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私たちの物語 - 家族過去ログ No.53
メッセージ数:1060件

<1060> なきむしっこ ■2006年05月09日 火曜日 14時35分31秒
多分うちの家族は世間にこびているんだろうな。こびへつらって生きているんだろうな。誰一人として本当に自分を信じて生きれている人はいないんだろうな。目の前の要求にただこたえて生きていて、後は世間様に言う通りな生き方をしてるんだろうな。
そして家族は辛い厳しい世間から守られた馴れ合い場。私は子どもだから愚痴きいてくれる。この子は気が弱いから。真剣な内的力を持っていても、それは世間ではおかしな行動として映るかもしれない。それをうちの親は笑ったんだろうなと思う。真剣な内的力はきっと危険から身を守ってくれる自分の命の原動力だと思う。それをうちの家族は笑ったんだろうな。世間さまはこういう。とかいう大多数が信じるものにものすごくなびく人たちだと思う。
不登校は自分とは関係ない不幸な人たち、レイプとかも遠い世界の出来事。でも私はそうは思わない。昔からレイプを扱ったテレビとか病気特集とか見るといつも自分にひきつけて考える子どもだった。いつもそういう事に怯えていた。
 あの人たちには世間を変えていこうとか自分らしい生き方とか多分ないんだと思う。
 そんなに仕事人間がえらいのかしら????
 愛してくれた。そうね確かにね。分かっている。遊んでくれた。友達との遊びにもついてきた。
 そうね。でもだからって私があなたたちにいい感情を抱いているかとは別。
どうしていい感情をいだかないかというとものすごくいつもばかにされているように感じていたから。そして悪い事に私がいじめられてもそれを言えるような子どもでもなかったから。そして何でも母親のような視点に立って受け入れる子どもだったから。もしくは相手の要求を飲み込んでしまう子だったから。自分の好きなことを主張できなかったから。自分のやりたい事に情熱をかけられる子どもではなかったから。子どものくだらない事に見えてものすごく大切な真剣な内的力から発せられる行動を私はできたときもあった。でも小学校5年のあの日以来することできなくなった。学校の先生と家族の目・期待・視線に負けて生きてきた。あの人たちの期待通りに生きてきた。そしてもっといやなのは周りの子どもの強い内的力から発せられる思いにこびへつらって、sの子達の道具のようになって、もしくはその学級や「普通」だろうと大人が見くびる事の道具になって生きてきたこと。一番悔しいのは他の子どもの強さ「うっせんだよ」とか普通に気に入らなければ言うでしょ?中学生でも女の子に「あんたらりっているよ」とか何の脈略なしに言われた、つまりその子のいらいら、とか私を少し「変」と感じる心や評価の強さに負けたの。高校生で皆自分に内向するようになって、自分を守ってくれると思い込む恋人との話を楽しんだり。そんな事私はできなかった。人のために生きてきて、そんな事自分に許されると思ってなかったの。服飾専門学校に行くとクラスみんなの前で先生に私の事言われたときに周りは「あっそ、どうでもいい、興味ねぇー」みたいな反応した。その時私はこう思った「いいんだ、私服飾専門学校に行きたければ行ってもいいんだ」皆の思う私像をかけ離れていたからって殺しにこないんだって思った。そう思ったの。
それから大学のときにできた彼氏に「あなたのイメージする私でいなければあなたに殺されそうな気がする」って言ったことがあった。つまりね、昔は家族にそう感じていた、勿論学校のクラスと担任にもそういう思いを抱いていた。そして中学校3年のときは「私の事好きなのかも」って思う男子にそう感じた。この人の期待を裏切ったら私は一度好きって思ってもらった男子に変な顔とか汚い声とか変な自分を見られたら幻滅されて、嫌われる、憎まれる「裏切ったな」って言われて(実際に小学校のときに言われていた、それは一緒に入るって言っていたクラブに入らなかったからだけども、この言葉はショックでいつまでも残った)ストーカーされるか、殺されるか、くらいに思っていた。
自意識過剰って思うかも。そうなのかも。でも私の人の思いと外れた自分を持つことのその人に対する裏切り感罪悪感、恐怖はすごいものだった。
<1059> なきむしっこ(FB注意) ■2006年05月09日 火曜日 14時13分01秒
家族がいなければ私は天涯孤独。きっと結婚もできずに彼氏できずにこの世を終わらせようとしている老女になるだけ。そういう想像になる。
