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私たちの物語 - 家族過去ログ No.29
メッセージ数:580件

<580> ミルキー ■2005年03月20日 日曜日 13時24分42秒
お母さんの お医者さんごっこ思い出してたら、気持ち悪い事 思い出した。

ここから先は、グロいので、読まないほうがいいかもしれません。

小学校低学年。クラスで ギョウチュウ検査があった。
なんだか私達のクラスは ほぼみんなこれに やられていたらしい。
そういえば みんな おしりかいてたな・・・
私も ギョウチュウ検査 ひっかかった。

はい。お母さん お医者さんごっこ 開始。
やっぱ これ以上は書けない。

泣きたくなる。
なんで あんなことされなきゃいけなかったんだろう・・・
薬飲めばいいだけじゃんか・・・
<579> 豆だいふく ■2005年03月20日 日曜日 13時20分23秒
(不快に思われたらゴメンナサイ)

私は幼い頃から母と兄に私の父の悪口をさんざん聞かされ続けてきた。とても辛かった。私は親戚から「○○はお父さんにそっくりだねー」って言われていたから。自分もボロボロに言われているような気がしていた。私が物心付く前に父は亡くなったので私は父のことを全く覚えていない。お父さんに会いたいなー。泣けちゃうねー。
<578> アーネスト ■2005年03月20日 日曜日 12時06分44秒
母親は大正生まれの超厳格な祖母に育てられたらしい。きっと寂しかったんだと思う。でも,それとおれを代理夫にするのとは捌け口が間違っている。
<577> アーネスト ■2005年03月20日 日曜日 12時05分12秒
母親が亡くなった時に,他人からされたいやなことが2つ。一つは塾の教師に「○○○(病名)でぽっくりと逝っちまったのかい?」と冗談めかして言われたこと。もう一つは部活の主将に「あっそう」と軽くあしらわれたこと。だからぶっ倒れるまで,承認をおいつづけた。
<576> ウソツキ家族2 ■2005年03月20日 日曜日 02時01分55秒
私がおかしいことにしている人たちに何を言っても通じないし、私の方が間違ってないことを証明したい。けれど、無駄かも。大人になりきれないのは、分かってほしいから。誰かひとりでも家族の中に味方がいたら変わっていたかなあ? ただそれだけなの、気持ちに少しでも理解示してくれたら私は救われるのになあ。私は家族の人信じられない。きょうだいも全部。どうして今もマヒさせようとする?何で本当のこと話さないの? 他人は言ってくれないよと言うが、他人の方が辛らつに言うよ。それのほうがよっぽど本音だね。うまくいってるフリをもうこれ以上私に求めないで。私はもう気づいたのだから。私はフリーになりたい。家族ごっこは一人でも欠けるとバランス崩すくらいもろいものだって。私はもう嫌だ。バランス整え役は嫌なんだよ。どうしたら私個人として扱ってくれるの。一生をこの人たちの為に無駄に使われたくない。もうほんとにやめて。
<575> ウソツキ家族 ■2005年03月20日 日曜日 01時37分29秒
私は過去に何もなかったフリしてうまくいってるように見せかけてるこの嘘つきな人たちが信じられない。本当のことを表に持ち出すとフリが崩れてしまうからみんな笑ってる。いまだに私にも家族のフリしろという。できるかってんだよ。自分の気持ちまで嘘で固めてる。私は暴いてやるよ。あんたたちの嘘にはだまされない。私にまでマヒさせようとする。私がおかしいといって終わらせる。おかしいのはあんたたちのほうだ。そんなにしてまでフリが必要なの?こうして私の潜在意識にマヒを促して私の幼年時代をごまかしてきたのね。もう子供じゃないあんたたちの人形の一員を強制するな。こんな狭い空間に生きてることがばからしい。誰もわかってくれない。間違いに気づいてるくせに。
<574> 埴輪 ■2005年03月20日 日曜日 01時29分40秒
なんか無機質な感想しか湧かない。
父親に対して。
単なる血縁者であって、養育者であって。
病院へ連れてって欲しいと思うような傷をつけられたこともあった。
人を頃したくなるのはアレのせい。
だけど同時に父親がいなければ生活がなりたたなかったから感謝もしている。

母親に対しては…微妙すぎてハッキリさせたくないところがある。
病気と言うのは、誰のせいでもないから。
しいていうなら神様のせいだ。
だからあの日から無神論者になった。
そして世間はとても冷たい。

