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私たちの物語 - 心の持ち方・感情・過去ログ No.42
メッセージ数:840件

<840> 豆だいふく ■2005年03月29日 火曜日 23時25分43秒
これはあくまでも今現在の私の考えなんだけど、「怒り」という感情は自分にとってとても大切な感情の1つだと思う。今までは「怒り」というと他人を攻撃したりとか全く「負の存在」でしかなかった。(それは悪いお手本しか見ていなかったからだと思う)だから「怒り」を感じることすら罪悪感を感じていた。(といいながら大暴れしていましたが・・・)
でも最近思うのはなぜ自分は「この問題」に「怒り」を感じるのか、ここまで拘ってしまうのかを追求することが大切なのではないかと思う。う〜ん、自分の中の問題点を探し出すための道具?みたいな。そう考えると「怒り」というものは全て「自分の問題」であってどう処理するかも自分の責任になるのだと思うんだ。(勿論こだわる原因を私の中に作ったことは誰かさん達に責任があると思うけど) そうすると他人の「怒り」や「怒りの処理の仕方」に対しては私には全く責任は無いことにもなる。「怒りの処理の仕方の選択の責任は常に選択者に帰属する」ってことかいな。う〜ん、気を付けなければ・・・。要するにどんなことでもどんな世界でも自分のしたことの責任は自分で負わなければならないってことかしら。(ヤバイよ、今まで悪いことし過ぎたよ。)こんなん出ましたけど。(これまた古っ!)
<839> アーネスト ■2005年03月29日 火曜日 22時27分02秒
とりあえず悔恨や罪責感,煩悶から逃れるための一つの方法として,21歳の時に起こった出来事の,すべてに自分の責任があるというわけではないことを知ることだろう。そのためには過去に親から受け継いだ不健全な行動をよく把握し,「あぁだったらしょうがなかったんだ」と思えるようにすることだと思う。
<838> アーネスト ■2005年03月29日 火曜日 21時42分51秒
母が亡くなったことで,その死を忘れるために努力した。だから母にされて嫌だったことも一緒に忘れてしまったのだろう。つまり,過去に抑圧してきたものを,母の死と共に,もう一回抑圧しなきゃだった。二重に抑圧されている。1、2月で出てきた怒りの感情はどちらかというと,漠然としていた。誰にされた事なのか,とかイツ頃の話しなのか?とか。でも今,感じている怒りと不快感は,明らかに母に向けたものだし,具体的な時期も大体わかる。そして,ここ最近では一番,でかい怒りだ。春休みの最後になって,再び大きな気付きができたのは本当によかった。
<837> アーネスト ■2005年03月29日 火曜日 21時27分21秒
ACからの回復は,過去の傷を癒すだけじゃなく,その過程で今まで表現できなかった感情の表現の仕方を覚えることだと考えている。そしてそれは僕にとっては「怒り」だった。10歳ぐらいで親に反抗することを止めてから自分は,どんな時に怒ればいいのかわからなくなった。そもそも怒りという感情がよくわからなくなってしまっていた。長い間親の理不尽な仕打ちに耐えているうちに何に対して怒ればよいかわからなくなった。それがようやくできるようになってきた。怒り方を修得すれば,他人の癇癪にも寛容になれるかな。

怒りというと自分は学生運動とか,デモとかそういうイメージを持ってきた。つまり怒ることイコール,プロテストだと思っていた。でもどうやら違うらしい。本当に政治やらシステムやら巨大な組織に立ち向かうには,大勢でプロテストする必要があるのだろう。でも違う。怒り=攻撃、闘争ではないのだ,と今はなんとなく思える。怒りは他の感情と同じように,そこに何かメッセージ性があるものではなく,単なる自然な感情の表出に過ぎないのではないか?今はそう考えている。

昔から誰かが怒るのが怖かった。でも,前述したことを踏まえれば,耐性ができてくるのかもしれない。そう願いたい。
<836> NAC NAC ■2005年03月29日 火曜日 17時33分14秒
先にボディーダメージを読んでもらうと早いが、まず先日の埼玉大会の結果(125も250もそれぞれ10位前後)について言い訳させてもらう(いつも言い分けする奴を屁たれ呼ばわりしている私であるが・・・)。
その前の週、栃木で練習中私は前転くらって、「もう1回転んだら確実に肋骨折れるだろう。長いシーズンを考えたらここは無理せずポイント取れれば御の字だ」
で迎えた埼玉大会。
そして結果はその通りとなったが、体が痛いことを理由に腰退いている自分が情けなくなったし、仮に自分が五体満足だったとしても、下手糞と練習不足でトップのスピードには付いていけなかっただろう。
もちろんこれが最終戦だったら私は骨折お構いなしで行くところであるが、「今年は(少なくとも)3勝してチャンピオン、そして国際B級昇格」と目標があるので、我慢するところはしなければいけない。
次のレース(4月中旬)までに私は体を整え、この悔しさはその時晴らす。

