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私たちの物語 - 心の持ち方・感情・過去ログ No.13
メッセージ数:260件

<260> NAC NAC ■2004年03月12日 金曜日 08時23分26秒
この前の日曜、地元の音楽会館(「箱もの」建設が好きな前市長の負の遺産。700人収容で建物はご立派だが、維持費が高く税金の無駄使いで市民から非難ブーブー)に、元常総学院野球部監督の木内氏が講演(聴収料無料)に来られた。
この前Aのつまらない話に付き合って寺尾関の講演を聴けなかった私は、「今度こそ」と、Aや遊び仲間との接触を避けて、時間通りに会場に向かった。
先着700名ということで、会場13:30(開演14:00)に会場に着いた私は駐車場に空きがあるのに驚いた。
事前の私の予想では「名前が全国区の木内監督だから、さぞかし近隣の野球部関係で300人くらい埋まってしまうのではないか? どこに路駐しようかな?」と思っていたからだ。
そしていざ会場に入ったら整理券を配られ、私の番号は415番だった。
そのあともチョコチョコ観衆が入ってきてトータルで500名入ったか否かという入りようで、客の構成はおじちゃん・おばちゃんが殆どで若い人はまばらだったし、一見して野球小僧とわかるような野郎供も皆無であった。
今回の講演はビデオ録画されていたので、たぶん後日市内の各学校とかに配られるであろうから、それで野球小僧の姿が見えなかったのだろう。
そして2時間、私は一番後ろの高い席で木内監督の講演を最後まで聴いた。
唯一無駄だったのは前振りで、なぜか某県会議員Bが混じっていって、一席ぶって言った。
ほんと政治家はでしゃばりで、人の集まるところに好んでやってくる。
皆はどうか知らないが、私は木内監督の話を聴きに来たのだ。
講演の垂れ幕の演目にもそう書いてある。
どこを見たって「Bも喋りますよ」とは一言も書いていない。
なのに、何で聴きたくもない「人気取りが目当ての」Bの話を、私は聴かされなければいけないのか?
私が総会屋なら大声をあげて、Bに「即刻退陣」を強制させるだろう。
ほんと政治家とは困った生き物だ。
でもBの話は10分とかからなかったので、私の怒りはさほどでもなかった。
他に2,3人関係者の話があって、ようやく木内監督の話だ。

