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私たちの物語 - 家族過去ログ No.45
メッセージ数:900件

<900> アーネスト ■2005年10月21日 金曜日 06時20分55秒
他方で自分の子供(兄)を失敗作と呼ぶような親に,ずっと認められようとしていた自分がアホみたいだ。そんな人間から出る愛情は偽りの,欺瞞の愛情に決まっている。私ににこやかに接しながら他方で,失敗作と言っているなんて信じられない。
<899> アーネスト ■2005年10月21日 金曜日 03時19分30秒
(FB注意)
暴力や,ナイフを使っての脅迫による精神的、肉体的苦痛を考える時,あまりに恐怖が強かったせいか,自分は悪くなかった,痛い目にあったのは自分が悪い子だったからではない,自分にはそうされる理由も,そのことで罪悪感や責任を感じる必要もない,なかった,と自分を慰めても,どうしても気持ちは上向かない。自分が悪いと思ってしまう。理屈ではなく感覚が。
<898> アーネスト ■2005年10月21日 金曜日 03時05分54秒
(FB注意)
小さい頃自分の周りで起こる喧騒、争いに対して自分はどういう見方をしてきたのだろう?争いがおこってもその説明や責任の所在が明らかにされことはなく,いつもその不快感だけが,取り残された。自分が悪いと思うことで,自我の安定を保ったのかもしれない。自分のせいで母と兄が争そうんだ。自分のせいで父が家に帰ってこないんだ。自分のせいで叔父が家にくるのだ。全部自分のせいだ。兄が反抗するのも自分のせいだ。なんとなくそう思ってきた。当時の私には,争いに関して問いただしたりするにはあまりにも無力だった。いや,そうしたこともあったのだろうが,一蹴されるか,あんたには関係ないの一言で終わったのだろう。でも自分の家で起こっていることである以上、少なくとも気にしないわけにはいかない。

そう。怒りがいつ爆発するのか,いつもビクビクしながら暮らした。争いが起きているときは寝た振りをしていた。入っていけば巻き込まれる。母に対しては,育ての親として機嫌を損ねないように,兄に対しては,暴力が恐いから刺激しないように。この頃から感情の境界はぐちゃぐちゃだった。

