1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■2299
/ inTopicNo.1)
寂しさ(雑談BBSのお題を拝借して)
▼
■
□投稿者/ SILVER7
[MAIL]
-(2005/01/09(Sun) 14:31:28)
2005/01/09(Sun) 14:50:02 編集(投稿者)
2005/01/09(Sun) 14:44:44 編集(投稿者)
2005/01/09(Sun) 14:39:31 編集(投稿者)
2005/01/09(Sun) 14:36:24 編集(投稿者)
寂しさは、深〜い深〜いテーマですね。
ちょろっと語って済むようなものではありませんね。
もやのように、霧のように自分を取り巻いているというか、漂っているというか、体のなかにも、漂っているんですよね。
ACを自覚すると、それがさらにはっきりと自覚されるところがあるんですよね。
まるで、AC=寂しさ、みたいですよね。
それとは違う世界について、今日、グランマ・モーゼスの絵についてのTVの番組(NHKETV『新日曜美術館』)で、思わせられているんです………。
アメリカの田舎の人々や風景の絵を描いたおばあちゃん、グランマ・モーゼスです。
70歳から描きはじめて、101歳で亡くなるまで、次々に描いたんですね。
最初は、絵ではなくて毛糸による刺繍だったんだそうです。 ずっと農家で働いてきて、息子たちにあとを譲ってから、描き始めたんだそうです。
長年の労働で、指がリューマチになって刺繍ができないのを見かねて、娘だったか妹だったかが、少し楽な油絵を勧めたんだそうです。
誰に教えられたわけでもなく、自分の記憶にある風景や人々、自分の描きたい絵を描いていったんだそうです。
充実していますよね。
でも、決して恵まれた家で育ったわけではなかったようだ。 貧しかったので、子どものころから他所の農家に働きに行っていたということだった。 そこで、同じく働きにきていた青年と結婚して、自分たちの土地を求めてヴァージニアに移り住んだという。 何十年かのち、「故郷へ帰ろう」という夫の言葉で、だいぶん北の、雪の多いい故郷へ帰ってきたということだった。
私たちは、充たされていないと、寂しさを感じるように思うのですが………、グランマ・モーゼスは、貧しかったけど、なんか、いっぱい充たされていたように感じさせられました………。
子どももね、10人も生んで、そのうち5人は小さいときに亡くしたんだそうですが………、「悲しくなかったはずはないと思うんですけど」という、アナウンサーだったか、同席の長田新さんだったかが言っていましたが、その長田新さんが言っていた言葉が印象に残りました。
「毎日、ちゃんと生きていたんでしょうね」、「農業だから、生き物が相手だから、一日一日ちゃんと世話しなければ生きられないし、育たないんですよね。 だから、その日日のことが鮮明に記憶されているんじゃないかな」と、いうようなことを、言っておられました。
そうそう、モーゼスおばあちゃんの日記には、悲しみの言葉は書いてなくて、「私たちは、5人の子どもたちを、きれいな、〇〇バレーに、五つの墓を建てて葬りました」と、書いてあるだけだとも、紹介していましたね。
なんと言うか、そんな、一つ一つの事柄や思いを、鮮明に記憶にとどめながら、毎日毎日を、懸命に生きてきた人みたいですね。
私たちは、子どものころに充たされない経験を抱えるものだから、いつまでも、空腹感のような、うつろなものが、大人になってからも、続くんですよね。
それを埋めるものは、もしかしたら、「ちゃんと生きる」ことかもしれませんね。
親になって、自分も苦しみながらも、子供の世話をし、子どもにちゃんと向き合って生きておられる方方がおられますよね。
しんどいけど、なんとか、朝、ちゃんと起きて、朝ご飯も食べて、仕事に出かけている人も、大勢おられますよね。
しんどすぎるのは問題だけど、日日のことを、ちゃんとやるというのはだいじですよね。
一方に寂しさはあるけど、一方で、気持ちのいいことをしていくということなのかな〜。
一方に虚しさはあるけど、一方で、充実させていくということかな〜。
なにか、そんなことを、思わせられたのでした。………………
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■2300
/ inTopicNo.2)
Re[1]: 寂しさ(雑談BBSのお題を拝借して)