家族。からかい、私をばかにしていた。私の勘違いと思ったけども、前にあるおばさんに「下に見ている態度・言い方しているよ」って指摘された。あっているんだって思った。
兄弟がもうすぐ結婚する。その兄弟が海外で結婚式を挙げるので私は家族とその場所に向かわないといけない。きっと又後悔するんだろうな。「なんてうちの家族はいい家族なの?」私は今ここでこんな事書いているけども「そんなこと一週間前にやっていたなんてうそみたい」「私はばかだ」「私は親不孝者だ」「だから私は教育実習でうまくいかなかったんだ」「だから私は大学時代アルバイト先でもだめだったし、彼氏もできなかったし、だまされてばかりだったんだ」って思うんだろうな。痛いくらい分かる。そして父親の不幸そうな疲れていそうなそれでいて投げやりな態度を見て「お父さん私がお父さんの苦労を更に増やしたんだろうな」なんてざんげするんでしょう。お母さんこんなに優しいのにねって思うんでしょう。
そして自分が引きちぎられそうになって・・・混乱して、うそつきって自分を責めて、見たまま聞いたままで生きられなくて、いつも我慢して、いつも「やっぱ私合ってたんじゃん!!!!」って私の意見に同意してくれる人に会ったときはじめて感じて、でもお金をもらっている身をすぼめて、とにかく混乱する。そして混乱したときにいつも電車の中ってあの頃の身動きできない状態に良く似ていると思うの。目的地に別に私は心から行きたいわけではない。なのにここに乗せられて、逃げる事もできない。子どもとか普通のおばさんおじさんの姿を見るとほっとするけども・・・・あの教育実習の学校での生徒の白い目、先生の私をせける目を思い出す。そして母親にも父親にも前に電車でパニックになりそうだった事知られているから・・・そういう目で期待して見られているようで私はこのままこの人たちの期待というか思い込みに巻き込まれてパニックになった方がいいかもなあって思う。もうとっくに私の魂はこの人たちに懐柔されているから。少なくとも彼女たちはそう思っているから。ここまで書いてまた私は「何言っているの?」って思う。きっと何かが私と彼らの間でずれている。決してあの人たちは私の不幸を望んでいない事は分かっている。でもどうしてしっくりこないんだろう。あの人たちのおためごかしの行動。優しさ、でもそれは決して根拠がない、制限のない、重い優しさ。そして馴れ合い。家族。混乱させるもの。でも決してあそこにいると私は自分の内的力を奪われる場所、いじめられてもセクハラされても「それは違う!!!」って自分の声を訴えられなくさせるような世間にこびへつらっているような、草しないといけなくなるような家族。
<1058> エゴ ■2006年05月08日 月曜日 03時28分30秒
つい先ほど、思いだしつつ在る記憶、まだほとんどノイズだが精神衛生上健全では無いやはり。
母よ事故・育児・姑・家庭不和の為に体や精神が病んでいたのは分かるが、
保育園児に『死にたい・寿命が短いかも・辛い・どうしたら良い?』うんぬんの話はきついぞ、それもなんかカミソリがあったような気がするし。それも記憶もとぎれとぎれしか復活しない。
もしかして母よ自分も一緒に連れて行く気だった? うみゅ、なんかそうらしい、記憶が復活しつつある。 そうか、残された身の事も考えて難なら連れて行くかどうするという感じだったのか?
思えば自分が必死になってカウンセラー役もになっていた、必死に現世につなぎとめていたっぽい、自分の身を守る為にも生きていてほしかった、というより今思うと怖すぎ。
保育園時代が思いだしにくいはずである、不健全きわまりないかも。 
だからか、妙にはっきりしているあの頃記憶で、自分が寝たように見せて母が寝たのを確認して、
その後の自由な時間=母が寝ているを 天井見ながらなごめて幸せと思えていたのは、事実ほとんど、母が寝ている時間しか気が安まらなかったんだ、母が料理作ってる時も司会から外したくない筈だ。2・3日に1度、夜は極少量のビール飲んで両親二人で口喧嘩・口論・話し合い、それを監視・止めていた。土曜でこじれて日曜で直す自分が、両方折があわない、感性が違う、両方をほめて、なだめて、etc・・・・・。
自分が悪い所を注意する時はなぜか協力して叱ってくる。
まだまだ消えている記憶、浮かんできてもいない記憶もあるみたい、まず思いだしていってるやつから鮮明と前後関連や途中抜けを思いだしていこう。 母よ思っていたより根は深そうだ。
<1057> エゴ ■2006年05月08日 月曜日 00時53分47秒
なんだろう、誰も悪くはなかったけど良い家族とは言えないと思う。
両親は必死で生きていた、育ててくれた、良い家族を維持し保っていたいと思ってくれていた。
