以上辛抱できない・・・もうダメだ。」と消え入りそうな気持ちもあります。

     今もよく、「どんな話でも遠慮なくしてください。ありのままの気持ちを、語るのは大切ですから。どうぞ、ゴミ箱代わりに、わたしを使ってください。」と、善意いっぱいのほほえみを浮かべて、関わってくれる人がいます。
    『わたしの話はゴミなのか!・・・この聞き手にとっては、そうらしい。』と気づいてから、あえて「そういう価値観」しか持てない人には、自分の話をしないように気をつけています。
    「濡れ雑巾のように、まとわりつかれるのは適わない。・・・何か手っ取り早い解決方法・心理療法はないのか」等など・・・「繰り返し語られる・つらい話」に音を上げて、思わず出てくる・本音もききました。

    以前は、BGMのように「自分の命をたってしまいたい。」という思いが、いつも頭の中に響いていました。
    何をしても、何を見ても、笑っていても、怒っていても、眠っている時にさえ、心の中に在りました。
    正直に言えば、今もはっきりと在ります。 ただ、今は『それが在る』ことを認めて、その思いを傍観していられるだけ・・・・。
    わたしに、「それだけの力がついてきた。」と言えますが、今のわたしにとっては、「それが、何の解決策にもならないことが分かっているから、「そうして居られる」ともいえます。
    良くても悪くても、以前はふたつ在りましたが、今は「ひとつ」だけ。
    顔を上げて、『生きていきます!』と 前向きに 言える時もあるけれど、「生きていくしかない」と、はっきり認識している 今のほうが、ほんとうは、かえってつらい!・・・
    『どんなにつらくても、生きていくしかないんだ!』と言える今の状態を、うらやむ時期が、これから来るかもしれないけれど、その時には、「そう思って」思いっきり泣けばいいと思います。

    真っ暗な海の中で、『それでも、わたしは 彼らのことが好きだった!』と言える、 ともし火のような 「ひとつの気づき」を与えられました。
    でも、依然として 病気 と たくさんの後遺症を抱えたままの 「ボコボコのわたし」が居ます。
    ゴミのような・捨てごと、濡れ雑巾のような・人間に見えようと、何と思われようと、それでも、『なんとか・・・・』と思いながら、きょうもこうして、自分の気持ちを語りながら、生きています。
     きょうは、・・・・きょうも! 苦しくて、つらい気持ちが とても強いようですが、『・・・・・!』というところです。

引用返信 削除キー/
■2333 / inTopicNo.2)  Re[1]: これも、わたしです。
□投稿者/ 豆だいふく -(2005/01/13(Thu) 14:19:54)
    キーコさんへ

    始めまして。豆だいふくと申します。宜しくお願いします。

    私はキーコさんの書き込みを拝見していて「静かな強さを持っている女性」
    という印象を持っていました。
    私には無い部分なので羨ましいなあって思っています。
    「キーコさんみたいなお姉さんが自分にいたら良かったのになあ。」
    なんて思ったりもしていました。
    私はキーコさんみたいな女性が好きです。
    (迷惑だったらゴメンナサイ)
    これからも宜しくお願いします。

引用返信 削除キー/
■2334 / inTopicNo.3)  Re[1]: キーコさんへ
□投稿者/ 花梨 -(2005/01/13(Thu) 15:43:19)
    キーコさんへ

    こんにちは。

    何か特別変わったことでもあったのでしょうか?・・・

    > 「生きていこう!」と前向きで、希望いっぱいの思いがある。
    > それと並行して、四六時中「もうこれ以上辛抱できない・・・もうダメだ。」と消え入りそうな気持ちもあります。
    ええ。ありますね。あたしもあります。


    >  今もよく、「どんな話でも遠慮なくしてください。ありのままの気持ちを、語るのは大切ですから。どうぞ、ゴミ箱代わりに、わたしを使ってください。」と、善意いっぱいのほほえみを浮かべて、関わってくれる人がいます。
    > 『わたしの話はゴミなのか!・・・この聞き手にとっては、そうらしい。』と気づいてから、あえて「そういう価値観」しか持てない人には、自分の話をしないように気をつけています。
    > 「濡れ雑巾のように、まとわりつかれるのは適わない。・・・何か手っ取り早い解決方法・心理療法はないのか」等など・・・「繰り返し語られる・つらい話」に音を上げて、思わず出てくる・本音もききました。

    ゴミ箱。よくたとえられますよね。きっとその人には悪気はないのでしょうけど
    ちくっとします。
    本音。見せてくれる人はまだましかも・・・


    > 以前は、BGMのように「自分の命をたってしまいたい。」という思いが、いつも頭の中に響いていました。
    そうですね。あたしも呪文のようでした。

    > 何をしても、何を見ても、笑っていても、怒っていても、眠っている時にさえ、心の中に在りました。
    > 正直に言えば、今もはっきりと在ります。 ただ、今は『それが在る』ことを認めて、その思いを傍観していられるだけ・・・・。
    > わたしに、「それだけの力がついてきた。」と言えますが、今のわたしにとっては、「それが、何の解決策にもならないことが分かっているから、「そうして居られる」ともいえます。
    そうなんです。解決にはならない、って実感したときの悲しみ怒りのやり場のなさ。
    あたしはそんな風に感じました。

    > 良くても悪くても、以前はふたつ在りましたが、今は「ひとつ」だけ。
    > 顔を上げて、『生きていきます!』と 前向きに 言える時もあるけれど、「生きていくしかない」と、はっきり認識している 今のほうが、ほんとうは、かえってつらい!・・・
    > 『どんなにつらくても、生きていくしかないんだ!』と言える今の状態を、うらやむ時期が、これから来るかもしれないけれど、その時には、「そう思って」思いっきり泣けばいいと思います。
    泣こう。何もしないで隣にいていい?