次に繋がらない言い訳は自己弁護にしか過ぎない。レースは結果が全てだ。
<835> アーネスト ■2005年03月29日 火曜日 14時36分49秒
自分の癖。「自分が完璧でない限り,人に意見を言ってはいけない」。
これは特に大学の部活で顕著に出てしまった。初めての慣れない球技で,しかもチーム運営まで任されてしまって,その時に前述した言葉を何回も使っていた。自分が上手くない限り,自分は人に意見を言う資格がない。完全にパワーゲームの思想だった。考えるだけで身の毛がよだつ。自分はなんて無意味な思想を持っていたのだろうって。結局この考えが首を締めて,上達を遅め退部にまで自分を追い込んでしまった。でも,今はその間違いがわかってかえってすっきりしている。
<834> アーネスト ■2005年03月29日 火曜日 14時24分45秒
ほんの2日くらい前まで自分の悩み(感情の囚われ)は「兄と仲良くしたい(兄をコントロールしたい)だった。でもある本で学んだように,他人の問題から自分の問題に目を向けるようにしてみたら今朝、母に対する怒りがまた出てきた。どういう仕組みなのかよくわからないが,他人の問題に目がいっている時こそ,自分の場合,気付きが来るらしい。もしくは他人に過剰に反応するということは,自分に何か問題があるのかもしれない。

あと,もう一つ,気付きというか疑問が出てきた。「人は何かを訴えるために怒るのだろうか?」ということだった。例えば,周りの人なりモノなりに不満があって,それを変えるために怒りをぶつけるのだろうか?ということだ。なぜそんなことを思ったかというと,今朝自分が怒った時と,そして兄がモノに当たる時との様子を比べてみたのだ。自分は過去の母親の仕打ちに対して怒った。それは相手を変えるという意図ではなく,単に発散したかっただけだ。翻って兄はどうだろうか?もし本当に私に不満が(モノに当たるほど強い不満があるのなら)私に口で訴えるだろう。それは私としたって同じことだ。

