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私たちの物語 - 家族過去ログ No.13
メッセージ数:260件

<260> なち ■2004年04月24日 土曜日 13時15分29秒
悲しかったこと。

兄弟喧嘩をしたときに、母が一万円を小学生のわたし達に差し出し、土下座をして、「止めてください」と言ったこと。

幼稚園からの保護者へのお便りみたいなやつに、「子供の話を聞いてあげましょう」というプリントを貰い、期待をして母に渡した。わたしは様子を見ていた。母は、そのプリントをさっとひと目見て、興味なさそうに、脇に放った。

泣き真似をして、手袋を買ってくれたこと。なぜか悲しい気持ちになった。試していたんだろう。

心臓に毛が生えていると。わたしのことをそう言った。

「この子は何を言ってもだめ。」という口癖。聴くたびに、視界がくらくなるようだった。

くちごたえをすれば、「何様やと思ってるの!!」
「母さんにえらそうにするんじゃないよ!」
「子供のくせに」
「えらそうな子だね!!」
「親に口答えするな!」

祖母と母の喧嘩。

とても悲しい。
<259> なち ■2004年04月24日 土曜日 12時58分27秒
母。昔の母を、憎んでいる。育児を放棄しやがった。周りから見れば、働き者で、いつでもニコニコ笑う、棘のない、文句を言うとこがない奥さんだったんだろう。外で作り笑いで体裁を繕うあんたを見て、吐き気がしたよ。そして、少しでも歯向かおうものなら、母はイライラを私にぶつけた。子供の頃から知ってたよ。あんたがロクでもないってね。大嫌いだ。母親失格だ!返せ。私の健康な心を。私についた嘘を謝れ。母が間違ったことをしても、何をしても、母の機嫌が悪ければ、私はあっという間に「えらそうな子」とシールを貼られて、母の怒りにまかせて叱られた。理不尽だ。しかし、幼い私はどうしようもなかった。どうできたというのか。そして、誰も知らない。母の家での顔を。みんなはいつも言った。「優しいお母さんで羨ましい。」私は次第に思い始めた。、、、、、悲しい私が、こんなことで悲しがる、ムカツク、私が異常なんだ。母は悪いところがないじゃないか。暴力は振るわない。お金もくれる。両親がいる。責める所は、なかった。ただただ、悲しいわたしだけが残った。母を、憎んでいる。卑怯な母を。
<258> Yoko ■2004年04月23日 金曜日 10時57分31秒
ママへ。
どうして、あの時、嬉しいって言ってくれなかったの?
せっかく、パパがいつ会ってもいいよって言ってくれたのに。
どうして、聞いてないなんて言って怒ったの?

