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私たちの物語 - 家族過去ログ No.46
メッセージ数:920件

<920> アーネスト ■2005年11月08日 火曜日 02時24分36秒
(フラバ注意)
8,9歳〜15歳くらいまでだろうか、それが続いたのは。床に入る→母が階上に上がってくる→母と兄が争そう→罵声、机を叩く音、鉛筆やなんやら文具や細々した物音。母がスリッパで床を踏み鳴らす音。その間半開きになったドア越しにそれを聴いていた。寝た振りをして。それが終わって母が寝室に向かう途中に、たまに私の部屋に来た。「ママ、怖いよ」とも言えずにただただ寝た振り。わざと部屋に寄ってくれるように、布団を蹴飛ばして、彼女の気を引いた。あの頃、ドアを半開きにして寝ていたのも、そのためだったのだろうか。ある日、高校生ぐらいになってようやくドアを閉じて眠るようになった。急に灯かりが気になりだしたのだ。
<919> アーネスト ■2005年11月07日 月曜日 00時30分26秒
小5の頃、学校で班ノートというのがあって交換日記みたいのをやっていた。それで同じ班の子が、文章のなかでアルファベットを使っていたが読めなかったので母親に聞いたらそれは〜に決まってるでしょ!!とバカにされた。まだアルファベットが読めない状態だからそんなこと言われてもねぇ・・・・
父には小3くらいからは勉強を見てもらっていただろうか。とにかく算数がだめだったから理系の父親はさぞ得意げだったのだろう。暴力はなかったが、机をゴンゴン叩いたり、こぶしを振り上げる真似をして決まって「なんでそんなこともわからないんだ」とか「(その答えが)どーしてそうなるんだ!!」と詰問された。どうしてと言われても答えようがない。一生懸命説いた結果だった。それを「なぜ?」と聴かれても困る。

リコーダーの練習になると今度は母親が出てきて、心配そうに眺めていた。
<918> 豆だいふく ■2005年11月05日 土曜日 13時14分01秒
私は兄を賞賛するための道具のような存在だった。何から何まで褒めまくった。だって褒めなければ命が危なかったから。でも「俺のこと好きだろう?俺と将来結婚したいだろう?俺達ってお似合いのカップルになるよな」と言われた次の日はさすがに全身にじんましんが出た。でもじんましんがでたことを母に怒られた。いつだって私が悪いと言われた。
<917> 豆だいふく ■2005年11月05日 土曜日 08時25分44秒
私が幼い頃の「愛着対象」はス○ーピー君のぬいぐるみ「だけ」だった。
しかも母はイライラすると彼を何度もゴミ箱に捨てた。泣ける…。
<916> アーネスト ■2005年11月04日 金曜日 03時26分55秒
連続ですいません。
家の中の灯かりがこうこうとついていたり,ガスレンジまわりが汚れていると,気になるんだけどいえないな。こんなことを言うのは細かいことだろうなとか,要求が多すぎるだろうとか。自分の意見なのに,そこでジャッジというか,評価してしまうし,一歩引いたところで見てる。もっと自分の意見を認めてあげないと名。そうすれば他人の意見にももっと耳を傾けられるだろうから。わがままだ!!と言われても,そうです私は我儘です。要求が多いです。でもそれでいいと思っています。言える位の物腰の強さが欲しいね
<915> アーネスト ■2005年11月03日 木曜日 03時42分17秒
暴力を受けた悲しみを伝えた後でも,まだ怒り・悲しみ・屈辱感が出てくる。

正規採用が1年後に決まったとして,その後にバイトしまくってれば採用地が決まったと同時に一人暮らしも夢じゃない。かなり辛いだろうけど。今からその資金を溜めるという手もあるが・・・・

