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私たちの物語 - 家族過去ログ No.34
メッセージ数:680件

<680> こくーん ■2005年04月20日 水曜日 23時35分12秒
母と会わないようになって3ヶ月が経とうとしている。
この前無意識に浮かんだ考えにぞっとした。
母は私と何かを共有しようとはしないから、私を理解しようとはしないから、私が母と何かを共有しなくてはいけないのではないか、と。
それならば、母が何よりも熱心な、とある宗教に自分も入信したらいいのではないか、と。そうすれば母と同じグループに入れるのではないか、と。
…母の思うような子どもにならなくてはいけない、そうしなければ愛されない、そう思っていた自分に気づいたからACを受け入れたのに。母が家族と向かい合う機会を奪うその信仰を憎んでいるのに。
自分が無意識にそう考えてしまったこと。
そこまでして、母に理解して欲しいと思っていること。
…何てことだろう。
<679> ゆりあん ■2005年04月19日 火曜日 17時21分10秒
とても過酷な状況で育った私。
大人になったらきちんとした家庭を持って、自分がしてもらえなかったことを自分の子供にしてあげたいなんて思っていた。

大人になり、虐待や遺棄されていた自分の世界から自立し、自分出稼ぎ生活できるようになって少しずつ変わってきた。
結婚した。子供も出来た。さて、清潔で毎日笑い声の絶えない家庭にしようと頑張ってみた。でも、子育ては育てられたようにしか出来ない。愛情を与えることはとても難しい。悩んでいる。
家事が苦手だ。料理は得意だけど、それは自分が作らなければ食べられなかったので必然的に覚えた事。洗濯も掃除も自分ひとり分なら出来るけど、人の世話ができるほど上手ではない。こんな母親を子供はどう見ているのだろう。不安になる。

舅、姑がいる。小姑も2人いる。いい人たちだ。でも、しっくり来ない。他人からの愛情の受け方がよく判らない。愛情なのか、干渉なのか。

仕事を持った。家庭にいる時間は短くなり、家の中は乱雑だ。食事もいい加減。子供たちは私から愛情を感じていてくれるのだろうか?
お金が掛かる。だから働く。本当は主人の収入だけでもやっていけるけれど、私個人の時間と家庭と切り離された自分が欲しいから働いている。仕事は得意だ。特にデスクワークや営業。結婚しないで、家族を持たないでずっと働いていたほうが良かったように感じる。

駄目なお母さんでごめんなさい。駄目な妻でごめんなさい。私は一人でいたほうが良かったのかもしれない。主人も子供もとても大切だし大好きなのに、尽くしてあげられないのです。
<678> アーネスト ■2005年04月16日 土曜日 20時41分40秒
(連続で申し訳ないです)

父の皿に勝手に盛り付けをしたんだけど,それをした時,自分が母親の姿とだぶった。俺もかつてよくやられてた。母は常に鍋奉行みたいなポジションにいながら,みんなの皿に,勝手に盛った。しかも,もろに食べている時とか,もう食べきれない時でも,おかまいなく。今考えるともろに境界線を越えてる。母は典型的な世話好きというか,世話しすぎというか。こっちはやってもらっているから,断わりようも無いし,非常に何かいいづらい状態だったけど,やはりこういう行動って人をだめにするな。だめにするというか無責任にするな,と思う。母はいつも誰かを世話したがっていた。自分が助けることのできる人間を見つけていた。それが見つからないときには無理にでも,「助けるべき何か」を見つけて,人の世話をした。でも,今なら可愛そうな人だなって思えるかも。共依存を知った今では。
<677> アーネスト ■2005年04月16日 土曜日 20時35分06秒
相手が父親だから,というのもあるのかもしれないが,人の話しを静聴するって難しいな。某セラピストの言うとおり。でも,人にはそれぞれ話すペースや,区切り方があるんだ,と思えばなんとかできる。ああ,かつてうちの家庭では会話の応酬みたいなことが行なわれてきたなーってしみじみ思う。境界線も,めちゃくちゃ。故に会話もめちゃくちゃ。多分、誰か1人が静聴することがないから,永遠に誰かが話しを聞いてもらうという環境がなかったんだろうな。だから話しかたもオフェンシブというか刺のあるものになってくる。言葉だけじゃない,表情や仕草も何かしら攻撃的になるんだと思う。
<676> アーネスト ■2005年04月16日 土曜日 18時34分47秒
ずっと腑に落ちない部分があった。自分が共依存という特性を備えているというのは,客観的に考えて分かった。でも,それが家族から受け継いだものということは,イマイチピンとこなかった。もちろん,それが心理学的な説明として有り得るということは受け入れていたが,今の自分の人格の出来方と,両親の人格や養育態度との間の明確な因果関係が実感としてわからなかった。でも,それは,それほど大事なことではないのかもしれない。大事なのは,自分が極端に自己評価の低い人間で,人格が未完成であること,そして,それ故にトレーニングというかスキルアップが必要だということ。やはり自分に影響を与えたのは家族だけではないし,その他の色々な要因もあるのだろう。
<675> アーネスト ■2005年04月14日 木曜日 10時34分43秒
「家族に対する最低限の敬意」は今のところ保持できている。少なくとも今は恨みの感情は全く無い。ただ,まだ少しだけ挨拶が上手く出来ない,とかはあるけど。自分の態度が変わって、相手が変わってきた、というのがありありと分かる。これは,少し誇りかも。
<674> アーネスト ■2005年04月12日 火曜日 21時17分14秒
父も私同様、質問癖、確認癖がある。これって完璧主義や,神経質というよりかは,何かに対する恐れなのかもね。もっとインナーチャイルドを癒さないと。
<673> アーネスト ■2005年04月12日 火曜日 21時09分20秒
家の中は危険だった。兄のラジオがうるさくて注意する。兄が機嫌を悪くする。しょうがないから親に注意してもらう。親と兄が争そう。悪循環。暴力とかに比べれば全然大したことないのに,やはり嫌だった。でも家族ってこんなもんかって納得してた。怖かった。
<672> アーネスト ■2005年04月11日 月曜日 20時07分57秒
はぁ〜家族って難しい。規則でがんじがらめにするようなものでもないと思うし,かと言って,いつも全員が同じ気持ちでいられるわけでもない。心情的に言うと僕はだんだん自分が許せるようになってきて,自然と家族含めまわりの人間のこともゆるせるようになってきたし,心も開けるようになってきたと思う。