パパへ。
どうして、ずっと一緒にいてくれなかったの?
すごく寂しかったよ。
<257> どんぐり ■2004年04月22日 木曜日 12時38分02秒
「私のかわいい○○ちゃん」なんて30過ぎた子供に言う言葉かなあ。
決してそういう言葉の対象になることなく育ってきた私に、妹の事をそう呼んで
心配している母。
ここにも娘はいるんだけど。
彼女と妹は共依存、私は典型的世話焼き・優等生タイプのAC。
生まれ育った土地を離れて、子供を産んで初めて自分の不完全さに気づいた。
自分が子供の頃に味わった寂しさを自分の子供には感じさせないように・・・
オトナにNOといえず、子供にも本音をいえずコチコチのロボットだった自分。
さまざまな感情を抑制して生きてきた結果、子供にもそれを要求していた。
このことに気づいただけでも今の「家族」でいる意味があるのかもしれない。
私、私、私を探して子供ともう一度生きなおしたい。
<256> M ■2004年04月21日 水曜日 22時46分05秒
家族なんてカタチあってないようなものなんだね。
そんなものに傷つけられて、いつまでも縛られてたくない。
けど今、私はやっぱ家族を求めてる。
ずっと欲しかった・・
話したかった・・
そして笑い合いたかった・・
そんな贅沢な夢をまだ見てる。
つかめないから余計に欲しくなる・・家族。
<255> たまき ■2004年04月20日 火曜日 13時29分29秒
あたしの家族は大概頭がいい優等生タイプばかり。ちなみにみんな教師。
あたしはその中のはみ出しっ子。やることなすこと、親の気に食わない子。
弟は典型的ないい子。クラスに一人はいる活発で勉強のできる、素直な子。
あたしはこいつが大嫌いだった。「いい子ぶりっ子」しやがって。あたしがやって怒られたことは全然しないヤツ。
だからいじめ倒してやった。散々泣かせた。ちょっとすっきりしたけど、後でまた親に怒られる。悪循環、って判ってるけどやめられなかった。だって、そのときだけは気分がいいから。
父親の口癖は「誰に育ててもらったと思ってる」「いやなら家を出てけ」
もちろん出て行った。怒りに任せて、どうなってもいいやと思いながら。
でも、母親が鬼のような形相で追っかけてくる。「お父さんに謝りなさい」
追いかけてくるくらいなら、ちょっとはフォローしてくれてもいいじゃない。
専制君主の父親が死んで、生き易くなるかなと思ったけど、今度は母親の情緒不安定な専制君主時代の始まりだった。ますます訳のわかないことで怒られるだけ。
口癖まで父親そっくりになっちゃって「誰に育ててもらってると思ってるの」「いやなら家を出てけば」だってさ。
だから言ってやった。「お母さんだって親に育ててもらったんでしょ」「親として子供に言っちゃいけない言葉が何か知らないんでしょ」
そしたら「あんたはとんでもない親不孝者だ」「判ってくれるのは弟だけだ」なんてあんたら精神的に「近親相姦」してるんじゃないか?
「悪いけどあんたには期待してない。弟さえいれば」なんて、仮にも教師だろ?教えられてる生徒がかわいそうにも思える。

あたしはいつまで家族の中の「はみ出し者」「悪い子」「ピエロ」の振りをし続けなきゃいけないんだろう。
家を出て行きたいけど「お金」がないし。給料安いから。
「宝くじ」でも当たらないかな、なんて馬鹿なこと考えるけど。でも本当は、そんなことしたら「親を悲しませるんじゃないか」なんてことも気になってるんだけど。
だからふたりとも仕方なく一緒に暮らしてる。そして毎日顔をあわせればけんかばかりしてる。
これってもしかして「共依存」かも?
<254> さくら ■2004年04月20日 火曜日 01時27分25秒
この人が私の家族でさえなかったら、とってもいい人なのになあ。
この人が私のだんなさんでさえなかったら、結構いい感じで交流できるのになあ。
そりゃあ、親友にはなれないだろうけれど、でも、会社の中の同じ課だったりしたら、案外信頼できる同僚だったりするんだろうなあ。
でも問題は、この人が私のだんなさんだということ。
この人に近寄られると怖い、別に一度もたたかれたこともないけれど。
この人にだけは甘えられない、いや、この人だけでなく、私は今まで誰にも甘えられなかったのかもしれない、誰と居てもどこかで怖かった、この人は叩く人か、叩かない人か、それだけを基準に人を選び、こともあろうか叩きそうな怖そうな気の短そうな人にばかりつながろうとしていた。
そんなひとには心は開けない、この人の前では女の人になれない。
私の問題だとも思う、この人にも問題があるのかなあ?とも思う。
一番の問題は、前に進むことも、後ろに戻ることもできず、ただ関係が低め安定で、ずっと維持し続けられて、どうやらこのままいくと今後も変わりなく顔をつき合わせていくであろうと予想されることだ。
やっぱりまず自立しよう。それから考えよっと。
家族ってやつは、やっかいだ。
近づきすぎて、関係がうまく築けない。
きっと、家族を辞めれば本当に案外うまくいきそうなのに・・・。
でも、誰と家庭を築いても、自分が変わらなくては、結局結果は同じなのではないだろうか、という考えがふと頭をよぎった。
ということは逆に言うと、だんなさんのほうこそ被害者で、私は悪い女、ということもいえたりして・・・。
やはり、家族はなぞだ。
<253> 花 ■2004年04月20日 火曜日 00時59分35秒
疲れてしまったんだよ。いい子の振りするのは。言葉で言ってくれるならまだしも。ただ不機嫌になって。理解しろと要求。気持ちをくみとってやらなきゃならんのはいつもあたし。親が欲しかった。ただ一度でも、何もイワンでも、気持ちを理解しようとしてほしかった。大人がほしかったんだ。うまく言って満足してるあたしのこと認めて欲しかったんだ。もう、ほとんどちがっている。あなたとは違う。そんな当たり前のこと忘れてしまうよ。オリジナルな生き方みつける。ssおばにいる人は参考にできないけれど。
<252> M ■2004年04月19日 月曜日 17時23分51秒
私が家族の中に幸せを見つけるのは難しいのかもしれない・・
今までも・・・これからも・・・難しいのかもしれない。
安らぎ、そして、安心したかったよ。
そんな居場所が欲しかったよ。
ずっと求めていたよ。
好きな人に抱かれても満たされない私・・
やるべきことがあっても空しさだらけの私・・
どうしたら居場所が見つかるのかな。
家族という呪縛は、どこまで自分に喰らい付いてくるのかな。
<251> MARU ■2004年04月18日 日曜日 22時38分31秒
週末になると、実家に行って、夕飯をご馳走になる。