弟でなければ,殴られなかったという気持ちが強い。自分の下にもう1人いれば,とバカなことを考える。でも弟である自分を許す。
<914> アーネスト ■2005年11月03日 木曜日 00時01分45秒
結局、家族で親近感を抱けるメンバーは1人もいなかった。もう再構築とか,よくなるだろうなんて幻想を抱いちゃだめだ。良くしようとしなくていい。それは私の責任じゃないから。両親の責任だろう。住みよい、安全な場所を作るのは。だから関与しない。
<913> アーネスト ■2005年11月02日 水曜日 23時56分14秒
(ちょっと不快な表現があります)
墓参りに家族で行ったとき、近くに精神病院があった。その時、母がこの場所には頭のおかしい人たちが収容されているみたいなニュアンスのことを言った。そんなわけで精神病院は刑務所みたいな場所だと思っていた。精神病にも偏見があった。実際、自分がうつ病になっても,まだ偏見がある。
<912> アーネスト ■2005年10月31日 月曜日 03時00分14秒
兄弟がsplit(引き裂かれる)されるという感じした。本当にsplitという単語が当てはまる。自分だけが防空壕に入っていて助かってしまった、爆撃を受けなかった。そんな罪悪感がある。生まれ順に,未だに罪悪感を覚える。変えられないものだと分かっていても・・・それは防衛の罪悪感ではない・・と思う。本当にココロからそう思う。俺がいなければ兄貴は平和に過ごしたのに・・と。実際にはそんなことはない。俺が生まれていなくても毒親は健在した。お袋,俺達はsplitされた,そう感じるよ。
<911> ゆみこ ■2005年10月31日 月曜日 01時40分00秒
父親が、私が着替えているところを覗きに来る。
朝起きて、着替えをしているところに必ずやって来て、いきなりバン!とドアを開け、「起こしに来た」と言う。
「その時間は、私はもう起きているから起こしに来なくていい」と言うのに、「だめだ。寝坊して会社に遅刻したらいけないから、必ず起こしに行く」と言い、毎日、ブラのホックに手をかけてる時になると必ず、バン!とやってくる。
母に話し、父に一言言ってもらった後は、朝は来なくなった。
しかし今度は、出先から帰ってきた後の着替えを、こっそり覗いているのに気が付いた。
開けた覚えの無い、廊下に繋がる私の部屋の窓が、何時の間にか開いている。
閉めても、また次の日には開いている。
不審に思い、着替えの時に物音に注意してみると、ギシ、ギシ・・・と、忍び足でゆっくりと階段を上ってくる音がする。
廊下側の窓に、誰かがいる。気持ち悪くて振り向けない。
気付かない振りをして、あらかた着替え終わると、またギシ、ギシ・・・と、足音が去ってゆく。
姿は見ていないけど、父親以外に、覗く奴などいない。
また母親に相談。
「ゆみこの部屋の窓が、開けた覚えがないのに何時の間にか開いているんだって。あけたのはお父さん?」母親が、父に聞いた。
父は「そうだ。空気の入れ替えをしてやろうと思ったんだ。」と言った。
その後は、窓が不自然に開いている事はなくなった。(私も鍵をかけるようにしたし)
本当に「空気の入れ替え」だったのなら、続けてやればいいだろうに。
小さいときは暴力、大きくなれば覗きの対象にするのかよ。
反抗されると「お前のためを思ってやっているのに・・・」と泣く父親。
どうしようもない奴。


