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私たちの物語 - 心の持ち方・感情・過去ログ No.87
メッセージ数:1740件

<1740> ( ■2007年07月14日 土曜日 22時25分35秒
ずっとこの街を出ること=逃げている、ずるいと思っていた。
今日、自助グループに行こうとしてあまりに身近な地域で過去に知っている人に会ったら正直な気持ち、うちは人には言えない秘密があるので、多分、古い人には差別されるよう秘密がある、言えないから、どうしようとか考えながら時間が過ぎて、結局行かずに、家の近所で緑のある人気のない場所見つけて泣いていた。時折邪魔な子供とかおばさん、うぜえ女とかじじいとか通って、そのたびに彼氏に振られた女を演出して携帯見たりするけども。
 公衆トイレの中に行くと安心するんだ。学校のトイレでよくないていたけど、そこだけが私の唯一の居場所であったから、子供時代の。今でも「目」から逃れるために、「普通」ちゃんから逃げ出すためにトイレで泣く。トイレで好きなだけ泣けたらいいけど、「ここでずっといたら警備員とか来て、自殺したとか思われる」だろうなとかずっといたら周りから不審がられるとか考えているとおちおち好きなだけも泣けない。昔の私の家のトイレで家族に気を使いながら泣いていた頃と大して変わっていないよ。今日も逃げたくなって逃げたわ私。逃げて、泣いて、私の教官にもう限界なんですよ、もう「大丈夫物語」を歩きたくないんですよ、ちちは頑張っていたでしょうけども私だって頑張っていたんですよ、もう限界にいるんですよ、ずっとずっとずっとずっと頑張らない日私にはなかったんですよって言おう言おうと頭でシュミレーションしていた。この前までは平気なふりしてまた勉強始めますとか言ったのにね。私は家族の中にてもどこにいても絶対に人に気を使うことやめられないみたい。どんな人にも。どこいっても救世主。どこいってもすがりつくうぜえやろうばかりなんだよ。大嫌いな人がいる。すがりつくやろう。OOちゃんだから話せるとか言って自分ちの暗い聞きたくもねえうぜえはなしばかりしてくるやつがいる。10以上も年上のくせに私にOOちゃ〜ん助けて、あなたいなくて不安だけど発表頑張るとか言ってくる。いい加減にしてほしい。私だけで精一杯大変な状況なのにべらべらべらべら話してくる、誰もあんたの話し聞く人いないんだろうね、でもOOちゃん助けて=しかも恋愛していると勘違いしている感じ。すごくいやだ。すがりつかれるのはもうもう十分以上にされてきましたよ、私。なのに私は自傷してその人の期待に応えてしまいそうでいやなのだ。まとわりつくし、その人も私の同じ意識でいるらしく、本当に悪いけど私の世界から当分いなくなってほしい!
<1739> ぺあ ■2007年07月13日 金曜日 22時23分27秒
今日一日。今日一日だけ、自分はどう感じているのかを感じて少しだけほんの少しだけ感じて生きよう。それから心配はしない。心配はその時考えればいいよ。
 今日一日だけ。それからもう我慢したくな〜い!!!!という怒りはまた起きた時考えよ。私は頑張り屋さんだよ。そして他者と自分の線引きをしましょう。友人の助言をすべて忠実に従おうとある子にするのはやめよう。
<1738> ぺあ(FB注意) ■2007年07月13日 金曜日 22時19分14秒
もしも逃げられるならば、名の無いホームレスとして公園で生きようかな。そしたらすべての「目」から降りられるかな。降りたいな。もう降りたいな。ずっとずっと人の「目」のために生きて、人の思いばかり先読みして、人に期待を受けて、人の世界観を肯定するためだけに存在してきた。そういう生き方がどれほど私の魂を纏足してきたことか。この社会には「不審者に対して厳しい目を持っている」らしく独りでスーツで泣きながら歩けば「不審者」扱い。常に携帯で「彼氏に振られて泣いているふり」をさせないといけない。魂の逃げ場がないのだ。はっきり言えば、不審者を摘発するのはやめなって感じ。不審者の定義はなに?子供に暴行加える人?誘拐する人?不審者ではなくて、そこまで追い詰められてしまった人なんだよ、不審者は。人に優しく生きたら?ごまかさず、集団でいじめるのやめて自分の意見言えば?不審者摘発に乗り込む人たちさんよ。犯罪者も一人の人間だと考えて、対応したら?多分、ある程度生きるうえでレッテルは必要なのは分かる。
