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私たちの物語 - 家族過去ログ No.33
メッセージ数:660件

<660> およよ ■2005年04月07日 木曜日 19時30分46秒
母ははき捨てるようにいった。「死体なんて、その辺にごろごろしていてさ。
なーんにも感じなくなるよ。人間なんて、死んでしまえば、ただ土に返るだけさ。霊とか、天国とか、そんなの何もない。」まるで、人の死体も犬やネコのように、思っている。彼女はお金の奴隷。お金崇拝者。生きているうちに、贅沢する事が彼女の、生きがい。これが私の母。
<659> およよ ■2005年04月07日 木曜日 19時23分27秒
母親の悪口を言わせてください。本当にどうして良いのか分からない。
誰に話しても理解してもらえない。でも、彼女はおかしいと思う。
私の祖国は戦争で、壊れた。その戦争記念館があるので、そこを姉と母と見た。姉は一度見たら、もう二度とみたくない記念館だといった。泣いていた。

私はどきどきしながら、すべてを母と見た。彼女の顔は、無表情。何も感じてはいない。残酷な場面、耐えられない場面、すべてを彼女はなんでもないようにして、見つめて、なんでもないように話をする。思い出話をするように。

彼女が一番、興奮して話したことは、自分がいかに、優秀な隊員だったかと言うことだ。戦争にドレほど自分が貢献してきたかと言う事だ。彼女の顔が誇らしげに、輝いた。吐き気がする、寒気がする、彼女は人間だろうか。

これほどの残酷な証拠を目の前にして、戦争を誇る人間。涙の一つも出ない。
これが私の母親です。姉は泣いていた。私は母親への恐怖で、泣けなかった。
<658> こくーん ■2005年04月06日 水曜日 02時48分21秒
両親が離婚する3年ほど前の、お正月。
父が唯一私たちを連れて行くのが父の実家だった。その年、母は一緒に来なかった。あれは一番辛いお正月だった。いつもは優しいと思っていた叔母たちは何故か冷たかった、コワかった。(従兄弟たちの中で)一番大きいのに役に立たない、となじられた記憶がある。父はそれに気づかなかった。守ってくれるはずの母はいなかった。
やっと家に帰ってきた。母に言いたかった。コワかったよって。母は慰めてくれると思っていた。母はコタツで眠っていた。彼女の周りには派手な色のチョコレートやキャンディの包み紙が散らばっていた。いつも家の整理整頓にはうるさい彼女の姿ではなかった。この人は誰?ショックだった。
その瞬間、私には父も母もいなかった。そう思う。
<657> 茶々 ■2005年04月04日 月曜日 12時34分52秒
あるタレントが言っていた。
「家族の悩みを他人に相談したら駄目よ!」
「ん?どうして???」と思った。
じゃ、誰に相談したらいいの?

そのタレントは続けてこう言った。
「家族の問題や親の悪口を他人に言うものじゃない!!」
「じゃ、家族の問題は家族で解決しろと?解決できないから悩んでいるんじゃないのか?」
このときから私の「???」が始まった。

「子供のころから家族の問題が尽きなかった私は友人に話すことで少し気が紛れていたけど、いけないことだったのか?」「じゃ、誰だったらいいんだ?」
「家族の問題は子供の私じゃ解決できないし・・・あっ!そうだよね、私が解決すべきことじゃないもんね、子供なんだから」「じゃ、私のせいじゃなかったんだよね・・・」「私が自分を責める必要はないんだよね」・・・