三つ子の魂百まで、多分この言葉は親の為にある、3才までが可愛いのである、後は小学校1〜3が内外の育児ストレスが低くなる時期、ちょうど1〜3才は共働きの為に保育所生活である。
母は事故に巻き込まれるまで自分をあまりみていない? どうなんだろう? 何か与えてあげられたのだろうか? 自分はよく分からない子供だったと思う、育てにくかっただろうし、小柄故に共働き故の内外のストレスは相当な物だったのだろう、事故にも在って体もぼろぼろだっただろう。保育所生活は恨んでいない、嫌たぶんそのお陰で外よりも大切な物、自分の我を落ち着いて成長させられた時期であり、普通の子とは違った見解をもてて感謝である、持てて無ければ母の言いなりで道具・ペットもしくは、うまく振る舞えず母に殺されていたで終わっていたと思うまじめに。
父は義務・責任感・忍耐が強くまじめで常識人、手も上げない、家にお金も入れる、母にも切れない。役割分担は仕事・子供をかまう・犬の散歩、性格は義務的だが子供思い。
母は家族思い・生き物好き、料理好き、頑張り屋・情に厚い、善人、子供愛が豊か、聡明な人。
役割分担は家庭全般、姑、育児、父、自分。性格は頑張りすぎの家族を大切にする人。
犬の役割分担は家族の癒しである、自分の役割分担は家族の調和と維持。
こうかくと小3ぐらいまでは立派で良い家庭?、 小4〜中2で自分は役割破棄する事にしたからごめん、早く自立してまともに生きれば喜ぶのだろうか?、でも何でこんな事考えているの?。
昔はみんな、必死に家族を形成しようとしていたと思う、
母の情報から推測すると母はACであり、また姑さんから相当なストレス・いじめを受けていた中で何とか自分を育ててようとしていた。母は少し子供っぽく、風潮に流されやすい、多分一人で生きていく分には有能な人だと思う、子供を育てるや家族を持つには少し力が足りなかったと思う。
父は母の情報と祖母さんを思うと、ACであり会社勤めが大変だった中、責務をはたして子を持つ実感を得る為に遊んでくれた、父は仕事が忙しすぎたのと義務的価値観が強すぎて他を理解できない、歩調を合わせたり・相手にゆずるといった心の必要性の理解力が大きく欠けている。
プライバシーの必要性も考えず、風潮によって社会的必要性義務感を感じた時には行動を変える。
小3〜小6ぐらいまで、
自分から見て家はお金には困らない、二人とも必死で家族を形成している。
父は朝・深夜・土日の人、迷惑かけては行けない人、父親、母の大切な人、理想主義者、助けにならない人、心が通じ合わない人、家族を追いて先に進み続けて止まらない人。
母は優しくて怖い、瀕死そうだったりすっごく元気だったり、精神も安定感も同じ、自分を、多分殺したり大けがはさせない人、多分殺意は無い、自分を守って育てようとしてくれている人、しつけは怖くて痛い、極度の共依存、気分や、自分を都合よく利用、身勝手、甘えん坊、自分に割を食わせるのに天性の才能、生活行動放棄、偽善者、責任逃れ上手、話を聞かない、ヒステリック、ご都合主義、理想主義者、世間体を気にする人、一人では精神を維持して行けそうも無い人、ストレス過多。
何言いたい自分でも分かんないけど書かせてもらいます。何か記憶を探るうちに幸せだったのか不幸せ・悲惨だったのかよくわからない。
<1056> なきむしっこ ■2006年05月07日 日曜日 23時08分33秒
兄弟が結婚する。もうすぐ。
母親を愛していないわけではない。父親も同様。姉は好きだと思う。ひどいこと散々言われてきたけども。今でも自信のない時や究極の時は姉の「あんたばかじゃん??」という声が聞こえるけども。
家族が分からない。家族。私は確かにいい思いもした。楽しい事もあった。でも学校のいじめでNさんに徹底的に狙われ、ストレスのはけ口になり、大切な体にまで傷つけられたときから、自分の信じていた世界はガラガラと崩れていった。人に心を許せなくなった。そして強迫神経症のようになった。でも誰にも言えなかった。家族にだけは自分の弱いところを見せたくない、見せて笑われれば私は自分の大切なプライドをぐっちゃぐちゃにされた汚い自分として生きないといけないだろうと思ったから。それほど怯えていた、のに自分の中で「いい家族」に恵まれて、少し反抗したけども・・・今は仲良し、チャンチャン。で終わるドラマの筋通りのことをしたくなる。