つづく
<259> 太郎 ■2004年03月11日 木曜日 08時03分52秒
前の家に住んでいた町は最悪だった。ねずみの鳴き声、走る音が絶えず聞こえ、両親の喧嘩は毎日続くし、将来の事も考える余裕なんかなかった。それを親は罵倒しつづけた。それを許すことなんかできるわけがない。
<258> シャローナ ■2004年03月10日 水曜日 23時25分50秒
トラウマ思い出して、その時の私に触れようとしてもなかなか触れられない。
弱々しくて、無様で、惨めで、情けなくて、かっこ悪くて、何もできなくて、価値のないようなその時の私を嫌って避けている自分に気づいた。
そんなことしちゃいけないって思って、私はそんなことしないって思っていたけど実はそういう気持ちがあった。
そうやってムリに隠そうとするから、結局いつまでも自分を知らないうちに責めたり罰したり無視したり避けようとしたりするんだろうか。
確かに私は自分の弱さを嫌ってるところがある。
今度はそれに触れてみようか。
<257> masa ■2004年03月09日 火曜日 21時25分17秒
人の幸福より不幸に反応してしまうのはどういうことだろう。うれしさや幸福感より、むなしさや無力感のほうに親しみを感じてしまうのはどういうことだろう。そっちのほうがなじみある感情。当たり前のように心に住み着いた生き物のような気がする。疲れやストレスはわかっても、リラックスやストレス解消がわからないのはなぜだろう・・・。
<256> とら ■2004年03月09日 火曜日 07時36分10秒
罪悪感。親に頼らないことにそう感じてしまう。自分で判断する、行動するって悪いことじゃない。でも、どっか責めてる。もういいんだよ。責めなくて。
自分のフィーリングのまま、やっていいんだよ。もう小さくないんだから。
力があるんだから。感情を抑えず、ぐいぐい行こうよ。それでいい。
<255> 太郎 ■2004年03月08日 月曜日 21時40分09秒
また、嫌な感情がでてきた。受け止めることができない。昔のことを思い出すとノンストップでとまらない。
<254> およよ ■2004年03月08日 月曜日 00時21分36秒
私を平気でいじめ続けた人たち。何故にそんな酷い人たちに、今まで怒りが出なかったのだろうか。今過去の怒りが出始めている。それが辛い。何故に、私が愛する人が、私をいじめるの。もっとも愛したいと思っている人が私をいじめの対象にして、それに依存している。今その関係がみんな壊れる。一つの関係が壊れたら、もう一つの関係も壊れる。そして、その人たちが、どんなに、平気に嘘をつくか、どんなに平気に自分を偽って見せているか、そして、どんなに平気にへつらうか。やっと、私は見抜けるようになった。哀しいけれど、
愛するに値しない人達から、分かれるんだ。と誰かが私にささやいている。もう、自分を傷つけてはいけない。もう、さよならだといっている。
<253> りりー ■2004年03月04日 木曜日 23時15分12秒
涌き出た感情で抑えきれず、自分で恐れているのが「怒り」です。
これが出ると人間関係も上手くいかないし…。
抑えこめば抑えこむほど、自分がわからなくなる。
対人関係で怒りが出ると同時に泣きじゃくりたくなる。
私は怒っているのに、チャイルドは泣いているの?
「怒り」の何層もの奥に閉じ込められたインナーチャイルドがいるんかな。
<252> バンビ ■2004年03月04日 木曜日 10時12分04秒
今日は朝からブルーな気分になっていた。昨日会社で言われたほんの些細な言葉だけれど1日頭から離れない。本人は別に気にしてないにしろうさばらしに私にあたるのはやめてほしい。
このところ突然気持ち的に感情がこみ上げてくる時がありたまらなくなる。
ACであることを旦那に打ち明けたいという気持ちと打ち明けても解ってはもらえないだろうという気持ちが心の中で葛藤している。
打ち明けても多分自分の考えを言ったり押し付けたりせずに黙って私の話を聞いてくれるだろうけれどなぜが怖くていえない。なぜだろう・・言ったら少しは楽になるのに私の生い立ちを全部聞いてほしい。
