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私たちの物語 - 家族過去ログ No.51
メッセージ数:1020件

<1020> さなえ ■2006年03月03日 金曜日 20時54分38秒
明日は母親と、母親の趣味のコンサートに一緒に行かなくてはいけないことに
なっている。でもわたしは行きたくない。ものすごく。なんで断れないんだろ?いつも。犬飼うのだって私はとても嫌でしかたなかったよ
でも親に依存するしか今のところ生きる術がない。
早く終わって欲しい、明日
<1019> lp「いおj90@ ■2006年02月27日 月曜日 11時42分09秒
残りの人生を、もうすでに、どうするかが決定している。
家族って。。。一人で生きていく。
<1018> コトリ ■2006年02月26日 日曜日 16時31分12秒
もし、あの親が『親』というものでなかったら、私はちかづくだろうか。
ふと、思った。とてもいけないことを書いているような気がする。
とても残酷なことを かいているような気がする。 私はそれだけ満足していないのかな。ありがたさがわかっていないのかな。『かんしゃのこころ』を知っていないのかな。だめなのかな。どうしてこう思っちゃうのかな。公平な心を持てたらいいなと思う。
<1017> コトリ ■2006年02月26日 日曜日 16時10分27秒
私はなにをどう話していいのかわからない。
まるで人形とか、
親の思いどうりにうごくものだとか、そんな風に人を思っているかのように、
親は話す。私はすごくいやな気持ちになる。だって、私の意思を肯定されているとは思えないから。無視されているように思うから。
<1016> セシル ■2006年02月23日 木曜日 19時27分22秒
親に甘えてしまう。小学校低学年並みの馬鹿な行動を取ってしまう。自分で書いててとても情けない。これがどうしてもやめられない。これをやらないと何かが内側で爆発しそうになる。
私は正常になれるのでしょうか…。
<1015> 青空 ■2006年02月23日 木曜日 19時25分20秒
親ってほんと勝手だと思う。なーんにも考えてない。自分の子どもなら何を言っても許されるの?子どもが親の満足するように生きていかなきゃいけないなんて間違ってるよ。私は自分の子どもたちが自分の人生を生きていけるようにしたい。絶対に、子どもの気持ちを聞いてあげる親になってみせる。
<1014> アーネスト ■2006年02月21日 火曜日 18時28分44秒
親に結構な依存をしている。
客観的に見れば、それはありがたいことなのかもしれない。自分にはまだやるべき勉強があるし、経済的に安定してくるまではそれにあやかってしまおうというのもひとつの考えではある。でも自分にはそれができなくなりつつある。今のバイトは思ったより入れないし、4月からの職の関係で、長期のものはできない。困った。
<1013> わんこ ■2006年02月18日 土曜日 16時29分33秒
ずっと心が苦しかった原因がよく分かった。自分の人生なのにいつも実感が
無くて責めていた。30代半ばだしもっと自分に関心を持っていたわって
あげたい。 
<1012> つむぎ ■2006年02月17日 金曜日 00時20分13秒
機能不全家族という言葉を初めて見た時
ああ、そうだ。私はそう、機能不全の家族の中で育ったのだと
胸に突き刺さる思いで、その言葉を受け止めた。
不思議と怒りも悲しみも無かった。
もっとも、子供の頃からどんな感情も抑えきって
周りが求めるような答え(ウソ八百)ばかりしゃべっていたら
自分自身の感情なんてどんなもんだかわからなくなっていたのだけれど。

家族としての単位なんて、なんの期待もしていなかったのに
今は、夫と子供に恵まれて
その絶望していた家族という単位に救われて助けられ生きている。
感謝にたえない、その家族の中に

どうか割って入ってこないで。
私の過去。私の実家の家族。適切に言うなら私の母。

幸せなキッチンで、幸せな家族の為に食事を作るその時間の隙間に
ふいにフラシュバック。
昔の父。昔の母。昔の学校。
度重なるイジメの場面。擦り切れ破れ引き裂かれる感情。
「ぎゃー!!」と自分でも驚くほどの大声を上げてしまう。
大声を出さないと、頭の中から場面が消えない。
玩具で遊んでいた三歳の息子が、驚いて振り返り
とっさに叫ぶ。「ママ!ごめんね!」

ちがう!ちがう!あなたじゃないのよ。涙が止まらずこぼれ落ちる。
ごめん。ごめん。悪いのは私だ。子供じゃない!
謝らないで!お願い!謝らないで!お願い!

