1.感じるままを感じてもいい。感情には正しいとか間違いということはない。感情はただあるだけである。誰も人がどう感じるべきかを教えることはできない。感情について話すことは、良いことであり必要なことだ。 2.欲しいものを欲しがってもいい。欲さなければならないことや、望んではならないことなどない。自分の活力に触れたならば、大きく成長したくなる。 3.見え、聞こえることを見聞きしていい。見聞きしたものはなんでも、自分が実際に見聞きしたとおりのものなのだ。 4.いっぱい楽しんだり、遊ぶのはいいことだし、また、そうする必要がある。 5.真実を語ることは重要なことである。歪められた考え(“すべてか無か”思考、破滅化、過度の一般化、読心術、etc.)をしりぞけて現実をあるがままに見ることは、人生の苦痛をやわらげる。 6.ときには限界を知って、満足を先のばしにすることは大切である。これもまた人生の苦痛をやわらげる。 7.バランスのとれた責任感を発達させることは重要である。それは自分の行動の結果を受けとめることと、他人の行為の結果を引き受けないことを意味する。 8.失敗してもいい。失敗は教師である。失敗は学ぶことを手助けしてくれる。 9.自分自身と同じように、他者の感情、要求、望みもまた、尊敬され尊重されるべきである。 10.問題があってもいい。それは解決される必要がある。葛藤があってもいい。それは解決を必要としている。
ジョン・ブラッドショー 『インナーチャイルド』(NHK出版)第10章をもとに作成
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■2185 / inTopicNo.1)  SILVER7さんへ(雑談BBSからのレスなので、横レス歓迎です)
  
□投稿者/ ミルキー -(2004/12/28(Tue) 03:05:25)
    2004/12/28(Tue) 06:14:00 編集(投稿者)
    2004/12/28(Tue) 03:27:14 編集(投稿者)
    2004/12/28(Tue) 03:26:59 編集(投稿者)

    「愛することと、愛を受け入れること」

    いい機会なので、書かせてください。

    私は 他のスレッドでも書いたとおり、小さな頃から父の存在が頭の中で勝手に大きくなっていきました。
    それは 思春期を迎えると、父親は全ての男性に当てはまるようになりました。
    私にとっての愛の模索は 男性の模索でした。
    今になってその形が誤っていたことに気がついたんですが、もう過去には戻れません。

    なので 今までの私の「愛」とは男女関係のみに当てはまりました。

    「愛すること」
    私は 男性を(その時々で付き合っている人)愛していると思っていました。
    でも、それは条件付の愛か、または 私を弱らせる人のみに向いていました。

    「愛を受け入れること」
    私は 私のことをフェアに扱ってくれる人からは なぜかすぐに逃げ出しました。
    愛されることを 拒否していたのだと今になって思います。

    私の模索は 間違った方向に向いていて、それでも激しいものだったと思います。

    私は未だに自分自身を愛していません。
    過去の男性遍歴の罪悪感からもくるのでしょうが、
    愛せません。

    今は男性ではなくて 自分を愛したいのです。
    それが出来るまでは、他人の愛を受け入れることもできないと思うのです。
    私の模索は いろんな意味でまだまだ続きそうです。

    もし、気分を悪くする内容でしたら、ごめんなさい。
    でも、今までの自分を整理する意味でいい機会だと思いました。
    最後まで聞いて頂けたら嬉しいです。
    ありがとうございます。

引用返信 削除キー/
■2188 / inTopicNo.2)  (『横レス』失礼いたします。) SILVER7さんへ
□投稿者/ キーコ -(2004/12/28(Tue) 10:57:55)
    2004/12/28(Tue) 17:04:14 編集(投稿者)
    2004/12/28(Tue) 16:35:33 編集(投稿者)
    2004/12/28(Tue) 11:30:51 編集(投稿者)

    No2185に返信(ミルキーさんの記事)

    ミルキーさん、こんにちは。
    「横レス歓迎です」ということなので、『横レス』させていただきます。
    「わたし自身の話」をしたいと思いますので、わたしも 参加させてください!