何かが起きても,その説明がないと今でも不安になる。一番下から家族を見ていたから。怒っているんだろう、自分のせいなんだろうと。そして事実はそれと違っても,自分のせいなんだという罪悪感と思い込みは消せない。そうすることでしか生存できなかった。刷り込み
<897> アーネスト ■2005年10月21日 金曜日 00時46分43秒
(FB注意)
兄弟への感情はなかなか定まらない。同じサバイバーとしての同情、憐れみ。回復して欲しい願い。同じ毒親に対してでも全く共感できない感情。同級生でありながら,担任から全く別の扱いを受けていたような気持ちと言えばいいだろうか。
一方、暴力に関してもどういう感情を持てばいいのかわからない。勿論、不快だ。だが,単純に不快だとか,今の自分に陰を落としているとは言えない。異議申し立てもできない。時間が古すぎるし,第一自分も思い出したくない。今、こうやって接する相手が自分に暴力を振るったなどと思いたくない。何かの間違いだったと思いたい。正当な権利なのに。それくらい,蓋をさせる何かが家族内トラウマにはあるのだろうと思う。
<896> ぬりこ ■2005年10月20日 木曜日 17時06分07秒
 家族に対して「自分史」を大学時代になって出した。それまで私は自分の感情をきちんと「こう思っている」って表現したことはなかった様に思う。
 いつも一般の人がこう思うから「〜〜だ」とか、いつも怯えが先に来ていた。そして、一般人の思うことに沿っていた。
 私はこう思うっていうのが今までなかった。
 家族に対して、私は「明るい」子だったけども、本当はつらかった。だって、なんだか私のお母さんに対してお父さんは「アバウト」とかからかいながら笑っているし、それもあんまりいい笑いではない。そして、気が弱い私はいつも下って感じ。姉の気の強さをみんな賞賛しているし。
 私は「こう思うべき」に押されて本当は何を思っているのか分からない。失敗した教育実習のことや失敗なんてしていないと思うけど。
 いろんな恥ずかしい思い出が私の感情をはずかしいものだとして、破棄してしまいそうになる。
 本当の私はどこにいるの?
 私自身はここにいるのに、「防衛心」が勝っていて、「防衛心」は私のことを同性愛者にしようとしたり、この世で一番汚い存在に貶めようと私のことを傷つけようとする。
 私は自分の感情を出すと相手の反応が怖くてたまらなくなるのよ。
<895> アーネスト ■2005年10月20日 木曜日 03時36分53秒
親について思うこと。俺は一般的に,何歳で首が据わって,何歳でハイハイができて,何歳で歩けてということを知らない。ただ,そんな不完全な身体器官を持った人間を育てる親の苦労は,想像できる。目を離したら危ないし(何をするかわからない)それこそマンツーマンで付きっきりだ。育つ家庭で色々なへんてこなことにも巻き込まれたけれど,こういう気持ちも大事にしたい。つまり成人した自分は,今こういう惨状だけど,その惨状は惨状だけで構成されてるわけじゃない。ちゃんと良い事もあった。精神面では感謝できないが,身体面では両親に感謝している。働いて食費を稼いでくれた父親と,料理してくれた母親に。
<894> Mio ■2005年10月19日 水曜日 12時23分44秒
昨日久しぶりに母とチョコッと買い物した。
ロッテ優勝セールだから安くなってたのだ。
母は一応「ほら、これも買いなさいよ〜」とトレーナー買ってくれた。
レジで当然のように母に払って貰う、いい年した娘の私。
いくら気を使っても弟の嫁にはこんなことしないし。やっぱり親子なんだよなあ。
母はいつものように・・・私にかまってもらいたかったみたいで
「どの服がいいかしら〜〜」と店員にぐちゃぐちゃ文句言ってたので、私が服を選んだら喜んでそれを買っていた。
以前は「相変わらず自己中で勝手な人」と腹が立ってたが、母のチャイルドがメッチャ未熟な事を知ったのでなんかどうせもよくなった。
一緒に買い物してちょっとほのぼのした。
でも相変わらず父の手洗い症状が激しくうるさい・・。
<893> アーネスト ■2005年10月19日 水曜日 01時18分05秒



(FB注意)




俺ら兄弟はきっと一生分かり合えない。でも大事にしていこうと思う。一人の人間として。俺はきっと小学生の頃の親密な兄弟関係を求めていたのだと思う。でもそれはもう無理だろう。一生。速いうちに諦めて受け入れたほうがいい。あまりにも溝が大きすぎる。兄は俺をナイフで脅したことがあるそうだ。覚えてないよ,そんなこと。両親に対する考えも,話したけど「これは俺には抱えられない,気持ちはわかるけど,俺には受け止められない」正直にそう思った。だから手放そう。俺はよくやったと思う。家族が割れないように接着剤の役割も,いい子の役割も,もう充分にやってきた。もういい,もう許そう。誰も悪くなかった。色んなことが重なりすぎた。そして修正できない。誰にも。天災みたいなものだ。誰にも予測できなかったし,誰にも変えられなかった。兄貴は俺なんかより,何百倍も重いものを背負ってきた。鬱になって当然だ。そして俺はそれを肩代わりできない。話しを聞くだけで辛い。「お前は失敗作だ」はないだろう。
<892> アーネスト ■2005年10月19日 水曜日 01時10分51秒
両親とも×1だったのを初めて兄から聞かされショックだった。
<891> いつか ■2005年10月17日 月曜日 00時45分10秒
890はフラバ注意です!
<890> いつか ■2005年10月16日 日曜日 01時34分21秒
母は私が幸せそうなので何とか足をひっぱろうとしていた。
ただ、幸せを願ったりするときもあるので、私には長いこと見破る事が出来なかった。
楽しかった事、彼が出来た事、友達に良くしてもらった事、全て母には苦痛だった。
何も話せないなあ、と思ったのは大人になった頃だった。

