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私たちの物語 - 家族過去ログ No.44
メッセージ数:880件

<880> Ai ■2005年10月01日 土曜日 22時29分50秒
お出かけして気分良く帰ってきてもまた父はいる。当たり前だけど・・・。
私がどんなに怖がっても嫌がっても泣き叫んでも、堂々とあの激しい病気の症状が始まる。うるさい、怖い。神経参る。父の独特の殺気だった異様な雰囲気でのあの数々の症状が始まる。いつものように。一人で喚いて暴言吐きながらの手洗い・・・などなど。
父はある程度TPOに応じて症状コントロールできるのに、私が怯えきっても何の遠慮もせず症状発散する。そこに父の悪意を感じてしまう。
こんな人が父・・・病気だからしょうがないよ、と言い聞かせても怖いし悲しい。
病気とわかってても絶対治療受けない状態、その開き直りが悲しい。
悲しんでもあの人の病気はよくならないし、治療受けても大して変わらないのかもしれないし、治療したって、あの自己中な性格もモチロン変わらない。
第一、あの人が大人しく通院するわけないし。
あの人の病気は私の責任じゃないのに、巻き込まれて疲弊して背負わされてる。
私に背負わせるだけ背負わせようくらいしか多分考えてない。
あんな人が私の父なんだ・・・って時々やりきれなくなる。
家族・・こんな家族でもきっと好きだった。
でも重すぎて疲れ果てた。一人でゆっくり休みたい。
<879> I ■2005年09月29日 木曜日 04時31分27秒
父と弟達は野菜にはあまり手を付けない。
その所為か私にはいつの間にかお肉を
避けて野菜ばかり食べる癖が付いた。
『そういう食べ方はやめなさい』
好き好んでこうなった訳じゃない!!
<878> アーネスト ■2005年09月28日 水曜日 16時26分48秒
兄にずっと「不満を口で言って欲しい」と思っていた。でも,彼はモノに当たる事でそれを訴える。でもそれが彼のやり方なのだと,受け入れてきている。でも,相変わらず怖いことにはかわりない。
<877> 青空 ■2005年09月28日 水曜日 01時25分20秒
わたしは幼児期泣くとひどく怒られた。頭を叩かれたこともある。「もう泣かないからごめんね」と何度も言いながら母の足にすがりついていた。でも母はとても怖い顔で「もうわかったから!」というだけ。
私はその後も泣き止むことができず、ずっと泣いていた。そんな時父は大きな声で「いいかげんにしろ!」とどなっていた。
わたしにとってはとても辛い思い出だが、大人になってからも何度か父が冗談ぽく「お前はよくもう泣かないからごめんねと言いながらぜんぜん泣き止まなかったなー」と言っていた。わたしはハハハと笑うしかなかった。母も「あんたはよく泣いてほんまにたいへんやった。」と苦労したことを言ってきた。
そんな時わたしはかわいがられて育ったのではないかも。という思いが湧いてきた。
<876> アーネスト ■2005年09月27日 火曜日 23時16分33秒
兄がピシャリと窓を開ける音が聞こえ「またやってやがる」と反応が出た。
でも少し変えれた。ごめんなさい。お酒が入っていたからかもしれないけど。謝れた。彼はそういう表現しかできないんだ。そして過去においてもそういう表現をせざるを得なかったんだ。口で伝えてくれることを相手に望む自分が高慢というか,コントロール思想になってたのかもしれない。少しでも悪いと思ったら謝ろう。でもまだ「あれ」に関しては謝る(非を認める)勇気がないです。ごめんなさい。
<875> キラキラ ■2005年09月26日 月曜日 15時38分24秒
私は家族のことが好きだけど・・・嫌いかもしれない。
大好きなんだけど・・・大嫌いなのかもしれない。今までは「好きだ」と思い込んでいただけかも知れないな。だって、あなたいつも矛盾してる。私はそこにいたのにね、ばあちゃんもおとーさんもおかーさんも、おねーちゃんもおにーちゃんも私に、なにも教えてくれなかったじゃない?嘘を言うな!!子供のころから大人を強いられて私は今、反動で子供になってしまった。「もう22なのに」と社会に出れば一人前を強要される。「自分がいなくちゃ何もできない」と・・・あなたたちが離婚したとき私の中ですべてが本当は終わっていたんだ・・・子供たちには事後報告。何の相談も言い聞かせもないまま、離れてしまって・・・聞いても嘘を言うし、でもお母さん、あなたのことを無条件に好きだから気づかない振りしてた。壊れてゆく家族に私一人置いてけぼりだよ。「私はあなたたちのこと守った」と言いましたが今は「私は自分を守ることで精一杯でした」ってことでしょ?親の背中を子供は見ているんですよ。両親は勝手に離婚して兄弟は出でいった。お母さんと二人で暮らすこと私にとっては酷過ぎた・・。兄弟は顔をあわせるたびに「ごめんね」というし、耐えかねて家出したのに責めないし、極め付けに「お前はがんばった」と・・・そんな言葉ほしくないっての。やっぱり・・・二人ともお母さんのこと嫌いなんだね。だから責めないんだね。よーくわかりました。勝手にした代償に私も勝手にさせていただきます。さようなら。
<874> MIYUMIYU ■2005年09月25日 日曜日 02時31分01秒
父は私が何かすると
「お前は何をしてもだめなやつだ」
という。
私はそれを聞いて奇妙な安心感を覚える。
何もできない子供でいいんだ・・・と。
それではいけないと思う。
しかし父は私を子供のままにして手元に置き、支配したいんだと思う。
この手のひらから抜け出したい。
でも失敗したい。
甘えたいのかな。
これは愛なのか?
気持ち悪さを感じる。
<873> アーネスト ■2005年09月21日 水曜日 03時02分32秒
(連続でごめんなさい)

