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私たちの物語 - 家族過去ログ No.67
メッセージ数:1340件

<1340> ai ■2007年09月06日 木曜日 22時22分39秒
母の父はアル中です。父の父は短気ですぐ怒鳴る人です。そして、父は仕事依存症、母はそれを支える共依存者となりました。私は摂食障害、弟はギャンブル依存。この家系はくるってます。ここから抜け出さない限り、私はまた同じことを繰り返してしまうのでしょう。不安はありますが、勇気を出して決別しようと思います。
<1339> ai ■2007年09月06日 木曜日 21時12分05秒
昔、両親は喧嘩ばかりしていた。母は泣いてばかり。父は私に母の悪口を言う。どちらにも嫌われたくなかった。だから母を慰め、父と一緒になり母の悪口を言う。「お母さんはすぐ感情的になるからダメだ」そう言われてから、私にとって感情を出すことは悪いことになった。家はいつも殺伐とし、緊張感があった。本当はお父さんなんて大嫌い。態度がころころ変わるお母さんも嫌。みんな嫌い。大嫌い。もう私に関わらないで。私も2人に何も期待しないし、頼らない。もう騙されない。優しくされて心を許せばまた突き放されるから。許すも許さないもない。大嫌い。こうなったのは私のせいじゃない。私は悪くない。
<1338> ぺあ(FB注意) ■2007年09月06日 木曜日 18時39分49秒
 私の本当の「学校でいじめられるような汚い、惨めで、世間からおっこちかかっている」姿を、家族には、渦中では、ついに見せられなかった。ただ、「笑う」私を、「明るく」私を、演じて、普通の子に育ってくれたと親に、教師に思ってもらえさえすれば、良いと、演じきった、心は何も感じないように、むしろ、いじめっ子や私を妬む人が、喜ぶように、「わざと自分傷つけて」生きた、子供時代でした。

 なぜ?私はこうなんだろう。分からなかった。人が皆不幸に見える。人が皆私よりも、世の中の成り立ち、不幸への道へ突き進むこと(人は無防備に、失恋したり、死んだりして、嘆いている。はじめから期待して、無防備に生きるのが、悪いんだと、幼稚園の頃から思っていた)を分かっていなくて、私よりも、多分大変そう、これから「ひどい目=突然癌になったり、不治の病にかかったり、息子に暴行されたり、失恋したり)に遭うであろう」人たちのように思えた。
 多分、今もそう思っている。過去の友人、同級生、関わった人びとが・・・。そして「私が正しかった」と思ってほしいと思っている。

 私は、無防備に、そういう不幸道歩いていかない、穴には落っこちない、そのためにも、自分の感情を、上で見ている神様(いつも人の感情を見張っている、そして悪い感情を持った人にはそれだけの報いがくると子供の頃から23くらいまで信じていた)に、「気に入られるよう」、自分が「綺麗な心の持ち主」であるように、自分の感情をコントロールして、人をなだめすかす、お姉さん的存在として、幼稚園や小学校の頃、一人ぼっちだったり、仲間はずれな子を、優しく包むのが、私の役割だと、思った。

 当然、親や、先生は、そんな私を褒めるよね?褒められれば、私は、「社会的成功」も約束された、道徳的にも、頭の能力的にも、「優秀な」子供だと、自分を思っていた。周りの馬鹿な無防備な、将来の「社会的成功コース」さえ考えず、無防備に穴に落っこちる、子供たちと、自分は絶対に違うと思っていた。
 自分を神童なくらいに思っていたとこもあったのかもしれない。
 
 そういう風にきて、親に教師にかわいがられて、大人にはかわがられて、私は幸せだった気がする。
 こういうコントロール思考は、まさに、父の出世思考に影響されたものなのかもしれない。
 大企業で、いつも父は出世を同期と競っていた。そういう時代だった。自己コントロール本、成功するための本、沢山父の書斎にはあるよ。。。
 私って、傍目から見たら、どんな子供だったんだろう?弱い子かばってあげるのは、私の子供時代からの日課だった。
 どうしても、目に入ってくる。その子たちが、嫌な思いしないように、私が、その子の心にまで、細心の注意払って、グループの皆とのパイプ役する。
 
 家族は、押し付けがましかった。悪いことばかりではないのは、よく分かっている。それでも、泣きたくなるような日々は沢山あって。それがどうしてだったのか、意味が分からなかった。