私の帰省を、喜んで、目一杯ご馳走を作る母、喜色満面の父。

私の、家族ごっこ。
こういう、平和な、何げない、時間が欲しかったんだ、ずっと。
今は、一見平和だ。
けど。
私が黙ってニコニコしてるから、一切、何もなかったかのように振舞ってるから。
それだけの平和。

あなたたちに、本当の事を語る事はないんだろう。

私は、あなたたちが死んだ時、どうしようもない孤独を抱えて、独りで泣くのだろう。
<250> MARU ■2004年04月16日 金曜日 23時58分57秒
おれ、家族が欲しかった。
夢見てた。

家族はいたけど、
みんな、もっと仲良くしようよ、ってずっと叫んでた。
それだけが、オレの願いだった。

今も、ずっと、叫んでる。

一度、結婚した。
立派な家庭をやろうとした。
ダメだった。
オレに疲れたのか、相手は、他の人を見つけた。

なぜオレと結婚した?

別れ話を出すと、あなたはゴネた。
オレと別れたくないって、オレの事が好きだって。

あれは嘘だったのか?

オレ達の家庭を壊した、あいつと、
あなたが睦まじくデートしてるのを、見ちまったよ。
なぜ、
オレのいる場所に二人で来る?
オレ、さすがに、喋りかけられなかった。

オレ、本当は寂しかった。
問題だらけのあなたとでも、
もう一度やり直せないかって思ってた。
逃げたのは、オレだったけど、
オレも、色々考えて、反省したりもした。
あなたと、もう一度…
って、夢見てたんだ。