    SILVER7さん、こんにちは。
    今まで、人と関わると、「自分を理屈で言いくるめられる所」(この言い方いいですね! 今まで 理性によるコントロールとか、自己防御システム・・という言い方をしてきましたが、こちらの方がしっくりしていいです。)まで来ると、スッと身をひいて、人との関係を切って、いつも自分を守るために『絶対のテリトリー』を作ってきた わたしにとって、こんなに長く継続的に、しかも これほど深く「自分の気持ち」を物語れる体験をしたのは、生まれてはじめてです。

    わたしにとって、かなり重たい荷物があるのですが、どうしても「こういう話題」になると、身構えて、それこそ、理屈で自分を言いくるめ、抑え込んで、精神力と忍耐の力でガンバリなさい!!・・・という具合になってしまいます。
    いつも食事がとれなくて、ヒ〜ヒ〜お腹をすかせているのですから、少し自分に贅沢をさせて、「こころのお腹を満足させてみようかなぁ。」と思います。

     さて・・・と、今も頻繁によみがえってくる「思い出」は、23年前の「父の入院」です。
    入院した期間は、とても短くて、二ヶ月位でしたが、持病の「糖尿病」が悪化して、アッという間に亡くなりました。
    この「入院期間」の体験が、今でも、目の前で起きているように感じられて、ほんとうにつらくて、苦しくて仕方がありません。
    どうして、この話がしづらいかというと、『家の秘密(恥)は、絶対に外へ持ち出すな!』という母の絶対命令があるからです。
    父の病気だけでしたら、どんな修羅場の話をしても別段どうってことはないのですが、妹の病気のことも絡んできて、『これ』がネックになって、どうしても 自分の気持ちが語れないわけです。
    先日、妹が帰省した折に、「他の人に語ってもいい」というOK!(免責証)をもらったので、話してもいいかなぁ・・・と思います。

    妹は、今は二児の母で、完全に回復して健康で暮らしていますが、父の入院する二ヶ月前に「卵巣癌の一種」だと診断され、手術、抗癌治療を受けることになりました。 
    当時は、妹の年も若く、非常に珍しいもので、治癒もほとんど望めないと言われていただけに、「その現実」をどう受け止めていいのか まったく分かりませんでした。
    家の中は、「父の女性問題」と「秘密にされていた母の再婚と、異父兄の暴露」で、メチャクチャな状態でしたが、それでも何とか「家庭内別居」ということで体裁は整えていました。
    当時は、過食・嘔吐の毎日で、「それ」が在ったからこそ、学校にも行けたし、毎日!生き延びてこられたんだと思います。
    母親の外出時間を予め予想して、「過食モード」に入るわけです。 
    何かに取り付かれたように、夢中で食べ物を口に放り込むのです、食べても食べても、少しもお腹が満たされなくて、ひもじくて さびしくて仕方がなかったけれど、「そう」している間だけは「真っ白」になれました。
    依存症の世界にでも逃れなきゃ、とてもじゃないけれど、やってられなくて・・・。

    わたしの場合、見えない〈虐待だった)ので、痛みが確かに「存在!」して、ほんとうに「痛み」を感じているのに、『それ』を味わっている・本人が『それ』を認めて受け入れることが出来ないのが、最大の苦しみだったと思います。
    だから、『拒食』という手段で「自分を飢餓状態」に追い込んで、「理屈を見つける」。 それから『過食・嘔吐』で、抱えきれない葛藤を解消して、一日一日を生き延びていたんです。
    その中で、父と妹がほぼ同時に入院生活を送ることになりました。

    妹の付き添いは、母がつく。
    父の付き添いは、わたしが、「父の愛人」とともに付くように、両親から命令されました。
    妹の病気を隠すために 絶対に必要なもので、『こういう時にこそ 家族のために尽くすのが、家族として、子どもとして、姉として、当然のこと! 義務!』と母に厳命されました。
    父と愛人との関係は、十年位ずっと続いていて、・・・・職場の同僚で、ばれない間は、家族付きあいもさせられていたし、母の愚痴もたっぷりきかされて、わたしは、『三人の歪んだ男女関係』を、イヤと言うほど味わって来ている。
    その、わたしに、両親は「こう命令して」きたのです。

    「理屈」でからめとるように、当時の状態を考えれば、「仕方がない・・・」とか、「親御さんの立場に立てば・・・」という具合に、わたしの中で、例のごとく「問答」が始まるわけですが・・・。
    「愛人と、一緒に父親の看病につけ!」なんて、ほんとうに ひどいよ!!
    これが、親か?人間のやることかっ!!・・・て、「医療関係者」や「友人」の助けをかりて、ようやく自分を責めずに言えるようになりました。
    ・・・・・・・23年かかりました・・・・・、ほんとうに長くて、つらい年月でした。
    父の二ヶ月の入院の間に、わたしが見たことは、今でも、一切 家では語れません。

