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私たちの物語 - 心の持ち方・感情・過去ログ No.27
メッセージ数:540件

<540> 湧き水 ■2004年10月15日 金曜日 12時41分32秒
なんてことだ・・・
ずっと被害を受けていたと思ってて、もう支配されたくないから一方的に別れを告げ、逃げてきたのに・・・
気がついてしまった・・・
最初は、私が支配しようとしたのだ・・・いつの間にか形勢逆転されてたなんて・・・
起因は私だ・・・私も加害者なのだ・・・ショックだ・・・でも、事実だと心が言ってる。
素直に認めてる。

まだ、会うには危険すぎる。
奴のパワーは強烈だ。

いつか、謝れるだろうか。

<539> まる ■2004年10月14日 木曜日 23時12分35秒
 禁止はいや。
引き受けてほしいんじゃない。支えてほしいんじゃない。
 分かってくれたらいい。それだけでいい。
 私にもそれしかできないよ。

情緒を押し殺してなきゃ、泣かずに居ることなんて、できない。
 情熱も、死んじゃうのよ。熱い想いも。共感も。

だから、禁止しないで。
<538> chinapom ■2004年10月14日 木曜日 19時29分11秒
体中が痛い・・・。
私の中の子供、こんなに苦しんでいたの・・・。
窒息しそうです・・・。
どうやってあなたを育てていけばいいの・・・。
大人の私は無力すぎる・・・・。
<537> キーコ ■2004年10月14日 木曜日 16時09分37秒
わたしのうちには、まだまだ気づいていない、色々な感情がある。
でも、あまりにも自分の思惑と違っていたので、今日 カウンセリングを受けて、おどろいた。
・・・・ほんとうに、オドロイタ。
<536> まる ■2004年10月14日 木曜日 12時42分38秒
 微笑みながら、泣いてしまいました。

マスクの固定が幼い頃からの癖で、一人の人、ひとつの顔。顔に付随しない感情は、自分自身、その場では分からない。何か伝えたいことが、あるような気がする。そんな靄を感じるだけで。

 接点のない場での多重生活しかしていなかったことと、感情のお仕着せが原因だろうなあ、マスク間の自由度をあげたいし、時には素顔で居たい。とは思っても、その必要を切実に感じたことがなく、多面性をもてあまし気味にいたのだけれど...。

 話の可愛らしさに微笑み、ままならない現実を悲しんで涙。なにも、一度に両方表現することもないでしょうに。勝手に溢れてしまった。

 心を強く、深く揺すぶられるのって、心地よい。
<535> chinapom ■2004年10月13日 水曜日 23時24分29秒
インナーチャイルドに会えないまま、寂しい、虚しい、っていう叫び声だけが心に充満して、今は窒息寸前です・・・。
身体の芯を締め付けるような痛みを感じて、息も絶え絶えです・・・。
これを経験しないとだめなんでしょうか・・・?
痛いです・・・・・。
<534> ゆうこ ■2004年10月13日 水曜日 12時35分10秒
さびしい。でも、依存しなくなってきてるのよね。これは、依存じゃないのよね?気持を表現してばかりいると、また、それか、って言われるのが悲しい。全部分ってもらうのは無理だわね。漫画ばっかり読んでないし 人の言葉に左右されちゃうな… でも、希望はいつもここにあるようになった。前みたいに、絶望したりはしない。神様、見ていてくれてるのね。見ていてね。私、望むから、与えてね。愛するから、愛してね。諦めないから、与えてね。
<533> いろは ■2004年10月12日 火曜日 19時46分41秒
私は、以前のひきこもりの私では、なくなったと思ってる。
たまに落ち込むこともあるけれど、自分の足で立てるようになってきたと
実感している。大好きだった空想の世界にいける魔法の毛布も登場する機会
かなり減ってきている。
自己肯定感が高まってきたのか、自分を素直に受けとめられることが
増えてきた。実生活では、人との関わりが少しずつ持てるようになってきている。
今、恐れていることはうぬぼれと自己肯定との境界線だ。
自分の怖れを隠すための攻撃的な部分は削除されたと思うのだけれど、
行きすぎには、気をつけたいと思うと言葉がなかなかでてこない。
そして思いが言葉にならないフラストレーションを感じている。
言葉がでればこれは、クリアしたことになるのだろうか?
今、回復の螺旋階段を踏み外さないように一歩一歩登っている。

