私たちの物語 - 家族過去ログ No.22
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<440> ミルキー |
■2005年01月26日 水曜日 06時17分10秒 |
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私のホームってどこなんだろう? 母の家では殴られ続けた。 祖母の家では 出て行けとか、宝物を隠されたり、陰湿な意地悪ばかりされてた。 友達が言う。 あ〜実家に帰ると落ち着くわ。 私は実家に帰ると死にたくなる。
ママ覚えてない。。。 覚えて無くても、私の顔は青あざだらけでしょ。 見ればわかるでしょ。。。
誰かに助けてほしかった。 親戚のおじさんで一人だけ 私をみつけると、ミルキーちゃんは素直でいいこだねって声をかけてくれた。 そのおじさんはきゅうりを作っていて、私に見せてくれた。 青い筋が上に向かって伸びていた。
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<439> 沙羅 |
■2005年01月25日 火曜日 19時00分10秒 |
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父親は私が小さい時から暴力ばかりふるっていた。 帰りが遅いと言って殴る。 泣くなと言って殴る。 気に入らない顔していると言って殴った。 母親は黙って見ているか、きーきー怒ってばかり。
娘が人生で一番辛いであろう出来事に直面した時 アンタ達は、私を助けてくれる所か 冷たく見放しましたね。 今更悪かったなんて、謝罪されて何になりますか? アンタ達は、自分達のした事を一生悔いながら 生きていく義務があるんだから。勝手に死なないでよ。 世の中で、子供を一番思ってくれているのは家族なんて 嘘だ。 我が家族は欺瞞の塊。うわべだけの付き合い。 こんな家族は消滅すればいい。
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<438> ロヴィン |
■2005年01月24日 月曜日 22時31分05秒 |
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死んでしまった人間に,物理的に存在しない人間に自分は何を思うことができるのか? 結構疑問である。母が生きていたら自分は彼女に対してどうのような感情を抱くだろう? よくよく考えてみると自分はマザコンだ。中学くらいまで勝手に服を買われた。着せ替え人形みたいだ。髪も...いつぐらいだろう。中学までは切ってもらってたね。自我が潰された悲しさ。自分に実体がないような寂しさ。自分で自分のことをできない情けなさ。人生を切り拓いていくたくましい人間に育てて欲しかった。甘えすぎだけど。だって何でもやってもらってたら一体僕の価値はどうなる?
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<437> そら |
■2005年01月19日 水曜日 12時23分17秒 |
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愛されていたような気がする。 けれどそれは時に、あまりにも残酷で。 私の愛は受け入れてもらえなかった。 思い通りに育った私はいかがですか。
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<436> 稲妻R |
■2005年01月18日 火曜日 21時26分59秒 |
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父は人に不快な思いをさせて喜ぶ人でした。
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<435> 稲妻R |
■2005年01月18日 火曜日 20時52分38秒 |
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父は独裁者でした。暴力者でした。 その恐怖感は対人恐怖という形になり、私を苦しめています。
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<434> B.B. |
■2005年01月18日 火曜日 14時30分56秒 |
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教師って簡単に信じられない。 どんなにいい先生でも、絶対裏があると思う。 うちの両親は教師。外面はすごくいい。 でも家のなかは無茶苦茶。 「自由にしなさい」と言いながら,私が思い通りにならないとヒステリーを起こす母親。アル中の父親。 いつもびくびくしながら過ごしてた。 もう帰らないよ。
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<433> IIC |
■2005年01月17日 月曜日 21時20分46秒 |