<910> こうたろう ■2005年10月29日 土曜日 21時00分10秒
もう、わけがわからない。小さい頃から、父がこわかった。殴られるんじゃないかとおびえていた。実際に殴られたことは無かったが、心の底に強い恐怖を感じていた。父が倒れたと知ったとき、それまでのイメージがガクンと崩れる気がした。まだ若かったから。自分の中に、親的な部分と、幼い子供としての自分がいる。片方は、親を憎む気持ちを必死に否定してる。もう片方は、親に愛してほしいと必死に訴えてる。僕は言う。親から愛されることは無い。でも、僕自身が自分の中の幼い子供の心を大切にして、育ててあげることはできる。
<909> ひこうき ■2005年10月29日 土曜日 17時57分05秒
先日、親知らずの抜歯をした。私の親知らずはとても抜歯するのが難しい格好をしているそうで、いつもの歯医者から紹介された初めて会う腕のたつ口腔外科医にやってもらった。その医者は大学病院でも手に余るような患者の手術を担当しているそうで「要は他の医者のやりたがらない手術が僕の所に来るんです。」と笑いながら言ってた。
わたしはかなり怖がっていたのだけど、「どうして親知らずの抜歯が必要か?」「抜歯をした場合のデメリット」「しない場合のデメリット」など分かりやすく穏やかに説明してくれた。私が観念して「やります。」と答えた後「親知らずなんて生えなきゃいいのに・・・」というつぶやきにまで、「どうして親知らずが生えてくるのか?」という説明をしてくれた。興味深かった。
手術中は、息遣いとかで大変さが伝わってきたんだけど、別の医者の全く別の質問にも穏やかに答えていて私も安心した。60代くらいの人かなぁ・・。
術後、「ありがとうございました。」と言いに行くと、「きちんと処置できたから安心してていいよ。」って言ってくれた。
帰り際、扉のところに先生の笑い顔の似顔絵が描いてあり、”私の家族だと思って治療します”って書いてあった。
『あの人が父親だったらよかったなぁ・・・』って思った。
<908> アーネスト ■2005年10月29日 土曜日 06時00分48秒
6歳以降,つまり兄の自我が出てくる時期以降の,母親と私の関わりは兄に左右されていたと言ってもいい。兄の素行次第で母の機嫌が左右されたからだ。そういう意味で,自分の人格の形成にとって兄の影響は無視できない。結局は条件付きの愛で,兄が良い子の時だけ、私に愛情が与えられるということを学習してしまった。だからしまいには兄の機嫌すら取るようになってしまった。両方の調停役をしていたわけだ。ナイフ事件があっても兄に抗議すれば,結局は母から守ってもらえなかったのかもしれない。ただ兄がいようがいまいが元々私には愛情をくれる親はいなかった。これだけは確かだ。恨みづらいといったら情けないというか失礼だが,確かに兄には恨みや怒りを向けづらい。なんと言うか向けて関係を壊したくない。年が近いせいもあるのだろうが,親に関しては,「愛情の与えられなかった」相手というよりその期間として忘却し,諦めることができた。怒りを向けたところで今更復讐されないという安心感もある。上手くいえないがそれは年の差や,私の体が大きくなったこともあると思う。一方、兄弟は近い。一生、同時代的に,成長していく。共有しやすい分,復讐も恐い。
<907> アーネスト ■2005年10月27日 木曜日 21時55分11秒
兄が腹を立てると異常に怯える。例えば親からの待遇が少し違っただけで,彼が私を怒るんじゃないか,と怯える。なるべく刺激しないように刺激しないように,と安全そうなほうへいく。少しでも素振りがあると過剰に反応する。家族4人で,いる時には兄に優位に立たないようによく注意したものだ。なぜかというと,まず復讐が向かってくるのがわかっていたから(だと思う)。母に対してはもおう充分に怒っているし、父親に対しても同様。となると,あとは自分一人しかいない。要は自分で自分を守れない。不当な暴力や批判に怯える。「それは私が受けるものではない」と言えない。私はそれを受けるに値すると思っている。そうすることで,その行為の不当性さえも容認してしまう。今現在、暴力があろうがなかろうが,とにかく保身、防衛することデ頭が一杯だ。両親の処遇は変えられないと分かっているから,後は自分がいかに刺激しないように配慮するかだけ。無力。その刺激しないような態度が,防衛的な態度が,いろいろな問題を持っている。嘘、逃げ、責任転嫁」。いかに自分が相手に対して無害かを証明することで頭が一杯。もともと無害なのに,さらに縮こまる。責められもしないのに俺は悪くない,無関係だと思う。無関心でいたい。その態度が逆に「俺が,俺が」の姿勢を生んでる。俺は悪くない、俺がしてやったんだ。なんで俺が苦しむんだ?なんで俺がこんなことしなきゃならないんだ?なんで・なんで・なんで?と。