<532> Kitten ■2004年10月11日 月曜日 23時36分48秒
女の人って怖い。表面的にはいいふうを装ってっても、裏で何考えてるか分からない。ぼろくそに人の事を思ってたりして・・。
 男性と女性だったら、なぜか女性の方がよく言えば演じれる、裏腹な態度がとれる。そういうタイプの人は苦手。自分を無理させたくない、いい距離感を保っておこう。同性ながらなんか怖いよ、ある意味ものすごく。。
<531> シャローナ ■2004年10月11日 月曜日 13時33分51秒
自分が何かの拍子に出てきてしまうこいうことが何か恐ろしい
何かに覆われてしまう・・・これが恥なんだろうと思うけど
誰かに何か指摘されなくとも、誰も見ていなくても同じ
この頃そういうのがわかってきた 当たり前だったんだこういうの
いつもそういう自分が出てこないように抑えているんだろう 私って
固く縛り付けていないと出てきちゃうんだよね自分
そうし続けていると窒息して死にそうなんだよね自分
<530> tune ■2004年10月10日 日曜日 23時17分45秒
幼い頃産みの母は、自営の会社の人間と幼い私を連れて、浮気をしました。
離婚して父親に引き取られましたが、寂しい思いもしましたし、大人がうそつくのだから別にうそはいいものと思って生きてきました。心も自然と大人になることを拒否してきました。いまはカウンセリングを受けながら、自営の会社で働いていますが、まだその浮気相手はひょうひょうと働いています。つらいです。フラッシュバックの様に脳にその時の光景がよみがえります。早く独立して生きていこうと、勉強中です。
<529> 真名 ■2004年10月09日 土曜日 20時03分26秒
けっこう人づき合いいい方だし、人当たりもよい方だと思う。
でも、なんか疲れちゃったよ。
たまに休みたいときがある。
人と話せないのはさみしいくせに、ちょっと離れて一人になりたいときがある。
自分の心の中は、たぶん自分がいちばんわかるよ。
今までは、自分以外の誰かにわかってもらおうとしすぎたんじゃないか?
本当は、自分がいちばんよく知っている。
ちょっとしたことで悲しくなるような、自分のことも。
<528> キーコ ■2004年10月08日 金曜日 14時01分18秒
きょう、クリニックへ行ってきた。
自分の気持ちを話して、丁寧に聴いてもらったので 良かった。
自分の罹っている病気について、気になることがあったので、質問したら『エッ!』て答が返ってきた。
すごく、違和感があって、それを受け付けない自分の心持がすごくよく分かった。
一息いれてから、調べてみると わたしが思い違いをしていた事が、よく分かって、やっと納得できた。
いつも、そうなんだけれど『エッ!』という急所にさわられると、直ぐに過敏反応がでて、もうダメだ・状態に陥る。
拘りが強いとか、感受性が豊か・・いろんな事を言われると、こういう風になるから、とても生きつらい。
なぜ、心の振幅の幅が大きいのだろう。
<527> 湧き水 ■2004年10月08日 金曜日 09時41分15秒
夕方が嫌い。理由は分からないけどとにかく嫌い。