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しばらくほおっておいてください。 せっかく癒えた傷を、また傷つけたのは あなたたち。 「我慢して相手してあげて」なんて簡単に言わないで。 昔の出来事がよみがえって苦しいから。
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<432> はる |
■2005年01月15日 土曜日 23時07分01秒 |
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あなた達をつないでるパイプを取り払ったらどうなるだろう? そんなことを考えてしまうのは私が弱いからだろうか? そもそもパイプを取ったところで気付きもしないと思うが… 私が必死で壊すまいと守っているものを… あなた達は平気で壊す。 気分で、感情で。 いっそパイプが自ら姿を消せばいいですか? そしたらあなた達は気付きますか? きっと気付かないでしょうね。 そうなる運命だったで終わらせるでしょう? 私が苦しんでることなど微塵も分かっていないでしょうから。 私は一度でいいから見てみたいものがあります。 あなた達の顔が苦痛で歪むのを… 自分達のせいで取り返しがつかないと泣き喚くのを… 今日もそんなことを考えながら… 無言でパイプの役割を果たします。 消耗品だと思います? いいえ、あなた達に合うパイプは他には見つからないでしょう。 何せ生まれたときからパイプとして生かされてる私以外、 あなた達の面倒を見れる人間はいないですから。 口があるなら、表情があるなら、少しは自分で伝えてくださいな。 不器用で要領の悪いパイプなどお使いになさらずに。 年中無休のパイプ業ははっきり言って三食お小遣い付きでは安すぎます。 誰のおかげで食べていけると思っているんだと言われるなら そのままその言葉お返しします。 誰のおかげで家族の形を保っていられると思ってるんだ。 まぁ要領が悪くておまけに頭も悪い娘の親のあなたに言っても一生理解できないことだとは思いますがね。
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<431> 稲妻R |
■2005年01月15日 土曜日 13時25分31秒 |
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私の母は嘘つきでした。詐欺師でした。 お金に関して何度も嘘をつかれました。 恥を何度もかかされたし、怖い目にも会いました。 公衆の場では「母に騙された」と言えず、黙って屈辱に耐えるしかない私の横で、嘘をついた張本人は平然と座っていました。 憎いです。
※不適切だったら、削除願います。
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<430> 豆だいふく |
■2005年01月15日 土曜日 08時40分13秒 |
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「家族」かあ・・・ 最近児童擁護施設で子供と遊ぶボランティアを始めた。 みんな物凄くかわいくって、どうしてこんなかわいい子が ここにいるのか不思議でしょうがない。 でもその子の親にもきっとそれなりの理由があるのだろうな。 前はそういう親をかなり軽蔑の目で見ていた。 でもどうにも子供を守れない親っているのもいて、それが現実で・・・ だったら行政や余裕のある人間がそれを支えていく社会が必要なのかもしれない そんな人間がこれからは沢山必要なのかもしれない その一員になりたいと思う。
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<429> はる |
■2005年01月14日 金曜日 23時24分30秒 |
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ああ。 こうも簡単に崩れ行くものなのだろうか? 私の言葉一つで壊れる家庭とはなんだろう? 今日は放っておいてほしかった。 私も人間、いらいらするときもある。 ああ。 やっぱり今日も自分を出せないまま。 悪くも無いのに謝る癖。 宥める役を母に任せたのが失敗だった。 事態は悪化。 やっぱり私しかいないの? 今日も閉じこもる。 明日は試験だよ。
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<428> はる |
■2005年01月11日 火曜日 22時48分49秒 |
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家族ってなんだろう? ふとそんなことを考えてしまう。 親の顔色を伺う弟。 家族の様子を伺う父。 思い通りにならないといらいらする母。 家族をまとめようと躍起になる祖母。 ああ疲れた。 「他の人はもっと疲れてるの」 たまには子供になりたいと… あなたたちの長女でいたいと… 思うのは… 私のわがままですか?