食器洗いをしてくれなかった兄がしてくれるようになりました,最近。
ありがとうを言いたいんだけどなんだか,嘘っぽくて言えません。
<872> アーネスト ■2005年09月19日 月曜日 14時23分47秒
裏返して考えていくと,自分も母親との愛情の取り合いをしていたのかも....兄が荒れるとき,「お前が荒れるから,ママがイライラする」と思っていた節も.....。
<871> アーネスト ■2005年09月18日 日曜日 12時10分44秒
自分にとっての兄弟って,保護者的な側面を持っているのかしら?なぜ反抗するのが怖い?仕返しが怖い?違うな?何かもっと生命に関わるような何かがあると思う。なぜ理不尽な暴力を振るわれたことを隠そうとするのか?なぜそれを表ざたにすることに罪悪感を感じるのか?15年前のことだ。仮に彼に反抗したら,僕は酷い目にあったのだろうか?そういうことが何回もあったのか?暴力を振るわれることが?いや,思い出せる限り2回だ。ただその理不尽さに腹が立つ。大声で泣いたのに誰も助けてくれなかった。誰も........。親に言いつけたんだっけ?それで親が兄を懲らしめる姿が驚愕するものだった?どっち?何が起きた?

いや正確なディテイルはいらない。私は殴られた。それが今の兄も含めて人に対する恐怖を生んでいる。それでいい。
<870> アーネスト ■2005年09月16日 金曜日 11時14分55秒
やっぱり自分はマザコン,ファザコンなんだろうな。そう思うよ。
例えば現在の状況を例に挙げてみても,家で兄と2人きりのとき「親父に家にいてほしいな」って思うもん。俺と兄の緩衝材になってほしいなって思う。

それは,自分が優遇されて兄が冷遇されたとかそういうレベルではなく,単に自分が人間関係の葛藤処理ができないというだけ。

結局、人生で大変なのは人間関係の葛藤処理なんだと思う。自分が苦労した受験勉強や部活みたいに1人で黙々と努力することなんかにより,人間関係の方が自分にはずっと大変だもの。

ふと思ったときに,あぁやっぱり自分はまだ親を必要としているんだって気付いた。必要としているからこそ責めるし甘える。
<869> nako ■2005年09月10日 土曜日 22時09分22秒
私はもう一生爆発しない。
現在失うものが多い幸せな私はこれを維持し、いつか幸せといわれるものを
つかむの。とても穏やか、穏やか、、と毎日自分を説得させるんだ
それでいい、、それでいい、、私の甘えなんだ
<868> 埴輪 ■2005年09月09日 金曜日 14時22分50秒
親父へ。
うちにいた方があなた方の助けになると思っているから
うちにいる。
だけど邪魔なんだったら出て行くよ。
お金をたくさん入れれば納得するのかな?
困ったなあ。困ったなあ。
頭がまわりすぎていろんな考えが出てくる。
困ったなあ。
諸悪の根源って親父のことだよ。
だけど助けたいと思っている。
そんなことはやめれっていうのかい詭弁家の自分よ。
あいつのせいなんだから勝手に苦しめば良い、と?
もーわかりません。
<867> アーネスト ■2005年09月07日 水曜日 04時41分20秒
細かいことだけど。
兄との関係が疎遠になったんは,兄が仕事初めてからかな。ま,母の死後と言った感じかな。でも,母がいたから擬似と言うか偽の連帯感みたいのがあったね。俺、母、兄3人でいる時は,母もまぁまあ機嫌がいい。それが兄対母になると最悪で,そういうのは10歳ぐらいから,ほとんど見た記憶がない。 それから,これも兄が仕事始めからのことだけど,例えばこっちが夜に物音立てて欲しくない時とか,壁を殴ってしまったんだ。もう今思うと,なんて不健全なコミュニケーションだったんだ!!てすごく反省してるけど..........。そうすると向こうもバンッ!!って壁殴って....そりゃ険悪になるよ。そういうのも結構影響してると思う。

