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私たちの物語 - 仕事・職場・過去ログ No.37
メッセージ数:740件

<740> けんと 改め まさ ■2008年01月07日 月曜日 05時25分02秒
精神科デイケア内で

 精神科デイケア内でいろんなトラブルがある。ある連中は同棲して、金銭トラブルを起こした。関係ないな。

 原因はK氏で、べったり系の女が好きらしい。馬鹿だな。以前の奥さんがそういう人だったろう。

 気分が悪いな。怒りも沸くな。

 こんなふうじゃ、自分のリハビリにならん。外の世界で、仕事したほうがかなり楽ジャン。

 ともかく、線引きだ。境界線だ。感情的境界線だ。
<739> ミン ■2008年01月06日 日曜日 20時53分51秒
本格的な職場復帰はまだ先になりそう。できることだけさせてもらえるといいんだけど、急かされたりミスを指摘されると途端にフリーズ…頭の中が真っ白になって、相手の機嫌を取るようなことを口ばしったり言い訳を必死にする。そんなとき、自分もハイヤーパワーも見失ってる。そんな時に冷静になるにはどうしたらいいんだろう。慣れるまでに挫けてばっかり。
<738> かえる ■2008年01月06日 日曜日 12時18分44秒
したいことをする?職種も関係あるけど、なにより職場での人間関係がきつい。最初のうちはうまく上べを繕って、此処で自分の居場所をつくるのに懸命になる。慣れてきて、ちょっと日がたつと、息苦しさを感じる。同僚の嫌な面が見えてくるのか?自分が良い子ぶるのに疲れてきたのか?…やりたいことしてたら、それがなんとかストッパーになってくれて、途中で逃げ出さずに続けていける気がして…正直今の仕事はやりがいは感じられないかもしれない。最初は張り切って頑張ろうって思ってても頑張りが持続しない。なんでなんだろう?
<737> けんと 改め まさ ■2008年01月04日 金曜日 03時10分31秒
3回目の起業

 ACを自覚して約10年。その間に2回起業して、2回、会社を潰した。関係者に迷惑をかけた。回数を増すたびにうまくはなったが、成功者のまねをしても部分的な成功しかしなかった。何度も反省して紙に書き出し、自分が何が好きで、どんな事業をしたいのか検討を生活保護に入ってから重ねてきた。

 先回も、「成功者の告白」という本を参考に意識して起業したが、本を読んでもきちんと理解してやっていたわけじゃない。直感とシンクロニシティで動いていた。その結果、自分の起こした事業の利益せいの低さと、従業員の使い方が未熟であったこと、自分の精神的未熟さや、自分をバックアップしてくれる精神科医や、PSW、メンターたちや両親の承諾、兄弟の承諾をとらずにやったことが敗因だった。

 今回は、単独ではないし、上であげた人脈に加え、彼女にも伝えてある。彼女はあまりはなさいタイプだけど、態度で感情を出すので、それを喜んでくれていることがわかる。彼女を雇う約束をしている。つまり、パートナーになってくれと手紙で伝えてあるし、その目標に沿って、入院中にOT(作業療法)をがんばるように指示していた。オーナー社長兼彼氏なんで、こういうことができる。自分も入院中に作業療法で、音楽とPCに触れて、自信取り戻した。

 書いていて思うが、今回は健全なる博打である。何重もの保険をかけている。(人脈)当面、もうけはでないので、PCでアフィリエイトと何かを組み合わせて、安定収入を作る必要がある。そのことを役場に伝えて、約半年の経済的なサポートをお願いしなければならない。信用保証協会は、生活費の応援はしてくれない。運転資金と事業資金の応援そしてくれるんだ。

 目玉となる商品の開発をするひつようがあり、意識の中には何回も考え抜いた商品が2つある。メンタル系の商品とPC系の商品で、友人との会話の中からアイデアが生まれた。

 1月はこの商品をアイデアから製品へと昇華させらければいけない。これは現在のある機材でできる。つまり、生保状態でできる。よって、借金は先送りし、これと同時にアフィリエイトを立ち上げる。成功者の経験を真似てみる。

 できるなら、無借金でいたい。借金はストレスだから。

 読んでくれて、ありがとうね^^;

 けんと 改め まさ
<736> ミン ■2007年12月29日 土曜日 21時21分36秒
今日、お客様からの電話の問い合わせで、私は嘘をついた。
商品の在庫の確認をせずに「あります!」と返答した。
在庫切れだった。
それを上司に「嘘をつくな!!すぐに電話して謝れ!!」と叱られた。
私は電話をかけて謝った。お客様は不機嫌な声でしぶしぶ違う物で了承して下さった・・・