 家族に対して、正当な怒りを向けること。父のこと、母のことを、彼女たちに任せること。もう父はこの世にはいないけど、心の中で。姉にも、同じように任せること。

 私は、まずは、家族から「無罪放免」になること。それから順番に、いろんな人を背負わないようにしていくことで、自分の人生を責任持てるようになると思っている。
 家族から「無罪放免」になろう。いい年こいた大人に覆いかぶさって、ママのように「かわいそうに、よしよし」なんてすべて受入れる役を、もう人間関係においてやらない。そういう男いたけど、一切メールも無視して、そいつが楽しく過ごせるように、気を配って、生きなくてもういい。恨んで良い。きもいから、避けていい。いいんだよ。
<1337> ('-'*)ネコムライス ■2007年09月05日 水曜日 16時40分14秒
親への怒りを持ち続けて、そしてそれを感じないように努力した時もあった。
でもACと向き合い始めて、ものすごく強い怒りを感じるようになった。
だって私は悪くないから。DVを受ける理由もないし。ただ親が悪かっただけ。
でも怒って憎めば憎むほど、疲れるし、自分をますます嫌いになった。

それからは何だか世の中のすべてが憎く感じた。
毎日イライラするし、でもその怒りのエネルギーをどこに向けて良いのかわからなくて。辛かった。

このまま一生憎しみの気持ちだけ持ち続けて生きていくのかな…って思ったら、なんだかすごく悲しくなったし。
でも今は違う。また一歩踏み出せた。私でも出来た。
きっかけとタイミングがあったから。

過去は過去って思えるようになりたい。他人に感情的にならずに自分の生い立ちを話せるようになれば少しは楽になるのかな?
誰かに相談に乗ってもらえる時がくれば良いな。
その時は共依存的な同情じゃなくて、一人の人間として優しく聞いてもらいたいな。

<1336> ('-'*)ネコムライス ■2007年09月05日 水曜日 15時34分17秒
「癒しのブック」を試してみて…。
親を憎み続ける必要はないんだって知った。でもそれを心から思えるようになるには時間がかかると思うけど。
でも暖かい家庭像を思い描いた時、本当に心の底から涙が出てきた。
今まで求めても得られなかったもの。それがそこにはあったから。
現実にはありえない事だけど。でもそのイメージだけでも見れて救われた。
子供の私も笑ってた。家族みんなが幸せそうだった。