でもそれは大きな間違いだった。MTGに出たとき、「いやそうじゃないだろう」と少し思った。みんなそうなんだ。みんな程度の差こそあれ,一様に苦しんでる。責任負ってる。よくなろうとしている。回復しようとしている。俺だけが,じゃなくてみんなそれなりに苦しんでいる。こういうのは閉じているときには思えないし,励みにならないけど,そうじゃないんだ。みんな一様に苦しい。俺だけが特別なんじゃない。俺だけが罪悪感を負っているんじゃない。この感情は俺だけに特別のものではない。先行く仲間にも,MTGに繋がっていない人にだって,きっとある。なぜ俺が?と思ってしまうのは,多分、ずっと自分の世界に入っているからだと思う。人と交流しないからだと思う。もっとオープンに。俺だけが,じゃない。
<906> アーネスト ■2005年10月27日 木曜日 17時23分31秒
同じ家に育った兄弟でも,見てきたこと,感じてきたことは,(話した限りでは)全くと言っていいほど共通していない。自分は,親に直接こう言われた,ああ言われた,ああされたというエピソードは記憶にない。あるけど,それほど心をえぐるようなものはない。むしろ家族におけるポジショニングとか役割にかなりの不満があった。一方、兄は3歳の頃から母に不信感を持っていて,介入しすぎる母を,黙認していた父にもかなりの怒りがあるらしい。つい最近まで,自分のポジショニング的不満を兄と共有できる,という幻想を持っていたが,この前話した限りでは,すごく難しそう。自分がいたから家族の平穏は保たれたって思ってる。家族の話しをすると,今まで見たことも聴いた事も,感じなかったことも出てくるから恐ろしい。相当の回復が進まなければ分かち合いは難しい。
<905> あきこ ■2005年10月26日 水曜日 16時22分30秒
ここまで育ててくれてありがとう。
すっごく信頼してたのに。
父親の浮気ってどう受け止めればいいの?
浮気なんて普通なの?
それにしても両親の喧嘩を見てることが耐えられない。
どっちの気持ちもわかるし。
喧嘩するのが悪いとはいわない。
けど見てるあたしが辛い。
<904> アーネスト ■2005年10月25日 火曜日 17時28分35秒
母親同様、兄もまた自分の人格形成に影響を与えた。兄は自分の養育者である母親を脅かす存在だった。間接的に自分の安全を脅かす存在だった。直接的なのもあったけど。
<903> アーネスト ■2005年10月22日 土曜日 23時52分43秒
責めたって心の傷が癒えるわけじゃないけど.......どうしたいいんだろ?
とりあえずカウンセリングを予約したのは正解だった
<902> ここあ ■2005年10月22日 土曜日 01時50分41秒
子どもが心に辛さを抱えているようだ。
自分でもはっきりとその形や原因を意識することはできていないようだけど・・・
あの子が小さい頃に特に、父親のネグレクト的要素や、きつい小言や、非情な発言、体罰に晒されることが多く、私自身も辛さからついあの子にあたってしまうことがあったために、今でもそのトラウマを抱えているのかと思うと辛い。
あの子の心を軽くしてあげたい、自由にしてあげたい。
こんな生きづらさを抱えるのは私だけで充分だ。
<901> アーネスト ■2005年10月21日 金曜日 17時42分40秒
家族の機能不全は,代を重ねるごとに重くなるんじゃないか?と思うことがある。
代を重ねたぶんだけ,長い苦悩の歴史があるんじゃないか,と。家系図など見たことはないが,一度見てみたい。どのくらい前から機能不全が続いていたのだろう?僕と同じような,いや僕よりも酷かった子どももいるのかもしれない。

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This script written by Shintaro Wakayama.