私に嘘をついたことのある上司に、年末のギリギリにそんな電話をかけてくるお客様に、今年最後の営業日に休みを取ったもう一人のスタッフに、腹がたってムカついて素直に謝れなかった。

私はそれがあるに違いないと思い込んだ。電話で待たせると怒らせたり、トロい奴と馬鹿にされるのではないかと恐れた。急いで返事をしなければ、と追い込まれたように感じていた。わからないことをわからないと言うことが恥ずかしかった。自分の恥や弱さを隠すために人や物のせいにした。

職場で普段こんな出来事が多々ある。正直でいた方が自分のためだとわかっているのに。
でも、今までと違うところが出てきた。相手を責めて終わりじゃなくて、原因は自分なんだと認めることができる時がある。
自分の心を覗くのはやっぱり怖い、自分と向かい合うのは怖い。
嫌なことや後悔ばっかり出てくるし。
気付きがあると、不思議と自分以外を恨み続けるより平和な気持ちになれる。
<735> ayako ■2007年12月20日 木曜日 09時03分39秒
朝に外に出てみた。ちょうど出勤の時間帯。ここから道ゆく人達を眺めてみる。私が仕事止めたのは二年前になる。1日の半分を仕事場で過ごし、残業でボロボロになってた日々。あの頃私はやっきになって仕事してた。 お金が欲しかったし、仕事に依存してた。 精神衛生上良くない生活をしていた。 あの仕事は選択ミスだった。本当は場所が移転する時に辞めてしまえばよかったのに。 私はあの仕事に何の魅力を感じていたのか?魅力よりバカみたいに仕事出来て、ヒドイ待遇でこき使われていたかったんだろう… あの時の私は間違いないワーカホリックだった。安時給のワーカホリック。旦那との関係みたく搾取されていたのに気がつくかず、頑張って働いていた。 元家族の関係みたいに。私は搾取されたくないと思ってた。でも自分自ら搾取されていた。あたかもそれが当たり前かのように… 労働の代価は賃金。 その賃金も仕事にミアッタ物では無かった。 その事実から目を背けてた。自分はもっと賃金がもらえる人間だ!と思いつつ交渉せず、諦めていた。事実どれだけ仕事出来ても賃金は上がらない仕事場所だったが… 30になる手前に私はふと気がつく。 30には社員かやりたい仕事を見つけてるはずだったのに…と 結局やりたい仕事も定まらず今に至る… 今は職人になりたいと思ってる。何のはまだ決まってない。 和の職人に昔惹かれた。美しい物を造り出すからだ。洋服や靴も美しい。私の小さな頃は周りに美しい物など無かった。母親が観葉植物を育てていたが綺麗と思った事は無い。 汚いとしか思えなかった。母親が食卓に飾ったかすみそうも貧相で食卓がかえって貧乏臭く感じた位だ。 母親が造った造花も綺麗には見えなかった。私がテープを巻いていたら横からひったくられた。母親は楽しそうにひったくった材料で造花を造った。私は唖然とした。出来上がった造花は母親が入れ物に入れた。 造花は死んでる花みたいだった。いや、あたかもビニールテープで造った物に見えた。 母親の心をまじまじと反映しており、貧相でこ汚く見えた。 母親はお花の家系の人だという。家には剣山があった。しかし、剣山を使って花をいけた姿など見たこともない。私にそんな話などしたこともなく母親のお姉さんから聞いてビックリした位だ。 亡くなった祖父も俳句の先生だったと同時に聞いた。父方の方も和の家系。だから両親は出会ったのだろう… 私も将来、和の家系の人と出会って結婚するのだろうか? せめて結婚相手は健康的な人であって欲しい。それを見抜く為には自分自身が健康でなくちゃならない。 後何年したら働く事になるのかは分からないけど、その時には健康になっていたいものだ
<734> ミン ■2007年12月17日 月曜日 15時36分44秒
仕事を毎日していた時のことを思い出すと、承認を求める気持ちが多かったことに改めて気付く。利益を生むことが目的なのだからと思うと、自己の欲求を出すことは極めて自己中心的で罪悪感を感じていた。数字を達成しても周りから褒められても自分を褒め称える気持ちは湧いてこなかった。それより継続させる苦痛に捕らわれていた。いつも自信がなくそれを補おうと必死に仕事をしていたが、周囲の人も認めてくれる私の居場所の確保に必死だっただけ。人目がないと、やる気が出なかった。誰も認めてくれない仕事は意味がなかった。今もその感覚は残っているが以前よりは柔軟になってきている。掃除でも雑用でもやり遂げると満足感を感じることがあり、周りの承認を必要としない。
この感覚を広げていきたいと思っている。
<733> かえる ■2007年12月12日 水曜日 01時26分47秒
どんな職業に就いても多かれ少なかれ仕事や人間関係の不満はでてくる。今の私はどうだろう?仕事の義務感は強くかんじる。けど仕事を終えても充実感より疲労感の方が先にたつ。やりがいを感じて働く人達は少ないだろうし、みんな生活のために腹に逸物抱えながらも我慢して、どこかで折り合いをつけながら仕事をする。それは分かってる。けど私の仕事内容は単調でも相手が人間だから、あれこれ注文をつけてくる人もいれば、こっちが仕事の最中なのに平気で横から話しかけてくる人もいる。一呼吸おいて一区切りするまで待ってはくれない。私は一人しかいないんだから、双方を相手にできるはずがない。それともこっちが両用が悪いのか?…本当にもっと気持ちにある程度ゆとりを持てる仕事がしたい。常に人と業務に駆り立てられる様な職種は自分にはあってない。神経が疲れるし達成感も感じられない。転職したいよ。