少しも自分の怒りは収まらないのに。少しも自分の自己効力感を持てないで生きているのに。大人なのに。子ども時代をおそらく繁文は送れなかったから。大切にしていいものも大切にできずに、今なら誰かに失恋しても家族が死んでも別に泣かないよ。強いでしょ?と言っても誰も私を見ようともしない。大切にしてもいいんだったら、私のいじめは不当だった。家族の私に対するバカにすること、あざけりもひどいものだった。そして私はそれでもいじめられるのは私がそうされるべき汚い存在だから、きっと私にそういういじめられるものがある、生まれつき。そう思い続けて、必死で家族のピエロ役を傷を隠して、自分の本当の心を殺して生きてきた日々はなんだったんだろうか?????
リスカはしない。多分私はいきづらい。そしてそれなのに私は今でも自分は大丈夫と思っている。自助グループ行ってもいいかも。行って、そこで見ておいで。でもあそこは辛いよ。辛そうな人ばかりでついこの人たちよりマシと思う自分がいたり、友達いるからって自慢してしまう自分もいるから。
<1055> Keron ■2006年05月05日 金曜日 12時14分50秒
もうすぐ親に会わなくてはいけない。つい最近大きな喧嘩をし、自分がまだまだ回復の全然初めの方に押し戻された感じがしているので、電話やメールでコンタクトをとることさえ苦痛で仕方ない。でも、実際会ってまた喧嘩をしたくないから、せめて会う前にいくらか前に進んで置かないとと焦る気持ちでいっぱいだ。焦ると余計思い通りにならなくなる。まずは、落ち着いて、ハイヤーパワーを信じよう…。できるかな?!
<1054> sky ■2006年05月03日 水曜日 10時40分32秒
休みがやっと取れた。2日間。
朝から母が「G.W.だねぇ」父親と家の中でほとんど口を利かない母。
母の声が父にとって耳障りらしく母が話すと「静かにしろ」と始まるから
母は1日をゲームしながら過ごしている様子。
父が夕方から友人と出かけるらしい。母が私に「外食に行こう」と言う。
だ・か・ら!!! やっと取れた休みなのに!
私にだって予定はあるのよ どうして休日まで親と過ごさなきゃならないの
それもあなたと過ごすと激しく疲れるのよ 
でも・・・それが言えない 肝心なところが言えない
母親が可哀想で これって共依存なのかな イヤなのに
母親にはもっと強く生きてほしいのに 私は自分の好きな人と過ごしたいのに
もし私が一緒に過ごさなかったら母親は誰とも口を利かないまま
独りで夜を迎えてまたお酒を飲んで独りで寝るんだろう
私は一生こうやって生きていくんだろうか 自分よりも母親の心配をして
どうしたらいいのかわからない 皆に笑っていてほしい 
もうイヤだ こんな人生 終わりにしたい
<1053> らら ■2006年05月02日 火曜日 21時08分25秒
私に甥か姪ができることになり、生まれてくるのは男の子だと聞いた。
私は正直がっかりしてしまった。女の子ならかわいい服を着せて、一緒にいろんなことして遊んであげられる。でも、男の子はどんなことで喜ぶのかわからない。体力も使いそう。それにこちらの思いをわからないだろうし・・・
それにしても、赤ちゃんは周りの人間の良くも悪くもいろんな思惑のなかにうまれてくるものなのだと思った。甥っ子よ、一つだけ確かなのはあなたはちっとも悪くはないということ。そして、私も生まれてきたのは何も悪くはなかったのだ。
<1052> sky ■2006年05月02日 火曜日 09時58分46秒
母親の前で演技してしまう自分がすごく嫌い。
この歳になっても母親は私を気持ち悪い呼び方で呼ぶ。
私は自分のことで精一杯なのに
どうして私に依存するの? どうして自分は働きに行こうとせずに
私の稼ぎをアテにするの? どうして私は自分のしたいことが出来ないの?
なぜあなたが私の人生を決めるの? それはいつまで続くの?
言いたいことはたくさんある。もっと強くなって娘に頼らずしっかりと生きてほしい。
お酒飲まないと手の震えが止まらないのはわかってる。
私がいないと外食出来ないのもわかってる。お酒飲まないと極度に緊張しちゃうのよね。
「今日何したらいい?何もすることなんだけど」って聞くのやめて。
私はね、会社で怒鳴られながら汗かきながらストレス溜めながらそれでも
頑張って働いてるのよ。 でもそれを言ったらまたお酒に走って暴れるんでしょう。
もう怖くてね。何も言えないのよ。自分の母親だけど、何も言えない。
ずっと演技してるの。それを「遠慮しないの」って。
遠慮じゃないの、演技なの。ぜんぜんわかってない。
<1051> haru ■2006年05月01日 月曜日 23時37分10秒
私は自分が嫌いだ。
生きにくい自分が苦しいし、たまにずるいこともしてしまう。
子供には私のようになってほしくない。
自分が子供だった頃にいやだと感じたことは子供に対してしたくない。
なのに・・・・
私の口から出る言葉は 自分が傷ついたあの言葉たち
言ってしまってから突き落とされる