今日も含めて2月くらいから自分は怒りの感情を非常に大切にしている。可能な限り,そして人に迷惑を与えない限りにおいて発散するように努めている。そしてだんだんわかってきた。自分自身が「怒る」とはどんな行為なのかが分かってきたから,他人の怒りにもそれほど反応しなくなった。前は他人がモノに当たるのが自分のせいだと思っていた。でも違うらしい。ここまでの経験で怒りというものはごく個人的なもので,そこに何か主張があるとかそういうものではいらしい,ということが分かってきた。
<833> 豆だいふく ■2005年03月29日 火曜日 09時17分34秒
私は昔からどちらかというと「しなければならないこと」より「したいこと」しかやって来なかった。その言い訳として「私はこんなに苦労して辛いんだから・・・」というのがあったのだと思う。それをハッキリ指摘したのは義母だった。「悔しかったら努力するのが強さでしょ」って言われた。その言葉が物凄く痛かった。でもそれは図星だった。それは他人の評価を気にしているだけではできない強さだと思うから。
<832> アーネスト ■2005年03月28日 月曜日 22時53分15秒
母の死、大学の部活の退部。この2つの大きな出来事の後で感情を抑圧して何も感じないようにしてきた。だから今向き合っている感情って大学入学前に近いかな。もしくは中学卒業後くらいかな。
<831> アーネスト ■2005年03月28日 月曜日 22時20分06秒
どこまでが自分の欲求で,どこからが他人の欲求なんだろう?
親は私に何を期待したのだろう?オリジナルの私は一体どこにいるんだろう?
分からない。衷心という言葉に憧れる。自分の芯・核から出てくるメッセージが欲しい
<830> 梁 ■2005年03月28日 月曜日 15時30分55秒
自分の状態は最悪なやつだと思った
もう、何も言えない、
<829> 豆だいふく ■2005年03月27日 日曜日 20時48分28秒
義母へ
前略
毎回のように「○○ちゃんは△型よね?」って聞くのやめてください。
もう何十回も「私は繊細な△型です」と答えているはずです。そして「その度に「え〜!本当に?信じられないわ〜」って言うのも止めてください。
それも何十回も聞いています。一体何がおっしゃりたいのでしょうか??
教えてください。
                              草々
そしてそんな些細なことに目くじらを立てている自分を「ちっちぇーなー」と思うのであります。
<828> アーネスト ■2005年03月27日 日曜日 16時41分27秒
なるべく自分を追い詰めないように時間的にも,体力的にも余裕のあるスケジュールを立てているつもりだ。それでも,時々余裕がなくなって不安になる。鬱になる前のモーレツモードになびいてしまいたい自分がいる。落ち着こう。
<827> バス ■2005年03月26日 土曜日 21時21分03秒
だいじょぶだろ、まさかでしょ
<826> ward ■2005年03月26日 土曜日 21時15分09秒
だからcpuまで無理やり作って生きていくのはやめようと思った。
<825> アーネスト ■2005年03月26日 土曜日 20時44分49秒
21歳で,とある出来事が起きるまで「悩む」という行為がほとんどなかったように思える。高校は別にして中学はほとんど記憶がない。「辛かったけど充実していた」とか「下らないことで悩んだものだ」とかそういった記憶がない。多分、自分と向き合うことが無かったからだと思う。カウンセラーの言うように,今が一番濃い時期なのかなぁ。はー早く思春期が終わって欲しい。
<824> 豆だいふく ■2005年03月26日 土曜日 12時38分27秒
「回復」ってホント上がったり下がったり。苦しいけど下がった時が勝負ドコロって感じなのかな??「気づき」があると苦しいこともあるけど、「気づき」が無いと先には進めないんだわこれがまた。周りは気にせず自分のペースを守ることが大切だあね。力を抜いて上手に波乗りできるようになりてえもんだ。ね、豆ぞう君。
<823> こくーん ■2005年03月26日 土曜日 04時19分39秒
失敗したこと、人に笑われたこと、ばかり妙に記憶がクリアな自分が嫌だ。
保育園の発表で、声がひっくり返っちゃった、とか。小学校3年生の音楽の合唱で、間奏から歌に入るところを1人間違えた…とか数えだしたらキリがない。そしてまた、打たれ弱い自分!
『忘れるというのは人間にとって必要なこと』だというのなら、こういう記憶の方を先に忘れたい。
<822> だりあ ■2005年03月26日 土曜日 00時19分28秒
何か酷い事、傷付いた事をいわれても、すぐには反応出来ない私がいる。とりあえず、勝手に心がシャットアウトするのです。そして、落ち着いて、考えて、また傷付く自分がいるのです。そうしてさらに深く刻まれた傷に目隠しして生きて行くのです。今はそれを出さないといけない。だからゆっくりと考えているけど、思い出すたびにまた傷付くのね。どうしてこんなに辛いのかな。みんな傷付いてるっていうけど、身体や心に出ない人はわからないよね。私もわからなかった。でもわからないでよかったのに。どうしてこうなったのか、神か誰かに訪ねてみる。私はそんなに悪い事をしたのだろうか。過去や前世に向かって。
<821> アーネスト ■2005年03月25日 金曜日 23時30分15秒
誰に対しても公平・公正でありたいと思う。が,組織の中で奔放に振る舞っていて,かつ憎まれない性格の人(某野球選手みたいな人)を見ると,批判がましい目つきで見てしまう。そしてそのことに怯えている(視線恐怖)。明らかにおかしい。自分が取っている行動を見ている,もう1人の自分がいる,という時点で内省的過ぎる。かつて家庭の秩序を守ろう守ろうとしていたから,少々我がままな人に対してさえ寛容になれない。「クリスマスキャロル」のスクルージ爺さんみたいな人なのかな,自分は?って思う。もっと寛容になりたい。誰かが「自分に自信がついていくれば他人に寛容になれるよ」って言ってた。本当は誰よりも目立ったり,注目を引きたい私だが,我の強い人,押し付けがましい人と話していると胸糞悪くなる。境界が,こういう人達に対しては免疫がない。

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This script written by Shintaro Wakayama.