私の本当の「学校でいじめられるような汚い、惨めで、世間からおっこちかかっている」姿を、家族には、渦中では、ついに見せられなかった。ただ、「笑う」私を、「明るく」私を、演じて、普通の子に育ってくれたと親に、教師に思ってもらえさえすれば、良いと、演じきった、心は何も感じないように、むしろ、いじめっ子や私を妬む人が、喜ぶように、「わざと自分傷つけて」生きた、子供時代でした。
なぜ?私はこうなんだろう。分からなかった。人が皆不幸に見える。人が皆私よりも、世の中の成り立ち、不幸への道へ突き進むこと(人は無防備に、失恋したり、死んだりして、嘆いている。はじめから期待して、無防備に生きるのが、悪いんだと、幼稚園の頃から思っていた)を分かっていなくて、私よりも、多分大変そう、これから「ひどい目=突然癌になったり、不治の病にかかったり、息子に暴行されたり、失恋したり)に遭うであろう」人たちのように思えた。 多分、今もそう思っている。過去の友人、同級生、関わった人びとが・・・。そして「私が正しかった」と思ってほしいと思っている。
私は、無防備に、そういう不幸道歩いていかない、穴には落っこちない、そのためにも、自分の感情を、上で見ている神様(いつも人の感情を見張っている、そして悪い感情を持った人にはそれだけの報いがくると子供の頃から23くらいまで信じていた)に、「気に入られるよう」、自分が「綺麗な心の持ち主」であるように、自分の感情をコントロールして、人をなだめすかす、お姉さん的存在として、幼稚園や小学校の頃、一人ぼっちだったり、仲間はずれな子を、優しく包むのが、私の役割だと、思った。
当然、親や、先生は、そんな私を褒めるよね?褒められれば、私は、「社会的成功」も約束された、道徳的にも、頭の能力的にも、「優秀な」子供だと、自分を思っていた。周りの馬鹿な無防備な、将来の「社会的成功コース」さえ考えず、無防備に穴に落っこちる、子供たちと、自分は絶対に違うと思っていた。 自分を神童なくらいに思っていたとこもあったのかもしれない。 そういう風にきて、親に教師にかわいがられて、大人にはかわがられて、私は幸せだった気がする。 こういうコントロール思考は、まさに、父の出世思考に影響されたものなのかもしれない。 大企業で、いつも父は出世を同期と競っていた。そういう時代だった。自己コントロール本、成功するための本、沢山父の書斎にはあるよ。。。 私って、傍目から見たら、どんな子供だったんだろう?弱い子かばってあげるのは、私の子供時代からの日課だった。 どうしても、目に入ってくる。その子たちが、嫌な思いしないように、私が、その子の心にまで、細心の注意払って、グループの皆とのパイプ役する。 家族は、押し付けがましかった。悪いことばかりではないのは、よく分かっている。それでも、泣きたくなるような日々は沢山あって。それがどうしてだったのか、意味が分からなかった。
家族に対して、正当な怒りを向けること。父のこと、母のことを、彼女たちに任せること。もう父はこの世にはいないけど、心の中で。姉にも、同じように任せること。
私は、まずは、家族から「無罪放免」になること。それから順番に、いろんな人を背負わないようにしていくことで、自分の人生を責任持てるようになると思っている。 家族から「無罪放免」になろう。いい年こいた大人に覆いかぶさって、ママのように「かわいそうに、よしよし」なんてすべて受入れる役を、もう人間関係においてやらない。そういう男いたけど、一切メールも無視して、そいつが楽しく過ごせるように、気を配って、生きなくてもういい。恨んで良い。きもいから、避けていい。いいんだよ。
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