    父という一人の人間の死を、修羅場で迎えなければならなかった わたしの心情は、家族の誰一人理解しようとしません。
    ・・・したくないのです。 
    それに触れると、自分たちの「未解決の問題」が噴き出して、苦しくなるからです。
    妹に話そうとしても 嫌がるし、彼女は入院していたわけだし、父の葬儀の時にも「後遺症」でふらふらだったわけですから・・・。
    愛人と同じ病室に居て、父の枕もとで、『お世話になります。』と必死で歯を食い縛って 挨拶したわたしの気持ちなんか、父はちっとも分かってくれなかった。
    後で、『もっと愛想よくしなさい! 今後の仕事のこともあるから。』と、かえって説教されました。
    その父が、よく言っていたのが、「肉体関係をもつと、女の人はよく働くから」というゾッとするような言葉でした。
    病室に居る・愛人と父を見るたびに、なんともいえない気持ちになって、行かなくては!・・・と思うだけで、身の毛がよだつような思いでした。
    病状が最悪になって、ドンドンやせていく中で、必死で耐えていましたが、とうとう耐え切れなくなって、わたしは「付き添い」から逃げ出しました。
    どうにか抗癌治療の済んだ 妹の所へ行って、母に泣きついて、「付き添い」を母と交代してもらい、『二度と、父の所へ行くまい!』・・・と心に決めていました。
    まさか、父がそのまま 意識がなくなるとは思ってもみませんでしたから・・・。
    それから暫くして、父は意識がなくなり、再び会ったときには、人工呼吸器を付けられて、ただ生かされている状態でした。
    いろんな事があったけれど、せめて落ち着いて、自分の父親の死くらい見送らせて欲しかったです。
    葬儀の時も、その後も しばらく愛人とのいざこざは、続きました。
    父が、どうでもいい人だったら、こんなに自分を責めることも無かったと思うと、ほんとうに悲しいです。


    未だに、わたしは、「父の死」を 受け入れることができないのかも知れません。
    いつも、「この状況」に引き戻されて苦しんでいるのですが。
    母に言わせると「まだ、そんなことにとらわれているのか。」ということだそうです。

    『死の受容』・・・・・。
    『エリザベス・キューブラー・ロスさん』の名前が出てきたので、思い切って書いてみました。

引用返信 削除キー/
■2189 / inTopicNo.3)  読みましたよ。
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2004/12/28(Tue) 11:21:16)
    No2185に返信(ミルキーさんの記事)
     読みましたよ。
     ほんとうに、愛を受け入れることの経験が少ないと、「自分を愛すること」も、なかなかできないように思います。

     私も、今回のスレを建ててみて、あらためて気付かされています。

     そっか〜、ミルキーさんは「父」を求めていたんですね。 それがイクオール「男」を求めることになったんだ〜。

     今度、一番に、お父さんのところに向かったのは、その意味でも、大事なことだったんですね。

     「愛すること」と、「愛を受け入れること=(おそらく)自分を愛すること」、よーっく、考えてみたいですね。

引用返信 削除キー/
■2191 / inTopicNo.4)  キーコさん、読みましたよ。
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2004/12/28(Tue) 11:42:13)
    No2188に返信(キーコさんの記事)
     読み終わったとき、身が、震えるようでした。………………

     今は、他には、語る言葉が出てきません。


     生半可には書けないぞと、あらためて、思っています。
引用返信 削除キー/
■2192 / inTopicNo.5)  Re[1]: SILVER7さんへ
□投稿者/ 花梨 -(2004/12/29(Wed) 00:19:43)
    こんばんは。

    キューブラーロス博士のことはあたしも知ってました。
    テレビは見なかったのですけど。

    娘ができたことで、無条件の愛を知ったと思います。
    愛を受け入れることも知ったと思います。

    今、好きな人がいます。へへ。
    与えることと与えられることのバランスを考えます。
    静かに、そして激しく、愛しています。
引用返信 削除キー/
■2194 / inTopicNo.6)  質問
□投稿者/ ミルキー -(2004/12/29(Wed) 09:45:06)
    質問です!

    横レスにレスをつけてもいいのでしょうか?