長い間「生きづらさ」すら感じられないでいた私の中でのモヤモヤは、こうして扉が開かれたのでありました。

まだ扉は開かれたばかり。
長い道筋を辿っている最中です。
<656> こくーん ■2005年04月04日 月曜日 03時11分49秒
現在の私は、母を非難する。そうしても良いと思っている。なのに、私の中の小さい子供はそうではないようだ。
(ごめんなさい。ごめんなさい。お母さん。できそこないでごめんなさい。お母さんはわるくない。私がだめなこなの。ごめんなさい。)
そう言って、さっきから泣き止まない。
今の私の呼びかけや抱擁ではだめらしい。
なぜ?なぜ、それでもなお、母親を求めるのか。
<655> きりん ■2005年04月04日 月曜日 01時46分02秒
生き辛さの種は親が作った。。。それを育てたのは 夫との生活かもしれない。夫も実は父親の位置がわからないのかもしれない。きっと我が家には父親の心は不在かもしれない。うぇ〜ん。。。私も母親、人間としてダメだし。。。でも 不思議に思う。私がどんな人間でどんなにダメな母親であっても 私には自分の子供は絶対的な存在。暖かさや十分な愛情は与えてやる事は 出来ないけど 私には何にも変えることが出来ない 命より大切な子供達。そんな事 母親から感じた事無いけど 私ははっきり感じる。不思議だけどホントの気持ち。
<654> アーネスト ■2005年04月03日 日曜日 14時11分46秒
昔から親の意見に従がわず何か自分のやり方でやろうとすると,親に「お前はへそ曲がりだ,頑固だ。素直じゃない。人の意見を聞こうとしない偏屈な奴だ」と言われた。その度に主体的に行動することに罪悪感と諦観を抱いた。何か約束しても大体破られた。一回、OKを出しておいて直前になってNGを出されることは度々だった。具体的に何が、というところまで記憶はないが,そういうことはあった。
<653> アーネスト ■2005年04月03日 日曜日 08時35分10秒
≪兄に対する罪悪感が形成されるプロセス≫

初めは,僅かな恐怖だった。大学5年の頃。寝る時のドラムの音がうるさくて注意した。それまでも何回も言ってきたからメールで伝えた。無視された。その頃は「卒業」が目標になっていたから,あまり気にならなかった。卒業後、身近に目標がなくなると共依存が始まった。初めは「うるさいな,止めて欲しい」という不快感。それが怒りに代わり,しかしコントロールしようとして上手く行かなくて,そこで初めて考える。兄がうるさいのは私に原因があるのだろうか?と。そこで初めて相手側の感情を自分が背負い込むことになる。次にそれを分析する。原因があるとしたらなんだろう?そこでエロ本を盗み見たことだろうか?とか兄弟差別されてきた事の恨みだろうか?とどんどん邪推していった。邪推すればするほど,想像が膨らめば膨らむほどに罪悪感で身動きが取れなくなっていった。つまり,まず「自分の方に原因があるのでは?」と考えてしまう,その思考を変えないといけないのかもしれない。
<652> アーネスト ■2005年04月03日 日曜日 00時14分10秒
食卓の座席表で私と母が対面になったことは(記憶が正しければ)一回もない。対面にいれば客観的に母親と対峙しているかんじがあるのかもしれないが,真横にいる人間というのは自然と境界線がなくなってくるような気がする。席替えは何度かあったが,私と母の位置関係だけは変わらなかったように思う。仮に対面になったとしても母は私を家族の中で最も溺愛していたように思える。

それから不思議なのだが,自分は父親に対する愛着というものが全く無い。他人以下のように思える。これも分析的になるが私が母親のフィルターで家族を見ていると仮定すると,私と父と兄,母と父、兄の心理的な距離感は酷似している。母が兄に対して超過干渉であったように,私も兄に対しては口は出さずとも「監視的な目」で見てしまうことが多々ある。そして母と父がなんとなく疎遠であったように,私と父の間にも距離感がある。

最後に兄に対する罪悪感の検証。あくまで仮説だが,私が母と同じような振る舞いを受け継いでいるとすれば,つまり私が兄に対して「超過干渉」であることが,役割付けされているならば,その役を降りようとすれば,するほど,兄と距離を開けようとすればするほど,役を降りる事への罪悪感が増すのではないだろうか?

私は無意識のうちに母に「○○○(兄)はあんたが面倒見るんだよ。あいつはだらしが無い奴だから」というメッセージを刷り込まれたのかもしれない。事実、兄が部屋中の灯かりをつけっぱなしにしていると(昔はいちいち消していたし,今は消さないが)消したくなる。ひょっとしたら自分の行動規範は母親のそれと大体同じなのではないか?