共依存の典型、一見お世話好きな人が相手が幸せそうになると、あんただけしあわせになってたまるか!って攻撃するとあったが、母を思うとそのとうり。
どんどん攻撃してくる。
父や、姉を使って、近所の人や私の友達まで、母のコントロールの嵐。
何も弁解もしない、おとなしい、受身の諦めた私の誕生。
病気になっても、ごはんもなく旅行に出かけ、姉と外食に行ったりしていた。
ほら、あんたにはなにもしてあげないよ!母の私へのメッセージ。
私のいうこと聞かないからよ。

私が何をした?

風邪で寝ていると、大きな音をさせる。
二階に聞えるように、父と大声で話をする。
食べ物も準備してくれない。
とうとう音をあげて泣いてしまったことがある。
すると今度は一生懸命看病してくれたが、それはすぐに攻撃に変わった。
私には解らない、この人のこと。
解らなくてもいいだろう。

私の中の何処を探しても、だれにもこんないじわる、できない。

お母さん、あんた変だよ!
<889> ドミソ ■2005年10月15日 土曜日 14時40分14秒
(ひょっとしたらフラッシュバック注意かもです)
家族の間にはさまざまな決まりごとがある。この家はなかなか厳しい気がする。子供から挨拶をする。親が悲しそうにしていたり、イライラしていたら、優しくしなければいけない。あまり長い時間寝てはいけない。働くことが評価される。親が掃除や働いている時は遊んだり、横になったりしてはいけない。親が5時に起き夜8時には寝るので、それにあわせて電気は消し、明るくしてはいけない。夜トイレに起きても電気はつけてはいけない。食事は朝は6時〜7時、昼は12時〜13時、夜は6時〜7時、間食、沢山食べる事はだめ。冷蔵庫の中身は勝手に見ない、勝手に使わない自分の物を入れる時は許可が必要。今何をやっているか、知らせる。「トイレにいく」「掃除をする」「勉強をする」「何の本を読む」など。音楽はあまりかけないようにする。昼寝は30分まで。子供の物をおかない。玄関には靴2足まで。病気になった今は1足まで(玄関は寝ることができるほど広いし、親は何十足あるんだろ)。居間に子供の物を一切おいてはいけない。おいておくと捨てられる。手紙、日記類は親がまずみる(最近は緩和されてきた)。外でご飯を食べる時は親より安いものを選ぶ。(最近は外食なぞしないが)時々子供の面をみせ、頼りなくしなければならない。あまり、自分でやりすぎると、機嫌が悪くなる。髪の毛をおとしてはいけない(最近は親も目が悪くなり緩和されてきて、ものすごく助かる)
書いてみると普通なのかなあ?厳しいのかなあ?でも、何事にも許可が大体いるんだよな。そして、親はいつもルールをやぶれるし、親はOKって所がわからないんだよな。元気な時は親に合わせることができたけれど、具合悪いと、朝起きる時間とか、食べる時間とか、夜電気つけないで、体ひきずりながらトイレいくとか、結構しんどい。親がイライラしていても、一緒に沿うこともできない時もあるし。それでも、寝ていたら、体揺り動かされて、愚痴を聞きますが。わりと、施設での生活のほうが自由な気がしていたけれど、家と何が違うかまだわからないでいる。干渉がないからなのかなあ。他人だからかなあ。