 自分のことで精一杯なのに、友人にあなたはあなたしか見えていない、もっと他者のこと考えなみたいなこと言われたり、人の話し聞きなさいとか言われたことを思い出し、自分はまず自分のことを考えて言いという基本さえなっていない私なのに、それについて罪悪感と人のこと省みない人になってしまう道を歩んでいる気がして怖くなる。
<1737> ぺあ(FB注意) ■2007年07月13日 金曜日 21時57分00秒
心が痛む一瞬がある。沢山ある。沢山沢山あるのだ。痛いのだ。過去の心の痛手だ。昔、私はあの子が私をいじめては笑うように、自分の痛みにでさえ大笑いしていたけど。そして自分の心を捻じ曲げ続けたけど。痛いのだ。本当に痛い。誰も分かってくれなかったけども、いたいいたい痛い痛い。子供が独りで居る時この痛みが今度はめっためったに暴力してやろうかという気分に転化したりする。包丁見ているときとか、祖母の後姿を見ているときとか。
どれほど悲しかったか。あの子のやったことはあの子のやったこと。私には関係なくあの子のひねくれた心で起こしたこと。私が弱かったから彼女の暴走止めてあげられなかったなんて思わないで。でも今周囲の人にあなたはいい子、彼女がおかしいって言われると、ううん、彼女はおかしくないよ、私がむしろ悪いよって思ってしまうんだ。線引きができない。どうしても手放せない。痛いいたいいたい。過去の痛みはひっそりと未だあって、今でも今でもあの時の悲しみは忘れられない。そして今でも暴力の加害者に私がなってしまいそうなほど、自傷してしまうそうなほど、今でも「恨んでいる」生々しい痛みだ。
<1736> ぺあ(FB注意) ■2007年07月13日 金曜日 21時20分04秒
親がどう思うか、姉がどう思うのかが怖い。私は親の知らない顔を持つこと、それに派生する、色んな「やりたいこと」「普通の企業で働きたくないこと」を知られたら、全うな人生ではなく、お前どこかで私の知らない世界で生きてきただろうって言われそうで怖い。今日も母に行くって言った場所行かずに、ある公園で泣いていた。泣くしかできなかった。電車の中でもういやもういい加減私十分過ぎるほど頑張りました、いつまで自分をだましだまし生きていくのよ!!!!!と心が爆発した。そしたら、パニックになってやる〜って言う感じになってしまった。もう大丈夫物語レールから降りたいって思った。そしたら、ほんとに嫌になって途中で降りて、そのまま人気のない場所で泣いた。ずっとずっとずっとずっと頑張ってきたよと今までのことを思った。泣けた。そして近所だからここで母の知り合いにあったら?母に会ったらつじつまあわせをすぐにした。こういうときは心配はどんどんでてくる。この私の怒りを通りがかりの子供は見破るだろうとか。怒りで全身が怖いオーラはなっていたりして、しかも泣いていたら人に怪しく思われて、質問されたらどうしよう。そのときはこう答えようと答えまで用意した。そしたら泣くこと、自分の思いに浸れなくなる。これが私は嫌なんだ。浸れないで、すぐに周囲とこれからおきる心配事を考え出す。こういう自分はだめだと私は思っている。
つじつまあわせ。本当はそんなこともないんだろうけど、それでも姉や母の私を見るときのぎょっとした顔を想像するだけで裏切り者で身を彼女たちの価値観の寸法に合うように削りたくなる。