<732> かえる ■2007年12月04日 火曜日 23時53分09秒
これ以上何を頑張れって言うんだ?今だって自分の出来ることは手を抜かずやってるよ。でも出来る範囲が人によって違うから完璧に出来る人ばかりじゃない。それにお客さんのあんたらかてやりたい放題やんか。ごみをそのまま放置するし使ったものは片付けない。それってありなんか?そんなん子供が見たら真似するやんか。
<731> ミン ■2007年11月27日 火曜日 14時21分58秒
信じられないミスをした。一つの事に気を取られると他の大事なことが吹っ飛ぶ。たまたま何とかなったが、自分が原因で他の人の気分を悪くしたり、失敗したら「私はダメなんだ」と再認識するのが怖い。職場でもう何も任せられないと拒絶されることを恐れている。前に進む勇気が出ない。
<730> halu ■2007年11月20日 火曜日 22時01分41秒
転職した職場で正社員にならないかと言われた・・・昼休憩は60分の所、30分弱休憩・・・残業は毎日2時間前後でもサービス残業・・・派遣なのにね・・・そりゃお得な子よね・・・社員に・・・ってなるよね・・・。でも、売上の倍の経費を使ってる会社・・・中小企業・・・きついかも・・・。
考え方偏ってるかもしらんけど、見た目が綺麗な感じの子、職場から家が近い子、給料安くても頑張って働いてくれそうな子、明るくて元気な子、理屈をこねず仕事をしてくれそうな子・・・大企業ほどこんなんが当てはまるのが多い人が働いてる率が高いかも・・・まぁ家族や親戚、学校のコネも多いんやろうけど・・・こういう当たり前のことを、家庭生活など環境で身に付けられた人は気づかないやろうけど・・・私は社会に出てたくさんの職場で働いて知ったこと・・・早くから知ってたら、働くということをもっと実生活に根付いたものとして考えることが出来たんやろうな・・・
まぁ、父親が5年に一回くらいのペースで転職して、バブル時代一年間とバブル崩壊後一年間精神的にも働けなくなって家で休職していて、私がいつも家の家事手伝ったりしたり、親戚付き合いしたり、親とかの愚痴聞いたり・・・自分の置かれてる状況が分からないまますることいっぱいで・・・働くことをちゃんと考えたことがなかったな・・・。
母親には父親や姉を手助けしてあげてとか。父親には母親の手助けしてあげてとか・・・そのとき姉はそんな家族に近寄らないで、顔を合わせない様にしていた・・・家の手伝いもせずに・・・でも姉の行動が正解かも・・・だって父親と母親が話して生活をしていかなあかんのを、子どもに振るねんもんな・・・それが多すぎだつうの。
逆に私が色々家のことやいろんなことをし過ぎることで、親を甘やかしてたのかも・・・だって友達と遊べないほどやったもん・・・今は一日に一つしか家事はしない・・・父親は自由業?で家に居ること多いから親が話し合うか、母親が上手く操縦して父親が家事したら良いやん・・・母親は父親が転職ばっかしてるから、パートやのにフルタイムでサービス残業してる・・・親が話し合って、仕事と家事の分担決めてや!!母親、父親の操縦出来んからって私に振るのは辞めて!そして、姉には振られへんからって私ばかりに振るのは辞めて!!仕事と家事の分担は夫婦で決めて・・・父親が何割で母親が何割って・・・
父はACで母は共依存やもんな・・・そりゃ厳しい家庭やわ・・・そう思ってなやってられへん・・・
<729> かえる ■2007年11月19日 月曜日 00時45分37秒
働くということ。職種にもよるけど私の今の仕事は常に人と接する。お客さんは勿論だけど同僚との雑談もコミュニュケーションの一種。私はどちらかというと同僚との関係を保つ方が苦手だ。前職場で自分の考えをストレートに口に出したら相手に嫌味にとられてしまったことがある。その時の私の言い方も悪かったのだと思うけど決して皮肉めいて言いたかったわけじゃない。私の素直な気持は相手にうまく伝わらなかった。誤解を招いて人の輪の中にうまく溶け込めなかった。ある程度勤める期間が長くなると、見てくれてる人はちゃんと見てくれていると感じた。優しい言葉をかけてくれる人もいて、私がどんな風な人なのか少しだけわかってもらえた気がした。不器用でうまく立ち回れなくて、とにかく与えられた仕事を手を抜かずにひたすら頑張る。まわりには真面目で取っ付きにくく見えたのかな?それは定かじゃないけど、その教訓は今の職場でいきてる。わからないことはわからないと言いまわりの人に教えてもらう。助けてもらいたい時は自分一人でどうにかしようとせずにまわりに助けてもらう。当たり前のことだけどなかなか難しいことだと思う。うまく言葉のニュアンスが相手に伝わればいいけど、話が噛み合わない時もある。それはもう実際に人と交わって場数を踏むしかないのだろう…自分から殻に閉じ籠るのではなく、相手に有りのままの自分を少しでも知ってもらえるように自然体で話す。もともと人間関係が上手に築けない私に今の職種はあってないかも?とは思う。でも人は嫌いじゃないし、親しくなれば人なつっこく喋りまくる方だ。今の仕事でそんな私が無理なく表にあらわせたらいいなぁ。疲れるけど働くことは好きだ。何気ないちっちゃなことが私には嬉しかったりする。帰り道で空を見上げたらお月様がきれいに半円の形をしていた。ずっと眺めてても飽きないや。明日も仕事を頑張れそうだ。
<728> なずな ■2007年11月14日 水曜日 00時53分02秒
 わたしちゃんと頑張ってる、でも何で少しも出来てない気がするの??
突然お前は何一つ出来てない!!って言われそうな恐れがあるの??
お休みの日もあんまりゆっくり自分を休めることが出来ない。
 いやだよ、こんな生き方は辞めたいの!