ただ,やはりどこかで誰かが「弱さ,不完全さ」を露呈することが必要なんだと思う。僕のうちは両親ともに完璧主義だった。そして僕ら兄弟もやはりそれに近いものはもっていると思う。だからお互い,寛容になることが難しくて,いつも批判しあったり,気持ちがすれ違ってきた。誰かが(本当は親が望ましいと思うけど)「自分は完璧じゃない。だから,みんな完璧じゃなくていいじゃん」ってなれれば,うちの家族はすごーく上手くいくと思う。

僕は昔は一家の舵取りをしようとしていた。無理に一つにまとめようとしていた。でもそれは間違いだった。家族にだてそれぞれ個性があるのだ。自分の信条を押し付けるわけにはいかない。

ただ今は,少し今までとは違った接し方ができている。距離はとる。しかし冷淡になったりはしていない。必要最低限の敬意は示す。挨拶ぐらいは,する。これぐらいしか今はできない。ただ(おこがましいかもしれないが)僕のコミュニケーションスキルがもっと上がっていけば,健全な人間関係のモデルを示せるのかもしれない。
<671> いつか ■2005年04月11日 月曜日 19時56分44秒
まったくそっくりだ。
姉と母。
怖い。怖いよー!
相手の都合を考えず、自分の都合で押し付けてくる。
嫌だって言ってるのに。
少しでも反論すると攻撃してくる。
まるで鬼の首でもとったかのように、「あの人もこの人も、いいって言ってたから」
何だ、何も用ないでしょう?
また激しい攻撃の始まりだ。
<670> NAC NAC ■2005年04月11日 月曜日 07時01分29秒
今日は時間がないので、次回忘れないようにテーマを決めておく
「あなたが心配しているのは子どものことじゃなく自分のことでしょ? 見え見えなの」
<669> MARU ■2005年04月10日 日曜日 22時36分04秒
親が、老いていく。
壮年期の私に、頼るような、視線。

精神的には、切り離してたけど、
経済的には、頼ってた、親。
なのに、
今年の正月、親から来た年賀状に、「頑張って稼げよ」とあった。
私が離婚した時、「金は大丈夫か?」とは聞かなかった親。