 それから男の人の思いが怖い。好意をもたれたり、俺のこと好きかなという態度を取られて、そっと見られていると馬鹿にされている気がする。期待の目を私はどんな人のでも受取って、自傷、自罰をこめてその人の支配に甘んじて屈したり、私のこと好きなの、私もよ的態度を取ってしまいそうで、とにかく嫌だ。今すごく嫌な人がいる。3人ほど。お願いだから私に侵入しないでほしい。お願いだから、好きでもないのに、これ俺の最後のチャンスみたいな目で見ないで欲しい。お願いだから、OOちゃんなら分かってくれるOOちゃんだからいえるんだよとか言って、私の大変さも無視して自分の家族のことばっかり話して、私もそれに乗せられて話したけど、結構私のことは早く切り上げて、自分の悩みばっかり話して、OOちゃんだから言えるんだよとか言わないで欲しい。会いたいな〜とかメールで言われるのも本当にすごく遠まわしに好意示しているけど、どう見ても、お前は単にその年で彼女いなくて焦っているのか。それとも家族とも離れて孤独をもてあまして、話し分かってくれそう、単に聞き役、OOちゃ〜んと甘えたいだけの存在が欲しいんだろうって感じ。私も勢いに乗って、聞いてくれそうだと思って話したのが本当にまずかった。
<1735> ぺあ(FB注意) ■2007年07月13日 金曜日 12時40分07秒
辛いのに、いつも辛そうだった昨日とは別人のようにけろっとした顔をしてしまう。心さえ二重人格のように「家族への憤り」「家族、すべての人への感謝」を分裂してしまうの。ACなわけないじゃん。くらい。それでももう十分すぎるくらい何に問題があって、私がどうしてあんなに罪悪感と人を認めてあげないとと子供の頃から思っていたのか分かった。それでもこの変なまとわり付くような、依存な優しさの中で問題が見えなくなる。自分の怒りが抑圧せざるをえなくなる。もう良い子止めていいですか?怒りはとめなくていいですか?それで自分を責めなくていいですか?確かにうちの人は皆「良い人」なんでしょう。でも依存している。依存と問題を隠して生きている。そして最後は精神的におかしくなることで人に頼っている。頼らされている。もう自立したら?もう問題見たら?もう笑うの止めたら?もうすんませんすんません、人のおかげで生きております。私は良い孫とかに恵まれて幸せですとかやめたら???もう問題見ないで笑うの止めれば?????もう止めたら??もうお中元とか人への気遣いかかさないのに、一歩も家からでないで暗い顔して孫待つのやめたら?????もう私もいい加減親以外の場所見つけたらいいじゃん?それから良い人だからって怒る思いを抑えなくてもいいじゃない?良い人でも外の人がくると平気でネタにするような発言してほんと自立していないばかばっかりだ。変に大丈夫そうにしてほんとほんとほんとはこのまとわり付く優しさも何もかも「うそつき!!!」って切り裂きたい。誰も誰も誰も見ない。問題はひた隠し。本人の思いはそっちのけで、ただ人に変に思われないために生きている。この馬鹿たち。でもまた私はここに本音を書いても笑うんだろう。そして気を使うのでしょう。そしてここでの怒りはまるで「なかった」かのようにこんな「優しい」人にどうしてこんな「恵まれている」のに私ってばACなんてそんな問題ある人なんてなってんの???ありえないと思うだけなんだ。
<1734> ぺあ(FB注意) ■2007年07月13日 金曜日 12時29分39秒
昔、学校へ行くと、息がうまくできなくなった。のどにいつも何か痞えていた。家族のスキー旅行の帰って正月明けの登校日。平衡感覚なくなって、まっすぐに歩けなくなった。どうしても斜めに歩いてしまいにはふらふらになる。それでも私は学校と部活でした。やめませんでした。誰にも誰にも家族には言いませんでした。中学校時代はいつも地面が揺れていた。校舎の中も。いつもくらっときた。高校時代はいつも悪夢と金縛りと夜怯え、ラジオを常に聞いていた。クラスの人が私を変な目で見ていると思った。私は人を殺したんだってテレビの殺人ニュースを見ながら、これ私やったんだとか思い、自傷していた。ニュースの被害者の顔が夜中や一人で居る時に出てきては、お前が殺したんだって私を責め立てた。自分は本当に誰よりも汚く思えた。それから過去と今のつながりもよくわからなかった。ただいつも過去を頭の中で反芻していた。あの頃、勇気出していれば私はいじめられて身体に傷を負うこともなかったっていつも反省していた。それからどうしていじめられたのか知りたくて、自分の性格分析したり、比較したりして、私は生まれながらいじめられて当たり前の存在なんだって納得したりもしていた。