 仕事から離れたら私には何もない、趣味も好きなことも、何よりやる気が・・・
 でもいやなら仕事以外の時間を充実させるしかないじゃんか。そしたら仕事のストレスも家の中でグツグツ煮込んで考えるほどのことじゃなくなるかもよ。
<727> かえる ■2007年11月13日 火曜日 18時00分23秒
高校生バイトが律儀に挨拶してるんだからし返てあげればいいのに…きちんと誠意を感じられる言動に対してはこっちもちゃんとこころくばりをみせたい。テキトーな人にはそれなりでいいけど…。

<726> ぺあ(FB注意) ■2007年11月09日 金曜日 21時28分08秒
電車に乗れてもいいですか?
私にも彼氏とかいたり、楽しい思い出たくさんあってもいいですか?
裏切り者とかこのサイトの方にも思われそうで怖い。
お前は不幸話しか書かないから、自分よりも下がいたとか思いたかったのにとかいわれそう。電車乗れてもいいですか?裏切ったな〜こんなにあんたのために心配してやったのに!!!1!とかいわれそうで怖い。裏切り者〜って過去のいじめっ子の言った言葉が突き刺さっている。お前はずるくて裏切り者なんだって。生まれつき汚い人を嫉妬させるようないじめられてもしょうがない子なんだとか思っていたよ。
 もう、絡みつかないで。お願い。私の幸せを願って。私は他者が怖い。他者はくる。他者は私の境界線を犯す。他者は私におっかぶさってくる。助けて〜さもないと自殺するぞって。こんなにこんなにこんなに命かけてまでお前にしてやったのに!!!って迫ってくるの。俺の世界観を肯定しろ!さもないと死んでしまうって弱いから。怖いの。皆依存してくるの。助けて助けて俺はこんなに辛いんだ、お前は幸せそうでずるいとか言わないで。こないで。つらいよ。生きられないよ。私が。
 こんなにこんなにこんなに命かけて存在かけて心配してやって、何も手につかなかったのに、電車に乗れやがってうそつき、仕事しやがってうそつき、いつか復讐してやるとか、自殺してやるとか、その人自体が壊れてしまったりしたら、私は私は、その人に合わせて、その人の頭の思うとおりの「弱くて父に自死された可哀想でパニック障害で社会に落っこちそうで誰かに助けをもらわないとあなたに助けてもらわないと生きられない女」にならないといけないのでしょうか?
 人の目が怖い。
 人は「OOはこういう人」って決め付けて、そうじゃなくいきなり行動的で楽しい生活していたら、私に「うそつき」って迫っては自死しそうな気がする。壊れて、その人が落っこちてしまう気がする、怖いの。
 昔、今でも男性が私に好きっていう視線送ったら、私はそのそういう風に思わせた、思わせぶりな視線とか含めて、そういう風に思わせてしまった、自分に責任をとらないといけないの。
 こいつ俺のこと好きだろう〜って明らかに勘違いしているくそげすきもい男に対しても、「彼の精神的な安全を守るために」好きなそぶりしないといけない。彼を否定できない。彼を一人にさせられない。そして、好きだって勘違いして、迫ってきたら、それは私のせいだし、彼を否定できないから、その場に合わせてしまう。レイプされたとしても私は何もいえないだろう。いや、そういう風にされることは、いきなり道路で襲われて、何の準備もないままよりはましだし、許せる、だって私分かっているから・・・・そう思ってしまうの。
 いつもそう。
 人の視線が「この人は私より下」っていうものであれば、その人を否定したり、下じゃなくて輝いている場所があることばれて逆上される。彼女を否定したら、彼女は精神的におかしくなる、穴に落っこちる、彼女を壊す。そういう恐怖がすごかった。だから、彼女が本当は私よりも弱いはずだから(私よりも強い人、世の中の真理を分かっている人はこの世にいないと思っていましたので)私が下な振りをしなければならないのだ。