私を襲うのは、過去の私。過去の家族。過去の学校。過去の全ての状況。
過去がフラッシュバックを通して、今の私に襲い掛かる。
消えてなくならない私の礎は
悲しく、愚かしく、惨めで、おぞましい、そんなものの塊だ。

息子の光輝く顔を見ていると
どうしてこんなおぞましい身体から
こんな輝く命が生まれてきたのかわからない。

そして私の過去は、そんな輝く命でさえ健康に育つことを脅かす。
自分を大切に・・・という言葉が、余計に自分を悪化させる。
自分自身、その自分自身を作った過去があの様相。
自分を大切にすることが、あの過去を増長させる。
過去が高笑いしながら、逃れられるものなら逃れてみろ!と
私の脳にかぶりつく。

私が一体何をした!
どうか離して。過去の手から今の私を引き離して。
さもなくば過去の自分を切り刻んで殺して欲しい。
今の自分を切り刻まなくてすむように。
<1011> こくーん ■2006年02月15日 水曜日 02時30分19秒
自分の望むようであれば、雨あられと甘い言葉を与え、
そうでなければ、無言でそっけない態度を取る。
…そうやって私をコントロールしてきたのね。
自分の手を汚さないで。

自分で選んだんでしょ?っていうのね。
…私はあなたの顔色を伺っていただけよ。
計算を仕込まれた動物のようにね。
<1010> こくーん ■2006年02月15日 水曜日 02時27分08秒
自分の夢とか将来とか、何か考えようとするとき、
『そんなのは無理よ』と、声がする。
…それは、母の声なのだ。
母の望んだ生き方以外を想像すると、母の声で否定するのだ。

…なのに、そんなことはしていない、と言うのか。あなたは。
<1009> 優衣 ■2006年02月14日 火曜日 22時22分48秒
お父さんはあたしの味方だと思った。
でも違った。
<1008> ぱんだ ■2006年02月13日 月曜日 02時47分24秒
親に褒められた記憶がない。罵られた記憶は山ほどある。
親に手を繋いでもらった記憶はほとんどない。
親に抱きしめられた記憶もない。
寂しいのかな、私。それさえわからない。
<1007> さよなら ■2006年02月07日 火曜日 21時29分34秒
ばあちゃん、元気で。
<1006> 青空 ■2006年02月03日 金曜日 16時31分51秒
高校のときブラスバンド部でトロンボーンを吹いてました。高校から始めたので最後まで下手だったけど結構がんばってました。
3年の引退の演奏会に来てくれた母は、私にこう言いました。「青空の音全然聞こえなかったわ。」うそでもいいからいい演奏会だったね。くらい言ってくれよ。と今は思います。でも当時のわたしは笑って受け流していました。
<1005> 青空 ■2006年02月03日 金曜日 16時12分30秒
母は私がほめられることをすれば、「さすが私の子や」と言い、気に入らないときには、「誰に似たん?」と言う。うるさーーーーーい。
<1004> いしたん ■2006年01月31日 火曜日 16時13分20秒
頭おかしいんじゃないの。なんでこんな子になっちゃったの。
知らないよそんなの。
<1003> iwashitakeco ■2006年01月30日 月曜日 16時44分49秒
私は母の許可なしには、何もできない。
どんな小さな決断も、母に報告して、母の許可が下りなければ、それは実行できない。
そして母は、大抵のことにケチをつけ、許可をしない。
たまに許可したとしても、その後に恩着せがましく「あの時許してやった。お前の好きなようにさせてあげている。」と言う。
それがとても苦しい。辛い。息が詰まる。
<1002> かすみ ■2006年01月24日 火曜日 23時35分19秒
子供の頃の写真は、私だけ悲しい顔をしている。
どれを見ても、うんざりしたような顔、泣きそうな顔、卑屈な顔、わざとらしい顔。思いっきり暗い顔。不機嫌な顔。

それだけならまだいいが、母の顔は、私より明るい。
若くて美しい。
苦しそうな私のそばに、屈託の無い、やさしい、明るい母の顔が何時も映っているのだ。
ああ、誰か気付いてくれよ!