そして、私の人格は両親とは関係ない。
随分損をしている気がするけど
誰も私を傷つけることはできない。
今は「しなければいけないこと」と「したいこと」の区別を
感覚的にわかるようになりたい。
<573> いつか ■2005年03月20日 日曜日 00時13分20秒
すごい!
ご飯のときの記憶が無い。
何度か父が癇癪起こして恐ろしい食事はあったが!
すっぽり抜けてる。
なーんにもない。
<572> soulmen ■2005年03月19日 土曜日 23時38分00秒
家には木刀が有った。剣道部だった自分が買ったもの。
中学のときに、親父にその木刀で叩かれたことがある。
本気ではなかっただろう。木刀でマジ叩きさせたら間違いなく病院行きだから。俺が悔しいのは、親父が木刀を手にしたときに言った言葉。
「手が痛いからもう殴れねぇ」
「…」
「おもしれぇ物があるな」
<571> アーネスト ■2005年03月19日 土曜日 23時04分13秒
もし母親に会えるのなら,思いっきり意図的に,主体的に甘えたい。そして1人の人間として,生物学上の男として認められたい。でもそれは一生かなわない。でも僕には御墓参りというワークしかできない
<570> アーネスト ■2005年03月19日 土曜日 20時05分40秒
19歳で母親を亡くすことが人間に大してどれだけの打撃を与えるのか僕にはよくわからない。以前、親しかった先輩に「今、あなたが母親を亡くしたらどんな気持ちになりますか?」と尋ねたことがあった。彼は答えた。「精神的に自立しているからなんとも思わない」と。まぁ一般論は別にして僕自身の気持ちを言えば人生で最大の打撃だった。でも悲しむことは格好悪いことだと思っていた。だから部活(スポーツ)で自分を鍛えてそれを乗り越えようとした。でも本当は部活のメンバーに憐れみを求めていたのだと思う。「辛かったね」って言って欲しかったんだと思う。今日、墓参りに行ってそれがよくわかった。自分は6年前、悲しむべき時に悲しみが尽きるまで悲しむべきだったんだと。
<569> サキ ■2005年03月19日 土曜日 18時13分57秒
やっとうちの家族ってものがみえてきた様な気がする。
諸悪の根元は母のアルコール依存だと思っていた。けれど、それは問題の4割くらいなのかもしれない。
飲まずにはいられない環境を父が作っているのも事実だ。
父には人に物を言わせない、何か強さみたいなのがある。誰も口出しできず、抑圧されてきた母と私と弟。
最近3人して父に対する不満が、同時に吹き出している。

私の悪い癖。。。
私が率先して父に話しをしてしまおうかと思っている。
すぐ「家族まとめなきゃ」って、背負わなくて良いもの背負っちゃうんだ。
で、私が全部背負って、後ろ振り返ると父に媚びる弟と母がいる。
彼らはまだ父がいないと生活できない。あの家を出られたのは私だけ。

うん。なんか見えてきた。
<568> ミルキー ■2005年03月19日 土曜日 14時06分30秒
とにかく お母さんはお医者さんごっこが大好き。
小学校高学年から にきびがでてきた私に、母は毎日お医者さんごっこ。
私は、母の前に座らされて、ニキビをつぶされる。
毎日。
もう つぶすニキビがないと、裸にされて 体に吹き出物がないか探される。
発見すると、つぶされる。
に〜きび君 さよな〜ら、さよ〜なら に〜きび君、また会う日まで〜♪

私が 毎日 自分の顔を鏡で見ていて悲しくなるのが 分ってんのか?
にきびの跡 見るたびに 思い出すんだ。
右頬に、でかい跡が残ってる。クレーターみたいに。

1000発 ぶん殴る。
<567> ミルキー ■2005年03月19日 土曜日 13時51分47秒
足が痛いのだって、ずっと我慢してた。
小学生の頃から痛いって言い続けてたのに・・・
母曰く 成長痛よ。
弟が 手が痛いというと、すぐに小児科へゴー。
風邪ひいたというと 小児科へゴー。
私は 中学2年まで 足痛いの我慢した。
特に中学校は 走らされたりしてて、もう歩くのも痛かった。
母曰く 成長痛よ。