具体的には・・・だんだん陽が落ちていって、部屋が暗くなってきて、とうとう蛍光灯をつけなくちゃいけなくなる・・・というのが嫌い。
寂しい。一日が終わるという焦り。ご飯を作らなくちゃ。
遊んでたり、仕事してたり、旅行してたりの時は全然平気。
家にいるときは逃げる。いたたまれない。買い物とかしてごまかす。
夕方に家に居る事・・・何かあるのかな・・・?考えすぎか・・・
<526> 海龍 ■2004年10月07日 木曜日 11時38分38秒
“自惚れ屋”になりたくなくて
自分を厳しく監視していた気がする。今も、そう。
「たかがそんなの」「たいしたことない」
そう言われるのが怖くて
言われる前に自分でそう思うようにした。
自分に自信がない。何をやっても満足できない。
そんな自分が嫌で、なるべく肯定するようにした。
一時、自惚れ屋になったとしてもそれもよし。
徐々に直していけばいいこと。。って思った。
でも。。でも。。自分で自分が許せない。嫌悪する。
人の評価が気になるんだ。
自分の判断だけでは信じられない。
受け入れられない。
自分が人に影響を与えてると思うことは
いけないことだろうか。
それはやはり自惚れなのかな。
苦しい。
<525> キーコ ■2004年10月07日 木曜日 11時17分37秒
「自己肯定」、しなくっちゃ!・・・と、やっきになっているわけでもないのに、
なんだかポジティブな言葉が、わりとポンポン浮かんできます。
いったい、自分がどうなっているのか分からないけれど、それが 人間てモノかもしれない。
「よく、分からない?まま」に、放っておくのも、案外大事かも・・。
<524> シャローナ ■2004年10月06日 水曜日 22時43分30秒
わかってくれない まるで赤子がのた打ち回って叫ぶような感じ
いったいどこから来るんだろ
でもそれを原動力にしてしまうといつまでもかなわない夢を
無謀なまでにも追い求めることになるのかな
それってそれほどめずらしいものなんだろうか
むしろそれが認められずにないがしろにされた結果なんじゃないのか
ムリに消そうとしたりどうにかしなくちゃというよりも
恥に思わずただわかってくれないって思いがあるのって思ったほうが楽かな
<523> さほ ■2004年10月06日 水曜日 17時07分57秒
他人の目がどうしてこんなに気になるんだろう。
自分がそれでいいと思ったことに自信がもてない。
できるだけ、周りを見ないことにしよう。

他人を持ち上げることばかりしなくてもいいんだ。
自分を落とすことばかりしなくてもいいんだ。
普通に会話すればいいんだけど、何を話していいのか、頭が真っ白になってしまう。
でも、これも本当の私。
取り繕わなくてもいいんだ。
<522> 湧き水 ■2004年10月06日 水曜日 13時15分37秒
私は「勝ち」「負け」の中で生きてるようだ。「人生は勝ち負けだ」と言った人がいる。その通りだと思ってた。
最近の私は、すれ違う人にまで罵声を浴びせかけている。
私より「負け」の人には嫌悪感を感じ、「勝ち」の人には劣等感を感じる。
母を認めることは私にとって「負け」に等しい。
負けるのは嫌だ、嫌だ、嫌だ。

しかし「勝ち」「負け」の基準は明らかに母の価値観から来たものだ。
服装、容姿、学歴、職種、生活レベル・・・
「普通の生活」「普通の仕事」「普通の結婚」
もう、うんざりだなあ・・・

<521> シャローナ ■2004年10月05日 火曜日 21時37分50秒
感謝ということを私は歪んで覚えてしまっているのかもしれない
何かをしてもらって感謝する それはわかるのだが
つい何か裏があるとか何かを要求されていると思って素直になれないことがある
それとなんかありがとうということは屈服するように感じる時もある
あと罪悪感と感謝することがごちゃまぜになってもいる
わるいわぁ〜と感謝することも多々あるし これがあまり好きじゃないのもある
日々感謝の気持ちを・・・というようなことを心の平和の為にとも思うが
この場合の感謝はこういういろんな感謝とはまた違う境地なんだろうか

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This script written by Shintaro Wakayama.