こんなに苦しい人間に人を育てることはできるのだろうか?

私の母はそんな悩みなんて持っていない
いつもいつも
できの悪い娘と無口な夫に苦労している母親と妻の姿を世間に見せてきた
しかもそれは無意識だ
だから、何度言っても気づかない
「あんたそんなこと言ったって、なんでも親のせいにするつもりかい?
あ〜損だね、母親なんて。一生懸命育てて憎まれちゃね」

親のせい?
昔、あなたたちはいろんなことを子供の私のせいにしたじゃないか。

こんな親にはなりたくない。
断ち切るのはとても難しい



<1050> みず ■2006年04月30日 日曜日 01時08分51秒
お母さんは本当に狡猾だ

人をさんざん馬鹿にしてからかって利用してetc

でもすっごく微妙なラインでそれをやっている

微妙なラインていうのは誰も気がつかない程度ということ

私にしかわからないようにやってくる

だから私が誰かにそのことを話しても、お母さんはそんなつもりじゃないんじゃないとか、私が考え過ぎのようなことを言われて、私がまた馬鹿みたいな気分になってくる

私が逆襲しようとすると、かわいそうなお母さんのふりして罪悪感を持たせようとするか、やるべきことをしっかりこなしている偉いお母さんとしてお前は何物だと私を逆に責めてくる