とにかく,こういった分析をしていくと今、自分が縛られている感情は,起こるべくして起こっているように思える。
<651> kiwi ■2005年04月02日 土曜日 21時43分54秒
毒親との対決(?)の話です。

もう10年近く前のこと。帰省したとき母親に酷いこと言われた。
私は人間じゃなくて、モノなんだという内容が含まれていた。
明らかに私を傷つけようとする意思が含まれていた。
私はめったに怒らないんだけど、その時は怒りが爆発した。
私が怒ったのを見て、彼女は逃げた。
だから浴室まで追いかけていって頭から水、ぶっかけてやった。
「逃げるんじゃないわよ!!!」って言って。
彼女、泣いてた。
父親はいつものように他人事で、ヒステリー女の連鎖だと分析した。

彼女を傷つけたけど、良かったと思う。
私は一人の人間だったんだって、分かってくれたと思う。
彼女が私をどれだけ傷つけてきたか、自覚させたと思う。
そして私が彼女を信頼していないことも。
でもそれで良かったと思う。
<650> 夕顔 ■2005年04月02日 土曜日 20時39分29秒
感情の起伏の激しい母だった。今もそうだ。
小さい頃からずっと、鬼の形相で殴られ続けた。躾?八つ当たりでしょ。
お前はいらなかったと何度言われただろう?
どんなにがんばってもいい成績をおさめても、ほめてもらったことはない。
ふん、と鼻であしらわれた。何かにつけだめなやつだと言われた。私の前でも陰でも。
家族の仲は悪かった。母と舅の毎日のような大喧嘩。母と姑の陰湿な争い。
喧嘩を止めたくて嘘泣きしたら、躾がなってないと喧嘩のネタにされたっけ。
相手が自分の悪口を言っていたか探るための道具にもされた。
断れば母も祖母も「フン!」私はどうすればよかったの?
弟だけが男だからとちやほやされた。
小さいときからずっと、私の意思など聞きもせず言えば「いうことをきけ!」と頭ごなしに怒鳴り言わせもせず、そうやって育てられたのに、突然自分の道を自分で決めろと。どうやって?わからない、といえばまた「だめなやつだ」
私には友達がいない。作れない。私の性格のせいだとあんた達は言う。
でも私は家族のあなた達のせいだと思うんだ。
あなた達をみて育って、人なんて信じれない、そう思い続けてきたんだから。
<649> アーネスト ■2005年04月02日 土曜日 16時05分07秒
母が死んで,兄の世話焼きをする人がいなくなったから自分がその代わりになろうとしているのかな?そんな気もする。これ以上関わるとコントロールになるのかな?
<648> るあん ■2005年04月02日 土曜日 10時12分03秒
たとえば脚が腐ったら、切断せねばならない。片足を失う不自由を恐れていては、全身が腐ってしまう。それと同じように、腐った家族は自分から切り離すべきなのだ。奴等に毒され、殺される前に、切り捨てよう。もう孤独など怖くはない。
<647> いろは ■2005年04月02日 土曜日 00時58分11秒
私の家族は今の家族だけ。。。
後からきてもいーれない。もう定員。
子どもとするおおきなスキップは人目のないところでね。
明日はお休みだ。
<646> アーネスト ■2005年04月01日 金曜日 20時05分18秒
結構悩んでいる事だけど,兄に対する罪悪感。聞いて確認するのはまだ止めとこう,と思う。もっと優先順位の低いことのように思える。回復を進めていく段階でどうしても通らなければいけないと判断したらその時は言えばいい。でも今は,それをすることが本当にプラスに働くのか甚だ疑問だ。リスクもでかい。下手したらからめとられるし,下手に出すぎても相手は不快なだけだろう。
<645> アーネスト ■2005年04月01日 金曜日 20時02分03秒
食事中に父にからんでしまった。とある話題の中で「(大人は)子どものすること,なんでもかんでも,あれは危ない、これはダメっていうのは関心できないな〜」と言ったので「それはうちのお母さんじゃん」って言ったら,「いや,親は心配だから....」。「心配だから」この言葉,何度も聞いてきた。よくできたセリフだ。親は子を心配する。子はそれを振り切って冒険に出る。子が悪役になる。罪悪感を植え付けるのにこんな便利な言葉はない。好意を拒絶するのは,それが押し付けであれなんであれ,相手をがっかりさせるからだ。しかし私にはこのようにしか聴こえない。「お前は馬鹿だ。アホだ。ドジだ。ノロマだ。不注意だ。だから心配なんだ」。とは言え絡んでやはり自己嫌悪。
<644> sachi ■2005年04月01日 金曜日 19時47分13秒
私はバスケットを3ヶ月だけやっていたことがある.
あの頃,運動を本格的に始めたばかりで,辛いことも多々あったけど,
後で戻りたくなるくらいだったから,きっと楽しかったんだと思う.

私はほとんどの土日を学校で仲間と過ごすことで,
家族から離れることに少し寂しさを感じた記憶がある.