2,3歳の子が、こんなに暗い顔でいるなんて。
その子の母親の方が若いなんて!

<1001> なきむしっこ(FB注意かもです) ■2006年01月18日 水曜日 20時10分48秒
 自傷的な思いは、嫌いな男子にわざと「好き」だと思わせる行為を取って勘違いさせること・・・そして自分が自分でいかにも変な男子においかけられるように仕向けたり、もっともっと数え切れないほどの自分にとって嫌な事を起こるように自分に仕向けた。それで、自分は現実を支配しているつもりだった。
私にとって、子ども時代はいやな事ばかりが、自分の支配することはできずに、思いがけずに起こる。思いがけないで起こるむかつく女からのからかいとかに私は本当にいつもがけから突き落とされるような思いがした。
 「良かった〜。無意識で生きていたらどうなっていたことか」と思い続けた。
 この世は私の支配下におけないことが怖かった。どうして、世の中にこんなに悲しいことが溢れているんだろうと思い続けた。ガンになること、不意に助からない重い病気になること、失恋すること、離婚すること。。。
 とにかく私には知らなければ怖いことが起こるとしか考えられずに、それで勉強し続けたような気がするの。
 怖いこの怖がりがいじめにつながったのだろうか?
 がんになりたいって自分で自分を怖がらせ続けたのは・・・・「怖かったよ〜、いじめられて、嫌な思いして怖かったよ。自分でどうして自分の世界をコントロールできないの?殺してやる」という学校時代感じていた恐怖感と、我慢し続けたくやしみ・怒りと常に「絶対に安心な場所、絶対に傷つかない場所」にはいけない、今の不安・不安定な状態を持つことのくやしさや悲しさを、自分に私は向け続けたのだと思う。
 がんになりたいって唱えた。あの占いにあったとおりの事が起こればいいと思い続けた。レズになればいいと思っていた。自分の幸せを自分に許さなかった。そしたら、傷つく事も人に馬鹿にされる事も、自分の本当の姿を人の何やかや評価されることもないから。
 これこそ私が毎日学校でされ続けた事。私にとっては悲しい事だった。私はプライドが高すぎるのだろうか?私は人から自分の範疇を犯されることへの嫌悪感が強すぎるのだろうか?でも、私の子ども時代にされた事は私が自分で自分を殺したくなるくらい嫌な事ばかりだった。
 24歳になって、働き始めて、人に自分の性格を評価され、直したほうがいいと思わされなくなって、「そういう風に感じるんだね」と認めてもらって、ある程度敬意を示してもらって、自分が嫌な事には適当な理由をつけて逃げられて、自分の用事を親に見張られなくなって、家族以外に一人暮らしという自分の世界を持ったら、やっと楽になれた。。。。
 子ども時代が楽しいって昔よく聞いたけど、私は大人になれて良かった。大人になってやっと自分で選べるようになった、楽になれた。
 家族に言われ続けた「世間で生きていけるように・・・の性格改善」
でも、私は無視する。私にとってむかつく事はむかつくのだ。もう「こんな事では世間で生きていけないよ」とは言わせない。
 わがまましか言わない。ぎゃーぎゃー自分の言いたいこと言ってやる。嫌な人には嫌って理由つけてまで言ってやる。
 私は生きるだけなんだ。もういいんだ。悲しい思いたくさん子ども時代したから、嫌な感覚いっぱいの子どもの頃の時間だったから、それを今度は誰かに返したくなる。こうやって犯罪って生まれるんだろうなって思う。無関係な人なのに・・・って攻撃性のある人にとっては聞こえない事なんだろうね。攻撃性を持った人は持つだけのその人にとっての傷ついた事がたくさんたくさんあるんだろうね。。。
 負けないよ。私は。。。ここにきているし。今の私は自分を大切にしてあげることだけ。。。。。

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This script written by Shintaro Wakayama.