<888> まる ■2005年10月15日 土曜日 14時15分29秒
母について今まで様々な思いを抱いてきた。
幼い頃は慕う気持ちが掻き消されそうなほど、彼女の混乱と支配に巻き込まれ、自身混乱していた。
母の死により、飲み込まれていた感情や生活から突然解放され、自分を知り始めた頃、掴みがたい憎しみを強く感じていた。
もういないのだと、悲しみを覚えるまでには、十年以上の時、彼女以外の”母達”の辛抱強さと、優しさが必要だった。
その一生に対する共感と、しょうがないなもう、と、怒りとない交ぜになった愛しさ。
心身を病んだ彼女から受け取るマイナス面の割合が多すぎたし、多くを得ようと焦る生き方で紡ぐ日常は、厳しく冷たかったけれど、
私が欲しかった想いや温もりを持たなかったわけではない僅かな痕跡が、彼女の遺品から、見て取れたこと。
そして、私の内に、母ならば”こう”あって欲しいという、彼女の人生には無茶な期待を、漠然とだが強く持っていると気付いたこと。
それらが私を少し解いてくれている。

居なくなって20年が過ぎた。私とは違う道を苦しみながら精一杯駆け、去った母を、労いたい。
<887> アーネスト ■2005年10月15日 土曜日 01時13分54秒
(フラッシュバック大いに注意!!)





とうとう自分自身がフラッシュバックを起こしてしまった。酷く怖い。8歳の精神状態に戻っている。「兄と母の争いが怖かった」。そうベッドで呟いた時,17年前の恐怖が甦ってきて,顔に寒気が走った。1分ほどすすり泣いた。

あの頃は,明るくないと眠れなくて,ドアを半分くらい開けて階段の電気を点けたままで寝た。母が上がってきて「×××(兄の名前)」で説教が始まる。定かではないが,足を踏み鳴らすような音も聞こえたような気がする。ヒステリックな,金切り声で罵倒が始まる。
<886> アーネスト ■2005年10月14日 金曜日 08時38分45秒
小さい頃に心身の安全を脅かした近しい人々への(恐れ)がどれほど強く刷り込まれたのかを実感しました。そして,それが後々,例えちょっとでも自分の自己評価を落とすような人や状況に接した場合でも,同じくらいに恐れてしまうことを。でも上手く言えないけれど,母や兄が,私を「わざと恐怖に貶めようとしていた」という思い込みから,少しだけ離れられたように感じます。
<885> AI改めMio ■2005年10月07日 金曜日 23時10分01秒
絶句・・・