100発 ぶん殴る。
<566> ミルキー ■2005年03月19日 土曜日 13時44分06秒
そういえば、私も足に障害があるんだ。
生活には支障はないんだけど・・・
ひざの皿の下にあるクッションが、普通の人が2枚あるところを、私は4枚あるのだ。
階段あがったりすると、たまに痛いんだけど、普通は大丈夫。
私も 弟も マイナーな 障害もってるよなぁ・・・
って私の方が ましなのだけれど・・・

でも、私の時は いつも病院に連れて行ってくれなかったんだ。
扁桃腺はれて 熱でて、1週間ご飯食べられなくて それでも連れて行ってくれなかった。お母さんは お医者さんごっこが大好きなのだ。
自分は天才だと信じてる。
私は イソジンかなんかを綿棒につけて、扁桃腺ぬられてた。
毎回痛いし、気持ち悪いのに それやられ続けてた。多分2週間くらい経ってたと思う。
全然 治らなくて、しかも体重激減。私この時 小学生。
そろそろ やばいということで、病院に連れてかれた。
私 脱水症状起こしてるとの事。
すぐに 点滴。
薬もらって、おうちに到着。薬を飲むようになってから すぐ良くなったのです。
お母さん やっぱり あんたの事 1発どころじゃなくて 何発もぶん殴りたいよ。
<565> ミルキー ■2005年03月19日 土曜日 13時25分19秒
↓ちょっと時期が思い出せない。
私が10歳の頃かもしれない。
小学4、5年だと思う。
<564> ミルキー ■2005年03月19日 土曜日 08時44分08秒
弟が4歳くらいの時、幼稚園での検診に引っかかった。
そんで病院に行って、心電図とったら、異常だと言われた。
私は 9歳くらいだったと思う。ん、?もっと前だったかな??
分らない。

母と弟と、私。3人で大学病院に行って、弟の検査した。
弟は、なんかマイナーな聞いたこと無い心臓病であった。
母が私に、弟に言っちゃだめだよと、病院でこっそり言った。
その後、病院の上にある レストランに入って、3人でご飯食べた。

お母さん テーブルで私達を前にして 泣きまくり。
私も泣きたかった。
弟が病気だって聞いて、私だって すごく泣きたかった。
でも、お母さんと私 二人で泣いたら、弟は 不安になると思った。
私は あえて明るく振舞って、弟に冗談言ったりして 遊んだ。
弟は最初は 不安がってたけど、私が遊びだしたら、気にならなくなったみたい。それで 私と一緒に遊んでた。
お母さん 相変わらず 泣いてる。
私は 笑顔で弟と遊びながら、母の事をぶん殴ってやりたかった。

帰りのバスの中で、私はパニックに襲われて、呼吸しずらかった。
胸痛いし、息を吸えなかった。
それでも 笑い続けた。
弟が 寝たとき、私の顔が笑顔のせいで痛くなってることに気がついた。

家について、みんな寝たころ、私は布団をかぶって泣いた。

でも、今になってその病気調べると、そんなに危険な病気じゃないんだよ。
お母さんショックだったの分るけど、私はあの時 弟は死ぬのかと思いながら 笑ってたんだ。

やっぱり ぶん殴ってやりたい。
<563> こくーん ■2005年03月19日 土曜日 04時44分28秒
家族旅行というものをしたことがない。
動物園も遊園地も観光も、子ども会とか遠足とかでしか記憶がない。
だから、家族の写真もほとんどなかった。
現在に形がなくて、過去に思い出もなくて、家族というものは一体なんなのか。そもそも、私にはそれがあったのか。
ワカラナイ。
<562> アーネスト ■2005年03月18日 金曜日 13時34分02秒
6,7歳の頃,家族と出かけた出先でちょっとした(その年齢にしてはまあ大きな)怪我をした。母親は「おー痛かったね」を連発。そういう子ども扱いがその先もずっと続いて,そのことで何度も口論した。それでもその思いは決して理解されなかった。自分の顕示欲ってきっとそういうのが根っこなんだろうね。真面目すぎたり,引き受けすぎたり,助けすぎたり,頑張り過ぎたり。それだけはいえる。
<561> 豆だいふく ■2005年03月18日 金曜日 07時00分56秒
子供の頃よく霊媒師さんの所へ連れて行かれた。その霊媒師さんが「あんたはこの家をしょって立つ人間なんだからね。お母さん達を大切にしないとダメなんだよ」と言った。かなり怖かったんですけど・・・。皆で間接技をかけたのかな??だったらもうちょっと大切にしてよー。あー重い重い。

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This script written by Shintaro Wakayama.