優しく頭をなでて抱きしめてほしいのに。
でもまだ話す勇気がでない。
話すと消えて無くなりそうで怖いよー
自問自答しては堂々巡りばかり
でも私の過去は消せないから、リセットは出来ないから、
私のインナーチャイルドに言ってあげる。
私はあなたを裏切らない。
私はあなたをいつも見守っているよ。
安心していいよってえね。
今日はいい天気だ
インナーチャイルドはお天気が格別好きらしい。
天気の良くなった日には元気が体の中から感じられる。
元気が出てきたみたい
気持ちもすっきりした。
もう仕事の時間だ、がんばろう。
<251> 野々 ■2004年03月04日 木曜日 06時24分58秒
朝起きてからためいきばかり…。
気持ちが重い。Yさん、お願いもうGさんのことはほうっておいて、
自分の事に集中してください。人のことはもうキリがついたときにおいておいてください。Yさんがおろかなひとだったと思うと気持ちのそこから力が奪われます。
自分は自分。自分の役割を果たす事がまず大切。
人のことはそれから…。私の対応がまずかったのだろうか。
気持ちが重い。仕事に行きたくない。このまま布団で寝ていたい、
そうもいかない。やることがいっぱい。
さあ、行こう…。
<250> NAC NAC ■2004年03月04日 木曜日 03時08分36秒
私は馬鹿相手に「人間関係」で3時間も使ってしまった。
ほんともったいない。
3時間もあるなら私はエロビデオ見るなり、A(こちらは女性)さんとのHの妄想でもしていたほうが、私にはよっぽど楽しい。
でも残念ながら、世の中楽しいことばかりではないのだ。
時には「お呼びでない」害虫も、明かりを着けただけで飛んでくることもある。
ほんとそういう「嗜癖」を持った人間は扱い辛い。
「周りから見ておかしいのに、本人は『俺はどこかおかしいのかも?』と疑いもしないし、結果気付かない」困ったちゃんを、虫除けスプレーでさっと追い払えれば私は誠に楽なのだが、現実にそれをやったら犯罪となってしまう。
ほんと困ったものだ。
自分と向き合える術を身に付けた人が、自分と一向に向き合おうともしない、または「向き合う術すら知らない」人を相手にすると非常に疲れる。
それは自分が前者の立場になってよく、よく、よ〜くわかった。
例え状況的・精神的に今は辛くても「何とか前に出よう」
それを実践している人、または模索している人と話すと、私は全く苦にならない。
それはそのプラスのエネルギーを私が感じるからであり、お互いに一定の線を引きながらも「ギブ&テイクの共存共栄」だからだ。
それがマイナス思考の人の場合は逆だ。
はっきり言ってこちらまでエネルギーを吸い取られる(一方)だけで終わってしまい、話を聞くのが非常に苦痛である。
それが遊び仲間のAの話だ。
奴の話は毎回毎回言い訳じみて同じことの繰り返し。
「お前はその年でもう老人か?」
と私はAに突っ込んでやりたくなるほど、Aの話は欠伸を噛み殺すのに神経を使う。
私は慈善家でも聖人君子でもない。
まず自分のこころの回復が大前提だ。
自分のこころも覚束ないのに、人様に構っている余裕はない。
だから私はカウンセリングにも自助グループにもコーチングにも、時間とお金の許す限り積極的に参加するのだ。
そしてその成果は確実に自分の中に現れていて、それがまた更なる自信となって、今の自分を後押しする。
だから「反面教師」と言えど、「間抜けのA」の話を自分が聞いてやっている間ほど「不毛な時間」はない。
ほんと「馬鹿に付ける薬はない」というが、まさしくこのことだ。
自戒、自戒。
<249> りりー ■2004年03月03日 水曜日 02時21分53秒
「頑張る」ことについて。
頑張ろうと思うと後で必ずしんどくなる。
なので、頑張らず、自分の気持ちの流れを見つめて過ごしていたら、
ニョキっと芽生えた何らかの感情や、爆発しそうな怒りを抑えこむことを
「頑張っていた」らしい。
こう考えると、「頑張ろう」と思う時点で、自分を抑えこみ
辛くなったり、行き詰まったりする理由がわかるような気がする。
「頑張れ」と言われれば、即座に「イヤ」と答える自分がいたっけ。