これから続きを試すにしたがってどんな事が得られるだろう。
すごく不安だけど、期待もある。
<1335> ぺあ(FB注意) ■2007年09月05日 水曜日 12時59分27秒
母が怖い。
母は、怖い。
私をぺしゃんこにするから。私の頑張ってきたことを鼻で笑うから。私を「小さなカウンセラー」として見て来たから。その中で私も生きてきたから。寂しい怖い。恥ずかしい。怖くてがくがくふるえていても誰も、世間的に一般で居る限り、受取ってくれても、それからそれれば、誰もいないのかもな。
 怖い。まだ耳も痛い。それも「いつも過去のことばかり言っているじゃないか!!」と怒鳴られる。「そうやってずーっとずーっと傷つけられたって言っていればいいじゃないか!!!あんたはいつも人のせいしかしないんだね!!!」と怒鳴られた。傷ついた。傷ついたことをあの人に正当にいっても理解しないだろう。
 もういいだろう。傷ついた話しすれば、「私だって・・・。でももう人のこととやかく言いたくないんだ」彼女の弁論。あんたの話しなんて聞いてねえよ。父の躁状態の時(今なら分かるけど当時は全くそのこと知らなかった)の、母への意地の悪い傷つける言葉、目つき、緊張感、私へのもたれかかり「怖かった、傷ついた」と言ったら、母は「私だって・・・当時は知らなかったよ。」といわれる始末。結局、彼女は、私を「一人の人間」としてみることも、尊重することも出来ない人なんだろう。子供の責任を全部覆うか、その恐怖からの「自己防衛」。まあ、自己正当化しかできないんでしょうね。「自分はかわいそう〜」って思わせて。そんな光景を見ていた、私のことまでは気がつかないんだろう。それだけではなく、学校ではいじめの標的にされ、姉にもひどい言葉で散々傷つけられた私の思いなんて、あの人にどれだけ訴えても、もう無駄なんだなあ。傷つくだけ。本当に。
 ずっとずっとそうだったものね。もういいや。もう母のことも姉のことも、もういいやと思いたい。
父の自死のことも受入れて、いけるようになればいい。私には責任覆いかぶりの、相手と成長していけない、とどまった、馴れ合いは、もういいかもしれない。もういらないかもしれない。成長し合えば、いいことばかりではなく、相手にも好きな人ができてしまう・・・そういう夫婦かもしれない。それでも、うちの家族のよさは、あるとこたくさんあるよ。それでも、今はだめなとこもきちんと向き合いたい。
<1334> ai ■2007年09月05日 水曜日 08時07分04秒
素直になることが怖い。思ったことを口にすれば、笑われる気がする。昔、勇気を出して親に思ってることを全部話したことがある。泣きながら話した。でも、親はそれを冷たい目で見てた。「ふ〜ん。だから?どうして欲しいの?」と、他人事のように。悔しかった。それから私は強がって平気なふりするしかなくなった。自分を守るために。傷付かないように。親は自分のことしか考えられない人間だった。私のことが心配なんじゃない。世間体を気にしてるだけ。だから、私のことは誰にも言わない。親にとって私は家族の恥でしかない。優等生だった頃は自慢してたのに、そこから転落した私には親にとって何の価値もないんだろう。だから親にとって私はどうでもいい存在。この世に私のことを思ってくれてる人なんてもう誰もいない。私はひとりで生きていくしかない。強く強く。
<1333> ぺあ(FB注意) ■2007年09月05日 水曜日 00時26分20秒
私は、「自分は、真実知っている、でも見たままを相手に言えば、相手は壊れる」と心底思わされてきた。父が、躁鬱病だったことは、彼が自死して知った。でも鬱病だったのは、知っている。私も寂しかったから。私が赤ちゃんの時から、父が躁鬱傾向があったと母は言っていた。「私は、知っている、でも自分が見たまま、感じたままには話さなかった、相手の脆い自我を私(この時、私は完璧に正しく強大なのだと錯覚していた)は壊してしまう」と怯えていた。いつも相手を、最初は、おそらく父を母を、「その通りです。あなたがたが正しいです。」と思わせたく、生きていたと思う。12歳の頃は、父が角刈りにして、今までの母への残酷なあげつらい、からかいがもっともっとエスカレートした時だった。私もいじめにあっていたし、姉にはいつも傷つく言葉浴びせかけられて、あの頃は寂しさを超えていた。父の妻代わりのようだった。母の座をとったようだった。ただただ、自分には恐ろしいことが起こっていると感じていた、今までコントロールできていたのに、それさえ小さなもののように思えた。父の怒りをなだめた、父には、さん付けで呼ばれていた、お前は分かってると可愛がられた、父の怒りの矛先が母に向かないように、おどけた、母をいつも一人で後ろに行かないよう、心配げに母に寄り添って歩いた。父に壊れそうな思いでいながら、父を幸せにしてあげようと、父の言った面白くない意味不明な言葉に、お愛想笑いしていた。私は小学校6年の頃の話だ。ただただ、寂しかった。物質は沢山もらえた。でも私は精進料理屋で、あまりのつらさを押さえ込んで「いつかカウンセラーになる、おいしい料理をおいしく食べられないのは、心がつらいから。コックさんにおいしい料理作ることは、任せられても、心は任せられないから」そう周囲から、意識が飛び抜けて、大人になった私を想定しながら、彼女に誓った。不思議なことに、あの頃私は、大人になった大丈夫になった私と会話していた気がする。ある時は、私の意識を大人の私の目(神様だと当時は思っていたとこもある、全体を見渡す力だと)が見ている、守っている気がした。ある時は、私を慰め導き、ある時は体を抱きしめていた。
