機能不全家族という言葉を初めて見た時 ああ、そうだ。私はそう、機能不全の家族の中で育ったのだと 胸に突き刺さる思いで、その言葉を受け止めた。 不思議と怒りも悲しみも無かった。 もっとも、子供の頃からどんな感情も抑えきって 周りが求めるような答え(ウソ八百)ばかりしゃべっていたら 自分自身の感情なんてどんなもんだかわからなくなっていたのだけれど。
家族としての単位なんて、なんの期待もしていなかったのに 今は、夫と子供に恵まれて その絶望していた家族という単位に救われて助けられ生きている。 感謝にたえない、その家族の中に
どうか割って入ってこないで。 私の過去。私の実家の家族。適切に言うなら私の母。
幸せなキッチンで、幸せな家族の為に食事を作るその時間の隙間に ふいにフラシュバック。 昔の父。昔の母。昔の学校。 度重なるイジメの場面。擦り切れ破れ引き裂かれる感情。 「ぎゃー!!」と自分でも驚くほどの大声を上げてしまう。 大声を出さないと、頭の中から場面が消えない。 玩具で遊んでいた三歳の息子が、驚いて振り返り とっさに叫ぶ。「ママ!ごめんね!」
ちがう!ちがう!あなたじゃないのよ。涙が止まらずこぼれ落ちる。 ごめん。ごめん。悪いのは私だ。子供じゃない! 謝らないで!お願い!謝らないで!お願い!
私を襲うのは、過去の私。過去の家族。過去の学校。過去の全ての状況。 過去がフラッシュバックを通して、今の私に襲い掛かる。 消えてなくならない私の礎は 悲しく、愚かしく、惨めで、おぞましい、そんなものの塊だ。
息子の光輝く顔を見ていると どうしてこんなおぞましい身体から こんな輝く命が生まれてきたのかわからない。
そして私の過去は、そんな輝く命でさえ健康に育つことを脅かす。 自分を大切に・・・という言葉が、余計に自分を悪化させる。 自分自身、その自分自身を作った過去があの様相。 自分を大切にすることが、あの過去を増長させる。 過去が高笑いしながら、逃れられるものなら逃れてみろ!と 私の脳にかぶりつく。
私が一体何をした! どうか離して。過去の手から今の私を引き離して。 さもなくば過去の自分を切り刻んで殺して欲しい。 今の自分を切り刻まなくてすむように。
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