砕かれちゃったよ。

やっぱ、オレ、ずっと夢見てんだなぁ。

オレの知らないところで、着々と、大人になって、みんな、生きてんだなぁ。
取り残されちゃったな、オレ。
いつまでも、子どものまんまで。
<249> バンビ ■2004年04月14日 水曜日 10時04分00秒
あなたはどうして話をしている時に背中をむけてテレビの方をみているのですか?朝起きて間がないからですか?
話を聞いてくれていますか?
この何年もの間家族で旅行も行ってないですよね。
連休ぐらいしかないのにいける時は。
そんなに仕事は大事ですか?
家族より大事ですか?
病気になった時位電源も切って休めばいいではないですか
しんどいのなら飲みに行くのもたまには断ればいいじゃないの
家族で休みの日にどこかに行ってもいいじゃないたまにしか休みがないのに
昔は、休みの日にも遊びに行ったじゃない、
子供ともコミュニケーションできてたじゃない
今子供はパパ嫌いって言ってるじゃない
ゴルフや飲みに行くときは休みとれるのに
どうして私達のためには休みとってくれないの
自分が病気になった時にだけ私を頼ったって私も困る。
今日のあなたの態度でわかった気がします。
原因は貴方の態度だったんだってね。
でもそれで私がACだったって気づかせてくれたんだよね。
辛いけど寂しいけれど、昔の事を思い出すのも、
でも私は自分の為と子供たちのために本当の自分を見つけます。
あなたとの豊かな未来に向かってね
私を昔の辛い立場から救ってくれたのは、やっぱり貴方だから。
貴方とこれから先、心豊かな幸せな日々を暮らしていけるようにね
私の両親のようにはなりたくないから
貴方もどうか家族を少しは見てね。
こんな私の心が貴方に届きますように。
早く体調治るといいね。
<248> とら ■2004年04月13日 火曜日 19時59分21秒
家族ってすごく怖い場所だったなぁ。意見を言えないし、ただ緊張した空気だけで、神経が磨り減る場所だった。
実家を7年前に出たけど、正解だったと思っている。きっかけ
が全然関係ないことだったが、あれはなんだったのかなぁ。
ともかく、心理的な自由を得て、生活を満喫できる時もある。
家族の中であった神話はお金に関するもの、対人関係に関するもの
があった。人を信じたら利用される。馬鹿を言うな、信じなきゃ
仕事はできない。借金をしたら人に迷惑をかける、借金は悪いことだ?
自分がキチンと管理する限り問題はない。自分を信じて仕事に打ち込み
収入を上げればいいだろう。父や母は何故かそんな基礎的なことを知らなかった。僕は時間をかけて
学んだ、あなた方を反面教師してね。それに今は人に頼ることができる。
あなた方はそれができなかったんだ。不勉強だったんだ。反省しろよ。
知っていることは知っているし、知らないことは知らない。分からなかったら教えてくださいだろう。バイトで学んだことだよ。なんであんたらが
知らないんだ。腹が立つ。心を開けば友達はできるし、情報も入る。ただそれだけだったんだよ。
<247> ゆめ ■2004年04月13日 火曜日 04時50分50秒
祖母と母の不仲。小さい頃から慰め役。
祖母の居ないところで母を慰め、母の居ないところで祖母を慰める。
「私はあなたの味方だよ」両方に嘘をつく。
それでも見捨てることはできない。
未だに私を苦しめる。いっそ嫌いになれたらいいのに。
<246> さら ■2004年04月12日 月曜日 02時49分32秒
自分の居場所がない
どこにいてもイライラ落ち着かない
私はどこにいればいいの
<245> およよ ■2004年04月10日 土曜日 01時56分35秒
この「家族」と題材とした書き込みを私は読めないでいました。
なぜかと言うと、私自身が、子供を虐待していたし、子供のその心の痛みを知っていたし、私も親から、虐待されていたので、よく似た内容ばかりだから、
怖くって、怖くって、読めなかった。
でも、今すこし病院へ通い、カウンセリングに通い、やっと、すこし読んでみようという気になりました。
今は、子供をいじめているとは、思わないけれども、とっても辛い。
子供の気持ちを思うと辛いし、自分の子供の時の辛かった気持ちが
思い出されて、いたたまれない。
でも、少しづつ、少しづつ、この「家族」の物語を読まないと、私は前に進めない。傷が大きくならないように、でも、傷を見ないのでなく、正面から見つめるように、私と子供の傷を見つめるように、読み勧めていく。
そして、書き込みもできるようになれば、きっと前進しているということだ。
傷が治るのには、時間が懸かる。きっと、死ぬまで、忘れない家族の心の傷。
でも、もう、家族を許している。だから、傷もすこし治ったのかもしれない。
<244> M ■2004年04月08日 木曜日 23時30分49秒
今さらになって、そんなことをしてくれるのなら・・
また、何かをしたいとおもうのなら・・
あなたが今まで私にしてきたことを省みてください。
小さな私の心に刃物を突き続けてきたことを
少しは自覚してください。
刃物を突きつけられたまま大きくなった私は、
いま正常に生きているとおもいますか?
社会で普通の人と同じように生きているとおもいますか?
あなたが私にしてきたことを少しでも思い起こそうとしてくれるのなら、
あなたは私に関わることはできなくなるとおもいます。
あなたに望むことなど一つもありません。
いや・・・・・ありました。
たった一つだけ・・一つだけ最初で最後の私の意見を聞いてくれるのなら、
私の目の前からいなくなってください。
勝手なこと言ってるのはわかってます。
ただそれ以上にあなたは、ただ身勝手に家族を傷つけてきた事実があるのです。
<243> 桜 ■2004年04月08日 木曜日 02時35分35秒
母の呪縛から逃れたい。くたくたになった心が一心に願うのはそれだけ。死んでくれればなどと恐ろしいことをそれまで思ったことはなかった。でも、元旦の電話の時の態度で、私の中のすべてが切れた。