<1332> ai ■2007年09月04日 火曜日 20時59分47秒
お母さんは私のことを好きだと言う。口ではね。でも、明らかに私への態度は冷たい。弟のことは何から何まで世話を焼くのに、私のことはほったらかし。
「あんたはしっかりしてるから自分で出来るでしょ?あの子は違うから。」って。本当は私のことが可愛くなかったんでしょ?でも、それを認めたくないだけだったんだよね。つらくて泣いてる時も冷たい目で見てた。勉強頑張れば私を見てくれると思ってずっと頑張った。苦手なスポーツにも挑戦した。結果が出れば褒めてくれると思ったから。そして結果が出た時、初めて喜んでくれた。「自慢の娘よ」って。ずっと無関心だったお母さんがやっと私のことを見てくれた。すごく嬉しかった。
でもイイ子に限界がきて、何もない私になった時、またお母さんは私に無関心になった。だから次は病気になることでお母さんの気を引こうとした。病気になった時、初めて私の世話をしてくれた。優しくしてくれた。でも、少し良くなって元気になればまた無関心。だから私はまた病気になった。
「自慢の娘」か「病気の娘」でいないと私は愛されない。でも、それは本当の愛じゃない。私は愛されていない。お母さんのお人形でしかない。つらいけど、それを受け止めるしかない。もうこれ以上お母さんの顔色をうかがいながらビクビク暮らすのは嫌だ。
<1331> halu ■2007年09月01日 土曜日 22時15分32秒
良くも悪くも私は父に似てる・・・生活力が無く・・・生きていけるのだろうか・・・だから・・・生活力がある人を観察して、学んで真似ていくのだ・・・気づいた・・・だからその時からどうにかするのだ・・・
<1330> ぺあ(FB注意) ■2007年09月01日 土曜日 01時25分27秒
家族について思ってることは、うちの家族変だよ。うちは変。なぜ誰も苦しむ人を見て見ぬ振りなんだろう。書くの苦しいけど、私はそのままの自分は、足らずだと思っていた。周りの人が完成された人のように錯覚した。でも周りの人が幼稚であるとも思っていた。家族とは、そのままの自分では笑われる場所。残酷な冗談、からかいでも言われた弱者が笑われるべきだ、家族の行われていたこと。私は世間では未満、足りない、学校では、からかわれまくっている。学校で私は人間扱いされたのかな?たぶんされなかった小学校4と一部の人にいじめられた5、6年の悔しさや悲しさが私の学校生活、自分自身の色眼鏡になってるんだな。人にああいうからかい、笑われ、気持ちなんてくずのように扱われ、私自身汚く扱われたことって私の怒りからあの時はすべて否認して、自分責め、必死でやめることなんか絶対できない学校で何とか生きようと順応してきたし、家族のことがあったから、出せず、恨みや押さえ込まれた暴力は離人感に変わった。過呼吸と強迫神経症みたいに自分は癌だと思いこんだり、歯磨きいつまでも汚れとれないとし続けたり、トイレに行き続けたり、に変わっていった。ほんとにあの頃10歳から12歳まで孤独そのものだった。だぁれもいなかった。つなぎとめてくれるものも見あたらなかった。孤独で。周りから、自分が現実には笑っているけど、遠く隔たったところにいるようで、周りだけが正当な子供として成長しているみたいだった。ストレスという言葉はまさにこれだと思った。自分に自分で「大丈夫よ。大丈夫だからね」とトントン体さすって慰めた。何とか親にばれずに持ちこたえてと願っていた。いつか今のような振り返っている大丈夫な大人になった自分が過去を安全に回想できている、イメージをリアルに想像というか、そうしているつもりで、何とか親にばれずに切り抜けて、子供時代隠してと私は怯えながら強く願っていた。持ちこたえて、がんばって。辛いけどふつうのふりしてふつうの子供として最後までやり通してと、先生がどう思うか、親が、同級生が。そう怯えながら願っていた。怖かった、自分が明らかにおかしい気がしたし、どうにかなりそうだったし、自分はいつからか平気なレールからはずれた変な方向にきてしまったことにただただ一人でふつうを現実に演じきりながら怯えきっていた。
<1329> ぺあ(FB注意) ■2007年08月30日 木曜日 12時38分54秒
どうしようもないけど、父がそううつだったこと。いつも母があてつけ役になっていたこと。それでも、母は、父に経済的にもすべて、家の工事、家具の買い替え、すべて、年賀状すべて、まかせっきりだった。
 いつも「あなたのせいで私はこんなに白髪増えた」とか言っていた。
 父は、いつも毎年夏には家族旅行に連れて行ってくれた。休みごとに旅行にいくのは当たり前。ペンションとかもよく泊まっていた。欲しいものは買ってくれた。私の必需品を買う時には、いつも付いて来て、カタログ集めては、調べて、買った。父は、旅行で、旅行計画書なんて作っていた。よくビデオもとってくれた。習い事の発表会でもよくビデオとっていた。必ず、見に来てくれた。子供の頃は、父が好き(そういうことで喜ばせたかった、父を多分、そんな思いもあった)で、いっつも写真見ると、腰に抱きついていた。