たまに奇跡でやりこめることができたとしても、黙ってどっかに逃げるか、お兄ちゃんにチクって2対1に持っていこうとするか、むすっとしなががら酒をがんがん飲んで”お前のせいで私はこんなに飲んだくれているんだ”という視線を投げてくる

じゃあどうすればいいんだと思いながらも、何も思いつかないということは私が馬鹿だからだとも思っていて心が割けそうでした。

もういいかげんにしてしっかりして!!!!!!!!!!!!!
<1049> 亜季 ■2006年04月28日 金曜日 01時08分26秒
大きな心で守って欲しかった。
広い心で受け止めて欲しかった。
大きな手でずっと抱きしめていて欲しかった。

抱きしめることも、私の苦しい心も、
いつも何も理解してくれなかったじゃない。
「オレにそういうことを期待されても無理だ。」
そう言って私の心の中になんて気づこうともしなかったよね。
一緒にいてもずっと孤独だったんだよ。
だから、もう貴方には何も期待しないことに決めたんだ。
生活の支えではあっても心の支えにはならない。
それでよかったんでしょう? 
その方が楽だったんでしょう?
心の支えを他に求めたのは必然的なこと。
自分の立っていられる場所、自分なりの居場所を
やっと見つけたのに、私が私らしくいられる場所なのに
私の心が外へ向いたとたん、貴方は私に執着するのね。
あまりにも勝手すぎるよね。
子供じゃないんだから、自分の寂しさは自分で処理してよね。
貴方が私にそれを望んできたように…。
<1048> rei ■2006年04月27日 木曜日 19時42分01秒
ママ・・・
ママは私が嫌いなの?

パパ・・・
パパはどうして居なくなちゃったの?
それは、私のせい?

いい子にしていても、いいことないよ。
誰も愛してくれないよ。

ママおしえて。
愛ってなに?

パパおしえて
かぞくってなに?

だれかおしえて
いきるってなに?
さびしいってなに?
どうして人は生まれて死ぬの?
何のために生きるの?

ねぇ・・おしえて
わたし・・だれ?
わたしってなに?
おしえてほしい・・・



たすけて・・・・・!
<1047> なるか ■2006年04月26日 水曜日 03時39分33秒


お母さんへ(出さない手紙・すみません、母親板が一杯の為お借りします)



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ズルイ!

ズルイ!

ズルイズルイズルイ!!!!

お母さんはズルイ!

うそつきだからズルイ!!!

うそつきうそつきうそつき!


そのうそはズルイうそだ!
人を悪者にして犠牲にして自分は悪い事をしたのに隠してだまして
自分をよく見せる為だけの為に嘘ついて
自分をよく見せる為だけの為に人を悪者にして犠牲にして
自分の為だけで嘘ついてる
ほかの誰の為でもない自分の為だけの為に嘘ついてる
その嘘はばれてもお母さん以外誰も困らない損しない迷惑かけない
ただ ただ 自分の為だけの為に
しょっちゅう子供を殴って家の中の物を壊して怒鳴り散らしてそれを隠してその為に嘘の子供の問題をつくって子供のせいにして子供を悪者にして

それが親のやる事か?
それが人間のやる事か?

そして次から次へと新しい嘘をつくって
相手が折れるまで言い通して
何度も何度も何度も嘘を言い通して
都合が悪いと二転三転の嘘を言いとおして
嘘が新しい嘘に変えた事も嘘と嘘でごまかし通して相手が言わなくなるまで嘘を何度も何度も言い返して
相手が疲れてどうでもよくなるまで嘘を言い続けて嘘をついて押し通して
自分の嘘は何が起きてもどんな明白でも曲げないで言い続けて押し通して

身内じゃなければ良かったと ほんとに思うよ

付き合いたくない

影響を受けたくない

離れたい

存在を消したい

そういう人がいると言う事に直面したくない

 