 彼が「俺のこと好きだろう〜?」ってにたにたしていれば、私は彼を壊さないために、彼のことを好きな風にしてしまう。そうすれば、壊れない。相手の世界観は、壊せない。自殺されるから。相手の方が私よりも数段弱くて、かわいそうで、助けを待つか弱い方だから、私は、相手の嘘に心からだまされた振りしないといけないのだ。彼を満たすのは私の責任。彼を壊さないようにするのは私の責任なの。だって、本当に強いのは私だから。合っているのも私だから。この世の人は皆弱くて、助けを待っている可哀想な人たちだから。しかも、世の中の成り立ちや真理、いつか失恋だとか自殺だとか、病気だとか、不意な事故だとか、そういう穴に無防備に落っこちてしまう、ばかばっかりだから。私は、世の中、穴に落ちないために、どんなに楽しい時も、いつも防御線張っているよ。防御線はって、楽しいことも心を本当に解放して楽しまないよ。だって、穴が待っているからね。
 幼稚園の頃も思っていた。
 皆わ〜わ〜ばかみたいにはしゃいで遊んでいる。私はこんながきとは違う。私はこの世でホームレスにならないためにも、遊びなんかに没頭しないで心をこの世に許さないで、いつも意識しているから、いつも先生様のいう事聞いて、一つも忘れないから、ためになるから、そして勉強もして、このいつか絶対に穴に落ちそうな失恋だとか、無防備に心を何かにゆだねて、解放し解き放っているばかな子供とは違って、私は大人な視線でこのばからよりも「勝とう」って思っていた。しかも、こんなこと思えるなんて、この年でね、ほんと私ってなんてお・と・なとか思っていた。自分はすごい素晴らしいって思っていたよ。このばかとはばかな4歳児たちよりも覚醒しているもんね。ほんとばかでいいよなって周りを思いっきりばかにしていた。
<725> ぺあ(FB注意) ■2007年11月09日 金曜日 21時04分17秒
 電車に乗れねえな・・・。でも次の日に乗れていたら、ここを読んで「私と同じだ」とか思った方や「心配だ」って私のために心配し、わざわざ心を使ってくれた人を裏切っている気もするの。
 頑張れば乗れるよ。でも思い出す。学校時代の絶対に手を緩めてくれない残酷なからかい、エスカレートしていく集団の熱に浮かされたようなターゲットに向かってくるエネルギー。
 怖いよ、本当は怖いのに。どこにもいけない。私は「ふつう」の子だから。母や姉には言えない。父にも。こんなこんなこっっんな惨めで汚らしい子だったなんて、彼らにはばれてほしくない。私の本性なんて、集団から辱められるようなきったないきったないきたないこの世の中で一番きたない女の子なんだ。私は女とも呼べない。本当に人から軽蔑されて当たり前、暴力の的にされて当たり前。それに皆笑っている「こんなことくらいで傷つくなんておかしくねえ?」「ばかじゃねえの?たんなるおふざけ」「おちょくられている〜」「まじめだなあ。OOOOがかわいいからからかっているだけだよ」「結局Oさんが一番悪いよね〜」女子同士のほんの少しの会話なのに、傷ついてしまう。いついじめが始まるのか兆候を子供たちのささいな心の動きを私がいち早く察知して、どうにか懐柔しないと、いじめがまたエスカレートする・・・・怖い。
 でも私は子供だから、何の権限もない子供だから、逃げられない。何もいえない。ただ責められるだけ。怖いよ。でもそれさえもいえば、母にも姉にもばかにされ、笑われ、性格の欠点として後々までからかわれるネタになってしまう。弱点や失敗は笑われるもの、からかわれるものだったから、家庭の中では。
 いえないのに、家では「学校楽しんでいる振り」。