 この家族の中で、私は友達にはたから見たら笑えるようなこと、でも心いつも傷つけられてしまうこと、いじめられてしまうことを、言えなかった。言えない自分は本当に勇気がなくて、だめで、汚いと思い、自分の意見をどんな場所でも言えるように、訓練してきた。そしたら、場の雰囲気読めない、うるせえばばあ、あの子変と、特殊なサークルだったのかな?いつもからかわれ役になってしまうんだ。そういう時必ず私は自分が悪い、自分にも否がある、相手はどんなこと考えて言っていたのか?をほんとに考えるんだ。相手に四六時中支配されている気分になる。でも、相手の思いを汲んで、同盟組みたくなってしまうの、怖いのね。怖いものや怖いことは、自分の中に入れたいの、友達にしてしまうたいの。怖いの、多分。私は恵まれている部分もあるんだろうね。そう思うよ。楽しかったもの。でも、なんだろ?父は「これだけやってやってんのに!!」という風に怒られたことたくさんあった、高校時代、私が誰とも心を開けて話せなくて、人に怯えきって、家族に特に母、父にも反発した時には、私はすごい目でいつも見られていた、「ご飯食わせてやってるのに!!」と。「もうあいつにあげなくていい」と父が母に朝行く前に言った事在った。父は自分の世界だけを押し付けているのよ、本当にそうだったよ。勿論、本当に努力してやってくれたこと、してもらってばかりだったことたくさんあったけど。高校時代、雰囲気の中でどうしてもいえなかったけど、「なぜお母さんをそんなにすごいからかって傷つけて、楽しんでんの?」「なんでお父さんは、そんなにつらそうなの?」「なんでわけの分からないときに怒るの?」「なんで人格変わったように髪形も変わって、すごい変な雰囲気になるの?」「なぜ母はわけの分からないときに、私こんなに大変なのよ!と見せ付けるようなことするの?大声で私に聞こえるように泣くの?お皿ばんと割れるくらいの勢いで叩きつけて、皿しまうの?」「なんで言葉じゃなくて、態度でわかってよ!!!と迫るの?」「なぜ突然意味もなく、機嫌悪くなって、私の行動怒るの?」なんか子供の頃から大人のストレス発散的お遊びにつき合わされている、というか自分がそんな感じのことやっているみたいだった。リトルマーメイドの映画見ているときとか。なんか、最初から大人役にされているみたい。姉は、いつもわがままで。母は姉には逆らえない。雨で迎えに来てと頼まれて、断れず行って。私に怒る。とにかく、父と母は、姉には弱かった。姉は、強かった。自分のいいように利用しているみたい。ここ最近は、28にもなっていたのに、宿代わり、自分の行く場所はいわない、自分の洗濯物は別で、はぶらしもすべてべつで。そんな自分の個人的領域侵されないようにして、でも、何も言わずにいた。でも、それも姉のことで私には関係ないことだ。それでも、私は母と父が何であんなに、姉に弱いのか不思議だったの。
<1328> ぺあ(FB注意) ■2007年08月30日 木曜日 12時17分01秒
「OOOちゃんが、そんなに気が弱ければ、いじめられてもしょうがないね・・・。」よく私が母に言われていた言葉だ。
姉は、自分の言いたいことは、すぐに言える、後先考えられずに言える、人から言われたら、すぐに怒ることができる、何千倍にも言葉を返せる。
 うらやましかった。
 父は、私を「されやすいタイプ」と笑った。母になぜか分からないけど、車のドアを私も「行く!」と言って車から出ようとした時に、先に出ていた母に思いっきりバーンと閉められて、危うく自分の身体が挟まれそうで驚いたことがあった。父がスーパーに行く途中にそのことで、母に「あれは危ないでしょ」と諌めようとしたら、母は、「ふん!」ととにかく怒っていた。私になぜ謝らないのか意味不明だったけど、虫の居所悪いんだな、父のことでいつも当られてて、何もないふりしているから、今日はその怒りが出てきた日なのかなと私は思った。入ったファミレスで「お前はやられやすいタイプ、あんた(母)はやるタイプ」と笑っていた。なんか、何なんだろう・・・なんか、父は分析家でいっつも人の気持ちなんか考えてもくれない、母は、自分の虫の居所悪ければその場の雰囲気で場当たり的に当る。私は・・・?私は、本当に小さい小さい子なんだ、心まで。誰からも心がどう思っているか誰からも見てくれない、考えてくれない・・・。
 「OOO(私)ちゃんが、男子だったら、絶対OO君とかにいじめられていたよね〜、気弱いし〜。のび太みたいにさ〜」と笑う母。
 幼稚園の頃、友達と皆で帰っていたところ、何かで言い合いになって、グループ2つに分かれた。私は、どっちにもつかずに、ある子の意見をこっちに伝え、あっちに伝えていた。母とおばさんがそばに居た。それを見ていた母は、「OOOちゃん、またあんたああやってどっちにもつけないで、ほんと弱虫〜」と笑っていた。「家庭科の時間クレープを調理実習で作りたかったけど、他の子がホットケーキというから、そうした」と言う私に、「また、言えないの!やりたい事あるなら言えばいいじゃん!」と笑いつつ、なんかきれていた。TさんとOさんと遊ぶ約束して、3人でうちで遊ぼうと思ったら、うちで遊べなかった時に、Tさんに「OOO(私)明日日直で私今日のやったこと言わないといけないのに、家で遊べないなんて、いう事なくなったじゃん!あんたのせいだよ!!」と言われた。Oさんも、「つまんないじゃん!」と言った。私は、再び家に戻って、「やっぱり遊んじゃだめ?」と聞きにいったんだ。書いてきて悲しくなってきた。何で私ってそんなにいつも人のことばかりだったんだろう?自分の欲求出していいなんて思ったことあの頃一度もなかったし、もともとものすごく我慢強い自分であったから、そのこと親や教師からほめられていたから、どこまでも子供の欲求に我慢して、「いい子」になりたかった気がする。もっと「いい子」になれば、皆に尊敬してもらったり、社会的成功約束されるかな・・・みたいに。
 続けるけど、母に「Tさんにいじめられるから家で遊んでいいでしょ?」と言った。そしたら、母が怒ってしまって、いきなりTさんとOさんを呼びつけた。「あんたたちTさんがいじめるってあの子言ったのよ!!!」とにかく内容忘れたが怒っていた。そしてその剣幕に私驚いちゃって、二人居なくなった後、泣いたの。「あの子達に悪い」ってものすごいかんじもあったし、母にもごめんなさい、怒らせてしまってと泣いた。そしたら、母が「もっといい友達他にもいるでしょ???ああいう子と付き合うのもうやめなさ〜い!!」って怒ったの。