場面場面で思い出すと,まず18の頃。後,21〜23歳頃かな。トラブった心当たりがあるのは。逆に言うと、6歳〜18までは,大きな喧嘩もなし。ま,10歳の時に殴られたのはあるけど,それは自分の中ではそんなに大きいダメージはないかな。その間、特に嫌な思いでもない。そもそも接触の機会がなかった。母がいて,兄に「○○(私)と仲良くしなさい」って言ってた可能性もあるけど。まぁ母が死んで,そういうタガが外れたんだろうね。もう我慢することないって。
<866> アーネスト ■2005年09月07日 水曜日 04時25分02秒
自分が兄のことを気にかけるのは,本心からなのだろうか?時々それすらわからなくなる。関係の修復を本当に望んでいるのか?関わりたいのか?ACの自覚もそこら辺の心情からだった。「自分の中に母親がいるような感覚」。もちろん養育者の人格が内面化されることは正常なのだろうけれど........これは母親からの遺言なのだろうか(勿論、比喩的な意味で)。「○○(兄)は,だらしないから,あんたに頼むわ」と。

自分は,母から育てられたというより母と兄の関係を見て,意識的にその関係にならないように(つまり母に反抗しないいい子になるように)自分の中で行動規範を作り上げたのだと思う。

家事も家族の一員としてやる,というよりは母を助けるためだったような気がする。独立した個人が協力し合うという感じ(そもそも,そういう関係もよくわからないけど)はなかった。兄は今、家事をやってくれるようになったのに素直に「ありがとう」が言えない。あんなにやれやれ言ってたくせに,いざ手伝ってもらったら「やって当然」って顔してる。そんな自分も嫌だが,そう感じてしまうのは事実。
昨日、自助会で兄の事話したけど,すごく話しづらかった。罪悪感と,そんな小さいことに振り回されてる自分の情けなさで一杯で,目を閉じたまま小声で話すのが精一杯だった。それだけリアルの場で話すのが辛い。

自分も自分だと思う。家族の外に世界を見つけられない。バイトでもボランティアでも。振り切れない自分の弱さ。例え修復したって,外の世界との関わり方に変化が出るわけじゃない。
<865> こくーん ■2005年09月06日 火曜日 14時12分47秒
またまた、ちょっと母のこと。
母の言葉は『額面通り』受け取ってはいけないもの。
「成績のことなんて気にしないわ」と言いながら、実際に成績が下がった後で、「最近、勉強以外のことにかまけてたから」と責める。
「いろいろな人がいるから」と言いながら、人間関係のことで悩んでいると、
「あなたはいつも、人とうまくいかない」と責める。
「好きな仕事についていいのよ」と言われたとき、私はもうそんなものわからなくて、とりあえず、楽に入れそうな公務員になった。でも、あなたの端々から、「大学まで行かせたんだから、同じ公務員でももっと・・・」って声が聞こえてた。辞めた時、「あなたにはもっといい仕事があるとずっと思っていたのよ」という言葉で責められた。
ようするに、「ウチの子は何もしなくても上手くいく」というのが理想。或いは、自分の責任回避。

だから、ね。
「今の時代、結婚なんてしても、しなくてもいいと思うのよ」というあなたの言葉は信じられないの。
思いっきり容認する振りして、閻魔帳に書き続けて、いるんでしょ?

今はもう、そんなことはしていない・・・と言われたとしても、
どうして、今更、信じられるっていうの?
<864> こくーん ■2005年09月05日 月曜日 03時45分54秒
また、ちょっと母のこと。
何年か前まで、母のことを『○○さん』と名前で呼んでいた。お母さんと呼べなくなったことは内緒で。
冗談っぽく、ニコニコ笑って、『○○さんは、結構薄情だからね〜』って言っていた。今思えば、思いっきり本音だったのかも。当時の自分の。
見捨てられてるって、やっぱり思っていたんだろうな・・・。私自身。ふう。
<863> アーネスト ■2005年09月04日 日曜日 01時03分22秒
そもそも不自然だった。兄と関係が。2人がリラックスして付き合うようなことはなかった。恒に,葛藤があった。それは母親の愛の奪い合いだったのかもしれない。兄の方がガマンすることだってあったはずだろう。なぜいつも俺だけガマンするのだ?と思ったのかもしれない。我慢してやったという優位?が向こうにあったのかな?
<862> アーネスト ■2005年09月04日 日曜日 00時54分49秒
よくよく考えてみると,兄が悪いと思ってたけど,自分も兄への当てつけで,いろいろ悪いことをした。部屋に勝手に入って,物を漁ったり,陰でたくさんたくさん悪い事をした。謝れるかな......?
<861> アーネスト ■2005年09月03日 土曜日 04時24分21秒
弟的キャラを脱皮したい。弟っぽいところが先輩とかには可愛がってもらえるんだけど....兄を見てると、そのギャップを感じるのだ。兄も私も基本的には同じように育てられたけど,弟って家族を一番、俯瞰してたから構造をすごく理解してる一方,一番最後に生まれてきて,イネイブラーだったから,その構造を壊すのを恐れる。まぁ壊すつもりはないんだ。ただ,押しやられたチャイルドを,ここで出して上げるだけなんだ........

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This script written by Shintaro Wakayama.