 子供の私には、分からなくて。怖いのに、心は何も感じないようにするしかなくて。自傷した。いじめっ子も私になんか理由があって、いじめているわけだから、「気に入らない」らしいし、「大人にぶっているように見える」らしいし、「ずるい」らしいから、彼らの方が多数なわけだから、私には味方もいなかったから、いじめっ子は正当な理由で私をいじめているんだって25歳くらいになるまでずっとずっと思いこんでいた。つまり私は他者にいじめられてもしょうがないくらい生まれつき弱弱しく卑屈で大切にされないオーラを放っているんだって思ってきた。だから、世の中と自分との整合性のためにも、いじめっ子(正しいから)のためにも、下な存在できて嬉しいだろう姉や母のためにも私は、自傷すればよかったのよ。だから、自傷をはじめた。そしたら、今まで心に溜め込んできた思いに出口が出来たようで、自傷に向かって、思いたちが、そっちに向かってほとばしるように向かっていった。
 自傷。自分を学校という普通に他者の精神を殺し、喜ぶ子供の中にいて、(もっと恐ろしいのはNさんのように私に狙いを定めては私の心が恐怖で凍りつくのをものすごく喜んでいる子なの。大人の社会では皆自分の幸せだけを考えているから、あんまり人の不幸に熱を上げる人いないじゃない?でも学校は違った。あの子は私に狙いを定めては分かりやすく掃除の時間に私の机だけ後ろと前を反対にしたり。その姿を少し離れたところからショックを受けてみている私に、にっや〜って口をすんごく嬉しそうにして、私を見ていた。いつ、暴力がくるのか、いつその子の気持ちがそういう気分になるのか、とにかく怖くて怖くて怖くて、でもそんな怖い気持ちが彼女的には嬉しかったみたいで、弄ぶようにしていた。私の反応が「かわいい〜」とか言っていた。「OOOOはからかいがいがある」「いじめがいがある」っていわれていた。)
 誰にも相談できないどころか、格好ばっかり付け合う家族の中にいて、私は、自分で考案した自分いじめをした。自分をこの訳の分からない、不安定で、いつ子供というブレーキのきかない、しかも人のその場の流れに汚染されやすい、感づいては攻撃しやすい未熟な子供たちに、ゆだねたくなかったの。魂を傷つけられたくなかったの、精神を殺されたくなかったの。だから、自分いじめを自分の弱いところ一番知っている自分がするようになった。
 自分を守るために始めたのに、どんなに安全な場所にいっても(高校に入っても・・・予備校にいっても。大学生になっても。)とめられなくなってしまったんだ。現実からカバーをかけている。現実と好きな友人とも分かち合えない。いつもいつもいつも寂しかった。でも家族は父が自死する前くらいまで(実際は大学4年くらいにカウンセリングを受けてからかな)くらいにやっと「うちって良い家族じゃないかも」って思えるようになったから。それまでは、こういう人の失敗をあげつらったり、笑ったり、喜んだり(大学時代の友人にはあんたは人の失敗を大喜びして、皆に笑いながらその話をねたにするよね・・・不思議っていわれたし、友人に彼氏ができたら、さき越されたって悲しくなる、焦るって素直な気持ちいったら、え?競争なの?こういうことってって驚かれた)比較しあい、ええかっこうしいで、見栄を張りあう家族は、ふつうなんだって思っていたから。
<724> ぺあ(FB注意) ■2007年11月09日 金曜日 20時27分09秒
仕事したいな。
でも辛いな。
電車に乗ることは、現実を超えること。認めること。もう父がこの世界にいないということを、外の世界に出してしまうこと。
 もしかして助かったかもしれない。でも、我慢して生きつづけた結果、過去の振り返りをして、教育実習で過去の見直しをして、そして怖い気持ち殺して、でも人を傷つけて、最後はものすごい怒鳴られて、集団全員に頭おかしいって思われて終わった。
