多分うちの家族は世間にこびているんだろうな。こびへつらって生きているんだろうな。誰一人として本当に自分を信じて生きれている人はいないんだろうな。目の前の要求にただこたえて生きていて、後は世間様に言う通りな生き方をしてるんだろうな。 そして家族は辛い厳しい世間から守られた馴れ合い場。私は子どもだから愚痴きいてくれる。この子は気が弱いから。真剣な内的力を持っていても、それは世間ではおかしな行動として映るかもしれない。それをうちの親は笑ったんだろうなと思う。真剣な内的力はきっと危険から身を守ってくれる自分の命の原動力だと思う。それをうちの家族は笑ったんだろうな。世間さまはこういう。とかいう大多数が信じるものにものすごくなびく人たちだと思う。 不登校は自分とは関係ない不幸な人たち、レイプとかも遠い世界の出来事。でも私はそうは思わない。昔からレイプを扱ったテレビとか病気特集とか見るといつも自分にひきつけて考える子どもだった。いつもそういう事に怯えていた。 あの人たちには世間を変えていこうとか自分らしい生き方とか多分ないんだと思う。 そんなに仕事人間がえらいのかしら???? 愛してくれた。そうね確かにね。分かっている。遊んでくれた。友達との遊びにもついてきた。 そうね。でもだからって私があなたたちにいい感情を抱いているかとは別。 どうしていい感情をいだかないかというとものすごくいつもばかにされているように感じていたから。そして悪い事に私がいじめられてもそれを言えるような子どもでもなかったから。そして何でも母親のような視点に立って受け入れる子どもだったから。もしくは相手の要求を飲み込んでしまう子だったから。自分の好きなことを主張できなかったから。自分のやりたい事に情熱をかけられる子どもではなかったから。子どものくだらない事に見えてものすごく大切な真剣な内的力から発せられる行動を私はできたときもあった。でも小学校5年のあの日以来することできなくなった。学校の先生と家族の目・期待・視線に負けて生きてきた。あの人たちの期待通りに生きてきた。そしてもっといやなのは周りの子どもの強い内的力から発せられる思いにこびへつらって、sの子達の道具のようになって、もしくはその学級や「普通」だろうと大人が見くびる事の道具になって生きてきたこと。一番悔しいのは他の子どもの強さ「うっせんだよ」とか普通に気に入らなければ言うでしょ?中学生でも女の子に「あんたらりっているよ」とか何の脈略なしに言われた、つまりその子のいらいら、とか私を少し「変」と感じる心や評価の強さに負けたの。高校生で皆自分に内向するようになって、自分を守ってくれると思い込む恋人との話を楽しんだり。そんな事私はできなかった。人のために生きてきて、そんな事自分に許されると思ってなかったの。服飾専門学校に行くとクラスみんなの前で先生に私の事言われたときに周りは「あっそ、どうでもいい、興味ねぇー」みたいな反応した。その時私はこう思った「いいんだ、私服飾専門学校に行きたければ行ってもいいんだ」皆の思う私像をかけ離れていたからって殺しにこないんだって思った。そう思ったの。 それから大学のときにできた彼氏に「あなたのイメージする私でいなければあなたに殺されそうな気がする」って言ったことがあった。つまりね、昔は家族にそう感じていた、勿論学校のクラスと担任にもそういう思いを抱いていた。そして中学校3年のときは「私の事好きなのかも」って思う男子にそう感じた。この人の期待を裏切ったら私は一度好きって思ってもらった男子に変な顔とか汚い声とか変な自分を見られたら幻滅されて、嫌われる、憎まれる「裏切ったな」って言われて(実際に小学校のときに言われていた、それは一緒に入るって言っていたクラブに入らなかったからだけども、この言葉はショックでいつまでも残った)ストーカーされるか、殺されるか、くらいに思っていた。 自意識過剰って思うかも。そうなのかも。でも私の人の思いと外れた自分を持つことのその人に対する裏切り感罪悪感、恐怖はすごいものだった。
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