<1733> アーネスト ■2007年07月13日 金曜日 00時55分21秒
今の自分は過去の連続の総体である、という感覚がいつもない、あるいは希薄で、さみしかった。日付が変わると、昨日のことは良かったことも悪かったことも全て締め出して生きてきたように思う。でもそれはなんだか機械的で単調で、つまらなかった。良いことさえも締め出してしまうことで自分を傷つけていたとも思う。まだまだ過去に起きたことの整理が済んでいないけど、少しずつ今と過去が繋がってきた。まだ太いリンクじゃない。点線だったり、細い紐だったり、ところどころで切れていたり・・・
<1732> アーネスト ■2007年07月13日 金曜日 00時40分13秒
恐れが強すぎたとき、つまらなかった。外の世界に魅力を感じなかった。映画にしろテレビにしろ、ニュースにしろ歴史にしろとにかく外界というものへの興味がほとんどなかった。今も。でもすこしずつ毛穴が広がってくれることを今は望んでいる。アンテナがキャッチしたものを少しずつでも拾って行きたい。だってこんな気持ちになるのは、今までなかったから!!うれしい!!
<1731> まる ■2007年07月12日 木曜日 20時37分49秒
ストレス”解消”と言うからなかなか上手くいかないのかもしれない。
ストレス受け流しとか、やり過ごしと思うと何となく方法が見つかる気がする。
例えば暑さが身体的なストレスなら、解消するためには涼しくしなければならない。
エアコンのきいた部屋から車に乗って仕事や遊びも涼しい屋内で済ます?
 何だか変だ。かえって不健康になるような…

あの家族から降ってきたのは、ストレスじゃなくって、命を削る何かだったと感じるし
これは”解消”して良かったけれど。

程度の問題なんだろうなあ。
状態に応じて、受け流すことができない線に達したら、何かを変えることを考えることにしよう。
<1730> アーネスト ■2007年07月11日 水曜日 23時44分38秒
「罪悪感を持っていさえすれば許してもらえる」という信仰をずっと持ってきた。俺が悪い、俺のせい。そうやって他人の責任をかぶりさせすれば自分が許されると。本当に仕方のないことだが、それに気付くまで17年もかかった。なぜ相手の怒りがあれだけ怖かったのか。だんだんと分かってきた。
<1729> アーネスト ■2007年07月11日 水曜日 20時57分02秒
ちょっとしたことで恐れを抱きやすく、それが合理的なのかどうかも考えずに、怖がって布団をかぶる子どものようにすぐに、恐れを見るのを止めてしまう。見たいできれば見てみて、なんでもないことを確かめたいのに・・なんだか「怖がっていたい」みたいだ。
<1728> ぺあ(FB注意、憎しみの表現等多々あり) ■2007年07月11日 水曜日 13時45分20秒
いつでもいつでも「誰かの役に立つ」ことを考えている。人に良い影響を与えようとしている。行き過ぎて、「救世主」になったりする。私は自己陶酔を「救世主になった自分」にしている。未だに「救世主」「完全無欠、綺麗で心が真っ白な女」でいたい。文章かいていても、人にアドバイスしていても「誰から見ても救世主」でいる自分に「なんと美しい」って陶酔している。それから多くの男性の手の届かない「高嶺の花」の存在の私とまた自己陶酔する。社会に悪い影響を与えたくない。私の中にある「きれい」とか「汚い」とか多くの男性の憧れの的になりたいとかって何なんでしょうね。ほんとはもっとふつうでいいのだろうか。感情の高低。人のイメージががらりと変わってしまう。私の問題は今の他者との関係だな。長続きしない。