友人もいない、人の悪口を陰でいい続ける母。それだけならまだしも、表向きには決してそれを見せないのだ。100%善人でとおすのだ。私がどれだけ彼女の兄弟とその妻たちの悪口を聞かされてきたことか。中高生の私に何の関係があるというのか。それでも、働き者の彼女は立派な人だと思っていた。そう思い込まされていた、彼女の表向きの振る舞いから。

兄弟や、果てには自分の母親の悪口を陰でいう母の家系。幼い私から見れば、一人一人はいい人だったのに。ずっと家族という関係から逃れたかった。家を離れてから、自力で人間関係を築き、家族を距離をおいて見ることができるようになったと思っていた。でも、集中している対象がなくなると、そこには何も変わっていない状況があった。それどころか、不幸せな両親、特に母親に、ちくちくと傷つけられるようになった。老いてきたから、生きているうちに、恨みを伝えておきたかったのか。本当にゆがんだ人だ。これまで子供の前でさんざんののしってきた、アル中で無能な自分の夫が年をとり自分の思い通りになったら、私なのか。家族の中の駄目人間として、標的が父から私に移ったと感じて、底知れない恐怖を感じた。

今はまったく向き合えるだけの余裕がないから、頭からその存在を消したいのにできず、思い出しては涙が止まらない状態。それに囚われている自分が情けない。前に進みたいのに。

どんなに人を嫌ったとしても、その死を願うことなど一度もなかった。高校時代、酒を飲んで暴力をふるう父親に対して以外は。でも、私は明らかにそう願っている。それがこの数ヵ月消えないことに自分でも驚いている。
<242> 林檎☆☆ ■2004年04月07日 水曜日 04時56分18秒
今日は、昔の事を思い出した。
小学生の低学年の頃に、母親から突然、
「○○(あたしの名前)はもういらない子だ。今から捨てちゃうから。」
って真顔で言われた。
小学生の頃のあたしは泣きわめいた。
「悪い事をしたのなら謝ります!勉強も頑張るから、あたしを捨てるなんて言わないで!もっと良い子になるから!だから捨てるなんて言わないで!」
母親は笑いながら「冗談よぉ」って言ってた。
でもあたしはいつ捨てられるのか不安だった。
うちの母親は精神疾患で何十年も精神科に通ってた。父親ともうまく行って無く、離婚も秒読みだった。
母親は、精神的に参ってたらしく、いのちの電話相談室と言う所に電話をかけて、よく相談してた。
小学校高学年のある日、あたしが側で勉強してる時に、いのちの電話相談室に相談してたことがあった。
その時、母親が
「私は海に身投げして自殺をしようと思うんです」と言っているのが聞こえた。
とてもとてもショックで、また見捨てられる不安と母親があたしから離れて行ってしまう不安でいっぱいになった。
その後に、自殺は頼むからしないでくれと切実に涙ながら訴えた。
なんとか了解を得てくれたからホッとした。
いつも家に帰ると母親が居るかどうかを確認した。
居なければ母親が帰って来ないのでは?と不安になり「ママー!!!」って絶叫して早く家に帰ってきて欲しいと切実に祈っていた。

<241> さら ■2004年04月06日 火曜日 01時19分16秒
しんどいよぉ〜
家にいるのがしんどい
父と暮していると、イライラが溜まりだす。
もういやぁ
どこか行きたい。
でも、体力もない・・・
自分なんかいらない
どこかいってしまえ

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This script written by Shintaro Wakayama.