 私って、こうも自分の欲求抑えまくって、いつも他者に責任感じて生きているんだ。今もそう。やっぱり、父がそううつでいつも母に当って、でも何もなかったかのようにそんな雰囲気の中で、私いつも自分殺して生きてきた。
 ほんとうにあの頃の私は本当に自分の欲求なんて虫けら同然に、いつも友人の心配して、責任とって、無論母のも責任とって生きていた。
 高校時代から、私友達全く作らなかった。今では、母から友人ほとんどいない、寂しい子みたいに、社交的ではないと思われているようだけど・・・なんであの頃一人でももういいと・・・寂しい木枯らしとかほんと吹いたり、寂しい中たった一人で予備校の道を歩いてきた、ことを思い出す。本当に私子供の頃の想いから、だんだん外の心向けられなくなっていって、いじめもひどかったしね。自傷して守ってきた私の気持ち今ならほんの少し実感で理解できるんだ。
<1327> ぺあ ■2007年08月29日 水曜日 21時52分05秒
どうしてもいえない運命の転換期って、沢山あった気がする。
父が自死したこと、その前に「おかしい」と思っていたこと。全部、私言わなかった。まるで、いじめられ時と同じようなの。周りが笑っているなら、私も。そうやって、自分の思いきちんと伝えられずに、相手に合わせて、相手の通りに生きてきた。お父さんが死んだんだ。なのに、ほれみろ、私の不幸やっと周囲認めてくれたかと思っている。未だに父の死を本当に私悲しめているんだろうか?人への恨みで一杯になるの。父が死んで。やっと、私は自分の「他者は弱い、脆い」という感覚の根源がわかって、あのわけの分からない躁と鬱の中での、人の暴力的言葉、目つきのあのわけの分からない状況の意味が分かった、この世界はなんかよく分からない、けど合わせて生きるべきと思っていた、私のことも。子供の頃から自分中心に生きられなかった。自己犠牲が一番喜ばれると思ってきた。子供の頃から自分が納得できた出来事も、自分が何か行動して変えられることも知らなかった。
 お父さんは躁鬱病だったんだ。そして、この訳の分からなさはこういうことだったんだ、そう胸のつかえがとれた。
 弱弱しく、周りに合わせるだけの私に、子供は本当に格好のねたとして遊んでいた。それさえ、合わせるべきだと、彼女たちは単にお遊びなのよと、自分にいいきかせて、彼女たちが正しいと思って生きてきた。押さえつけた、隠してきた「汚い」「言う権利さえない」と思ってきた私の気持ち、どこかで認めて欲しかった私の思いをずっと大学入ってからも、私はこだわり続けた来た。楽しいはずの高校生活も、過去のいじめで頭いっぱいで、いつも罪悪感と、自責感しかなかった。いつも人が怖くて、自傷しては人から自分を守ってきたつもりだった。好きな友人いたのに、その子にも、きちんと喧嘩とかできないで、いつも悩み事ばかり言った。愚痴だけ。でもその子にも自分の素直な思い伝えない。うまくできなかったの。
 家族がおかしいんじゃないかと思ったのは、大学2,3年の頃。私がどうしてあんなにもいじめられやすかったのか、分かりたくて。考え続けて。私はそういえば、いつも姉にも母にも父でさえも、ばかにされていたなと思った。そしてもっといえば、いつも母はネタ、標的で、私は母を守ろうと必死だったこと思い出した。あの夜、中華料理屋から帰った夜、あの場所で私泣きたかった。なぜ、父はそんな怖い顔でいつもいつも母をばかにするの?と。でも肝心の母も姉も「あれ?元気ないじゃ〜ん」って笑っている。泣きたくなったのに、なぜか「?」と思った。何なんだろう、この訳の分からなさ。何もなかったふりして母もいる。でも突然、私のテストの点数、何でも理由はいいの、突然お皿叩きつけるようにしておいたり、突然泣き出したり・・・訳分からなかったよ。
 心理学の勉強していたのに、父のうつ病知っていたのに、そううつだとは知らなかったの。あんなに目が怖くて、人格変わったように、攻撃的になるのは、父の性格だと思っていたの。そして、だから、私はいつから「彼は怖い人」だと決めつけ、本音で話さないことにしていた。高校生の頃からかな。あんなに優しいのになぜ?と思っていた。子供の頃は大好きだったから、いつも父の寂しい背中に、なんとか助けよう、どうにかと責任感じまくっていた。私は不満だらけの姉にも、同じように思っていた。自分があの人たちよりも下でいることで、優越感感じさせてあげること、自分傷つけることで、喜ぶかなと思っていた。慰め役として父のそばにいたこともあったし、姉のいう事に何でもうなずいていたこともあった。姉なんてやっぱふつうに育ったよな、私のこと蹴散らしたものね。私が反抗期としてふるまったときには、「あんたなんでそんなこと言うの?」といってきたものね。私にお返ししてくれなかった。
<1326> かえる ■2007年08月29日 水曜日 01時08分45秒