人から侵入されそうでうまく距離取れない。いつも人が私だけに助けを求めたがっているという自意識過剰さ。男性が私に好意寄せているんでしょうと思う自意識過剰さ。コントロール感の欲しさ。過去の痛みと自分の怒りと恨みの感情と、今度は自分が関係のない他者をころしたくなるくらいの怒り。人からの助言に忠誠を誓って、忠実にその人を裏切らないように、その人を肯定してあげるために、その人をかわいそうだとみくびることで、それから自傷もあるかもしれないが、してしまう。またそれによって失敗したら、その人を恨む。人に自分の責任を、屈してあげてしまう。また人から支配されているようで、日常ずーっと意識する時間、その人のことを「支配から自分を逃れさせないようにするため」、その人のことを考え続けることを自分に強いる。
 今までのことを考えると、私は人と付き合うと、つくづく私には恋人ではなく、カウンセラーや私を「うんうん」と受容し、認めてくれる人が必要なのだなと思った。元気になるとすべての人を許せるし、今までの自分のAC的な生きづらさが「全く、ない」ことになってしまう、まるで今までの辛いことが「うそ」のような気分さえしてくるのだ。自助グループに行こうとしていることにも、そんな暗いとこ、何でこんな明るくて、素敵な女性で、友人もたっくさんいる、もう少しで彼氏とかできそうな私のような人がそんな「可哀想な」人たちの集まるところに行かないといけないなんて考えてたんだろう、夢でも見てたんじゃないという気分になるのだ。
<1727> ぺあ ■2007年07月11日 水曜日 13時26分07秒
 私は元気になると、今まで恨んでいた人に「あの人も大変だったんだよ」とか、「実は皆良い人なんじゃない?」「私は色んな人に支えられてきた」とものすごくすべての人に優しくなる。それから、私って女性として「素敵」すぎる。他の女性とか人=「下々のもの」(すごく周りを見下しているのだろうが)を圧倒しているほど「成功物語」歩いているヒロインの気分になったり、「不幸な人」=学生時代に交通事故で亡くなった子のこととか思い出して、余裕ある罪悪感に浸ったりする。昨日は、現実を自傷して遮断したり、自己保身しないで、ある人と本音を話せた。その人も私の過去を正当に認めてくれたので、今までほとんどなかったことだったから、自分に自信が持てたし、「認めてもらえた」って素直に思ったんだ。すごく緊張したけども、自分でも上手く話せたと思う。一昨日は緊張とその人への不信感でパニックになりそうだったけど、うまく終わったら今度はすべての人に優しくなれそうな、色んな人においしいものを買ってあげたくなったり、飲み会の誘いに乗ろうとしたりした。
 人への感情がすごく変わる。でもその人とは実は過去に関わった人たちなんだ。もう私のことを忘れていたり、その人はその人で今の生活を生きているのに、どうして私はいつまでも過去にとらわれているんだろう。現実の人、現実と向き合えないで、過去の人、過去と向き合う。現実の私は自分が思っている「自分」ではいられないからという理由もある。格好悪くて、汚くて、ひきつった笑いしか浮かべられなくて、どうしても私の目指す「かわいくてわがままな子」にはなれないからなんだ。それから、人の感情が怖いからもある。人(特に今は男性)の好意を寄せた後の私の無反応への怒りが怖い。支配からくる怒りに屈してしまいそうで、人とまだ親密に長続きさせる関係を築けない。そのくせ好意に乗じて、私も好きな感じに演技したり、自分の空想にすごく嫌なのに自傷もあるかな、その人と付き合っている図を空想して、自分に押し付けたりもする。私も人を支配したい。すごく優越感持てるし、今まで私を馬鹿にしてきた人に「私だってこんなすごい人になったんだぞ、お前ら」と現実にはいなくても、見せ付けられるから。女の子の友達にはその子を「まだまだ下ね、分かっていないよ、私より」と思い、手助けし、そのくせうまくいくと嫉妬しまくる。支配から逃れなくさせたくなって、その人の弱点をつかみたくなる。あげくに、自分の嫉妬心を抑えようとするから、お腹痛くなったりするし、未だに過去のいじめの傷がうずいて、暴力ふるえそうな場面で怒りで後ろから突き落としたくなったりもする。過去のいじめの傷がうずく、のに私は昔この傷を嗤っていた。悲しいことってそのときは何でもなくとも、ずーっと痛み、今度は自分が人に暴力する力に転化して、初めて大きく傷ついていたんだって分かる。まずは正当に認めることから始めたい。