 あれさえなければ、父を一声かけられて、まだ命ながらえたかもしれない。楽しいことをもっともっと発見できて、もっといい最後を迎えられたかもしれない。なのに・・・自分で首なんか絞めて、そんな死に方して。それに、父は外面的にはいや、内面も自分に厳しいある意味立派な人であったから、あんなふうに隠れるようにしてお葬式やったことも、悲しくてしょうがないの。お父さんのばかやろう!!!!あんなふうに全部戒名なんか決まりやがって。皆他人だから泣かないし。手続きのように、たんたんと父をあんな風な場所でお経あげて、あんなふうにご遺体なんて呼ばれて・・・・。皆いつかはそうなるよね。私が今までそんな世界と無縁だったから、きっと恵まれていた甘ちゃんだったのかもしれない・・・。でも、あんなに唐突に父がいつの間にか遺影かなんかになっていて、菊の花に囲まれて、何事もないように、お坊さんが父の焼かれた骨にいっぱいいっぱいお経をとなえるなんて・・・・。
 いつの間にか、流れて流れて、流れたのよ。すべてが周りの合わせてまるで、市役所の窓口で呼ばれるみたいにして、人の死が終わる。あんな地獄みたいな山の中で。焼く場所ね。。。。
 とめられない現実。
 どうにもできない運命。
 きっと「もっと辛い人もいるんだよ?」って言われるよね。
 でも、でもでも言いたいの。悲しいの。どうして?
 もっと若くして病気で亡くなる人いるのにだとか、そんなこと言うならアウシュビッツでなくなった人はどうなるんだ?っていう声が聞こえてくるよ。
 でもでも、こんなに嘆いていて、次は私がぽっくり逝ってしまうかもしんない。そんなのわかんないけど。それでもいいたいの。
 悲しいの。なぜ、あんなに簡単に済むんだろう?
この世って、生きている人向けに創られた世界なんだなってつくづく思った。くだらない今年の冬の流行だとか、週刊誌ネタだとか、そんなこともすべて生きている人向けなんだな・・・。この社会では、「死」ってタブーなんだなって思った。隠れるようにしたのも傷ついた。父は何も悪いことなんてしてこなかったのにいいい!!って思ったよ。いいじゃん。自死っていおうが自殺って言おうが、いいじゃん。そんな死に方があったってよう。でも、外側から見れば、やっぱり父の苦しさが子供にとっては辛い。父と同じ気持ちになろうと思って、彼を理解したくなったりした。首を絞めているリアルな想像をすると、もう息が苦しくて、死にそうになる。でも、これって一人暮らししていた時も、寝る前にそんな想像が夢か現実の狭間で出てきてしまうのね。必ず、霊みたいなのが私の中に入るんだ。父の死までのタイムリミットとか数えて、病気がもうひどくて末期みたいな父の前で繕っている私の夢を毎度みた。そしたら、もういないのかあって夢から覚める。
 自死は悲しくない。生きていることのほうが大変なことも多いとも思う。でも、後一声かけていれば・・・っていう後悔と、どうにも止まらない運命のまっただなかにいて、とめようと必死になる思いに、さいなまれてしまう。
<723> ぺあ ■2007年11月06日 火曜日 13時02分19秒
自分は、病気にもならんで生きてきて、ずるいって心から思っている。
まだ辛くないだろう?まだ頑張れるだろうって。
でも、そんな自分を止める自分もいるの。
私、普通の子と付き合いたいな。
普通の子と。幸せで普通の子と。そうじゃないと、辛い世界に一緒に飲み込まれていきそうで。
 子供と関わるお仕事には就かないけども、どうか、救世主願望もとまらないけど、いいよね?子供辛い子供がいたら、やっぱり助けてあげたいの。学校の中で性暴力がはびこっているのは、現実だと思うし、それを誰にも言えないで、恥辱感にさいなまれながらも、自分の価値を殺している子たっくさんいる気がするの。
<722> ぺあ(FB注意) ■2007年11月06日 火曜日 12時12分34秒
毎日、当たり前だったな。
言葉で傷つけられるのは当たり前。
身体もそうだった。
されてきたことは覚えているの。