そうじゃないよ。大丈夫だよ。とチャイルドに説明してみよう。
<248> シャローナ ■2004年03月02日 火曜日 00時05分15秒
急に気分が重〜くなってしまいました。
絶望的な気分、抜けられない、のしかかってくる。
頭の中がぐるぐるといろんなことを考えて訳わからなくなってしまった。
何があったのどうしてこうなるのどうしたらいいの・・・
で、突如悲しくなった。
これ、インナーチャイルドなのかと思った。
思えば子供の頃になにかにつけてこんな気分を味わい、
そしてひとり心の中に押し込めて日々をやり過ごして必死で生きてきたのかも
そう思うと本当に辛かったと思う。
<247> もとい「けり」をつける ■2004年03月01日 月曜日 10時02分32秒
今までの人生に「ケリ」をつけ、

「あす」からの人生の為に

いろいろと「準備」をしよう
<246> シャローナ ■2004年02月29日 日曜日 22時04分56秒
少しスッキリしたのは気のせいだろうか・・・
今まで私はがんばる自分中心にやってきた。それがどうもインナーチャイルドなのではという見方をしたら、こどもがひとりで社会の中でがんばろうとしているってことなのかと思えてきた。あきらかに無理がある。
傷ついたインナーチャイルドをがんばるインナーチャイルドが引っ張りだして治そうとする。
しかし、誰にも保護されず、どうしていいのかわからない。
結局再び傷ついて、倒れ、弱り、怯え、ひきこもり、自身を失い、ますます頑なになって人を信用しないようになる。
かといってがんばるインナーチャイルドを消そうとしても、傷ついたインナーチャイルドは無防備にさらされるだけ。それではとうてい外には出られるはずもない。
私の中には大人がいない。エゴグラムでもそう出ていた。自分の軸がない。
で、大人の自分を意識して、自分を見るようにしてみた。
今まで、不快とはいえ、がんばるインナーチャイルドで私はどうにか生きてきた。それをすぐにははずせない。それでバランスをとってきた。たとえ常に緊張していてまわりとつながれなくてもだ。だからそれに感謝した。
傷ついたインナーチャイルドの感じたことも少しながら始めて実感して、それがいかに辛い思いをしていたか、それに全く目を向けなかったことを誤った。
なんか少しすっきりしているようなんだが。
<245> 「蹴り」をつける ■2004年02月29日 日曜日 21時51分32秒
でも、いい経験だった