引用返信 削除キー/
■2195 / inTopicNo.7)  Re[2]: 読みましたよ。
□投稿者/ ミルキー -(2004/12/29(Wed) 09:47:56)
    SILVER7さんへ

    読んでくださってありがとうございました。
    ある部分での私の過去と決着つける意味でも 書き込みをしてよかったと思います。本当にありがとうございました。

引用返信 削除キー/
■2196 / inTopicNo.8)  Re[2]: 質問
□投稿者/ 花梨 -(2004/12/29(Wed) 11:01:57)
    ミルキーさんへ

    おはようございます。

    > 横レスにレスをつけてもいいのでしょうか?
    横レス歓迎であれば、よいのではないでしょうか。
    あたしも横レス、失礼してしまったけれど・・・
    >
引用返信 削除キー/
■2197 / inTopicNo.9)  Re[2]: 質問
□投稿者/ キーコ -(2004/12/29(Wed) 11:44:08)
    No2194に返信(ミルキーさんの記事)


    ミルキーさん、こんにちは。
    『横レス』投稿者なので、お返事します。

    『投稿』した話題は、わたしにとって とても重たくて大変な問題ですから、別の視点から見た 他の方の意見を聞きたい・・・という気持ちもあるのですが・・・、
    反面、果たして受け止めて、お答えするだけの力が自分にあるのかどうか、すごく不安で・・・・、揺れ動いています。
    わたしは、いつも、こんな風に固まってしまうので、人と付き会えなくなってしまうんです・・・。

    トライしてみます。『レス』つけていただいて、結構です。

引用返信 削除キー/
■2198 / inTopicNo.10)  Re[2]: 質問
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2004/12/29(Wed) 20:14:06)
    No2194に返信(ミルキーさんの記事)
     夜になって開きましたが、私も、いいんじゃないかと、思いますよ。
     一つのテーマについての展開になるから、いいのじゃないでしょうか? むしろ、豊かになるのじゃないでしょうか?

     只、テーマから離れすぎるようだったら、別の話題として、新たにスレ建てる方がいいかもしれませんね。
引用返信 削除キー/
■2199 / inTopicNo.11)  失敗
□投稿者/ ミルキー -(2004/12/29(Wed) 22:30:57)
    眠って 起きて 朝ご飯食べながら 良く考えました。

    私もSILVER7さんの言うとおり 中途半端な事なら 言わないほうがいいのではないかと思い始めて このレス失敗したと思いました。

    ごめんなさい。

    キーコさんへ
    私は キーコさんの書き込みを読んでいて 涙がでました。
    でも 私にはキーコさんの重さを軽くする言葉がでてきません。
    ただただこんな思いをさせた社会と周りの人間に怒りがこみ上げてくるばかりです。
    本当にごめんなさい。

    私の書いたものは 私に対するものでした。
    もしキーコさんのものもそうであるなら 自己規制したいと思います。
    ごめんなさい。
    私にはまだ何かが足りません。

引用返信 削除キー/
■2204 / inTopicNo.12)  Re[3]: 失敗
□投稿者/ キーコ -(2004/12/30(Thu) 09:00:22)
    No2199に返信(ミルキーさんの記事)

    ミルキーさん、こんにちは。
    今まで、語りたかったけれど、どうしてもいえなくて・・・・。
    でも、『自分の思い』を語らなくては どうしようもない所にきていたようで、こうして書き込めて ほんとうによかったです。

    医療援助者に、何度語っても得られない こころの安らぎを、こうして「ここ」に書き込んで、皆さんに受け止めてもらえると、「感じとること」ができる・・・・。ほんとうに、不思議です・・・・。
    こういう「やさしさ、あたたかさ」が、小さい頃からずっと欲しくて仕方がなかったんだと思います。

    SILVER7 さん、ミルキーさん、皆さんに「わたしの話」を聴いてもらえて、ほんとうにうれしいです。
    今も、『拒食症』と、過去の影響による後遺症で、ヒ〜ヒ〜言っている状態なので、キレイ事なんか とてもじゃないけれど言えなくて・・・、また「のた打ち回るような・書き込み」をすると思います。
    でも、「そんな生き方しかできない人間が、居てもいいんじゃないかなぁ〜。」と思っています。
    年がトシだけに、『治る・治す』ということよりも、『病を抱えた自分』とどう向き合ってゆくか、自分の受けた・苦しみの意味は、いったいなんだったのだろうかと、生涯を通じて考えてゆくのだろう・・・と思います。