ほんとに頭がおかしくなって来るんだよ
情け無くなって心細くなるんだよ

生きる気力が無くなってしまうんだよ

生きる喜びや生きる意味をわからなくさせられてしまうんだよ

何かむなしくただ平坦な所を足を引きずって進まなきゃいけないようなそんな気になるんだよ

あんたは人の人生をめちゃくちゃにしているんだよ


















お母さんへ
<1046> みゅー ■2006年04月23日 日曜日 21時16分32秒
あたし、まだ生きてるよ。こんな自分にハラ立つけど、もっとハラ立つのは奥方サン、アナタ。
アンタ、いったいどうしたいの?!何が毎日そんなに文句、不満だらけなの?!どうして、その話し相手が、いつも、あたしなの?

「おかあさん、だいすき」な「おとうと」兄が、いるのに。ナンデスカ。
兄が4がつに、また1コ年とって、文句、不満をアナタにダラダラ言ってるからですか?
責任持って下さい。アナタの過去とアナタ自身が「自分自身を生きてこないまま結婚に至ってしまった事」に。
あたしは「家」には居ても「この家族」はとっくに捨ててます。
アナタは兄に対して今は、きちんと責任もって下さい。
あたしは兄の母でも姉でもなく、奥方サンの母でもないんですから。
<1045> sarennda- ■2006年04月22日 土曜日 22時16分06秒
本当の意味での家族との離別、それが今の僕の課題。
僕の心の半分くらいは、母さんとの共有で、それがなくなるのが怖い?

もう、あの人のために生きる必要はない。憎んでも、殺してでも僕はあの人ではないと。
僕は自分のことを愛している、僕は自分のことを愛している。あなたは必要ない、成長の邪魔になるだけさ。だから
さようなら、さようなら。これから一生会うことない、あなたは僕ではない、僕はあなたではない。

<1044> みゅー ■2006年04月22日 土曜日 18時10分40秒
老公サンのお帰りだ。また奥方とガタガタはじめる。そろそろやめなきゃ。
あたしの居場所は何処ですか?
「おうち」なんてない。「家」はあっても「建物」だ。ただ、それだけ。
外に出ても、あたしはどこか異質だ。人より痩せすぎ。これでもずいぶん太ってきたのに。早くここ出たくて、がんばってこの2年近く食べて、やっと内蔵にエネルギーの吸収力でてきたのに。
ここにいたんじゃ太れない。

今日の昼すぎ「一応」ここに「帰ってきた」。外にいるほうがマシ・・・、な気するけど、外にいる「働く人間」から見たあたしは明らかに異質だ。
年齢不詳、つかみどころなさそう、とっつきにくそう、あのヒト大丈夫なワケ?!、あのヒト何してるヒトだろう・・・。もっとありそう。だけど、ざっと、こんなモンでしょ?

ひとりは気がラクで、ひとりがイヤんなったわけじゃない。居場所がないから消えるの。
<1043> sarennda- ■2006年04月18日 火曜日 11時30分20秒
僕は結局のところマザコンだったのかもしれない。

一人ではなにもできずあまりにもだめな僕、そんな僕を周りの人たちは認めてくれていた。
「あなた方より下です。だから僕を仲間に入れてください」僕はそう言わずとも態度で表した、そんな付き合い方しかできなかった。

気づかないうちに束縛されていて、束縛されていることにも気づかなかった。母さんは巧妙に人を束縛していく。なんでもしてくれていた。
僕はなにもしなくて良かった。
そんな育てられ方でまともな人間になれるわけがない。

母さんは今でも僕から離れたがれない。大学院に行くことを進めたり、俳優になればと言ったりして、社会にでることを進めようとはしない。

親のせいでだめになったのに、お前は「判断力とか常識とかが欠けている人間だ、バカなんだ。」そんな風に態度で示される。
お前らが俺をだめにしたんだろ!おかしすぎるよ!狂ってるよ。
<1042> あすか ■2006年04月18日 火曜日 11時01分39秒
35歳にもなって、自分がACなのかも知れないと気がついた。
離婚をして、すべてのものを失って自分の無力さに気が付いた。
自分の過去を振り返り、もう一度自分を立て直そうと必死になればなるほど
無力感に襲われる・・・