小学生の頃にある男子に私の声が〈かわいこぶりっこ〉だと散々言われたことを思いだした。地声なのに自分の素をからかわれて、否定されてすごくムカついた。…それからだろうか?話題やしぐさが男の子っぽくなった。自分の女性らしさが嫌だったり恥ずかしかったりした。…いや違う。私の場合は幼いんだ。なんだか胸だけが成長して、後はなんも変わってない気がする。自分は変わりたいのかな?ごく一般的な女性像と違ってる今の私は欠陥品に思えたりする。だって変だもん。並みがよかった。これが〈自分の個性〉だと思いたいのに思えない。それでも一部の女子の友達に〈将来、声優になれるね〉なんて言われて冗談でもちょっと嬉しかった。それからは自分の声はコンプレックス以外の何物でもなくなったけど…でもさぁ〜なんか…大人になってまで時々からかわれる事があるからムカつく。小馬鹿にされてるようで、きっと自分の被害妄想だとしても〈痛いところ〉をつかれると過敏に反応してしまうんだ。   それに女性らしさへの嫌悪感みたいなのもあるし。生活環境で兄弟やいとこが男子ばかりだったのも関係してるだろうなぁ。〈中性的な人〉にひかれたり、自分も女性でも男性でもない中間になりたかったりもした。…女の子なのに〈少年のままでいたい〉って…どう考えても無理ですから(苦笑)ピーターパン症候群?実生活でそれをやってるとまわりが引いてしまうからしない方がいい。    それでも彼氏と付き合ってる時はマシだったんだろうか?はっきり言ってじゃれ合ってる関係で、本当の恋愛?してはいなかったと思うけど。肉体関係は普通以上に求めてくる彼だったけど私はそんなに嫌じゃなかった。くっついて触れ合ってると安心できた。…依存だろうなぁ…でも。優しかったし、冗談めかしで曖昧なところが気持ちをラクにしてくれた。だから私は変に〈自分の女性の部分〉を意識しないで自然体でいられたし。ふわふわ掴み所の無い彼だったから好きだったのかもしれないな。              今では〈女の子らしさ〉は無いなぁ。男まさり?だってもう〈かわいこぶりっこ〉なんて言われたくない。
<1325> halu ■2007年08月26日 日曜日 22時22分03秒
昨日、今日と山登りをしてきた。
信州の山はきれいで、山の上から見る景色は急な斜面に草原が広がっている感じで気持ち良かった。
帰ってきて、家族に山登りの素晴らしさ楽しさを伝えた。
「楽しかった!明日からも仕事頑張ろう!」って最後に言って・・・
父親は、「一時しのぎの楽しさで仕事頑張るなんて、貧乏人の考えることや、長期的に考えていかな、成功せいへん。社長とかの成功してる人は、一時的な楽しみじゃなくて長期的に物事を考えてる」??一日に一回はこんな事を話される・・・うちの家って貧乏なんやけど・・・お父さん、5年に一回は転職してきたやん・・・私が小学生のときは、働けなくなって一年くらい家にいたやん・・・そしてその後に今まで働いたこともコネも無い飲食店や開こうとしてたやん・・・結局辞めたみたいけど・・・。
なんか聞いてて気がおかしくなりそうになる。嫌いやって割り切って一切話をしないでいいんならいいけど、嫌いやって割り切られへんし、一切話を聞かないってわけにもいかない・・・父親もまたACなのだ・・・父親は気づいてないけど、私は気づいた、だからほっとけなかった・・・??子どもがこんな風に親のことここまで心配しなくていいんじゃない?親はあんまり心配してないやん・・・自分の自己満足で子どもに自分の後悔や愚痴を言う人やで・・・
目標!一週間に一回だけ父親から話を聞くこと。今までは毎日聞いていた・・・だって父親は母親か私しか話す人がいないから・・・でも、私が話さなくてもどうにかなるように・・・徐々に離れていこう・・・
<1324> ぺあ ■2007年08月26日 日曜日 13時48分43秒
 父を助けられなかった。でも、私は助けなかった、意図的に、そうも思うんだ。私は父がいなくなって、やっと分かったことが沢山あって、そして周りにも優しくしてもらって、すごく楽になったの。
 あの頃、私は、過去のいじめで負った人への怖さ、自分を「汚く思い」気持ち、それから人を凌駕してはいけないという思い、事実を見たままに言う事が、誰かを破壊してしまうかもしれないという恐れから、いつも子供の頃から、いじめられても、相手の気持ちに乗じて、だまそうとするその子の思いを汲んで、だまされてきた。あの子とのいじめも。自分は傷つかないと自信あった、何もかも私は分かっていると思っていた。なのに、あの子に右耳にありを入れられたことも、常につねられ続けたことも、周りも乗じていたし、それ以前にも、私の持ち物を皆でバスケのボールにしたり、普通に頭たたいたり、チビって言われていたし、とにかくすごかったの。トイレに閉じ込められたり。(でも私も同じこと他の子にしたことあった、その子は私の行動に驚いていたなあ、ごめんね)継続的に続いたいじめ、でもそれ以前から、いつも私は「もたれかかられる役」、人のお助け的なそんな人間関係しかできなかった。
 いつも、私にはすごい力があって、誰を凌駕してスーパースターになりそうだとか、その子に事実ずばって言って、「何もわかっていないし、見れない」人だらけの世の中に、私のような賢い子が言ったら、その子の器ぱりんと割れてしまう。そう思っていたんだ。それはうちの両親にも思っていた。
 いじめで我慢し続けて、自分責め続けて、いつのまにか罪悪感でいっぱいになっていて、自分の人生を恨んでいて、そうやってきて、やっとそんな気持ち、隠し隠し、身分に隠しながら・・・生きて。大学で、暴力について研究しはじめた。そうやって、自分のACの特徴を知り、家族のせいで、いじめられやすかったんじゃないかと思いはじめた。そして、過去の記憶ばかりにとらわれていき続けてきた。カウンセリングもこの頃受けた。こういう精神系の話しこの家族は大嫌いだからね。
 そうやって、やっと自分の見た現実の世界を紙に書いて、親に渡した。親は、私をかわいがっていたし、見ていた現実は「あんたは恵まれている」だったと思う。
 ショックうけたんだろうな。でも、私は自分の目で見た現実を話さなければ、うそつきだし、嫌だし、そして少し格好良くなりたかったのかな。強くなりたかった。
 
