兄が腹を立てると異常に怯える。例えば親からの待遇が少し違っただけで,彼が私を怒るんじゃないか,と怯える。なるべく刺激しないように刺激しないように,と安全そうなほうへいく。少しでも素振りがあると過剰に反応する。家族4人で,いる時には兄に優位に立たないようによく注意したものだ。なぜかというと,まず復讐が向かってくるのがわかっていたから(だと思う)。母に対してはもおう充分に怒っているし、父親に対しても同様。となると,あとは自分一人しかいない。要は自分で自分を守れない。不当な暴力や批判に怯える。「それは私が受けるものではない」と言えない。私はそれを受けるに値すると思っている。そうすることで,その行為の不当性さえも容認してしまう。今現在、暴力があろうがなかろうが,とにかく保身、防衛することデ頭が一杯だ。両親の処遇は変えられないと分かっているから,後は自分がいかに刺激しないように配慮するかだけ。無力。その刺激しないような態度が,防衛的な態度が,いろいろな問題を持っている。嘘、逃げ、責任転嫁」。いかに自分が相手に対して無害かを証明することで頭が一杯。もともと無害なのに,さらに縮こまる。責められもしないのに俺は悪くない,無関係だと思う。無関心でいたい。その態度が逆に「俺が,俺が」の姿勢を生んでる。俺は悪くない、俺がしてやったんだ。なんで俺が苦しむんだ?なんで俺がこんなことしなきゃならないんだ?なんで・なんで・なんで?と。
でもそれは大きな間違いだった。MTGに出たとき、「いやそうじゃないだろう」と少し思った。みんなそうなんだ。みんな程度の差こそあれ,一様に苦しんでる。責任負ってる。よくなろうとしている。回復しようとしている。俺だけが,じゃなくてみんなそれなりに苦しんでいる。こういうのは閉じているときには思えないし,励みにならないけど,そうじゃないんだ。みんな一様に苦しい。俺だけが特別なんじゃない。俺だけが罪悪感を負っているんじゃない。この感情は俺だけに特別のものではない。先行く仲間にも,MTGに繋がっていない人にだって,きっとある。なぜ俺が?と思ってしまうのは,多分、ずっと自分の世界に入っているからだと思う。人と交流しないからだと思う。もっとオープンに。俺だけが,じゃない。
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