    > 真っ暗な海の中で、『それでも、わたしは 彼らのことが好きだった!』と言える、 ともし火のような 「ひとつの気づき」を与えられました。
    > でも、依然として 病気 と たくさんの後遺症を抱えたままの 「ボコボコのわたし」が居ます。
    > ゴミのような・捨てごと、濡れ雑巾のような・人間に見えようと、何と思われようと、それでも、『なんとか・・・・』と思いながら、きょうもこうして、自分の気持ちを語りながら、生きています。
    >  きょうは、・・・・きょうも! 苦しくて、つらい気持ちが とても強いようですが、『・・・・・!』というところです。
    ・・・・・!。伝わるものを感じるけど、言葉には表現できません。共感はしました。
    あたしの・・・がなんなのか、説明できないし、もしかしたら
    全然違うことを考えてるかもしれないけれど。

    もうすぐ母の誕生日です。今日花を贈りました。
    あんな親でもあたしには母親なんです。たったひとりの。
引用返信 削除キー/
■2336 / inTopicNo.4)  Re[2]: 花梨さんへ
□投稿者/ キーコ -(2005/01/14(Fri) 05:34:27)
    2005/01/14(Fri) 20:46:19 編集(投稿者)
    2005/01/14(Fri) 11:20:28 編集(投稿者)

    No2334に返信(花梨さんの記事)

    花梨さん、お返事 ありがとうございます。 
    ちょっと、おどろかせてしまったでしょうか。毎日、「こんな感じ」で、やっています。
    息子は、ほんとうに大変だと思います。 以前は、『いつ炸裂するか分からない活火山と居るみたいだ。だから、僕は ふつうの子どもみたいに 心の休まる時がないよ。』と、よく言われました。 正直言って、とてもつらかったです。
    でも、「これが、今わたしのできる精一杯なんだ。」と思い、そんな自分を受け入れました。
    「自分自身に対する寛容さが、ほんとうに必要だ。」と、彼と接していると、つくづく感じます。だから、同居している母とも、何とかやっていけるのでしょうね。 いやはや大変な毎日です。

     「生きるか死ぬか」のレベルで過ごしているので、人と関わるときには、どうしてもピリピリしちゃいます。
    「余裕が無いから」とも言えますが、でも やはり相手にとって「ゴミ」のように思えることでも、こちらとしては 真剣に生きてきたわけです。
    自ら進んで 積極的に関わろうとする相手には、勇気を出して、なるべく はっきりと、その時感じる「自分の気持ち」を伝えるようにしています。
    でも、なかなか気づいてもらえないのが現状です。 それでも、言い方 や 相手の状態を考えて、折があれば言っていこうと思います。


    『「命」を大切にして生きてゆきたい』と思っているのに、相反する気持ちが湧き上がってきて、とても情けなくて・・・。以前は、これも、自分を責める 一つの要因になっていました。
    でも 持病の影響 や その他のことを加味して考えると、気持ち的には シンドイですが、「とらわれずに流していけばいい」と、今は、思っています。生涯の付き合いになると思いますから、気長にやるしかない・・・ですよね。

     「共依存」というものが、具体的によく分からなかったので、「この感情」に関しては、かなり迷って 真剣に考えました。
    以前のように、想像で作り上げた「幻の両親」ではなく、彼らの生き様を はっきりと見据えた上で、持っている『好き』なんだ。そう思えた時から、肯定的に、この気持ちを受け入れられるように成ってきました。
    これは、自分自身に向かうときに持つ『基本的な姿勢』で、それと同じ土台に立って、「わたしは、人に対している。」と感じています。

引用返信 削除キー/
■2337 / inTopicNo.5)  Re[2]: 豆だいふくさんへ
□投稿者/ キーコ -(2005/01/14(Fri) 05:36:24)
    No2333に返信(豆だいふくさんの記事)

    豆だいふくさん、ありがとうございます。
    今年になって、今まで在った「心のわだかまり」が少し吹っ切れたようで、『一歩踏み込んで、語りたい。』と思うようになりました。
    何だか、自分の気持ちの波に乗り、「ありのままの・わたし」を見せるのが、とてつもなく怖い!…と、いつも感じています。
    とにかく、「好感を持ってもらう」ためには、ガンバって努力して、どうにか「それ」を勝ち取っていかなくちゃ〜いけないんだ!・・・というマニュアルが、体に染み付いているもんで・・・。
    少し肩の力を抜いて、自由に「自分の思い」を語っても、『好きです』と言って貰える。  とても、うれしい!です。
    ・・・ほんとうに、今まで、こういう体験を持ったことが ほとんどありませんでした。
     このような体験をもつ機会から、自ら退いて、遠ざけていたと言った方がいいかもしれません。私にとって、こうして「投稿」して、お返事をいただくのは、ほんとうに この年(40代)にして 初体験という感じです。
     
    息子に言わせると、実に「難解なひと」らしいですが、『結構いい所もあるのになぁ。』と思っている わたしです。
    豆大福さん、こちらこそ よろしくお願いいたします。

引用返信 削除キー/



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