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□投稿者/ AI
-(2005/01/09(Sun) 22:53:03)
私の場合の寂しさは、寂しさ=自分の中に大きい空洞、虚無感がある、いくら他人
にその空洞を暖められても寒さが消えない、といったものですね。
ここのところその空洞を感じるのがひどく辛くて、情けないけど昨日カウンセラーに会って泣きました。
カウンセラーに「私はあなたのことを大好きだから、この世で独りだと思っても
私があなたをいつも好きなことを忘れないで。あなたが独りだと思うと、私も寂しい。」
と言われ、今はこの言葉を支えに生きているけど、
それでも空虚感はいつも迫ってきて、飲み込まれそうで恐ろしいです。
そのグランマ・モーゼスの「ちゃんと生きる」というのは、例えば仕事依存症の人の、
自分が何を感じているのかも分からなくなるくらい体を酷使する、というのとは違うと私は考えます。
私はきっと「ちゃんと生きる」というのは、自分の感情、喜びや悲しみを感じ、見つめ続けるということだと思う。
それはまだ若輩の私には想像することしかできないけど、
時にとても辛いことなのだと思います。
カウンセラーに言われたんですが、寂しさ、空虚さを感じられる力があること自体は悪いことじゃないそうです。
空洞を感じられない人は、それを埋めていくこともできないから。
ACだから親に受け入れられず寂しさを感じ易いというのもあるけど、
斉藤学のいう「大人の条件は一人でいられるようになること」
橋本治という作家さんの「自分の頭で本当にものを考えられるようになる」というような
年齢とは関係なく、本当の大人になりたいと願う人は、みんな、
その過程で自分がこの世でたった一つの存在であることの孤独を受け入れなければならないので、
この寂しさと向き合い苦しまねばならないのだと思います。
私は今はこういう風にして自分を励ましています。
どうか私もみなさんも自分の寂しさを受け入れる知恵を持つことができるようになりますように。
引用返信
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■2309
/ inTopicNo.3)
Re[2]: 寂しさ(雑談BBSのお題を拝借して)
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□投稿者/ SILVER7
[MAIL]
-(2005/01/10(Mon) 22:09:49)
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No2300
に返信(AIさんの記事)
今日ね、ある人から送ってもらった、その人のお母さんの自伝を読んだんですよね。 もうすぐ84歳になる普通の、田舎のおばあちゃん。 貧しい農家育ちで、高等小学校卒業して、織物工場に働きに行って、結婚して昔の満州に行って、軍人だった夫が生まれて間もない子を残して逝ってしまい、日本に引き揚げて、婚家でずっと生きてきた人だけど、まるで、今度は、日本のグランマ・モーゼスに出会ったようでした………。
やっぱり、鮮明に記憶にあるようで、そのときどきに感じた感情まで含めて、ありありと書いてあるんですよね。 夫(先夫の弟と再婚したんです)と一緒に棚田で草取りしていて、、あんまり暑いので、同じようにかがんで草取りしている夫の背中に、泥水の付いたままの草を置いたら、夫が「おー、ひゃっこい。 なにするだ〜」と言って、2人で笑って、一休みすることにしただとかね………。
他にも実家の父母のこと、婚家の義父母や義妹たちのこと、自分の子どもたちのことなど、やっぱり、その時々に一生懸命生きてきたからだろうね、年寄りの文章ではない、その当時そのままのように書いてあるんですよね。
先夫が亡くなって6年経っても、青空の下の山を見ると、その夫のことが思われて悲しくなるという歌も詠んでいたりしている。
悲しいことも、寂しいこともいっぱいあったようですが、読んだ私には、なんか幸せがいっぱいのように感じられるのは、なぜだろう?
つくづく、一生懸命に生きることのたいせつさを、思わせられます。
それは、ACにとっては夢物語か、まるで、他所の世界の物語のように聞こえることは百も承知なのですが、………………
でも、充たされることのなかった寂しさを、いまさら埋め戻すことは、できないんですよね。
じゃ、何で、この空っぽの心が充たされていくのかと言えば………………、
生命感というか、自分自身が「生きている」と、感じる心なんじゃないかな?