    ただ、非常につらいのは、人として生まれたのに、「男の人を、素直に見たこと」が無いのです。
    気がついたら「男の人も、女の人も、怖い!汚い!」としか感じられなくなっていました。
    『意志の力』で、自分をねじ曲げて、親や家、世間に合わせて生きるのは、わたしの特技ですから、遮二無二 そういうやり方で、生きてきました、・・・そういう生き方しか知らなかったのです。
    結婚した相手や、息子には、なんだか悪くて・・・、自分を責める傾きは、今もはっきりありますが、・・・・でも、自分が好きでこうなった訳ではないし、 
    何より、結婚当時は、「病気のこと」も、「自分の状態」も、(わたしを含めて)誰も知らなかった訳だから・・・・、やはり結論的には、『致し方なし!!』ということになります。
    離婚した直後、「父の言っていたことば」とは違いますが、『女性を道具のようにとらえる見方』で使われる言葉を、投げつけられました。
    ・・・自分たちの立場を正当化するためです。
    「この ことば」は、わたしに、「人を生かすことばと、殺すことばが在ること」を、はっきり教えてくれました。
    どうやら、わたしは、たくさんの苦しみや、痛みから、「人を愛すること」を学んでいるようです。


    もし、わたしが病気に成らなければ・・・・、こう考えると、ほんとうに断腸の思いです。
    (もちろん、拒食症が「在った」からこそ、生き延びて来られたわけですが・・・。)
    でも、病気で どん底まで落ちて、息子を散々な目に遭わせた・母親だからこそ、父や母や、その愛人の人たち、結婚していた相手とその両親・・を「ありのまま」見つめることができると思うんです。

    『理屈で言いくるめる』ようなキレイ事をいって、自分で自分の首を もう絞めないようにしてゆきます。
    ぎゃ〜ぎゃ〜、ひーひー言いながら、自分の人生を「み〜んな」の中で生きてゆきたい・・・・です。

引用返信 削除キー/
■2205 / inTopicNo.13)  私もです
□投稿者/ SILVER7 [MAIL] -(2004/12/30(Thu) 10:49:25)
    2004/12/30(Thu) 10:51:17 編集(投稿者)

    No2204に返信(キーコさんの記事)
     キーコさん、「受け止めてもらえると、‘感じること’ができる‥‥」って、嬉しいですね。  言葉ではちょびっとしか表していないんですけどね。

     やっぱり、理屈じゃないのかもしれませんね。

     キーコさんが、一番最後に書いておられる、「ぎゃ〜ぎゃ〜、ひ〜ひ〜言いながら、………‘み〜んな’の中で、生きてゆきたい…です」、私も、おんなじですよ。…………


     さすがに年末で、いささか気ぜわしいので、短い文章になりますが、年が明けたら、また、大いに語りましょう。
引用返信 削除キー/
■2208 / inTopicNo.14)  ありがとうございます。
□投稿者/ キーコ -(2004/12/31(Fri) 06:47:21)
    2004/12/31(Fri) 11:08:16 編集(投稿者)

    No2205に返信(SILVER7さんの記事)

     SILVER7さん、お返事ありがとうございます。 たくさんお話ができてよかったです。

    ここ3〜4年、年末年始も、特に 何もすることなく過ごしています。 階下では、母が バタバタ掃除をしているようですが・・・・・。
    それでも、どうにか今年も、こうして大晦日を迎えることができました。 ・・・・ヤレヤレです・・・・。
    これからも、少しずつ 自分のことを語ってゆきたいと思いますので、よろしくお願いします。

引用返信 削除キー/
■2210 / inTopicNo.15)  Re[2]: キーコさんへ
□投稿者/ 花梨 -(2004/12/31(Fri) 11:52:53)
    キーコさんへ

    あたし、何も言葉が出ないけど、しっかり読みました。

    それでも一生懸命生きているキーコさんを尊敬していますし、好きです。

    拙い言葉しかなくてごめんなさい。

    よいお年をお迎えくださいね。
引用返信 削除キー/
■2212 / inTopicNo.16)  ありがとう!ございます。
□投稿者/ キーコ -(2004/12/31(Fri) 17:38:35)
    2004/12/31(Fri) 20:59:03 編集(投稿者)

    No2210に返信(花梨さんの記事)

     花梨さん、ありがとうございます。
    自分のことばで、「自分の気持ち」を語れるようになって、わたしの人生を 取り戻して来たように思います。
    今でも、自分がつぶれてしまいそうな気持ちに、何度も襲われますが、
    以前と違って 自分のうちに「芯」のようなモノが 少しずつ育ってきたように思います。
    どんなにひどい状態になっても、わたしが、「わたし」を、あたたかく見守れるようになってきました。

    「自分を愛すること と その愛を受け入れること」が、具体的にどういうことなのか よく分からないのですが、
    とりあえず「『この まなざし』を大切にして、自分をあたたかく見守ってゆこう。」と思います。
    たくさん苦しいことがあるけれど、こうして分かち合えて、ホントウにうれしい!・・・です。

      花梨さん、よいお年をお迎えください。

引用返信 削除キー/



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