<1726> アーネスト ■2007年07月11日 水曜日 00時19分52秒
恐れについて。(FB注意)

恐れていることの一つについて書きます。しんどいけど。 僕は「暗いヤツ」と思われることを昔から現在までものすごく恐れています。それは中学の時に通っていた塾の教師に「お前は暗い」と言われてそれがすごくショックだったから。もうね、その時から恐れが上手くだせないんだ。こんな場所で、こんなことで恐れるのは変かな?とか思って。そこらへんの機微は上手く思い出せないけど・・・その塾はふつうの家屋を教室に使っているところで教室がすごく狭かった。その教室には12人くらいの生徒がいて、みんなの前でそう言われた。もともとその人のことを恐れていたから、っていうのもあるんだけど、とにかくその教師だけじゃなくて、そこにいた生徒全員から「暗いヤツ」って思われたような気がして、全員からからかわれた気がしてね・・・今思えば、どう考えてもそれは僕の考えすぎで、そこにいる仲間は優しかったし、そういうことで僕をからかったりするような子はいなかったんだけど・・ああいう密閉した空間でそういうことが起こって、なんか「共有されている」感じがあって・・・とにかくね、そのときからだが固まっちゃう感じして・・・もちろん何もいえない。同じクラスで、同じように「暗い」って言ってくるやつがいてでもそいつは後で、フォローしてくれて「あ、冗談なんだ」って思えたけど。

とにかく「暗いヤツ=お荷物、迷惑かけてるヤツ、愚鈍で緞帳で反応が鈍いヤツ」っていうイメージをもっちゃった。明るくてハキハキして活舌が良くて・・そういう人を好いているような気がしたんだよね。あの先生は。

とにかくそういうことで保身的な生き方をしてきてしまった。ACのことを知り、自分の過去を振り返ったとき、「ああ俺ってこんなに人の目を気にして生きてきたんだ」って気付いて「格好悪い」って責めたけど、やっぱりその当時は本当に必死だった。切実だった。何を恐れているかわからないけど、恐れの感情があるということがとにかく怖かった。
<1725> ぺあ ■2007年07月10日 火曜日 21時20分18秒
元気になったり、不安で周りの人がどう思うのか恐怖に陥ったり、怒りでどうしようもなくなったりくるくる変わります。今私は元気です。
<1724> ぺあ ■2007年07月10日 火曜日 21時14分11秒
もしもいじめられていなかったら、私はどうなっていただろうと考えてみた。それでもこの家庭の中で苦しんだだろうな。でもいじめられていなければ、エネルギーがもっとあり、もしかしたら、この家から出て、ドロップアウトしていただろうなと思った。でも、やっぱり私はそのもしも・・・の仮定の話しを思うのは怖い。私には昔から、「良いことあれば悪いことあり・・」という幼稚園の先生の言った言葉がこびりついていたから。私はいつもこの話しを元に現実を物語化させて、受入れていったと思う。
私は家族の中で「いつも疲れきって、世の中頑張って生きるべし、大人の生活は辛いもの」ということを多くの人の中で学んだ。だから、世の中皆不幸な人だらけに見えることが多い。私は寸前のところで最も忌み嫌われる存在にならずに済んだ〜という冷や冷や感がなぜかいつもある。いじめられたから、頑張ったご褒美にそうならなかったとか、何か筋道を勝手に立ててしまうのだ。
 今、素直に幸せな人を見ると、勇気づけられる。でも私の心は未だに「不幸な人」と比較し、私なんて幸せなほうと思う。そして幸せに怯え続ける所はあるね。