そんなときに、このサイトと出会い何気に調べてみると、その結果に驚いた。
0〜9カ月の頃の深い傷??
無論私にその頃の記憶など無い。

ただ・・・確かに4〜5歳の頃、ここに居てはいけないのかも・・・
家族と居ることに対しての違和感があった。
早く大人になりたかった。一日も早くこの家から出ることを考えてた。

親からは、特別暴力を受けたわけではない。
たぶん感じていたことは、私に対して母は無関心だった。
話をまともに聞いてもらえず、いつもなにかに集中していた母の姿。
いつも何かに対して怒っていた母・・・
子供ながらに感じていたのかもしれない。
「私はいらない子なんだ!」

私には、弟と妹がいます。正確にいうと妹がいました。
私が小学2年のとき、私の目の前で交通事故に遭い死にました。
目の前で、ひかれていく様子は今でもはっきり覚えてます。
一瞬の事なはずなのに、とてもゆっくりと・・・
あのとき妹は、道路の反対側にいる私を見つけると
「おねえちゃん」と大きな声で私の方にかけ寄ろうとして。
その時なぜか「来ちゃだめ!!」と言えなかった。声が出なかった。
今でもなぜだかわからない。
妹は、ひかれた後、母に抱きついて倒れた。
妹は死にました。
葬儀の朝。父と母は、絵を描く事が好きだった妹のたくさん描いた絵を
見ていました。私は、その絵にひとつ、ひとつ、花丸と点数をつけました。
妹に謝りながら・・・
それを見た母は、私を叱った。「余計なことしないで!」と・・・
よけいなこと・・・?

そのあとの記憶が、ほとんどありません。
あるのは、目撃者として、何度も何度も状況を話しさせられたこと。
それから、引越し、転校、親の離婚と色々なことがありました。
いつも胸が痛かった。苦しくて息ができなかった。
母は私が嫌い。きっとそう。このカレーにも毒が入っているかもしれない。
母は、私に何を教えたかったのだろう。親として・・・


<1041> sarennda- ■2006年04月17日 月曜日 22時37分05秒
僕がなにもできない人間になってしまったのか今わかった。僕は家族と共依存の状態にあったからだ。

僕は小さいころ、喘息になった。かなりひどくて病院に入院しなくちゃいけないような状態にもなった。家に帰ってからも母が心配をして自立心を作り出せないほどの状況になっていた。

僕の家族、それは不思議な巡り会わせを感じさせるものだ、悪い意味でだが。僕の母は昔ひどいアル中の親父に育てられた、そしてその母さんが嫁いできたところが、またアル中のいる家族だ。
 僕のおじいちゃんがアル中だったのだ、怖かった、ほんとに怖かった。
 おばあちゃんはそのおじいちゃんの葬式で泣いていた、愛してたのかなー殴られていたのに…狂ってるよ
 そんなわけで僕はアル中の人の子供たちの間から生まれた子供、複雑で笑えてくるよ。
 僕の親は自分では気づいていないが、ワーカホリック(仕事依存症)になっている、まともにいきれるはずがないんだ。

 おじいちゃんが逝ってしまった今では普通の家庭に見える。だけどそこにはACたちだけでできた家族、どこかが狂っていたんだ。僕は「普通」の家庭を知らない僕にはどこが狂っているのはわからなかった。

 僕の喘息偶然でなったのではない、ちょっと狂った家庭を安定させるため母さんに依存のチャンスを与えようと小さい僕なりにがんばったんだよ。

それから僕は欠点だらけの人間になった、バカで判断力のない人間になった、当たり前だ。過干渉で育てられてそんな能力が育つわけがないし、失敗することでしか人と付き合えなかったんだ。

僕はついに気づくことができた。今震えた指でキーボードを打ってる。そうだん

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This script written by Shintaro Wakayama.