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<427> B.B. |
■2005年01月11日 火曜日 12時31分14秒 |
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実家に帰ると、自分がどんどん無表情になっていくのが良く分かる。 負の感情しか湧いて来なくなる。些細なことできれそうになるから、なるべく感情を持たないように無表情になるんだ。 そんな私の変化に気づかずに、悪口を言い合う両親。その最後の矛先は私。 二人で私を責めてれば、最後お互いなんとなく収拾つくものね? もういいです。ほんとにもういいです。 私のストレスは、仕事からきてるんじゃない。あなた達からきてるんです。 そんなあなた達に、それでも、私のことに気づいてほしくて、甘えたいと思ってるのに。 無駄だとわかってるのに、まだ諦めずもがいてることだけでも気づいてもらえないのかな。 子供ってせつない生き物。
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<426> キレウシス |
■2005年01月09日 日曜日 22時37分08秒 |
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戦争は、語られない家族の秘密。 みんな知っているけど、口に出してはいけない。 シーツを開くな。中を覗こうとするな。 シーツを縫うのは、中の魔物が出てこないようにするため。 もし真夜中に開ける子供がいて、何も知らなかったら、 その子は食べられて、 誰もがその子のことはわすれたまま。 その子のことをわすれないといけない。 もし、その子が知っていたら、 何も見ないで、何も聴かないで、 通りすぎていくのを待つこと。 もしそうできたなら、また昨日がもどってくるかもしれない。 透明な空気が私たちを窒息させていく。 この呪いを解くもの、災いあれ。
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<425> ヨウ |
■2005年01月08日 土曜日 22時25分01秒 |
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先日、結婚した友人の家に招かれました。 子供たちは、天真爛漫という言葉そのもの。 旦那様は子供に冗談を言っては笑わせている。 私の友人はケーキを焼いて私のお土産にしてくれました。 私は羨ましかった。でも、居心地が悪かった。 私の家庭と違う、なんだか苦しい。でも羨ましくて、涙がでた。 なんで私はこんな家に生まれなかったんだろう。 アル中の父。ヒステリーを起こして父とすさまじいケンカをする継母。 震えて、部屋の隅で妹と身を寄せ合って、嵐のような時間が過ぎ去るのを待っていた、私達。 クリスマス、正月、誕生日ぜんぜんいい思い出がない。 ケーキを見ると、泥酔した父がどこかに落としたらしくグチャグチャになったケーキをもう一度箱に入れなおして、渡してくれたのを思い出す。父も私も惨めだった。少し砂がついたケーキを私は涙を堪えて食べた。 不二家のケーキ。もう、不二家を見ただけで惨めな気分になる。 普通の家庭。どんなんだろう? それに私は5年分の記憶が無い。いったいどうしてだろう?
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<424> ロヴィン |
■2005年01月08日 土曜日 12時45分51秒 |
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弟は何か?弟って家族を俯瞰できる分、気をつかいやすい面があるのかなと私は勝手に思い込んでる。
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<423> ロヴィン |
■2005年01月08日 土曜日 07時56分03秒 |
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私の母が死んだ時,普通に泣きはしたよ。19年間育ててもらった人だし。 でも,今振り返ってみると,母親との記憶って何一ついいものがないんだよね。もちろん,ワンシーン,ワンシーンで母と私が談笑していたり,っていう構図は記憶の中にあるんだよ。それから,よく親、教師に関わらず「あの時,本当に叱ってくれてよかった」と話す人がいるけれど,私にはその気持ちが全く理解できない。微塵も。むしろ私の塾の教師にしろ,母にしろ,怒られたことで,「怒られること」に対する恐怖心が芽生えたし,怒られると過剰に萎縮したり落ち込んだりするようなクセが生まれた。「行動」や「性格」じゃなくて「人格そのもの」を木っ端微塵に打ち砕かれてきた。
9〜10さいころの自分の写真(主に母親と一緒に映っているもの)を見ると,目は釣りあがり,口はへの字にひん曲がり,ものすごい卑屈で恨めしい表情でシャッターを睨んでいる。現像が済むと「なんで,あんたはそんな恐い顔してんの?」と怒られたが,それはひとえに貴方のせいですよ。その当時,母親が憎く憎くてたまらなかった。公衆の面前で膝蹴りをしたこともある。父親だって一緒にいるのに,父もなんで私の気持ちをわかってくれようとしないんだろう? 私は家庭を作るつもりはない。病んでるのは自分だけ充分。
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<422> NAC NAC |
■2005年01月07日 金曜日 10時46分32秒 |
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今年の正月は静岡のA君宅で1泊させてもらったのだが、A君の姉さん夫婦&子どもも来ていて、それはそれは「ほほえましい」時間で、ゆっくり流れていった。 私はその間、炬燵で蜜柑を食いながら姉さん一家を観察?していたのだが、無邪気に笑う子どもたち、そして一緒に遊んであげる両親。ほんと理想的で、私には羨ましい限りだ。やっぱ愛情を受けて育った人は違う。そうしたことが「当たり前」にできる。 翻って私の家はどうか? 今までの正月はどうだったのか? はっきり言って、「楽しかった」思い出なんて私にはこれっぽっちもない。ほんと悲しいくらい私はスイッチがオフだった。 それは楽しくなかったからスイッチがオフだったのか? それともスイッチがオフだったから楽しくなかったのかは定かではないが、どちらにしろ「記憶に残る家族との正月」なるものは私にはない。それは盆も同じだ。 まっ考えてみれば当たり前のことで、我が家は感情なるものが機能していないのだから、平時も晴れも関係ない。あるのは親の無関心と子どもの寂しさだけだ。
なんでこうなんだろう?