なにか、そんな風に、最近、思わせられているのです……………。
たとえば、「よく寝た〜」という幸せ感。
朝起きて、「気持いい〜」という感じ。
たとえば、私だったら、たった2メートルほどの畝を造って「できた〜」というとき。
ぼうぼうの草を、あらかた取ったとき。
今日なんか、一度も昼寝せず、少し、昼型人間に近づいてきたかなと、いうとき。
な〜んて、グランマ・モーゼスや、今日読んだおばあちゃんとは大違いだけど、大だんびらを切らせてもらえば………、私だって(!)、新たな、生き生きした記憶を紡いでいくこと、できるんじゃないかな〜〜〜って、思っているというわけです………。
どうかな〜?
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■2310
/ inTopicNo.4)
Re[1]: 寂しさ(雑談BBSのお題を拝借して)
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□投稿者/ キーコ
-(2005/01/11(Tue) 06:15:24)
2005/01/11(Tue) 06:31:32 編集(投稿者)
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No2299
に返信(SILVER7さんの記事)
SILVER7さん、こんにちは。
今も相変らず、「イヤだなぁ…。」と思う気持ちばかり浮かんで来ます。
そんな自分と付き合っているのが、精一杯というところです。 時折、嵐も吹き荒れますし・・・。
でも やはりベースになっているのは、『深いさびしさ』というか、悲しみ・・・といった気持ちです。
たやすくできるとは言い難いのですが、それでも、『これ』をしっかり見つめて、そっと水を掬い取るように大切にして、生きてゆくことは、とても意味のあることのように思えます。
グランマ・モーゼスさんや、その作品については、よく知らないのですが、
彼女の作品に流れている・あたたかさ、やさしさは、深い悲しみやさびしさを 味わって、それを 大切にしている人から 流れ出てくる歌のように感じます。
そんなことを思いながら、わたしの父のことを考えました。
正直言って、父がどういう人なのか、わたしにはまったく分かりません。ほんとうに大変な父でした・・・。
自分の気持ちを誤魔化さずにみつめると、それでも、やはり わたしは「そんな父」が好きです。
理屈ぬきに好きです。
今はもう、父の姿をよく思い出せないのですが、「後ろ姿の、とてもさびしい人だった」ことだけは、よく覚えています。
ワンマンな人でしたが、父とはとても気が合って、彼となら、同じ景色をみて、同じ歌がうたえました。
理屈で考えると 見えなくなるのですが、「さびしくて あたたかい人」、そんな人でした。
若い頃には考えもしなかったのですが、今 わたしが感じている「さびしさ・苦しみ・生きづらさ・・」は、かつて父が味わっていたものと同じような気がします。
生まれる場所や、状況は様々でも、ひとの根底に流れるのは、同じ音色のように思います。
グランマ・モーゼスさんは、こころの深みで静かに、その音色を聴けたひと。
絵を通して、それを語られているのかもしれません。
味わうものは同じでも、それを受け止める人によって、奏される歌は ひとそれぞれのようです。
深い悲しみ、サビシサを味わいつくした人だからこそ描くことができた、そんな風に思えました。
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■2311
/ inTopicNo.5)
Re[1]: 寂しさ(雑談BBSのお題を拝借して)
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□投稿者/ ぴゅう
-(2005/01/11(Tue) 08:19:05)
こんにちは。
皆さんの思いを読んで、
自分の心が揺れたような、そんなかんじになりました。
心を占領してしまう寂しさを埋めようとして、
さまよって。本当に…しんどいです。
どこかに埋めるものあるのではないかって、
ずっとずっと探しては失望しているような気がします。
迷路のなかのように、結局はおなじところグルグル。。
でも皆さんの思いを聞いていると、
埋めるものは、自分のなかにあるのかなって、
かんじました。
わたしは今までいろんなことから逃げることで
生きてきたけれど、
逃げてもらくにならなかった。
寂しさを埋めようと探してるものも、遠くじゃなくて、
自分の中にあるのかなって、
ぼんやりとですが・・・思いました。
引用返信