親は親で、もう、老いている。お金も、心身の元気も、もうない。
私が面倒をみなくてはいけない状態が、刻々と、目先まで近付いている。

まだ、複雑な気持ちを抱えたまま。
だけど、老いて、弱ってしまった親に、何が言えるだろう。
闘うなら、若い頃だった。

本当なら、私は、今頃、青年期の子どもを持っている年頃だ。
私は、けど、子どもを持とうと思った事はない。
怖い。

自分一人の稼ぎさえ、心もとない私だ。
親が倒れた時、どうすればいいんだ。
見捨ててしまいたい。
早く死んで、これ以上迷惑をかけてほしくない私。
寂しくて、それなりに、彼らなりに私を思ってくれていた情が身にしみて、
あんな愛情でも、他に愛情の何一つない身では、ありがたい事だったのだ、この一生においては、
と、この年になって思うけれど。
<668> アーネスト ■2005年04月10日 日曜日 19時49分27秒
父に少しだけ優しく接することができた気がする。まで根底では拒否反応がでてくるけど,「最低限の敬意」は例え、自分を傷つけた人に対してでも,必要かなって思う。されたことを同じように返しても,更に強い憎しみが向こうから帰ってくるだけだから。難しいけどね。ワークブックに色々,いいことが書いてあった。アクティブリスニングとか,本当に簡単なこと,話しの聴きかただけでもいいから実践してみたい。
<667> 筏葛 ■2005年04月09日 土曜日 23時05分36秒
私がどんなに望んでも望んでも望んでも手に入らなかった光景が。
毎日毎日目の前で繰り広げられる。
あの頃は何だったの?
何であんた達そんな顔で笑えるの?
キモチワルイ。
「死ね」って言わないの?「あんたなんか生まれてこなければよかった」って言わないの?
たかが一世代隔てただけで、見返りを要求しない愛情を注げられるの?

私は一生、「家族」というものに縁がないのだろう。
血の繋がりの「嘘」や「まやかし」を嫌と言うほど知っているから。
ああ、分かっている、もうそろそろ潮時なんだ・・・。
<666> アーネスト ■2005年04月09日 土曜日 21時11分50秒
反抗すべきかせざるべきか,迷うところだ。
はぁ〜少しは経験から学ぶことをしなきゃ。頭でっかちが私の悪い癖。
<665> アーネスト ■2005年04月09日 土曜日 17時37分16秒
中2の春休みに家でぼーっとしていたら母親に「あんた,内にばっかいないで外で遊んできなさい」と言われた。誰よりも俺を内に縛りつけてる張本人のくせに。そういう反動があって,高校,大学とも友達がたくさんいてしかも親の言うことを聴くという曲芸をやってのけなけりゃならなかった。随分、無理してたな。
<664> 揚々 ■2005年04月09日 土曜日 14時12分30秒
母は、わたしを愛していてくれていたのだろうか。
わたしは、母のどんな甘い手なら満足したのだろう。

わたしはどこにいるのだろう、、、。

<663> アーネスト ■2005年04月09日 土曜日 02時05分41秒
「隠す」って嫌な行為だな。親はよく色々なものを隠した。ファミコン,お菓子。隠されるから余計にやりたくなる。食べたくなる。要は,ゲームしすぎたり,食べ過ぎたりを上手く注意できないから隠すんだろうけど。おかげでやたら物事の裏を書いたり疑り深い性格になってしまった。でもこうやって家族の欠点をあげながら,最近朧気ながらなりたい自分像が見えてきた。その像のファクターとして,まず寛容であることが挙げられる。寛容で穏やかで場の雰囲気が和むようなそんな人になりたい。そのために自分にたっぷりと愛情を注いで世話したい。
<662> アーネスト ■2005年04月08日 金曜日 22時44分07秒
母親と嗜好、好みが似ているな,とふと思うことがある。例えば父親の食事作法に敏感になるくせ。例えば父あるいは兄がくしゃみを痰を切る行為に敏感になるくせ。母が嫌いなものは私も嫌い。いつも食卓で横並びに座り母と同じ目線で、外界を見ていた。食事中、事あるごとに母の怒号や悲鳴が飛んだ。「きゃー」「汚いわねぇ」「下品ねぇ」「みっともない」父と同様,母も他人の細々とした間違いには厳しい人だった。何を批判するかは2人とも違うが,批判的であることに変わりはない。母の心の奥底にはきっとふかーい闇の空間があって,それを満たすことができないまま死んでしまったのだろう。一体誰が病魔に侵されながらも,御近所の雪かきを手伝うのだ?母は最期まで自分を大切にすることができない人だった。誰よりも人助けの好きな人ではあったが...。PTAもよくやってたな。
<661> ほーる ■2005年04月08日 金曜日 18時18分09秒
私に家にいるべき親はいない。日曜に掃除しに帰ってくる。
あるいは出張の洗濯物を置きに戻ってくる。
私にとって毒親とは兄だった。家にいたのは私と兄だけだったからだ。
私は兄がよくなることを期待して長い時間をそれに費やしてきた。
AC関連の本の記述を親から兄に置き換える。親ではどこかしっくりこないことが兄ではピタリと当てはまる。

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This script written by Shintaro Wakayama.