思い出そうとしても私は涙しか出てこない。それほど小さい私にとって苦痛だったってことか?
「乖離」そして「ダブルミーニング」
日常的に子どもの無意識へ、親が「愛しているよ」と言いつつも喉元へ包丁を突き付ける愚行。 親しか頼る者がいない子どもは何を信じればいいんだ?
何もない。
ワーカホリックの親からすれば、心を閉ざしてお人形さんになった子どもはさぞ都合がいいことだったろう。子どもが言葉を発しなければ「何も希望も不満もないんだな」と、親はより仕事中毒になれる。 そして、認めたくないことだが、私の親にとって私たち兄弟は「体裁だけの置物」にしか過ぎない。置物に感情は不用だ。
私には年子で「14年引き篭もり」の弟がいるが、いくら私の記憶を紐解いたところで、私が引き篭もる前の弟との思い出らしきものは殆どない。あるのは喧嘩した時のぐらいだ。それも私が一方的にぶちのめした・・・・・
同じ屋根の下に住んでいるにも関わらず、私の周りで私の家族が何をしていたのか? 弟が何をしていたのか? 当時の記憶が私にはさっぱり思い出せない。
おかしいだろ?
なぜ?
もし当時の私に家族の絵を書かせたなら、「『家と私一人』か『家族ばらばら』の絵だったろう」は容易に想像がつく。
ワーカホリックの親の無関心に耐えるのは乖離しかない。乖離してしまえば「孤独・不安・寂しさ」は感じなくて済む。だから私は、ACと気づいた30まで否定的な感情がわからなかった。ほんとはいつも中にあって嵐を巻き起こしていたのに、ぶ厚くコンクリートで塗り固めてしまっていた。ほんとおかしな話だ。 でもそれはそれで仕方がない。「もうこれ以上親に傷付けられないよう」にするにはそれしか方法がないのだから。
傷付き過ぎて自分の心を閉ざしている。だから当然自分の感情もわからないし、他人の感情も読めない。そして集団の中では自分の存在感を消して身を守る。 そうした術を私は無意識に身に付け周りから浮いてきた。それは今でもまだ、否だいぶか?残っていて、やはり五感の刺激が私の無意識にある「過去の触れられたくないもの」にリンクする時、私はそうなり易い。 もし今の私が当時の私に戻ったら間違いなく発狂するだろう。うちはそんな家庭だ。だから弟は未だに引き篭もるのだ。
家族ってなんだろう?
私にとっては永遠のテーマだ。
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<421> トラミ |
■2005年01月07日 金曜日 01時41分17秒 |
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私が精神科に行った、って言ったら、母親は呆れていました。 私の友人がカウンセリングを受けているから、彼女の真似だと思ったのでしょう。 「○○ちゃんの真似か?」って言っていましたから。 私が受験から逃げるために、精神科に行ったのだと思っているようですね。 そうではない、あなた達のせいでおかしくなった自分の家庭を、 治せるのではないかと思ったからなのですよ。 でも、それすらもわからないのですね。 「精神科に行くなんて、信じられない」そういう顔をしていましたね。 私からしてみれば、この家に住んでいて、精神科に行く必要を感じない 人の方が異常だと思いますよ。妹も、そう言っていました。 異常を異常と感じない程に、おかしくなってしまっているのですね。 ストレス解消に子供を使うしかない、可哀想な人たち。
父親に報告した後、二人共「この家からとうとう病人が出たか・・」という 顔をしましたね。私には、はっきりわかるのです。 私は、もう腹立たしくて、情けなくて、自分が哀れでした。
そして、私が一番怒っているの言葉、覚えていないでしょうね。 私はその時、泣くのを必死にこらえていて(6才の妹に昨日指摘されました) 子供の頃の私が、親にすがって捨てられまいとしました。
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This script written by Shintaro Wakayama. |
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