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■2317
/ inTopicNo.6)
Re[1]: 寂しさ(雑談BBSのお題を拝借して)
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□投稿者/ はなぽん
-(2005/01/11(Tue) 15:54:21)
さびしいとおっしゃる方々の文章を拝見するにつけ、「みんなすごいなぁ。寂しいって、感じているんだ・・・」と思います。
私の過去を思うとき、ああ、あれは、寂しかったんだ、と、発見することがよく有ります。
いつも、小説の中に遊びに行っていたのは、現実の世界に何もなかったからだったと気づきましたし。小説の世界で、寂しさを癒していたのでしょう。
一人暮らしが長かったけれど、一人が好きだったのは、一人じゃないとくつろげないからで、じゃあ、一人で何をしているかといえば、眠っているだけ。
おなかがすいたら、ファミレスで、ほんの少しの会話と、人工的な明かりの下で、誰かが作ってくれたものを、お金を払って食べている。その程度の人恋しさは持っていて、その後もまっすぐに家に帰れないでいました。その理由は、寂しかったから?多分そうなのでしょう。
リアルタイムで寂しさを感じてこなかった私は、きっと、そのときそのときの現実を、現実だと受け止めることができなかったのでしょうね。ほんとうに、ネガティブな感情は、ないものとして生きていましたから。つらいことをつらいと感じることさえなかったのです。
今は、私を強烈に現実につなぎとめている息子がいるので、まあ、なんとか、生活しています。
・・・息子がいなくなったら、それはもう、猛烈にさびしいんだろうなぁ・・・
なんて、予防線を張ってみたりもしています。
両親に対して、怒り終わったように、寂しいときは寂しがりぬいたら、いつか終わるのかなぁ?
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■2361
/ inTopicNo.7)
キーコさんへ、遅レスですが………
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□投稿者/ SILVER7
[MAIL]
-(2005/01/18(Tue) 21:43:39)
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No2310
に返信(キーコさんの記事)
遅レスです。 深い内容だったので、すぐに書けませんでした。 (2階席は、ツリー式だから、遅くなっても、こうして書けるのが、いいですね。)
『深〜い寂しさ』、そうなんですよね、それをテーマに書いたんですよね。
書いた私の方が、グランマ・モーゼスさんのように、日日を懸命に生きる、「ちゃんと生きる」ことに重点を置いていたものだから、キーコさんの言わんとするところが、すーっとはわからなかったんです。
尚かつ、キーコさんの苦しみの元だったと思っていたお父さんのことが、ほんとは好きだったって書いてあるし………、その人の背中が「さびしく、あたたか」かったと、書いてあったので、意外で、でも、キーコさんがお父さんのことを、そういう風に感じられていたのもほんとうなんだろうな〜と、私のなかで二つのことが(苦しみの元と、好きだったこと)譲り合って、それぞれの場所を占めるまで、時間がかかりました………。
そして、何よりかにより、そのお父さんが「さびしく、あたたか」い背中を持っていた人だったというのが、キーコさんのこのレスの「キーワード」みたいですね?
「さびしく、あたたか」い背中を持った人は、そんなにいないと思うよ〜というのが、私の、直感的で、ある種経験的な………感想です。……………………
「さびしい」だけの人はね、時に、目にすることがありますけどね。………
私にとっては、正直、羨ましいです。 そんなお父さん、肉親が、欲しかったと、思わせられます。 (私の父は、私が4歳のときに亡くなっていますので、私には、実際の記憶は無いんです。 写真は、たくさん残っているんですが………)
そうなんですね、そんなお父さんが、また、キーコさんの苦しみの元だったから、そうですね、「掬い取るように」と、キーコさん書いておられますけど、『それ』を、そうすることが、できるようになられたんですね………………。
どうぞ、だいじにされてください。
私も、胸が詰まりそうですが、しかし、ほんとうに、だいじにされてください。
キーコさんの、宝物ですね。
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