<1323> ぺあ ■2007年08月26日 日曜日 13時23分19秒
父のこと、母のこと、姉のこと、少しだけ分かり始めた。そしてありがとうと思った。
 精神的な病が、いつか、当たり前のように、人格否定されずに、話せる日がくるといい。
<1322> みゅー ■2007年08月26日 日曜日 03時11分18秒
なんとなく、兄ちゃんと、お母さんが何を話してたのかは想像がついた。兄ちゃんが「この家族は、バラバラだ」って言った。
もともと、はじめっからバラバラだよ。この「家族」ってやつは。自分の事、棚にあげて、こういうのもなんだけど、「この家族」をかえりみたり、しがみつくのは、もうやめようよ。あきらめようよ。「家族でない「家族」」のもとに生まれた、あたしたちの結果が今の状態でしょ。

あたしも、ほんっと自分のこと棚にあげて、よくいうよ。自分で自分自身のこと、あきれる。お母さんに、「おいてきぼり」にされると、いいようもない不安が襲いかかってくるのに。
だけど無関心な「父親」は置いといて、お母さんは、やっぱり嘘つきだ。あたしに対しても、お母さん自身に対しても。お母さんは、あたしの本当の幸せなんて、ほんとは願っちゃいない。はっきり言えばいいじゃない。嘘つかないでさ。「ほんとは、誰にも、あたしをやりたくない。ずっと一緒に、ここにいて欲しい」って言いたいんでしょ?!

体重は落ちてるけど、夏だし仕方ない。でも今あたし、やりたい仕事、「あたしは、この関係の仕事をする!」って決めてるから、市場調査はしてる。
お給料は関係ないんだ。契約社員か正社員か。パート、契約社員から仕事の評価によって正社員になれるか。そういうことが知りたい。

だって、あたしの人生は、ひとりでぺット可マンションで、大好きな動物と、大切な「コンパニオンアニマル生活」したいんだもん。
だから、あたしも「家族」ってものには、もう何も求めちゃいけないんだ。
こだわってたら、一生ここにいることになる。そうなる可能性も大なんだけどね。
<1321> halu ■2007年08月23日 木曜日 20時55分01秒
もう家族のことを考えすぎるのはやめる・・・今の私は見て見ぬふりくらいでちょうど良いのだ・・・家族に対しても他の人に対しても・・・自分の問題は最終的には自分自身で決めてどうにかしていかなくちゃならない・・・

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This script written by Shintaro Wakayama.