<1723> ぺあ ■2007年07月10日 火曜日 08時39分04秒
ここのサイトの『回復のモデル』を読んでいても、私はそれを私自身の問題として捉えられない。父の問題として捉えてしまう。ああ、彼は「良い子」をあの祖父の「良い学校、良い企業、男は仕事をして妻子を養うのは当然、男は強くあって当たり前だ、弱いのは負け犬」というメッセージを内面化していったのだろうと目に浮かぶ。
父と私と比較したら間違いなく父の方が大変だったんじゃないかと思ってしまう。でも私は私で私は父ではない!私の問題として捉えたい。
 
<1722> ぺあ ■2007年07月10日 火曜日 01時38分04秒
人が怖い。人に批判されるのが怖い。それから弱そうな人を見ると、私は常にその人の「保護者役」「他者なら見捨てても私は何でも受入れ、うんうん分かってあげる役」をしてしまう。そして他者の思うとおりの自分をしてしまう。他者を持ち上げないと、私はその人から怒りを持たれる、憎まれる。また他者は弱くもろいから、他者の世界観を否定するとその人が崩れて、その人の持つ器がバリンと割れるだろうから。
人からレッテルにせめぎ合わされて、本当の心を他者のためになくして、そのレッテル通りの方向にいってしまう。この怖さをどうにかできないかな。他者の世界観、から外れた自分を持っても、他者は崩れたり、怒りと憎しみを私にぶつけたり、恨まない分かるようになって、本当の意味で他者と線を引いて、普通に生きられるかな。いつまで我慢し続けるの!!私は。いつまで頑張り続けたら気が済むの!!!!どこまで行けばいいのよ!!!!頑張り続けた。頑張り続けた。好きでもねえ奴でもそいつの思い通りに自分を作って、その人の思うとおりにしてやったんだよ!!!!好きでもない奴の誘いに乗るようなもんで、屈辱なのに屈してしまう。そして私は人に責任を持ってしまう。何でも責任を負わされる。あんたはずるいと・・・まだ怖い。単なるからかいでも人からのからかいは私は嫌なんだ、その人を信頼できない。あんまりどうにか信頼できない人に素直な思いを言う必要あるか?大丈夫。そうは言っても、その場で適当に気持ちを縛らないで、流されればきっと見えるから。
<1721> ぺあ ■2007年07月10日 火曜日 01時27分32秒
表の顔と裏の顔持たざるを得ない人の気持ちが私はよく分かる。
この世の中で、真に味方や、自分が一人で立つことを応援し、その為に必要な
ことを伝えてくれる人がいないと、この世は生き難いでしょう。
 私は大学時代、家族の中に居る時、私の領域を侵されるような、もたれあいをするような、私の自立を応援してくれなさそうな、問題あってもそれを見抜く目を汚されるような、過去の訳の分からない状況を水に流すような、なあなあな仲良しさがあった。決して問題を皆で超えたり、協力しあったりするのではなく。隠し合い、格好つけ合い、クラスの中で笑いあうような。かっこつけが家族の人もあるのだろうし、私もそうせざるを得ない、というか自分の性格からも助長してしまう。家族の中で一騒ぎした後、夜、私ふっと思ったことがあった。夜の静かな時間、一人部屋に入った時、やっと子育てタイムが終わって、子供から解放された母親のような気分で「やっと落ち着ける」って思ったことがあった。何か、いつも私は親を肯定しないといけない存在だったんだ。逆転親子ですか?それから母と父のとげとげした雰囲気を和らげたり、母を守ろうとしたり、母の気持ちになったり、あの間に入って、どちらの思いも分かろうとする特有のどきどき不安感。私には十分学校のいじめでへたへただったのに、どこでもカウンセラー兼笑わせ役か。未熟者として扱われるのに、何か頼られる、半分依存されるのが、家族の中、そして小学校時代、中学校時代も含めた私でした。

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This script written by Shintaro Wakayama.