「Oって、からかうと面白いよね」「からかいがいがある」どうやってもとめられないあの流れ。集団の流れ。でも、悲しいのはそれが大学まで続いたことなの。大学になってまで、私は皆の集団からいじり役と評されて、すごい傷つけられてきた。「からかっているだけだから、そんなに気にするな」って沢山の人に言われた。でも過去のいじめの流れとめられなくて、耳に蟻まで入ってしまったり、生涯忘れられないほどの傷を受けた私にとっては、集団で一人の人間として大切にされずに、皆から一様に「いじり役」「いじめてもOKな役」って決められて、集団にそういう目に遭わされるのは恐怖以外の何者でもなかったの。でも誰も分かってくれなかった。バイト先でも全くおんなじだった。いじってOKって言われていた。人の足のまめとか面白おかしくからかわれて、何でもからかいの材料だった。何言っても「Oおっもしれ〜」って言われていたもの。そういう役を私も演じていた。やめられなかったのは、私は真の私はまじめで誰からも好かれていない、子供の中にいてとっても浮いた子供の頃の私がいるから。姉には、そんな私を笑われていた。「何で〜?私なんてぜったいにそういうことされないけど、あんたなんでそんなことされてんの〜?いじめられやすいキャラ?いじりキャラとしていいんじゃねえ?何でいっつもそんなことされるの???私はぜったいにそういうことされないキャラなんだよね〜」ってものすごい優越感に浸られるんだ。
<721> ぺあ(FB注意) ■2007年11月06日 火曜日 12時05分02秒
父が死んだのは、24の終わり。今もう何年か経った。
あの頃の思いは書けない。
殺人しそうだった。カウンセラーなんか目指しながら、相談に来る人を弱っている人をどん底に突き落として、それも分からないようにしてやろうと思っていた。もしも学校のスクールカウンセラーになっていたならば、子供を今まで受けてきたいじめを今度は強者になって、分からないように、精神を追い詰めて心なんて私と同じようにそれ以下に殺そうと思っていた。
友人もそう。分からないようにして、自信失わせてやろうって思っていたし、そんな自分が怖くて、自分を刺したかったし、でも、怒りはたまった怒りはとぐろを巻いていて、女レイプしてやりっていう思いもあったの、ラッキーやってやるとか。すごいよね。でも私の中の男性性みたいのが、怒りの出口を他者を自分をも傷つける思いで、傷つけようと思っていたから。自分は幸せにもなっていけないし、自分に対する気持ちをいい気持ちに思ってはいけないの。自分の対していい気持ちでいるっていうのは、とっても大切なことなんだけども、私はそれをハリウッドスターになったかのように自分が栄光の冠をかぶったかのような、成功への道を誰もを蹴落として進んでいるようなそんな思いなのよ、つまり躁みたいな感じになるの、しかも誰かを救っている救世主のような私になるっていうこと。特別なことだった。
普通の子ならば持っているはずの自分へのいい気持ち、肯定的でこの世に大切にされるの当たり前でその中で育っていくっていう感じ。
それを私は姉に壊されてきた。
「いい気になってんじゃねえよ!」「ぶ〜す!!」「お前のことなんて誰も思ってねえよ、ば〜か、自意識過剰!!!!」「ばっかじゃねえの?!」「お前の話しなんか一つも聞きたくねえよ、耳腐る。」クッキーでできた家の写真とかみながら、幸せな気持ちでいて、こういう仕事もいいななんていい気持ちでいれば、すぐに冷やかし笑いでくる。「クッキー職人になりたいんじゃねえの?」受ける〜って感じで。
いじめられていた頃は、毎日女の子に「ばか!」って言われるのが日常だったけど、姉には毎日言われていた。姉だから、エスカレートしないでしょう?暴力が。だから、学校で傷つかない免疫をつけるためにも、言ってもらっていいって私は思っていた。でも、今考えると、私は4つも下の妹に「ば〜か」なんて言うだろうか?

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This script written by Shintaro Wakayama.