2度目だったし、男だし耐えられた

でも、女性にはしてはいけない、耐えられないと思う、心身ともに・・・

あの状態の真っ最中と、その後の状態

ほんとに地獄のような苦しみです

それだけわかってほしい

以上です。ありがとうございました。
<244> 正しいこと ■2004年02月29日 日曜日 21時40分30秒
分かってたのに、

あの、目の閉じ方で正しいと思ったのに、

ああいう態度を自分がしていては「生意気だ」「若造のくせに」

そう思われるんじゃないかなと思った

そこから、依存がはじまる・・・ストレスを自分で造り出してしまう・・・

「依存的」と「協調性」、「依存的」と「優しさ」、「依存的」と「愛情」、そういうものを区別できなくなる・・・

そして、「怒り」が生まれ、それを溜め込んでいく・・・躁鬱へ・・・



  堪忍は無事長久のもと  怒りは大敵と思え

                          「東照公遺訓」より
<243> NAC NAC ■2004年02月28日 土曜日 22時05分40秒
今日私は、2ヶ月ぶりに「コーチング」に(1時間近く遅れて)参加してきた。
私が遅れたのは午後2時過ぎまで「Word上級」試験があったからで、その「自分が遅れる」旨は前以て主催者に連絡しておいた。
行ったら前回と場所(部屋)が違っていて、10分近く私は(捻挫で)うろちょろしてしまった。
今回は前回(私が初参加した1月)よりも若干人数が少なく、それでこちらの狭い部屋に移動したみたいだ。
そしたら逆に(人数の割に)部屋が狭すぎて、中で人間がごちゃごちゃしていた。
それを見たとき私はなぜか「ゴキブリほいほい」を思い出して、一瞬引いてしまった。
それでも「せっかく来たのだから」と私はノックして、挨拶して皆に混ぜてもらった。
結果は誠に有意義な2時間(ちょっと)だった。
これで1,000円なら(私の感覚では)お買い得である。
下手な宗教よりはこっちのほうがよっぽど現実的で効果がある。
じゃなければ、某国産自動車メーカーも社員教育に取り入れないだろう。
私は金を掛ける以上は「費用と効果」に対してうるさいのだ。
前回私は初めてだったので、セミナー終了後「会話ってのはこんなにエネルギーを要するものだったのか!」と感服したが、今回は大分落ち着いていた。
それどころか自分の中のインナーチャイルドが話したくて話したくてうずうずしているのがよくわかった。
妙なハイテンションだった。
でも抑えられる「抑制の効くハイテンション!」だった。
だからといって私は躁状態ではない。たぶん。
まっ私が躁であろうがなかろうが、そんなことは今の私にはどうでもいいのだが。
私は専門家ではないので「どこまでが躁で、どこからが躁じゃないのか?」はわからないが、もし私が躁状態だったらこんなに前向きで勉強熱心になるであろうか?
自分でも「俺ってこんなに勉強熱心だった?」って疑うほどである。
それは私のカウンセラーも、この前「K(私)さん、『最近変わったね』って誰かに言われませんか?」って聞かれて、私は内心(「自分が変わってきている!」ことを感じてもらえることに対して)嬉しかったが、その問いに対し私は「いや〜別にないですねぇ」と正直に答えた。
話は戻って、そんな私だから、その(生徒・講師含め)20人近くいた中で、「自分が一番生命エネルギーに満ち溢れている!」と私は自分自身で実感していたし、そんな私の言動を生徒のHさん(女性)は、「Kさん変わりましたね。1月の時とは別人みたい。私あのときKさんと何話したのか忘れちゃった」って言っていった。
そうHさんに誉めてもらって私は嬉しかったし、他人が観ても明らかなほど、私は乗っていた。
し、確実に自分の勢いを感じ、その勢いに後れることなく、今の私は乗れている。
あれだけ酷い点数を取った後でも、捻挫が痛いにも拘わらず、私の気持ちは高ぶっていた。
「もしかしてこれがハイヤーパワーなのか? まっそんなことはどうでもいいや。
ハイヤーパワーであろうとなかろうと、自分は自分のインナーチャイルドを信じるのみだ。あとは自分のインナーチャイルドが意識の自分を導いてくれる。私は彼の純真で偉大なパワーを信じていけばいいのだ」
そう「逆境になればなるほど燃える」自分を感じていた。
今の私の心を画で表すと、「子どもがトランポリンで跳ねて遊んでいる」感じだ。
私のインナーチャイルドはいつでも宙返りができるし、また、すぐトランポリンから降りることもできる。
そしてこのまま飽きずに(お腹が空くまで)「ぼよ〜ん、ぼよ〜ん」と、いつまでも勝手気ままに遊んでいることも可能だ。
今の私はあらゆる(といっては言い過ぎだが、可能な限りの)選択肢を、自分の意思で選択することができる。
いい意味で私の心には「余裕」があり、大事な「溜め」を築きつつある。
例えて言うなら、振り出してスピードの乗ったバットでも、手元で「ボール球!」とわかれば、その強靭なスナップで己がスイングを止めることもできる。
それは言うなれば、段々自分の中で「感情の出し入れ」「コントロール」「適切な処理」を覚えつつあるのだろう。
でなければこの前の時、私は引きこもりの番組中、寝てしまった親父に対して(以前同様)猛烈に怒ったはずだ。
それが「完全」とは言えないまでも(諦めかもしれないが)、少しは親父を「その引きこもりの番組を(短時間といえども)自分の意思で見ていた」行為に対して、私は認めることができた。
これも自分の感情がすべからくカウンセラーに認めてもらって、自分の心が雪解けしているからであろう。
私のこころは本当に子どもだ。
子どもであるが故に「自分の感情を認めてもらえれば」「受け入れてもらえれば」
爆発的な力を出す。
だから今の私は「捻挫なんかなんとも思わない」し、「試験に落っこちたのなら、また勉強し直して再チャレンジすればいい」
と極めて?前向きになれるのであろう。
ほんと自分の心の回復はカウンセラーとインナーチャイルド様様で、私は感謝したい気持ちでいっぱいである。
どうもありがとう私のインナーチャイルドたち。
お陰様で意識の私は「上昇気流」に乗ることができました。
これもあなたたちとカウンセラー、自助グループのお陰です。
これからも「ぼちぼち」行きますので、応援よろしくね。

あなたたちの大切なお母さんより
<242> 埴輪 ■2004年02月28日 土曜日 21時34分11秒
思いは溢れて声になる。
私は、バカがつくくらい真っ直ぐだったみたい。
心と反対のことはできない。
そのために損をしてきたこともある。
でも今は、私を信じてくれている人がいる。
だから私は、心の声のままに叫ぶ勇気を持った。
<241> WINNIE ■2004年02月28日 土曜日 13時12分04秒
その怒りを私は認めたくないみたい。
だから苦しいのだろう。
どうしたらいいのか、わからなくなるんだろう。

きっと、そうなんだね・・・

怒りを持ちたくなかった。でも、あの人が言うように、「さらりと流せばいいのでは?」とは、行かない。

出すことも、引っ込めることもできない気持ちがそこにある。

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This script written by Shintaro Wakayama.