さらに,なれない運動に疲れて,
中学の時に比べて,勉強時間が取れなくなったのを覚えている.
このときの私は不安だった.
このままの生活を続けて,行きたい大学にいけるのだろうか?って
いう風に….

それを母に相談した.
話すうちに,母が私を応援するのでもなく,
私を切り捨てるような態度をされたような気がする.
さらに祖母も私がバスケを始めたのは,反対しているようなことも言っていた.

そうこうしているうちに,
なぜか,バスケをやめて勉強に専念する話になった気がする.

私は自分の不安を打ち明けて,それを分かってもらいたくて,
それでも諦めないで頑張っていれば,結果はちゃんとついてくるよって,
言ってもらいたかった気がする.

そして,寂しさを理由に,今は家族と一緒にいられるけど,将来はいられないかもしれない,
だから,バスケをやめて家で過ごそうってわけのわからない結果になったのだ.
私は家族に奉仕しなければいけない存在になったのだ.

このとき,私は励ましの言葉が欲しかった.
ただそれだけだった.
頑張ってみな.
辛いのはわかるよ.
だって,初めてのことだもの.
そう簡単に出来なくて当然だよ.
周りを気にしないでもう少しだけやってみなよ.
勉強はできるときにやればいいんだよ.
って血の繋がった人から言ってもらいたかったのだ.

その後,私は糸の切れた凧のように彷徨うになったのを覚えている.
自分の居場所と気持ちがよく分からなくなった.
好きだったバスケ,それをやめた.よく分からない理由で.
その後,演劇部に入った.小学校からの友人がいたから,なんとなくだった.

自分の好きなものが分からなくなったのもこの頃.
自分に自信がなくなったのもこの頃.
人より劣っていると思い始めたのもこの頃.
好きなものは好きでいいんだよ,好きなことに優劣なんてないんだよ,
って言ってあげられなかったんだろう?

今もそれを繰り返しているのかもしれない.
バスケ,医学部,スキー,お酒….
本気になるのが怖い.

<643> アーネスト ■2005年04月01日 金曜日 11時56分16秒
昔,自分は家族の中で「爽やかな好青年」を演じなければならない、と思っていたような気がする。母を一家の頂点として,その母に「不良扱い」された兄。それと相反する存在でなければならないと,思春期の頃に自覚した私。兄は常に私の敵だった。それは「味方(母)の敵は敵」という発想もあったし,単純に母を初めとする家族全体の和を乱す腐敗分子として見ていたからだと思う。私が高校の頃には,家事を手伝わない兄にマジ切れしたこともあった。でも,そこまで兄に対して優位(というと,少し語弊があるかもしれないが)を保って入れたのは「母親が絶対」という思想と,兄を敵に回しておかないと母に見捨てられるという不安があったのかもしれない。

とにかくそんな感じで兄弟は分裂している。自分を優位に持ち上げていてくれた母親は死に,兄に優越感を抱く方法(それは部活も含む)がなくなった。それがわかった途端,兄が怖くなった。というのも,母の敵である,というだけで見下していたことに対する罪悪感が生まれたからだ。というか,母親のいない状態で兄弟だけが存在する,という構図が今まで無かったものだから,混乱しているのだ。「母の傘下から出た自分」が「素の人間」として兄と面と向き合うのが辛い、怖いのだ。
だから時々,兄に尋ねたい衝動に駆られる。「俺のこと恨んでない?」って。でもそんなことを聞き出す勇気もなくて,うじうじビクビクしている。この罪悪感は変えられないものとして受け入れるのがいいのだろうか? それとも変えるものなのだろうか?自分では,回復がすすんで自尊心なり,自己評価なりが上がれば消えていくのかな,という淡い期待を抱いている。まぁ正直,聞き出す勇気がないから,その言い訳になっているのだが....。これでいいのかな?
<642> アーネスト ■2005年04月01日 金曜日 07時52分36秒
なんだか家族と意識的に距離を開けるのが辛くなってしまった。もう若くない父、そして兄に対してブスーッとしている自分が子どもじみていて,情けなくなった。かと言って急に普通の態度に戻す自信もない。
<641> こくーん ■2005年04月01日 金曜日 05時29分58秒
また母の声が聞こえる。
『普通の子で良かったのに』って。
うん。そうだよ。私も普通の子が良かった。

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This script written by Shintaro Wakayama.