母のも(勝手に仮定して)インナーチャイルド診断してみた。
あらまあ・・・思った以上にチャイルドは未熟。
「こういう問題での発達課題・・」なるほど。思い当たる。
母はそれで性差別が激しかったのね。
は〜〜、こんなにまで未熟で幼稚な人に私育てられたのね。
じゃあ・・むちゃくちゃされても当然ね・・・(ため息)
子供育てられる精神状態じゃない人だったのね。唖然
<884> きらきら ■2005年10月05日 水曜日 00時07分46秒
また家出しちゃったよ・・・。あなたもあたしもお互いに依存してる。
帰ってこないだけで愛されてないなんて思わないでよ。あなたのママじゃないの。
私がほしいくらいなのに・・・。甘えてもいつも拒否したのあなたでしょ?いっつも親のような愛を期待して待ってるあなたに与えるものは何もないの。他人の悪口を聞くたびに私は人を信じられなくなった。お父さんを否定してることもいまさら謝ってももう自分が思っている以上に傷は癒せなくなってる。離婚して、ばあちゃんが亡くなって兄ちゃんが、姉ちゃんが結婚してあなたと二人きりになりました。
正直私は、いやだった。だって怖いんだ今でも・・・。喧嘩もできない子になった。だから、あなたが一方的にキレてるだけでしたね。負の感情ぶちまけておさまったら許してくれた。兄弟の中で私だけ、反抗期もなかった。怖かった。あなたに否定されることが生きることさえもそこに存在するなと否定されることになると思っていたから。でもあなたは思わないし、そんなことに一生気づきもしないんでしょうね。会話がままならないのは、私のこと見てないし、聞いてもないからでしょうね。あなただけじゃない、罪滅ぼしのためにお金をくれるお父さんにも。出てっった兄チャンにも姉ちゃんにも、亡くなっても違和感を感じるばあちゃんにも・・
大嫌いだ。いや、一人一人は大好きなんだ。愛してほしかった。今じゃなくて過去の私を・・・。今更謝られてもずっと許せないでいる。「自由にすればいい」と言うあなた、自由にしようとすれば「帰って来い」と言う。「好きにすれば」と言うあなた、好きにしようとすれば、そんなことは「非人間的」と言う。矛盾してる。
あなたに否定されないように生きてきた。けどもうあなたのおもりはごめんだわ。
子供のころから帰るべきところが緊張する。家が重たい。私には帰るべきところが無くなってしまった。もうおしまい。離れたら裏切ったなんて言うんでしょうね。それが「依存」っていうんです。何でも聞いてくるあなた。しまいには、私は誰?って聞いてくるんでしょうね。こんなこといったら後で自分に返ってくるって言うけど私はそれでもかまわない。言わずにはいられないもの。もうたえられない。あなたという枠に縛らないで!!!お母さん!!!
<883> AI ■2005年10月04日 火曜日 22時51分32秒
思い切っていとこに電話で今の現状を話した。
母からずっと、このいとこの悪口聞かされてきて、(とてもいい子なのに)
連絡も取るなと禁止されてたのが引っかかってたけど、「これも一種の社会暴力ね」と気づき、TEL番探したら簡単に出てきたので、思い切ってTEL.
もう彼女とは20年ぶりくらいの会話・・・。こんなに長い間母の禁止のおかげで連絡とらないのなんて、実に変な話。
いとこは家族の現状を知り、絶句。だけどあんまり重すぎて関われないような雰囲気だったが・・・(汗・・
話聞くことはできるよ〜と言ってくれた。のがうれしかったのかちょっと微妙
でも話せて良かった。いとこはやっぱり友達なんかに比べて気兼ねがないし、性格が優しい。もしかしたらまた、頼み込んだら何かと力になってくれるかも知れない・・・迷惑かもしれないけど。
重たい頼みごとも、いとこは言いやすい。
やっぱり話せて良かった。ありがとう、Nちゃん。
<882> 青空 ■2005年10月02日 日曜日 02時04分41秒
お父さん、お母さん、私は今すごく悩んでるんだよ。
あなたたちに話したら「何変なこと考えてるの。考えすぎや。考えんとき。」
って言われるようなことでね。
そんなあなたたちのせいで、なんだかつらいねん。ほんまつらいねん。
私がつらいと思ってるなんて夢にも思わないんでしょうね。

<881> Ai ■2005年10月01日 土曜日 22時39分30秒
だから・・・私は優しそうな父性愛を感じる人にとても惹かれる。
憧れっていうか・・。今日もそんな人を見かけて・・素敵だなってほのぼのして。
ふんわり優しい気持を噛みしめようと思った。
その人の滲み出る父性愛をなんていうか・・・勝手にイメージの中で自分のものにしちゃおう、と思った。うまくいえないけど。でもそう考えてる矢先のさっきの父の症状・・・がくっときもちがなえる。
「これがおまえの現実なんだ」と突きつけられた気分。夢見ることさえ許されないような・・(泣)
多分親以外の殆どの人は、そんなこと禁止なんてしないけど。
私は幸せな暖かい家庭を持つことは許されてないような気がする。
あの、素敵なお父さん。娘と仲良く買い物に行く優しいお父さん。
私には許されなかった清潔で暖かい親子の交流。
時々、そんな人を盗んじゃいたくなる。でももうそんなスタミナもない。

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This script written by Shintaro Wakayama.